第5話 電脳装備者特有のオンラインスキル
どうして新進気鋭のIT企業は内装の自由奔放さを競い合うように発展させているんだろう。
特に若く独善的な社長が活躍するIT関連企業と言う奴は。出向く度に園は思った。エレガンスなレストランのウェイティングバーを彷彿とさせるインテリアやら、無機質な宇宙船の展望室を思い起こさせる内装やら、おおよそ会社であると忘れさせる待合ロビーばかりだ。
天野優一が勤めているこの企業もまた同様に、意表を突く事を目的としたようなロビーだった。はたしてここは動物園か水族館か、あるいは植物園か。待合ロビーにはありとあらゆる生命の模造品が陳列されていた。動物ロボットや拡張現実、そして電脳空間内での動植物のデザインを手掛ける会社とは言え、このロビーは少しやり過ぎではないかと園は感じた。そう広くはないロビーのどこに座ろうと模倣動物達と目が合ってしまう。動物なんて飼った事もない園にとって、そこは妙に居心地の悪い空間だった。
そろそろこの空間にいるのも精神的に限界か。黒スーツのポケットからシガレットケースを取り出して、何処か一服できる場所はないかとロビー内をきょろきょろとしていると、園が待っていた人物が動物達の合間を歩いてくるのが目に入った。天野ユカリだ。
ユカリは受付カウンターで来客用のIDカードを返却し、振り返ってすぐに偽物の動物達の中に紛れ込みそうな小柄な園の姿を見つけた。園はユカリと視線が合うと、せっかく取り出した一本の煙草を名残惜しそうにポケットに押し込んでぺこりと頭を下げた。
「園さん? どうかしたの? まだ何か聞きたい事でも?」
「いいえ。今日はもうお帰りになるのでしたら、ご自宅までお送りします。そして明日からは、私、砂原園が天野さんを送迎します」
「それって、タクシー代わりとして、って事かしら?」
「そう解釈していただいてもけっこうです。仮想対話による喚起式カウンセリングの調査協力へのサポートです」
「ふうん。ありがたいけど、何か私ったらあなたを怒らせるような事しちゃったかしら?」
園は首をかしげるだけで返した。無論、ユカリに対して怒ってなどいないし、不機嫌になる理由もない。これでも精一杯丁寧に接しているつもりだ。
「そんな膨れっ面じゃ、せっかくの可愛い顔が台無しよ」
「膨れっ面も生まれつきです」
「メイクも目尻とかアイラインを強調するよりも、今のすっぴんの方が表情が柔らかくなっていいわね」
園としてはメイクの仕方なんて他人にとやかく言われる筋合いはない。それに背の低さからか、すっぴんの童顔さからか、どうにも子供扱いされている気がしてならない。このままユカリと会話を続けていると、生まれつきの膨れっ面が本当に意味の膨れっ面になってしまいそうだ。早いところ会話を打ち切ろう。
「はい。今後の参考にします。で、今日はもうお帰りですか? それともまだ他にご予定がありますか?」
「はいはい、じゃあお願いします」
ユカリに園の不愉快な気持ちが伝わったのか、ユカリは少し困ったような笑顔を見せてそれだけ言った。
園はそのまま一言も喋らずにジャングルのような待合ロビーを抜けて駐車場までユカリの先を歩いて誘導した。ユカリも黙ったまま、しかし楽しそうに園の後ろをついて歩く。
駐車場の隅、壁際にピッタリと停められたメタリックピンクの小型車の前で園は立ち止まり、黒のビジネスバッグからキーホルダーを引っ張り出した。ちらりと、少し下がるようユカリに目配せしてキーのボタンを押す。メタリックピンクの車体は短い電子音を奏でて、昆虫の複眼を模したようなヘッドライトをきらめかせ、かすかなモーター音をくぐもらせてするすると前に進み出た。
「どうぞ」
園が後部座席ドアへキーを向けると、ぱくんと軽い音をたててドアが上へスライドして開いた。
「厚生労働省って意外と可愛い車使ってるのね」
ユカリが磨き込まれたメタリックピンクのボディを撫でながら言った。それを聞いて、園は思わず口をへの字に曲げてキーのボタンをもう一度クリック。
「これは私個人所有の車です」
ピンク色した運転席ドアが音も立てずに上方へ持ち上がる。
「あら、そう。園さんによく似合ってる可愛くて素敵な車ね」
「子供っぽくてすみません」
「そんなこと言ってないわよ。よく手入れされたキレイな車ねって意味よ」
「そうですか。ありがとうございます」
園のつっけんどんな態度に思わず肩をすくめてしまったユカリ。園はそんなユカリに一瞥をくれただけで運転席側に回った。
「園さんって電脳持ちなんでしょ? 手を使わないでぴぴぴって思っただけで車を動かせるの?」
ユカリの言う通り、電脳装備者のオンラインスキルを使えば、電気自動車の駆動系にリンクして実際に搭乗しなくとも車の操縦が可能だ。園は少し考えるように小首を傾げて見せ、鍵束をユカリに見せつけるようにちゃらっと指先で回して車高の低い運転席へ滑るように乗り込んだ。
「電脳は仕事でしか使いません。プライベートではほとんどアナログな生活をしています」
そしてユカリの返事も待たずに運転席のドアを閉じた。何故か無性に苛立つ気持ちを抑えて助手席に重たいビジネスバッグを投げ出そうとすると、助手席の窓からこちらを覗き込んでいるユカリと目が合った。
「助手席に乗せてくれない? こっちの方が好きなの」
同性の園でも魅力的に感じられる柔らかい笑顔で、こんこんと指でつつくように助手席のウインドウをノックするユカリ。園はユカリにばれないように小さく溜息を漏らし、ビジネスバッグを後部座席に放り投げ、腕を伸ばして助手席のロックを外してやった。すぐに乗り込んできた笑顔のユカリは、シートに浅く座りシートベルトを着けながら車内を興味深げに見回した。
「中もキレイにしてるのね」
「天野さんをお送りする予定でしたので車内清掃くらいはしますよ」
「普段から手入れしてないとここまでキレイにはならないよ。あと、ユカリでいいわよ」
「はい。では行きます、ユカリさん」
園は棒読み口調で言い捨てて、メインコンソールを人差し指で二度タップしてエンジンを起動させた。
「うちの住所わかる?」
「ナビに入れてあります」
「さすが、仕事が早いわね」
返事をする代わりにアクセルを深く踏み込んで園は甲高いモーター音を轟かせて車を発進させた。駐車場の出入り口までブレーキを踏まずに突き進み、行き交う車の流れの中に隙間を見つけて滑り込むように車道に躍り出る。そのままスピードを落とさず、フロントガラスに投影されるナビゲートマーカーに従って一瞬だけウインカーを点滅させて車線変更。
「優一くんよりも運転上手ね」
流れるような車の挙動、スムーズな園のハンドルさばきに、ユカリはシートに深く座り直し、シートベルトを胸の前できゅっと握り締めて言った。
「そうですか」
素っ気なく返す園。
「優一くんって、運転中も仕事の事ばかり考えてて、急に自動運転に切り替えてネットに潜っちゃったりするの」
「それは自動運転ではなく、コレクティブコントロールと呼ばれる車の電脳系機能です。周囲を走る車や電子道路標識から走行情報を受け取って、一台の車としてではなく、道路外部環境と連なる車列とを一個の集合体として認識して、操縦を集合体そのものに委ねる電脳装備者特有のオンラインスキルです」
「コレクティブね。それで運転してる優一くんにはどう動くのか解るんだろうけど、助手席の私にはハンドルが勝手に動くのは怖い光景なのよね」
どうやらこの女はドライブ中は人の話を聞かないタイプのようだ。園は思わず溜息を漏らしてしまった。久しぶりに職場以外の人間との会話だったので丁寧に話を合わせていたつもりだが、それは無駄な行為だった。彼女の会話のペースに合わせているとかえってこちらが消耗してしまう。
「ナビ席から見れば確かに自動運転ですね。もう自動運転でいいですよ」
「そう、自動運転ね。運転席の優一くんはネットにダイブ中で目をつぶっちゃってるし、でもちゃんと聞いてるからって、私は優一くんにあれこれ話しかける訳よ」
結局、ユカリの家まで走らせる間、園は適当に相槌を打つだけでユカリの話を聞き流していた。そんな園が醸し出すやんわりとした拒絶の空気もユカリには効果がないようで、まるで旧友との再会を楽しむかのようにユカリと優一の生活ぶりを喋り続けていた。
ユカリが住む郊外の多層型マンションに到着してもまだ喋り足りないのか、ユカリは園に部屋に上がっていくよう誘いの声をかけた。
「ねえ、園さん。コーヒーでもいかが? もう少し、お喋りしていたい気分なんだけど」
「あ、いいえ。私はまだ仕事が残っていますので」
それを園は丁重に断った。
「あら、そうなの。残念。まあ、これからも園さんに送り迎えお願いしてもいいんでしょ?」
「はい。明日も私がお迎えにあがります」
「じゃあ、そのうちね。私の淹れたコーヒー、優一くんもそこらの喫茶店のよりも美味しいって気に入ってくれてたのよ」
「はい。そのうち、時間を見つけて」
「……うん」
少し間を置いて、ユカリが軽く頭を下げた。
「お喋りに付き合ってくれてありがと。優一くんがずっと眠っちゃってるから寂しかったのかな。初めて会ったってのに、なんかいっぱい喋っちゃった」
「お役に立てて何よりです。では、今日はこれで失礼します」
「ええ、また明日」
ユカリと視線が合わないようにと、園は黒髪が前に垂れるほど深く頭を下げた。そしてすぐに振り返り、路上に停めておいた車へと足早に歩く。
ようやく解放された、と園は愛車に乗り込み、待望のタバコをくわえた。ユカリのマンション前に路上駐車したままエンジンもかけずにしばらく唇でタバコの感触を楽しみ、そしてもったいぶってジッポライターに火をつける。
園のかすかな吐息に揺れる青白い炎を見つめて、そうっと唇で炎に触れるようにしてタバコの先に火を灯す。じじっと小さく音を立てて、タバコの先が黄色く燃える。胸いっぱいに香りを吸い込み、惜しむように少しずつ煙を吐き出した。
山鹿に真っ白い電脳空間に押し込まれて以来、ずっと息がどこかに漏れてしまっているような気がしていた。やっと、本当の呼吸ができた。園はウインドウを開け放ち、くわえタバコのまま車を走らせた。
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