無能力

蒼野 棗

第一章

#00  プロローグ


「……っ、はっ、はぁ……」


 複雑に入り組んだ路地裏を全力で駆け抜ける一人の男がいた。

 男は何度も後ろを振り返り、自分の背後に誰もいない事を確認する。

 もう誰もいない。は追ってきていない。

 そう分かっていても男は足を止めることなどできなかった。

 恐怖が男を支配していた。捕まったら、追いつかれたら殺されるという確信が男にはあった。

 何度も角を曲がり、自分ですらどこをどう通ってきたか分からなくなるほど走り続けた。男は再び角を曲がり、途端に視界が開けて、その眩しさに思わず足を止めた。


「でさー、あいつってばいつも自分の自慢話ばっかでさ、たまにこっちが話を振っても否定ばっかしてくんだよ!? ありえなくない!?」

「はい、はい! 予定よりも早く到着できると思います。はい、よろしくお願い致します!」

「聞いた? 斉藤さんの娘さん。無能力者になったらしいわよ。怖いわねぇ」


 開けた視界の先に広がっていたのは雑多に賑わう大通り。行き交う人々が談笑しながら歩いていく。


(…………助かった?)


 全力疾走で上がりきった息を整えながら、男はもう一度振り返る。

 振り返った先には暗い路地裏が広がるだけで、人の気配などない。その事を確認すると男は安堵したように息を吐き出した。

 熱くなった体を冷ますようにネクタイを緩めながら、男は人混みに紛れて歩き出そうとする。


「あとは本部か特課に保護してもらえば……」


 助かる。そう呟こうとした瞬間、男の頭上に影が差した。


「え?」


 太陽でも隠れたのかと男は顔を上げ――視界に飛び込んできた一人の青年。それが誰なのかを理解するなり、恐怖に顔を引き攣らせた。


「す、すいれ――がっ!」


 男が認識できたのはそこまでだった。

 空から降ってきた青年は軽やかに着地すると、目にも止まらぬ速さで男の首を切り裂いたのだ。

 おそらく男は何が起こったのか理解することすらできずに絶命した。

 真っ赤な血を噴き出し、アスファルトに倒れた男。周囲の人々はその光景を理解できないのか茫然と倒れた男を見つめ――そして、たったいま男を殺した青年に視線を向ける。


 ひどく整った顔立ちをした青年であった。おそらく彼が殺人などを犯さなくとも自然と人の目を惹きつける……そんな魅力を感じさせる青年だった。しかし、周囲の人々の目を惹きつけるのは彼の整った顔立ちなどではない。そして、たったいま人を殺したことでもなかった。


 それならば彼等は何に注目しているのか。

 簡単な事だ。彼等の視線は青年の髪と瞳の色に注がれている。

 日の光を受けてなお輝く亜麻色の髪に宝石のように透き通った翡翠の瞳。

 それは呪いの証。

 この時代の人間ならば誰もが知っている人間とは違うの証。


「む、無能力者だぁああああああああああ!」


 誰かの声を皮切りに次々と悲鳴が上がり、人々が逃げていく。恐怖に逃げ惑う人々の反応に青年は軽く肩を竦めて、息を吐く。


「あらら、心配しなくてもボクは『無差別』保持者じゃないから無差別に襲ったりしないのに」


 誰に言うわけでもなく呟かれた言葉。

 青年は逃げ惑う人々には言葉通り興味ないようで、逃げ出す人達を横目にその場を去ろうとして――近付いてくる気配に気付いて、足を止めた。

 数台の黒いトレーラーが青年の前に止まり、中から黒い軍服を纏った集団が降りてくる。彼等は素早い動きで青年を取り囲み、一様に銃口を向ける。

 取り囲まれた青年は、沢山の銃口に囲まれているというのに優雅な笑みを絶やすことなく、最後にトレーラーを降りてきた集団に視線を向ける。

 そこに白いマントをはためかせながら、近付いてくる銀髪の青年がいた。


「やあ、随分とお早い到着だね」

「無能力者に追われているという通報があったんたが……間に合わなかったみたいだな」


 ちらりと先程息絶えた男を見て、銀髪の青年は小さく息を吐き出した。


「ああ、彼のこと? うん、一足遅かったね。ついさっき殺したよ」

「っ、このっ!」


 悪びれた様子なく肯定した青年に集団の一人が耐え切れなくなったように帯刀していた刀の柄に手をかけた。だが、その行動を銀髪の青年が止める。


「……無駄だと思うけど、一応聞こうか。大人しく投降しろ。『無敵』保持者、睡蓮寺すいれんじこう


 その言葉に亜麻色の髪の青年――睡蓮寺鴻は、優雅な笑みを絶やさぬまま数本のナイフを手にした。


「これが答えだよ」


 目にも止まらぬ速さで投擲されたナイフは、まっすぐ銀髪の青年に飛んでいき――彼に当たる直前、見えない何かにぶつかり、霧散した。その光景を予想していた鴻は、驚くこともなく笑う。


「やっぱ無理か。分かっていたけど、君を殺すには君の意思を弱らせるしかないみたいだね。ねえ、『無効』保持者、桔梗ききょうかなめ君」


 鴻の言葉に銀髪の青年――桔梗要は何も言わない。

 無言のまま静かな眼差しで鴻を見つめた後、小さく息を吐き出した。


「残念だ。……秋良あきらあおい

「はい、要さん!」

「了解です」


 要の呼びかけに即座に二人が隊列を飛び出す。二人に続くように周囲を囲んでいた他の面々も一斉に発砲した。





 西暦2023年1月1日。

 その日、日本全土にある呪いが広がった。

 無能力と呼ばれる言葉の呪いは人々を狂わせ、争わせ、多くの血を流すこととなった。

 呪いに侵された人――無能力者による凶悪事件の多発。一般人による無能力者の迫害から始まった無能力者狩り。

 日本中が戦火に包まれた。

 そんな混沌とした世界に平和を取り戻すため、政府がとある組織の結成を許可した。

――無能力対策本部。

 無能力の研究。無能力者の保護。無能力者による犯罪を取り締まる。無能力者によって構成された組織である。

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