第八話 通わぬ心

「他に、僕について龍貴妃りゅうきひ様に聞いた事はないの?」

 

 タケルは、大木の上に居る恐ろしさも忘れて牙星きばぼしに詰め寄った。タケルの瞳が陽に透かされ、琥珀の光を帯びる。


「……何故なぜだ?」


 太い枝に馬乗りになったまま、牙星がいぶかしむ。


「知りたいんだ、もっと詳しく」

「自分の事を訊いてどうする」


 牙星は、珍しそうにタケルを見詰めた。タケルは黙ったまま、真っ直ぐに牙星を見詰め返す。 

 タケルは、己の事を知らな過ぎた。何故、龍と人の間に自分が生まれたのか。そして、この世に生を与えてくれた、父と母の事も。

 牙星は少し眉をひそめたまま、険しい眼差しでタケルを見詰めていた。暫し考え込むように黙した後、おもむろに口を開く。


「お前は、女なのか?」

 

 タケルは再び、落下しそうになった。


「……何で?」


 気を取り直して、その質問の主旨を尋ねるタケル。


「お前は巫殿みこでんで暮らしていると、母上から聞いた。巫殿は男子禁制の筈だ。ならばそこで暮らしているお前は、男である筈がなかろう」


 断言する牙星。

 タケルは、何とも返事のしようがなかった。否定したところで、この皇子を納得させる自信がない。何か、非常に面倒な事になりそうな気もする。

 どうにも腑に落ちないが、相手が悪すぎた。


「……けど、僕は男だ」


 呟いてみたタケルの言葉も、牙星は全く聞いていない。すでにその視線は、彼方の方を向いていた。

 牙星は、だいぶ勘違いをしている。タケルが知りたいのは、自分の父母の事や出生の事実なのだ。


「他に、何か聞いた事は……」

「ない」


 きっぱりとした牙星の返答に、タケルは小さくため息をついた。せめて牙星がこういう気質でなければ、頼もしい相談相手になっていただろう。


 ザザザザッ

 突然吹き付けた疾風が、二人の乗った枝を激しく揺すった。


「うわっ!」


 タケルは悲鳴を上げ、恐ろしさのあまり幹にしがみついた。こんな高さから落ちれば、文字通り木端微塵だ。


「はははっ! 最高だな!」


 牙星は臆びる事もなく、楽しそうに笑っていた。こんな高い処で風に揺られ喜んでいられる肝の据わり方は、やはり尋常ではない。鋭いまなこを、愉快そうに細めている。

 タケルは幹にしがみついたまま、牙星の横顔を見ていた。父である皇帝に良く似た、気高く美しい面差し。岩のようにどっしりと玉座に座す、皇帝の姿が頭をよぎる。


「牙星様にも、命を共にする龍が居るの?」


 巫殿に棲む、皇帝と命を共にする龍神。

 不意にその事を思い出したタケルは、牙星に尋ねた。

 牙星は、皇帝の後継ぎだ。王族である牙星にも、同じ瞬間に生まれ落ちた龍神が存在するのだろうか。

 唐突に尋ねられ、牙星はきょとんとした。


「命を共にする龍? 何だそれは」

「えっ」


 牙星に問い返され、タケルは戸惑った。牙星の紅の眼が、真っ直ぐにタケルを見ている。


「牙星様と、運命を同じくする龍神だよ」


 牙星は眉間に皺を寄せ、首を傾げた。


「本当に知らないの?」

「そんなもの、儂は聞いた事もない」


 わけも判らぬ事を云われ、牙星は少々聲こえを荒げた。

 姫巫女ひめみこは、王族の者には必ず一体の命を共にする龍神が居ると云っていた。けれど皇子である牙星は、その存在を知らぬというのか。

 牙星は苛立った顔をして、タケルを睨んでいる。

 タケルは当惑した。


「なら、皇帝と命を共にする龍の存在は知ってる?」

「父上と?」


 牙星は更に眉間に皺を寄せ、訝しげな表情を見せた。


「巫殿に居る、龍神だよ」


 恐ろしさも忘れ、身を乗り出すタケル。


「巫殿に龍が居るのは知っている。けど、それが父上とどう関係するのだ」


 タケルは、答える言葉が浮かばなかった。

 牙星は、本当に何も知らないようだ。

 やたらとわけも判らぬ事ばかり聞かされ、牙星は腑に落ちないまま不機嫌な様子だ。


「まあいい。父上の事など、儂には関係ない」


 母の事はあれだけ信頼し言葉を鵜呑みにしておきながら、父に対しては随分冷たい云い草だった。


「儂は、父上は嫌いだ」


 牙星が、吐き捨てるように云い放つ。

 その眼は、あまりに厳しく冷たかった。

 牙星は、血の繋がった実の父親を嫌悪している。心底と。牙星の眼を見れば、それがどれ程根深いものか判る。タケルには、その理由を尋ねる事ができなかった。

 そして突然、タケルの前から牙星の姿が消え失せた。あまりに急な事で、タケルは何が起きたのか理解できなかった。


「降りるぞ、タケル!」 


 下の方から響く、牙星の聲。その姿は、すでに遥か下の枝にあった。


「待ってよ、牙星様!」


 そういう事は、降りる前に云ってほしい。タケルが、慌てながらも慎重に後に続く。けれど、猿のようにすばしっこい牙星に追い付けるわけもない。 

 結局、タケルは牙星を見失った。

 必死に大木から降りて辺りを探してみたが、気紛れな皇子はもうタケルの前に姿を見せてはくれなかった。

 

                           


 

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