第4章 王国の権威



第4章①「戒厳令」



エリザベス政府:戒厳令の布告



①君主は、首都の全域に戒厳令を布告する。


②戒厳令は、陸軍大臣が執行する。


③戒厳令の期限は、布告から三月とする。


④この戒厳令は、大法官の国璽押印によって公布・施行される。



 戒厳令の布告は、バッテンベルク城塞・官庁街・中央広場など、首都の主要な機関に貼り付けられた。勅令集には、併せて大法官の国璽と紋章が刻印された。



 外国軍隊との戦争から、数週間が過ぎた頃、ようやく緊急権制度を発動した。これには、君主・陸軍大臣と大法官・議会の政治的な駆け引きが原因で、大法官は国璽管理人としての立場を主張し、議会は市民の私権制限に難色を示したからだ。



 結局、君主と陸軍大臣は、これらの反対勢力に妥協し、大法官の許可と議会の協賛によって、戒厳令を布告する運びとなった。首都の中心に広がる中央広場や、あちこちの広場では、市民が大勢、集まっていた。集まった市民らに対して、君主の布告官は高らかに、あるいは厳かに宣告した。



「本日を以て、陛下、大法官・大司教猊下、陸軍大臣・侯爵元帥閣下、議長・大公殿下の連名によって、戒厳令が布告された!!


 戒厳令は、本日から数えて三月の間、効力を持つ!!戒厳令の執行は、陸軍大臣が行う!!戒厳令の執行に伴い、諸君ら市民の私権と財産権は制限されるが、大法官と議会の要請によって、出来る限り、市民権の侵害はしない!!諸君らは、戒厳司令官及び戒厳軍隊に良く協力されたい!!」



 首都のあちこちでこうした風景が繰り返されていた。布告官は、言いたいことだけを言うとそそくさと、持ち場を離れて次の場所へと赴いた。



 市民に疑問を挟む余地を与えない為であるし、首都の全域に通達し得る程の布告官の人数を確保できなかったという側面もある。



 本来、布告官に選出される様な宮廷貴族達は、市民の怒りを買うことを恐れて城塞から出ることを拒否した。仕方がないので、官庁街の暇人達を招集して、布告官の代替とした。



 尤も、この有事にあって官庁街は不夜城と化しており、暇人の官僚とは閑職に追いやられた官僚達であるが。



 いささか、戒厳令の発効は遅過ぎた感が否めないが、それでも無いよりはましだろう。ヴィクトリア市はようやく、法律的にも有事に突入した。



 第1~3義勇歩兵連隊は、侵攻軍との戦闘によって壊滅したが、再び首都郊外の外国人・異民族を徴兵して、兵力を補充した。



 これは、自国民からなる義勇兵が士気と軍紀という点で信用できないからである。自国民の兵士よりも、外国人・異民族の兵士を信じるというのは、皮肉ではあるが、それでも、彼らの献身に頼る他なかった。戒厳令が即座に布告されていれば、この様な事態は防げたかもしれない。



 外国人・異民族が中心の義勇兵は、自国民の不法行為・不良行為を鎮圧する為に、駆り出される様になった。既に、近衛竜騎兵が法執行能力を喪失させているから、その代替である。



 首都の治安維持を外国人らに依存するなど、正気の沙汰ではないが、例外状態に於いては、そうした「異常」が正常化され得る。中央政府は、書面と口頭にて、彼ら外国人兵に市民権の付与を契約して、その場を凌いでいた。



※※



ヴィクトリア市:第1近衛義勇兵旅団



 3個義勇歩兵連隊を以て、第1近衛義勇兵旅団を編成し、戒厳司令官の命令によって、躊躇なく不良義勇兵どもを鎮圧していった。



 それは最早、警察力の行使でなく、軍事力の行使そのものだった。機能不全に陥った第1近衛竜騎兵連隊6,000人に代わって、3個義勇歩兵連隊9,000人が第二次・第三次防衛線に配備された義勇歩兵連隊(事実上は旅団)を背後から圧力を掛けていた。



 言わば、督戦隊の役割を担っていた。子孫にも市民権を継承させる為にも、彼らは凄惨な士気と戦闘意欲を発揮した。



 まるで、自分達が、エリザベス王国の国民に成り代わろうとしているかの様に、惨たらしく命令を忠実に実施した。



 そこには、人権なるものは存在しない。兵力で勝る自国民中心の義勇兵は、しかし、士気で勝る外国人・異民族中心の義勇兵に圧倒された。



 いくら兵数が多くとも、戦闘意欲がなければ宝の持ち腐れである。軍隊には、「戦う意思」がなければならない。



 その点、外国人義勇兵は満たし、自国民義勇兵は満たしていなかった。自国を防衛するという基本的な国民の義務を放棄したつけを払ったに過ぎない。



 彼ら近衛義勇兵は、義勇歩兵連隊同士が対立していることを利用して、各個撃破を図った。降伏した連隊や協力・内通した連隊とは、共同で事態に対処した。



 全ての防衛線で義勇兵を鎮圧できた訳ではないが、それでもその効果は絶大であった。中央政府に反抗的だった市民達は、近衛義勇兵を恐れて協力の姿勢を見せ始めた。



 一般市民の脳裏にあるのは、「革命」ではなく、「恐怖」であった。市民革命を志向するよりも、近衛義勇兵に対する恐怖がそれを上回ったのだ。



※※



ヴィクトリア市:第1近衛歩兵連隊



「…状況の変化が激しいな。事の主導権を握る者共が著しく移り変わる。次は誰が主導権を握るのやら」



 連隊長は、隣に佇む准尉にそう問い掛けた。独り言か、そうでないか判別しづらいが、准尉はそれが質問であると看破した。



「つい先程まで、義勇兵共が威張り散らしたかと思えば、今度は外国人・異民族の近衛義勇兵がそれを抑え込むとは…確かに状況が目まぐるしく動いている様ですな。次の主導権は我々が握るか、あるいは陸軍大臣か、それとも侵攻軍が握るのか、分からないのが正直な所でしょう」



「…こうなると、近衛竜騎兵のお手伝いを拒否したのは失敗だったかな?」



「いいえ、失敗とは言い切れないでしょうね。未だに、侵攻軍が優位性を維持している訳ですから。相変わらず、戦場の主導権は外国に抑えられたままでしょう。


 我が軍が秩序を取り戻したとして、それを斟酌する様な敵はいません。つまり、不利であるのは変わらないのです」



 連隊長は、その言葉に溜息を洩らした。外国軍隊のおかげで、我が連隊は息をしている様なものだった。侵略を受け、なおかつ劣勢であるからこそ、通る無理があるに過ぎない。



 何れに、連隊長の反抗も、意味をなさなくなる時が来る。その時はどこだ?最適の機会に最適の武力を以て、事に当たらねばならない。



「このまま、流れに乗って、近衛義勇兵と共に事態の鎮圧を補助すべきか。それとも、最前線へと打って出るか、あるいは城塞と政府機関を制圧すべきか…どちらが良いと思う?」



「…政府機関を制圧することそのものは容易いでしょうね。我々は、城塞と官庁街を抑える要衝に偶々、展開している訳ですから。


 しかし、制圧後を考えれば、その統治が困難であるのは明らか。近衛義勇兵に『叛乱鎮圧』の大義名分を更に与えるだけでしかない。


 もしかしたら、王国人の定義が変わるかもしれません。それこそ、彼ら外国人・異民族が王国の権力中枢に成り代わる可能性も否定はできない。


 一方、義勇歩兵連隊の綱紀粛正を補助するというのは、市民の反発と反感を買うだけでしかない。最初の命令である侵攻軍との交戦は、我が連隊の兵力を悪戯に消耗するだけで、こちらとしては得るものがさしてない。つまり…何もしないのが正解では?」



「何もしないか…それも選択肢の一つだな。確かに、この状況下で戦力を温存するのは、とても貴重だな。いざ、事を起こす為にも」



「まぁ、陛下と閣下は豪く怒るでしょうが」



「いくらでも、怒らせておけば良い。どの道、連中に未来はないのだから」



「本当に良いのですか?大佐の軍政局長への出世が閉ざされても?」



「…この時世に出世してもなぁ。ここまで、戦況が悪化すると、立身出世は寧ろ邪魔でしかない。あわよくば、玉座や大臣もかくやといった感じだったのになぁ。世の中はままならん」



 部下の准尉はにやりと笑った。そこに嘲笑はなく、からかいの類であった。



「大佐が君主や大臣ですか?それは想像できませんね。大佐を国家の主人などにしたら、国家が滅ぶでしょう?」



「…なぁ、この連隊は俺の連隊じゃないのか?どうして、こう反抗的で素直な奴ばかりなのか」



「良かったじゃないですか。余計な面倒を背負わずに済んで。これで良かったのですよ」



「そうだなぁ…このまま、静観するのが正解か。しかし、いつ動くのが正解なのか?ずっとこのままという訳にもいくまい」



「いつ動くべきかの時機は、大佐と連隊の目的にも拠るでしょう。最終的にはどこを目指すのですか?」



 連隊長は准尉の問いかけに唸ると、暫し黙考した。この国難にあって、何を目的とすれば良いのだろうか。



「目的か…国家を救うのが目的か、人民を救うのが目的か、それとも政府を打倒することが目的なのか。あるいは、侵攻軍を迎え撃つか?それは実現可能性が低い…。


 当分の目標は、連隊の保全だが、何れは使わざるを得ないだろう。そうなると、このままの状況が続くことが望ましいな。できるだけ、現状維持というのが目標かな」



「それは、目的なのですか?現状維持の方針は、侵攻軍の出方に大きく依存しますが」



「准尉が言った通りだ。連隊の兵力を温存するのが当分は有効だろう。勿論、防衛線の均衡が崩壊すれば、打って出ることも考えないこともないが」



「確かに何もしないという方針を提言したのは自分ですが、何れは行動する必要があるでしょう。それもしないので?」



「いや、行動はする。但し、それは防衛線の維持に充てる。特に第一次防衛線だ。あの戦線を保持しなければ、我が国は滅びる。


 どうあっても、敵国の手に落ちる。つまり、防衛線の維持を我が連隊が支援する。それが唯一、効果があることだろう」



「結局、侵攻軍と交戦するということですか?それとも兵站の支援に留めるということですか?」



「交戦は可能な限り避ける。できるだけ、自軍の消耗を抑制する為にあらゆることを行う。それには、戦闘支援や後方支援も当然、含まれる。それから、戦闘斥候と夜襲も行う」



「首都防衛軍司令官と第1師団長が認めますかね?あまり近衛連隊との関係が良くないですが」



「仕方ない。今は戦時だ。それだけで事足りる。認めなくとも、既成事実を作れば良い」



「…大佐は、そういうことばかりしているから上層部に睨まれるのでは?」



「確かに、大層嫌われているが、戦功で軍人としての能力を示せば良いだけだろう?事実、近衛連隊の連隊長にまで上り詰めたのだから。存外、上司に嫌われても出世はできる様だぞ?」



「それは、大佐の武功が悪名に勝るからでしょう」



 そう言って准尉は小さく笑った。戦場で扱いづらいこと、この上ない大佐を戦場に赴かないであろう近衛連隊に左遷したのが、実情だろう。それを指摘しないだけの配慮を准尉は持ち合わせていたが。



「城塞に残した部隊もこちらに寄越せ。さぁ、久し振りの戦争だ。大いに楽しもうじゃないか!!」



 連隊長は、バッテンベルク城塞に残した部隊も防衛線に移動する様に命じると、戦支度を始めた。大佐自らも騎兵銃を装備して、階級章以外は一兵卒と何ら変わらない軍装で、連隊本部の幕僚達を集合させた。



※※



ヴィクトリア市:第一次防衛線:第1近衛歩兵連隊



 城塞の留守部隊を動かした第1近衛歩兵連隊は、全ての兵力を第一次防衛線に移した。城塞の警備は、帯剣貴族連中が作った第9近衛擲弾兵連隊がやれば良い。



 侵攻軍との交戦を名目に、城塞の留守部隊までも引っ張り出して、兵力を揃えたのだ。最早、戦線から逃れることはできない。急造の連隊本部を訪れたのは、最前線の指揮官である第1師団長であった。



「少将閣下。我が連隊も侵攻軍を迎え撃ちます。閣下の指揮下に入っても?」



 師団長は諸手を挙げて歓迎した。



「勿論だとも!!ようこそ最前線へ!!さぁ、共に敵と戦おうぞ!!」



「御意。担当区域は如何程に?」



「防衛線の至る所に穴が開いている。貴連隊は、この穴を埋めて欲しい。できるか?」



「できますとも。我が連隊が全力を以て、防衛線の急所を守備します」



「そうかそうか。いや、近衛兵も存外やるではないか」



 師団長のその言葉に連隊長は苦笑した。なるほど、世間の近衛兵に対する世評を思えば、至極当然であった。



「自分は元々、第8師団第25連隊の指揮官です。普通の近衛兵と一緒にしないで頂きたい。軍人である以上、戦うべき時に身命を賭すべきでしょう」



「おぉ、あの陸軍随一の精強さで知られる第8師団の出身か!!それは頼もしいな!」



 師団長は、大袈裟に連隊長の手を握って、ぶんぶんと振り上げた。



「正規兵がとにかく足りないのだ!貴連隊はいつ出撃できる?」



「いつでも、今すぐにでも出撃できます」



「では、敵兵と一戦、交えると良い!!それで侵攻軍が如何様な相手方か理解できるだろう。健闘を祈るぞ」



 営庭に見立てた街の広場に集合した連隊の各員に告げる。これから、ようやく戦を始めるぞ。存分に戦って、武勇を示せ。



第4章②「戦争計画の修正」



日本政府:首相官邸



 少数の重要閣僚と高級軍人・高級官僚らが一室に集合していた。その人数は10人に満たない。話し合われる内容は当然、今次戦争についてである。



 戦争計画を修正した政府上層部は、机に並べられた軍事オプションの選択を、再び迫られていた。それは、敵国の首都に対する処遇であり、敵の権力中枢と中央政府を制圧するか否かである。



 既に、目的である穀倉地帯と天然資源地域の占領は済んでいた。後は、中央政府と各地の地方政府を制圧するのみである。



 しかし、戦争計画の優先順位としては、どうしても劣後する。統治機構を抑えずとも、戦争目的を完遂できなくはないからだ。



 寧ろ、政府の制圧は、無駄な軍事的コストであると主張する声も少なからずあった。この戦争の目的は、飽くまでも、自国の食料政策とエネルギー政策が導いた結果に過ぎない。



 それが満たせるのならば、わざわざ統治機構を温存したり、破壊したりする必要はあるだろうか。軍事力で圧倒している以上、中近東地域に於ける非対称戦争さえ成立し得ないだろうという意見が有力であった。



 しかし、それに反対する意見も勿論あった。彼らの主張は、目的の食料と天然資源をエリザベス王国から輸入(収奪)するに当たっては、同国のインフラを用いることになる。



 従って、インフラを整備する統治機構を制圧することで、より輸送に適した状況を獲得できるのではないかと。



 例えそれが日本政府と日本企業の資本だとしても、同国の交通網を利用することに変わりはない。鉄道を敷き、空港を作り、河川を整備し、港湾を工事するにしても、何れにしろ、安全の為に治安維持がかかせない。



 結局、その費用を払うのは日本政府だ。軍隊が警察を兼ねることだろう。それよりも、さっさと統治機構を制圧して、彼らに警察の負担を押し付ければ良い。そう考える連中も大勢いる。



 軍隊にとって、占領軍政と治安維持は合目的ではない。それは、彼らの本来のあるべき姿に負担を強制するものでしかない。



 軍隊とは外敵に対して戦うのであって、国内の敵と戦うのは警察である。軍隊が警察でもあった時代であれば良い。



 しかし、日本国は現代国家である。国家憲兵隊という軍隊と警察の中間的な存在はあるものの、その区別はしっかりとなされていた。



 大まかに言えば、以下の三つの意見に集約される。



①:占領政策


主要都市・地方都市を制圧し、A方面軍の占領下に置くこと。この目的は、現地政府への負担の委譲と、インフラ・輸送網の保全。総督府の設置に伴う、直接統治の負担をできるだけ軽減したい。現地政府の能力次第では、占領の間接統治も考慮する。



②:敵戦力の破壊


首都を含む主要都市・軍事基地を完全に破壊する。航空戦力とスタンドオフ攻撃(ミサイル攻撃など)によって、速やかに壊滅させる(※場合によってはNBCR兵器の使用を含む)。目的は、敵国の戦争遂行能力を奪い、占領軍に反抗する能力と意思を喪失させること。



③:無視政策


戦争計画の最優先順位である穀倉地帯・天然資源地域の占領を至上として、それ以外を無視する。つまり、首都・主要都市・地方都市・村落などの存在は、占領の障害にならなければ、攻撃する必要も占領下に置く必要もない。寧ろ、それらの労力を既に占領した区域の防衛に回すべき。



これらの意見に対してそれぞれの省庁から反論が加えられた。



「占領政策を採るのならば、その兵力を一体どこから持ってくるのか?A方面軍の兵力で足りるのか極めて疑問だ。広大な面積を誇るこの惑星の例に漏れず、エリザベス王国も十分過ぎる程の領土を維持している。


 つまり、各都市を占領するだけで膨大な兵力を割かねばならない。その様な兵力を維持し得るだけの食料と石油は我が国には無いも同然ではないか?


 だからこそ、戦争をしてでも他国から奪うのだから。そうであるならば、戦争の本来の目的である穀倉地帯と天然資源地域の占領と開発を最優先にすればよろしい。それ以外は、無視して構わない。 そもそも、我が国に王国の全土を支配する国力はない。転移前であれば、まだしも、今はないない尽くしで、他の些事に国力を割り振る余裕などあるだろうか。


 結局の所、戦争遂行能力の観点から、無視せざるを得ないのではないか。この場合、『無視』することが最も、賢明である。


 それによって、我が国は、失った国力を回復する猶予を少しばかり得ることができる。占領政策の施行は、それを待ってからでも遅くはない」



「占領政策を採らず、無視を選択したならば、確かに、戦争目的は達成され得るでしょう。現状、既に資源地域を占領下に置いている以上、殆ど目的は達成されている訳です。


 しかし、そもそも何故、その様な戦争目的を掲げたかと言えば、勿論、我が国の危機的状況を打開する為に他なりません。


 そして、資源地域のみを占領下に置いた所でそれが為されるでしょうか?否と言わざるを得ないでしょう。


 何故なら、それら食料・エネルギー資源を輸送するのには、現地のインフラ整備や輸送網の治安維持を行わなければなりません。


 つまり、どの道、鉄道輸送に頼るのであれ、空路に頼るのであれ、あるいは河川に頼るのであれ、何れにしろ、その安全が保障され得なければ、仮に我が国が完全に同国の資源地域を治めたとしても、それを我が国に運ぶ手段と輸送路がなければ、宝の持ち腐れなのは言うまでもありません」



「占領政策を採っても、現地人を肥えさせるだけではないか?無視を選択しても、相手方から攻撃されれば、防御せざるを得まい。他の二つの意見は、どうにも相手方に期待し過ぎている嫌いがある。 しかし、思い出して欲しいが、近世ヨーロッパの軍隊に近いとは言え、連中は歴として銃と大砲を構えている。


 その次の形態は?更にその次の形態はどうなるだろうか。地球世界の歴史を知る我々だからこそ、それらが時の発明によって塗り替えされてきたのは嫌という程に学んだはずだろう。


 これらが日本国への叛逆の下地とならぬ様に、良くコントロールし、良くシステムを構築すべきではないか?


 王国の軍事基地と主要都市を壊滅させることで、日本政府の権威を保つのだ。連中をのさばらせるよりも、早急に王国を破壊せねばならない。


 仮に、無視あるいは占領をして、各地域に於いて、日本国に対する叛乱が起きたら、どうするのか。その芽を摘む為にも、早期の攻撃が求められる。


 もしかしたら、王国の連中同士で内戦でも始まるかもしれないが、どちらに転んだとしても、輸送と治安維持の障害になり得る」



 黙して耳を傾ける首相は、何れの主張にも一定の合理性を認めた。その上で、彼は自らの政治的利益を加味して、冷徹に利益衡量をした。



 政治家の本質は、権力闘争に他ならないが、高度な価値判断を行う能力もそれに含まれる。非公式の会合ではあるが、この合議体の決定が戦争政策を左右するであろうことは言うまでもない。



 従って、この会合に於いて首相が下した意思決定こそが日本国の意思表示を代表する。



 そもそも、首相が開戦を決意したのは、国内の不平不満を押さえつけて、国家の意思を統一する為であった。



 勿論、食料とエネルギー資源という、資源侵奪の侵略戦争という側面もあるが。政治的な思惑も大きく作用した。もう十分に国内上の政治目的は達成されている。



 国内の反乱分子共は、国家憲兵隊と情報庁が一掃した。右翼・左翼、プロ市民・活動家、その他諸々。政権の敵となり得る者は、悉く排除した。



 疑獄や暗殺も辞さず、徹底して事に当たった。おかげで、国内の政治基盤は堅固である。政権の不祥事程度では到底、覆されない程の政治権力を確立したのだ。



 戦時体制であるからこそ、首相は日本国の独裁官足り得る。このまま、戦時を平時へと移して、果たして自分の権力基盤が崩れるだろうか。



 どの選択肢を採ったとしても、ある程度の結果は得られるだろう。そうであるならば、最早、選択を決するのは多分に政治的利益であった。…首相にとっての政治的利益とは、自らの政治権力の維持という一点に注がれていた。



 しかし、それは他人が非難できるものではない。人間とは、常に己の利益のみに従うのだから。社会利益は幻想でしかない。公益など存在しない。あるとすれば、それは偽善か、あるいは偶然のどちらかだろう。



 もし、このまま戦争を続けるのならば、自己の権力は揺るぎないものになるだろう。何せ、戦時なのだ。



 戦時では、全てが許されるのだ。違法行為が合法であると罷り通るのが、国家の緊急事態である。



 しかし、継戦を選択したとして、国家に待つのは滅びである。既に、資源は枯渇して久しい。いや、無い訳ではないが、潤沢とはとても言い難い。このまま、戦争を続ければ、まず間違いないなく、こちらが滅びかねない。



 だからと言って、敵国の戦争遂行能力を放置するのも危険である。無視政策を採って、結果として、敵国の一部の武装勢力や軍の一部隊が蹶起することも有り得る。



 それに対処して、軍事力を消耗するのならば、継戦とさして違いはない。寧ろ、相手方が統一の指揮命令系統を欠くが故に、戦争が長期化する恐れさえある。それは、短期決戦でなければならない我が国にそぐわない。



 つまり、圧倒的な軍事力を以て、征伐することが正解か、それとも、占領政策を採るべきか。占領政策を採れば、当然、占領統治に大きな費用を払わなければならない。



 それが、直接統治であれ、間接統治であれ。しかし、その費用を負担することで、敗戦国をこちらの意のままにコントロールできる。これは優れて魅力的であった。



 日本国は、先の大戦から数十年を経て、新たに海外の植民地を得るのである。倫理や道徳を考慮しなければ、経済政策上、極めて有利である。



 勿論、安全保障政策上も、物理的な防波堤と橋頭保を得ることができる。しかし、敵国の完全な占領は不可能だろう。それを為すだけの国力は既に失われている。



 異世界転移の以前であればともかく、転移後の傷が癒えていない現状、厳しい。せいぜいが、いくつかの主要都市や軍事基地を占領下に治めるに留まるだろう。



 従って、敵国の戦争遂行能力を破壊することが最も相応しい軍事オプションである。首相は、自身の政治的利益と軍事的利益を比較した上で、そう結論を下した。



 戦争を早期に終らせたところで、彼の政治権力は維持され続ける。戦時でなくとも、現在が緊急事態であるのに変わりはない。



 国会の応答では、事態を治めれば、直ぐにでも政界を引退する旨を宣言したが、勿論、直ぐに権力を手放すつもりなど毛頭も無かった。



 政治家にとって、嘘とは方便であるのだから。誰も彼もが、キンキナトゥスの様に気高くはない。いや、殆どの政治家はその逆であろう。権力とはかくも甘美だった。



「敵国の戦争遂行能力を奪う。各自、戦闘準備に移る様に」



 その一言で十分だった。喧々諤々の議論を続けていた側近達は、静寂さを取り戻し、その意思決定に従った。事前に策定されていた作戦計画を始動させるに過ぎない。



 議論の輪に参加して積極的に口舌を戦わせていた統合参謀総長は、敬礼をして応えてみせた。最高司令官の決定は既に下された。それに従うのが、軍人の義務である。否などない。諫言する段階ではない。実行する段階である。



※※



大戦洋:A方面軍最高司令部



 指揮揚陸艦の内部に設置された司令部の面々に、方面軍最高司令官が告げた。



「首相から、敵国の戦争遂行能力を徹底的に破壊せよとの命令を受けた。我が方面軍は、これを受けて、空爆とミサイル攻撃を用いて任務を完遂する。具体的な作戦計画は、作戦参謀の中将が説明する」



 司令部のパイプ椅子に座る作戦参謀(陸軍中将)が、立ち上がって参謀達を見回した。



「今回の作戦は至ってシンプルだ。空爆とミサイル攻撃を同時且つ縦深的に行う。圧倒的な火力に任せて、都市と基地を破壊する。


 ただそれだけだ。既に、偵察衛星と航空偵察によって、攻撃目標は把握している。後は、ここに爆弾とミサイルを叩きこむだけだ」



「首都に対しては如何様に攻撃するつもりで?あそこは第2海兵遠征旅団と第35歩兵師団が包囲下に置いている筈ですが。彼らを撤退させるのですか?それとも、留まらせるのですか?」



「包囲部隊を撤退させた場合、首都防衛部隊を分散させる恐れが生じる。従って、包囲下に留めつつ、首都を攻撃する。


 具体的には、中性子爆弾の使用も検討している。戦術核兵器によって、首都機能を麻痺させることも可能だろう」



「中性子爆弾は人体に多大な影響を及ぼすのでは?それは包囲部隊の将兵にも影響を及ぼさないという保障はあるのか?」



「今回の作戦で使用する中性子爆弾の殺傷範囲は、半径300m前後だ。CEPを考慮に入れるとしても、自軍への被害は考え難い。仮に損害を被っても、衛生連隊によって救命できる余地はある。


 それから、中性子爆弾を使うことで、人体・生物にのみ打撃を与えて、首都の建築物には一切、損害を与えることなく占領できる。


 首都に関しては、敵兵及び住民の殺傷に留め、占領下に置く方が良い。何故なら、同国最大の穀倉地帯であるアルファ区域の輸送路を確保する為だ。


 結局、首都郊外の河川を利用する方が、大量に穀物を輸送できる。それならば、首都は破壊よりも占領が望ましい。首相の意向だ」



「首都の占領はどの部隊が?包囲部隊だけで足りるので?」



「第16空挺師団を投入する。首相からも許可は得た」



 参謀陣から感嘆の声が漏れた。第16空挺師団は、首相が持つ伝家の宝刀である。それを鞘から抜くことを彼は今まで頑として認めてこなかった。政治的に極めて重要な戦略予備部隊である16師団を動かすという事実に、高級軍人らは驚愕したのだった。



 言ってみれば、首相の本気度合を示すことに他ならない。彼は腹をくくったのだ。この戦争に自らの政治生命を掛けると。少なくとも、この場にいる軍人達はそう思った。首相がそれを聞けば、違った感傷を抱いただろうが。



「占領が望ましい地域に関しては、第12歩兵師団と第16空挺師団を展開させる。戦力の破壊が優先される地域に於いては、空爆とスタンドオフ攻撃を中心とする。占領予定地域と攻撃予定地域に関しては、作戦計画の地図に示している通りだ」



「占領予定地域の選定は、補給網の保全と構築を鑑みるということですか?」



「あぁ、その通りだ。占領は飽くまでも必要最低限度に抑える。必要のない地域は破壊する。方針はそれだけだ」



「航空部隊は、方面軍の戦力だけで足りるのですか?敵国を空爆するとなると、随分と大規模な航空戦力が必要ですが」



「方面軍麾下の航空部隊だけでは間違いなく不足だろう。従って、本国の航空部隊も総動員される。 


 航空優勢の確保に4個戦闘航空団、爆撃機部隊の護衛に3個戦闘航空団、爆撃機部隊として6個爆撃航空団、給油部隊は4個給油航空団が増援部隊としてこちらに展開する。併せて、方面軍航空部隊司令官を空軍大将に野戦任官する」



 空軍の航空団は50個航空団程度であるから、その内、17個航空団が増派されるということは、航空戦力の三分の一が動員されるということだ。大戦後、空前の規模と言って良い。



「本国の増援部隊はありがたいですが…それでガソリンが不足するということはないのですか?戦争で石油が枯渇したら、結果的には我が方の負けですが」



「…SPRを開放する。二か月分の石油資源を費消すれば、作戦には事足りるだろう」



「それは…本当に内閣が了承したのですか?どう考えても、破滅しか待っていない様に思いますが」



「確かに、我が国の寿命を更に縮めることになるだろう。しかし、この戦争は、長期化してはならない。短期決戦でなければならない。


 一刻も早く終戦させなければ、干上がるのは当方だ。矛盾している様だが、それしかない」



「…もしも、敵国のエネルギー資源が予定よりも少なければ、無意味になりますが、それでもやるということですか?」



「そうだ。我々はやるしかないのだ。祖国を生存させる為に、あらゆる手段を採らねばならない。これは、その手段の一つだ。


 破滅的な賭け事ではあるが、リスクを取らなければ、リターンは得られない。これは、そういうギャンブルだ」



 作戦参謀の主張に対して、他の参謀や司令部の職員らの表情は一様に暗かった。どう足搔いても、国家が滅ぶ道筋が見えてしまう。今次戦争を勝利することはできるだろう。しかし、資源を食らい尽くせば、待つのは国家の死あるのみ。



 もしかしたら、自分達はそれに手を貸すだけに終る可能性も十分にあるのだ。容易には首肯し難い。この戦いは、侵略する国家と防衛する国家の双方にとって、苦しみを与えるものだった。どちらが、先に根を上げるかという勝負でもある。



第4章③「師団長の錯乱」



ヴィクトリア市:第一次防衛線



 侵攻軍と対峙する最前線には、正規兵・義勇兵を含めて1個軍団4万人(3個師団+独立部隊に相当)の兵力が貼り付けられていた。全体の指揮を執る第1師団長の疲労は限界を超えて久しい。



 それでも、幾ばくかの仮眠を済ませると防衛線の左翼後方にある教会の主塔から戦場を俯瞰していた。死体がどこまでも重なっていた。それも、敵兵ではなく、自軍の将兵の死体だった。



 その光景を見れば、どちらが有利でどちらが不利であるかなど、軍事の素人であっても判別できるだろう。戦況は好転せず、ただ味方の屍を積み上げるのみ。



 しかし、戦わねばならなかった。何故なら、降伏していないのだから、言葉が通じないのだから。死んでいく兵士達にしろ、指揮する士官達にしろ、この戦いの意義が不明であった。何の為に戦うのか。最早、理由など無く、命を散らしていた。



 これが、大陸諸国との戦争であれば、ある程度の犠牲を払いながらも互いに妥協点を探り合い、停戦や講和へと道筋をつけるだろう。



 しかし、侵略する外国軍隊はどこの国家なのか、どこにあるのか、どの様な文化なのかさえ知ることが叶わない。全く未知の敵だった。



 首都防衛軍司令官と侵攻軍司令官は何度か会談を持ったものの、やはり、互いの言語は理解できず、ただの茶会と化していた。言葉と文化が分からぬということがこれ程までに鬱陶しいとは!!



 海外に多くの植民地を擁する王国であるが、何れ、その海外領土を増やすならば、この様な敵と遭遇してもおかしくはない。そう遠くない王国の未来が、少しばかり早く到来したに過ぎない。



 防衛軍がその戦力を大幅に消耗しながらも、持久することが能うのは、侵攻軍が防御に徹しているからであり、少ない正規兵を大勢の義勇兵で補充しているからだ。



 兵力の自転車操業で、いつか破綻するのは当然だろう。この戦いの先にあるものは何だろうか。果たして、祖国はその生存が認められるのだろうか。



 少なくとも、明るい未来など望むべくもない。依然として、王国を侵略する外国政府の意図は分かりかねるが、植民地にしたいのであれば、直ぐにでも攻撃すれば事足りるだろう。何故、防御に徹するのか、その理由が今一つ理解できない。



 これまで「侵略される側」に回ることが少なかった王国の経験が理解を妨げるのかもしれない。兵力の補充が破綻する前に停戦や降伏を含めた決着を図るべきなのは言うまでもない。



 しかし、その手段がない。手段がないから戦う。全く意味不明な戦だ。敵兵に動きがあったのは、早朝のことであった。前線の動きを監視する偵察部隊が司令部の幕僚に報告した。



「敵軍に動きあり。一部の部隊が洋上に碇泊する艦艇に戻っている様です」



「それは、撤退の動きということか?それとも、ただ単に、兵士の休息だろうか」



「それは、現時点では何とも言えません。しかし、どうやら、占領していた一部の地域を放棄している模様です。防御陣地を縮小しているのは間違いありません」



「どの程度の規模の部隊が後退しているのか?」



「恐らく1個大隊程度かと。目算で1,000人前後の兵士が前線から退いています」



「兵科は分かるか?」



「歩兵です。小銃を携行している様子から、歩兵でしょう」



「他にもその様な動きをする部隊はあるか?」



「はい。陣地の縮小に併せて、他の部隊も撤収の動きを見せています」



「分かった。師団長にも連絡を入れておこう」



 幕僚は一枚の紙に箇条書きで要点を書き記すと、教会の地下室に陣取る司令官へと回した。師団長は報告書を一瞥すると、偵察部隊の指揮官(少佐)を呼び寄せた。



「報告書によると、敵軍の一部が後退を始めているとか?」



「はい、1個大隊程度が湾内の敵艦に乗艦している様です。他の部隊もいくつか後退する準備の様子が伺えます」



「それは撤退していると理解すべきなのだろうか、それとも新しく部隊を展開する為の準備なのだろうか。どの様に感じた?」



「撤退している様には見受けられません。非常に整然と後退していますから、事前に計画された作戦行動であるのは明らかでしょう。


 つまり、次の作戦に備えた準備行動であると理解するのが妥当ではないかと思います」



「…戦略的撤退であるという可能性は?」



「あり得ません。戦況は、敵方が常に優勢であります。従って、侵攻軍が敗退する理由は、物資の欠乏くらいですが、それすらも洋上に展開する海上部隊によって補給ができる訳ですから、戦略的撤退という名目の敗退をする理由はないでしょう」



「なるほど…確かにその通りだ。ということは、打って出るということだろうか?」



「偵察の限りは、防御から攻撃に転じる可能性が高いと思います」



「…司令部の幕僚を集める。君も幕僚会議に出席する様に。見たものをありのままに全員に教えて欲しい」



「はい、幕僚会議に陪席致します」



 師団長は、主だった幕僚陣を教会の一室へと集合させた。併せて、首都防衛軍司令部に対して、偵察で得られた情報を連絡する様に手配した。



 戦いの趨勢を決する機会が訪れようとしていることは、何となくでも伝播する。最後の戦いになるかもしれない。彼らは再び、覚悟を決めた。死ぬ覚悟ではない。祖国の命運を賭ける覚悟を決めた。



「偵察から得られた情報を吟味するに、侵攻軍が次の作戦行動を取るのは明白。それを待つまでもなく、後退部分に対して攻勢を強めるべきだと思うが、諸君らは如何する?」



「本当に次の作戦行動に移行する準備と見てよろしいのですか?撤退準備という可能性はないのですかな?」



「それは、考え難いだろう。何せ、侵攻軍は港湾部を抑えている。つまり、いつでも海上から物資を補給できる体制を構築していると見るべきだ。


 我が国や大陸の戦史を紐解けば、港湾都市に対する攻城戦が熾烈且つ長期を極めたのは言うまでもないだろう。何年にも渡って、攻城戦が繰り広げられた事例もある」



「確かに戦史の一部ではその様な事例もありますが、一方、短期で決着がついた港湾都市の攻囲戦もあるのでは?」



「残念ながら、彼我の戦いには適用できないだろう。短期戦を志向するには、あまりにも戦力の格差が開いている。


 この格差を縮めない限り、短期決戦は厳しい。寧ろ、圧倒的な優位を保っている敵軍の方が、いつでも短期決戦に望めるのが実態だ」



「短期戦に相成った攻囲戦では、砲兵が活躍しています。そうであるならば、砲兵による火力支援を用いれば、一時的にでも局所的に優位性を確保できるのでは?」



「もしこちらが砲撃すれば、敵はその数倍の火力を以て対砲迫撃に移るのはこれまでの戦いからも明らかだろう。


 寧ろ、砲撃戦はこちらの命数を削るだけ削るに終わる。そもそも、相手方の砲兵はこちらよりも射程距離が長く、それでいて正確に弾着させてくる」



「それではどうやって、攻撃するのですか?銃剣突撃でもするのですか?我が方の攻撃手段は限られていますが」



「銃剣突撃?そうだ、それ以外にあるまい。マスケットの射程が届かず、砲撃が通じず、騎兵が役立たないとなれば、向かう手立ては突撃あるのみ」



「これまでも、幾度と試していますが?それでも、侵攻軍の優位性を崩すには至っていないではないですか。これ以上の突撃に意味があるのですか?」



「敵海兵隊の持つ制圧力を上回る規模の兵力を当てれば良い。既に、何十回・何百回もの突撃によって敵軍の攻勢限界点は推し量れた。


 後ろの防衛線からも兵力を引き抜いて、こちら側に展開させる。敵軍が圧倒的な火力にものを言わせるのならば、こちらは圧倒的な物量で凌げば良い」



 幕僚会議の面々は、皆、予測していた戦術ではあったが、それでも衝撃を受けずにはいられなかった。これだけの物量と兵力を投入してなお、敵軍は健在である。敵兵の防御を力尽くでも打破し得るなどという幻想を抱いてはいなかった。



「兵力は足りるのですか?既に首都人口の一割以上を徴兵していますが」



「兵士はそこら中にいるではないか。女・子供・老人に至るまで使えば良い」



「…それは、陸軍省と首都防衛軍司令部も了承していることですか」



「事前に許可は取ってある。国民皆兵だ。根こそぎ動員すれば形だけでも大兵力を揃えることができる。13万人から100万人に拡大すれば、流石に侵攻軍の防御を打ち砕けるだろう」



「その規模で突撃すれば確かに敵軍の防御陣地に侵入できます。しかし、待つのは首都の壊滅以外にありません。防衛に成功しても、住民がいないのでは防衛の意味がないのでは?」



 副師団長(准将)が反論を試みた。しかし、師団長はなおも自説を曲げない。



「住民がいなくなれば、持ってくれば良い。あるいは子作りでもさせて生産すれば良いではないか。我が国の人口は首都だけではない。各地の都市や村落にも人間がいるのだから、そこから調達すれば人口を増加できる」



 副師団長以下、師団司令部の幕僚達は理解した。師団長は正気の沙汰ではない。頭がおかしくなってしまっている。



「いや、確かに港湾部を占領している敵海兵隊を退けることはできるかもしれません。しかし、我々が戦うべきは、後方にもおりましょう。


 首都郊外と河川を妨害する形で敵軍が布陣していることを忘れていませんか。敵海兵隊だけでなく、首都郊外の包囲部隊までも相手取って勝利しなければならない状況なのです。


 首都の住民を全て徴兵して、前線に送り込んで、侵攻軍の包囲を解囲できるとでも言うのですか?」



「准将、最早できるかできないかの段階はとうに超えたのだ。やれることは全てやるべきではないかな?少なくとも私はそう思うのだが」



「いいえ、これ以上の徴兵は国家を滅ぼす所業であります。閣下、軍人だけで事を収めるべきです。これ以上の戦闘は無意味です。言葉は通じずとも、白旗を掲揚する権利くらいはあるでしょう。


 はっきり言いましょう。閣下がこれから為され様としている戦は、戦ではありません。ただの無駄です。戦の常道ではありますまい。戦っても、祖国を滅びに導くだけですぞ。どうか、中止する様に」



「作戦は何があっても決行する。…残念だ、准将。貴様の役職を解いて拘禁する」



 師団司令部の憲兵小隊が副師団長と幕僚を取り囲んだ。対して、副師団長・幕僚らが取った行動も単純だった。護身用の刀剣や騎兵銃を憲兵小隊へと向けた。



 准将は憲兵に斬りかかる振りを見せた直後、上官に刃を差し入れた。不意を突かれた憲兵を無視して、少将と准将は剣先を交じり合う。一瞬、遅れて数人の憲兵が准将を抑えにかかる。



 彼は地面に転ぶとそれらの武器類を回避して、少将の足元を薙いだ。足を取られた少将の動きが緩慢になり、その隙を見逃さず、肺を刺し、刃先を半回転させて心臓まで抉ると、そのまま抜かず、身体ごと回して、准将を抑えにかかった憲兵共に押し付けた。体勢を崩された憲兵の手足を斬り、怯ませる。



 幕僚会議に陪席していた偵察士官も加勢した。彼らも幕僚らと同じ心情であった。この戦いは職業軍人の犠牲で終わらせるべきだったと。これ以上、国民を犠牲にすることは、国家の生存を脅かすと、理性でも感情でも反対だった。



 狭い室内での戦闘は乱闘であった。味方同士であるはずの彼らの戦闘は殺し合いだった。戦略とか戦術とかが割り込む余地はなく、ただただ個人の戦闘技量を競った。



 幕僚と憲兵は同数程度であるから、容易には決着がつかない。一人の幕僚が斃れれば、一人の憲兵が斃れる。



 それを繰り返して、やがて数人程度にまで互いに人数を削った。それでも戦闘を止めはしなかった。どちらかが、全滅するまで戦う。



 最後に立っていたのは、副師団長だけだった。それ以外は全て死体としてそこら中に転がっていた。



 彼は、二つ星の階級章を死体から剥ぎ取り、自らの軍服に縫い付けた。騒ぎを聞きつけた将兵らを統制すると、残存の正規兵から参謀を引き抜き、臨時の師団司令部を構成した。



 副師団長は、勝手に少将へと昇進して、第1師団長兼帯第一次防衛線司令官を自称した。師団司令部の体裁を整えると、麾下の正規兵・義勇兵連隊を再編した。



 まず、全体の指揮を執る師団長の負担を軽減する為に、師団-連隊の指揮連接を師団-旅団-連隊へと増層化し、中間司令部を設置した。



 今まで軍団相当の兵力を師団司令部で指揮統制していた方がどうかしていたのだ。12個連隊+独立部隊(砲兵・偵察・驃騎兵)を7個旅団に割り振り、1個旅団につき2個連隊を配備した(6個旅団+独立旅団)。



 これによって、師団司令部の負担は大幅に軽減された。少なくとも、師団長と幕僚達が心地良い睡眠を取れるだけの時間は確保した。



第4章④「戒厳軍隊」



ヴィクトリア市:戒厳軍隊



 陸軍大臣を戒厳司令官とする戒厳軍隊は、首都を更なる緊張状態へと強いるものだった。戒厳軍隊は、首都に駐留する全ての陸軍を隷下に収めた。



 首都防衛軍のみならず、第9近衛擲弾兵連隊・第1近衛竜騎兵連隊・第1近衛義勇兵旅団・陸軍省独立警備大隊も含む。



 首都に配備された陸軍が一つの司令官に隷属するというのは、王国の歴史でも類を見ない。強力な組織力と兵力を持つ陸軍の指揮権は、首都にあっては、クーデター防止の観点から分散されていたからである。



 首都を防衛する責任は、首都軍管区に相当する衛戍軍にあるが、市内に於いては、衛戍軍とは独立した指揮系統を持つ部隊が複数あった。



 それらは、近衛連隊と海軍基地を警備する海兵隊などである。衛戍軍が蹶起した場合に備えて、これらの部隊が反撃を加えるという算段であった。



 しかし、数百年振りに外国軍隊が首都に上陸するという国難に対して、衛戍軍を中核とする首都防衛軍が発足し、市内外の部隊を統率した。



 それでも、未だにいくつかの部隊は、防衛軍の指揮下から独立していたから、今回の戒厳令は異例である。勿論、異例でない戒厳令などないが。



戒厳司令官は、以下の命令を布告した。



①首都の全ての市民及び住民を徴兵する。又、市民の自由意思に基づく義勇兵の参戦を歓迎する。既に義勇兵である市民に対しては、正規軍への徴兵を免除する。


②部隊の指揮官は、最後まで戦うことを要求する。部隊の将兵は、最後まで戦うことを認める。降伏及び停戦、その他の交渉は、将官のみ権限を許す。


③部隊の指揮官・士官及び近衛兵は、督戦の権限を持つ。部隊の指揮官は、軍法会議を開廷し、軍事刑法に基づく裁判及び処刑・制裁の権限を持つ。軍事刑法の解釈権は、部隊の指揮官が独占する。


④侵攻軍を排除するに当たり、敵前逃亡・命令不服従を除く、全ての作戦行動を許す。上級司令部の許可によって、独立した指揮官と部隊による作戦行動も認める。



 新しい戒厳令の布告は、事実上の徹底抗戦の宣言であり、最前線の指揮官に大幅な裁量権を付与するものである。特に最後の命令は、ゲリラ戦や不正規戦を視野に入れたものだ。



※※



陸軍省:戒厳司令部



 戒厳司令部が設置された陸軍省では、主要な軍高官達が一堂に会していた。首都を包囲する侵攻軍を撃退し、同国の安寧を取り戻す為に議論が行われていた。



 特に、論点となったのが、現有兵力で対処するべきか、あるいは徴兵の対象を拡大し、兵力を大幅に増強するべきか、両者共に激しい舌戦を繰り広げていた。



「これ以上の徴兵には反対です。最前線を見て下さい。味方の屍が山脈の如く、連なっています。徴兵によって兵力を増強したとしても、悪戯に死体を増やすだけではないでしょうか。


 我らに有効な攻撃手段がない以上、寧ろ、兵力の拡大は貴重な物資を大量に消費するだけに終わるでしょう」



 陸軍大臣・陸軍司令官に対して反対意見を述べたのは、最前線で指揮を執った大佐であった。彼は、第一次防衛線から派遣された第1師団長の代理人である。



 大臣は、いつもであれば反対者を苛烈に処分するが、この時ばかりは、いつもの遣り口が躊躇われた。何せ、彼ら最前線の将兵が身命を懸けて、この街を防衛しているのだ。



 この場に於いて、間違いなく、最も軍人の義務を果たしていた。戦っている軍人に向かって、戦っていない軍人が意見できるだろうか。どちらに説得力があるかなど言うまでもない。



「最前線で指揮を執った大佐の意見も尊重したいが、大幅な兵力の増強なくして勝利は得られないのではないか?包囲部隊は凡そ3~4個師団であろう。


 そうであるならば、100万人の首都市民を徴兵して、数の暴力を以て事態に対処する他ないのではないか。それとも、他に手段があるとでも言うのかね?まさか、侵略した外国軍隊に対して降伏するとでも?


 これが大陸諸国との戦争であれば、それも一考に値するだろう。しかし、相手方は我が国のみならず既存の外国語も通じないのだぞ?これでどうやって降伏の交渉を行うのか?言葉が通じない以上、我々は死ぬまで戦うしかないのだ」



 大臣は、正面から大佐の意見に反対した。やろうと思えば、大佐の反対意見など一蹴して無視すれば良いが、それができる程、現在の中央政府と陸軍省・戒厳軍隊の政治権力は盤石ではない。何かのきっかけで崩壊する危険は十分にあった。



 何よりも、最前線の高級軍人を無視すれば、麾下の将兵に対しても動揺を誘わずにはいられないだろう。



 生命を懸けているというのにも関わらず、相変わらず上層部は権力闘争に腐心していると思われ、戒厳軍隊の求心力が低下しかねない。尤も、軍人と市民はそもそも中央政府と戒厳軍隊に対して含む所が大いにあるだろうが。



「なるほど、閣下の仰る通り、形振り構わず徴兵すれば勝利できるかもしれません。しかし、その勝利の先にあるものは何でしょうか。


 思い浮かべて下さい。この街には何が残りますか。残るのは、瓦礫と死体だけです。それで国家を、市民を、首都を守ったと言えるでしょうか。


 もし、ここで講和なり停戦なりが成立すれば、これ以上の惨劇を見ずに済みます。その機会をみすみす見逃すのですか?


 それとも、もう一度、交渉を試みて、この国と街に平和を取り戻すのか。陸軍の高官である貴方達に良く考えて頂きたい。


 戦火と戦死を望むのならば、更なる徴兵をすれば良い。平和と平穏を得たいのならば、停戦すれば良い。貴方達がどの選択肢を採るのか、将兵と市民は良く注意することでしょう」



 大佐の主張は事実上の脅迫だった。それも将兵と市民の心情を慮る形で、飽くまでも講和を要求した。軍人と市民がいくらでも死んでも構わないのであれば、どうぞ戦うがよろしい。



 国家の安寧を按ずるのならば、講和や停戦に持ち込むべきだ。大佐は前線の軍人と市民の代表という立場を存分に活用した。



 もしも、戒厳軍隊の最高幹部達が徹底抗戦を主張しようものならば、それは軍民の生命など取るに足らないということなのだ。現に、そうした国家意思を以て市民を義勇兵として最前線へと送り込んでいるのだから、間違いではない。



「…残念ながら、大佐。我々は立ち止まる事を許されない。君は、首都の住民しか見ていないが、我々は世界を見ているのだ。


 どういう事か分かるかね?世界に冠たる我が植民地帝国が、首都を外国軍隊に侵略されて停戦するなどできる訳がない。


 考えてもみたまえ。海外領土と植民地の連中が、本国政府など大した事ないという印象を与えかねん。ただでさえ、既にいくつかの植民地が独立戦争を仕掛けてきたというのに、更に増長させかねない。


 いいかね?この戦いは、周辺の列強諸国も注察しているのだ。ここで引く事などできない。もし、我が国が外国政府に譲歩すれば、禿鷹の如く、列強諸国は死肉を漁ろうとするだろう。


 つまり、我が国が大陸に持つ海外権益を強奪されることも十分に有り得るという訳だ。君の言う通り、停戦交渉や講和も選択肢にはあっただろう。


 しかし、それは早期に為されるべきだったのだ。首都の防衛戦が長期化する中で、我が国が築き上げてきた帝国の権威は大きく揺らいでいる。


 列強諸国は、今か今かと我が国に嘴を入れようしているのだ。仮に講和が相成ったとしても、その次に来るのは、列強諸国の軍隊だ。


 それとも、講和した外国政府にでも撃退してもらうかね?同盟を結べば、それも可能だろう。しかし、それは最早、外国の属国に他ならない。外国政府に自国の安全保障を依存する怖さは、ここにいる諸君は良く理解しているだろう。何せ、我が国が小国に対してやっている事なのだからな」



 大臣は、大佐の意見も検討しながらも、その未来を悲観して見せた。今まで、外国軍隊による侵略を防いできたのは、その圧倒的な海軍力によるものだ。この国の海軍力が、列強諸国の侵略を躊躇せしめる心理的防壁になっていた。



 しかし、王国を象徴する海軍は、侵攻艦隊によって、その権威を喪失した。奇襲攻撃だったから、不意を突かれたからという言い訳は、国際社会で通用しないだろう。



 寧ろ、言い訳は更なる権威の失墜を招くだけだ。王国が苦労して築き上げた植民地帝国をみすみす手放す訳がない。



 あまりにも多くの利権と権益が絡みあっている。最早、中央政府に命じられたからと言って、海外権益を放棄する様な富裕層はいないだろう。それどころか、クーデターや革命の遠因になりかねないのが現状だった。



 中央政府の政治権力を維持する為には、どうしても勝利しなければならない。それは、一般市民の都合ではなくて、支配階級の都合でしかない。そして、大臣は支配階級に属するから、植民地帝国の維持を最優先することは、当然であった。



 一方、大佐はどちらかと言うと、被支配階級の出身であったから、その様な支配階級の論理には抵抗感があるのかもしれない。



 植民地の権益など、自分達には関係の無い事だと思っているのだろう。大佐は、大臣の抗弁に対して、非常に白けた表情で、聞く姿勢を保っていた。



 下らない。我々一般市民には何ら関係の無い事ではないかと。勿論、大陸の列強諸国から侵略を受ければ、一番の被害を受けるのは一般市民であるが。



「つまり、貴方達は、軍民の生命身体よりも、植民地帝国と中央政府の権力を維持する方が優先されるという事ですか?そんな下らない事に命を懸けろとでも言う事ですか?下らない。


 軍人と軍隊は、国民を守るべきではないですか?それとも、国民の生命など取るに足らないとでも言うのですか?軍人の義務は、国民の生命身体を外国の暴力から防衛する事でしょう。


 少なくとも、隣国の共和国は、その精神を以て、国防政策の根幹としています。それに比べて、我が国の腐敗は何たる事か。中央政府が腐っているから、支配階級が国富を独占しているから、義勇兵に叛乱を起こされるのですよ。


 いいですか、皆さん。今この時は、国家が市民の政治共同体足り得るか、それとも支配者の道具に成り下がるのか、その分水嶺なのです。


 貴方達に少しでも、愛国心があるのならば、軍民の身命を最優先して頂きたい。もしも、貴方達に権力欲や金銭欲しかないのならば、どうぞ徴兵を拡大して、悪戯に被害を拡大させればよろしい」



 大佐は、陸軍省の最高幹部らに対して、そう吐き捨てた。そこには、権力者に対する阿りなど一切無かった。



 そこにあるのは、現状に対する怒りであった。しかし悪弊を断ち切るには、あまりにも陸軍高官達はどっぷりと利権に浸かっている。権力や利権というものは、泥沼なのだ。一度、入れば容易には抜け出せない。



 これだけ大佐が最前線の現状を訴求しても、彼らの荒んだ心根には響かない。彼らの脳裏にあるのは、如何にして市民と軍人を磨り潰して、自らの既得権益を死守するかという一点にのみ注がれており、軍民の生命など彼らにしてみれば、塵芥でしかない。



「大佐の訴えは良く理解した。それでは、双方の意見を取り入れるのは如何かな?徴兵を拡大しつつも、侵攻軍との予備交渉を再び試みるというのも手段の一つだろう。


 私は徴兵の拡大こそが唯一の救国の手段であると理解するが、最前線の軍人の意見も無碍にはできまい。だからこそ、両者の意見の折衷案を提示するのが精一杯の妥協だ。これ以上の譲歩はできない。大佐、この折衷案でよろしいかな?」



「…妥協して下さり、ありがとうございます。しかし、徴兵の拡大対象は如何するのですか?」



「12歳以下の女子・子供は徴兵しない。それから障碍者や、明らかに体力のない老人なども徴兵を免除する」



「そうですか、徴兵の免除についてはそれで良いでしょう。では、交渉の代理人は誰が行うのですか?戒厳令の布告では、将官にのみ停戦と講和の交渉権限を付与していますが、陸軍の高官でも派遣するのですか?それとも、前線の師団長に委任するのですか?」



「停戦交渉の代理人は、首都防衛軍司令官が適任だろう。彼は、何度か侵攻軍司令官と会談を持っている」



「なるほど、承りました。確かに、大将閣下ならば、交渉に相応しいでしょう」



 侯爵元帥たる陸軍大臣が、大佐とは言え、一介の高級軍人にここまで譲歩するとは考え難いことだった。それだけ、国家の艱難にあって深刻であることを表していた。



 陸軍省と戒厳軍隊の幹部らは、大臣と大佐が出した結論を準備すべく、既に動き出していた。首都防衛軍司令官に対して、今次戦争の停戦及び講和交渉の全権を付与すると共に、徴兵拡大の準備に取り掛からなければならない。時間はいくらあっても足りない。



第4章⑤「司令官の茶会」



ヴィクトリア市:第2海兵遠征旅団



 両軍の司令官は、再び、バッテンベルク公の別荘で会談を持つに至った。尤も、今までの会談は、交渉の席というよりは、茶会そのものだったから、今回の会談が果たして、両軍の意思疎通に貢献するかは疑問の余地がある。司令官達は、大戦洋を望む小型の展望台に場所を移して茶会を楽しんでいた。



 展望台は別荘に附属する施設の一つで、王国が誇る海軍と海運業の艦船を背景に、会食を開く為に君主が建設させた。



 海軍が管理する灯台の予備塔も兼ねている。これまでに行われた何度かの会談では、言語が通じず、両者共に、ほとほと困り果てていたが、無為に過ごしていた訳ではない。



 互いに翻訳・通訳する努力は行われてきた。外国語に精通する専門家陣を同席させた上で、会談に臨んだ。 



 しかし、お互いになんとなく理解できたのは、挨拶の言葉程度で、単語の意味や文法は未だに理解しかねた。



 それでも、両司令官がここまで会談に入れ込むのは、それが停戦交渉に直結するからであり、これ以上の無意味な戦闘を終結する糸口を探っていたからであった。



 王国軍と直接に対峙する第2海兵連隊の疲労は、溜まりに溜まっている。敵軍の銃剣突撃こそ、海兵連隊の防御陣地・機関銃陣地で一掃できたものの、次から次へと補充される敵兵に対して、辟易としていた。



 そこで、旅団長は背後に控える強化型遠征打撃群の上陸部隊の一部と兵員を交換して、疲弊した将兵を後方へと送り、その代替として後方から体力を温存していた海兵隊員らを充足していた。第一次防衛線の偵察部隊が発見し、報告した侵攻軍の撤退行動は、これらの作戦行動を指している。



 旅団の消耗部隊が後方に撤退したのは、疲労を回復する為だけではなく、A方面軍による首都攻撃に備えた撤退も兼ねている。



 首都に対して、中性子爆弾を投下するに当たり、前線に味方の将兵が多くいる事は、誤爆の可能性を増加させる上に、海兵隊員達に要らぬ不安を増長させるだろう。



 味方に対する放射能汚染を避ける為にも、徐々にではあるが後方の輸送艦・揚陸艦へと戻っていた。だからと言って、全ての部隊を撤退させる訳にはいかない。



 首都防衛部隊を首都に押し込める必要があるからだ。従って、旅団が占領した港湾部には、包囲の為の最低限度の部隊のみを残置する予定である。



 会談は朗らかに進んだ。両司令官は、まるで友人との再会を喜ぶかの如く、熱く抱擁を交わした。階級こそ、大将と少将であるものの、そこに隔意はない。



 寧ろ、国体を護持する軍人としての矜持を互いに感じ取った。今は、敵と味方に分かれているが、停戦や講和が成立すれば、二人は良き友人、良き理解者になるだろう。



 そう思うと、今次の戦いは残念でならなかった。戦争でなく、外交交渉で両国関係を確定させれば、そもそも、互いに血を流す必要もなかっただろう。



 しかし、戦争をしているからこそ、こうして階級が異なる両者が相まみえる事ができたのも事実である。軍人の職責が銃口と剣先を交える事だからこそ、戦争こそが彼らの対話であり、外交である。



 それでも、そこに悲哀を感じずにはいられなかった。尤も、軍人という職業を選んだ彼らの宿命であると言えばそれまでなのだが。



 彼らは、互いに相手方の言語で挨拶を交わすと、広大な海洋を望む展望台へと場所を移した。会談と言っても、両者の会話には相当の壁が聳えている。



 お互いに持ち寄った紅茶や茶菓子を楽しむ事が時間の殆どを占めていた。応対している日本軍の司令官は、なんとなく、相手方が降伏交渉を望んでいる事を、言葉が通じずとも察してはいたが、果たして、本国政府及び首相がそれを認めるかは怪しい所である。



 日本政府は、この戦争を国内の統制と国威発揚に利用している節がある。国内の不平不満を海外に逸らす事で、政権の不祥事や失政を無かった事にしようと躍起になっているのだろう。



 仮に王国政府が停戦や講和を望んだとしても、日本政府は容易には応じないのは言うまでもない。敵国の戦争遂行能力を徹底的に破壊するという最高権力者の判断が下された以上、王国政府に余力を残す事を日本政府は許容しないのではないか。



 高度な政治的判断は彼の職務には含まれていないが、将官という重責にある以上、「政治的」な都合というものを考慮せずにはいられなかった。



 何よりも、前線の指揮を執る彼が敵国の司令官との会談を受け持っているのだ。否が応でも、政治権力と関わらなければならない。



 戦後、政治統制という名目で政治的な将校というものは、政界で豪く嫌厭されたが、軍隊と戦争が政治手段の一つである以上、どうしても政治に介入せざるを得ないのだ。



 いや、政治介入というよりは、職業的な助言と言い換えた方が適切かもしれない。あの大戦が政府と軍部の暴走の結果であるという通説になっている以上、過度に政治と関わるのは避けてきた。



 しかし、世の中というものは嫌いだからと言って、避ければ良いという風に単純な作りをしている訳でもない。嫌いであろうと、なかろうと、政治とは関わらざるを得ない。幾度となく会談に出席した彼はそれを実感した。



 本国政府の意向はどうやら、敵の攻勢を減退できるのではないかという程度の期待を、この会談に寄せているに過ぎない。



 少なくとも、連絡を取った雰囲気では、本気で降伏交渉をしようという態度では無かった様に感じられる。



 しかし、それを言うのならば、相手方も本気で交渉に移る事ができるなどという甘い期待は寄せていないだろう。あわいが良ければ、包囲部隊の攻撃転換を遅滞させようと試みているに過ぎない。



 彼らは互いに停戦を望みながらも、彼らを統率する本国政府の首脳部らは、本心では戦うしかないと決心しているに違いない。つまり、彼らにできる事など限られている。 



 茶会を開催して、一時の平和を享受する他ない。前線の司令官達が停戦を願っても、後方の中央政府がそれを許さないのだ。もしも、両国の外交関係が樹立されていれば、例え、矛を交えようとも、対話が可能であっただろう。



 しかし、この戦争は、一方的な侵略戦争であり、外交手段として発動された戦争ですらない。ただ単に、資源がそこにあったから、信用できないから、距離が近いから、そういった理由で始まった戦争だ。それでも、国家が開戦を決意するのには、十分過ぎる理由だった。 



 それにしても…一体、本国政府は今次戦争をどの様な形で終戦させるのだろうか。既に何度も戦争計画と作戦計画は修正されている。



 計画が修正されること自体はそれ程珍しいことでもないが、いくつもの戦争目的を抱えた弊害を表している様に思えてならない。



 いくら戦場で勝利を積み重ねても、それを政治目的に繋げられなければ、敗北と同義である。その点、政府と軍部の一具が外れる対応は、不安を助長させた。



 太平洋戦争やイラク戦争の様に、政府の戦争指導が失敗しなければ良いのだが…現行の政府首脳部は、小さな戦争や限定戦争は経験が豊富であるが、この様な大規模な戦争の経験は殆どない。



 あるとしたら、中越戦争やアジア独立戦争に参戦したぐらいしかない。政府と軍部は、どこかで間違いを犯したのではないか…そんな疑念が付いて回った。



 いくら軍事力で凌駕していたとしても、戦略の部分が稚拙であれば、現代の軍隊は政治的手段の暴力装置として機能し得ない。将官として、戦争計画の詳細を知り得る立場にあるが、決して褒められた内容ではないのは確かだ。



 戦争計画が杜撰なのは当然だろう。何せ、現地情報が圧倒的に不足する中で立案された計画なのだ。所々に、情報の抜け穴があって、どうにも敵国の劣勢部分に依存している嫌いがある。



 もしも、敵方に我が方よりも優勢な部分があるとしたら、如何するのか。政府と軍部の首脳部は、その点をあまり考えない様にしている節がある。



 それは、思考停止だ。あるいは、心理的な逃避でしかない。見たくもない現実を直視できる人間が、戦場で生き残る事ができるのだ。



 翻って、我が国の政府と軍部はどうだろうか。希望的観測に縋って計画を立案して、国軍を派兵した。その先に明確な戦略や目標はあるのだろうか。



 政府・軍部と連絡を取る限り、その様な具体的な計画性というものをあまり感じない。食料・石油資源を略奪するという目標は大変結構だが、果たしてそれを確保して日本に輸送する所まで考慮しているのか。占領後の輸送計画は、未だに詰められていないのが現状だった。



 時間がない戦いとは言え、本国政府の杜撰な対応には、随分と苛立ち、辟易とさせられている。とにかく、時間が足りないのだ。



 一年でも二年でもあれば、完璧にこの国を占領下に置いて、軽便鉄道や港湾施設でさえ建設できただろう。



 しかし、我が国に残された時間はあまりにも少ない。戦争が長期化すればする程、派兵部隊が増強される程、石油資源を湯水の如く費消し、ますます我が国の寿命は終わりを迎える。…果たして、今次戦争が戦略的に正しい戦争なのか、旅団長たる彼には判断がつかなかった。



※※



 会談では、茶会だけでは味気ないから、演奏会や映画の鑑賞会も行われた。交渉の使節長である大将は、これらの異国文化に強く関心を抱いていた。



 上映される動画は、映画だけでなく、ドキュメンタリー番組やバラエティー番組なども含まれた。王国の司令官は特に、無声映画やミリタリー系のドキュメンタリー番組を食い入る様に鑑賞していた。



 言葉は通じずとも、音楽や映像は伝わる様だ。お互いに会話ができないのに、娯楽を享受するという奇妙な関係と時間が続いた。



 ところで、この会談の本来の目的は、娯楽ではなく、停戦交渉の糸口を探る為に開催されたものだ。そうであるにも関わらず、両軍の司令官は交渉の準備を行う素振りを見せなかった。



 二人共、分かっているのだ。こんな事は何の意味もないと。お互いの本国政府が戦争を志向している以上、この会談はまやかしに過ぎない。



 仮に停戦が相成ったとしても、それは一時の平和でしかなく、長くは続かないであろうことは誰の目にも明らかだった。王国は、敗戦するのが目に見えているとしても、帝国の威信に懸けて、将兵と国民の生命を削ってでも、戦う意思を捨てないだろう。



 敗戦の先にあるのは、属国化であり、植民地化だ。栄光の歴史を背負う王国に、その様な事態は断じて許容できるはずもない。



 最初の会談こそ、懸命に会話の端緒を掴もうとしたが、会談を重ねるにつれて、疲労感だけが蓄積していった。



 外交で決着する事は叶わないかもしれないという諦念が、その場を支配したのだ。それでも、司令官達の副官らは何とか停戦交渉を試みていたのだが、その努力もただ虚しいものだった。 



 やはり、お互いにとって時間が無いのだ。十分な時間さえあれば、外国語でも翻訳できただろうが、それは叶わない希望だ。



 何としても、食料と資源の備蓄が底を突くまでには、今次戦争を終わらせて、輸入できる体制を整備しなければならない。



 悠長に会談などしている場合ではない。二人は、自分達ではどうしようもない政治的都合とやらから少しでも離れる為にも、一層、茶会や鑑賞会を楽しんだ。



 会談の結果は、散々だった。即ち、両軍の停戦交渉は、成立さえせず、再び銃口を交えるしかないという訳だ。


 結局、外交によって平和状態を得るのでなく、戦争によって平和状態を獲得する他ない。逆説的ではあるが、戦争が平和を呼び、怠惰な平和が戦争を呼ぶのだ。



 これは、その国際社会の原理に従ったに過ぎない。両軍の司令官とその側近達は、武器を取ることを決心した。最早、交渉による平和は有り得ない。戦うしかないのだ。戦って、自由と平和を取り戻すのだ。



第4章⑥「第6弾道ミサイル連隊」



ヴィクトリア市上空:第22任務部隊(爆撃)



 A方面軍の空軍部隊は、戦争計画の修正に伴い、王国の主要都市・軍事基地を破壊する為の爆撃部隊として第22任務部隊を新設した。首都を港湾部から包囲する第2海兵遠征旅団の後退が完了した事で、首都を爆撃する準備の一つが片付いた。



 第22任務部隊の首都攻撃には、陸軍海兵隊の航空・艦砲射撃連絡中隊が爆撃機の誘導を担う。首都を爆撃すると言っても、都市を灰燼に帰すのではなく、飽くまでも都市機能を維持したまま、占領することを目的とするから、クリーンな核兵器を用いて無力化することを主眼とする。



 修正された戦争計画及び作戦計画では、戦争遂行能力の破壊を優先することに相成ったが、その一方で、現地のインフラ・交通網を保全・補強する為には、そもそもの戦争の目的である食料とエネルギー資源を国内まで輸入する必要があるから、物資集積所・交通の要衝として使用できる都市・基地は破壊せず、できるだけそのままの状態で占領下に置くことになった。



 従って、首都はそのような目的に供される要衝の一つとして選定され、破壊よりも占領が優先されるに至った。



 勿論、首都を含む主要都市・軍事基地の全てを破壊するという意見もあるが、占領による前進基地の確保という点は極めて魅力的であった。



 だからと言って、全ての目標を占領下に置けるだけの国力は、残念ながら現在の日本国には乏しいから、戦力の破壊と占領という二つの目標を組み合わせた計画へと修正された。戦力の破壊を主張する一派と占領政策を主張する一派の意見を折衷した妥協の産物でもある。



※※



ヴィクトリア市:陸軍省屋上



 陸軍省の高官達が、更なる動員計画を議論している最中、轟音と震動が庁舎を襲った。砲撃時の衝撃とはまるで違う。彼らがこれまで経験してきた如何なる戦争とも根本的に異なる。



 しかし、明らかに自然現象ではなかった。地震が発生したならば、この大地を揺るがす大音声は何だと言うのか。自然はこの様に鳴きはしない。



 幹部を含む職員達は、会議室から抜け出し、こぞって屋上を目指した。将官から軍属まで、ある者は窓辺に寄り、ある者は一階まで降りて様子を伺い、あるいは業務を中止して避難していた。



 屋上へと昇った連中は随分と物好きなのか、それとも大した野次馬根性の持ち主なのだろう。彼らが見た光景は単純だった。



 いくつもの巨大な航空機が上空を支配している。航空部隊によって、瓦礫の山が量産されている訳でなく、死体の山のみが連なっていた。建築物や公共資本などは殆ど影響を受けていない様だ。



 一体、如何してこの様な光景を生み出せるのだろうか。間違いなく、首都の天空に現れた飛行物体の群れが主因だろう。



 そうでなければ、何だと言うのか。意味もなく、飛行機が現れるはずもない。遠い大陸にあるという飛行機や魔導船の類だろうか。交易に従事する関係者はそう当たりを付けた。



 首都の市民のみならず、爆撃目標とされる都市や基地の住民達も同様の光景を直視した。航空機が爆弾を投下し、人々は死体となる。



 その繰り返しだ。占領目標に選定されなかった都市は更に悲惨だった。戦争遂行能力の破壊という目的を忠実に実行した結果、建築物や公共資本もその姿を消した。



※※



青森県:第6弾道ミサイル連隊



 修正された戦争計画では、敵国の戦争遂行能力を破壊することを目的の一つとするから、計画に記されている通り、当然、NBCR兵器の使用も躊躇されなかった。戦略兵器の管理・運用は、機能別統合軍の一つである戦略軍が担う。



 第6弾道ミサイル連隊は、戦略軍の作戦指揮権下にある空軍弾道ミサイル軍団(BMC)の隷下部隊で、今次作戦の主要な軍事オプションとして組み込まれた。



 連隊が保有する4つの地下式ミサイルサイロは、平時から戦時体制へと移行し、戦略軍司令部及び弾道ミサイル軍団司令部から割り振られた攻撃目標をそれぞれ担当する。連隊長の執務室を訪問している連隊の作戦幕僚が、戦略軍の作戦計画を説明した。



「BMCは、主に戦略軍から敵国の東部及び南部の核攻撃を割り振られています。我が連隊は、東部にある主要都市・軍事基地などの破壊を担当する予定です。


 攻撃手段として、連隊が保有するサイロの全てを使用します」



「弾頭は?生物や化学兵器を乗せなくても良いのか?」



「現在は、核弾頭を中心に搭載する予定ですが、状況によってはBC兵器の使用も有り得るかと」



「それで、うちの部隊は何発の核弾頭を敵にぶち込む?最低でも10発以上は発射したいな。転移前は、なかなか訓練でさえできなかったが、この世界で我慢する必要などないだろう?思う存分、弾道ミサイルをぶっ放す機会だ。全力射撃は、砲兵の理想だろう」



「連隊に与えられた攻撃目標は大きく分けて12拠点もありますから、最低でも12回は攻撃できるでしょう。


 もしも、攻撃効果が不十分であれば、勿論、何度も発射する事になります。何なら、何もない平野部や山林部にも着弾させてみますか?」



「俺はそこまで気狂いじゃないぞ。ただまぁ、あまりにも活躍の機会が少ないから、現状に少しだけ不満なだけだ。


 おお、そうだ。A方面軍の航空偵察部隊にこう伝えろ。『攻撃前後の写真を撮影して、こちらに送れ』とな。執務室と廊下に比較写真を掲載して、連隊の勲章とするぞ。これで、我が連隊は初の軍功を得られるな」



「…今までは、流石に中国やロシアに核攻撃する訳にはいかなかったですからね。ようやく、戦略兵器の存在意義を知らしめる、またとない機会ですから興奮されるのも無理からぬ事ですが」



「この戦いで、弾道ミサイル連隊廃止論を払拭できれば、なお良いな。最近は、SLBM以外の戦略兵器は削減すべきだなどという連中が一定の幅を利かせていやがるし…何としても、この機会に連隊の存在感を発揮しなければ、予算の獲得もままならない」



「それなら、最も威力の高い核弾頭に変更しますか?攻撃目標どころか、東部の全域を焦土化できます。連隊の攻撃能力だけでも十分に目的を達成できる様に思いますが」



「残念ながら、他の連隊や原潜なども動き出している。こちらだけで獲物を全て狩ってしまえば、要らぬ摩擦を生むだけだ。まぁ、そうしたいのはやまやまだが。他の部隊にも実戦の機会を与えてやりたいのだろう。


 戦略軍のお偉方が決定した事項だ。一介の大佐には覆し様もない。…ただまぁ、偶然、他の部隊の攻撃目標に誤爆することもあるかもしれないが」



「誤爆なら、しょうがないですね。意図的ではない訳ですから」



「そう、誤爆なら仕方のない事だ。戦場では、ままある事だ。責められる謂れは、少ししかない。楽しみだなぁ。実際に核攻撃するとなると、昂りが抑えられないな」



「そうですね。これで少しは予算が増えれば良いのですが。備品の殆どは自腹ですからね」



「正面装備ばかりに予算を充てる市ヶ谷の所為だ。戦略軍の予算の殆どは、NBCR兵器に吸収されて、残った予算は茶殻程度だ。


 それで維持費から生活費まで賄えというのが土台、無理なのだ。豪奢な官舎と大量の意味不明な手当ばかりをもらう連中には分からないのだろうな」



「制服組の中にも官僚化した連中は大勢いますよ。全く、羨ましい限りです」



「羨ましいか…沢山の部下を動かす方が楽しいと思うのだがなぁ。間違っても、国会対応や政治家への説明などしたくはないし、あれは現場よりも嫌だった」



「そう言えば、大佐は本省に勤めた事もありましたね」



「あそこの勤務は、クソつまらないぞ。こんな状態で、本当に国防ができるのかいつも疑問だったぐらいだ。それに比べて、連隊長は素晴らしい。何でも、自分で決裁できる。自分の思う通りに部隊を動かせる。お前も大佐まで昇進したら、絶対に連隊長を希望した方が良い。少なくとも、腐らずに済む」



「全員分のポストがないから何とも言えませんが、努力します」



「よし!これから戦争を始めるぞ!!4個砲兵大隊を招集しろ!!敵国に新しい戦争の形を教えてやろう。国土を焦土にされる苦しみを与えてやる」



 連隊長は心底楽しそうに、そう呟いた。彼らの言う通り、初めての実戦という状況が興奮を誘っているのかもしれない。



 日頃の訓練の成果を如何なく発揮できる機会だ。これで彼らに対する評価も決まるだろう。軍隊内で穀潰し扱いを受けていた彼らは、常に活躍の機会を求めていた。



 しかし、それは地球世界に於いては、即ち、核戦争を意味せざるを得ない。核抑止力による世界秩序の元では、求められるのはその存在感でしかなかったが、この世界では、その様な秩序や論理などというものはない。戦争という営みに例外などない。あるのは、勝者と敗者という結果だけだ。



※※



ヴィクトリア市:第16空挺師団



 第22任務部隊(爆撃)が首都を攻撃した結果は、軍民に平等の死を与えた。中性子爆弾は期待通りの結果をもたらした。住民の多くは、何が起きたかも分からぬまま、地獄に引きずり込まれた。



 第16空挺師団の内、2個空挺旅団を投入して、首都の占領に当たらせる予定で、空挺作戦と前後して首都を包囲する第2海兵遠征旅団及び第35歩兵師団(機械化)も首都の占領を開始する。



 首都の人口と面積を鑑みれば、空挺師団だけで占領下に置く事は難しく、飽くまでも、16師団は空挺作戦による奇襲の効果と心理戦の効果を狙ったものに過ぎない。



 それでも、空挺部隊による政治的効果と利益は絶大である。日本国は、いつでも好きな時に作戦部隊を投入し得る能力があると誇示する目的が強い。



 味方の将兵に対する士気の鼓舞とA方面軍に対する牽制の意図も含まれていた。各地域にあるという覇権国家や地域大国に対する極めて明確な意思表示だ。日本国は国際社会の覇権競争に参加するという事であり、列強諸国の一員であると証明した。



 住民がいなくなった首都を占領する事は容易かった。放射線の影響が少ない地域では散発的な戦闘が発生したものの、空挺部隊の障害にはならない。



 何よりも、空挺部隊だけなく首都包囲部隊も占領すべく既に動き出しているのだ。仮に数百人・数千人の生き残りがいたとして、何ができると言うのか。大した反抗もできず、掃討されていくだけだ。



 占領部隊が城塞・官庁街・大聖堂などの主要な機関を制圧すると、日章旗が掲揚された。占領部隊の誘導と統制を担った第2海兵遠征旅団長は、ようやく人心地つける事を静かに喜んだ。直接に政権と現場の調整に奔走した彼の疲労感は、徒労感へと変わった。



 果たして、今次の戦いに意義はあったのだろうか。そんな事ばかりが頭をよぎる。勿論、士気に影響するから、その様な感傷は噯にも出さなかったが、麾下の将兵は、士官・下士官・兵卒の階級の別なく、疑問と疑念を抱いた事だろう。政治に翻弄された戦争だった。



※※



ヴィクトリア市港湾部:海軍工兵隊



 首都の港湾施設は、日本海軍の攻撃によって荒廃が著しいものの、海軍基地として利用できる様に、早期の再建が望まれた。



 統合参謀本部及びA方面軍は港湾機能を回復させる為に、海軍工兵隊の派兵を決定した。同国最大の穀倉地帯であるアルファ区域からの輸送網を整備すると共に、将来的に設置が予定されている総督府の開設をより円滑に進める為でもある。



 海軍工兵隊は、艦艇組やパイロット組が幅を利かせる海軍の中にあって、主流から外れた組織であるが、だからと言って無能という事は決してなく、寧ろ、民間企業の熟練した建設・土木技術者を予備役として多く抱える為に、陸空軍の工兵隊よりも高度な専門性を有し、極めて効率的且つ優秀な技術者・職人組織として、軍内外から評価されている。



 特に、災害に於ける緊急時インフラ復旧活動の経験が豊富で、道路・橋梁から空港・港湾の整備まで、極短期間の内にそれらの公共資本を回復させた実績がある。海軍工兵隊にお鉢が回ってきたのも、それらの実績を考慮したからこその判断だった。



 工兵隊が予備役を招集するのにさして苦労はなかった。それというのも、戦時体制下によって、予備役が続々と動員されているというのもあるが、現役の技術者・職人は景気の悪化に伴い解雇や雇い止めに晒されており、軍人として給料を得る方が安定しているからでもある。



 予備役を招集する際には、一定の軍役拒否者や現住所不明の輩がいるが、こと予備役工兵に限って言えば、その様な連中は殆どいなかった。



 兵役を拒否すれば、社会的な制裁が加えられるのが常だが、それでも少なくない人数が現役への復帰を拒んだ。



 政府は、宗教や思想信条を理由に軍役を拒否する事を認めていないから、国家よりも自らの信仰やイデオロギーを重視する一部の人々は社会の片隅へと追いやられた。国民が国家の為に武器を取るのは当然の義務であるから、自業自得に過ぎないが。





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