#08-2 無能
「葵を見捨てて逃げる気?」
不意に響いたのは怒りが込められた鋭い声。ハッと顔を動かせば、怒りを携えた真紅の双眸が要を射抜いた。
「そんなことしたら、私は絶対に貴方を許さないわ。アイツは確かにムカつく奴で、何を考えてるか分からなくて、いつも何かを企んでる胡散臭い奴だった。だけど、自分を慕う人を見捨てたりする奴じゃなかったわ」
強い怒りと要を試すような鋭い視線。
腕を組んで要を睨みつけている撫子に要は言葉を失う。
いまの自分と彼女達が語る未来の自分。どうしても同一人物とは思えなかった。同姓同名の別人ではないかとまで考えていた。
ふっと要は以前写真で見た未来の自分の姿を思い出す。瞬間、彼の脳裏に閃いた一つの推論。
勿論、何の確証もない。ただの憶測で間違っている可能性もある。それでもこの場を無事に切り抜けられるかもしれない一つの可能性。
ぐっと要は息を呑む。
「要さん?」
手が震える。全身が震える。今すぐここから逃げ出したい。その気持ちを押さえながら、要は目を閉じた。
思い出すのは今まで彼女達から聞いたこの時代の桔梗要像。
今の自分とは似ても似つかない性格。それでも今ならそう演じることは難しくない気がした。
大きく息を吐き出す。そして、桔梗要はゆっくりと目を開く。
その表情に、その纏う雰囲気に、その佇まいに、その場にいた誰もがかつての桔梗要の姿を思い出した。
「……要、さん?」
要を庇うように立っていた葵の肩に手を置いて、要は前に出る。葵の知る背中よりも小さな背中。だけど、その背中にかつて覚えた安心感を感じた。
「芹沢所長、でしたっけ?」
「……何かしら?」
要の雰囲気が先程とはまるで違う事に牡丹は警戒したように要を見る。そんな牡丹の反応に要は笑う。どこまでも強気で不敵な笑みで笑う。
「なにか勘違いしてないか?」
「どういう意味かしら?」
「今の俺を殺して別の時代の桔梗要を連れてきたって、そいつが『無能』に憑かれる可能性がないとは言い切れないだろ」
ぴくりと牡丹の肩が揺れた。
要としてはいつ彼女が引き金を引くのかと冷や汗ものだったが、それをおくびにも出さずに笑って見せる。
「次の桔梗要を連れてきたって、そいつが『無能』に憑かれる可能性は高いはずだ」
「んん? カナメン、どういう事だ?」
「そもそも、この時代の俺も『無能』に憑かれてたんじゃないか?」
あっさりと告げられた言葉にその場にいた誰もが驚愕の表情を浮かべた。
全員が目を見張る中、ただ一人要だけが不敵に笑っている。
「何を根拠にそんなことを言っているのかしら?」
根拠なんてものはない。全ては要のハッタリだ。ただ要は自分の中に思い浮かんだ推論を真実のように語っているだけなのだ。それでも要は不敵な笑みを崩さない。
この時代の桔梗要が浮かべていた絶対的な自信に満ちた、誰もがこの人についていけば間違いないと思わせる笑顔とよく似た笑みで笑う。
「簡単なことだ。髪の色だ」
そう言いながら、要は自らの髪を一束掴んで見せる。
「俺の髪は昨日まで灰色だった。けど、今日新たな言葉が憑いた時に銀色に変わった。これがどういう意味か分かるか?」
「そんなの貴方が『無能』に憑かれたからでしょう」
「そうだな。俺は『無能』に憑かれたから銀髪になった。けど、『無効』に憑かれただけなら灰色だったんだ」
要が何を言いたいのか分からずに牡丹は眉を寄せる。
要にとってこれは賭けだ。
彼女達は要よりもこの時代のことを、この呪いのことを知っている。
迂闊な発言をすれば即座に処分されるだろう。体が震えそうになるのを必死で堪えて、要は僅かに振り返る。そこには心配そうに見守っている葵の姿がある。
要はもう一度だけ息を吐く。そして――。
「俺とこの時代の桔梗要は同一人物だ。憑かれた言葉が同じなら変わる色だって同じ筈。だから、この時代の俺が『無効』にのみ憑かれ、『無能』に憑かれてなかった、そいつの髪は灰色のままなんだよ!」
まるで印籠でも掲げるように要が突き出したのは、バングルから映し出される半透明のディスプレイ。そこに映し出されているのは社員証だ。
この時代の桔梗要が使っていた社員証に写っているのは当然今の要ではない。この時代の要だ。そして、写真の中の桔梗要の髪の色は銀。
おお、とセツが感心したように声を上げた。
要の憶測があっているかなんて分からない。けれど、要にはこの方法しかなかった。
牡丹はディスプレイと要の顔を交互に見つめ、小さく息を吐き出す。
「確かに貴方の言う通りね。この時代の要君の髪の色は今の貴方と同じだった。けれど、それだけじゃ彼が『無能』に憑かれていた証明にはならないじゃないかしら?」
「それを言うなら『無能』に憑かれていないという証明にもならないだろ」
「悪魔の証明ね。……良いわ。貴方の言う通り、この時代の要君も『無能』保持者だったとするわ。けど、それがなにか?」
「え?」
「彼が『無能』保持者だったとして、それでも彼は『無効』を扱えていた。我々に『無能』保持者と悟らせないほど巧妙にね。貴方に同じことができるのかしら?」
その言葉は安堵しかけていた要を動揺させるには十分すぎるものだった。
一瞬、要が動揺したのを見逃す牡丹ではない。試すような眼差しが要を射抜く。
要はその視線から目を逸らしたくなる。だが、ここで目を逸らしては駄目だと自分を奮い立たせ、真っ向から牡丹を見返した。
「この時代の俺にできたんだ。俺だってできるに決まってるだろ」
それは要の精一杯の虚勢。それでも牡丹は要の回答に満足そうに笑い、拳銃をしまう。
「いいでしょう。貴方にチャンスをあげるわ」
「チャンス?」
「一ヵ月。一ヵ月の間に貴方が有用だという目に見える成果を出しなさい。睡蓮時鴻を捕まえるでも良し。手配中の無能力者を捕まえるでも良し。とにかく貴方がこの時代の要君と同等の働きができることを証明してちょうだい」
「できなかったら?」
「お別れね」
その言葉の意味はすぐに理解できた。失敗したら殺すと彼女は言っているのだ。
背筋に冷や汗が走る。それでも要は不敵に笑って見せる。
「上等だ」
「結構。それじゃあ、貴方の活躍楽しみにしているわ」
それだけ言うと牡丹は下がっていいわと告げた。
所長室から出た要は、緊張が解けたのかそのまましゃがみこんでしまう。
「カナメーン! すっげぇ! あの芹ちゃんを説得するなんて普通できないぜ!? なんかリーダーを見てるみたいだったぞ! 俺、初めてカナメンはやっぱりリーダーなんだって思ったぞ!」
「うわっ!? 抱き着くなよ気持ち悪い!」
興奮したように飛びついてきたセツを引き剥がして、要は立ち上がる。立ち上がると要を睨みつけている撫子と目が合った。
「本当にあの男を見ているようだったわ。ああもう! 胸糞悪い!」
「あんたお嬢様のくせに口悪いよな」
「うるさいわね! アイツと同じこと言わないでくれる!?」
苛立った猫のように要を威嚇する撫子。そんな彼女の様子に要は何だかおかしくなって笑った。
「なにいきなり笑ってるのよ。気持ち悪いわね。……まあいいわ。私として貴方が死のうがいなくなろうがどうでもいいですけど? 葵が悲しむからね。一応、良かったわねと言っておくわ。けれど、いいこと!? 私はまだ貴方を認めたわけじゃないんだからね!」
びしっと要に指を差して撫子。何も言わない要に彼女はどこか満足したように頷いて、優雅な笑みと共に背中を向けた。
「まあ、一ヵ月後に見限られないように精々頑張ることね。ごきげんよう」
まるでどこぞのお嬢様のように高らかに笑いながら彼女は歩き出す。エレベーターホールとは正反対の方向に。
「撫子ちゃーん! 逆だぜ逆! エレベーターはこっち!」
セツが慌てたように声を上げた。その声に撫子はぴたりと足を止めて、顔を真っ赤にさせて、大股に戻ってくる。
「分かってるわよ!」
ぷりぷりと怒りながら、今度こそエレベーターホールの方へ歩いて行った撫子。
そんな彼女の背中を要は呆れたように眺めて、興味を無くしたように葵に視線を移す。
葵は相変わらずの無表情だ。先程見た表情の変化はまるで感じられない。それでも彼女が本当に要の無事を喜んでいることが伝わってきて、要はバツが悪そうに視線を逸らす。だが、何か言いたげに何度も視線を葵に戻す。
暫くの間、それを繰り返し、やがて意を決したように口を開いた。
「……か、庇ってくれて、あ、あり……がとう」
後半の言葉はあまりにも小さすぎて、葵に届かないのではないかというくらいの声量だったが、葵にはしっかりと届いたらしい。
「いえ、ご無事で良かったです」
葵は相変わらずの無表情。だが、要は彼女が笑っていたような気がした。
「カナメンがデレたぁあああああああ!」
「うるさい」
「うるさいです」
突然叫び出したセツに要と葵は同時に文句を口にする。二人は互いに目を合わせて、それから要は小さく笑う。
色々と騒がしいセツを放って、要は歩き出す。セツもその後を追いかけながら、要を揶揄っている。葵は二人の後ろ姿を見つめながら、頬を緩めて自らも後を追いかけた。
無能力 蒼野 棗 @aononatume
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