#03-2 契約


 突然のことに要は状況を理解できなかった。

 ただ彼は、自分がいま殺されかけたのだと気付いた。彼女は本気だった。何の躊躇もなく、要を殺そうとした。

 懐から取り出した拳銃を構え、間髪入れずに引き金を引いた。

 要が『無効』憑きじゃなかったら、彼はあっさりと命を奪われただろう。

 そう。牡丹が放った銃弾は要の体を貫通することなく、見えない壁に防がれ、霧散した。そうでなければ、いまごろ要の頭を貫通していただろう。

 茫然とする要に牡丹はもう一度発砲する。それは一度目と同じように要の体に届くことなく霧散する。だが、牡丹は気にせずに発砲を続ける。


「いつまで持つかしら。貴方の『無効』が」

「っ!」


 間違いなく彼女は要を殺そうとしている。そう確信した要は慌てて立ち上がり、逃げようとした。だが、そんな彼を止めたのは牡丹の傍に控えていた男性だ。

 彼は要を床に引きずり倒し、押さえつけた。一瞬の出来事だった。抵抗する間もなく鮮やかに行われた行為に要は自分の身に何が起こったのか理解できなかっただろう。

 痛みを訴える体に表情を歪ませた要の耳に届いたのは、カツンというヒール音。

 ハッと顔を上げた要の視界に飛び込んできたのは、優雅な微笑みを崩さないまま、要を見下ろす牡丹の姿。そして、要の命を奪おうとする黒い銃口だった。


「……なん、で……?」

「あら? 分からないかしら? 貴方は協力してくれないんでしょう? だけど、私達には『無効』が必要。なら、用済みな貴方を殺して、更に過去の桔梗要を連れてくればいい。簡単な話でしょ?」


 まるで分からずやな子供を諭すような優しい声であった。だが、言っている内容は非道極まりない。つまり彼女は、協力する桔梗要が現れるまで、何度も過去の桔梗要を拉致してくると言っているのだ。


「どうして、俺なんだ?」


 桔梗要じゃなければ駄目な理由があるというのか。彼は自分をよく知っている。理解している。桔梗要という人間は、どこにでもいる平凡な人間で、何の取り柄もない普通な人間だということを。


「本来、無能力というのは、保持者が亡くなるとまた別の誰かに取り憑く。けれど、貴方が保持していた『無効』だけはどれだけ経っても現れなかった。試しに過去の貴方を連れてきてみたら、見事に『無効』はあなたに憑いたわ。原理も理由も分からないけど、貴方は特別なのよ。桔梗要君」


 そんな特別糞くらえだ。それが原因でこんな目に合うのだというのならば、そんな特別は願い下げだった。


「さて、私は優しいから、もう一度だけチャンスをあげるわ。私達に協力してくれるかしら? 桔梗要君」


 拒否権なんてなかった。お願いではなく、脅迫であった。ここで断れば、彼女は再び要を殺そうとするだろう。

 要に憑いている『無効』がいつまで通用するか。それは要自身にも分からない。この効果は永遠なのか。それとも違うのか。この時代のことを何も知らない要に分かる筈がなかった。

 だが、先程何度も発砲された時、徐々に要を守っていた壁が近くなっていたのを感じた。最後に発砲された時など、要の体から僅か数ミリの距離だった。もしかしたら、次は防いでくれないかもしれない。次こそ死ぬかもしれない。

 もう要に拒否することなど出来なかった。


「…………わか……った」


 絞り出すように頷いた要に再び牡丹の笑みが変わる。見ているだけで寒気を覚える冷え冷えとした笑みではなく、優雅な笑み。


「そう、良かったわ。貴方が話の分かる子で」


 そう言いながら、彼女は銃をしまう。それと同時に要を押さえつけていた男性が彼を解放した。

 とりあえず命の危機は去った。そう確信して、要は安堵の息を漏らした。


「改めて、お話ししましょうか」


 にっこりと笑ってソファーに腰掛けた牡丹。そんな彼女を警戒しながらも要もソファーに座る。下手に逆らない方が良いと学んだのだろう。


「いやー、良かったな。殺されなくて。芹ちゃんの事だから、本気でカナメンのこと殺すと思ったよ」

「ええ、本気だったからね」

「うひょ、こわっ! 目が笑ってねえよ芹ちゃん」

「所長と呼びなさいと何度言えば分かるのかしら?」

「すみませんでした! 女王様!」


 土下座しそうな勢いで頭を下げたセツ。その反動でテーブルに頭をぶつけていた。

 そんな彼を無視して、牡丹は要に視線を戻す。


「……さて、セツ達から説明されたと思うけど、改めて私達の状況を説明するわ」


 牡丹の声にパッと室内が暗くなり、空中に半透明な映像が映し出される。


「まず、この時代にはある呪いが広がっている。無能力と呼ばれる呪いね。私達は無能力の研究。そして、無能力者による犯罪を取り締まるのが仕事。正式に政府に認可された組織よ」

「…………」

「貴方も昨日会ったわよね? 雪那率いる研究所チームと撫子率いる本部チーム。この二つのチームに分かれて、それぞれ仕事をこなしてもらっているわ」


 映像に映し出されたのは、昨日会った雪那と撫子の写真。そこには簡易的な組織図のようなものが描かれていた。

 次に映し出されたのは建物の図形。

 十五階建ての建物にそれぞれの階に何があるか書かれている。


「この建物は十五階建て。最上階である十五階には私のスペース。貴方達本部所属の人は、八階から十階までを使用できるわ。三階には食堂や売店もあるから、買い物や食事はそこでしてちょうだい。勿論部屋で自炊しても構わないわ。支給されたバングルがないとこの建物の出入りできないから無くさないようにね。また、権限がない階には止まることできないから注意して」


 映像にはバングルを翳して、エレベーターに乗り込む人のイラストが映し出されている。映像が切り替わり、次に映ったのは権限のない人間がその階のボタンを押してもエラーが出ているイラストだ。


「十一階には大浴場やリラクゼーションルームがあるわ。社員なら誰でも自由に使えるから使ってちょうだい。……建物の説明はこんなものかしら? ああそうそう。貴方達無能力者は、外出は制限していないけれど、あまりお勧めはしないわよ。制服を着ている限り、大事にはならないだろうけれど、何が起こっても不思議じゃないから」

「なんで?」

「無能力者狩りよ」


 その言葉は昨日も聞いたものだ。あの時は、撫子の気迫に押されて結局それがなんなのか聞けなかった。


「それってなんなんだ?」

「あら? 聞いてないのかしら。無能力者狩りは言葉通り、一般人による無能力者の虐殺よ」

「え?」


 あまりにもあっさりとした言葉に要は目を見張る。

 どういうことだと隣に座っているセツを見れば、彼は困ったように眉を下げた。


「んー、無能力者が現れ始めた当初はさ、色々無法地帯になってな。ほら、人間って自分と違うもの、得体のしれないものを排除しようとするだろ? それと同じさ。中世の魔女狩りかってぐらい大勢の一般人がたった一人の無能力者を追い詰め、晒し上げ、殺したんだ。そりゃあもう酷い状況だったさ。それが一般人にとっての正義だった。誰も止めるものがいない。彼等に罪悪感なんてものは一切ない。自分とは違う化け物を退治しているだけなんだから」


 ぞっとした。血の気が引いた。

 昨日の虐殺の光景も充分衝撃的だった。だが、セツの言っていたことも想像するだけで地獄絵図だった。


「まあ、無能力者の中にはそれこそ何の抵抗も出来ない奴等がいた。『無力』とか『無害』とかな。そういう弱い立場の奴等が率先して狙われた。だって、返り討ちにされる心配がないからな。結局、昨日と同じさ。無能力者であろうがなかろうが弱い奴等から殺されていくってな。ほんとどうしようもないよな、人間ってやつは」


 ははっと軽く笑うセツだが、要は全く笑えなかった。


「ま、いまは……ってか、本部ができてから、無能力者狩りは全面的に禁止された。とはいっても一般人と無能力者の確執は相当深い。いまでも裏では無能力者狩りは行われてるし。あの頃よりはマシになったけど、無能力者が外を平然と歩き回るのは危険なのには変わりないってこと」


 だからカナメンも一人で歩き回るなよーと軽く言われて、要は小さく頷いた。今の話を聞いて平然と外を歩き回れる人がいるならば、そいつはよほどの自信家か馬鹿だけだろう。


「話を戻すわね。私達は無能力者の犯罪を取り締まる組織であり、それ故に無能力者でも自由にしていいと特権をもらっている」

「特権?」

「本部ができてから、無能力者の扱いは格段にマシになったわ。けれど、無能力者を野放しにするのは危険という考えは変わっていないの。だからこそ、秩序と平和の為に無能力者は拘束するのよ」

「……拘束されるとどうなるんだ?」

「研究所に送られるわ。無能力者に与えられる道は二つ。独房の中で過ごすか。本部に所属するか。まあ、誰でも本部に所属できるわけじゃないけれど」


 使えない人を入れたところで無駄だからね。と、なんて事のないような口調でそう告げた牡丹に要は嫌悪感を覚える。だが、その感情を伝えることはない。

 要にとっては元の時代に戻る事が大優先であり、それ以外のことにかまけている余裕はない。彼女の考えがどれほど不快であろうと要を元の時代に戻すことができるのは牡丹だけなのだ。いまは大人しく従うのが得策だ。


「……それで? 俺は何をすれば元の時代に帰してもらえるんだ?」

「話が早くて助かるわ。貴方にやってもらいたいことは、ただ一つ」


 そう言って牡丹が笑みを深めた直後、空中に浮いていたディスプレイが別の画像を映し出した。

 そこに映っていたのは一人の男性だ。

 自然と人の目を惹きつける整った容姿の青年だった。美青年と呼んでも過言ではないその青年は、穏やかな笑みを浮かべている。だが、要にとって重要なのは青年の顔ではない。

 亜麻色の髪に翡翠の瞳。既に要は知っている。この時代における無能力者の判別方法を。つまり、この写真の青年は無能力者だということだ。


「彼の名前は睡蓮寺すいれんじこう。数多くの無能力者の中でもっとも危険な相手よ」


 牡丹の言葉に改めて要は写真の青年を見る。

 穏やかな微笑みの青年はそれほど危険人物には見えない。むしろ、線の細い体は儚げで、弱々しくも思えた。だが、要の考えは次の瞬間、打ち砕かれる。


「彼が保持している言葉は『無敵』」


 その瞬間、要は理解した。

 何故、儚げに見える彼が危険と称されたのか。

 何故、『無効』という言葉を重要視していたのか。

 何故、彼女達が桔梗要という存在に拘るのか。

 理解して、あまりの不快感に吐きたくなった。


「つまり、あんた達は俺にそいつの言葉を無効化しろって言いたいのか?」

「ええ、その通りよ。それと、彼の場合、厄介なのは『無慈悲』保持者でもあること」

「は?」


 一瞬、何を言われたのか分からずに要は目を丸くさせる。だが、すぐに我に返って疑問を口にした。


「ま、待て。言葉が二つも憑く事があるのか?」

「知らなかった? ええ、人によってはあるわ。現在、最高で三つの言葉を保持している者を確認しているわ」


 『無敵』だけでも厄介なのに『無慈悲』とは。くらくらと眩暈がするのを感じながら、ふとある事に気づく。


「言葉を無効化って……そんなことできるのか? 無効と無敵。矛盾してるだろ?」


 そう、矛盾だ。

 無敵とは敵がいないこと。

 無効とは効果がないこと。

 だが、お互いの言葉をぶつけたら矛盾が生じてしまう。無敵な筈なのに無敵じゃない。無効の筈なのに無効化しない。どちらが勝とうが言葉の意味が矛盾してしまうのだ。


「ええ、その通りよ。呪いはね、矛盾している。無敵が勝つこともあれば、無効が勝つこともあるわ」

「どういうことだ?」

「無能力ってのはさ、まだまだ謎が多いんだ。けど、いまの時点で分かってるのは、保持者の意志が強いほど、効果が強くなるってこと」


 補足するようにセツが説明してくれたが、それは要の頭を混乱させるだけだった。


「意志って?」

「んー、その人の譲れない目的とか、誇りとか? とにかく、そういう絶対的な何かがある無能力者は厄介なんだ。んで、件の睡蓮時鴻は絶対的な目的がある。お陰で、あいつの言葉は文字通り『無敵』さ」


 まだ理解できたとは言い難いが、何となくは分かった。つまり、相手よりも強い目的がある場合、その言葉を打ち破れるということだろう。

 なんとも曖昧で不確かな条件なのだろうか。

 要は思わず溜息をついた。


「だから、カナメンが睡蓮寺鴻と戦うなら、向こうよりも強い覚悟がないと相手の言葉を無効化できない。気持ちで負けたら絶対に勝てねえよ?」

「ふふ、貴方の場合、元の時代に帰るという目的があるんだもの。勝てない場合は、貴方自身の帰りたい気持ちが弱いという事ね」


 牡丹の煽りに要は苛立ち、立ち上がる。


「分かった! それなら、俺がそいつを捕まえたら、絶対に元の時代に戻してもらう! いいな?」

「ええ、結構よ」


 牡丹が微笑むと彼女の傍に控えていた男性が一枚の紙を差し出してくる。


「契約書よ。目を通して、問題がないならサインを」


 用意周到な牡丹に要は自分が掌の上で転がされているのだと感じながら、その紙を奪い取り、目を通す。

 妙な項目がないことを確認して、自らの名前を書いて、突き返した。

 その紙を受け取って、牡丹が更に笑みを深めたことに嫌な予感がしながらもこうするしかないのだと自分を納得させる。


「契約成立ね。改めてよろしく。桔梗要君」


 優雅に微笑む牡丹に要は絶対に元の時代に帰るという決意を新たに強く抱いた。

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