#02-1 出動要請


 五年後、自分は死んでいる。

 その事実は要の心を酷く動揺させた。

 抵抗するのも忘れて、要は茫然とセツに視線を向ける。

 要からの視線にセツは気まずそうに視線を逸らして、頬を掻く。


「あー、どうせ後から分かることになるから言っとくけど、この時代のお前……二十一歳の桔梗要は、『無効』保持の無能力者。そして、無能力対策本部の創設者であり、リーダーだったんだ」

「は?」


 追い打ちをかけるように告げられた言葉。その言葉は動揺していた要の心を更に揺さぶる。

 先程からセツが何度かリーダーと呼んでいた。何となく未来の自分の事なのだろうとは思っていたが、まさかよく分からない組織を立ち上げたとまでは考えていなかったのだ。


「まあ、当時は色々あってな。その辺は追々説明するけど、とにかく桔梗要は無能力者にとって……少なくとも本部にいる奴らにとって救世主みたいなものだった。本部の奴らはどいつもこいつもリーダーに救われたからな。信者かよってくらいの心酔っぷりだぜ?」

「訂正してください。私達は信者なわけじゃなく、ただ純粋に要さんを慕っているだけです」


 間髪入れずに口を挟んできた葵にセツは苦笑しながら、ほらな、とばかりに要を見る。


「んで、桔梗要という存在は良くも悪くも無能力者にとって特別だった。その人柄も言葉もな」

「本部は桔梗が立ち上げた組織。構成員は、桔梗を慕う無能力者。無能力対策本部は、桔梗要という存在によって保たれていた。その柱がなくなった今、どうなっていると思う?」


 冷笑ともいえるほど、ゾッとする笑みを浮かべた雪那に要は息を呑む。

 全身をじわじわと締めあげられるような息苦しさが要を襲う。


「本部はいま存続の危機。要さんがいなくなって、多くの無能力者が離反。無能力者による事件も急増。レジスタンスなんてものも現れました」

「レジスタンス?」

「無能力者こそが新たな人類であり、旧人類は滅ぼすべしって過激派だよ」


 頭が痛くなってくるのを感じながら、要はこれ以上この場にいるのは得策ではないと考える。これ以上、この場にいれば、否が応でも巻き込まれる。

 その考えは正解であり、同時に遅かった。

 突如として耳を劈くように警報が室内に響き渡った。


「な、なんだ!?」


 けたたましい音に耳をおさえながら、何事かと周囲を見渡すのは要だけ。他の三人は一斉に表情を厳しくさせた。


『緊急出動要請! 東地区二丁目にて、無能力者が暴れていると通報が入りました。対策本部の方は現場に急行し、対象を制圧してください』


 スピーカー越しに聞こえてきた事務的な声。

 要は状況が分からずに困惑するだけ。そんな彼の傍にいたセツは懐からタブレット端末を取り出すとそれを操作し始める。同時に葵も腕に嵌めていたバングルを操作して、どこかに連絡を取る。


「撫子ちゃん」

『分かってるわ。五分後に正面玄関前。私は本部の皆を纏めてくわ』

「うん」


 端末から響いてくるのは凛とした声。

 葵はその声と幾度か言葉を交わした後に通話を終了した。

 状況を理解できなかった要だが、顔を上げた葵と目が合った瞬間、嫌な予感が全身を駆け巡る。

 後退った要を逃がさないとばかりに捕まえたのはセツだ。


「ま、ある意味ちょうど良かったんじゃね? 実際に自分で確かめたら、嫌でも分かるだろ。これが現実で、どう足掻いても自力で帰る事ができないってな」


 それはあまりにも酷薄な響きを宿しながら、要の鼓膜を揺らす。


「どういう意味だ?」


 脅迫ともとれるセツの言葉に要は声を低くして、彼を睨みつける。だが、セツは要の睨みなど気にした素振りなどなく、どこからか袋を取り出すと、要に押し付けてきた。


「それより早く着替えろよー。時間ないんだから」

「は?」


 思わず押し付けられた袋の中身に視線を移す。そこに入っていたのは、黒い制服と白いマント。

 一目で彼等が着ているのと同じものだと分かる。

 それを目にした瞬間、要はあからさまに表情を歪めた。


「ふざけんな! なんでこんなの着ないといけないんだよ!」

「つってもさぁ、それ着ないと外に出れねえよ?」

「は? なんで?」

「本部所属じゃない無能力者は拘束対象だからな。問答無用で研究所に連行されるぞ?」

「なんだよ……それ……」


 くらりと視界が歪むのを要は感じた。

 感じる眩暈に意識を奪われそうになるが、ふと彼は気付く。


「ちょっと待て。そんなの俺には関係ないだろ。無能力者がどうのって……」


 要の言い分はもっともであった。

 彼等が言うには、未来の要は無能力者だ。だが、過去から連れられてきた要は至って普通の人間だ。

 それはそうだろう。要のいた時代には、無能力なんて呪いはないのだから。


 要の言い分は正論であった。だが、彼は一つ勘違いをしていた。否、正確には彼はまだ自分が置かれた状況を理解していなかった。

 案の定、セツが何を言ってんだとばかりに目を丸くさせる。その反応に要も怪訝に思う。

 セツの視線が要と雪那を交互に追う。

 セツの視線に気付いたのか雪那は顔を上げて、面倒そうに溜息をついた。


「そいつが目を覚ましてから、自分の姿を見てないな」

「姿?」


 自分の姿が何だというのか。意味が分からずに眉を寄せた要に向かって、葵がずいっと手鏡を向けてくる。

 自然と要の視線は鏡に向かい――そこに映り込んでいた自分の姿に目を見張った。


「な、なんだよこれ!?」


 驚愕の声を上げながら、自らの髪を引っ張る。

 鏡の中で自分と全く同じ行動を取る人物の髪の色は灰色。見開かれた瞳の色も灰色。

 おかしい。そんな筈はない。少なくとも要が意識を失う前は、こんな色をしていなかった。何故なら、彼の髪と目は日本人としては何も珍しくない黒だったのだから。


「無能力者と一般人を見分ける方法はとても簡単だ。髪と目の色だ。無能力者になった時点で、そいつの髪と目の色が変色する。その理由は謎だが、言葉が染色体に異常を起こしたのか、それとも毒蜘蛛や毒キノコみたいに目立つ色をして、自分が危険だと主張しているのか……まあ、ただの推論だがな」


 雪那の説明は要の耳には届かなかった。いや、正確には聞いてはいたのだが、右から左へとすり抜けていったというのが正しいだろう。

 茫然としたまま動かない要にセツが焦ったように声を上げる。


「って、やば! もうマジで時間ねえ! しゃあない、このまま行くしかないか」

「はい。集合時間まで残り一分を切りました」

「おっし。葵ちゃん、手伝って。カナメン運ぶぞー」

「了解です」


 要が我に返ったのは、セツと葵の二人に両腕を抱えられて、引きずり出された後のことだった。

 二人に引っ張られて無理矢理連れてこられた場所は、エントランスと呼ぶに相応しい場所であった。

 ガラス張りの広く開放感のある出入り口の傍には屈強な警備員らしき人達が立っている。


「葵!」


 先程も端末越しに聞いた凛とした声が葵の名を呼ぶ。それと同時に一人の女性が駆け寄ってきた。

 腰まで伸びたストレートな赤髪。本人の気の強さが伝わってくるほど強気な赤い瞳。

 美しい人であった。葵が作り物めいた非人間的な美しさならば、彼女は人間らしい輝きを持った生命力の塊のような美しさであった。

 葵達と同じ黒い制服に白いマントを羽織った女性は、葵の隣にいたセツを見るなり、彼を睨みつける。


「遅いわよ!」

「第一声が罵倒なんて流石撫子ちゃん。痺れるねぇ」

「馬鹿なこと言ってないで。いいから早く行くわよ」

「遅れてごめんなさい」

「どうせそこの馬鹿に捕まってたんでしょ。貴方のせいじゃないわ」

「おおう、あまりの対応の差にぞくぞくしちゃうぜ」

「黙りなさい変態」


 ふっと女性の視線が要に向かう。途端に彼女は怪訝な顔をして、葵を見る。


「誰、この子。新人?」

「この人は――」

「そうそう! そんなとこ! 今回の現場に連れてけって、所長命令」


 葵の言葉を遮ってのセツの言葉に要が反論しようとするが、背後に回ったセツに手で口を塞がれてそれも叶わない。

 彼女は不審そうに要を一瞥してから、興味を無くしたように視線を逸らした。


「所長命令なら仕方ないわね。……手短に名乗っておくわ。私は猫柳ねこやなぎ撫子なでしこ。くれぐれも邪魔しないでちょうだいね。新人」

「むぐー!」


 要が反論しようとするが、セツに口を塞がれたままだから、反論の声は上がらなかった。

 そんな要に撫子と名乗った女性は背を向けて、玄関を出て行く。葵も彼女の後を追いかける。

 そこでようやくセツが手を外したので、要はセツを睨みつけた。


「なにすんだよ!」

「仕方ないだろー。カナメンが喋るとややこしくなるからさ。撫子ちゃんは、リーダー信者の本部面子の中で唯一、リーダーの事を嫌っていたからなぁ」

「早く来なさい! セツ! 新人!」


 それがなんだという要の言葉は、苛立ったような撫子の声にかき消されてしまう。

 そして、嫌がる要を無理矢理連れて、セツはトレーラーの中に乗り込むのだった。


 全員が乗り込んだ後、トレーラーは目的地に向かって、動き出す。

 車内はひどく静まり返っており、声を出す事すら憚られる雰囲気が漂っていた。

 騒がしかったセツはずっとノートパソコンで何かをしており、この空気を壊すものはいないようだ。

 重い空気から逃れるように視線を動かした要だが、その途中でばっちりと撫子と目が合ってしまう。

 彼女はすぐに興味を無くしたように視線を逸らそうとして、ふと要の服装に気付く。


「セツ。隊服は?」

「着せてる時間なくてさぁ。あ、いまもあるから、此処で着替えるか?」

「そうね、着替えておきなさい。無能力者が暴れてる所に隊服を着てない無能力者が行ったら、市民が暴動を起こすわ」

「だってよー。ほい、そこで着替えろってさ。あ、安心しろよ。男の着替えなんて覗く趣味ないからさ」


 無造作に渡された黒い制服に要は眉を寄せる。そして、それをそのままセツに突き返した。


「いらねえ。俺はお前らの仲間になる気なんてない」

「……着替えたくないなら構わないわ。ただし、自分の身は自分で守りなさい。私達は、貴方を守ってる余裕なんてないから」

「は?」


 隊服を着る事と自分の身を守る事とどう繋がるというのか。そんな要の疑問に撫子は冷めた目で、彼を一瞥した。


「恐怖と怒りに支配された一般人に殺される可能性を考慮しなさいって言ってるのよ。無能力者狩りの再来になるわよ」


 要には彼女が何を言っているのか理解できなかった。だが、彼女の言葉が脅しでもなんでもなく、ただ事実を言っていることだけは理解できた。

 ぞくりと寒気が走った要は、暫しの逡巡の後、渋々と立ち上がる。

 立ち上がった要にセツが制服を放り投げると、彼は今度こそ受け取り、セツが指差した方に向かう。


 そこには簡易的な更衣室があった。カーテンが引いてあるだけだが、着替えるだけならば十分すぎるものである。

 要はそこに入ると手早く着替えを始めた。

 着慣れた制服を脱ぎ、渡された新しい制服に着替える。

 白いワイシャツに緑のネクタイ。上着となる黒い制服は学生服というよりも軍服に近い気がした。想像よりも手触りが良い制服に袖を通しながら、要は溜息をついた。


(なんでこんなことに……)


 夢ならば早く覚めてほしい。そんなことを考えながら、着替え終えた要は、最後に白いマントを羽織り、白い軍帽を被る。

 胡散臭いことばかり言う連中と同じ服装になったことにげんなりとしながら、更衣室を出た。

 カーテンが開く音にセツ達の視線が自然と要に向かう。

 集中する視線から逃げるように要は足早に最初に座っていた席に戻った。

 話しかけるなとばかりに拒絶のオーラを出す要だが、そんな空気を読むことなく声をあげたのはセツと葵だった。


「意外と似合ってんじゃね?」

「はい。とてもお似合いです」

「嬉しくないし、どうでもいい」


 二人の誉め言葉に要は心底嫌そうな顔をしたあと、ふいっと視線を逸らす。すると、対面に座っている撫子が怪訝な顔をしているのが目に入る。

 何故か眉を寄せたまま、要を見ている撫子。その視線に耐え切れず、要は彼女を睨み返した。


「なに?」

「あなた、誰かに似て――」

「おっ、着いたみたいだぜ?」


 撫子の言葉はセツによって遮られてしまう。何かを言いかけていた撫子は興味を失ったように要から視線を外して、表情を厳しくさせた。

 立ち上がった撫子はトレーラー内の仲間を見渡して、声をあげる。


「制圧対象は一人だけど、言葉は不明。重々警戒していくわよ!」

「はい!」


 撫子の鼓舞に要以外の面々が声を揃えて、返事をした。そして、ゆっくりと開かれた扉から、彼女達は一斉に飛び出した。


「いってらっしゃーい」


 軽い声で手を振るセツを要が疑問に思う間もなく、要は葵に引っ張られてトレーラーを出て行くのだった。

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