第2章 侵攻作戦①

第2章①「A号戦争計画・合同情報委員会」


日本政府:A号戦争計画(A01-MOP)


国家安全保障会議及び閣議で決定された戦争計画の基本方針は次の通りである。


①:短期決戦であること。戦争権限法及び戦略石油備蓄の範囲内に収めること。


②:耕作可能地域及び資源開発地域を占領下に置くこと。


③:エリザベス王国を直接統治する為に、総督府を設置すること。


④:貧困層から予備役を招集し、現役軍人の被害を抑えること。


⑤:国民の一割を植民する。事実上の棄民政策を採る。


⑥:占領後は、速やかに現地のインフラストラクチャーを整備すること。


⑦:上記の基本方針を執行する為に、行政機関の連携を強化すること。


⑧:①の遂行が困難になった場合、核兵器の使用を選択肢とすること。



 最後に記された方針は、日本国の意思を示すものだった。この世界には、包括的核実験禁止条約(CTBT)・化学兵器禁止条約(CWC)・特定通常兵器使用禁止条約(CCW)・クラスター爆弾禁止条約(オスロ条約)も存在しない。



 正確に言えば、日本政府が諸外国と外交関係を樹立していないから、当然、国際条約にも署名していないし、この世界に国際法が存在するかも定かではなかった。



 従って、日本国がその軍事力を投射するに当たって、国際的には何ら制約はなく、あるのは、国内法の規定のみである。



 仮に、NBCR兵器の使用や非戦闘員を殺傷したところで、外国人を殺すことに何の躊躇いがあるというのか。その点、日本政府は一切の躊躇もなく武力の行使を決定したのである。全ては、国家の生存本能に従って動いていた。



※※



日本政府:合同情報委員会



 合同情報委員会(JIC)は、日本の情報機関を調整する情報コミュニティである。情報管理基本法に基づき、JICには、各情報機関の情報を集約する権限が付与され、専門の情報評価部門を抱える。



 情報機関の長官が定期的に顔を合わせる貴重な会合である。議長を務める国家情報長官(DNI)が委員達に挨拶を済ませると本題に入った。



「連絡した通り、NSC及び閣議で戦争計画の基本方針が決定されました。JICでは、この戦争計画の情報分野を担当します。首相の行政命令に基づき、軍事作戦の立案に必要な情報をA方面軍に供給する必要がありますが、その役割分担をこの会議で調整しようと思います。質問はありますか」



「そもそも、戦争を回避できなかったのでしょうか。現在の状況で戦争をすれば資源を悪戯に浪費するだけでしかないのでは?


 国益を守る情報機関であるなら、戦争でなく外交で解決すべきだと助言するのが我々の使命ではありませんか。


 正確な情報を伝えるべき我々が、誤った情報に基づいて政策を決定しようとしている首相に対して、勇気を持って諫言することこそ、やらなければならないことでしょう。外務省としては、戦争計画そのものに協力できません」



 外務省の反対論は、戦略の歴史を紐解けば、間違っている訳ではない。寧ろ、理論的には正しい主張をしているに過ぎない。



 戦争は目的ではなく、飽くまでも政治手段でしかないのだ。戦略の体系を当て嵌れば、技術よりも戦術が優先され、戦術よりも作戦が優先され、作戦よりも戦略が優先されるのである。



 従って、外交政策は軍事政策の上位概念であり、国家戦略が外交政策の上位概念なのである。外務省がリアリズムに徹するからこそ、戦争すべきでないと反対しているのである。



 しかし、日本国を取り巻く状況は悪化の一途を辿り、理論では解決できないのも一つの事実なのかもしれない。



「外務省は思い違いをしています。確かに、戦争ではなく外交で解決する方が賢い選択だと私も思います。しかし、それは机上の空論でしかない。


 残念ながら、我が国に残された猶予は半年間を切っているのです。国内油田や休耕地を再開させたところで、焼け石に水でしかないのが現状じゃないですか。


 今こうしている間も、我々が本来守るべき国民は生活必需品と食糧の不足に喘いでいるのです。何年間、何十年間も時間的な余裕があれば、外務省が主張する国交開設を始めるのも良いでしょう。


 しかし、時間がない。そして、我々には外交交渉を行うだけのコミュニケーション手段が存在しない訳です。


 これでどう国交を樹立させるというのですか?こちらから外交官を送り出して、生け贄を捧げるつもりですか?


 地球と異なり、外国語の翻訳が確立されていない状況で行える外交手段があるとでも?結局、戦争をして奪う他ないじゃないか。


 国際社会が弱肉強食であるということは、私よりも外交官の貴方が良くご存じでしょう」



 空軍中将は外務省の発言に対して熱弁を振るった。曰く、国民生活を守る為の緊急措置であると。戦略よりも時間を重視するべきだと主張した。対して、国際情報局長官が反駁した。



「戦争は万能の解決手段ではないでしょう。我が国が戦争に勝利しようが敗戦しようが、戦略上の勝利は得られない。戦術的な勝利を得て、国家を存続させられるのですか?違うでしょう。


 何ら、無価値な戦いでしかない。大体、A国を占領下に置いたとして、地球の農産物が生産できるのですか?それこそ希望的観測に過ぎない」



「いやいや、外交こそ万能の解決手段ではない。仮に、A国と外交交渉ができるとして、日本は何を差し出すのだ?奴隷か?それとも金銀銅貨か?いずれにせよ、外交で譲歩するくらいならば、戦った方がまだましでしょう」



「内務省は、そもそも国内の治安維持を目的とするので、戦争計画に協力したくても貢献できる分野が限られています。我々に課された任務は、国防軍の背後を守り、国内の安寧を保つことでしょう。それ以上の協力となると内務省の能力を超えています。私から言うことはもうありません。以上」



 内務省にできることが限られているのは事実であり、この会議の行く末を見物するに留まっていた。情報機関同士の言い争いにも冷めた視線を向けるだけだった。



 公安局は治安情報機関である為、国内の過激派や市民団体に偽装したプロ市民の監視を重視していた。



 海外のテロリズム情報や外国工作員の監視も担うが、外交関係がない以上、そうした外事警察としての任務は、どうしても優先順位が下がるのだった。



「情報庁としては、戦争以外の手段がないと理解しています。勿論、戦争政策は最善策ではないですが、それ以外の手段がないなら、止むを得ないことです」



 情報庁が首相直属の情報機関であることを考慮すれば、首相の命令に忠実であるのは当然であった。情報庁としては、エリザベス王国と戦争をするにせよ、外交関係を樹立するにせよ、彼らの組織と任務が変わることはないからである。



 但し、情報庁内にも現在の少ない情報に基づいて戦争計画を立案することに対して不安の声があるのも事実である。



 彼ら慎重派は、情報庁設置法第1条の目的条項に明記された「国益を増大する為に、情報庁を設置する」を金科玉条とし、首相直属の情報機関としての性格よりも、日本唯一の中央情報機関としての性格を重視する一派でもあった。



 勿論、彼らの意見も間違っている訳ではないのだが、情報庁長官として、首相の命令が発令された以上、抵抗は無意味であると悟っていたのだ。



 首相に諫言することも、側近としての義務であるが、首相の性格を良く知るからこそ、一度決めたことを曲げない頑固な性格である首相に抵抗すれば、却って意固地になるだけである。



 そうであるならば、戦争計画に協力する形で、政権内部で計画を修正する様に誘導すれば良いだけである。そうした諜報工作と謀略活動は情報庁が最も良く得意とするところであるのだから。



 JICの議論は外務省と防衛省が真っ向から対立する形で激しい議論となった。飽くまでも外交による解決を主張する外務省と、戦争による解決を主張する防衛省は平行線を辿った。



 議長の権限により、各自に情報分野が割り振られ、戦争計画に組み込まれた。外務省は最後まで抵抗したものの、強制的に決定されたのである。



※※



日本政府:外務省



 外務省が、軍部・防衛省と正面から対立するのは、歴史的な理由も絡む。太平洋戦争に於いて、外務省は、早期の講和と日独伊三国同盟の破棄を主張し、中立国を通じて予備交渉や終戦工作を展開していた。その主張に賛同する軍人も少ないが存在した為、早期講和派として団結した。



 しかし、秘密警察や憲兵などの情報機関から厳しく監視され、行動もままならない状態だった。外務省が米国との早期講和や枢軸国からの脱退を要求するのは、日本国と米国の国力が隔絶しているからであり、ドイツ・イタリアとの軍事同盟は太平洋戦線に於いて何ら役に立たないからである。



 ドイツ・イタリアにとっての戦線とはヨーロッパ戦線・北アフリカ戦線であったから、お互いにその軍事力を期待できないのである。



 本来、軍事同盟とは、互いに命を懸けて助け合う国際約束であるが、日独伊三国同盟はその実効性が担保されておらず、実際には同盟ですらなかった。連合国とは対照的である。



 米国の工業生産能力を端的に表した「週刊空母」という言葉があるが、カサブランカ級護衛空母を言葉通り毎週一隻建造したのである。



 いくら護衛空母といえ、50隻以上の空母が揃えば、海上優勢に脅威を与えるのは言うまでもない。ドイツ軍の優秀な戦車がアメリカ軍の普通の戦車によって撃破されたのも、その圧倒的な工業力によって大量の戦車を増産し、配備したからだった。



 結局のところ、国家総力戦に於いては物量が全てなのだ。日本が米国と開戦したところで、そもそも工業力が劣っているのだから敗戦するのは必然である。戦前から戦中に至るまで、既に外交政策は外務省の手を離れ、軍部と少数の閣僚が握っていた。



 アメリカ軍による日本本土への戦略爆撃によって、日本政府と日本軍は壊滅し、外務省本省も崩壊したが、建物や敷地が無くなろうとも、その講和交渉の記憶はしっかりと次代の外交官へと継承された。



 戦後の軍隊は、日本軍が事実上崩壊した後に実権を握った郷土防衛軍を基盤とすることから、人材や組織という面では戦前の軍部と全く違う存在であるが、外務省は戦中の記憶を戦後の軍隊と防衛省に投影している。



第2章②「A方面軍」



A方面軍:最高司令部



 NSC及び閣議決定により承認された戦争計画に基づいて、A方面軍最高司令部は、作戦計画を立案した。



 戦争計画(MOP)が戦略と作戦を結合させる有機的な計画であるのに対して、作戦計画とは軍事作戦と戦術の有機的結合を企図する計画である。



 従って、実際の戦闘行為は、この作戦計画に沿って展開される予定である。陸軍15個師団の内、7個師団を動員し、第16空挺師団を戦略予備部隊に指定した。



 更に、3個海兵遠征旅団及び強化型遠征打撃群も参加する。本作戦は、転移後初の大規模な統合軍事演習を兼ねている。



 作戦計画では戦争計画に従って、中央政府の制圧と穀倉地帯の占領を最優先とする。もしも、これらの作戦目的が競合した場合、穀倉地帯の実効支配確立を優先することになる。



 石油や天然ガスなどの天然資源の開発予定地域は、既に資源探索用の人工衛星と沿岸警備隊の資源調査船で概況を調査した為、戦争と並行して資源の開発・掘削が進められる。



 尤も油田を発見したからと言って、直ぐに石油が輸入できる様になるわけではない。現在は、日本列島周辺の海域で資源調査が行われているが、日本の領海・排他的経済水域(EEZ)以外の区域についても調査が進められていた。



 地球であれば間違いなく、他国のEEZを開発することなど許されることではないが、ここは異世界であるから、他国に気兼ねなく資源を調査・開発することができる。



 日本のエネルギー需要を満たすだけの量が存在するかはまだ分からないが、それでも無いよりはましである。



 エネルギー政策を所管する経産省、海軍を所管する防衛省、沿岸警備隊を所管する内務省がそれぞれ協力して、既に調査開発に乗り出していた。



 恐らく、エリザベス王国との戦争中に資源開発の調査掘削作業が終了し、調査結果が出ることだろう。その調査報告書が、日本国の命運を握るのである。



※※



エリザベス王国:南東部ベータ区域



 王国南東部には山脈によって区切られた森林・山間部が広がっている。この森林・山間部をベータ区域と名付け、王国との戦争が開始される以前からB分遣隊などの特殊部隊や第12歩兵師団が展開していた。



 彼らは、この地域に於いて耕作可能地域を発見することと、航空作戦の為の臨時飛行場の建設の警備を担務している。



 既に第5工兵師団とその随伴の民間企業が大勢訪れて、航空基地の造成・建設に着手していた。この臨時飛行場では、3,000m級の滑走路を2本作り、更に予備滑走路として1本が整備された。



 しかし、臨時とはいえ航空基地である以上、建物を作って終わりではない。寧ろ、建設後が本番であり、レーダー運用や航空管制官の配置などのある程度の人材を揃える必要がある。政府と空軍は、これらの人員補充に国内の空港職員を徴兵して事態に対処させた。



 又、耕作調査の為に農業関連の民間企業も多く引き連れていることから、ベータ区域は、王国に派遣された部隊の中でも飛び抜けて民間人の比率が高い部隊となった。



 彼ら民間人は、一応、軍務に随行する大義名分として軍属(軍人ではない)として防衛省に雇用されていた。失業対策も兼ねている政策であるから、その規模は大きくならざるを得なかった。



※※



エリザベス王国:A方面軍第1臨時飛行場



 輸送艦・揚陸艦に分乗した第5工兵師団が、B分遣隊の誘導を受けてベータ区域に到着すると、臨時飛行場の建設予定地を調査し始めた。



 予め、国内で分散製造された建築資材が搬入され、早速、土地の造成と建設が行われたのだった。まずは、建築資材の倉庫を建造し、次に民間企業から派遣された軍属と空軍の為の宿舎が建造され、その次にようやく飛行場の建設が始まった。



 臨時飛行場の建設そのものは、2週間程度で完成したのだが、航空基地の要員育成には時間が掛かった。



 民間企業の空港職員はできるだけ、軍民両用の空港職員を採用したものの、やはり空軍の文化と民間企業の文化とは大きく違い、専門用語を含めてその慣熟訓練には長時間を要した。



 空軍は、この機会によって民間航空会社との共通文化の必要性と、相互運用性の確保の重要性に気付いたのだ。



 転移前でも、空軍と民間企業の交流は行われてはいたものの、それは飽くまでも民事作戦的なものであって、戦略的な関係を築くという努力に乏しかったのだ。



※※



A方面軍:ベータ区域駐留部隊



 ヘスコ防壁に囲まれた軍事基地は、急造の影響なのか必要最低限度の施設しか見受けられなかった。軍人・軍属の為の娯楽施設が無味乾燥な建築物群の中で、その存在を主張していた程度である。



 ベータ区域駐留部隊が集約された軍事基地は、デザイン性を排した機能性のみを追求することで設計と建築の時間を短縮したのだろう。



 自動車の窓から基地内の風景を観察する軍人は、そんな益体もないことを考えながら駐留部隊の本部へと足を向けた。



 本部正面に停車した自動車から、参謀飾緒を纏った軍人が下車した。彼は、駐留部隊所属でもなくA方面軍の所属でもなかった。



 制服に着けた徽章は、彼が統合参謀本部に務める参謀であることを示していた。間違いなく、参謀将校としてエリートであり、全軍人の中に於いてもエリートと言えるだけの出世街道を走っていることだろう。彼は、統合参謀総長の密命を胸に仕舞い込み、駐留部隊への連絡士官(LO)となったのである。



ベータ区域駐留部隊:本部執務室



 連絡士官が基地司令官の秘書官に案内され執務室を訪れると、諸手を挙げて歓迎する基地司令官の姿があった。



 彼は司令官に着任の挨拶をすると、暫く世間話に華を咲かせていた。統合参謀本部(JSO)から派遣された連絡士官を送り届けると、司令官は直ぐに隷下の情報部隊に彼の監視を命じた。



 この忙しい時期にわざわざLOを派遣するということの意味を理解できない司令官ではない。JSOからのお目付け役であることは言うまでもないからだった。



※※



日本政府:首相官邸執務室



 官邸の隠し通路から首相の執務室に姿を見せたのは、統合参謀総長(海軍元帥)であった。首相は、彼に長椅子を勧めると、自ら入れたコーヒーを提供した。



 二人は暫くコーヒーの味を楽しむと、余韻を残したまま本題に入った。首相は、以前から懸念していたことに対する相談を元帥に持ち掛けた。



「戦争に勝つためとは言え、陸軍元帥には絶大な権限を与え過ぎた。そうは思わんかね?」



 漠然とした首相の問いかけに少し困惑した海軍元帥であるが、少し考えればその意図する所は明白である。その意味する所に愕然としながらも、元帥は応じた。



「…首相は、A方面軍の関東軍化を懸念しているということでしょうか?彼とは防大の先輩後輩の間柄ですが、実直で上官を裏切る様な性格ではありませんが」



「勿論、私は私の指揮下にある全ての将兵を信じているとも。しかし、万が一の可能性を考えるのも私の責任だろう。


 如何なる聖人君子と言えども、その手に絶大な権力を握れば暴走するのは、歴史が証明する所だろう。特に、我が国には、関東軍という悪しき前例がある。彼が暴走しないとは限らないだろう?」



「それは…可能性の話をすればそれこそ悪魔の証明になりかねないのでは?確かにご懸念は最もですが、あまり旗下の将兵を信じないとそれはどの様な形であれ、彼ら軍人には伝わるものです。私からは、彼が率いる方面軍を信じて下さいとしか言いようがありませんが」



「しかし、A方面軍が裏切れば、我が国の後背を脅かすことになる。しかも、それは国家の生存という戦略上の脅威になる潜在性を備えている。


 それを見過ごす訳にはいかない。我が国の存立を脅かす要因は、できるだけ早々に排除しなければならない。違うかな?」



「…では、国家憲兵隊と情報庁、それから統合参謀本部の方からも人員を派遣しましょうか?方面軍の暴走を心配されるのでしたら、インテリジェンスの関係者を潜入させて監視するという方法もありますが」



「それでは、足りない。もし、方面軍が暴走したら、それを完全に制圧できる武力が必要ではないかね?例えば、第16空挺師団とか、核兵器とかね」



「いやいや、いくら何でもそれはやり過ぎでしょう。寧ろ、逆効果では?折角、自国の為に戦うというのに、その自国のトップから信用されていないとなれば、暴走を誘導するだけです」



「では、仮に方面軍が叛乱を企図していても何もしないと?」



「そうは申しておりません。彼らが暴走したのならば、速やかに軍隊を派遣して鎮圧致します」



「しかし、わざわざ貧困層から大量の予備役を招集したのだから、多少、軍紀という面が緩んでいる可能性はあるのではないか。それに付け込むこともできるのではないかね?」



「確かに、予備役達の質や士気という面は、些か妥協した側面もありますが、憲兵隊も随伴している以上、反抗すれば、営倉行きですよ。危険を冒してまで蹶起する必要性はないでしょう」



「では、方面軍がエリザベス王国政府と協力関係になった場合はどうする?土地と爵位を与えられて貴族や傭兵として雇われることもあるかもしれないぞ。何せ、ここは異世界でファンタジー世界なのだからな」



「その場合は、……核兵器の使用も止むを得ないかと。彼らが敵国と内通するのならば、それは最早、同じ民族でなく同じ国民でもないでしょう」



「なるほど、確かにその通りだ」



 首相は、海軍元帥の答えに満足したのか、何度も首肯してみせた。



※※



国防軍:統合参謀本部



 海軍元帥は、官邸から自らの執務室に戻っていた。つい先程まで行われた会談の様子を思い返す。首相は、大変にA方面軍の暴走と関東軍化を恐れている。



 それが、自らの権力基盤を脅かすものであるからだ。首相の懸念を払拭する為にはどうすれば良いのか、そしてA方面軍の将兵に疑義を与えない様にする為にはどうしたら良いのか。



 彼は懐刀である自らの副官を務める女性軍人を呼び付けた。海軍大佐である彼女は、以前はミサイル駆逐艦の艦長を務めており、人事異動に伴いこの元帥の副官に着任したのである。



 男社会の軍隊にあって、その頭脳と政治的なサバイバル能力が買われて副官に推薦したのだ。元帥と言えども、無理やりに人事権を行使できる訳ではなかったが、優秀な副官が欲しかった彼が少しだけ我が儘を言って側に置いたのである。



「首相は何と?」



「実は、…A方面軍の暴走を懸念されている様だ。その対策と鎮圧計画を立てろと」



「なるほど。まぁ、政治家としては当然でしょう。首相の依頼通り、手を打てばよろしいかと思いますが」



「私が心配しているのは、方面軍旗下の将兵に要らぬ不安を増長させてしまうのではないかということだ。士官が思っているよりも、下士官・兵士は良く幹部を観察しているものだ」



「でしたら、何人か監視役を送り込めば良いのでは?」



「送り込めると思うか?方面軍には防諜対策として1個軍事情報旅団を与えているのだぞ。スパイを入れた所で、秘密裏に刈り取られるのがオチだ」



「あら?統合参謀本部が派遣した人員を拘束する様なら、それはもう立派な叛乱ですわね。では、中佐をLOとして派遣されては?彼なら忠実に任務を遂行するでしょう。勿論、任務の裏の裏まできちんと」



「中佐か…それは良いな。彼ならうまくやってくれるだろう。それに、仮に死んでもこちらには何の被害も及ばない。実に素晴らしいな。素晴らしくて反吐が出る」



 元帥は、鼻で笑ったがそれでも彼女の提案を受け入れた。彼女の言う通り、こちらに被害が及ばない形で監視・妨害するくらいが丁度良い。ついでに、第16空挺師団の大規模軍事演習も行い、示威行為とすれば良い。



第2章③「首都侵攻」



エリザベス王国北西部:ヴィクトリア市



 首都の入り口となる港湾に隣接する形で王国海軍基地と第1艦隊が停泊する姿が、この島国の威容を貿易関係にある諸外国に誇示していた。



 重ねる様に係留された軍艦は、その形状に多数の砲窓と帆柱を備え、その容姿が主張する所は彼女達が戦列艦であることを示すものであった。



 その中でも一際、100門以上の砲口を伺うその戦列艦はこの艦隊の旗艦であり、行きかう商船はこの旗艦に対して信号旗を掲げて挨拶の代わりとした。



 その様子を観察する港湾上空の無人偵察機は、リアルタイムに遠征打撃群及びA方面軍最高司令部・統合参謀本部へと画像情報を送信していた。



 外国船籍の商船が多数混在することは、今次戦争の政治目的にも資することになるだろう。単に中央政府と穀倉地帯を制圧すれば良いという訳ではない。



 飽くまでもその作戦目的は最低限の成功線に過ぎず、国際関係を踏まえれば、我が国の軍事的プレゼンスを示威することこそ為さねばならない。



 軍事力のみに頼って戦略目標を達成することは好ましい事とはとても言えないが、だからと言ってハードパワー以外に選択肢があるかと言うと、日本国の現状として厳しいものがあると言わざるを得ない。



 結局の所、国際関係の本質は相互不信である。日本国がこの世界の諸国に対する不信はその情報の非対称性も手伝って頂点に達しており、言語が通じなくとも外交官を派遣するという努力に乏しかった。



 もし、不信を乗り越えて信用を勝ち取ることができたならば、日本国がこの大戦洋地域を統治するに当たっての基本方針は全く異なるものになっていただろう。



 しかし、悲しいかな、国家の他国に対する不信というものは、一個人には想像が絶する程、深いものである。国家という国際社会の怪物が、互いの国家を完全には信用できない以上、その生存本能に従うのは当然と言える。



 海軍基地が管理する灯台から、巨大な艦艇が発見されたのは灯台管理人が何となく水平線上に浮かぶ商船の姿を楽しんでいたからだった。



 彼は、自宅を兼ねる灯台から弟子に連絡事項を託すと手旗信号で海軍の連絡船に伝達し、自身は巨大艦艇の監視を続けていた。



 フリゲート級の軍艦を優に超えるその船体は、彼が生まれて初めて見る大きさで、視認距離を鑑みれば実際の全長・全幅は更に大きいことだろう。灰色の一色に支配されたその艦隊は、太陽光を模した象意の軍旗を掲げ、湾内を閉塞したのだった。



 不明艦隊が姿を現した事は、港湾を母港とする第1艦隊もその姿を認めた。艦隊が軍艦であるのか、それとも商船であるのかは判然としなかったが、彼の巨大艦が掲揚する艦旗が外国船籍であることを示していた。



 初めて視認する艦旗の記憶を探る海軍軍人であったが、貿易関係にない外国の軍旗・国旗の何れにも該当しなかった。



 旗艦が不明艦隊に対して信号旗を掲げて入港目的を問うが、その答えが返ってくる事は無かった。砲塔を旋回させたあきづき級駆逐艦・あさひ級駆逐艦・たかお級巡洋艦が対地攻撃弾に弾頭を切り替えると、素早く港湾施設・海軍基地に艦砲射撃を開始する。



 わざわざ、湾内に侵入してまで射撃を行う軍事的合理性は無いのだが、日本国の軍事力の示威行為を兼ねる作戦であるから、その威力を如何なく見せ付けた。



 巡航ミサイルの嵐を叩き込むこともできるが、それではどの国家が攻撃を行ったかが明白ではない。特に、この世界の大国が凡そ近世から近代に掛けての文明を有するのならば尚更だろう。



 他国の攻撃とさえ思わないかも知れない。それこそ、神の怒りとか何らかの自然現象・天災であると片付けられる恐れすらあった。



 A方面軍最高司令官としては、将兵の安全を確保する為にも巡航ミサイルによる先制攻撃を企図していたのだが、首相が作戦計画に対する注文を付け、一部の作戦を変更せざるを得なかった。



 方面軍の全権を握る元帥であるが、本国の政治意思にも配慮しなければならないのは、辛い所ではある。



 とにかく、外国軍隊が自国の首都に現れたことをその現実を以て突き付けなければならない。政治目的の達成という点では、既に幾分かは満たしたのである。



 しかし軍事作戦は、開始されたばかりである。政治家にとって政治目的が大事でも、やはり軍人にとっては作戦目的こそが重要なのだった。彼らの仕事がその遂行であることを踏まえれば当然ではあるのだが。



 不明艦隊の艦砲射撃により、海軍基地は破壊され、執務室に籠っていた第1艦隊提督は撃退の指揮を執ること無く、天国に召された。



 艦隊司令部・幕僚達も同様の運命を辿った。生存したのは、湾内を航行している軍艦と係留された軍艦で休日を過ごしていた軍人だけだった。



 旗艦以下戦列艦が射撃位置を確保する為に、船体を旋回させようとするが、続けて放たれた敵艦の射撃によって、海の藻屑と化していた。周辺諸国を睥睨していたエリザベス王国の海軍力を象徴する第1艦隊の威容は一時間足らずで海底に沈んだ。



 不明艦隊と第1艦隊の撃滅は、港湾を一望する建物からでも視認する事ができた。首都の住民が誇りとする自国海軍の軍艦が目前で撃沈されたのだ。



 住民が不安を覚えるのは無理も無く、一部の市民達は、港湾近隣から離れて首都の郊外へと足を向けた。



 その騒ぎは、首都を治める役人達にも届き、所在する中央省庁にも喧騒をもたらした。曰く、直ぐにでも外国軍隊が港から攻めて来ると、略奪に備えて逃避すべきだと、住民の噂が官僚達にも伝播していた。



 人間の本性というものは、危機に際して最も良く表れるものであるが、この国を導くエリートも危機管理という面では、庶民とさして変わらなかった。



 日中の業務を放棄して、自身の屋敷に帰宅すると、すぐさま最低限の荷物を馬車に乗せて郊外を目指したのだった。



 勿論、官僚の中には屋敷に戻って軍人だった頃の装備を纏い、参内する者もいたが。君主が居住する城塞に次々と参内する官僚・騎士達は、即席の連隊を編成すると、君主の居城を守るべく防御陣地を構築した。



 臨時の連隊は、君主の勅令によって第9近衛擲弾兵連隊と命名され、禁闕守護を仰せつかった。一応の所、第9近衛擲弾兵連隊以外の近衛部隊も存在するのだが、直臣の貴族と騎士が君主に侍るという政治的行為が重要なのである。



 実際の戦闘行為は、首都を防衛警備する衛戍軍や第1近衛歩兵連隊が行うだろう。



※※



ヴィクトリア市:バッテンベルク城塞



 次々と城塞に参内する騎士達が中庭に集合し、君主から第9近衛擲弾兵連隊の連隊旗が授与された。第9近衛擲弾兵連隊は、同国の歴史に於いて幾度となく国家の危機を救った英雄が統率した君主直属の軍隊である。



 その英雄譚は、文字が読めなくとも吟遊詩人によって聞いたことが一度はある物語であり、王国の民族的同一性を促していた。



 連隊長は、貴族・騎士の中で最も階級の高い子爵元帥が勅任され、同連隊は、直臣を主な隊員とすることから極めて士官の比率が高い偏った編成にならざるを得なかった。



 副連隊長の伯爵大将を含め、連隊幹部は全員が将官であることからも、その年齢構成は必然、高年齢を中心としていた。



 青年貴族の殆どは、衛戍軍・近衛連隊に勤務する者を除いて郊外に退避する準備をしていたから、老兵が中核となるのも無理からぬことである。指揮台に直立した子爵元帥が声を張り上げる。



「我ら第9近衛擲弾兵連隊が、直臣として、貴族として、騎士として君主に侍り、禁闕守護・鳳輦供奉を奉り、護国安寧を恩配せしめ、醜の御楯となるのだ!!連隊各員には、騎士の名誉を懸けて死守することを期待する!」



「「「!!!!!!!!!!!!」」」



 言葉にならない絶叫が連隊から発せられた。彼らは死ぬだろう。しかし、歴史に名を遺すことはできる。



※※



エリザベス王国:衛戍軍司令部



 首都を衛戍地と定めた衛戍軍は、近衛連隊と共に首都の守りを固めていた。外国の軍隊が、侵攻してきたのである。



 彼らの存在意義と課された任務を思えば、即座に防衛態勢を構築するのは当然のことである。衛戍軍は、3個師団を基幹とし、歩兵・騎兵・砲兵の三兵科による三兵戦術を基本とする。



 各師団には、三兵科それぞれの連隊が編制されており、戦闘部隊は合計9個連隊を擁する。戦闘以外の部隊は、工兵大隊・補給大隊などが配備されている。



 1個師団当たり、12,000人程度を抱え、陸軍の中でも最も定員の充足率が高い。衛戍軍司令官は、陸軍大将が勅任され、副司令官兼参謀長には陸軍中将が補職された。司令官は、参謀長からの報告を受けていた。



「第1台場から第15台場が敵軍に奪取され、湾内の小島も敵軍に占拠されました。侵攻軍は、その巨大艦に便乗する海兵隊を上陸させた港湾施設一帯を占領下に置いています。


 我が軍は、残存の海兵隊を吸収して、港湾から1.5km離れた地域に第一次防衛線を構築、順次防衛線を張り巡らしている最中です。


 侵攻艦隊は、以前として湾内に留まり、こちらを牽制しているものとみられます。現在、海軍によると第2艦隊・第3艦隊へ援軍を要請中とのこと。


 陸軍でも近隣の第9師団・第10師団・第11師団の展開を予定しています。敵上陸部隊への前線防衛は、第1師団が担務し、睨みを利かせている所です。


 第2師団は第1師団の後続として背後を守備し、第3師団が、敵軍に対する側面攻撃ないし後背攻撃を企図した機動を展開しています」



「何故、敵軍は港湾に引き籠っている?連中の狙いは何だ?即座に上陸できるだけの能力があるのならば、何故、直ぐに前進して首都を全て占領しないのか」



「前線を担当する第1師団の報告によれば、敵軍が使用する小銃は高火力であり、その運用に難があるから直ぐに前進しないなどと推測されていますが、詳しい事は何一つ分かりません」



「敵軍が歩を進めないのは武器の為だと?例えば、降伏交渉の勧告や侵攻軍の人数が少ないから首都全体の占領が叶わないこともあるだろう」



「いいえ、敵海兵隊は、恐らく1個師団から2個師団前後の兵力があると思われます。敵軍の意図は未だに掴めておりません。停戦交渉の使者を送ろうとしましたが、叶いませんでした」



「…現有兵力で敵軍を撃退できると思うか?仮に撃退しても又、巨大艦と共に訪問してくる可能性も否定できない。どうにか交渉ルートを確立できないものか」



「それは、侵攻軍がこちらと交渉する意思がなければならないことですが、我が軍が敵軍を交渉のテーブルに着かせることができるかどうかは、分かりかねます。それに、城塞では近衛兵達が徹底抗戦を叫んでいるだとか。早期の講和は厳しいでしょう」



「あぁ、あの時代錯誤の連中か。今の時代は銃だというのに未だに騎士がどうのこうのとうるさい盆暗共め。ゴミが何人集まったところでゴミでしかない。この戦いで戦死してくれれば良いものを」



 衛戍軍司令官(陸軍大将)は、城塞に集結した帯剣貴族共を心底見下していた。軍事技術の発展についていけない己の家門と血統以外に取り柄の無い腐った連中である。



 連中が何人いたところで、戦況には何ら影響を及ぼさない。寧ろ、マスケットを装備した陸軍のみが国家安寧を保つ軍事力足り得るのである。



 何れは、貴族・騎士の時代は終わりを告げるだろう。自分の様な平民にも全ての公職が解放される時も近いかもしれない。



 少なくとも、自分の息子・孫達の代には、平民の実力が興盛を極めることだろう。その時には、君主制から共和制に戻ることも期待できるかもしれない。



「とりあえず、敵軍の司令官と話しがしてみたいな。敵軍を知らないことには攻撃することもままならいだろう。外出するので馬を出す様に」



「閣下自ら赴かれると?危険極まりないですが…」



「代理司令官は参謀長に任せる。良く統率する様に。以上」



 そう吐き捨てると、副官に命じて軍馬を用意させ、自ら騎乗した。向かうは、侵攻軍が未だに占領する港湾施設である。



 どの様な外見をしているのか、どの様な言語を操るのか。そしてどの様な文化を持つのか、陸軍大将は個人的に興味を持った。



 外国人と接触するのは、恐怖を誘うものの、知的好奇心を刺激するものでもあるからだ。これから祖国がどの様な運命を辿るのか、それを占う試金石となるだろう。尤も、そもそも司令官同士の会談が受け入れられなければいけないのだが。



第2章④「司令官の会談」



ヴィクトリア市港湾部



 日本軍が占領下に置く首都港湾部に紅白と黒のマントを纏った軍人が現れたのは、占領から数時間を経て両軍の戦闘行為が散発的になり、銃声よりも海上から訪れる港風の風音の方が強くなった昼間である。



 停戦交渉の軍旗を掲げて、日本軍が防御陣地を敷く検問所を訪ねた。参謀長が言うには、これまで何度も使者を送ったらしいが門前払いを受けたとのことだ。



 しかし、この検問所へと繋がる舗装路を常足で進む、軍旗を携えた衛戍軍司令官(陸軍大将)を遮る者はいなかった。



 難なく検問所まで到着すると、陸軍大将は馬上より停戦交渉を要求した。彼は母国語のみならず、自分が知り得る限りの外国語を駆使して交渉を訴えた。



 一体どれ程、叫んでいただろうか。検問所を囲む阻塞から、数人の集団が姿を現し、身振り手振りで下馬する様に指示してきた。



 彼はその指示に従い、検問所に馬を括り付けると軍人の集団に促されて占領軍の本拠地へと案内された。



 占領軍の前線基地は、倒壊した海軍基地・港湾施設を避ける形で、邸宅を徴用して本部として活用している様だった。



 陸軍大将はこの豪華な邸宅の持ち主を知っていた。持ち主であるバッテンベルク公爵は、この国の最高権力者であり、最大の資産家である。



 海岸を一望できる絶景を楽しむために建てられたこの豪邸は飽くまでも公爵が国内各地に所有する別荘の一つに過ぎない。



 この都市はバッテンベルク公領の中心都市でもあるから、公爵の別荘があるのも不思議ではないが。公爵は現在、首都の城塞に籠って大臣や将軍と共に防衛計画を議論していることだろう。



 バッテンベルク公爵位は、エリザベス王国君主が持つ儀礼称号の一つでもあり、即ち国王を兼ねるからだ。



 王朝の代替わりによって、バッテンベルク公爵が王位を継承したことでバッテンベルク王朝が開設されたのである。



 従って、このバッテンベルク公領は国王直轄領を意味する。他にもバッテンベルク伯領やバッテンベルク騎士領などの直轄領も自身に封じている。



 君主が複数の儀礼称号を兼ねることは外国と比較しても珍しいことではないが、儀礼称号という制度を存分に活用して国内の中央集権を進めた国王は、自身が自身の臣下となることで君主権の裏付けを獲得したのである。



 王国を蝕んでいた教会勢力を駆逐し、国教会を新設したこともバッテンベルク王朝の優れた功績と言える。



 一介の将軍には一生を懸けても手に入れることのできない豪邸を目にして、王侯貴族に対する反抗心を燃やした陸軍大将であったが、占領軍の案内人達に促されて入室した。



 国王が自身の書斎として用いていたその部屋に佇むのは、現在の主人であるところの敵軍の司令官であろう。衛戍軍司令官は、侵攻軍司令官に敬礼すると、早速、本題を切り出した。



 しかし、相手が応じる外国語が理解できず、それはお互い様である様だった。何度か会話を試みるも、やはり通じない。着席した司令官達は、机を挟んで向かい合うと、お互いに紙と筆記具が用意された。



 大将は、通じない母国語でお礼を述べると紙面に自軍の要求事項を書き記していった。相手もどうやら同じことをしている様だ。互いの紙面を交換し合い、書面と睨めっこするが、何が何語で書かれているのか、さっぱり分からない。



 だが、大将はこの会談に少しだけ希望を見出していた。少なくとも、侵攻軍はこちら側と交渉する意思があるということだからだ。



 今まで何故、交渉の使者が拒否されたのか定かではないものの、交渉の糸口を掴むことはできたのである。



 但し、言語が通じないということは予想以上に交渉成立の為の予備交渉でさえ、その成立を困難にさせていたが。



 暫くそうした遣り取りを続けていた両司令官であるが、相手方の司令官はその時間を無駄だと思ったのか、早くも交渉を打ち切り、紅茶と茶菓子を提供して茶会へと変貌していた。



 司令官の副官や従卒らが何やら道具を用意すると、その大きいノートブックの様な道具を開きこちら側に向けた。



 すると映像が流れ始め、侵攻軍の祖国である日本国が紹介され始めた。大将は始め、その機械に困惑したものの、その映像美に魅入られた。



 映像から相手国を想像するに、どうやら周辺の列強諸国と比較しても、絶大な国力を有している様だった。



 港湾に出現した巨大艦の群れが、今となっては彼の軍隊にとって一部分に過ぎないことが見て取れた。戦争は確実に負ける。



 しかし、だからと言ってこれと言った具体的な解決策がある訳でも無かった。仮に無条件降伏したとして、その末路が悲惨であることは言うまでもない。



 列強諸国が今まで降伏した敗戦国を植民地化・属国化してきたのだ。それを相手国がしないという保障は全く無かった。



 寧ろ、王国を植民地化し、周辺諸国への軍事基地として使役されるだろう。そうなった時、自分の立場はどうなるのだろうか。



 敗戦国の将軍として断頭台に送られるのか、それとも受け入れてくれるだろうか。自分の家族は死刑にならずに済むだろうか。



 陸軍大将は、国家の生存はもとより家族の生存についても案じていた。エリザベス王国の運命は、この二人の司令官に委ねられたのだ。



 大した成果を挙げられなかった会談だったが、検問所に待機させた馬にまで戻ると、衛戍軍司令部へと馬体を向けた。



※※



エリザベス王国:衛戍軍司令部



 衛戍軍司令官を務める陸軍大将は、頭を悩ませていた。侵攻軍と戦っても勝利を得ることはできない。



 しかし、降伏してもこの国の未来は暗い。ではどうすれば良いのか。どうすることが正解なのか。代理司令官を委任した参謀長を呼び寄せて二人して唸るが、答えは一向に出なかった。



 何よりも、侵攻軍を派遣した相手国の目的が分からない。言語さえ通じれば理解できただろう。残念ながら、互いの言葉さえ分からない様では、降伏交渉さえ難航することだろう。



 もしかしたら、侵攻軍が焦れて攻撃を再開することもあるかもしれない。翻訳しようにも全く異なる言語体系である二つの言語には、共通の単語や文法などが見受けられなかった。



 外国語と言えども、何かしらの他の言語体系の影響を受けるものだが、その痕跡すら無かったのだから、余程、遠い地域から派遣されたのだろうか。何れにしろ、交渉の正常化に繋がる端緒は得られなかった。



 司令官は決意した。ある程度は命を懸けて戦わなければならないと。その捨て身によって相手方からの停戦や降伏交渉を得られるかもしれないと。



 だから、若い兵士の命を捧げる必要があると決心した。彼は、売国奴と罵られるかもしれない。裏切り者と糾弾されるかもしれない。



 それでも、祖国を守ることはできるかもしれない。推測に推測を重ねた杜撰な戦争計画であり作戦計画であるが、綿密な計画など立てている余裕は無い。



 敗戦を制御することで、国家を守るのだ。それ以外に方法があるというのならば、是非、聞きたいものだが、この目的は秘さねばならない。味方にも知られてはならない。



 計画的に敗戦するなど、一体どこの元首が認めるというのか。大法官や陸軍大臣も認めないだろう。だが、やらねばならない。行動しなければ、国家の死あるのみである。



※※



エリザベス王国北西部:第21軍団



 侵攻軍と対峙する衛戍軍及び第1近衛歩兵連隊を加勢すべく、周辺に配置された第9師団・第10師団・第11師団の3個師団が増派された。



 3個師団は首都郊外に広がる平原に集結すると、第21軍団を編成し、これを増派部隊とした。一方、壊滅した第1艦隊を代替する為に第2艦隊・第3艦隊を派遣して、侵攻艦隊を湾内に閉塞又は捕捉撃滅する予定である。



 侵攻艦隊の全ての軍艦が湾内に浮上している訳でなく、飽くまでも一部の艦艇に留まっていた。その他の艦艇は、湾内から少し離れた近海に陣取っている。



 第21軍団は、同国最大の穀倉地帯となっている首都郊外の平原に防御陣地を築城した。豊饒の大地に拠点を築くことで、補給の問題を克服しようという思惑もある。



 この時代の軍隊は、同行する商人から軍人達が自らの装備と糧食を調達することが常だからである。



 各地に一般軍需品倉庫を設けて補給網の構築を目指しているものの、その稼働率は低く、寧ろ、昔ながらの河川輸送の方が貢献している程である。伝統的に使用されてきた穀物輸送の為の国内河川の方が使い勝手が良いのだ。



 従って、第21軍団の物資も河川によって輸送されたのだった。馬車を数千台用意するよりも、河川輸送艦を数隻用意する方が圧倒的に効率が良い。



 穀倉地帯を策源地とすることで自軍の補給問題を解決したが、今度は、この物資と装備、そして兵員を首都にまで投入しなければならない。



 穀倉地帯及び首都郊外から首都への運路は、最大都市の人口を養うべく最大の河川幅を誇り、第21軍団を輸送するのに不足はないだろう。



 侵攻軍に対する3個師団と近衛連隊だけでは心許ないから、この軍団を北上させて圧力を増大させる必要がある。



 それで侵攻軍が撤退すればそれで良いし、撤退しないのならば数の暴力を以て包囲撃滅すれば良い。尤も、第1艦隊が難なく破壊されたことを鑑みれば海軍による捕捉撃滅は難しいだろう。



 恐らく、援軍の第2艦隊・第3艦隊共に侵攻艦隊によって撃沈されるに違いないが、それでも敵軍の足を止めるという貴重な時間を稼ぐことは出来る。その間に第21軍団が敵上陸部隊を撃退できれば全体としては国防に適う。



 但し、第1艦隊の壊滅は、港湾を訪れた外国商船によって諸外国に拡散するのは必然で、その情報封鎖の為に外国船籍を強制停船させようにも港湾を占領されていることからそれも叶わない。



 侵攻艦隊が外国船籍を撃沈してくれれば良いが、どうやら見逃している、あるいは、存在を無視している様だった。



 第21軍団司令部は、首都防衛の総指揮を執る衛戍軍司令官との連絡を密にしていた。連絡によると、陸軍大将自らが敵軍に乗り込んで交渉を試みたが、敵軍司令官との停戦交渉は決裂したらしい。 


 軍団長(陸軍中将)は、第11師団長から戦時任官され少将から中将へと一時的に昇進していた。第11師団は副師団長の准将を少将に昇格させて指揮に当たらせた。



 戦時任官である以上、戦時でなくなれば元の階級に戻ることになるが、ここで戦果を挙げれば中将に留まることも可能だろう。



 寧ろ、国家の危機を救った英雄として大将や元帥に出世して衛戍軍司令官や陸軍司令官を勅任されてもおかしくはあるまい。



 軍団長は、降って沸いた自己の出世に歓喜した。外国軍の侵攻を受けて喜ぶなど軍人としては失格であるが、出世欲が強い中将は、これを機会に更なる昇進を目指していた。



 衛戍軍司令官は、階級こそ大将であるが、与えられた師団は3個のみである。自分が率いる軍団の重要性を考えれば、衛戍軍と同等以上と言って良い。



 ある程度、兵力を減少させた衛戍軍ならば、後方で保全された軍団の方が兵力を上回るだろう。その時が来れば、自分は首都防衛の主導権を握ることができる。



 自分の価値を最も良く最大化できるのは、衛戍軍と近衛連隊の兵力が大きく減少した時なのだ。迅速に行動して敵軍を捕捉してもそこに自分の価値はない。君主から援軍を感謝されて終わりである。



 そうではなく、彼が目指すのは陸軍の頂点である。自分こそは陸軍司令官と陸軍元帥に相応しいのだ。



 しかし、植民地戦争を除けば陸軍で軍功を挙げることは難しい。寧ろ、海軍の戦列艦や海兵隊の方が戦果を挙げることができるだろう。



 自分が陸軍を選んだ以上、その中で出世競争を勝ち抜かなければならない。それこそ、平民でありながら、大将にまで昇進し、首都防衛の任を任された衛戍軍司令官の様に出世街道を駆け抜けたい。



 富裕市民と都市貴族に士官と公職が解放された現在でも、一部の司令官職と政務官職は、依然として帯剣貴族が独占しているのが現状である。生きているだけで国富と血税を食い潰すクズ共がこの国を蝕んでいるのだ。



 行く行くは、衛戍軍司令官を務める陸軍大将や平民出身の士官・官僚と共に王侯貴族を駆逐すれば良い。彼はこの戦いが集結した後の政治情勢について策謀を張り巡らしていた。



 ついでに、逃亡した青年貴族と官僚連中の責任も問わねばならない。断頭台に送るか、それとも監獄島に送るか、何れにせよ国家に対する義務を放棄したことを理由に刑事法上の制裁が加えられて然るべきである。



 そうでないのならば、この国家は未だに身分という不平等に支配されていることに他ならない。旧弊を打ち砕くきっかけが必要だ。それが、この戦いなのかは分からないが。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る