第六話 笛の音

 タケルが宛がわれたのは、窓のない八畳程の部屋だった。


「食事の用意ができましたら、巫女の者がお呼びいたします」


 姫巫女はタケルを案内し終えると、頭を下げ、元来た通路を戻っていった。

 たった一人残されたタケルは、部屋の中を一通り見回してみた。

 部屋の隅に灯った蝋燭の火が、ぼんやりとその輪郭を照らし出す。柔らかそうな寝台と、小さな台が置かれているだけ。後は何もない、ほとんどがらんどうだった。

 窓がない所為せいか、少々息苦しく感じた。


 タケルは、寝台に倒れ込むように体を横たえた。

 体が沈むように包み込まれる。驚く程上質な寝台だった。

 窓がない事を除けば、まあ居心地も悪くない。

 タケルは、全身に急激な疲労を感じた。昨夜から、何と長い一日だっただろう。酷く目まぐるしく、何もかもが形を変えてしまった日。

 色々な事が起こり過ぎた。

 

---お前の中に流れる血は、半分は人のものではない

 

 婆様のこえが、頭の芯の方で響いた。

 龍神から、命を受けた童。

 ならば何故、自分は人の姿をしているのだろう。龍から人の形をした子が生まれるのだろうか。半分は、人の血を引いているから?

 タケルの片親は、人間。それは、タケルの中に流れる血が、半分は人のものではないという婆様の言葉から窺える。つまりそれは、もう半分は人のものであるという事。

 龍神と人の間に成された、タケルの存在。父と母、どちらが龍でどちらが人だったのか、それすらタケルは知らない。


 考えてみても、頭が混乱するばかりだった。婆様に全ての事柄を聞かずに旅立って来た事が、今更ながら悔やまれる。

 神殿や巫殿の者たちも、タケルの出生の経緯いきさつを何らかは知っている様子だった。尋ねれば、教えてくれるのだろうか。

 考えているうちに、段々意識が朧気になっていく。

 食事の時も待たずに、タケルは深い眠りに落ちていた。


            ◆


 タケルは泥のような眠りから目覚め、虚ろに目蓋を開いた。窓がない所為で、今がまだ夜なのかすでに朝なのかすら判らない。

 タケルは、途方もない空腹を感じた。

 いつの間にか眠ってしまっていた。寝入っていた所為で、食事に呼びに来た巫女にも気づかなかったのだろう。タケルはすでに、丸一日食べ物を口にしていなかった。

 起き上がり、タケルは寝台から降りた。部屋の隅に灯った二本の蝋燭が、タケルの影を壁一面に映し出す。それはタケル自身から離れ、別の巨大な生き物のようにゆらり揺れていた。

 タケルは扉を開くと、外の様子を伺った。

 やはり外界の光の射し込まぬ廊下は、点々と灯る小さな火に頼りなく照らし出されていた。

 タケルは何となく音を立てぬようにしながら、そっと部屋を出た。

 

 だらだらと真っ直ぐに続く、長い廊下。一人心もとない為か、姫巫女に連れてこられた時よりも長く感じられる。

 先へ先へ進むと、ようやく曲がり角が現れた。確か姫巫女が連れてきてくれた時は、ここを曲がった。タケルは、ほんの数時間前の記憶を辿る。

 途中小さな段差によろめきながらも、タケルは進んだ。


 タケルは、微かな音に気付いた。立ち止まり、耳を澄ます。

 それは、笛のだった。

 龍神の岩場で聞いた笛の音。子守唄のように優しい旋律は、間違いなくあの時の笛の音だった。

 タケルは思わず、進行方向を変えていた。

 いざなわれるように、笛の音の聞こえてくる方へ歩みを進める。

 音色を手繰り寄せるように、タケルは足を速めた。


 ふらりふらり。

 誘蛾灯ゆうがとうに引き寄せられる、虫のように。

 この笛の主を、どうしても知りたい。強い衝動。まるで糸で引かれるように、タケルの足は戸惑う事なく笛の音を辿る。

 

 夢中で進むタケルの前方に、突然光が現れた。

 タケルは体をびくりと震わせ、歩みを止めた。

 曲がり角の向こう側から現れたのは、白髪巫女だった。


「このような明け方に、どうされたのです」


 体温を持たない、ひやりとした物云い。手にした蝋燭の火が、白髪巫女の深い皺を更に濃く浮かび上がらせていた。その所為か、その皺自体が造り物じみて見える。


「何か、食べたくなって……、姫巫女を探しに」

 

 まるで云い訳をするようにタケルが答える。


「姫巫女でしたら、朝の祈りの最中です。お食事でしたら、お部屋へお持ちいたしましょう」

「ま、待って」

 

 歩き出した白髪巫女を、タケルは慌てて引き留めた。


「食事は朝まで我慢する。外が歩いてみたいんだ」

 

 再びあの窓なしの部屋に閉じ込められるなど、もうたくさんだ。タケルの申し出に白髪巫女は考えるように黙していたが、やがて静かに口を開いた。


「では、外まで案内いたしましょう」

 

 廊下を曲がり、歩き出す白髪巫女。タケルは安堵して後に続いた。


 まだ聞こえ続ける笛の音。躊躇しながらも、タケルは白髪巫女に尋ねた。


「ねえ、あの笛は誰が吹いてるの」


 振り向く白髪巫女。臼闇で見るその顔は、一層冷たく感じられた。


「お耳に障りますか」 


「いや、そうじゃないけど……」

 

 タケルは何故か、叱られているような心持ちになった。白髪巫女はタケルを横目で見下ろした後、再び前に向き直る。


「では、気になさらなくて結構です」


 嗄れた聲で、白髪巫女が云い放つ。巫女の背中は、タケルがそれ以上の言葉を紡ぐのを許さなかった。

 姫巫女さえも知らぬ、笛の主。白髪巫女はきっと、その主を知っている。知っていながら、教える事を拒んでいる。

 遠ざかっていく笛の音に、タケルの心は納得できぬまま掻き乱された。


 やがて、前方に風が感じられた。細く白い光が射してくる。

 光が射す先に、階段が見えた。神殿に通じる巫殿への入り口の他に、どうやらここからも地上へ抜けられるようだった。

 石の階段を登りきると、そこは樹々の生い茂る森のような場所だった。神殿の中庭なのだろうか。辺りには、まだ薄い朝靄がかかっている。

 タケルは清々しい空気を思いきり吸い込むと、一気に吐き出した。体中を支配していた緊張感が、じわりとほぐれていく。


「それでは、私は戻ります。それから、向こうの奥の池で巫女たちが御祓(みそぎ)の最中ですので、決して近づかぬよう願います」


 そう云い残すと、白髪巫女は再び巫殿の中へと去っていった。


「御祓……か」


 その様子を想像しかけ、タケルは慌てて掻き消した。

 暖かくなったといっても、朝の気温はまだひんやりとしている。しかも湧水など、呑み込むだけでも喉を刺す冷たさだ。

 その水の中に体を沈める感覚を思い浮かべ、タケルは身震いした。 


 徐々に登りゆく朝陽。

 巫女たちの一日は、この陽が姿を現す前から始まるようだ。

 他の巫女たちが御祓をしているこの瞬間も、姫巫女は一人、龍神の為に祈りを捧げているのだろう。タケルは何故だかせつなくなった。

 朝陽の方向に、気高くそびえる神殿。巫殿は、その地下にある。

 まるで外界から隠されるように潜んだ巫殿とは対照的な、華やかで美しい神殿。ここに棲まう王族たちは、そのずっと地下に暮らす巫女たちとは、正反対の一生を送るのだろう。

 同じ種の生き物であるのに、生まれ落ちた身分によって何故こんなに与えられたものが違うのだろう。

 タケルは、その理不尽さを受け入れる事が出来なかった。

 

           ◆


 朝の光が眩しい神殿の廊下を、タケルは二人の遣いに連れられ歩いていた。

 朝飯をたった一人で平らげたタケルの元に、託(ことづ)けを賜ったという巫女がやって来た。何でも、皇帝の子息である皇子が、タケルを所望したのだと云う。神殿からの遣いの者が、巫殿の入り口で待っているとの事だった。

 まだ十二歳だという皇子は、同じ年頃のタケルに興味を持ったのだろう。

 タケルを連れた遣いの一行は、昨日と同じ通路を通り、巫殿から神殿へと向かった。昨日はあれ程長く感じられたこの通路も、今朝はそれ程苦にならなかった。

 幾つもの階段を登り、一行は皇子の部屋のある最上階まで辿り着いた。遣いの者が、美しい木目の扉を叩く。特に華やかな装飾もない、普通の扉。


「皇子様、タケル様をお連れいたしました」


 少しの間があって、扉の向こうから聲が返った。


「ご苦労だった。後の者は皆、下がれ」


「承知いたしました」


 タケルに軽くこうべを垂れ、遣いの者は足早に去っていった。

 扉の前に一人残されたタケルは、どうしてよいのか判らず只立ち尽くしていた。


「どうした、入ってこい」 


 業を煮やしたのか、少し荒い皇子の聲が扉越しに響く。

 タケルは、遠慮勝ちに扉を開いた。同じ年頃とはいっても、相手は皇子だ。どう対応してよいか、戸惑いがあった。


 ゆっくりと、開いた扉から中の様子を覗く。

 そこは広く、鮮やかな部屋だった。

 純白の大きな寝台、幾つもの引き出しの付いた衣装入れ、壁にかけられた姿見。床は一面に紅の敷物が敷き詰められ、その先には遥か空の向こうまで見渡せる、開かれた露台の窓があった。

 柔らかな風と光が射し込む明るい部屋は、タケルに宛がわれた部屋とはまるで対照的な造りだった。

 その露台の窓の前に、皇子は居た。

 陽の光を背に受け、タケルの方を向いて立っている。皇子の漆黒の長い髪が、風に煽られた。

 女人のように端整な面差し、白い肌。

 赤い大きな眼が、鋭くタケルを見据える。


 その顔に、タケルははっとした。

 それは山で出会い、タケルに剣を振りかざしてきた、あの少年だった。

 

 

                             

 

  



 

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