#07-2 愛の味方


「……睡蓮寺鴻。お前は、拘束命令が出ている。これ以上、被害を出す前に大人しく捕まってくれないか?」

「あは、要君みたいなことを言うんだね。……いや、違うか。要君がヒーロー君の真似をしていたんだったね」

「どういう意味だ?」


 怪訝な顔をした蛍に鴻は、笑みを深める。


「結局、要君の目的は最後まで分からなかったな。まあいいか。死んだ人はもう何もできない。彼が何を企んでいたとしてももう無意味だ。そして、要君がいないいま、ボクを止められる人はもういない」

「オレがいる! これ以上、お前が被害を広げないようにオレがお前を止める!」


 強い意志と覚悟が込められた声。その覚悟の強さを示すように刃が振るわれる。だが、それはいともたやすく避けられた。

 鴻は軽い足取りで蛍の斬撃を避けた後、馬鹿にするように笑う。


「君がボクを止める? あは、ヒーロー君は本当に馬鹿だね」


 鴻の表情に浮かぶのは嘲り。眼前の男は取るに足らない……いや、気にする価値すらないとばかりの笑みであった。

 蛍は攻撃の手を緩めることなく、何度も刀を振るう。だが、それらは全て軽く避けられ、背後に回った鴻が蛍を蹴り飛ばす。その衝撃で蛍は刀を落とし、壁にぶつかり蹲る。

 背中を襲う痛みに蛍が表情を歪めると同時に彼の腹部に鴻の足がめり込む。

 鴻は相変わらず笑顔だ。ニコニコと笑いながら、小さな子供を諭すように優しく告げる。


「ヒーロー君の考えは立派だと思うけどね。『無力』で『無価値』な役立たずヒーローは誰かを助けることなんてできない。誰も君に助けを求めない。誰も君に期待なんかしない。それでも君は誰かを助けたいと願うのかい?」

「……俺は、力ない人が一方的に傷付けられるのはもう見たくないんだ」

「その為なら、君は傷付いてもいいと? 君が助けた相手は君に感謝なんてしない。むしろ、君を化け物と役立たずと罵るのに。それでも君は自分の命を投げうってでも見ず知らずの他人を助けたいと思うのかい?」

「感謝されたいわけじゃない。オレはオレの為に動いてるだけだ。オレはもう約束を破りたくない。だから、理解されなくても役立たずでも馬鹿にされてもオレは、オレの為に正義のヒーローであり続けるだけだ」

「傲慢だね。だけど、素晴らしいよ。君のそれは立派な愛だからね。ヒーロー君はボクが認めただけのことはあるよ。君がいつまでもその気持ちを抱いているならボクはいつだって君の味方だ」

「それなら、大人しく捕まってくれないか?」

「それとこれとは話が別だ……よ!」


 にっこりと笑っていた鴻は目を細め、唐突に振り返って、数本のナイフを投げた。彼の背後――誰もいない筈の空間に向かって放たれた数本のナイフは音もなく彼の背後に現れた人影によって叩き落された。


「チッ、貴方背中に目でもあるのかしら?」


 そう簡単に背後がとれるとは思っていなかったが、本当にあっさりと気付かれた事に猫柳撫子は忌々しげに舌打ちをした。

 鴻は撫子の姿を認めると驚いた素振りもなく、ただ笑う。


「お嬢様は気配が分かりやすいんだよ。ボクへの敵意が駄々洩れだからね。ボクの隙を突きたいなら、せめて敵意くらいは隠さないとね。マニュアル人間みたいにさ」

「っ!」


 鴻が撫子に気を取られている隙に彼の視界外から彼に接近しようとしていた日向葵をいとも簡単に捻じ伏せて、睡蓮時鴻は笑う。

 敵意を隠したところで、気配を消したところで、この青年には何の意味もない。

 彼にはどんな人物も敵になり得ない。

 彼にはどんな攻撃も通用しない。

 彼にはどんな不意打ちも意味を成さない。

――無敵。

 彼がその言葉の保持者である限り、彼に敵はいない。

 彼を脅かす者はいない。誰も彼を止める事など出来ない。……そう、彼の言葉を無効化できる人でもない限り。


『今だぜ。カナメン』

「うるさい。分かってるっての!」


 誰かが自分に迫る気配を感じて、鴻は振り返る。先程から気配は感じていたが、あまりにも弱々しいから気にも止めなかった。どうせ自分には通用しない。そう確信していたからこそ、鴻は焦った様子もなく、ほんの気まぐれで振り返った。

 そして、鴻が見たものは視界いっぱいに広がる網。


「……は?」


 呆気に取られたのは数秒。我に返った鴻は即座に網を避けようとして、自らの体に起きた変化に気付く。

 違和感は一瞬だけ。だが、その一瞬が最大の隙であった。

 ばさりと巨大な網が頭上から被される。その途端、網が急速に縮まって、鴻は身動きが取れなくなった。

 拘束されたことよりも先程の違和感に覚えがあり、鴻は自分に網を投げつけた人物を見る。そして、常に笑顔を浮かべていた彼が驚きの表情を見せた。

 網で拘束されて地面に座りこんだ鴻を見下ろすように立っていたのは灰髪の少年――桔梗要であった。


「…………要君?」


 彼が知る青年よりも幼いが、それでもその顔立ちは覚えがあった。

 彼が知っている青年は常に胡散臭い笑みを浮かべていたが、眼前の少年は不機嫌そうに眉を顰め、真一文字に口を引き締めている。それでもその顔を鴻は知っていた。

 懐かしい顔だと鴻は思う。何故死んだはずの彼が此処にいるのか、何故彼が若返っているのかを考える。そして、浮かび上がった疑問をどうでもいいかと一蹴する。


「これが君の策か政府の独断かは……どうでもいいことか。問題は君がまたボクの邪魔をするか否か、だよ。君はボクの敵かい?」


 瞬間、要は今すぐここから逃げ出したくなった。今すぐ彼の前から消えたくなった。彼の意識から自分という存在を消したくなった。

 生存本能が発する警告に全身から冷や汗が流れる。それでも要は逃げるわけにはいかない。なによりもいま彼は拘束されている。

 特製の拘束網。

 なんでも一度拘束したらどれほど相手が暴れようと決して破れることなく、むしろ暴れれば暴れるほど拘束がきつくなるという拘束網だ。彼が網に拘束されている間は、要に危機は訪れない。それなのに要の中で警鐘は鳴り響き続ける。

 要は自らの心が発する警鐘を無視して、鴻を見返した。


「あんたを捕まえたら、元の時代に帰してもらえるんだ。悪いが、俺の目的の為に捕まってもらうぞ」

「元の時代? ……なるほど、君は過去から連れてこられた要君ってことか。へぇ、政府がタイムマシンを完成させたって噂は本当だったんだ」

「御託は良いわ、睡蓮寺鴻。貴方を連行させてもらうわよ」

「気を付けてください。相手はあの人です。拘束していても油断できません」

「分かってるわよ。けど、大丈夫でしょ。忌々しい事に桔梗要の『無効』が機能してるのだから」


 そう言いながら、撫子は鴻に近付く。いくら網で拘束しているとはいえ、両手が自由なのは危険だ。だから、彼女は彼に手錠を掛けようと近付いた。


「……っ、ははっ」

「……何がおかしいのかしら?」


 網に全身の自由を奪われながら、何故か肩を震わせて笑っている鴻に撫子は怪訝に思いながらも近付く。当然、彼女は警戒していた。もし彼が一歩でも動いたら即座に発砲できるように銃を構えていた。

 そんな撫子などまるで眼中にないとでもいうように鴻は笑っている。


「なにがおかしいって? そりゃそうさ。こんなおかしなことはないよ。傑作だ。笑うなって方が無理だろ?」


 鴻は笑う。ひどく楽しそうに笑う。狂気に満ちたその笑みは見る人を不安にさせる。

 誰もが息を呑んだ瞬間――。

 周囲の空気が変わった。


「元の時代に戻る。そんな弱い目的でボクを止められると思ってる君達の愚かさがひどく滑稽だよ!」

「っ!」

「撫子ちゃん!」


 いち早く動いたのは撫子と葵だった。彼女達はほぼ同時に鴻に向かって発砲した。だが、その銃弾が鴻に届くより先に彼を拘束していた網が簡単に切り裂かれ、自由になった鴻が跳躍した。

 放たれた銃弾は誰もいない空間を通り抜け、壁にのめり込む。撫子がもう一度狙いを定めようとするが、呆気なく背後を取られ、首に一撃を入れられる。


「あ……」


 首に衝撃を与えられ、意識を飛ばした撫子が地面に倒れる。撫子が地面に倒れるまでの短い間に鴻は葵の元に一瞬にして移動すると、彼女を蹴り飛ばす。


「かはっ!」


 勢いよく壁に激突した葵は、そのまま壁にもたれ掛かって蹲る。

 数秒にも満たない短い時間であった。それなのに彼は離れた場所にいた撫子と葵を一瞬にして戦闘不能に追い込んだ。

 ただ一人悠然と立つ鴻の姿に要は息を呑む。


「……ねえ、要君。この世界はあまりにも醜いと思わないかい?」

「は?」


 突然何を言い出すのかと要は後退りしながら言葉を返す。

 そんな要の反応に鴻は薄く笑う。


「ボクはね、自分の事しか考えない醜い人間が多いと思ってるよ。自分の利益の為に他人を踏みにじり、自分よりも弱いものをいたぶる。強い人が弱い人を虐げる。その構図がボクはとても嫌いだ。何故、弱者を慈しめないのか。何故、弱者を守れないのか。何故、愛を持てないのか」


 まるで演説するように彼は声高々に語り出す。


「この世界にはあまりにも醜い人間が多い。愛がない人間が多い。だから、ボクは世界を綺麗にするんだ。醜いもの、愛がないものを排除して、他者を慈しめる、真の愛を持つ人間だけが残る世界にする! それこそが、ボクの目的であり覚悟だ! 生半可な覚悟でボクを止められるなんて思い上がるな!」


 それはあまりにも純粋な狂気。だが、それ故に強く美しい覚悟であった。

 彼は彼なりの目的があり、覚悟がある。誰に認められなくとも彼にとっては何よりも大切で譲れない信念がある。

 その覚悟の強さに要はたじろぐ。彼から逃げるように目を逸らしてしまう。それこそが、要の意志が鴻の意志に負けたという決定的な証明であった。


 場の空気が完全に切り替わる。

 何人たりとも彼を傷付けることはできない。

 何人たりとも彼の脅威にはなり得ない。

 何故なら、彼は『無敵』なのだから。

 要は自らに迫る死を確信する。避けることも防ぐこともできない絶対の死を確信する。


「……っ、かなめ、さ……逃げて!」


 蹲っていた葵が要の元に駆け付けようとするが、体がまともに動かないのか這いつくばりながら、要に逃げるように叫ぶ。

 要は倒れている葵達を見ると一瞬躊躇うが、自分がいても何もできないと判断して指示に従おうとする。


「逃がすわけないでしょ」


 ふっと耳元で声がした。まだ距離があった筈の鴻がいつのまにかすぐ傍にいた。彼の手には輝くナイフが握られている。

 死を覚悟して要は目を閉じる。だが、その瞬間、要は誰かに突き飛ばされた。

 予想していたのと違う痛みに転がった要は慌てて目を開ける。そして、視界に飛び込んできたのは真紅の鮮血。


「……な、んで……」


 茫然と要は自分を庇った人物を見上げる。

 彼は赤い血を滴らせながらも要の無事を確認すると安心しきった表情で笑う。


「怪我はないな?」


 そう言って微笑んだ青年――袋桐蛍は、力を失ったようにぐらりと体を傾かせた。要は慌てて彼を支える。

 その背中からは大量の血が流れ出ていた。


「ヒーロー君が庇うから、狙いがずれちゃったよ。……まあ、流石ヒーロー君ってとこかな」

「お、おい! しっかりしろ!」

「いくら無力と無価値とはいえ、立派な無能力者。生命力は高いからね。そのくらいの怪我じゃ死にはしない。ボクもヒーロー君は殺したくないしね」

 

 興が削がれたとでも言いたげに鴻は溜息をつく。そして、そのままナイフを放り捨てて、背を向けた。


「今回はヒーロー君に免じて見逃してあげよう。けど、また邪魔をするなら次は殺すから。長生きしたいなら、考えるといい。ボクと敵対する意味を」


 それじゃあと軽く手を振って、鴻は歩き出す。その背中に声をかけることなど要には出来なかった。

 彼の気が変わって殺されるのではないかと要は恐怖していた。だが、そんなのは杞憂で、鴻はそのまま姿を消した。

 彼の姿が完全に見えなくなったを確認して、ようやく要は止めていた息を吐き出したのだった。

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