第2章 侵攻作戦②
第2章⑤「近衛兵と陸軍省」
エリザベス王国首都:第1近衛歩兵連隊
首都の中心に位置する城塞に駐留して、君主の居城を守護するのは、最精鋭の第1近衛歩兵連隊である。
平時に於いては、12個近衛歩兵連隊が編制されており、バッテンベルク公領を始めとする君主の直轄領に分散配備されている。
近衛兵は、家柄が良好である貴族・騎士か、陸軍に15年以上在籍している軍人が選抜される。近衛兵の殆どが士官又は下士官であり、兵卒は補助兵のみである。
近衛兵は全て職業軍人であり、兵卒の機能を代替する補助兵はエリザベス王国の植民地兵や異民族で構成されている。
首都の市民が暴発した際の盾になる為に、外国人兵士も多く雇用されていた。自国民、それも平民同士で戦闘すれば内通するのではないかという危機感と、だからと言って、膨大な兵力を全ての名門貴族だけで独占するのは不可能だからである。
爵位を持つ貴族は600人程しかおらず、爵位を持たない下級貴族は、数万人程度である。それら全てが軍務に就く訳ではなく、官僚や裁判官あるいは植民地経営の尖兵として働いていた。
妥協として、富裕市民や都市貴族にも門戸を広げたのだった。更に、愛国心と忠誠心に富んだ老兵を下士官として部隊の中核に置くことで、近衛連隊としての一応の完成をみたのである。
第1近衛歩兵連隊長(陸軍大佐)は、第8師団の第25歩兵連隊長として国内の異民族討伐に従事し、その功績が評価され、陸軍司令部が推挙し、君主から連隊旗を授与された。
その折、騎士としても叙任されたから、彼は平民と貴族の中間に位置する準貴族に身分を変えた。
尤も、準貴族と言っても、その待遇と地位は様々で、大貴族に匹敵する権勢を振るう者もいれば、日々の生活に苦しむ貧乏騎士も大勢いる。結局のところ、自らの才覚と実家の権威がものを言うのである。
連隊長は、庶民出身で実家の家柄や伝統というものは全くなかったが、それでも軍務に精進してここまで出世したのである。
同連隊が、君主に侍り奉ることから、儀仗隊も兼ね、その連隊長には、時の政権の首長たる大法官又は陸軍大臣の親族が推薦されることが多いが、彼は自らの才覚を以て最精鋭の歩兵将校として抜擢された。
連隊長は、君主に侍りながら第9近衛擲弾兵連隊の連隊旗授与式を見物していた。君主と臣下が忠誠心を確認する感動的な場面である。
実に下らない。反吐が出る。それでも、感情を噯にも出さず、淡々と業務をこなしていた。連中は何の役にも立たないだろう。結局、我らの連隊が出る他ない。
だが、侵攻軍に対して近衛兵の兵力があまりにも少ないのが気掛かりである。衛戍軍が防御に務めているが、それは侵攻軍が首都の完全な占領を企図している訳でも無く、積極的な攻撃をするのでもないからこそ成立する防御でしかない。
勿論、優勢な火力を有する敵軍に対して衛戍軍は良く持久しているが。それでも、前線が崩壊するのは時間の問題だろう。
報告によると、敵が使用する武器類はこちらを圧倒的に上回る火力と連射性を備えていた。こちらが一発の銃弾を撃つ間に敵軍は数百発の銃弾を浴びせるのだ。
マスケット連隊とライフル連隊の戦闘力を比較することは酷であるが、それでも比較するとすれば、1個軍団40,000人を以て包囲したとしても1個ライフル連隊3,000人の攻撃を耐えられないであろう。行き着く先は国家の死である。
そうなれば、自分と連隊も国家と共に死ぬのだろうか。仮に首都を占領されたとしても、君主とその一族が国内外に退避することで防衛の時間を稼ぐことはできるだろうが、どうやら我が主君は、侵攻軍を前にして逃げるつもりはない様だ。
ここで、首都を放棄すれば、二度と戻ることは叶わないだろう。それは、陸軍が首都を奪還しても、彼らがその忠誠心と愛国心を君主に向けるかどうかは疑問の余地があるからである。
一体どこに、自国を見捨てた君主を元首として崇める軍人がいるというのか。その点、退役軍人である君主は理解していたのである。
ここで引いては、中央集権・絶対王政への道は閉ざされると。平民達に革命を起こさせる口実を与えるだけだと理解していた。
軍事学的には一度退避した方が良いのかもしれない。しかし、この国の政治情勢がそれを許さないのである。
何よりも、首都から逃げ出した貴族・官僚とは違うというところを見せ付けねばなるまい。君主は、政治的に自縄自縛に陥っているのだ。
君主に侍る近衛兵の第一人者たる連隊長にしても他人事ではない。主君の人生が懸かっているということは、己の人生も懸かっている。
そろそろ、自分も身の振り方を決める時だろう。例えば、ここにいる君主と王侯貴族を弑逆して侵攻軍に差し出すという手もあるし、何なら自身が新しい玉座に座るということもあり得る。
何れにしろ、城塞内で最大の武力を持つ自分が、いつでも国家の権力中枢を制圧し、掌握できるのである。殆どの大臣・高官・裁判官はこの城塞に参内していた。
即ち、この城塞こそ現在の中央政府に他ならない。その城塞の主がこの国の主なのだ。敢えて玉座を要求せず、新政府や新国軍の将軍ポストを交換するのも良いかもしれない。
連隊長は、この戦争によって得られる果実を最大化しようと企んだ。図らずも、首都防衛を任された3人の指揮官は、国家というカードを弄んだ。
手慰みにいじられた国家の行く末は、この3人が握ったのだろうか。それとも、侵攻軍が依然として主導権を握っているのか。
どちらにせよ、エリザベス王国の未来は険しいものになるだろう。その未来を明るくする為に、大勢の命を捧げる必要があるだろう。歴史に分岐点なるものがあるとしたら、今この時なのかもしれなかった。
※※
エリザベス王国北西部:第51農騎兵連隊
農騎兵は、平時に於いては農業に従事し、戦時に於いては騎兵に変身する予備役の一種である。その起源については、同国の歴史学者の間で議論がある。
没落貴族が、君主の恩情によって与えられた土地を耕し、君主の危機に際して恩義に報いる為に騎乗して救援に駆け付けた伝説を制度化したものだとする説と騎乗戦闘が得意な異民族の農民の制度を取り入れた説などが議論されているが、通説は前者の学説を支持していた。
その方が見栄えが良く格好良いからである。それ以外の理由は特にない。歴史学を事実の解明だとする一派は後者の学説を支持していたが、少数派に留まった。
第51農騎兵連隊は、前述の伝説と歴史を負う由緒正しき農民の組織である。彼らの起源は定かでなく、彼ら自身、血統が優れているとは思っていないが、それでも、有事にあって首都郊外の防衛を担う誇りは持ち合わせていた。
平民でありながら、騎士と同様に紋章を持ち、それも君主から直接に授与されたエスカッシャン(騎士の家門と名誉を表わす盾型の紋章)を装備して戦場を駆けることを勅許された半農半軍の戦闘組織である。
農騎兵のそれぞれが自作農であり、広大な耕作地を封じられていた。没落貴族や貧乏騎士よりも裕福であるとさえ言える。贅沢な生活を送れる程の余裕がある訳ではないが、食い扶持と職に困らないだけの財産は蓄財していた。
彼らの生活水準と人生への満足度を考えれば、同国で最も充実した人生を送っているのは彼ら農騎兵なのかもしれない。
貴族は権力闘争に明け暮れて、没落する恐怖に怯え、騎士は軍務と公職に就けず、生活苦・借金苦となり、平民は常に生命と職の危機に瀕している。
それを踏まえれば、農騎兵は、戦闘不能に陥っても自身の荘園があるし、常に戦争に駆り出されるという訳でもなかったから、この時代にあって幸福に暮らせる、数少ない存在である。首都城塞に鎮座する君主から、彼らに招集の通達が届いたのは、実に数十年振りのことであった。
※※
エリザベス王国首都:陸軍省
王国陸軍は、総兵力900,000人・60個師団を誇る、周辺地域の大国と比較しても遜色のない陸上戦力を抱えていた。海軍国家でありながら、陸軍も重視するのは、度重なる残虐な内戦を経た結果だった。
貴族同士・王族同士の私戦が頻発することが常であった同国の歴史に終止符を打つべく、バッテンベルク王朝の開祖が、討伐した貴族領・教会領に治安維持の名目で陸軍を派遣し、その派遣部隊が常備軍として駐留する様になったのである。
勿論、国内の軍事組織を統一する試みは、中央集権化に向けた政策の一部である。
60個師団の内、半数以上の師団は南部・東部に配備されていた。未だに異民族が暮らし、王国政府の統治を受け入れていない少数部族が多く、その部族達は現在でも中央政府に対する反抗心が旺盛であった。
異民族の中にはエリザベス王国政府の統治を受け入れている少数派もいるが、その少数派にしても形式上の支配関係に留まり、事実上は自治領の地位を獲得していた。
中央政府としてもその様な少数派の態度に対して四苦八苦していたが、異民族の分断を図る為に妥協した。親王国派の部族の中には、その立場を最大限利用し、周辺部族を侵略し、併合して自治領を拡大した油断ならない連中が多い。
味方であっても信用できないのが辛いところである。陸軍大臣である侯爵元帥は、陸軍司令官(元帥)及び陸軍次官(中将)からの報告を受けていた。
「第9・10・11師団を糾合した第21軍団が、首都への北上の為に、郊外の平原に簡易陣地の築城を開始したとのことです。海軍の艦隊も出航準備が整い次第、順次、予定海域に展開すると海軍省から連絡を受けました。
陸軍は、衛戍軍・第1近衛歩兵連隊・第21軍団を中核とした首都防衛軍を編成、指揮官に衛戍軍司令官を充てます。更に近隣の予備役部隊を動員、第51農騎兵連隊にも招集を掛けます。
予備として、第25師団・第26師団・第27師団・第28師団の4個師団を待機させます。その他の師団は、異民族へと牽制と現地の治安維持の為に残置します」
「防衛軍の規模としては些か大きすぎないかね?第21軍団でも多いくらいだと言うのに。その上、農騎兵まで動員するだと?そうまでして対応する敵とは思えないが」
「勿論、将兵の能力を疑っている訳ではありませんが、首都という国家の象徴を攻撃された以上、相応以上の兵力を以て制圧することが、周辺の列強諸国にも我が軍は不滅であることを示す絶好の機会でしょう。海軍に植民地戦争の主役を奪われた以上、国防を以てその武威を轟かせるべきです」
「そうだな…海軍の体たらくを払拭する為にも我ら陸軍が軍人の何たるかを示威する必要がある。全ての予備役に動員を掛けて、陸軍の影響力を見せるべきか。国庫に負担を掛けるが、止むを得まい」
「では、農騎兵や貴族・教会の軍隊も招集しますか?」
「当然だ。もし、拒否する様ならば、軍法会議で死刑だ」
陸軍大臣は冗談交じりに死刑を持ち出したが、招集令を拒否すれば貴族と教会を駆逐する口実として実際に銃殺刑を敢行する実績が大臣にはあった。
彼が現役軍人であった頃、貴族・教会勢力との紛争が絶えなかったが、強権と武力を以て鎮圧したのが彼であった。今でも大臣は、貴族・聖職者に恐れられている将軍の一人である。
自身が名門貴族でありながら、その銃剣を支配階級に向けることを一切躊躇しない性格である大臣は、彼の実家と出身家門からも恐怖の的である。
いつ、自身に大臣の銃剣が突き付けられるのか、親族という近い関係だからこそ裏切りと粛清を極度に恐れていた。彼自身は、そんな実家と家門も軽蔑しつつ、粛清を楽しんでいる節があるが。
「楽しみだな。どの貴族と教会が反抗するのか。今のうちに、銃殺執行のイベント告知とチケットの販売をしなければ。今度はどの諸侯を死刑場に案内しようか」
そう言うと、彼は次に殺す貴族と聖職者のリストを思い浮かべて笑みを深めた。これだから軍人は辞められない。事実上の予備役軍人であるが、その戦闘意欲は現役軍人に勝るとも劣らない。
銃剣を敵に刺し込む感触を楽しむのは軍人の特権なのだ!どんなに美辞麗句を重ねても、軍人とは戦争用公務員であり、殺人機械でしかない。
国家の暴力を体現するからこそ、冷酷残虐に殺さねばならない。そうしてこそ、国家権力に恐怖という裏付けがなされるのだ。
国家という政治共同体の本質が、敵の排除であるから、軍人がそれを体現することに何の躊躇いがあるというのか。軍人は、暴力と恐怖の装置足り得なければならない。
第2章⑥「大法官」
ヴィクトリア市:第2海兵遠征旅団
港湾に面した豪邸に司令部を移した第2海兵遠征旅団は、作戦計画が策定した通り、港湾部一帯を占領下に置くと、戦闘行動を停止し、防御陣地の構築を開始した。
攻撃から防御に転じたのは、王国軍の軍事行動を分析する為である。異世界の軍隊がどの様な戦略を持ち、どの様な戦術を駆使し、どの様な戦闘ドクトリンを中核に据えているのか、つぶさに観察する為だ。
王国軍が日本軍を図りかねている様に、日本軍も又、敵軍を図りかねている。ある程度は、事前の情報収集によって理解しているものの、戦争機械である軍隊の本領は戦争によって発揮されるから、実際に戦わなければ理解し得ない。
言わば、この作戦そのものが大規模な威力偵察を兼ねている。戦争というものは、複数の目的と機能を兼ねるものだが、ここまで政治目的と軍事目的、更には食料政策や経済政策などの効果も計算に入れることは、日本政府にとってもあまりないことだった。
これまでの、中国・ロシア連邦との戦争は、地域紛争・限定紛争に留まり、お互いの首都や軍事基地を核攻撃するところまではエスカレートしていない。そうなれば、互いに破滅しか待っていないからだが。
湾内に停泊・航行する外国船の存在は無視した。彼らが母国に帰還すれば、首都攻撃の情報をばら撒いてくれるだろうという打算と、軍事的に何ら脅威でないからだ。
日本海軍の水上戦闘艦が第1艦隊を壊滅する様子を目撃したであろう彼らが、こちら側を攻撃するなど自死と変わらないことは理解できるだろう。外国船の群れは、逃げる様に湾外へと繰り出した。
第2駆逐隊が外国船の船上に祝砲を放つと外国船の一団は面から点となり、護送船団方式さえ崩しながら母国へと帰国した。
勿論、海軍軍人によるささやかな嫌がらせである。第1艦隊を撃滅した艦砲が自船に向けられたかと思えば祝砲である。嫌がらせ以外の何物でもない。
実際に首都の防衛部隊と戦闘を開始してみると、どうやら敵軍はマスケットと臼砲などを配備している様だった。近世ヨーロッパ前後の兵器といったところだろうか。
てっきり、ファンタジー世界というから、剣や槍・弓などで武装しているものとばかり考えていたが、どうやら防衛情報局の言う通り、本当に銃砲を運用しているらしい。旅団司令部の面々はあまり防衛情報局(DIA)の情報を信用していなかったが、珍しく的中したことに驚いた。
DIAの連中ときたら、ヒューミントを疎かにして、イミントやシギントに頼る嫌いがある。自らの足で情報の正確性を担保する努力に乏しい連中である。旅団司令部の参謀達からすれば、現場主義を知らない軍政家組織でしかない。
しかし、その情報源が海兵武装偵察部隊による提供だと知って納得した。フォースリーコンは、何よりも実際に足を運んで自ら確かめることを任務とする。
公式上の任務が威力偵察なのだから当然ではあるが。とりあえず、参謀団は同僚達の成果であることに安堵した。DIAのことは信用ならないが、同じ海兵隊であるフォースリーコンの報告であれば信用できると、そう踏んだのだった。
大量の無人偵察機が展開する中、その無人兵器は動物の形をした超小型の偵察ロボットであった。「アルマジロ」という愛称を与えられた無人偵察ロボットは、王国の権力中枢を偵察するべく同国の首都に放たれた。
アルマジロが侵入したのは、予め無人偵察機で確認された首都の中心部に位置する城塞である。城塞は、君主の居城としての機能と軍事基地の機能を併せ持ち、明らかにその存在が王国の権力中枢であることを伺わせた。アルマジロ達は無人航空機によって投下されると、静かに行動を開始した。
第2海兵遠征旅団が敵軍と戦う途中、何度か向こうから停戦の使者と思しき者が訪れたが全て拒絶した。とりあえず、数時間は戦闘して、敵防衛軍の戦術・思想を研究する為である。
戦術・ドクトリン研究には、防衛省防衛研究所(NIDS)の戦史研究官も参加して、部隊への助言を行っていた。
一通り、エリザベス王国軍の戦術を研究し終えると、徹底して防御に務めた。単に首都を占領するだけならば、すぐにでもできることだが、できるだけ第2海兵遠征旅団が敵軍を引き付けなければならない。A方面軍が企図するのは、王国軍の戦力を集中させて撃破することだからである。
これが架空戦記であれば、包囲撃滅や各個撃破などを狙うのかもしれないが、わざわざ包囲せずとも敵軍を殲滅するだけの火力は有しているし、各個撃破しなければならない程、戦力に開きがある訳でもない。
寧ろ、敵軍が首都に集合してくれた方がありがたい。その間に、他の地域で展開している方面軍の部隊は行動の障害が減るだろう。何よりも、作戦計画で優先されるべきは、穀倉地帯と天然資源地帯の制圧・占領である。
極論を言えば、これらの地域を占領下に置きさえすれば、同国の中央政府を制圧しなくとも良い。勿論、散発的に戦闘が行われる可能性は高いが、自軍の戦闘力が敵軍より優れているのは、第2海兵遠征旅団による大規模な威力偵察が明らかにしたところである。
両軍の戦闘行為が散発的になった頃、敵軍の方向から一人の軍人と軍馬が常足でこちらの検問所へと通じる舗装路を進む様子が報告された。
彼の装飾から恐らく高級軍人であるのは明白で、旅団長としてもこれ以上の戦闘行為は大して意味がない上に、その外国人に興味が沸いた為、司令部を置く豪邸に案内する運びとなった。
しかし、やはりと言うべきか、言語がなかなか通じない。A分遣隊が研究した王国言語の小冊子を参照するが、エルフ村の住人と王国人とでは言語体系が異なる様で、全く通じなかった。
旅団長は改めて外国語研究の重要性を嚙み締めると共に、残された少ない時間を費消する祖国への悲しみが沸いた。
もう少し、時間があれば、そもそもこの様な形での侵略戦争などしなかっただろう。それでも、自分は軍人であるから国家の命令に服さねばならない。
パソコンで日本を紹介する映像を見せた時は、最初は驚いた素振りを見せたものの、食い入る様に視聴していた。これがどの様な影響と効果をもたらすのかは分からないが、それでも、日本国が転移して重大な転機となったのは間違いない。
※※
ヴィクトリア市:大法官府
大法官は、君主の枢密顧問官であり、国璽を掌理し、法律上の訴訟を管轄する首席の閣僚である。現代日本で言えば、首相兼法務大臣兼最高裁判所長官に近い。
教会勢力が興盛を極めた頃は大司教などの聖職者が大法官を務めていたが、バッテンベルク王朝の開祖が教会勢力を駆逐して国教会を設立してからは、その勢力を大きく減退させていた。
当代の大法官を務めるクイーンズベリー大司教は、バッテンベルク王朝の下での久方振りの聖職者として任命された。
最早、教会や修道院には中央政府に対抗するだけの武力を持っていないし、大教会や大修道院の近隣には1個連隊が駐留しているのである。
叛乱を企てれば、陸軍大臣と連隊が喜々として制圧に掛かるだろう。それよりも、国教会に属して俸禄をおとなしく頂く方が無難である。聖職者達はすっかり骨抜きにされていた。
大法官は、貴族・官僚・市民が首都郊外へと逃避する中にあっても、職場を離れなかった。彼女にとっては、聖職以上に公務が全てだからである。元々、孤児として女子修道院の見習い修道女をしていたが、院内に設けられた女子校で学ぶことを認められ、勉学に励んだ。
その甲斐あってか、院内の選挙によって若くして院長に就任した。まだ、うら若い少女が院長に選ばれたことは聖職者の社会でも衝撃を以て伝播した。
彼女は、その才覚を以て女子修道院領の経営を上向かせると、その功績を以てクイーンズベリー大司教座聖堂参事会員に選任された。
大聖堂参事会は、大司教に代わって大聖堂を管理する高位の司祭組織である。その参事会員には、当代を代表する知識人が集結していた。彼女は、その知識人の一員として参加したのだ。
高齢のクイーンズベリー大司教が亡くなると、その後継者が問題となった。大司教が推薦していた大聖堂参事会議長と、彼女を推薦する一派とに分離したのである。
その後継問題に介入したのが、現在の君主であった。彼は、彼女の美しさに魅了されていた。是非とも、自らの妻にしたいとさえ思っていた。
君主は側近に命じると、彼女を大司教にすべく、多数派工作を展開した。圧倒的な財力と情報力を持つ君主が勝利するのは当然のことで、彼女は聖堂参事会員の過半数の賛成により大司教へと選任され、君主がこれを勅許した。
君主は彼女を側に置くことを望んだが、正室や側室として抱えることは臣下からあらぬ疑いを掛けられてしまう。そこで、大司教を大法官に任じ、自らの手元に置いたのだった。
大司教と言えば、教会の最高幹部であるが、実際の業務は大聖堂参事会が処理するから、余暇を取りやすい。大法官に就任するにあたって、時間的な制約は何らない。
制約があるとすれば、女性を最高官職に就けることへの反発であるが、議会の平民勢力と結託して貴族勢力に対抗して、議会の承認も得た。
女性に対する公職の解放は、平民勢力が要求してきたことであり、君主としても特に異論はないからである。
君主としては、仕事をしてくれればそれで良いのである。どの様な身分だとかは関係ないと思っていた。尤も、一応は貴族にも配慮するが。序に、仕事をしてくれる相手が自分の好きな女性であれば、なおのこと文句はない。
女性への公職の解放は、君主の下心と平民勢力の勃興によって、相成った。後世の歴史書には、綺麗な形にされて記述されるだろう。
間違っても、君主の下心とは記述できない。その様な歴史は一部の好事家のみが知っていれば良いことである。
綺麗な金髪を結わえた大法官は、部下から報告を受けていた。
「陛下は、猊下にも参内して欲しいと要求していますが…」
「参内する必要があるのですか?私がすべき公務はつつがなく中央政府と閣僚を統率することです。城塞に赴いてそれができると?実際に業務を行う官僚の大半はまだ官庁街に残っているでしょう」
「ですが、大臣の殆どは自らの執務室でなく城塞に籠っている様ですが。君主と閣僚がいる場所が中央政府ではないでしょうか」
「いいえ。彼らが何を決定できるというのかしら?結局、官僚の指示通りに動いているだけでしょう。例外は、陸軍大臣や海軍大臣ぐらいで殆どの閣僚は自らの血統と家門にかまけている連中でしかない。そんな連中の相手をしているよりも、目前の公務を処理する方が余程、重要ではなくて?」
「それは…仰る通りですが、陛下は大変に猊下を溺愛しておりまして、少しでもご尊顔をお見せすれば、臣下の激励よりも勇気を得るでしょう」
大法官は、隙あらば自身の貞操を狙ってくる君主にうんざりしていた。どうせ、戦争で高まったから女体を求めているだけだ。それならば、正室や愛妾の女で発散すれば良い。あからさまに、溜息を吐いて切り捨てた。
「でしたら、いくらでも妾なり侍女なり高級娼婦なりを呼べば良いでしょう。私が何故、陛下の相手をして、慰み者にならなければいけないのですか?それは私の仕事ではありません。以上」
そう言うと、それ以上の質問を許さず、書類仕事に戻った。
※※
侵攻軍が首都を伺う中にあっても、最低限度の国家機能は維持されていた。港湾部の住民ならともかく内陸部・郊外に近い住民には、敵軍が侵略してきたという実感に乏しいのかもしれない。
敵軍の海兵隊が上陸してきたという話にしても、人伝に聞いた程度であって、実際に見て聞いた訳ではない。その上、戦闘は散発的となり敵軍が首都全域を占領しないことから、牧歌的な雰囲気さえ漂っていた。
首都が港湾部を中心としていた時代ならば、危機感の度合いも違っただろうが、時代の移り変わりと共に、徐々に港湾部から内陸部へと土地を求めた結果、首都には、港湾部・内陸部・郊外という大きく分けて三つの市街が形成された。大都市の中に、更に都市が存在するという印象を受ける。
※※
ヴィクトリア市:大法官裁判所
大法官裁判所は、貴族や平民の請願を審理する場であったが、国家と君主の裁判所としての機能と権限を獲得するに至った。
コモン・ローを基礎とするエリザベス王国法であるが、いわゆる判例法・慣習法の体系であるから、それを補完する法体系が必要であった。
判例法を補完する衡平法は王国で著しく発達し、王国の国民の自由と権利(※この時代の権利とは特権を意味する。現代の普遍的な権利意識・概念とは違うことに注意を要する)を防衛する上で重要な役割を果たした。君主は衡平法の守護者として君主権を拡大する根拠を得た。
元より、司法権を持つ君主であるが、その行使は極めて抑制的で、実際には貴族の上級裁判権によって、君主権が排除されているのが実態であった。
しかし、バッテンベルク王朝の開祖は、この大法官裁判所を存分に活用して、貴族と教会が持つ裁判権を事実上、剥奪した。
形式的には未だに貴族と教会はそれぞれ固有の裁判所を持つが、完全な上訴権を握った大法官裁判所が、一切の法律の紛争に関する終審裁判所としてその権力と権威を主張した。
大法官裁判所には、親裁座が置かれている。親裁座とは、君主の裁判官としての座席である。従って、大法官裁判所は君主権(主権)を構成する司法権そのものを意味し、「裁判所に於ける国王」という法概念を完成させた。大法官裁判所の審理は、君主の名の下に行われるのである。
大法官裁判所がエリザベス王国の中央集権化政策に貢献したと言っても良い。荘園裁判所や教会裁判所の上級審としても審理することで、各地にある独立した裁判権を包摂し、地方裁判所・下級裁判所化させたのである。
彼らが扱うことの出来ない事件は、自治領の管轄事項を除いて殆どない。君主権を盾に、ほぼあらゆる事柄に介入できるのが彼らである。
翻って、大法官の権力の根源とは、君主の顧問官であるということのみならず、国璽の管理と司法権を行使できるからだ。
顧問官として、君主に対する助言権(事実上の命令権にもなる)と国璽の管理によって、勅令・法案・予算案・軍制に対する拒否権を得て(国璽の押印を拒否すること)、大法官裁判所の君主として貴族・聖職者・平民の紛争を解決する権力を結合させることで、事実上の宰相としての地位を獲得した。
君主の臣下として、宮廷序列の一番目に位置する。常に儀礼に於いては、君主の右側に直立するのである。それも王太子や元帥よりも近い距離である。
大法官を務める彼女としては、あまり君主の側にいたいものではない。側に近寄ると、好色そうな視線を投げ掛けられ、くんかくんかと匂いを嗅いでくる変態だからである。
それでも大法官の地位を捨てないのは、女性として位人臣を極めたいという野心があるからに他ならない。聖職が女性に解放された後も、政務官職は依然として男性が独占していたのである。
大法官の職務を全うして歴史に自身の名を刻むのだ。田舎の修道女として一生を終えるつもりはさらさら無かった。
もしかしたら、このどさくさに紛れて女王になることも夢ではない。職務を忠実に遂行しながら、機会を伺えば良い。
第2章⑦「資源に関する中間報告書」
EEZ及び拡大海域の調査掘削に関する中間報告書
経済産業省エネルギー安全保障局
石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)
海洋研究開発機構(JAMSTEC)海底資源研究開発センター
新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)
内務省沿岸警備隊(JCG)
防衛省海軍
①日本国のEEZで確認されていた海底資源の殆どが発見できない。国家転移に伴う現象と推測される。
②拡大海域(調査掘削が可能な海域。領海・EEZよりも更に広大な領域を指す)に於いて、エリザベス王国EEZ内に多数の海底資源が発見された。しかし、安定的に掘削できる技術は確立されていない。
③上記の安定化掘削技術の開発には、5年間を要すると見積もられる。
④現在、割り当てられている予算と人員を大幅に資源開発技術の研究に充てることで、5年間の研究開発期間を1年から半年程度に短縮することも可能。
原子力発電及び核燃料サイクルに関する報告書
経済産業省
環境省原子力規制委員会
防衛省
①現在、原子力発電所の運転に必要なMOX燃料を輸入できていないため、国内の原発は運転停止状態にある。
②資源探索用人工衛星の特殊光解析により、エリザベス王国より西方1,650kmに位置する大陸内陸部にウランなどが大量に存在する可能性が高い。
③国家安全保障会議及び統合参謀本部は新しい戦争計画を策定。内陸部に位置すると思われるB国へ侵攻し、ウランを含む大量のレアアース及びレアメタルの採掘権を確立する。
④核燃料サイクルの維持及び核兵器の効果測定の為に核実験を実施する。核実験を実施し、この世界での科学現象の解明に努める。
食糧増産計画の改正について
農林水産省食料安全保障局
国土交通省不動産局
内務省警備警察局
①我が国の限られた国土を有効活用する為に、超高層建築物による食料生産を実証実験する。
②横の空間でなく縦の空間を活用することで、耕作可能地域の限界を拡大することができる。
③これらの食料生産用高層建築物(食料ビル)は、今後、我が国の食料自給率を充足する上で重要な役割を持つと期待できる。
④食料ビルの建設に必要な土地は、土地収用委員会の決定を得ることなく実施することができる。憲法の緊急権を発動し、私人並びに法人の私権、特に財産権を制限する。
⑤上記の実施に伴い抵抗は警察力を以て排除する。
※※
定例閣議・閣僚懇談会
毎週二回、開催される定例閣議・閣僚懇談会に食料と天然資源に関する報告書が提出された。その報告内容は、全閣僚を落胆させるのに十分だった。
未だに日本国は、生死を彷徨う状態である。議長を務める内閣官房長官が、配布された報告書についての議論を閣僚に促した。
「それでは、皆さんの意見を伺いたいと思います。まずは、経済産業大臣からどうぞ」
「石油も天然ガスも輸入できないとなれば、最早、国内の炭鉱を再開させて、石炭中心の社会経済システムを作るしかないのでは?海底資源の研究開発に莫大な予算と人員を掛ければ研究期間が短縮化されるとあるが、半年以上も待っていられない。
しかも、戦費と食糧費が国家予算の殆どを占める様になっている現状、予算の増額も厳しい。石油や天然ガスを前提としたエネルギー政策を放棄し、新エネルギーや代替エネルギーによるしかない。例えば、先程の石炭や、太陽光発電などの自然エネルギーに頼るしか方法は残されていない」
「既に、石炭に関しては石炭火力発電所で使用されているが、それを拡大するということか?それとも、蒸気機関車でも復活させるとでも?」
「そうだ。我々は、大真面目に蒸気機関車の復活も検討しなければならない。自動車を前提とした社会も変える必要がある」
「ですが、報告書によれば、大陸の内陸部にウランが大量に存在するとか。それならば、原子力エネルギーを中核に据える方が良いのでは?何も石炭や自然エネルギーに頼る必要はない」
「確かに、原子力エネルギーであれば電力を安定供給できるが、それは飽くまでも報告書の内容が正しいことが前提でしょう。最悪の想定に備える為にも、やはりエネルギー政策を180度転換するしかあるまい」
「エネルギー政策の転換が必要なのは認めるが、何も石炭の時代にまで遡らなくとも良いだろう。石炭中心の社会では、環境汚染が心配だ。これを機に、太陽光や風力発電に移行すれば良いのではないか」
「いやいや、自然エネルギーに依存するのは危険でしょう。太陽光発電などのデメリットは、原子力とは異なり安定供給に乏しい。
もし、日本全国で自然エネルギーを強制導入すれば、ドイツ連邦の二の舞を踏みかねない。彼の国は、度重なる電気料金の値上げでエネルギー政策が事実上、崩壊寸前にまで陥ったことを鑑みれば、原子力発電を中核とすべきでは?」
「仮に、大陸でウランが大量に採掘できたとしても、それを安全に輸送できるか?我が国の海軍力でSLOCs(海上交通路)を防衛できるのか?
現在、広大な海洋を哨戒するだけで、我が軍の能力は最大の稼働率を強いられている状態だ。その上、海上護衛作戦を実施するとなるとそれこそ米軍以上の護衛艦を揃える必要がある」
「だったら、領海警備や哨戒活動は、沿岸警備隊にでも任せれば良いでしょう。海軍を完全に外洋海軍化してしまえば良いのでは」
喧々諤々の議論が戦われたが、官房長官は閣議決定が必要な案件の承認を閣僚に求めた。
「それでは、エネルギー政策の転換は保留ということで。次に大陸に対する核実験に関してですが、閣議決定に諮りたいと思います」
格式高い公文書が閣僚に回覧され、国務大臣達は毛筆で署名を回した。
「次に食糧増産計画の改正について議論したいと思います。農林水産大臣、お願いします。」
「国内の休耕地を再開させているが、やはり食料需要に追い付いていない。国民の一部には、家庭菜園で糊口を凌いでいるのが現状だ。遠洋漁業にしても、如何せん燃料が足りない。戦争を開始してから、軍艦に燃料を取られている。
一番大事なのは、食料の確保ではないだろうか。確かに、皆さんが議論する様にエネルギー政策も重要ではあるが、別にそれで国民が死ぬ訳ではない。
しかし、食料不足は国民の死に直結する。それとも、ロシアや中国の様に餓死政策を採るのか?我が国が民主政国家である以上、それだけは避けなければならない。我々の最優先順位とは何か?それは食料政策だろう。それを良く踏まえた上での議論を期待する」
農林水産大臣は、戦争政策やエネルギー政策を議論する他の閣僚を冷眼していた。いくら、戦争に勝とうが、天然資源を発見しようが、食料がなければどうにもならない。
そんなことも分からないのかと、冷ややかに議論の推移を見守っていた。農水大臣に叱られた経済産業大臣と防衛大臣は、少しばかり居心地が悪そうだった。
今や、最重要の閣僚は財務大臣や経済産業大臣でなく農水大臣である。政権与党内の発言力は、首相の次に高い。首相権限順位(臨時代理の指定)では高くないが、事実上の副首相格と言える。副総理である財務大臣の発言力は、大きく低下していた。経済産業大臣が応じた。
「勿論、○○先生(農水大臣)が仰る様に、食料の確保が最も重要であることに異論はありません。ですが、エリザベス王国のベータ区域を占領下に置いたことにより、少しは増産計画に寄与するのでは?」
「ベータ区域とエリザベス王国の穀倉地帯の制圧はありがたいが、中長期的な生産活動であって、短期間に生産できる訳でもない。農水省としては、今後も国内の生産を重視することに変わりはない。 それから、報告書にも記したが、耕作可能地域を確保する為に、高層建築物を建設・借家して農場化・畜産化する計画もすでに開始させている。
遺伝子組み換えとICTによって、最適な農畜業を管理することができる。経済活動が低迷している大企業・中堅企業のビルを強制的に取り上げて生産することも考えている」
「その企業のビルを借用することですが、主要な経済団体からは反対意見もある様です。経産省にも農水省に対するクレームが来ているのですが?」
「だからどうした?農水省は食料を増産する為ならば、あらゆる手段を取る。反対するならば、刑務所にでもぶち込めば良い。国家の緊急事態にあって、政府に協力しない国民と企業は必要ない。勝手に野垂れ死ねば良い」
農水大臣の発言は暴言ではあるが、農水省の置かれた状況を考えれば仕方のないことである。彼らは、国家公務員として、それこそ命を削って食料の確保に奔走していた。日本で餓死者が未だに発生していないのも、農水省が配給をコントロールしているからである。
※※
大戦洋:第86任務部隊(指揮・揚陸)
洋上に展開する強化型遠征打撃群(第86任務部隊)は、指揮揚陸艦を中核として強襲揚陸艦・輸送艦・揚陸艦・補給艦・ミサイル駆逐艦・原子力潜水艦などを随伴させている。
指揮揚陸艦には、A方面軍最高司令部が防衛省・市ヶ谷から場所を移して活動していた。この艦艇からエリザベス王国に対する侵攻の作戦指揮を行う。
指揮揚陸艦は、大幅にC4I能力を強化された艦艇で、多数の電波関連設備を備えていた。自衛用のSeaRAM近接防空ミサイルシステムと重機関銃を除けば、武装は殆どない。
強化型遠征打撃群は、原子力空母を保有していない日本国にとって、コンパクトな空母打撃群としても使用できる使い勝手の良い軍事オプションである。
そもそも、原子力空母を10隻以上運用する米国の軍事費が異常なのだ。毎年、70兆円程度を軍事費に費やすのは、いくら日本国でも難しい。
日本の国家予算(一般会計)は毎年100兆円程度だが、その中で最も歳出を誇るのは30兆円以上を支出する社会保障費である。防衛費は、25兆円程度で二番目に位置する(※現実世界の日本は、5兆円前後)。
仮に、米国並みの軍事力を整備するのならば、国家予算の全てを投入する覚悟がなければならないが、近代国家が最小国家でもない以上、それ以外の歳出が増えるのは止むを得ない。
日本政府は、費用と効率性を考えて、正規空母の保有を諦め、中型空母としても使用できる強襲揚陸艦の確保を選択した。中国海軍やロシア海軍の空母に対抗するには、正規空母は不要という判断も働いた。
A方面軍が少し意外だったことは、第2海兵遠征旅団による敵軍の戦力誘引が思う様にいっていないことである。
作戦計画では、各地に張り付けた師団を動かして首都防衛に増派するものとみていたが、王国政府は、近隣の部隊を動かしただけに留まり、遠方の部隊を動かしていない。
作戦計画通りに全てが進むなど思っていなかったが、それでも相手が存在する戦争というもののもどかしさを抱かずにはいられなかった。
これ以上、戦力誘引の効果が薄ければ、完全な首都の制圧も視野に入れる必要があるだろう。エリザベス王国と日本国とでは軍事力が隔絶している為に、戦争に勝利することそのものは容易い。
しかし、それを政治的勝利に繋げられるかどうかは、方面軍最高司令官の軍事能力と内閣の政治能力に依存している。どれだけ、軍事技術や戦略が発展しようとも、結局は政軍関係に綻びが生じれば戦争計画は破綻する。
イラク戦争に於ける米国政府と米軍の対立がそうであった様に、常に政権と軍部の協調なくして如何なる軍隊もその能力を発揮し得ない。
イラク戦争の戦争指導は最悪と言っても良い。シビリアンコントロールが逆機能に陥り、時の政権に阿ることなく諫言した陸軍参謀総長を更迭して、イラク戦争に踏み切ったが、結局、陸軍大将の諫言と予測が正しかったのだ。
政治家は、確かに軍人をコントロールするべきだが、それは軍人を無視して良いという意味ではない。彼らのプロフェッショナルな意見を取り込みながら意思決定を下さなければならない。
そして、軍人の側も政権に意見する勇気がなければならない。残念ながら、どんなに健全な組織でも起こり得ることである。
第2章⑧「王女大佐と機械化師団」
エリザベス王国北西部:A方面軍:第31歩兵師団・第35歩兵師団
第2海兵遠征旅団が首都に上陸して、敵戦力の誘引と威力偵察を兼ねた戦闘を開始したが、A方面軍が策定した作戦計画が予定していた大規模な戦力誘引は失敗した。
敵軍に大規模な動員を掛けさせることには成功したものの、殆どの動員部隊は待機状態にあり、首都近隣に配備された師団の動員と展開を誘導するに留まった。
方面軍最高司令部は、作戦計画を修正し、予備案を採用した。即ち、2個歩兵師団を北西部に上陸させて、首都を半包囲下に置くと共に、首都郊外に広がる穀倉地帯(アルファ区域)の制圧を命じた。併せて、敵軍増派部隊も捕捉撃滅する。
軍事海上輸送司令部によって、いくつもの輸送艦・揚陸艦に分乗しながらも第31歩兵師団及び第35歩兵師団は北西部を挟み込む様に上陸した。
第31歩兵師団がアルファ区域の占領を担い、第35歩兵師団が、首都からの退路を断ち、増派部隊を撃破する。両師団は、機械化歩兵師団であり、優れた戦術機動性を期待されて投入された。
不整地能力・火力という点では機甲師団に劣るが、それでも1個機甲師団を新設するのに9,000億円近く掛かることを踏まえればその三分の一程度の費用で設立できる機械化歩兵師団は赤字財政の日本にとっては財布に優しい。
機甲師団の一部を代替するものとして、非常に重宝されていた。5個機甲師団の内、2個機甲師団を予備役として、その浮いた税金を6個機械化歩兵師団の整備に充てたのである。
制服組と軍事専門家からの反対の声は根強かったが、それでも悪化する財政の前に防衛費も聖域ではなく、泣く泣く機甲部隊を削減した。
現在は、戦時体制下にあり、順次、予備役の動員と復活が行われている為、倉庫に保管されていた2個機甲師団の装備品を取り出し、戦力錬成が行われている。近い内に、現役に復帰して戦場を疾駆することだろう。
※※
エリザベス王国北西部:アルファ区域(同国最大の平原・穀倉地帯)
第31歩兵師団(機械化)が担当するのは、アルファ区域の占領である。この区域の占領によって、同国最大の穀倉地帯を手中に収めることができる。
第31歩兵師団は、4個機械化旅団・砲兵旅団・兵站旅団・航空旅団の7個旅団24,000人の兵力を擁する。その戦闘力は、米国の機械化師団と同等、陸上自衛隊の1個方面隊(※1個方面隊の兵力は米国陸軍の1個師団に近い)と同等である。
師団は、師団長(陸軍少将)の命令によってアルファ区域までの無停止進撃を開始した。途上にある全てを踏み潰して、走破するのである。
それが、家畜であろうが、人間であろうが関係なく蹂躙し、日本陸軍の武力をエリザベス王国に知らしめる。
戦後の占領統治計画で決定された事項の為にも、徹底的に恐怖の権化とならねばならない。それが却って、戦後の統治を円滑にさせる。政治とは愛情でなく恐怖である。政治を動かす原動力は恐怖なのだ。間違っても愛情などではない。
もっと言えば、この世界に戦争犯罪なるものはない。戦争で略奪することも、非戦闘員を殺傷することも、人体実験をすることも、強姦することも、大量破壊兵器を使用することも全ての戦争が許されるのだ。
特定の人種や民族を皆殺しにしても、それはこの世界に於いては至って普通のことでしかない。今もどこかで戦争が行われ、徹底的な虐殺が行われているのがこの世界である。「武器の間で法律は沈黙する」という法諺通りの世界が実現していた。
※※
エリザベス王国北西部:アグリフォード市
首都の郊外に広がる穀倉地帯に隣接する形で衛星都市が栄えていた。これらの衛星都市は、穀倉地帯にあった農村や田園都市が発展統合する形で自然に形成されていった。
元々は、第一次産業を基幹とする衛星都市であったが、小麦・大麦の先物取引が発達する様になると、先物取引所が設置され、徐々に金融都市としての機能も拡大していく。
首都の食料生産基地であった衛星都市は、次第にその性格を変え、商業・金融業の拠点としても栄えたのである。今や、第二都市・第三都市などの座を他の地方都市から奪い、首都大都市圏を構成する。
衛星都市の中で最も人口が多い、即ち同国第二の都市であるアグリフォード市は、前述の通り、同国有数の商業・金融都市でもある。
君主から都市特権を獲得し、市参事会と都市貴族が自治を敷く。彼らは、エリザベス法とは異なる独自の都市法を持ち、独自の裁判所・警備隊(都市警察)を設置している。
この衛星都市の衛星都市群は、アグリフォード市の都市法を法継受し、同市の裁判所を首座法廷とした都市法域を形成している。
第31歩兵師団は、アルファ区域までの道程を無停止進撃していた。その道中、いくつもの村落や隊商を踏み潰しながら、先へと進む。
※※
エリザベス王国北西部:第3近衛騎兵連隊
第3近衛騎兵連隊は、平原に寄り添う様な形で置かれた君主の荘園に駐留していた。荘園には、軍馬を飼育する牧草地が広がり、騎兵連隊を養うには絶好の土地である。
近衛騎兵が異変を察知したのは、彼らの愛馬の様子がおかしく、その様子を伺う為に厩舎へと出向いた時のことである。
連隊の関係者しか出入りしないはずの荘園に大量の箱型の物体が通過していた。それらの物体群は、騎兵連隊の存在を無視して道を進んでいた。近衛騎兵は、直ぐに連隊司令部へと戻り、彼らの上司である連隊長・副連隊長・大隊長へと報告した。
部下達の報告を受けた連隊長は即断した。連隊長を務める彼女、王女陸軍大佐は、この荘園の代官であり、駐留する騎兵連隊の主人である。
実際の指揮統制は、彼女の侍従武官である陸軍中佐が兼ねる副連隊長が執る。君主の直轄領・荘園に配備された近衛連隊は、王族士官にも与えられており、王族として必要な軍役を積むべく、それぞれ任地を下賜されていた。
王族達は、それらの軍役や大使など役職によって得られる俸禄を王族手当の代替としている。議会が設立されてからというもの、王族に支給されていた手当に厳しい視線が向けられており、血税を無駄遣いした王族が議会の貴族・平民勢力の双方から吊し上げられたこともある。
事態を重く見た君主は、王族に公職を与えて、それを王族手当の代償措置とした。結果として、優秀な軍事能力・政治能力を持つ王族を輩出しやすくなったことで、却って王権による中央集権化が加速したのだが。
王女大佐は、その見た目からは想像できない低い声で集合を掛けた。副連隊長が常に寄り添いながら、彼女を補佐する。
「わたくしが預かる荘園に不埒者が入り込んだ様です。貴方達は、これを追跡し、攻撃姿勢を見せたのならば、撃滅する様に」
「大佐殿下の命令通り、我々は、不明物体群への監視と追跡、警告を行う。即応態勢にある第2騎兵大隊を動かす。5分以内に準備し、出撃せよ。以上」
王女大佐の命令を補完する形で副連隊長が、第2騎兵大隊長以下士官らに出撃準備を命じた。
第3近衛騎兵連隊は、4個騎兵大隊と2個厩舎大隊・1個補給大隊の合計7個大隊からなる。騎兵大隊が主力の戦闘大隊であるのは言うまでもないが、厩舎大隊という後方部隊がこの部隊の性格を表わしていた。
厩舎大隊とは、厩舎の管理・軍馬の飼育・飼葉の生産などを一手に引き受ける極めて重要な部隊であり、彼らの支援によって騎兵大隊を稼働することが出来る。
騎兵連隊の戦闘能力を維持させる上で、なくてはならない部隊であるが故に、連隊内での影響力は非常に高い。彼ら厩舎大隊が頷かなければ、何も物事は動かないのである。
それを知らない新人の騎兵少尉が厩舎大隊の下士官に横柄な態度を取って、何週間も軍馬の貸与を拒否されるなど、士官であっても気を遣う職人組織である。
第1厩舎大隊が即応態勢に移していた第2騎兵大隊に軍馬と馬具を支給すると、即座に第2騎兵大隊が牧草地を駆け抜けた。彼らにとっては、この牧草地帯は自らの庭であり、それを荒らす者に容赦を掛ける理由など無かった。
第2騎兵大隊が駈足(分速340m)で、荘園に侵入した、ならず者共を捕捉した。その箱型の所属不明部隊を目視すると、数千台の装甲車輛が楔形隊形を維持して荘園を横切っていた。
第31歩兵師団は、戦車大隊と航空旅団を先頭とし、右翼・中央・左翼に機械化歩兵大隊が展開していた。自走榴弾砲大隊・野戦砲兵大隊などの砲兵旅団・兵站旅団が楔形の後方で守備されながら進む。
第2騎兵大隊が出現したことは、第31歩兵師団のRSTA偵察大隊と航空旅団も捕捉していた。しかし、軍事的な脅威度は極めて低く、師団長としては、攻撃してこない限りは、第2騎兵大隊の存在を無視することにした。
何よりも、彼らに課された任務とは、穀倉地帯の制圧である。その障害となるのならば、排除することに何ら躊躇いは無いが、ここで要らぬ時間を浪費する必要もない。時代遅れの騎兵など、装甲車輛の機銃掃射によって殲滅できる程度でしかない。
第2騎兵大隊が機械化部隊を追跡し、警告する様に並走するが、所属不明部隊は依然として騎兵大隊の存在を無視して横断していた。そもそも、人間が乗車しているのか、人間が作った物なのか、それすらも不明であった。
もしかしたら、異民族の馬車か何かなのかもしれないが、この周辺は既に平定されていて、異民族や少数部族は、王国人と完全に同化していた。
最早、言語や肌の色の違いは殆どない。違いあるとすれば、先祖代々続く文化や慣習程度である。
そうであるならば、この不明な連中は何だというのか。敵国の部隊であるならば、首都に現れたらしいが、それがこの地域にも進出してきたということなのだろうか。全く情報の無い中、それでも騎兵大隊は捕捉し続けていた。
結局、第2騎兵大隊は所属不明部隊の捕捉をするに終わり、その部隊が荘園から出ると彼らも追跡を停止して、帰還した。
そのことを連隊長以下連隊士官らに報告すると、皆、不思議そうに首を傾げた。その仕草は、年頃の少女である王女大佐には大層相応しいものだったが。
「不明の物体群は、一体何がしたかったのでしょうか?」
王女大佐が副連隊長と連隊士官らに質問するが、芳しい答えは返ってこない。相手方の目的も所属も何もかもが分からないのである。質問に窮するのも無理はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。