第3章 王国軍人

ヴィクトリア市:第2義勇歩兵連隊



 首都の下層市民から徴兵された義勇歩兵連隊は、10個連隊を数えた。1個連隊は3,000人であるから、総兵力は30,000人である。



 彼らの装備は、衛戍軍の倉庫にあるマスケット・騎兵銃などで、侵攻軍の凶弾に倒れた軍人の装備を再利用したものも与えられていた。



 本来、義勇兵とは自らの自由意思に基づいて外敵を排敵する戦闘員であるが、強制的に志願させられることも珍しくなかった。



 義勇兵とはいえ、正規軍の指揮命令系統に属する歴とした連隊番号が与えられている以上、その体裁はきちんと整えなければならない。



 首都防衛軍と陸軍省は、事務担当の士官や予備役の士官を動員して、義勇歩兵連隊の指揮官などに充てた。



 後方業務に安心していた貴族士官らは、いきなり前線に投入されることになり動揺する連中もいたが、一方、書類仕事に飽き飽きしていた幹部達は、再び戦場に戻ることを喜んだ。軍人であるならば、武器を取って戦わねばならない。



 第2義勇歩兵連隊は、侵攻軍の海兵隊との戦闘正面を担務する衛戍軍第1師団の防御を助攻すると共に、正規軍の職業軍人の損害を抑制する為の人間の盾として用いられる。



 つまり、いつ死んでも構わない人間をいつ死ぬか分からない任務に投入するのだ。第1・2・3の3個義勇歩兵連隊を以て、侵攻軍の圧力を緩和し、なおかつ、攻撃機会と攻勢転換命令(防勢作戦から攻勢作戦に移ること)を伺うことを目的とする。



 軍事用語でいろいろと装飾されてはいるが、結局、彼らが侵攻軍に突っ込んで、無理やりにも攻撃箇所を把握するということで、それは彼らも良く理解していた。



 捨て石になるのだ。彼ら二級市民の犠牲を以て、首都を解放するのだ。最早、彼ら異民族・外国人の居場所は天空にしかない。そう、天国にしか居場所がないのだ。



 正規軍の陸軍士官は言う。この戦いで君達は、晴れて我が国の国民としての権利と義務を持つことができると。市民権を与えると。君達の子供と子孫は、市民権を得ると。



 そうやって、唆して死地へと送った。どうせ、死ぬ連中である。いくら口約束をしたところで守られることなどない。



 それでも、見せ掛けだけでも、強制ではなく、飽くまでも義勇兵として彼らは志願した。戦っても、戦死しても市民権が得られるかは分からない。



 しかし、彼らは自分達の祖先を思い出した。彼らの祖先は、中央政府と戦って、生存の権利を勝ち取ったのだ。



 本来、権利とは戦って得るものである。単に、国家から無条件に貰うものではない。権利の為には、闘争しなければならない。政府を倒してでも、個人の権利を死守するのだ。



 「法の目的は平和であり、その為の手段は闘争である」。彼らは、立ち上がった。これからの世代の為、なにより、自分達の為に。



 武器を以て、侵攻軍に激突し、退け、彼らの政府に要求しよう。参政権と訴訟の権利を。もし、受け入れられなければ、自分達の国家を作れば良い。そして、自分達がこの島国を支配するのだ。



 そうだ。そもそも、この島は自分達の祖先の物だったのだ。大陸からの白人移民達がこの国を乗っ取ったのだ。



 そうであるならば、自分達にも出来ない道理はない。今こそ、自分達の郷土を取り戻せ。彼らには、武器がある。銃と闘争心という二つの武器が。



※※



ヴィクトリア市:第一次防衛線(担当:第1師団・3個義勇歩兵連隊)



 首都港湾部を占領する敵海兵隊は、凡そ2個師団程度の規模で、第1次防衛線を担当する第1師団が防御に徹していた。



 攻撃した所、被害が拡大するばかりで、こちらの攻撃は相手には届かない。そもそも、銃の射程距離が違うのだ。彼らの主力武器であるマスケットの射程距離は100~300m程度である。



 一方、敵軍の小銃は、500~800m程度の射程距離を持つ。更に、大型の銃(※重機関銃のこと)はその数倍もの射程と威力を持つ。



 その銃弾の弾幕に突っ込みたい兵士がいるだろうか。正規軍である衛戍軍にしても、尻込みするのは仕方ない。



 最前線で、敵弾を浴びた第1師団の第1歩兵連隊は壊滅状態で、第2師団の第2歩兵連隊が第1師団に編成され、騎兵連隊・砲兵連隊の一部も既に第2師団の部隊と入れ替わっていた。



 戦力を抽出された第2師団の陣容は大きくその数を減らし、消耗する第1師団へ兵力を供出し続けている。



 第3師団の一部も既に第1師団に組み込んでいるぐらいだ。軍人達は、第1師団を「テセウス師団」などと呼んでいる。その内、師団長以下兵卒ごと人員が入れ替わるだろうという不謹慎な冗談である。



 第2義勇歩兵連隊は、第1師団第2歩兵連隊(第2師団供出)と入れ替わる様に、最前線に集合した。連隊長が声を張り上げた。その軍服にはかつて彼が現役軍人であった頃に下賜された勲章の数々がぶら下がっていた。退役後は家業を継ぎ、細々と小さな店を経営していた。



 しかし、陸軍省の予備役動員によって、彼も又、招集されたのだった。連隊長は、数多の勲章を地面に叩きつけると、怒声を浴びせた。



「いいか!俺達は死ぬ!俺達は死ぬ為に招集されたのだ!!勲章を捨てろ!名誉を捨てろ!戦え!戦って死ぬ以外に我が民族の誇りは守れないぞ!!異民族と外国人の矜持をこの国の連中に見せ付けろ!!訓示は以上だ!各自、戦って死んで来い!!!!」



「「「「おう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」」」



 彼らは既に覚悟を決めていた。死ぬ覚悟を。死して、民族と郷土の肥料となるのだ。そして、戦って彼らの子供達の生存権を勝ち取るのだ。戦わなければ、生きる価値などない。



「突撃ぃー!突撃だ!!突撃せよ!!敵軍を蹴散らせ!!」



 連隊長・大隊長・中隊長・小隊長・分隊長の各級指揮官が目一杯に叫んだ。それは最早、命令とさえ言えない命令であったが、それでも、兵士は動いた。



 次々と敵軍陣地へと突撃していった。侵攻軍が用いる重機関銃の弾幕に倒れる中、それでも彼らは突撃を止めなかった。



 第1大隊が壊滅し、第2大隊が壊滅しても、更に第3大隊が銃剣突撃を敢行した。彼らはこの国を守る為に命を捨てるのではない。



 彼らの国を守る為に戦うのだ。4個歩兵大隊が壊滅し、連隊長も戦死すると、最後に補給大隊が小銃に着剣した。



「捧げぇー命ぃ!!着剣!!着剣!!着剣せよ!!!!突撃ぃー開始!!!!」



 補給大隊は後方支援大隊であって戦闘大隊ではない。それでも、彼らは護身用の銃に着剣し、敵軍へと進撃した。



 その足並みも次第に減っていく。敵軍の凄まじい弾幕がこちらの兵力をごっそりと削り取っていくのだ。



 それでも、いいのだ。死んでこそ、自分達の価値は示せるのだから。その他の義勇兵連隊も同様であった。彼らはその戦死によってのみ救われるのだ。



 そして、戦後に於いては、権利と地位を獲得するだろう。そうでないならば、国家に忠誠心と愛国心を誓う必要はない。新しい国家を建国すれば良いだけだ。



※※



ヴィクトリア市:第2海兵遠征旅団



 依然として、首都の港湾部を占領下に置く第2海兵遠征旅団司令部は、敵軍の攻撃の激しさに感心した。



 同時に、無駄死にさせる王国政府に怒りを覚えた。彼ら義勇兵の決死の突撃は何の意味もない。機関銃と迫撃砲で撃退できる程度の攻勢だ。軍事的な価値はないに等しい。



 尤も、旅団が特に意識していない政治的な価値を踏まえれば、また少し違って見えたことだろう。義勇兵はその身を以て国家という政治共同体に社会契約を迫ったのだ。市民権を得る代わりに死んでくると。そう、約束したのだ。



 その点で言えば、彼らの決死の献身は陸軍省と陸軍大臣も理解しており、議会工作を以て市民権を付与するつもりであった。



 何よりも、命を奉げて戦死したのである。これこそ、軍人のあるべき姿である。同じ軍人であるならば、いや、武官であるならば、最大限の敬意を示すべきだ。市民権の授与など生温いくらいである。



 首都防衛軍の将兵は震え上がった。敵軍が怖いから震えたのではない。義勇兵達の覚悟に震えたのだ。そうだ。国家を守るということは、死ぬということなのだ。



 どこか、牧歌的な雰囲気さえ漂っていた国内で忘れさられ、蔑ろにされた精神である。隣人が義勇兵として戦死して、ようやく気付いたのである。



 第2海兵連隊の防御陣地では、突撃してくる敵兵を、ただひたすらに機関銃陣地からなぎ倒していった。敵兵の覚悟には感嘆するが、それでも、祖国の生存も懸かっているのだ。



 これは明らかに侵略戦争で、地球世界の国際法に悖る行為であるが、何よりも優先されるべきは国家の生存なのだ。



 その為ならば、軍人はいくらでも手を汚さなければならない。その覚悟がないのならば、軍人になどなるべきではない。



 そして、この陣地にいるのは、そんな覚悟を持った職業軍人達である。彼らは、護国の鬼になることを決心していた。



 それも、悲壮感でなく高揚感からでもなく、ごく自然にそう思ったのだ。もしかしたら、今この時、両軍は本当の戦いを始めたのかもしれなかった。



 敵兵の呻き声が聞こえる。叫び声が聞こえる。言葉は通じとも、何が言いたいかは手に取る様に分かった。



 同じ軍人なのだ。やることは一つである。戦う為に気勢を上げるのだ。戦う意思を捨てない為に、声を張り上げるのだ。



 怖くとも、やらねばならない。そこには未来に対する期待が溢れていた。敵兵は死ぬことによって、未来を切り開いているのだ。



 それでも怯むことなく、海兵旅団も銃弾の嵐を突撃してくる敵兵に浴びせ続けた。寧ろ、降伏を要求するよりも一思いに殺す方が礼儀正しい。



 軍人は戦ってこそ、その存在価値を認められるのだ。首都防衛軍は、3個義勇歩兵連隊を喪失しながらも、更に残りの7個連隊を戦場に投入し、新しく徴兵を開始した。首都の人口は着々と減りつつあった。それでも、未だに敵軍の手には落ちていない。



※※



第2海兵遠征旅団司令部:参謀会議



 旅団長(陸軍少将)以下、司令部の高級幕僚が会議室として使用している居間に集合していた。防勢から攻勢に転じた敵軍への対処方針を決定する為である。情報参謀が現状を報告した。



「現在、我が軍は、攻勢を強める敵軍に対して、防御陣地での持久に徹しています。敵軍の意図についてですが、我が軍の弱点を探り、攻撃機会を作出する為かと思われます。無人偵察機などの情報を勘案するに、一般市民の徴兵も行っている様です」



 続いて、兵站参謀が弾火薬の補給について報告した。



「弾火薬ですが、必要量が足りないかもしれません。どうやら、ベータ区域で大量の機関銃弾が調達されているらしく、こちら側へ思う様に回されません。補給の限界を鑑みれば、あと、一週間程度の戦闘が限界です」



 作戦参謀が作戦案を提示する。



「これらの情報と補給を踏まえるに、早急に首都の制圧が必要でしょう。空爆とミサイル攻撃の許可を政府から取り付けるべきです。


 その上で、徹底的に首都を破壊しましょう。エリザベス王国を占領統治する上で、この街は必要ありません。総督府はベータ区域にでも置けば良いでしょう。閣下、首相と統合参謀総長の許可を求めるべきです」



「通常の銃撃戦では叶わないと?」



「その通りです。核兵器や生物・化学兵器の使用も検討すべきです」



「…統合参謀本部に繋げ」



※※



日本国:首相官邸危機管理センター



 首相は、現役軍人である副官から連絡を受けると、すぐに地下にある危機管理センターへと向かった。


 テレビ会議システムが繋がれた統合参謀本部・A方面軍最高司令部・第2海兵遠征旅団司令部の面々がそれぞれ席に着いた。首相は、旅団長に尋ねた。本当に現在の補給では戦争継続は困難なのかと。



「旅団長。弾火薬が突きかけているとのことだが、本当にもう戦闘継続は困難なのかね?」



「正確には、我が旅団が継戦能力を失うのは、残り一週間後であります」



「では、その一週間では首都の制圧は難しいと?」



「現在の制限された戦い方では、無理でしょう」



「制限を解除すれば、戦えるということか?」



「仰る通りです。装備の完全な使用許可を頂きたいのです。ウェポンズ・フリー(兵装自由許可)であります」



「…統合参謀総長と方面軍最高司令官も異論は無いと?」



 統合参謀総長が応じた。



「異論はございません。もう十分、我が国の軍事力は示威できたでしょう。政治目的は達成されています」



「私も同意見です」



 A方面軍最高司令官も首肯した。



「そうか…分かった。全ての兵器の使用を認める。以上」



 司令官達がお礼を述べると、会議は短い時間で終了した。



第3章②「近衛兵と君主」



エリザベス王国首都:バッテンベルク城塞



 外国軍隊による首都への侵攻に対して、王国政府の主要閣僚・高官達はバッテンベルク城塞へと避難していた。



 例外は、大法官と陸軍大臣・海軍大臣程度で、彼女らは自らの省庁に留まっている。城塞は首都防衛の要所として建設され、以後、中央政府の避難先として維持されていた。



 城塞としての機能は、砲撃への防御として星形要塞の形をとり、1個師団程度の兵力を駐留させることができる。



 現在は、第1近衛歩兵連隊・第9近衛擲弾兵連隊の2個連隊が配備されている。平時に於いては、第1近衛歩兵連隊の1個連隊が常駐し、君主の居城を防衛警備し、軍事力を内外に誇示している。



 君主は日々悪化する情勢について思案に暮れていた。首都防衛軍からの報告は惨憺たる内容で、消耗した兵力を補充すべく、予備役にない一般市民の徴兵も開始されていた。



 しかし、そうした動員が、更に首都防衛軍とヴィクトリア市の兵站能力に過剰な負担を強いる結果となっている。



 同市は、その巨大な河川と港湾によって莫大な食料需要を充足していたが、敵軍による交通路の遮断によって補給網が破壊され、締め上げられている状況であった。



 正直な心情を言えば、直ぐにでも敵軍に降伏したい状況であるが、敵軍の司令官と会談した首都防衛軍司令官によると全く異なる外国語を話す様で、降伏交渉の為の予備交渉さえ成立しない状況である。



 最早、敵軍が疲弊するのを待つか、それとも自軍が崩壊するのが先か、それすら分からない。それでも、君主としてバッテンベルク王朝を終わらせたくはないし、同国を敗戦に導いた君主として歴史書に記述されるのも御免である。



 しかし、現状に対する打開策はなく、悪戯に兵力を消耗しているだけである。いつか破綻するのは目に見えていた。



 更に言えば、自らの直轄兵である第1近衛歩兵連隊が不穏な動きを見せていた。連隊の士官は王国人が中心であるが、下士官・兵卒は外国人や植民地兵が多く配属されている。



 首都の市民に銃口を向けることを考慮した人事であるが、それが裏目に出た形だ。祖国を植民地・属国として支配していたエリザベス王国の首都が攻撃された上に、戦況が芳しくないのである。



 動揺を誘わない方がどうかしている。植民地兵・外国人兵達は、表向き、動揺を隠し抑えているが、軍人であった君主にはその心の揺らぎが手に取る様に理解できた。



 彼が公爵大佐であった頃、第2近衛歩兵連隊の指揮官として着任し、一癖も二癖もある将兵達に手を焼いたものである。



 彼ら将兵は王族士官だからといって容赦はしなかった。どちらが上官であるか分からないぐらい、厳しく指導されたのだ。



 しかし、今となってはその厳しい指導のおかげで、君主として要求される軍役を水準以上に遂行することができた。これといった政治的な成果に乏しい彼にとって、それは自信に繋がるものだった。



だからこそ、隷下の近衛兵に対して同情心を覚えつつも、一方で、為政者として冷徹に計算することにも躊躇いは無かった。



 即ち、彼ら近衛兵も義勇兵と同じ様に磨り潰すのだ。そうすることで、不穏分子を排除できる。抵抗する様ならば、第3師団や第1近衛竜騎兵連隊を投入すれば良い。



 あるいは義勇歩兵連隊を督戦隊として使うのもありだろう。玉座を脅かすものは何であれ、撃滅せねばならない。



 その為にはあらゆる手段が許されるのだ。陸軍大臣ならば、喜々として実行することだろう。君主は考えを纏めると、陸軍省へと侍従武官(陸軍大将)を差し向けた。



※※



陸軍省:大臣執務室



 陸軍省の庁舎は、主要省庁が集結している官庁街から離れた広い敷地に建てられていた。軍事基地としても使用する為に、広大な敷地が必要ということや、クーデターが発生した際にできるだけ陸軍を中央政府・権力中枢から遠ざけたいという思惑が働いた結果である。



 陸軍省の本部には、1個歩兵大隊と第1近衛竜騎兵連隊が駐留している。歩兵大隊は陸軍省の警備を専任し、近衛竜騎兵連隊は、法執行機関として首都の治安維持を担当している。



 竜騎兵は、騎兵銃を装備した騎兵を指すが、君主の近衛兵として各地の治安維持や憲兵業務を行い、陸軍省が警察権を獲得するに至った。諸侯らが保有していた警察権は、陸軍省が国内の異民族討伐と君主の地方巡察を名目に、権限を奪っている。



 陸軍大臣(侯爵元帥)は、諸侯を粛清する手段としてこの近衛竜騎兵連隊を用いており、諸侯にとって恐怖政治を体現する暴力装置として恐れられている。



 いわゆる司法警察や行政警察としての機能だけでなく、政治警察としての機能も併せ持つ。陸軍省が、有力諸侯に睨みを利かせられるのは、単に強力な陸上戦力を持つからでなく、竜騎兵による諜報活動に裏付けされた政治犯罪を軍法会議で裁くことができるからだ。



 軍法会議は、唯一の例外として大法官裁判所に対する上訴が認められておらず、高等軍法会議が最終審を担当する。



 即ち、国事犯であると陸軍が判断すれば、例え貴族や聖職者であっても軍法の埒外ではなく、軍法会議に掛けられるのである。陸軍大臣はこの軍事刑法を大いに活用して、尊き血統の売国奴共を血祭りに上げていた。



 大臣執務室に君主の侍従武官(陸軍大将)が訪れたのは、不穏分子を排除する為だった。侍従武官を務める陸軍大将は、陸軍士官学校の同期であった大臣に挨拶を交わした。



 侍従武官と陸軍大臣は士官学校に入学する以前からの知り合いで、戦場で幾度も戦った戦友である。お互いに知らない仲ではない。



 暫く、戦場の思い出に浸っていた二人であるが、紅茶が冷め始めたのを頃合いに侍従武官が本題を切り出した。



「第1近衛歩兵連隊について、陛下は豪く心配している様だな」



「それは、士気という意味か?それとも…」



「後者だな。といっても、前者も含まれるが」



「つまり、叛乱の兆しがあると?」



「そうは言っていないが、仮に彼らが蹶起した場合、王国政府は武力で瞬間的に制圧されてしまう。何せ、主要閣僚と政府高官達はバッテンベルク城塞に避難している訳だからな」



「それで?何が言いたい?何をさせたい?」



「君主の近衛兵である彼らは、戦死した義勇歩兵連隊と同じく、最戦前で奮闘することが国家の利益ではないかと。自身よりも国家を按ずる陛下の願いですかな?」



「…近衛兵も消耗させろと?不穏分子を排除する為に貴重な戦力を削ると?」



「近衛兵といえども、例外ではない。寧ろ、近衛兵こそ、その武勇を布武すべきではないか?」



「ならば、近衛兵の次は、城塞に逃げ込んだ貴族と官僚共だな。連中も戦場に送り込んでやる」



「…本気なのか?」



「何を今更。死は平等に与えられるべきだろう?戦場ではそうだったじゃないか。近衛兵を潰すならば、城塞の貴族連中も潰さないとなぁ。それでこそ、平等だろう?」



 陸軍大臣はそう答えると、楽しそうに笑っていた。あぁ、楽しい。泳がしていた魚を釣る時がきたのだ。これだから、軍人は辞められない。いつまでも現役でいたいものである。



「さて、ではこれより、青い血も出血させてみるか。ギロチンに掛けるのもいいが、たまにはこういうのも悪くはない。勿論、拒否する輩は軍法会議で死刑だ」



 大臣はその光景を想像したのか、更に笑みを深めた。国家権力とは何と甘美なのか。権力に溺れた貴族を、同じく権力に魅せられた大臣が裁くというのは皮肉ではあるが。



「城塞の引き籠り共も、軍役を経験しているだろう?ならば戦うことに何の躊躇いがあるのやら」



「…本当に権力と粛清が好きなのだな。現役であった頃と何ら変わらない」



「当然だ。人間はそう簡単には変わらない。変わろうとしても、それは見せ掛けだけだ。人格を変えることはできても、性格は変わらないものだ。それこそ、戦争や災害でも経験しない限りは」



 その言葉に大臣の本質が表れているだろう。大臣が現役軍人であった頃、軍規を犯した戦友を容赦なく断罪していった。



 それも、異民族の討伐と同じ様な方法で綱紀粛正を図ったのである。彼が率いた第8師団は、鉄の規律を維持し、同国でも最精鋭の師団として名声を轟かせていた。



 彼にとっては、陸軍大臣の地位というものはその延長線上でしかないのだろう。結局のところ、軍隊とは愛情でなく恐怖によって維持され得るのである。その点、政治の本質も友敵関係であるから、同質なのかもしれない。



※※



陸軍省:第1近衛竜騎兵連隊



 第1近衛竜騎兵連隊は、部隊の名称こそ「連隊」であるが、その部隊の規模は「旅団」に匹敵する。首都の広大な面積と莫大な人口を管轄する為には、1個連隊3,000人程度では人手が足りず、実際には1個旅団6,000人程度の兵力を抱えている為である。



 陸軍省は、首都の治安維持という重要性に鑑みて、少将を連隊長に充てている。現在の連隊長は、下士官からの叩き上げであり、従騎士へと叙任されて、平民から準々貴族へと伸し上がった。



 従騎士への叙任は、陸軍大臣が手を回し、出世と引き換えに、大臣の懐刀へと収まった。少将は、陸軍大臣の権力を盾にして、首都の治安維持を強権に遂行した。それには、拷問や政敵の暗殺なども含まれた。



 連隊は、犯罪捜査部門・巡回部門・諜報部門の三つに分かれる。副連隊長は准将が務め、三部門はそれぞれ大佐が率いる。



 連隊長の元を訪れたのは、陸軍大臣の副官であった。副官は、大臣からの手紙を携え寄越してきた。同じ庁舎にいるのだから、わざわざ副官を派遣する必要もないのだが、一つ一つの仕草が大げさな名門貴族らしい。あるいは、単に面倒を嫌っただけかもしれないが。



「少将閣下。大臣からの封緘命令書であります」



「封緘命令?いつになったら開封していいのか?」



 連隊長は、執務室を訪問してきた大臣の副官にちらりと目をやると先を促した。



「陸軍大臣による戒厳令が施行された時に、開封をお願い致します」



「戒厳令…それは誰が執行するのか?陸軍大臣か?首都防衛軍司令官か?それとも私なのか?」



「戒厳司令官は、陸軍大臣でございます。時機を伺って発令されます」



「元帥閣下自身が戒厳を執行するというのは、大仰ではないか」



「元帥閣下は、陛下に帷幄上奏し、戒厳令の裁可を求める次第であります」



「帷幄上奏だと?大法官や他の閣僚を通さずに執行するということか?」



「仰る通りでございます。この案件は、陛下と元帥閣下の二人によって秘密裡になされなければなりません。つきましては、少将閣下にも協力して下されば、心強いと元帥閣下が仰っていました」



「どの道、私が断るはずもないだろう。分かった、封緘命令を受領する」



 お互いに敬礼を交わすと、執務室は再び静けさを取り戻した。連隊長は、椅子から立ち上がると、部屋中を歩き回って考えを整理していた。



※※



バッテンベルク城塞:第1近衛歩兵連隊



 悪化の一途を辿る首都防衛の情勢は、城塞を守備する第1近衛歩兵連隊にも届いていた。連隊長は、自身の保身と出世を天秤に掛けていたが、それよりも麾下の将兵の動揺を抑えるのに労力を割かねばならなかった。



 過去、敵軍が首都にまで歩を進めたのは、450年程前のエリザベス=ルペン戦争以来であった。それ以後は、首都に上陸する前に、海軍によって上陸輸送部隊を撃沈していたから、彼らが敵兵という存在を意識していなかったのも無理はない。



 寧ろ、近衛兵の仮想敵とは、配備された都市や地域の貴族・住民であった。これらの犯罪や不法行為を取り締まり、軍事力と警察力を兼ねているのが近衛連隊である。君主に侍る侍従武官が連隊長を訪れたのは、夜の帳が下りた時刻であった。連隊長は世間話を挟まず、本題を尋ねた。



「大将閣下。何用でしょうか」



「…お前はもう少し雑談をできないのか。いきなり本題に入る奴はいないぞ」



 侍従武官は呆れた様に窘めた。しかし、連隊長は注意に対して気にする素振りも見せなかった。



「さぁ?私は今までこうして仕事をしてきましたが。拙速を尊ぶのは軍人の心得でしょう」



 大将は露骨に溜息を吐いたが、それ以上は追及しなかった。時間が大事なのは、軍人であれば誰もが認めるところだからである。



 何よりも、現在は侵攻軍が首都を挟撃しているのだ。悠長なことは言っていられないだろう。



「お前の連隊を前線に投入したい。できるか?」



「それは陛下の意思ですか?それとも陸軍大臣の命令で?」



「両方だ。陛下と元帥閣下の両者から合意を取り付けている」



「そこまで、戦況が悪化しているということですか」



「そうだ。義勇歩兵連隊の献身だけでは足りない。陛下は義勇兵の戦死に心痛していらっしゃる。麾下の近衛兵も出撃させることで国家の意思を示す必要がある。陛下の直属の将兵である近衛兵が最前線で戦うことに意義がある」



「そうですか。それで、本音は?」



「…お前は素直じゃないな。近衛兵が不穏分子になるくらいならば、戦場で磨り潰した方が好都合だ。お前にとっても悪い話ではない。近衛兵の献身を以て、少将に二階級特進できるぞ」



「それは、私も戦死したらの場合でしょう?下らない。それならば、一層のこと…」



「早まるな。お前は安全な後方から指揮をしていれば良い。それだけで、陸軍省の軍政局長に栄転だ。二つ星の階級章も付いてくる」



「随分とまぁ、用意周到に準備していますね。そりゃあ、勘繰りたくもなりますよ」



「やってくれるか?やらなくても別に左遷したりはしないが」



「この戦況で左遷などしようものならば、間違いなく士気に影響するでしょうね」



 連隊長はそう吐き捨てて、冷笑した。



「まぁ、命令である以上、私に拒否権はありませんよ。これから敵軍と一戦を交えてみます」



 連隊付きの准尉を呼び出すと、城砦の警備に2個歩兵大隊を残して、2個歩兵大隊及び1個補給大隊を即応態勢に移行させた。来るべき戦場に向けて、近衛兵も動き出していた。



第3章③「義勇兵の叛乱」



ヴィクトリア市:大法官府



 私はこれからどうするべきか…大法官を務める彼女は冷静を装っていた。しかし、その胸中は穏やかではなかった。



 当然だ。臣下として位を極めた彼女だが、何れは玉座に座りたいという野心を抱いていた。王冠を被る為ならば、苦労して手に入れた聖職さえ手放すだろう。



 それでも、玉座と王冠は遠かった。外国軍隊が首都を攻撃した時は、絶好の機会だと思った。その状況を利用して、自らの執行権をじっくりと固めていけば良い。君主の名に於いて、君主権を奪うのだ。



 しかし、戦況は芳しくなかった。これほどまでに追い込まれるとは想定外だったのだ。首都の港湾に停泊する第1艦隊が撃滅されたとの報告を受けても、いまいち実感が沸かなかった。



 彼女は飽くまでも聖職者であり文官であるから、戦争や軍隊というものを良く理解していなかったのかもしれない。



 今になって軍事学を修めるべきだったと後悔した。彼女が熱心に取り組んだのは修辞学や法律学などが中心で、ひたすらに聖職者として必要な学問に励んだが、それ以外のことにはさして興味を持たなかった。



 自分が疎い専門分野の補佐官を揃える必要性を痛感した。ひとまず、玉座の件は保留だ。それよりも、目の前の現実に対処しなければならないのだから。



 執務室の椅子に深く腰掛けると、天井を仰いだ。自らが信仰する神に祈りを捧げると、クイーンズベリー大司教としての彼女が姿を現した。



 政治権力に執着する彼女であるが、信仰心は一時も失ってはいなかった。寧ろ、信仰心を糧にして貧困から成り上がった。



 現在の自分が大司教と大法官の地位を得たのも自らが信仰する神の恩恵であると信じて疑わなかった。国家の緊急事態であるからこそ、平時と変わらずに粛々と職務を遂行していた。



 玉座への野心を抱く彼女であるが、それが君主と他の側近達に露呈してはいけない。飽くまでも、行政の専門家として立ち振る舞うことに意味がある。



 それでこそ、警戒心を抱かれず、権力に接近することができる。そして、彼女の美しい容姿も君主の警戒心を解くのに一役買っていた。



 彼女は下心を覗かせる君主を嫌ってはいたが、その一方で権力基盤の強化に努める姿勢を評価していた。何よりも、平民や女性の登用など、自らの優位性を維持する為ならば、政治的な柔軟性を見せるところも良い。



 その政治的姿勢によって、自らが首席の閣僚にまで成り上がったのだから、その点については感謝しているのだ。



 彼女は、自らの身体を君主の慰み者にすることを良しとしなかったが、身体以外の武器は存分に振るった。神聖と処女性を維持しながら、女の武器を活用して権力に寄り添ってきたのだ。彼女はこれからもそうやって生き延びるだろう。彼女は大法官府の尚書次官を執務室に呼び寄せた。



「猊下。ご機嫌麗しゅうございますかな?いやーいつ見ても美しいですな」



 尚書次官は大法官を務める彼女に対して慇懃無礼に振舞った。形式上は大法官に対して敬譲を示すものの、腹の内では小娘と軽蔑しているに違いない。



「次官に褒めて頂いて光栄ですわね。それにしても、会う度に同じことを仰るのね」



「えぇ、それはもう猊下の利発さと美しさの前には語彙が少なくってしまうのも無理からぬこと。教養が足りない自分を恨むばかりですなぁ」



「両法博士の貴方に教養が足りないというのなら、城塞に籠っている宮廷貴族の連中は無教養でしょうね。貴方を呼んだのは、この町に戒厳令を布く為。


 何れ、必要になるでしょう?陛下と陸軍大臣は私にばれないとでも思っているみたいだけど。国璽を管理する私に相談なく戒厳令を執行するのは頂けないですわ。勅令であっても、私の押印なくして発効しないはず」



「おや?私がこそこそ動いていたのが見つかりましたかな?これは申し訳ない。ですが、陛下の勅令であったが故、斟酌して頂きですなぁ。


 私も猊下を裏切る様な真似をして心苦しかったのですが、それでも陛下の忠実な臣下である私に断るという選択肢は無かったのでございます。


 私は、猊下の部下である前に、陛下の臣下でありますから。寧ろ、陛下の命令を優先するのは当然でしょう?」



「えぇ、確かに貴方は陛下の臣下でもある。それでも、一言、連絡くらい寄越しなさい。戒厳令に反対ではないけれども、正式な手続きを経ずに執行すれば、後々の歴史に大きな禍根を残すでしょう。次からは、私にも相談する様にお願いしますね?」



「御意でございます。しかし、陸軍大臣が戒厳司令官となったならば、猊下の玉座が遠くなりますなぁ。どうなさるおつもりで?まさか、このままじっとしている訳でもないでしょう?」



「玉座を狙ってなどいません。私は与えられた政務を粛々とこなすだけです」



「そうですかぁ?この緊急事態ならば、誰が君主になってもおかしくはないですがね。バッテンベルク王朝の次はどこの家門ですかね?私は、辺境に赴任している王族士官ではないかと当たりをつけているのですが。猊下は誰が相応しいと思いますかな?」



「それは勿論、王位継承権第1位である王太子殿下でしょう。それ以外にあって?」



「例えば、第3近衛騎兵連隊長の王女大佐殿下や、王族から離籍したキングスフォード辺境伯領の代官を務める男爵砲兵大将閣下とかですかな?その他だと、第2近衛歩兵連隊長の王子大佐殿下も候補の一人ですな。あるいは、陛下の弟君である大公殿下も有り得るでしょう」



「次官、不敬罪を適用しますわよ?今ここで、略式の裁判を開廷しようかしら?」



「おお、それは勘弁して頂きたいですなぁ。私は飽くまでも、祖国を憂いているに過ぎませんぞ」



 次官は自らを陛下の忠臣だと嘯いた後に、この有り様である。心の底から誰も信じてなどいないのだろう。それが行政官としての彼の政治術なのかもしれない。あるいは単に性格の問題か。



「いやー面白くなってきましたな。やはり、情勢というものは安定するよりも混沌とする方が面白い。官僚として半世紀、奉公しましたが、こういう出来事が起きるから人生は楽しいですよねぇ」



「貴方はもしかして、陸軍大臣と同類なのかしら?そうだとしたら、厄介な性格をしているわね」



「官僚の多くは安定を望みますが、だからこそ私は混沌と変化を望むのですよ。それが出世の秘訣ですかな。


 次官の席が私に回ってくる為には、誰よりも正反対の手段を採る必要があったので。まぁ、若い貴女にも理解する時がくるでしょうねぇ」



「私の部下は変人しかいないのかしら?真面な性格の部下が欲しい…」



「猊下は不出来な部下を以て大変ですなぁ」



 次官は飽くまでも他人事の様に感想を洩らした。彼女はそんな彼の様子を見て溜息を吐くのだった。



※※



ヴィクトリア市:第三次防衛線(担当:第3師団)



 首都港湾部に上陸した敵海兵隊に対して第1師団と義勇歩兵連隊からなる第一次防衛線は良く持久していたが、一方、背後を守るはずの第二次防衛線・第三次防衛線は崩壊寸前だった。



 第二次防衛線を担当する第2師団及び第三次防衛線を担当する第3師団は、第1師団への兵力の提供によって、その兵力を大きく減少させた。それも、敵軍との交戦によって戦力を消耗したのではなく、援軍の派兵によって消耗しているのだ。



 そもそも、侵攻軍に対する側面・迂回攻撃を担っていたはずの第3師団がその任務を解かれ、第三次防衛線を構築していることが事の重大性を伺わせる。



 但し、防衛線と言っても、歩兵連隊は前線に割かれているから、その哨戒には市街戦に向かない騎兵連隊や砲兵連隊が割り当てられていた。



 加えて、兵站連隊や本部中隊の人員も駆り出されていた。使える者は何でも使うといった感じで、連隊駐屯地の軍属や吏員にもマスケットを配備している有り様であった。



 正規軍を補充すべく、近隣の住民も義勇歩兵連隊として志願させられていた。最早、義勇歩兵連隊は首都郊外の外国人・異民族だけでなく、都市の上流階級にまで動員が掛けられた。



 陸軍大臣とその尖兵である第1近衛竜騎兵連隊は、義勇兵への「志願」を拒否した市民を次々と拘束し、軍法会議へと招待した。



 国事犯を除けば、軍人や軍属でない彼らを裁く権利など軍法会議にはないはずだが、軍事力が法律を超越した。国家の緊急事態に際しては、武力こそが唯一の法律であり、だからこそ陸軍大臣が独裁官として振舞えるのだ。



 現在、戒厳令は布告されていないが、それも時間の問題だろう。



 国璽を管理する大法官が、自分を抜いて戒厳令の件が進んでいたことに豪くご立腹な様子で拗ねていたのが、君主を少し落ち込ませたが、君主の侍従武官を務める陸軍大将が大法官府に赴いてご機嫌を伺っていた。



 君主はこの一件に関して連絡を入れなかったことを謝罪して、大法官を務める彼女を宥めている。



 陸軍大臣はどこから情報が漏れたのかと気が気でなかったが、聖職者には軍人とは違った情報網を持っているのだろう。



 君主の側近と陸軍省にはクイーンズベリー大司教区の信者が多くいるからそこから伝わったのもかもしれない。



 教会勢力を駆逐したとは言え、その勢力は未だに健在であった。政治権力は無きに等しいが、それでも地方に根を張った活動とその情報網は侮れない。



 大臣も何度かその教会勢力に足元を掬われそうになったことがあるから、注意深く事に当たっているが、陸軍省の職員の全ての思想調査を行うというのは非効率的で無理がある。それならば、教会の犬を泳がせて、情報の抜け穴を探す方が効率的だろう。



 第三次防衛線の主力は正規兵ではなく、義勇兵であった。兵数を減らしている正規兵に対して、義勇兵は次々と補充されて、兵数を増していった。



 第3師団の騎兵連隊や砲兵連隊は戦闘兵科連隊ではあるが、歩兵戦闘や市街戦の経験に乏しく、首都郊外での野戦を志向していたから、その動きはどこかぎこちなく素人臭かった。



 寧ろ、退役軍人の義勇兵の方が正規兵に見違える程である。第三次防衛線の指揮官は第3師団長であったが、担当区域の義勇兵が麾下の正規兵を超えると義勇歩兵連隊の暴走に拍車が掛かり、義勇兵達の掌握に四苦八苦していた。



 義勇兵達は、自らが主力であると分かると、正規軍に対する態度が悪化し、巡回する近衛竜騎兵に対してもそれは同様であった。



 今や義勇兵の兵力は、全体で3個軍団に匹敵し、首都防衛軍の大部分を占める様になっていた。彼らの待遇改善要求を司令部は対応しかねていた。



 彼らの要求を断れば、義勇兵から革命軍へと変貌しかねないが、だからと言って、待遇を改善できるだけの物資と時間は既にない。



 何もかもが欠乏していて、あるのは、食料不足に喘ぐ大量の住民だった。戦地に送って口減らしをする前に、こちら側が破綻しかねない。



 仮にこの防衛戦に成功したとしても、王国の権威の失墜は避けられないだろう。植民地・属国の叛乱も多くなるに違いない。



 もしかしたら、大陸の列強が侵攻してくる事態も想定しなければならない。そして、もし防衛戦に失敗したら、バッテンベルク王朝は閉鎖されて苛烈な占領統治下に置かれることになる。



 どちらに転んでも、王国の未来は暗い。それでも戦わなければならない。戦わなければ、生き残ることなど叶わない。降伏はあり得ない。戦わない国家と国民に何の価値があるというのか。自ら武器を取ることに意義があるのだ。



※※



ヴィクトリア市:第三次防衛線:第31義勇歩兵連隊



 雑多でありながらも、壮麗な風景を誇ったヴィクトリア市の景観は変わり果てていた。それは、そこに住まう市民も同様であった。



 人々の人心は荒み切っている。そこかしこに、不発弾やら瓦礫やらが山積しており、市街というよりも戦場を想起させる。戦場とは市外でなく平野でもない。軍隊が戦うところが戦場なのだ。そんな当たり前のことを、否が応でも思い出した。



 第31義勇歩兵連隊は、壊滅した10個義勇歩兵連隊に代わって新たに戦地へと供給された。現在は、比較的安全な第三次防衛線に配属されているが、徐々に防衛線を押し上げて前線へと送られるのだろう。



 首都の人口の一割が既に徴兵されているのだ。これからも、そうした光景が延々と続いていく。そこに意味はない。軍事的な価値があるか怪しかった。



 軍事学者がこの光景を目撃すれば何と言うだろうか。戦場の狂気で片付けられるのだろうか。それとも、一定の合理性を見出すのだろうか。義勇兵は理解しかねたが、それでも戦うということに意義を見出していた。



 急造のバリケードが連なる防衛線では、正規兵と義勇兵の衝突が何度も繰り返されていた。侵攻軍は直ぐそこに迫っているというのに、彼らは内輪の争いに終始していた。



 いや、彼ら自身は内輪だとは思っていないのだろう。その証拠に、義勇兵と巡回する近衛竜騎兵の雰囲気は険悪であり、互いに敵兵と対峙しているかの如く振舞っている。



 治安維持と憲兵業務を担う近衛竜騎兵にとって、治安と軍紀を悪化させるだけの義勇兵は厄介な存在でしかなく、一方、事実上の強制によって志願させられた義勇兵にとっては、中央政府と陸軍大臣の手先でしかない近衛竜騎兵は憎悪の対象であった。



 政治術に於いて、「敵」を設定することで国内を統一する手法があるが、その様な政治術はここでは通用しない様だ。



 正規軍・義勇歩兵連隊共に余裕が無いというのもあるのかもしれない。戦って勝利できる展望はなく、だからと言って侵攻してきた外国軍隊に対して降伏するというのも考え難い。このまま餓死するか戦死するかの違いでしかない。



「あぁ?近衛竜騎兵が何だって?邪魔だからとっとと失せろ!!」



「何だと!!我らが竜騎兵を愚弄するか!!我ら第1近衛竜騎兵連隊は君主の直轄部隊であるぞ!!首都の治安維持を仰せつかっている我らに歯向かうとはどういう了見だ!!」



「んん?君主の名前でも出せば俺達が引くとでも思ったのか?馬鹿野郎!!引くわけねぇだろう!一体誰がこの町を守っているんだ?


 俺達だ!!俺達、義勇兵がこの町を守っているんだ!!お前ら正規兵はクソの役にも立たねぇ!!さっさと俺達の目の前から消えろ!!でないと、そのケツに銃弾を叩きこむぞ!!」



「貴様らは賭場を開帳した疑いがある!!この戦時下にあって賭け事は禁止されているのだぞ!!今すぐ、中止せよ!さもないと軍法会議に掛けるぞ!!」



「やれるもんなら、やってみろ!!てめえに拘束される前に地獄に突き落としてやる!!」



 そもそも、事の発端は、防衛線を巡回する近衛竜騎兵が義勇兵の賭場を発見し、咎めたからだった。軍隊や戦場で賭け事が行われることは珍しくないが、軍紀の引き締めを図る竜騎兵連隊はこれを良しとせず、禁止する動きに出た。



 これに反発したのが、義勇兵達である。彼らは数少ない娯楽を取り上げられて、今までの不満や怒りが爆発した。近衛竜騎兵による鎮圧は、逆効果であった。寧ろ、更に反発を強める結果となった。



 義勇兵の鎮圧に動いた近衛竜騎兵連隊だが、義勇歩兵連隊に対して大きく兵力で劣る為に、思う様に軍紀を粛正できていない。



 不良義勇兵の鎮圧に派遣された近衛竜騎兵は、数の暴力を以て返り討ちに合うことが多発した。各地の防衛線では、最早、軍紀は緩み、無法地帯と化している。



 1個近衛竜騎兵小隊と第31義勇歩兵連隊の衝突は必然だった。最初こそ、咎める程度だった竜騎兵は義勇兵からの挑発に耐え切れなくなり激高した。



 お互いに緊張状態が長く続き、他者を慮るという基本が喪われていた。



 連隊長は、これを止めようとはせず、3個小隊を竜騎兵小隊の周囲に展開させた。近衛竜騎兵と義勇兵が正面から対峙し、それを囲む様に義勇兵小隊が布陣している。



 近衛竜騎兵を取り囲む義勇兵部隊は銃口を向けている訳ではない。しかし、事が起きれば実力を行使するのは明らかだった。



 何よりも、彼らの上司である連隊長が止めに入らずに、展開命令を下したのだ。連隊長にも、一般の義勇兵と同じく、第1近衛竜騎兵連隊に対して思うところがあるのだろう。



 躊躇なく、衝突が発生すれば武力鎮圧を命じた。それも、義勇兵と近衛竜騎兵の双方の鎮圧である。彼からすれば、どちらも同じ穴の狢でしかない。騒がしい不穏分子を排除する一環でしかないのだ。



 確かに義勇兵達の境遇には同情を覚えるが、だからと言って、不良兵士をのさばらせて良い訳ではない。ここで、双方を鎮圧することで、連隊内の引き締めを図ると共に近衛竜騎兵への当てつけもできるだろう。



 彼は職業軍人ではなく、退役軍人であったから陸軍大臣と近衛竜騎兵連隊を恐れてなどいなかった。連中の遣り口は知り尽くしているし、何よりも本格的に近衛竜騎兵と義勇兵を衝突させる訳にはいかない。



 その均衡を計算した上で、小隊同士の戦闘程度ならば、見逃さざるをえないだろう。これが大隊や連隊単位であれば、即座に陸軍省は鎮圧を命じるだろうが、その状況は既にこの町の末期状態を示しており、大陸の様に市民革命を誘発させるだけでしかない。



 外国軍隊が首都を攻撃し、包囲下に置くからこそ、市民は義勇兵としてその影響力を行使できるのだ。そこに皮肉を感じずにはいられなかった。



 義勇兵から「地獄に突き落としてやる」と言われた竜騎兵は、ついに堪忍袋の緒が切れた。竜騎兵小隊を包囲する様に展開している義勇兵部隊を警戒しながらも、挑発していた義勇兵達を拘束するべく動き出した。



 それに合わせるかの様に、包囲する義勇兵小隊も銃口を徐々に竜騎兵へと向け始めた。それでも近衛竜騎兵らは引くことができない。



 何せ、首都の治安を預かる彼らの矜持が掛かっているのだ。ここで引けば、首都の市民からは馬鹿にされて、近衛竜騎兵連隊の面目を潰すことになりかねない。



 そうであるからこそ、彼らも引くに引けなかった。ここで引けば、生命は助かるかもしれない。しかし、名誉は喪われる。



 それは、貴族や騎士である彼らにとっては耐え難い苦痛であった。竜騎兵達が対峙する義勇兵に触れた瞬間、包囲する義勇兵小隊が躊躇なく発砲した。



 しかし、竜騎兵は斃れていない。発砲した義勇兵小隊の銃口は空中へと向けられていた。警告射撃であることは明らかだった。



 竜騎兵達は冷静さを取り戻すと、近くにいる義勇兵小隊に連隊長へと会見を申し込んだ。義勇兵小隊が竜騎兵小隊を包囲した事と、警告射撃をした事に抗議する必要があるからだ。



「大佐!麾下の将兵の手綱も握れないとはどういうことですか!!」



 連隊長に食って掛かる近衛竜騎兵に対して、彼は大げさに溜息を吐いた。



「手綱はしっかりと握っているので君達に心配される謂れはない。そもそも、君達が私の部下を不当に拘束しようしたのが原因であると聞いているが?」



「義勇兵は禁止されている賭け事を白昼堂々と行っていたのです。これを取り締まるのは、近衛竜騎兵連隊として当然の行いであります!!大佐は賭場禁止令に反するということでしょうか!!」



「私は、賭け事をしても良いと思っている。賭け事に興じるのも、戦場の習いだろう?それとも実戦経験に乏しい貴族と騎士の方々には理解できないかな?」



「…大佐までも我々を侮辱すると?確かに実戦経験に乏しいのは事実ですが、それは我々の業務が治安維持であるからです。戦場に赴く機会が少ないのも致し方ないでしょう」



「ならば、私の連隊に口出しするな。それでも文句があるなら、君達の連隊長を連れて来い。部下を拘束することは許さん。今後も同じ様な事が起これば、同じ様に対応する。分かったか?」



「飽くまでも、大佐は協力しないということですか?」



「勿論、近衛竜騎兵連隊には一切、協力しない。日頃の行いを恨むべきだろう。君達が普段、我々、一般市民を弾圧していることを思えば、大した事ではない。そうだろう?」



「…この件は、第1近衛竜騎兵連隊本部と陸軍省に連絡します。それでも、拘束することを認めないというのならば、大佐の拘束も視野に入れますよ」



「ほぉ?君達にやれるのかね?ならば、今すぐここでやってみたまえ」



 近衛竜騎兵は大佐に詰め寄るが、どう考えても状況は悪い。ここは、彼らにとっての「敵地」なのだ。孤立無援の中で、義勇兵を拘束すれば、この連隊長は躊躇なく近衛竜騎兵を物理的に処分するだろう。



 言い訳など後でいくらでも考えれば良いと思っているに違いない。竜騎兵にとって、この状況は分が悪過ぎた。彼らは義勇歩兵連隊本部からすこすこと出ると、竜騎兵連隊本部へと帰還した。



第3章④「近衛兵の矜持」



ヴィクトリア市:第三次防衛線:第1近衛歩兵連隊



 侵攻軍に対する最前線に投入される第1近衛歩兵連隊は、4個歩兵大隊・1個騎兵中隊・1個砲兵中隊・1個補給大隊・本部中隊の合計3,600人の兵力を擁する。



 陸軍の1個歩兵連隊の兵力が3,000人程度であるから、それを少し上回る規模の兵員を抱えていた。平均よりも兵員を多く抱えるのは、近衛歩兵連隊のみで独立した作戦を遂行できる様にした諸兵科連合部隊だからである。



 地球世界で言うところの、連隊戦闘団(RCT)に類似する。近衛師団が常設化されていない為に、各自の近衛歩兵連隊が独立作戦能力を持つに至った。



 近衛師団が常設化されていないのは、王族士官に過剰な軍事力を与えない為であり、戦術単位で分散化することにより、叛乱を鎮圧しやすくする為でもある。



 近衛連隊には伝統的・歴史的に外国人兵・植民地兵が多く雇用されているから、その蹶起を警戒している側面もあるだろう。



 何れにしろ、君主の直轄兵でありながら、君主から信頼を勝ち得ているかと言うと、否と言わざるを得ない。寧ろ、陸軍の常設師団の方が、君主からの信頼を得ている。



 近衛連隊とは異なり、士官から兵卒に至るまで、外国人・異民族ではなく、自国民であるからだ。



 そうは言っても、叛乱の可能性に関しては、外国人と自国民は半々程度だから(どちらにも不穏分子は存在する)、近衛連隊と陸軍師団のどちらかに信頼や重きを置くかは、時の君主の性格に拠るところが大きい。



 そして、当代の君主はどちらかと言うと、近衛連隊よりも陸軍の常設師団を信頼していた。バッテンベルク王朝にとって、潜在的な敵であり、味方でもある王族士官が多く配属されている近衛連隊よりも、職業軍人が中心の陸軍師団の方が、忠誠心という点で安心しやすかった。



 何よりも、師団は作戦単位であるから、君主が志向する戦争の主力部隊として扱いやすい。当然だが、連隊よりも師団の方が兵力も火力も段違いである。



 国内の異民族討伐から、海外の植民地戦争まで幅広く対処できるのが師団という単位であった。要するに、紛争から戦争まで広く使い勝手が良いのだ。



 第1近衛歩兵連隊の内、敵海兵隊と対峙するのは、2個歩兵大隊及び1個補給大隊である。従って、残りの2個歩兵大隊・騎兵中隊・砲兵中隊はバッテンベルク城塞に留まることになる。



 連隊は、第三次防衛線に連隊本部を置いた。最前線である第一次防衛線と留守部隊が守備する城塞との作戦線(後方連絡線)を保持する為である。



 作戦線の保持が軍事戦略の成功を握るのは言うまでもなく、この時代にあってもそれは認識されていた。連隊本部に緊急連絡が入ったのは、設営から半日過ぎた頃であった。陸軍省からの連絡士官(陸軍少佐)が命令の変更を伝達してきたのだ。



「陸軍省の○○少佐であります。貴連隊に対する出撃命令は変更されました。貴連隊は、第三次防衛線に於ける義勇兵の軍紀粛正に従事される様、お願い致します」



「少佐、命令の変更は誰が?陸軍大臣か、それとも首都防衛軍司令官なのか?」



「陸軍大臣であります。想定以上に義勇兵の動揺と不満が広がり、近衛竜騎兵の取締りによって、一部が暴発した様です。


 事態は既に、近衛竜騎兵では鎮圧できない模様です。第1近衛竜騎兵連隊は、多発する暴発に対して機能不全に陥っています。貴連隊の兵力を以て、これを鎮圧して頂きたい」



「それは…武力を用いて鎮圧せよということか?それとも、近衛竜騎兵の法執行を補助するということか?軍事力を行使するか、あるいは警察力を行使するかで、我が連隊の方針は変わる訳だが」



「飽くまでも、近衛竜騎兵の法執行を補助するだけです。武力による鎮圧は、更なる暴発を招きかねません。彼らが革命軍とならない様に、細心の注意を払いつつも事態を収拾せよとの大臣の意向です」



「…それは損な役割を私に押し付けているだけではないか。私には何の利益もない。要は、民衆を弾圧することに加担せよということだろ?下らない。


 それならば、一層のこと、民衆側に回るだけだ。違うかね?何故、私が義勇兵から恨まれる立場にならなければならない」



「大佐、これは軍令であります。それ以上に理由が必要でしょうか?」



「いや、無いとも。確かに少佐の言う通り、『軍令』であるということで事足りる。しかし、文句の一つは言いたくなるだろう?」



「それでは、命令を受領するのですか?」



「いや、しない。する必要はない。私は、民衆には嫌われたくないのだ。同じ国民に銃口を向けるなど、軍人のすることではない。そうは思わないかな?」



「命令の前に、全ての倫理や道徳は無意味でしょう。やれと言われたらやる。それが軍隊であります。少なくとも私は、幼年学校・士官学校でそう教わりました」



 連隊長は如何にもと言った具合で溜息を吐いて見せた。



「少佐は与えられた命令について考えないのかね?与えられた任務の意味を少しは考えるべきだろう。そして、もしその命令が戦争目的と合致しないのならば、勇気を以て上官に諫言すべきだ。


 私は、そうやって仕事をしてきた。勿論、何度も上官から嫌がらせを受けてきたが、そういった上官達は、戦場で処分してきた。


 妥協することが処世術だというのならば、そんなものはクソ食らえ。私は、一切、妥協しない。それは軍務でも同じことだ。


 その上で、大臣の命令は間違っている。命令が間違っているのだから、従わない。簡単なことだろう?理解できたか?」



「…大佐を軍事刑務所に送るのは本意ではないのですが。貴連隊の兵士を拘束することになりますよ?それでもですか?」



 連隊長は、少佐の脅迫を鼻で笑った。何を言うかと思えば、やれ軍法だの、やれ刑務所などと…。その程度で、この私が屈するとでも思ったのか。そうだとしたら、錯誤も甚だしい。



「近衛竜騎兵は、未だに法執行能力を維持していたのか。それならば、私の連隊を出す必要はないな。以上」



 これ以上の議論は無駄であると、連隊長は連絡士官を連隊本部から追い出した。少佐は今まで接してきたことのない性格の軍人と会って、憮然としている様だった。連絡に立ち会った連隊付きの准尉は疑問を呈する。



「本当によろしいので?少佐を追い出して、命令を拒否しても?」



「あぁ、構わない。あんなゴミみたいな命令に従う必要はない。准尉はどう思う?」



「大佐の思う通りにすれば良いかと。この連隊は貴方の部隊なのですから。まぁ。陸軍省の幹部が追い返されるのは、見ていて楽しかったですが」



「…この部隊の連中は正直な奴が多いな」



「それは、貴方がそういう性格だからでしょう。似た者同士、集まってしまうのでしょうね。連隊の個性ですな」



「我が国はもう駄目かもしれないな。これは、本格的に革命やクーデターを考慮すべき時期に来ているのかもしれん」



「それを言うのならば、首都を侵略された時点で、既に我が国の命運は尽きているでしょうね」



「…確かに、そうだな。准尉の言う通りだ」



「これからどうするのですか?戦闘準備は完了しているので、いつでも前線に展開できますが。それとも、大佐の『前線』は変更されましたか?」



「そうだな…『前線』は第一次防衛線だけでなく、陸軍省や城塞というのも有り得るだろうなぁ。これは独り言だが」



「私も独り言ですが、例え、城塞が戦場となろうとも付いていきますよ」



 連隊長は、部下からの独り言に対して気色の悪い笑みを浮かべた。その笑みは職業軍人としては相応しいものではなかったが、これから行うことには相応しいだろう。



※※



ヴィクトリア市:首都防衛軍司令部



 首都防衛軍の兵力は、形式上は4個軍団、事実上は3個軍団+1個師団程度を維持していた。防衛軍の主力であった衛戍軍は、その兵力を大きく削られて実数は1個師団しかない。



 最前線で交戦する第1師団を維持する為に、第2・3師団の兵力が供出され続けており、既に正規軍の歩兵連隊は壊滅したに等しかった。



 強制的に志願させられた義勇歩兵連隊が、正規軍である衛戍軍を兵力で上回るのに時間はさして掛からなかった。外国人や異民族が義勇兵の主力であった頃は、まだ良かった。彼らはその献身を以て、覚悟を示した。



 しかし、首都の自国民、特に上流・中流階級が義勇兵の主力になると、不平不満が噴出した。配給される糧食がおいしくないとか、量が少ないとか、テント暮らしは嫌だとか、そういった不満である。



 彼らは、巡回する近衛竜騎兵に対して横柄な態度を取り、正規兵を挑発して鬱憤を晴らしていた。暴発するのは時間の問題だったのだ。



 いや、時間さえ掛からなかったかもしれない。外国軍隊が侵略するというどうしようもない事実に対して、それは現実逃避だったのかもしれないし、あるいは心理的な防衛だったのかもしれない。



 何れにしろ、彼らが現状に対して不満を抱き、それが爆発する下地は十分にあった。何かのきっかけで、刺激を加えるだけで、暴発する余地があったのだ。



 首都防衛軍司令官(陸軍大将)は義勇兵の扱いに関して、苦慮しているかの様に見えた。しかし、その内心では北叟笑んでいた。



 こうなることは、司令官と彼の腹心である参謀長の想定内である。自分達が望む、「敗戦の形」に誘導しやすくなった。



 新しい国家には、これまでとは異なる政体と指導者が必要だ。そして、その国民にも新しい血が必要だった。これは、エリザベス国家の建国に必要な出血なのだ。



 国家とは、戦争によって作られる。今次戦争によって、新しい政治共同体を建設することができるだろう。



 それとも、侵略国の植民地になるのだろうか。それは、司令官達にも予測しかねたが、どちらに転んでも良かった。



 この国が終焉を迎えているのは、誰でも理解できることだろう。そうであるならば、それを如何に着地点を誘導し、制御するかに掛かっているに違いない。



 敗戦のコントロールは、繊細さが要求されるという点で、単純に勝利することよりも難しい。それでも、やらねばならない。愛する祖国の為に。生まれた大地の為に、成し遂げるのだ。



 司令官は、義勇兵歩兵連隊の相次ぐ暴発に関する報告を参謀長(陸軍中将)から受けていた。報告では「暴発」とあるが、立て続けに発生する様子は「叛乱」に近い。



 第1近衛竜騎兵連隊は、その法執行能力を喪失させており、各地の防衛線は無法地帯と化している。飽くまでも、「叛乱」でなく「暴発」とするのは、近衛竜騎兵の面子に過ぎないだろう。武装した民兵の群れが首都のあちこちに誕生したのだ。



 唯一の救いは、義勇歩兵連隊同士が互いに対立関係にあることで、自らの担当区域を領地として縄張り争いが勃発していたことだろう。



 その様子はまるで、首都の中に数多の諸侯領が鬩ぎ合っているかの様だった。依然として、侵攻軍との戦いは続いているものの、それは第一次防衛線が担い、その背後を守るはずの第二次・第三次防衛線は崩壊しているに等しい。



 義勇兵らは政府の許可を得ることなく、勝手に担当区域を支配し、自治を開始した。義勇兵が担当する区域の住民達は、担当の連隊に「志願」することで、更に勢力を拡大した。今や、各自の連隊は、定員3,000人を大きく超えて、1個旅団程度の兵力を揃えるまでに拡大した。



「第三次防衛線を担当する第31義勇歩兵連隊と近衛竜騎兵の1個小隊が衝突した様です。尤も、兵力に圧倒的な開きがある近衛竜騎兵が引いたことで、大きな騒ぎにはならなかった様ですが。31連隊は、担当区域の住民を義勇兵として徴兵し、9,000人程度まで膨張しています」



「31連隊だけか?他の義勇兵はどうなっているのか?」



「他の連隊もどうやら住民を徴兵して、1個旅団程度の兵力を揃えている様です。何でも、担当区域の自治を行い、徴税から下水道の整備まで、自分達で勝手にやっているとか。最早、一つの『政府』ですな。中央政府を信用していないのでしょう」



「良いことじゃないか。それこそ、国家の本来あるべき姿だろう。政治共同体とは、市民が作り上げるものだ。間違っても、政府が押し付けるものではない」



「閣下は、自由主義者でしたかな?私は、『上からの革命』で十分だと思っていましたが」



「まぁ、『下からの革命』であれ、『上からの革命』であれ、とにかくこの国をもう一度、作り替えればそれで良いだろう。義勇兵達が、自分達の権利と自治に目覚めただけでも良しとしよう」



「義勇兵が自治を始めれば、制御できなくなる懸念もありますが?」



「構わない。寧ろ、大いにやれば良い。多少の混乱は、必要悪だろう」



「“多少の混乱”で済むのか怪しいところですが…本当に放置してもよろしいので?」



「あぁ、勿論だとも。人間は混乱の中でこそ輝くのだ。いい加減、学習するだろう。自分達の自由と安全は、結局、自分達で維持する他ないのだと。それでこそ、国家の意義だ」



「一般市民に理解できますかね。大陸の革命があったとは言え、いささか国民は教養と権利に疎いのでは?混乱が拡大して失敗に終わるだけではないでしょうか」



「それでも、失敗の経験は何れ、新政府の樹立に生かされるだろう。人間は失敗して学ぶものだろう?」



「いささか、閣下は楽観に過ぎる気がしますが…私は大衆には期待できませんな」



「参謀長の気持ちも理解できるが、我々だけではどうすることもできん。民衆の可能性を信じるしかあるまい。我々が行えるのは、飽くまでもその可能性を0から1にしてやることだけだ」



「新政府が今よりも酷くないと良いのですがね」



「義勇兵が新政府に参加したら確実に、悪化するだろうな。しかし、それは民主政の代償というものだ。それを支払わずに、市民社会は維持され得ないだろう」



「…私には無責任にも思えますがね。このまま、首都防衛軍、いや衛戍軍の兵力を以て首都を戒厳令下にでも置いた方がましでしょう」



「戒厳令は、もうじき発令されるだろうな。私が執行するのか、陸軍司令官かそれとも陸軍大臣からまだ分からないが」



「閣下が戒厳司令官であれば良いのですが」



「それはどうだかな。大臣は私に隠れてこそこそと動き回っているみたいだし、何か企んでいるのかもしれん」



 彼らは、陸軍大臣が戒厳司令官に内々定されていることを知らなかったが、大臣の日頃の行いを鑑みれば、容易に推測を働かせることはできた。



 彼らは、内心、大臣が戒厳令を執行するであろうことを当然視していた。自ら、陣頭指揮を執って粛正することが好きな大臣であるから、今回も、もしやといった感じだった。

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