#02-2 出動要請



 時津ときつモール。

 その名前は要も聞き覚えがあった。

 要の家の近くに最近オープンしたばかりの大型複合ショッピングモールだ。

 連日連夜、常に人で溢れかえっていたその施設は要の知る通り、大勢の人で溢れかえっていた。だがその表情は、ショッピングを楽しむものではなく、恐怖に支配されたものである。


 既に別部隊による避難誘導が始まっているようだが、恐怖に陥った人々は聞く耳を持たない様子だった。

 ふと要は逃げ惑う人々に違和感を覚える。

 その違和感の正体にはすぐ気付いた。


 逃げ惑う人々……その誰もが黒髪だったのだ。確かに日本人は黒髪が多い。だが、今は髪を染めている人も多くいるので、一人残らず黒髪という状況が異様な光景に思えたのだ。

 その疑問の答えを確かめるより早く、館内放送用のスピーカーから響いてきた声に意識を奪われた。


『あーあー。マイクテス。マイクテス。みんな聞こえるー? この俺様の素晴らしき美声が聞こえるかー?』


 逃げ惑う人々の声。一般人を誘導する声。様々な声が響いてる中、それら全てを掻き消すようなセツの声。


「なんでだよ」


 ともすれば、様々な声に掻き消されてしまうほどの小さな声で疑問を口にした要。その声は、彼のすぐ隣を走っていた葵の耳にだけは届いたようだ。


「恐らくハッキングしたんだと思います。あの人、そういうの得意ですから」

「……だから、あいつは此処に来なかったのか?」


 要の脳裏に過るのは、にやにやと笑いながら自分達を見送ったセツの姿。その姿を思い出して、苛立ちを隠さないまま、要は尋ねる。


「はい。あの人は戦闘員ではなく、サポート要員ですから」


 淡々とした葵の言葉。館内放送から聞こえてくるセツの声。その両方に要は大きく溜息をついた。


『よし。んじゃ、こちら無能力対策本部。一般人の方は、速やかに避難よろしくな。隊員の誘導に従って、おはしだからな! 押さない。走らない。喋らない! 誘導に従わない奴らの命の保証はしないから、大人しくしてろよな!』


 そんな放送はパニックに陥っている一般人に届くはずがなく、状況は相変わらず混沌としていた。


『ありゃ、みんな聞く耳持たないなぁ。人の話はちゃんと聞かないと駄目だろー。まあいっか。そんなことよりも第一部隊に報告だぜ。対象はフードコートにいるぜ。因みに逃げられないように出入り口はシャッターで塞いでるから、この放送を聞かれても無問題だ! どうだ! 優秀すぎるだろオレ! 惚れ直してもいいんだよ!? 撫子ちゃん葵ちゃん!』

「対象はフードコートね。えーと……」

「こっちです」


 後半の馬鹿な発言は見事に無視して、葵の先導のもと走り出す。


『撫子ちゃん達は照れ屋だなー。そこがまた可愛いんだけどさ。……あ、そうそう。対象を閉じ込めたフードコートなんだけど、まだ沢山一般人が残ってるから早くしてあげるんだな。結構悲惨な状況だぜ?』


 世間話でもするかのような気軽さで告げられた言葉に誰もが耳を疑う。


「あ、貴方……一般人も一緒に閉じ込めたっていうの!?」

『仕方ないだろー。対象を逃がすわけにもいかないしさぁ。一般の人達には頑張って逃げてもらってるよ。それに相手の言葉は脅威じゃないし、武器だって拳銃一丁だぜ? 何人か犠牲になる覚悟で死ぬ気でやれば一般人でも制圧できるっしょ』


 スピーカー越しに聞こえるセツの声は、怒りに満ちてるわけでもなく、悲しみに満ちているわけでもなく、それでいて楽しんでいるわけでもない。

 ただ彼は自分の思ったことを正直に言っているだけだ。だからこそ、その非情さに要は寒気を覚えた。


「貴方のそういう所が大嫌いよ。セツ」


 吐き捨てるように撫子が呟く。

 その声にスピーカーが何かを答える事はなかった。


「あそこです」


 先導していた葵が指し示した方向。そこに対象がいるというフードコートがあった。だが、セツが言っていた通り、出入り口はシャッターで封鎖されていた。

 シャッターのせいで中の様子を窺う事はできない。けれど、シャッターの向こうからひっきりなしに聞こえてくる怒声とシャッターを激しく叩く音で中の惨劇を想像するのは難しくなかった。


「助けて! ここを開けて!」

「お願い! 誰かっ!」

「ふざけんなよ化け物ども! 早く此処から出しやがれ!」


 怒号。焦燥。悲嘆。様々な感情が入り混じった声に要は息を呑む。

 シャッターの前に立ち尽くす撫子達の表情も強張っていた。


『ほいほい、お待たせしました。対象と一緒に閉じ込められてしまった哀れな一般人のみなさーん! あ、閉じ込めたのは俺か。まあ、細かい事は置いといて。第一部隊がフードコート前に到着したぜ。ということで、これから東口シャッターのみを解放しまーす。逃げたい方はそちらからご自由に。ただし、対象が出ようとした時点でシャッターの下に人がいようと容赦なく閉めるんで挟まれないように気をつけろよな! セツ君とのお約束だぞ!』


 この状況で響いてくる声はどこまでも明るく、怒号に包まれたこの場にもっとも似つかわしくない声だった。

 中にいる人達を煽っていると思われても仕方ないほど、ふざけた言葉を放つセツ。

 彼がふざけた性格なのは、この短い間でも十分伝わっていた。それでもこの悲惨な状況でもその態度を崩さないことに要は気味悪さを覚えた。

 眼前のシャッターが音を立てて開閉していく。それと同時に人の山がなだれ込んできた。

 そこには譲り合い精神など何処にもない。我先にと他人を押しのけ、外へ逃れようとする人の群れだった。


「っ、この人数……一体何人閉じ込められてたのよ」

「どうします? このままだと人が多すぎては入れません」


 葵の言葉に撫子が唇を強く噛みしめた時だ。

 周囲の空気を切り裂くような破裂音が響いたのは――。

 思わず耳を塞ぎたくなる、今まで一度も聞いたことのないほどの大きな音に要は目を見張る。

 何が起こったのかとフードコート内を見たくても人が多すぎて何も見えない。ただシャッターの奥から響いている悲鳴と破裂音にそれが銃声なのだと理解した。


「強行突破するわ! ついてきなさい!」


 多くの悲鳴が響く空間でひときわ響いた凛とした声。その声に賛同するように第一部隊の面々も大きく頷いた。

 人の群れを掻き分け、フードコート内に突入した要達。そして、視界に飛び込んできた光景に息を呑んだ。

 壁や床。テーブルや椅子に飛び散った赤い滴。それが何なのか証明するように倒れて動かない人。

 ざっと見渡しただけでも十人ほどはいそうだった。

 凄惨な現場に後退りしてしまった要の耳に届いたのはか細い声。


「……た、たすけ……」


 小さな、今にも消えてしまいそうなほど微かな声だったが、それは明らかに助けを求める声。要は勢いよく声のした方向を振り返り――。

 再び響いた発砲音。

 振り返った要の視界に飛び込んできたのは、飛び散る赤と要に助けを求めたであろう老婆の姿。

 老婆は床に倒れたまま、要達に向かって手を伸ばしている。しかし、その手も力を失ったように床に落下した。

 その目はもう要達を見ていない。

 その口はもう開くことはない。

 その手はもう動くことはない。


「っ!」


 目の前で何が起こったか理解した瞬間、自然と嘔吐感がこみ上げてきて要は口を押さえた。だが、それを要が吐き出すより先に凛とした声がフードコートに響き渡る。


「そこまでよ!」


 またも発砲音。けれど、それはここで暴れていた無能力者が発した音ではなかった。

 要が分かったのは、フードコートの中央に立っていた赤髪の男性が持っていた拳銃を落としたということだ。

 視線を動かせば、無能力者に向かって撫子が拳銃を構えている姿が見えた。そこで、要は撫子が無能力者の拳銃を撃ち落としたのだと理解した。


「な、なんだよ! 政府の犬どもが! 邪魔すんな!」


 自分が何故拳銃を落としたのか。何故拳銃を持っていた手が痺れているのか。一拍遅れて理解した青年は、撫子達を仇でも見るかのような憎悪の目で睨みつける。

 青年は即座に落とした拳銃を拾おうとするのだが、それよりも早く動いていた者がいた。


「これ以上はやらせません」

「がっ!」


 いつの間にか青年の背後に回っていた葵が青年の腕を捻りあげ、そのまま床に押し倒した。

 勝敗はそれで決まった。

 あまりにも鮮やかな手並み。要や他の面々が何かをするまでもなく、二人が全てを終わらせてしまったのだ。


『いやはや、さっすが撫子ちゃん&葵ちゃん! サイッコーだったぜ! ちょー痺れる! 惚れ直す! そんなお手柄な二人には俺からの特大の愛をあ・げ・る!』


 スピーカーから聞こえてくるセツの声など無視して、撫子と葵は手慣れた様子で青年を捕縛している。

 茫然としていた他の面々も不慣れな様子で一般人の避難誘導や救助に向かい始めた。

 現実離れした光景に要は気が遠くなるのを感じる。実際に現場に連れてこられて、目の前で人が殺され、否が応でもこれが現実なのだと思い知らされる。


「くそっ! ふざけんな! もっと道連れにしてやる!」

「っ!?」


 葵達に拘束されようとしていた青年が無理矢理体を捻じ曲げ、一瞬だけ拘束が緩む。その一瞬の隙に青年は拳銃を拾い、狙いを定めることなく発砲した。

 運が悪い事に狙いを定めなかった筈の先にいたのは要だった。


「要さん!」


 葵の悲鳴が響く。

 要には銃弾を避けることなどできない。自らに迫ってくる銃弾に要はなすすべなく撃ち抜かれる。

 要の脳裏には目の前で殺された老婆の姿が過る。次の瞬間に自らに訪れる未来が過る。

 だが、放たれた銃弾が要の体を貫くことはなかった。


「……え?」


 銃弾は要の体にぶつかる直前に透明な壁にでもぶつかったように霧散したのだ。

 ありえない現象に要は混乱する。一体何が起こったのか理解できず、困惑する。

 視界の隅では撫子が青年を拘束する姿が見えたが、要はそちらに意識を向ける事すらできなかった。


「要さん! 大丈夫ですか!?」


 葵が慌てて駆け寄ってくる。その表情が、決して変わらない筈の無表情ではなく、焦りを宿していた。だが、それも一瞬だけですぐに無表情に戻ってしまう。

 茫然と自分の体を見下ろす。どこも怪我していない。そもそも放たれた銃弾すらどこかに消えてなくなった。

 要に怪我がないことを確認すると葵は安堵の息を漏らす。

 呆けている要に彼女が再び声をかけるより早く、目を吊り上げた撫子が大股で要に近付いた。彼女は、じっと要を睨みつける。


「葵が呼んだ『要さん』。『無効』現象。……なんで気付かなかったのかしら。この憎たらしい顔に」


 苛立ちを隠すことなく、撫子は要を見据えた。


「なんで死んだはずの貴方が此処にいるのよ? 桔梗要!」


 びしっと指を差された要は、怒鳴りたいのは此方の方だとばかりに大きく溜息をついたのだった。

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