第十三話 定めの輪

 牙星きばぼしと会う事がなくなってから一ヶ月後、タケルは祈りの広間への立ち入りを禁じられた。正式に云えば、姫巫女と接する事を禁じられたのだ。

 何故かと尋ねたタケルに、白髪巫女は只一言


「祭りが近いからです」

 とだけ答えた。

 

 祭り、という言葉を聞き、タケルの心臓が大きく波打った。タケルの全てを変えてしまった、祭りの一夜を思い出す。

 儀式的な祭り。

 姫巫女は唯一の、龍神に仕える巫女である。その姫巫女が関わるとすれば、それは間違いなく龍神の祭り。

 村を立ったあの夜以来、祭りという言葉はタケルの内側に不安を呼び起こさせた。

 神殿の地底奥深く、巫殿で姫巫女を中心として厳かな儀式が執り行われようとしている。

 それがどのようなものなのか、タケルは知らない。けれど何故なのか、タケルは腑の内側がざわめきたつような感覚を覚えた。酷く厭な感じ。

 恐らくこれから行われる祭りは、あまり歓迎するすべきものではない。タケルはそれを本能で察していた。

 祭りが執り行われる事によって、また運命が形を変えて回りだすかもしれない。また翻弄されていくのかもしれない。タケルの意思などお構いなしに。

 

 タケルは酷く牙星に会いたくなった。一人で考えていると押し潰されそうになる。

 牙星が居たならば、タケルを意気地無しだと一喝し高々と笑い飛ばしてくれただろう。

 笑い飛ばしてくれたなら、きっとこの得たいの知れない不安は拭い去られる。

 タケルは心の内で、ただひたすら牙星に救いを求めていた。



 そんなある日、久々に神殿からお呼びがかかった。けれどそれは牙星からの所望ではなく、タケルを呼んだのは龍貴妃りゅうきひだった。

 遣いに連れられタケルが通されたのは、巫殿への渡り廊下に近い片隅の一室だった。広くがらんどうの部屋の中央には、みやびな龍貴妃の姿があった。その頬は、以前会った時よりも幾分痩けたように思えた。


「良く来てくれましたね、タケル」

 

 慈悲深く、高貴な者の気品に満ちた笑みだった。だが心なしか少々の憂いを感じさせた。


「あなたがこの神殿に訪れてから、もう一月(ひとつき)以上経ちますね」

 

 龍貴妃のこえはまるで琴の音色のように、タケルの鼓膜に響いては淡く溶けた。仏様に聲があるのならば、きっとこの様な感じなのだろうとタケルは思う。


「あなたへ伝えるべき事を、やっとお話しできる時がきたようです」

 

 タケルははっとして龍貴妃を見た。

 心臓の鼓動がじわじわ高まっていく。龍貴妃は、タケルに何かを告げようとしている。

 それは、タケルが知りたかった事だろうか。


「タケル、あなたは始めに何を訊きたいですか」


 妃が、静かに問いかけた。


「……龍神の事を」

 

 少し考えた後、タケルが答えた。

 龍貴妃は一瞬だけまなこを伏せた。けれどすぐに、その紅唇を開く。


「我が子である牙星も、龍神の事を尋ねてきました」

 

 タケルは一月前、沈んだ表情を見せていた牙星を思い出した。龍貴妃は実の子である牙星にすら、龍神の事を語らなかった。牙星はそう云っていた。


「あなたは、自分の血族である龍神について知りたいのですか」


 龍貴妃が再び問う。


「はい、そして、牙星と命を共にするという龍神の事も」

 

 龍貴妃は目蓋を下ろすと、小さく長く息を吐いた。

 何かの覚悟を決め、そして何かを諦めたような溜め息。


「タケル、あなたは龍神と人間の女人との間に生まれた御子です」

 

 やはりタケルの母は人間で、父の方が龍神。

 それは以前に、牙星から教えられた通りの事実だった。タケルは黙したまま、妃を見ていた。


「あなたの母上は、すでにこの世には居られません。あなたを産み落としてすぐに、命を落とされたと聞いています。そして父上である聖龍神様は、このずっと先の天上界に居られます」


 初めて他者の口から聞かされる、父と母の話。タケルは全身に熱を帯びていくのを感じた。


「私は、あなたの父上母上について、あまり多くの事を存じません。ですから、私が語れる事はそれだけです」


 申し訳なさそうに龍貴妃が云い、タケルは小さく眼を伏せる。

 龍貴妃は再び息を吐くと、言葉を続けた。


「そして、牙星と命を共にする龍神は……この世に存在しないのです」

「えっ」

 

 タケルは思わず訊き返した。そして龍貴妃の言葉を反芻する。


 王族の者、直結の血を次ぐ者には必ず一体の命を共にする龍神が居るのだと、姫巫女は云った。牙星は皇帝の血を受け継ぐ唯一の皇子の筈。


「王族には代々、只一人の後継者が生まれ、一体の龍が生を受けたばかりの皇子の元へ舞い降りるのです」


 そして皇帝が命を失えば、龍神は天へ還っていく。龍神が天へと還れば、皇帝も命を失う。

 永く繰り返されてきた、王族の定め。


「十二年前……もうすぐ十三年になります。私は皇子となる赤子を産み落としました。牙星と……そして、もう一人の」

 

 龍貴妃の語る言葉に、タケルは何の予感を覚えていた。


「生まれ落ちた赤子は、二人……双子の皇子でした」

 

 予感はあったが、やはり軽い衝撃だった。タケルの脳裏に、一人の童子の顔が過る。巫殿でひっそりと笛を吹く、牙星と瓜二つの少年。

 守人と呼ばれる少年は、牙星の双子の兄弟。タケルは間違いない確信を得た。


「生まれた双子の皇子の姿を視た先視は、こう云いました。この二人が己の事実を知った時、龍神をめぐる定めの輪が廻り出すと……」


 俯いた妃の顔に落ちた、陰り。

 顔を上げ、龍貴妃は更に言葉を続けた。


「龍神は、本来たった一体。双子の皇子のどちらか消えぬ限り、龍神が姿を現す事はない。あの二人のどちらも、皇帝になる事はないのです」


 消える。それはつまり、死を意味していた。

 タケルの全身が冷たくなった。

 

「二人が出会ってしまえば、何者も廻り出す輪を止める事はできません。そして、皇帝は……」


 龍貴妃は一瞬、聲を詰まらせた。


「ならば自分が、永遠に王の座に君臨し続ければ良いとお考えなのです」

 

 永遠に王として君臨する。それが何を意味しているのか、タケルには判らない。

 父上は嫌いだ。不意にタケルは、不機嫌そうにそう云った牙星の顔を思い出した。


「王族は命を共にする龍神が天へ還られた時、その生涯を終わらせます。皇帝は、自分の龍神が天へ還らぬよう、永遠にとどめさせるおつもりなのです」

 

 龍貴妃の聲は、心なし掠れていた。


 皇帝は自らが王座に君臨し続ける為に、龍神をとどめさせようとしている。それは即ち、久遠の時を生きるという事。


「それは、どうやって……」


「その術は、私にも判りません」

 

 そう答え、龍貴妃は黙り込んだ。

 永遠に生きる。それは酷く恐ろしい事のようにタケルには思えた。

 生き物として、触れてはならない禁忌の領域。

 命への冒涜。


「只……一つだけ判る事は」

 

 龍貴妃は躊躇うように言葉を途切った。


「これから行われようとしている祭りが、それに関わっているという事だけ」

「祭りが……」

 

 巫女たちの間で密かに取り進められようとしている祭りが、皇帝の企みと繋がっている。しかも姫巫女が、それに大きく関わっている。


「王族の正統な血を継ぐ者だけに伝わる祭りが、どのようなものなのか私も知りません。けれどそれは、とても恐ろしい儀式……」

 

 暫し眼を伏せた後、龍貴妃は強い眼差しでタケルを見た。


「皇帝は血も涙もないお方です。儀式が済めば、最早必要のない者など非情に始末するでしょう」


 タケルは臟腑がせり上がるような感覚を覚えた。

 不要な者。それは即ち、牙星きばぼし守人もりびと。そして、タケルも含まれているのだろう。


「タケル、どうか、祭りの儀式を止めさせて下さい。それができるのは、あなただけなのです」


 龍貴妃は懇願すると、タケルに深く頭を垂れた。

 タケルは動揺した。妃が何を云っているのか判らなかった。一体タケルに、何ができるというのだ。

 眼の前では自分より遥かに高貴な筈の龍貴妃が、その誇りを捨て我が子と同じ年頃の童に頭を下げている。

 祭りを止める事ができるのは、タケルだけ。そんな権限が自分にあるとは思えない。

 返事などできる筈もない。タケルは混乱したまま、龍貴妃の下げられた頭を見詰めていた。


                    ◆


 巫女たちの会話から、祭りまで後一月もない事を知った。

 祭りを行わせないようにして欲しいと頼まれても、タケルはどうする事もできるわけがない。只の無力な童に、どうして皇帝の行おうとしている祭りを止める事ができよう。

 知恵を授けてくれる姫巫女は、儀式の中心に居る。実力行使の牙星も、今は傍に居ない。

 思いあぐねても何も浮かばない。タケルはなす術もなく途方に暮れた。


 そしてその頃、牙星はタケルの苦悩も知らず巫殿に居た。双葉に会う為に忍び込んだものの、運悪く白髪巫女と鉢合わせてしまったのだった。

 

 

 


 

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