#01-1 桔梗要、十六歳


 そこは部屋であった。

 十畳ほどの広さのその部屋は、壁一面に本棚が埋まっており、本棚の中はこれでもかというくらい本が敷き詰められている。

 部屋のいたるところに紙や用途不明の物体が大量に散乱しており、作業机には所狭しと謎の液体が入ったフラスコやビーカーが置かれていた。

 体を休めるための自室というよりは、研究室といった方が正しいのかもしれない。


 そんな雑多な研究室で、蠢く一人の人影。

 それは一人の女性であった。

 年の頃は二十代半ばといったところだろうか。

 よれよれの白衣を身に纏ったその女性は、眼鏡越しに何かを熱心に観察していた。


 彼女の視線の先にあるのは簡易ベッド。そのベッドの上には、一人の少年が眠っている。

 身じろぎ一つせずに死んだように眠り続ける少年。静かに上下する胸だけが彼が生きている事を証明していた。その少年を女性は静かに観察していた。

 じっと少年を観察していた女性は、ふと彼から視線を外して、息を吐き出す。


「ふむ」


 彼がこの研究室に運び込まれて早数時間。

 一向に目を覚ます気配のない少年に女性は不思議そうに首を捻る。


「おかしい。何故、こいつはいつまでも寝ているのだ。時間を超えた影響か? だが、青も緑もピンピンしている。なのに何故、こいつだけ……」


 その声に反応するものはいない。

 当然だろう。この研究室にいるのは白衣を纏った女性と寝たきりの少年の二人だけ。

 少年が目を覚まさない限り、彼女の声に反応するものはいない。

 女性は暫し考え込んだ様子で黙り込み、ハッと妙手を思いついたように顔を上げる。


「解剖してみるか」


 言うが否や、彼女は近くに置いてあった注射を手に取り、少年に向き直る。

 そして、手にした注射を少年に刺そうとした瞬間──。

 身の危険を感じたのか、眠っていた少年の瞼が震え、ゆっくりと開かれた。


「…………」


 意識が覚醒したばかりの少年は、ぼんやりとした様子で、自らの視界に映り込んだ女性の顔を見つめている。そして、彼女が手にしている注射を見るなり、目を見開き、勢いよく起きあがった。


「な、なんだよおま……うわっ!」


 女性から距離を取ろうとした結果、簡易ベッドから落下した少年。

 女性はそんな少年を見下ろしながら、手にしていた注射を机に置いた。


「ようやく目を覚ましたか。……あと五分遅ければ解剖できたのに」


 ぼそりと呟かれた後半の台詞を聞くなり、少年は警戒心丸出しで部屋の隅まで後ずさる。


「だ、誰だよあんた? てか、ここ何処だ?」


 目を覚ましたら、見知らぬ女に見覚えのない部屋。警戒するなという方が無理な話だろう。だが、少年の警戒した様子を気にした素振りなく、女性は淡々と言葉を紡ぐ。


「時に少年。自分の名前を言えるか?」

「は?」


 自らの質問に一切答えず、別の質問をしてきた女性に少年は、目を丸くさせたあと、彼女を睨みつけた。


「得体のしれない奴に名乗るわけないだろ」

「ふむ、予想通りの返答だ。年の差はあれど、やはり同じ桔梗ききょうかなめということか」


 女性の言葉の意味を少年――桔梗要は理解できなかった。

 初対面の筈の女性が何故自分のことを知っているような発言をしたのか。

 年の差はあれど、同じ桔梗要とはどういう意味なのか。

 そもそも此処は何処で、眼前の女性は誰なのか。

 疑問は次々に思い浮かぶ。しかし、いま要の中で最も強く浮かび上がった疑問は、何故眼前の女性は自分の名前を知っているのか、だった。

 要は先程よりも更に視線を鋭くさせて、女性を睨みつける。


「あんた誰? なんで俺の名前を知ってんの? そもそも此処はどこだ? あんたの目的はなに? 言っておくが、俺んち貧乏だから金なんてないからな」

「そう一遍に聞くではない。私は天才ではあるが、万能ではないのだ」

「は?」

「だがまあ、質問には答えるとしよう。……まず、私は駒繋こまつなぎ雪那せつな。呼ぶときは天才と呼ぶがよい」

「…………」


 何故か得意げに名乗った女性──雪那。そんな彼女に要は胡乱な眼差しを向けた。

 何も言わない要に何か好意的な勘違いをしたのか雪那はどこか満足そうに頷いている。


「ふむ、私の天才的な頭脳を前に言葉もないか。仕方あるまい。本来ならば、私のような天才と言葉を交わすことすらないのだから当然だろう」


 要の態度をどこまでも前向きに捉えている雪那は、要が哀れみの目で自分を見つめていることすら気付かずに長々と喋り続けていた。

 要は深い溜息をついたあと、未だに喋り続けている雪那の言葉を遮るように語気を強めて、言葉を発した。


「で? 結局、此処は何処? あんたの目的は?」

「…………ふむ。その顔は私の知るアイツと良く似ているな。アイツはいつも嘘くさい笑みを張り付けていたが、時折、お前のような顔をしていた」


 雪那の言葉の意味を尋ねようと要は口を開く。だが、彼が言葉を発するより早く、第三者の声が室内に響き渡った。


「ユッキちゃーん! 桔梗要(16歳)は目を覚ましたかー!?」


 突然の乱入者に要は驚いたように振り返る。すると、そこには一人の少年が立っていた。

 年は要と同じぐらい……男子高校生らしい少年は、見覚えのない黒い制服を纏い、白いマントを羽織っている。

 風にはためく白いマントを除けば、どこかの学校の生徒かと思えるが、目を引くのは彼の服装ではない。彼の髪と目の色だった。

 新緑を彷彿とさせる鮮やかな緑髪に髪と同じ緑色の瞳。

 染めたにしては、あまりにも自然で。まるで最初からそうであったとばかりに少年によく馴染んでいる。


「邪魔です」

「とわっ!」


 部屋の入り口を塞ぐように立っていた緑髪の少年の背後から淡々とした声が聞こえた。かと思ったら、少年の体が押されて、また別の女性が現れた。

 少年と同じ黒い制服を纏い、白いマントを羽織った女性は、感情というものを一切感じさせない無表情さで要を見つめる。


 その顔立ちは、驚くほど整っていた。まるで高名な人形師が作り上げた精巧な人形のように作り物めいた美しさの女性。彼女の無表情さがより一層人形さを醸し出している。

 動いて息をしているのを確認しなければ、人形と見間違えてしまいそうな女性だが、その髪と目の色も変わっていた。

 透き通った青空のように綺麗な青髪に髪と同じ青色の瞳。


「んもう、ひどいよあおいちゃん! 突き飛ばさなくてもいいだろー!」

「入り口で立ち止まるからです」


 二人の会話など耳に入らず、要は目を見開き、二人を見ていた。

 この二人組を要は知っていた。

 この二人組を要は覚えていた。

 何故なら、意識を失う前……この見知らぬ場所で目を覚ます前に最後に見たのが彼等だったのだから。


「あんたらっ!」


 それは、もう授業に間に合わないと諦めて、授業をサボった時のこと。

 要は教師に見つからないように人気のない場所を探し求めて校内をうろついていた。

 そこで要は彼等に出会った。

 日常とはかけ離れた――同じ人間ではない。人の形をした全く別の生命のような異物感を覚える二人組は、合成写真かと思えるほどの違和感を持ちながら、そこに立っていた。


 二人組と出会った後、要の記憶はぷっつりと途切れている。つまり、確実にこの二人に何かをされて、要はここにいるということだ。

 敵意丸出しで二人を睨みつける要。そんな彼に緑髪の少年は困惑したように、青髪の女性は無表情のまま、要を見返した。


「ん? あれれ? なんかカナメン怒ってない? ユキちゃん、なんかした? 解剖とかしてない?」

「失礼なことを言うな、緑。未遂だ」

「立派にしてんじゃん! てか、緑は止めてってば! 可愛くセツ君って呼んでって何度もいってるじゃん!」

「ならば、おまえもユキと呼ぶな。私はユキではなく雪那せつなだ」

「えー。だって、被ってるしー。俺、セツ。ユキちゃんはセツナ。ややこしくない? あ、俺とお揃いが良いんだったら、俺は大歓迎だけどね! ユキちゃんならいつでもウェルカムだよ!」

「なんだ。緑は解剖されたかったのか。それならそうと早く言え。喜んで解剖してやろう」

「ギャアアアアア! ユキちゃんストップストップ! 俺が悪かったから、メス構えないで! ノー解剖!」


 口を挟む隙すら与えずにテンポよく会話を続ける緑髪の少年――セツと雪那。そんな二人に無視された形となった要は、不快そうに表情を歪めた。


「無視すんな! それで質問に答えろ! アンタらは何なんだ!? 何が目的だよ!」


 我慢の限界とばかりに怒鳴りつけた要に騒がしかった室内は静まりかえる。

 何故か不思議そうに首を傾げたセツと溜息をつく雪那。そして、表情筋が死んでいるのではないかと思えるほど、表情が変わらない青髪の女性。

 全員の視線を向けられても要は怯むことなく、三人を睨み返した。


「えーっと……ユキちゃん。もしかして、まだ説明してなかったりする?」

「うむ」

「なんで偉そうなのさ! もう駄目じゃん。所長直々の指名だったのに放棄したら、怒られちゃうぜ?」

「私を説明役にする人選がおかしいのだ。そもそも、説明しようとしたところでお前達が突撃してきたのだろう」


 雪那に睨みつけられて、セツは自らの行動を思い返す。そして、コツンと軽く自らの額を叩いて、ペロリと舌を出した。


「ごめーんねっ!」


 語尾に星がつきそうなほど気持ちのこもっていない謝罪だった。

 まったく悪びれた様子のないセツに何を言っても無駄だと判断したのか、雪那は面倒そうに腕を組み、視線を逸らす。


「反省する気があるなら、お前が説明しろ」

「えー、それユキちゃんの仕事じゃーん! 自分の仕事を人に押し付けるのは良くないと思うぜー」


 抗議の声を上げるセツに雪那は、深い溜息をついたあと、メスを手に取り、くるくると回す。ペン回しの要領で危なげなくメスを回している雪那だが、視線だけはセツを捉え続けている。


「ちょいちょいユキちゃん! 脅迫は良くないと思うんだ! うん!」

「なんのことだ?」

「それだよそれ! メスをくるくる回してるの!」

「なんのことだ?」


 徐々に威圧感を増していく雪那に折れたのはセツの方だった。

 彼は大きく溜息をついたあと、要に向き直る。

 要はといえば、二人の攻防の隙に逃げ出そうとして、青髪の女性に防がれていた。

 逃亡に失敗した要は舌打ちをした後、渋々といった様子でセツに視線を向けた。いまは状況を理解する事と彼等の目的を知る方が先決だと判断したのだろう。

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