#05-2 無力で無価値な役立たずヒーロー


「ここ、どこだよ」


 あっさりと解放してくれたのはありがたいが、それなら元の場所に戻してほしかった。

 そんなことを考えながら、要はバングルを起動させる。

 GPSで何とかならないかと探してみたが、バングルについてる機能はあくまでも社内限定であり、外では意味を成さないことが分かっただけだった。


「……はぁ」


 もう一度溜息をつく。

 再びバングルを操作させて、アドレス帳を開く。大量に出てきた名前の中からセツの名前を検索しようとして、ふと気付く。


「あいつ、苗字なんだ?」


 セツと呼ばれていたから、彼の名前なのだろうと判断していた。だが、一度も自己紹介されていないから、フルネームを知らないのだ。

 今更ながらの疑問に要は考え込む。


(この大量のリストの中からアイツの名前を探すのか)


 辟易としながら、とりあえず、さ行をみるとそこには『セツ』と一人だけフルネームじゃない彼の名前が登録されていた。

 なんでだよ、と心の中でツッコミを入れながら、要はその名前をタップする。

 暫しのコール音の後、空中に浮いたディスプレイに映ったのはセツの顔。


『はいはーい! 皆のアイドルセツ君でっす! って、カナメンか。何してんだよ。勝手にいなくなったって撫子ちゃんが怒ってたぜ?』

「誘拐されたんだよ。不可抗力だ」

『何それウケる』

「ウケねえよ。解放されたのは良いけど、現在地が分からない。迎えに来い」

『それが人に頼む態度かよ。迎えに来てほしいなら、お願いしますセツ様って乞うてみろよー?』

「今すぐ来い」

『ったく、カナメンは仕方ねーな。ちょい待ち。いまカナメンの現在地割り出してっから。…………ん。時雨商店街の近くか。んあー、ちょい遠いなぁ。まあ、三十分ぐらいで着くから適当に待ってろよ』

「ああ」


 セツと連絡を終えて、要は息を吐き出した。

 現在の時刻は十四時二十七分。

 セツが迎えに来るのは今から三十分後。

 さて、どうやって時間を潰すかと要は思案して、ふと視線を感じて顔を上げた。

 そして、次の瞬間、数えきれない負の感情が要を襲った。

 商店街の近くだとセツが言っていた通り、要がいるのは人通りの多い賑やかな表通りだ。

 その全員が異様な目で要を見ていた。

 親の仇でも見るような憎悪。

 得体の知れない何かを見るような恐怖。

 存在そのものが認められないとでも言いたげな嫌悪。

 様々な負の感情を一心に向けられて、自然と体が竦んだ。

 要自身が彼等に何かをしたわけではない。それでも無能力者というレッテルは一般人にとって畏怖すべきものであった。


 無能力者狩り。

 以前、聞いたことを思い出して、要は体を震わせる。

 幾つもの不気味な視線に要は足早にその場を立ち去ろうとした。そんな彼の耳に届いた怨嗟の声。

――化け物。

――なんで平然と歩いてやがんだ。お前らのせいで俺達は……。

――何が対策本部だ。化け物同士で勝手に殺しあってくれ。

――正義の味方気取りかよ。化け物のくせに。

 この人混みでは誰が言ったかなんて分からない。けれど、それは確かな刃となって要の心を突き刺さる。


 何故、見ず知らずの人にそんな言葉を掛けられなくてはいけないのか。

 何故、見ず知らずの人に負の感情を向けられなくてはいけないのか。

 何故、自分は何もしていないのに疎まれねばならないのか。

 幾つもの疑問が浮かぶもそれに対する回答を要は持っていない。だが、あえて言うならば、それはただ一言で済む。

 要が無能力者だから。

 その一言に尽きるのだ。

 いま要が疎まれているのも。嫌われているのも。嫌悪されているのも。全て彼が無能力者だから。人間とは違う化け物だから。ただそれだけのことであった。

 やりきれない感情を抱えながら、怨嗟の声を振り払うように要は歩き出す。

 背後から突き刺さる幾つもの視線を無視して歩き続ける。そして、そんな要の耳に届いたのは怨嗟とは別の悲鳴であった。


「無能力者が出たぞ!」


 一瞬、自分のことを言われたのかと要は足を止めた。

 振り返ってみれば、丁度路地から一人の男性が足を引きずりながら出てくる所だった。

 周囲の人々は突然現れた怪我をした男性に驚き、場が騒然とする。

 何人かの人は携帯端末を取り出し、通報するかと思えば、写真や動画を撮り始めた。

 誰も男性に近付こうとしない。遠巻きに距離を取りながら、写真や動画を撮るだけだ。

 そんな光景を見て、要は不愉快そうに表情を歪めた。けれど、彼は何もしない。そのまま何事もなかったかのように歩き出そうとした。しかし、そんな彼の背中に声が掛けられる。


「お、おい、あんた! 本部の人間だろ!? 早く無能力者を捕まえろよ!」


 その言葉に耳を疑う。

 つい先刻まで要の事を化け物と罵っていたその口で助けを求めたことに驚いたのだ。

 もっとも要に助けを求めたところで彼は戦えない。葵や撫子のように一瞬で無能力者を制圧できるほどの戦闘力がないのだ。

 それを知らない一般市民たちは、こぞって本部の制服を着た要に助けを求める。

 先程まで化け物と罵っていたその口で助けを乞う。

 そんな彼等に要は心の底から失望する。なんて、醜い生き物なのだろうかと失望する。

 動こうとしない要に周囲の人々は苛立ったように声を荒げる。


「化け物を捕まえるのがお前らの仕事だろ!」

「そうだ! その為にお前らみたいな化け物が生きてられるんだろ!?」

「拘束されずに自由にできてるんだから、ちゃんと仕事しなさいよ!」

「そ、そうそう。化け物には化け物同士だろ! お前らの同類なんだから、お前らの責任だろ!」


 そんな言葉を皮切りに周囲から罵詈雑言があがる。

 その声に要はゆっくりと振り返った。

 ようやく反応した要に人々は僅かに安堵しかけるが、彼の表情を見て息を呑む。

 細められた灰の瞳はどこまでも冷え切っており、全てを否定するような拒絶を含んでいた。

 人々が気圧されたのは一瞬だけ。即座に持ち直した彼等は化け物が逆らいやがってと怒りを表す。しかし、彼等の怒声が響くより先に悲鳴が上がった。

 要も要に気を取られていた人々も一斉に悲鳴がした方を振り返る。

 そこにいたのは先程、怪我をしていた男性……だったものだ。

 正確には先程の男性かどうか判断ができなかった。何故なら、振り返った先にあったのは体だけだったのだから。

 首のない体がゆっくりと倒れていく様を彼等は目撃した。そして、おそらく先程悲鳴をあげたであろう女性の近くに何かが転がっていくのを見てしまった。


 何が起こったのか分からずに茫然とするのは要だけではない。他の面々も同じだった。

 周囲の視線は首のない遺体に集中する。そして、その体がぞんざいに踏みつけられた。

 遺体を踏みつけたのはスーツ姿の青年だった。しかし、その髪の色は紫。瞳孔が開ききっているその瞳も紫。

 無能力者だということは間違いなかった。

 無能力者……しかも、既に人を殺している無能力者が現れたことを実感するとその場は阿鼻叫喚の図と化した。

 逃げようとする女性を無能力者は手にしていた斧で切りつける。

 その光景にまた人々が悲鳴を上げて、逃げ惑う。一刻も早く安全な場所へと逃げようとする。だが、相手は無能力者。

 彼に憑いている言葉は不明だが、身体能力が向上している無能力者相手に一般人の足で逃げ切れるわけがない。


 次々に周囲が赤く染まっていく光景を要は、目を逸らす事ができずに眺めていた。

 現実感がなかった。悪い夢でも見ているかのようだった。

 先程まで要を罵っていた人々が電池の切れた玩具のように倒れていく。

 その光景を要は見ている事しか出来なかった。

 助けに入る事も。無能力者を止める事も。その場を立ち去る事も。要には出来なかった。

 彼にできたのは傍観者のように悪夢のような光景を見ている事だけだった。

 人の命が失われていくのを見ている事しか出来なかった。


 唇が切れてしまうのではないかと思えるほど、強く唇を噛みしめる。

 彼は自分に誰かを助ける程の力がないことをよく分かっていた。自分の無力さをよく分かっていた。たとえ、助けに入ったところで死体が一つ増えるだけで、なんの意味もないということをよく分かっていた。理解していた。

 力のない者に他人を助ける事などできるわけがない。誰かを守る事などできるわけがない。

 自分が死ぬと分かっているのにそんな行動にでることができる人がいるとしたら、そいつは本物の馬鹿か。それとも、物語の主人公だけだろう。

 要はそのどちらでもない。自分の命を捨てられる馬鹿でもなければ、物語の主人公でもない。だからこそ、彼は動けなかった。本能よりも理性が彼を止めていた。


「あっ!」


 ふと視界の端で五、六歳ほどの少女が転ぶのが見えた。少女は慌てて立ち上がろうとするが恐怖に腰が抜けて、立つことすらままならない。

 そんな少女を次の獲物と定めたのだろう。無能力者の青年は地面に赤い染みをつくりながら、少女へとゆっくり歩み寄っていく。

 恐怖に涙を浮かべた少女の視線が要を捉える。


「……たすけて……」


 小さな声で求められた救援の言葉。その声に要は初めてこの時代に来た日のことを思い出す。

 要にその言葉を投げかけた瞬間、事切れた老婆の姿を思い出す。


「っ!」


 要は走り出す。だが、全てが遅い。決断も。反応も。全てが遅すぎた。

 無能力者は既に少女に向かって斧を振り上げている。今からではどう足掻いたところで間に合わない。助けられない。

 数秒後には少女の命は消えるだろう。あの時の老婆のように。周囲に倒れている人々のように。

 間に合わない。間に合う筈がない。それこそ、物語の主人公のような人物でなければ、少女を助けられる筈がなかった。

 間に合わない。

 そう判断した要が決定的な瞬間から逃げるように目を閉じた。

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