#03-1 契約


「――――」


 誰かが何かを叫んでいた。

 誰かが何かを嘆いていた。

 誰かが何かを悲しんでいた。

 誰かが何かに絶望していた。

 誰かが何かに憂いていた。

 誰かが何かに怒りを覚えていた。


 見知らぬ光景。見覚えのない人達。

 それでもソレを知っている気がした。その光景を見た事がある気がした。

 何故そう思うのか。何故そう感じるのか。自分でもよく分からない感情が心の奥から湧き上がってくる。

 硬く閉ざされた蓋の奥からソレが出てきた時、自分が自分ではなくなる気がして、決してその蓋が開かぬよう何重にも鍵をかけた。



「……ゆめ……?」


 カーテンの壁を越えて、降り注ぐ日の光に桔梗要は意識を覚醒させた。

 覚醒しきっていない頭でぼんやりと考えるのは、つい先ほどまで見ていた夢のこと。とはいっても、その大部分の輪郭はすでに朧気で、いまでは何か夢を見ていたということだけが記憶に残っていた。

 ただ、その夢がひどく不吉だった気がして、じっとりとした不快感が要を襲う。


 ずきりと痛んだ頭を押さえながら、要は起き上がる。

 視界に飛び込んできたのは見慣れた自分の部屋……ではなく、見覚えのない部屋。

 そこで要は、自分の身に起こったことが夢ではなく現実だったのだと思い出した。


 突然妙な二人組に拉致されて、気付けば自分のいた時代から五年後の世界だという。妄想も大概にしろと言いたいけれど、実際に自分の身に起こった不可思議な現象に彼等の言い分も完全に否定できなくなってしまったのだ。


 昨日はあの後、詰問してくる撫子をひたすら無視して、本部に帰ってくるなり要は休むと言って、案内された部屋で速攻眠った。

 正直なところ限界だったのだ。色んな意味で。あの状況でこれ以上何かを説明されても理解できないし、脳が拒否していた。

 一晩休んで、少しは冷静になって考えたところで頭が痛くなるのは変わらないが、夕べよりはマシだろう。


 二段ベッドの上段から降りて、要は備え付けのシャワールームに向かう。

 無能力対策本部に所属している人達は、全員二人部屋で暮すことになっていると昨日説明されたことを思い出しながら、要は熱いシャワーを浴びた。

 熱いシャワーを浴びて、さっぱりしたところで、要は改めて部屋を見渡す。

 未来の自分……つまり、21歳の桔梗要が使っていた部屋。とはいっても私物はすでに片付けられていた為、本当に未来の自分がそこで暮らしていたという証拠はどこにもない。


(そういえば、二人部屋って言ってたな。ルームメイトって……)


 少なくとも部屋には誰も戻ってきていない。一瞬、一人部屋なのかとも考えたが、明らかに誰かの荷物が置いてある為、その考えは打ち消された。

 見知らぬ相手との共同生活など御免だ。早く元の時代に戻してもらおう。そう決意を新たにして、要は昨日渡された対策本部の制服に袖を通した。

 着替え終わると同時に見計らったように部屋のチャイムが鳴り響く。というよりも連打されまくり、うるさいくらいだ。


「うるさい! 連打すんな!」


 勢いよく扉を開いて、チャイムを連打した相手を怒鳴りつける。

 すると、そこには要が予想していた通りの人物が立っていた。


「おっはよーカナメン! よく眠れたか?」


 これでもかというくらい晴れやかな笑顔を浮かべた緑髪の少年――セツの言葉に要は彼を睨みつける。


「突然拉致されて訳の分からない事に協力しろって言われて、熟睡できると思ってんの?」


 実際のところ、疲れのせいか朝まで一度も起きないほど熟睡していたのだが、嫌味の一つでも言わないと気が済まない。そんな要の心を知ってか知らずかセツは笑顔のまま。


「だよなー。これで熟睡してたらどんだけ図太いんだって話だよなぁ」


 笑顔で嫌味を返されて、要は舌打ちと共に視線を逸らした。


「そんなことより、カナメン。行くぞ」

「は? どこに?」

「所長から呼び出しだ!」


 その言葉に嫌な予感がして、即座に扉を閉めようとした。だが、一歩遅く、セツに腕を掴まれ、無理矢理引きずられることになったのだった。

 エレベーターホールにつくなり、セツは上のボタンを押す。エレベーターの扉はすぐに開いて、二人はエレベーターに乗り込んだ。

 セツは階数ボタンの下にあるカードリーダーに右腕のバングルを翳してから、十五のボタンを押した。現在は、八階。ゆっくりと上昇していく感覚を感じながら、要はセツの手を振り払った。

 もう逃げないと判断したのかセツは大人しく手を離す。そして、思い出したように懐を探り、ポイっと何かを要に投げてきた。


「それ、カナメンのだから無くすなよ?」


 投げられたものを見事にキャッチして、要はソレを見る。何の飾り気のないシルバーのバングルだった。

 そういえば、セツ達がつけているものと同じだと気付いて、要はセツを見る。要の視線に気付いたセツは袖を捲り、自らのバングルを見せた。


「右でも左でも好きな方につけとけよ。それがないとこの建物どこも行けないからな」

「なんだこれ?」

「社員証みたいなものだよ。ほら、腕につけてボタン押してみ?」


 怪訝に思いながらも言われたとおりに左腕にバングルを嵌めて、ボタンを押す。すると、バングルが淡く光り、バングルの上に小さな半透明のディスプレイが表示された。


『ユーザー識別中。……データベースよりヒット。照合完了。ようこそ、桔梗要様』


 バングルから聞こえてくる落ち着いた女性の声。

 そのことに要が驚いていると、セツが補足するように声をあげた。


「それ通話機能もついてて、本部所属の奴等のアドレスは全部入ってからな。んで、食堂とかの代金もそれで払えっから」

「は? 金なんて持ってないけど」


 着の身着のまま拉致されたのだ。財布もスマホも持っていない。そんな要の訴えにセツは朗らかに笑った。


「だいじょーぶ! それ元々リーダーの端末だから、リーダーの貯金が入ってるだろ?」


 すっとセツの手が伸びてきて、空中に浮いたディスプレイをタッチする。すると、画面が切り替わり、そこには残高が表示されていた。


「給料は全部ここに支給されっから。……うーん、流石リーダー。結構貯めてんなぁ」

「見るなよ!」


 いくら未来の自分とはいえ、他人の口座を見るのは気が引ける。そう考えた要は、セツから隠すように別の画面に切り替えた。

 次に画面に表示されたのは、写真だった。その写真に写っている人物に要は目を見張る。

 それは紛れもなく自分だった。だが、いつも鏡で見ている自分とは違う。成長した要の姿が映っていた。


 写真の中の銀髪の青年は穏やかに笑っており、その雰囲気にゾッとした。未来の自分がこんな笑顔を浮かべていることが信じられなくて、要は本当にこれが未来の自分なのかと疑った。

 写真の横には簡易プロフィールが書かれている。まるで身分証明書だと要は思った。まるでではなく、この時代の正真正銘の身分証明書であるのだが、いまの要には関係ないことだった。


 氏名 桔梗要

 生年月日 2004年8月28日

 性別 男

 所属 無能力対策本部

 無能力 無効


 プロフィールを凝視する要の意識を引き戻したのは、エレベーターが目的地に到着した音だった。

 ハッと顔を上げた要の前でゆっくりと扉が開かれていく。


「んじゃ、行こうぜ? 我らが所長がお待ちかねだ」


 セツの言葉に要は、今の自分とは似ても似つかない未来の自分のことは一旦置いとくことにした。これから待ち受けるのは自分をこんな状況に巻き込んだ元凶。気を強く引き締めて、要はエレベーターから降りた。

 長い廊下を歩いて、どこをどう通ったかもう分からなくなるほど、進んだ先でセツは足を止めた。

 その先にあるのは重厚な扉。

 まだ扉だけだというのにひどく威圧的な空気が漂っている気がして、要は息を呑んだ。

 そんな空気を読まずにセツは、軽い足取りで扉に近付いていき――。


「芹ちゃん所長! あなたのセツ君ただいま参上!」


 なんて、目上の者に対する敬意が一切ない、遠慮なしの言葉を吐きながら、ノックもせずに扉を開けた。

 瞬間、扉が開いた部屋の中から何かが飛んできて、それは見事にセツの顔面に直撃した。


「うわたっ!?」


 景気の良い音ともにセツの声が響く。何が起こったのかと要は周囲を見渡し、顔面を押さえて蹲るセツと彼の傍に落ちている空き缶が目に入った。


「ノックをしなさいと何度言えば分かるのかしら? この鳥頭!」

「うぉおおお、相変わらずただの空き缶とは思えぬ切れ味。流石芹ちゃん! 痺れるぅ!」

「気安い。所長と呼びなさい。殺されたくないなら、心臓止めるか、息を止めなさい」

「それどっちも死ぬよ!?」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐセツを無視して、要は室内に目を向ける。そして、部屋の中央で高級そうな椅子に座って、此方を見据えていた女性と目が合った。

 その瞬間、全身が粟立ち、一歩も動けなくなる。僅かでも動けば、殺される。そう感じてしまうほどの威圧感と殺気に足が竦む。いますぐにでも此処から逃げ出したい。だが、動けない。


 まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直した要。

 委縮した要に女性は満足そうに微笑んだ。その直後、要の全身を押しつぶそうとしていた威圧感が消え、要は息を吐き出した。そこで要は無意識に息を止めていたことに気付く。

 それほどの重圧を与えてきた相手を警戒するように睨めつける。もっとも先程の殺気に完全に腰が引けており、小動物が精一杯威嚇しているような迫力しかなかった。

 女性は要の精一杯の威嚇を可笑しそうに笑い、ゆっくり口を開く。


「一応、初めましてかしら? 私は、芹沢せりざわ牡丹ぼたん。この無能力対策本部の所長を務めているわ。宜しくね、幼い桔梗要君」

「何が目的だ?」

「とりあえず中にどうぞ? 立ち話もなんでしょう?」


 優雅に微笑みながら、入室を促した牡丹に要は警戒したまま、動こうとしない。そんな彼の背中をセツが押して、無理矢理部屋の中へと入るのだった。

 無理矢理とはいえ、このままでは埒が明かないので、要は覚悟を決めて、案内されたソファーに座る。対面のソファーに牡丹が腰掛けると、彼女の傍に控えていた男性がテーブルの上にそっとティーカップを置いた。


「紅茶はお好きかしら? せんの入れる紅茶は美味しいのよ」


 そう言って、牡丹は手を伸ばし、紅茶を飲む。要は紅茶を一瞥するだけで手を伸ばそうとしない。


「目的は?」

「随分と余裕がないわね。貴方らしくもない。いえ、それが本来の貴方だったのかしら」


 くすっと笑い、牡丹は足を組む。そこで要は改めて彼女の姿を見た。

 年の頃はまだ二十代後半だろうか。纏う雰囲気とは対照的にまだ若い印象だった。

 艶やかな黒髪を一纏めに縛った髪型。ばっちりと着こなしたスーツ姿。いかにも仕事ができそうな女性だった。そして、優雅な微笑みが恐ろしいと感じる女性であった。

 要の睨みに気を悪くした様子などなく、彼女は優雅な笑みを崩さない。


「まあいいでしょう。昨日、セツ達から聞いた通り、貴方には私達に協力してほしいの」

「断ると俺は言った」

「理由を聞いても?」

「あんたらの事情なんて知らない。ここが未来だとか、変な呪いが広まってるとかは分かった。けど、俺には関係ない。早く元の時代に返してくれ」


 そこで要は笑顔にも種類があるのだと初めて思い知る。

 優雅に微笑む牡丹の笑顔は変わらない。それでも先程までと明らかに違うと直感した。


「そう。それじゃあ仕方ないわね。さようなら、桔梗要君」

「芹ちゃん!? ちょ、ま――」


 要の隣に座っていたセツが慌てて立ち上がり、制止の声を上げる。だが、その言葉が最後まで紡がれることなく、発砲音が彼の言葉を遮った。

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