第1章 ステルス・インテリジェンス

 日本軍に海兵隊が創設されたのは、中国との緊張関係に突入したからだった。当時は水陸機動団という看板を掲げ、建前上は島嶼部防衛・島嶼部の奪還作戦の為に準備された。


 しかし、実際の目的は中国大陸に対する逆侵攻作戦の為の先遣部隊というのが、隠された任務だった。


 堂々と侵略が目的であると喧伝するのは憚られる(敵国に対して自衛戦争の大義名分を与えることになる)から、表向きは島嶼部の防衛であると説明された。


 通常、海兵隊は独立した軍種として遇されるか、海軍の隷下部隊として運用されるが、日本海軍には歩兵運用のノウハウに乏しく、又その意思もなく、更に言えば新部隊に海軍予算を取られることを良しとせず、結果として陸軍にお鉢が回ってきた次第である。


 これには政治的な思惑も働いた。政府首脳部及び防衛省は、陸軍と海軍の関係が改善するのではないかと期待した為である。


 第二次世界大戦の戦中に比べれば随分と友好的にはなったものの、大戦の歪みは未だに両軍を蝕んでいた。統合運用体制の構築が叫ばれ、統合参謀本部が創設された後も奇妙な緊張関係が続いていたのである。


 その関係の潤滑油となり得るのが、陸軍の海兵隊編制である。海兵隊の水陸両用作戦には、当然、上陸用舟艇を始めとした水上艦艇の運用が不可欠であり、海軍の協力と理解なくして上陸作戦は成功しない。


 海兵隊の訓練・作戦には、常に陸海軍の協力が必要とされることから、否が応でも協力せざるを得ない状況に追い込むことができる。大戦中の反目と失敗を理由に喧嘩することを認めないということだ。


 陸軍海兵隊は、3個海兵遠征旅団(MEB)を主力とする。海兵遠征旅団は、戦争の初期段階に於いて、その先鋒を務め、敵国に上陸展開して敵戦力に打撃を与えることを目的とする。日本と中国の地域紛争では、常に先陣を切って中国軍と対峙した。


 しかしながら、敵軍が自国に侵攻したからといって直ぐに防衛部隊を派兵する訳ではない。戦争権限法が制定される以前は、防衛出動を発令する為には実際に侵略を受けているか、その恐れがある事態でなければならない。


 首相が国防軍に対して防衛出動を下令するに当たっては、その根拠となる事実・証拠が必要である。防衛出動の為の情報収集任務に重用されたのが、海兵武装偵察部隊である。


 彼らは、陸海空軍の誰よりも最初に戦場を潜入し、敵軍の情報・地形情報・現地人の協力者獲得工作に従事した。軍事作戦では最初に投入され、最後に去るのが彼らの誇りとする所である。


※※


第1海兵遠征旅団:武装偵察中隊司令部


 武装偵察部隊は、公式上は威力偵察を任務とするものの、非公式に特殊作戦能力を保持する部隊である。


 各種の報道や軍事雑誌では、海兵隊の特殊部隊であると言及されているが、飽くまでも海兵隊の報道官は特殊部隊でなく高い練度を誇る偵察部隊であると説明している。


 諸外国の事例に照らして非公式の特殊部隊は珍しくない。寧ろ、部隊の性格を鑑みれば秘匿されて当然である。尤も、彼の部隊の任務が秘匿されているのは、多分に政治的なものである。


 海兵隊は、陸海空軍の特殊作戦部隊を隷下に置く機能別統合軍・特殊作戦軍の指揮命令系統に属さない特殊部隊を欲していたからである。要は、使い勝手の良い部隊を手許に於いておきたいのだ。


 特殊作戦軍としても隷下の統合特殊作戦コマンドに直轄部隊を配備している上に、形式上は陸軍の組織である海兵隊からわざわざ部隊を供出させる労力と費用を惜しんだ。


 陸海空軍は、表面上は特殊作戦軍に部隊を供出しているが、実際には更なる少数精鋭部隊を秘密裡に抱え込んでいた。


 第1海兵遠征旅団の第1偵察大隊に属する第1武装偵察中隊の即応部隊隊員が招集され、中隊司令部にて、状況説明が行われていた。中隊長以下十数人の部隊員が集合した。


「旅団司令部を通じて任務を受領した。任務は、A国と仮称された隣国に対する潜入工作である。詳細は作戦参謀から説明がある」


「後日、開催されるNSCと閣議に於いて必要な情報を収集・分析すべく、近隣諸国及び高度脅威地域へのステルス・インテリジェンスを行い、戦力評価の要素情報を獲得しなければならない。

 軍隊の規模や基地の所在地、地形分析が要求されているが、更に大量破壊兵器の有無については情報要求の優先順位が極めて高い。具体的な作戦立案は諸君らが行う。以上」


 防衛情報局及び旅団司令部情報課が作成した分析済みの画像情報が配布された。画像情報には、航空偵察と偵察衛星によって得られた情報が加工されている。


 一般の部隊であれば司令部の命令に従って作戦を遂行するだけだが、特殊部隊では、司令部の命令は基本方針に留まり、詳細な作戦計画は特殊部隊員が立案する。


 任務部隊はA分遣隊とB分遣隊に分かれた。A分遣隊は海路、B分遣隊は空路によって潜入する。それぞれの分遣隊は、一等軍曹が指揮する。


 分遣隊には、指揮官・狙撃手・衛生兵・情報分析・通信兵を5人が担当し、両分遣隊は合計10人の隊員が参加する。


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第8艦隊:第81任務部隊


 エリザベス王国に派兵される海兵武装偵察部隊(第302任務部隊)は、第8艦隊に所属する第81任務部隊によって輸送されることが決定した。第81任務部隊は、水上戦闘艦を中心に据えた編成部隊である。


 第302任務部隊が便乗するのは、第81任務部隊を構成する第6駆逐隊所属のあきづき級駆逐艦である。


 あきづき級駆逐艦は、特殊部隊の輸送を前提とした設計が組まれており、中国との紛争に於いても高脅威度地域での輸送作戦に従事した。


 陸軍海兵隊、それも特殊部隊である武装偵察中隊が海軍との共同作戦を任じられるのは、珍しくない。寧ろ、その設立背景を考えれば日常的ですらあった。


 あきづき級駆逐艦の4番艦である「ふゆづき」は、彼ら武装偵察中隊にとって相棒とも言える艦艇である。


 対中紛争では、この「ふゆづき」に乗艦して中国大陸に潜入し、諜報工作活動を展開した。彼らは、再び相棒と一緒に仕事ができることに対して、静かに歓喜した。


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大戦洋:第61水上戦闘群


 補給艦を随伴した第61水上戦闘群(61st SAG)は、母港とする舞鶴海軍基地から出航し、大戦洋地域に展開した。第6駆逐隊に所属する8隻の水上戦闘艦の内、3隻+補給艦1隻で構成された第61水上戦闘群が派遣された。


 通常の水上戦闘群に加え、長期間の作戦行動を加味し、補給艦を随伴させたのだ。展開が予定されている強化型遠征打撃群の先遣部隊に当たる。


 水上戦闘群は、数隻のミサイル駆逐艦・ミサイル巡洋艦からなる任務部隊であり、空母打撃群(CVSG)・遠征打撃群(ESG)と比べて高い機動性と汎用性を誇る。


 特に、その使い勝手の良いミサイル・プラットフォームとしての水上戦闘群は、歴代の政権に愛用され、首相に対して小規模な軍事オプションを提供し続けている。


 中東地域に於いて、日本が持つ石油権益を反政府軍に強奪された事件では、日本政府は即座にSAGを派遣し、100発以上の巡航ミサイルを反政府軍の拠点に叩き込んだ。


 あきづき級駆逐艦「ふゆづき」に乗艦するA分遣隊は、目標海域に到達したことを乗組員に告げられ、海路潜入の為の潜水機具一式を準備した。


 彼らの格好は、スキューバダイビングに近い。潜水士がHK416アサルトライフルなどの武器を装備したイメージだ。


 但し、スキューバダイビングに近いと言っても、大きな酸素ボンベを背負っている訳ではない。


 特殊作戦用に開発された超小型の半閉鎖式リブリーザー(SCR)と、潜水状態に身体を適応させる為の特殊な呼吸法を身に付けている。


 王国西部沿岸から60km以上離れた位置に「ふゆづき」が碇泊していた。この位置に陣取ったのは、水平線上から見えない様にする為である。


 地球と比較し、広大な表面積を誇る惑星であるから、当然、水平線も長距離となる。海軍にとっては、水平線を盾にしづらい海域と言える。


 水平線を上回る射程をもつ艦載砲が現時点では乏しいので(現在、判明している国家に限るが)、又この惑星の記録されている歴史に於いては、視界外ミサイルは登場していないので、視界に留まる海戦が殆どである。


 尤も、視力が優れているのが前提だが。測量によると地球の水平線の6倍以上もの距離なので、どれだけこの惑星が巨大かということが分かるだろう。それにも関わらず、一日の時間が24時間なのだから、不思議としか言いようがない。


 A分遣隊は、離艦してから5時間以上を経て、王国沿岸部に着岸した。彼らがこれから行うのは、軍事情報の収集・分析から現地人の人心掌握まで様々である。


 だがそもそも、言語が通じなければ、現地人と意思疎通を図れないし、黒髪黒目の日本人が金髪銀髪碧眼の外国人の中に混じれるかという問題もある。日本人と似たような風貌で、似たような言語を話すと期待する方が無理だろう。

 

 だからこそ、彼らがまず始めに行わなければならないのは、言語・風貌を始めとした現地の文化の調査とその会得と言える。


 彼らは特殊部隊員であるから、勿論、複数の言語を操ることができるが、英語やフランス語・中国語などが異世界人に通用するとも思えない。心の底では、せめて英語が通じることを願ってはいたのだが。


 彼らが着岸した沿岸部は、何もない砂浜だった。見渡す限り、人影や民家といった人間の痕跡が見当たらない。彼らがまず始めたことは、通信機器の点検だ。


 近海に待機する「ふゆづき」及び軍事用の通信衛星とのデータリンクを確立すべく通信兵(二等軍曹)と情報分析官(少尉)・衛生兵(二等軍曹)が機材の調整に取り組む。


 一方、部隊の指揮官である一等軍曹と狙撃兵(三等軍曹)は、周囲の哨戒警備を担務した。


 回線が接続された「ふゆづき」の戦闘情報センター(CIC)要員と談笑しながら作業をする通信兵達に呆れながらも、周囲を見渡すとそこにはただ自然が広がるだけだった。


 その美しい風景は、自分達が異世界に来たのだと実感させるに相応しかった。


第1章②


 A分遣隊が着岸した砂浜から数十km離れた所に小さな寒村があった。小さな村といってもこの世界の基準からすればということであり、人口は1,000人を少し超える程度であった。中世ヨーロッパであれば十分に「町」を名乗れるだけの人口である。


 しかし、この様な規模の村が寒村であるのは、この国の経済が低迷している傍証なのかもしれない。勿論、村の一つや二つが貧しいからといってマクロ経済を判断するのは早計だが、一つの指標にはなる。国富が国の隅々まで行き渡っていないのだろう。


 村民の風貌をよく見ると、身体的な特徴が見て取れる。耳が長く、若者から老人に至るまで眉目秀麗・容姿端麗であった。ファンタジー世界に登場するエルフそのものだった。


 彼らが重い農具などを難なく持ち上げていることから、フィクションにありがちな膂力が弱いという設定は当て嵌らない様だ。村民達は黙々と農作業に没頭していた。彼ら彼女らを観察するA分遣隊には気付いていない様子だった。


 A分遣隊がエルフの寒村を発見したのは、村の中心から少し外れた所にある建物の煙突から排出された灰色の煙を視認したからだった。


 砂浜から離れ、これといった特徴のない森林を突き進むと、周囲の地形を確認する為に、身近にある大木に登ったところ、遠くに煙を確認したのだ。煙があるということは、森林火災でもない限り、人間の生活する気配が感じられる。


 勿論、村を発見したからと言って、直ぐに入村する様な真似はしない。何日も、下手をしたら一週間以上も観察してから接触する必要がある。


 何せ、彼ら外国人と日本人は大きく異なる訳だから、文化や言語の違いを良く注意して観察し、現地人との友好関係の樹立に腐心しなければならない。


※※


 情報解析を担当する少尉の専門は、言語学である。国立防衛大学外国語学部に在学中、その外国語能力を見込んで防衛情報局のリクルーターが接触してきた。留学費用を全額支給するから、情報機関に就職してみないかというお誘いである。


 彼の実家は中流家庭で、留学費用を出費できる程には財産があったが、そもそも彼が国立防衛大学に入学した動機は両親に負担を掛けたくなかったからである。


 学費が値上がりしている国公立大学と比較しても格安の学費で世界トップクラスの講師陣の授業が受けられる最高の環境が用意されており、彼がその宣伝文句に惹かれて入学を決意するのは当然だった。


 英国・レディング大学の応用言語学専攻に留学し、修士号を修め、日本に帰国すると約束通り防衛情報局の職員として採用された。


 防衛情報局の言語要員としての彼の仕事は電波情報局(G2-Annex)が傍受した外国軍の通信の分析・評価である。


 その卓越した言語解析能力を駆使して、暗号の専門家と共に暗号解読作業に従事した。又、応用言語学の専門家として地域研究にも勤しんだ。


 趣味と実益を兼ねた日々の公務は非常に充実していて、彼の天職であると職場の誰もが認める所であった。


 少尉が特殊部隊に入隊しようと思ったきっかけは、自宅で何気なく視聴していたディスカバリーチャンネルの特殊部隊の活躍を描いたドキュメンタリーだった。


 アメリカ海軍ネイビーシールズの歴史に迫ったそのドキュメンタリー映像に魅入られたのだ。


 少尉は軍人ではあるものの、彼に期待されているのは言語学者としての役割であり、軍人としての戦闘能力など誰も求めてはおらず、陸軍士官学校に入学した際も厳しい軍事訓練は少なかった。


 歩兵科や砲兵科などの戦闘兵科に進んだ士官候補生達は厳しい訓練に明け暮れていたのだが、その様な学生を校舎から眺めつつ過ごしていただけだった。


 自分達はそれぞれ役割が違うのだからと気にも留めていなかった。士官学校での一年間は、彼にとっては博士論文の為の研究期間でしかなかったのだ。


 少尉は、ドキュメンタリー番組に登場する特殊部隊に軍人としての在り方を見出した。


 今までの仕事では、士官ではあるものの、自分が軍人であるという実感は今一つ沸かなかった。


 実際に銃を手に取って戦場に行くわけでもなく、ただ安全な後方で業務をこなしているだけである。


 勿論、それが悪いということでは全くなく、寧ろ、自分が分析した情報が前線の兵士達の役に立っているとさえ思っていた。


 しかし、彼ら特殊部隊の様に、自分達の命を投げてでも国家と国民の為に国家戦略を遂行する様に惚れてしまったのだ。


 自分も軍人である以上、いざとなれば国家と国民の盾になり、殉職する覚悟は持っていた。


 いや、持っていたつもりだったが、彼ら特殊部隊の覚悟に比べれば、自分が信じる正義などちっぽけなものに思えた。彼は、欲していた。自らの命に釣り合う任務を、国益を欲していたのだ。


 職場の上司や同僚達に自分が特殊部隊に入りたいと告げると大層驚かれた。彼はその反応を当然だと見做したが、幸いにも応援の声が強く、同僚達には感謝してもしきれなかった。


 一方、防衛情報局のリクルーターに対しては、少しばかり申し訳ないとも感じていた。


 折角、インテリジェンスの世界に誘われて情報官としてのキャリアを積んでいたのに、それを投げてまで特殊部隊に入りたいというのだから、小言の一つや二つは言われるだろうなと憂鬱な気分になった。


 防衛情報局の人事課には引き留められたものの、彼の決意は固く、送り出す他無かった。


 海兵武装偵察部隊の部内公募に応募した結果、書類選考を通過したとの連絡を受けた。


 面接に赴くとエリート街道に足を乗せたインテリジェンス・オフィサーが応募してきたことに対して、面接官達は驚愕していた。


 面接官を務める大佐から直接、キャリアを心配されたが、意思は変わらなかった。特殊部隊といえば軍隊のエリートであるが、その実、出世という面ではポストが少なく士官としての旨味などないからだ。


 更に、士官であっても自分より階級の低い下士官などが部隊の指揮を執ることも珍しくない。


 実戦部隊の指揮官は、通常の部隊と異なり、実力制で、指揮統制能力が未熟な新品少尉よりも、実戦経験が豊富な下士官それも曹長や一等軍曹が指揮官を務めることの方が多いくらいである。


 レンジャー徽章・空挺徽章さえ取得していない少尉にとって、特殊作戦訓練課程は過酷であった。


 それでも、這いつくばって、歯を食いしばって訓練に耐えた。次々と候補者が脱落する中にあっても、彼の姿はあった。


 確かに訓練は過酷ではあるものの、所詮、特殊作戦に必要な最低限の能力・技術を修得しているに過ぎないと気付いたからでもある。


 この課程を修了した先に、特殊部隊隊員としての本当の訓練と実戦が待っているのだ。


 こんなところで、躓くものかという言わば精神力で持ち堪えたのである。肉体が限界を訴えても、なお、続けられる訓練で生き残るには、精神も鍛えなければならない。


 訓練教官が本当に見たいのは、彼ら候補生達の肉体と精神なのだ。不屈の精神こそ最も要求される技能であり、しかし、心の問題であるからこそ、最も鍛え難い部分でもある。


 特殊作戦に携わるということは、結局のところ、己の死を受け入れるということに他ならない。


 彼が、この訓練課程で得たものは何よりも自制心だった。訓練課程を修了し、特殊作戦徽章を授与され、海兵武装偵察部隊へと配属された。


 だが、直ぐに実戦に投入される訳ではない。更に、特殊作戦に必要な技術を磨き上げ、ようやく戦場に赴けるのだ。


 最初の任地は、内戦中のシリアであった。日本政府が国有企業INPEX(国際石油開発帝石)を通じて40年の採掘権を設定した某地域が武装勢力によって占拠されたのだ。


 武装勢力は日本政府に対して犯行声明を表明すると共に、NATOへの援助を停止する様に要求した。


 しかし、この作品世界に登場する日本政府は現実世界の政府と異なり、極めて好戦的であった。


 寧ろ、テロリスト集団が喧嘩を吹っかけてきたことに対して、一部の政府首脳・高官達は腹の内に算盤を弾きつつ、軍事攻撃の大義名分を得ることができたと喜んだ。


 そして、躊躇なくSAGを派兵し、過剰とも言える大量の巡航ミサイルを投射した。


 その誘導には、以前から派兵されていた第3特殊作戦航空団所属の統合終末攻撃管制官(JTAC)が担当し、正確に敵目標を撃破した。


 訓練の一環として、空軍JTACの仕事ぶりを間近で観察する特権を得た前述の少尉は、そのプロフェッショナルな任務の完遂に畏敬の念を抱いた。


 これこそミッション・コンプリートなのだ!熟練したJTACを質問攻めにして困らせる程には、彼は興奮していたのである。


 次の任地は、ポーランドとロシアの国境地帯だった。ポーランドから撤退した米軍によって、東ヨーロッパ地域の勢力均衡が崩れ去り、ロシア軍がその牙を剥きだしにする様になったのだ。


 ポーランド軍は、撤退した米軍の穴を埋めるべく大量の予備役兵・義勇兵を動員して、国境地帯に配備した。両国関係は一触即発であり、いつ戦争が起きてもおかしくはなかった。


 一方、日本の首相は、この事態にほくそ笑んでいた。日本の仮想敵国の一つであるロシア連邦の国力を削ぐことは何にもまして重要なことだからである。


 ポーランド=ロシア間で戦争が勃発すれば、ロシア軍は必然、西部戦線に目を奪われることになる。


 その間隙を突いて、ロシア極東部の軍事都市であるウラジオストク市と駐留する太平洋艦隊を攻撃できる算段が整う。


 ロシア極東部に於ける完全な脅威の排除を目標に据える日本政府にとって、またとない機会である。


 日本の対ロシア戦争計画では、ポーランド・トルコをそれぞれロシア軍と対峙させることで、西部及び南部へ注意を逸らし、その間に軍事力を擦り減らすロシア軍を見物するのだ。


 目標とする戦力の漸減に成功したならば、速やかに空挺師団・海兵遠征旅団を投入して、ロシア極東部を占領下に置く計画で、政府は虎視眈々とその機会を伺っていたのである。


 ポーランド=ロシア国境に派遣された少尉は、その類まれなる言語解析能力と地域文化研究能力を駆使して、日本のインテリジェンス、ひいては戦争計画に貢献したのである。


 ポーランド語・ロシア語の双方に通じている彼は、町に繰り出しては、町の有力者達との人脈を構築し、両軍の動きを監視していた。

 

 そして、ポーランド国境付近の小さな都市でロシア人がポーランド人の女の子を強姦した事件が発生し、報じられると、ポーランド国内の反ロシア感情は頂点に達したのだった。


 ロシア人のオウンゴールとも言える行為に対して、日本政府は笑いが止まらなかった。尤も、日本軍がロシア極東部を占領する前に、日本国が異世界に転移してしまったので、戦争計画は白紙になったのだが。


 少尉にとって実戦と言える様な任務は、国家転移後が初であった。エリザベス王国に派遣される以前にこなした任務は、軽い部類で、上官達が徐々に経験を積ませる為であったことは明白だからである。


 彼はそのことに少しだけ不満を抱いてはいたのだが、建物内に籠って仕事をするよりは健康的だと自分を納得させた。

 

 今回の特殊任務に当たり、彼に期待されているのは、やはり言語学者としての能力である。


 その技能を存分に活用して、現地人の言語・文化を分析してもらうことが重要である。


 言わば、軍服を着た学者によるフィールドワークと言える。


 指揮官の一等軍曹が少尉を分遣隊員に推薦したのも、その専門性を見込んでのことである。


 退役が近い一等軍曹としては、有望な若者を実戦任務に引き上げて、直接、鍛える魂胆であった。


 自分の息子程の年齢である少尉を一等軍曹は、軍隊流に可愛がって、目を掛けていた。少尉の参戦が認められたことは、一等軍曹にとっても自分の事の様に嬉しかったのである。


 この任務で、徹底的に特殊作戦のイロハを叩き込むつもりだった。少尉の成長には目を見張るものがあり、着実に特殊部隊隊員としての心技体を完成させつつあった。


 あと少しなのだ。あともう少しで、彼は本物の戦士になるのだ。今まで、大した軍事訓練を受けたことがなかった者が、ここまで来たのだ。これで期待するなという方が無理だろう。


第1章③


 一等軍曹は、エルフ村(仮称)の監視を続ける狙撃兵と情報分析官からの報告に耳を傾けていた。


 村に対する監視は、2人ずつの交代制とし、常に2人分の睡眠時間を確保することで、24時間の監視を可能にしていた。


 勿論、特殊部隊の中でも更に精鋭である彼らからすれば、3日間徹夜したとしても、通常通りに作戦行動を行える様に訓練されているが、それでも彼らが人間の域を出ないのも事実である。


 本国の限られた時間を思えば、休息など取っていられないのだが、人間の身体が休むことを前提としている以上、何れ、ガタが来るのは目に見えている。


 有限の時間と身体を使い切る為にも最低限の睡眠は必要であると一等軍曹は判断し、分遣隊員達に交代制を命じた。


 交代制であれば、自身が指揮を執るだけでなく、少尉を含めた他の隊員達が指揮を任されることもある訳なので、訓練にも丁度良いだろうという判断も働いた。


 少尉達の報告によれば、いつも通り村民達は農作業に従事しており、代わり映えのしない生活を送っている。


 これといった特徴のない行動ばかりで、変化を望む一等軍曹にとっては、報告の内容は落胆するものであった。


 村落を発見してから一週間以上は監視しているものの、未だに任務の端緒となるような情報を得られなかった。

 

 現在分かっていることと言えば、村民達がいわゆるフィクションに登場するエルフにそっくりであるということぐらいで、規則正しい生活に身を置いていることぐらいしか掴めていない。


 彼らの報告内容は、近海に碇泊する「ふゆづき」を中継して、統合参謀本部・防衛省・内閣官房国家安全保障局にも届いてはいるが、相も変わらない報告に辟易としていた。


 特殊部隊の中でも更に最精鋭であるフォースリーコンに頼めば、何でも解決してくれるだろうという甘い期待が政府上層部にあったのも事実である。


 しかし、異世界の国々を調べることがそんなに簡単な筈がない。寧ろ、異なる惑星である以上、極めて難しいことであると気付くべきである。


 現実世界の日本とは異なる歴史を歩んだはずだが、やはり日本人の悪い意味での楽観的で危機管理が不得手な民族であるのは変わらない様だ。


 それでも、現代日本に比べれば幾分か増しではあるのだが。


 情報分析官(少尉)が、村落と村民を観察するに、どうやら地球世界に於けるいわゆる後進国(発展途上国)の農村に近い様だ。


 見た目がエルフそのものなので、何かしらの魔法や呪術の類を使うのではないかと非常に期待していたのだが、今のところ、そうした素振りは見られなかった。


 便利な魔法でも使えるのならば、そもそもこんな寒村にならずに済んだということなのだろうか。


 しかし、この惑星が日本人にとって未知であるのは変わらない。こうして、人間が良く知らない国家に来ているだけでも相当のリスクを背負っているのだ。


 各種のワクチンを打ってはいるものの、怖いのは名前も分からない病気に罹患し、更にそれを母国に持ち込んでしまうことである。


 一応、「ふゆづき」や後々に派遣される強襲揚陸艦・輸送艦の病院機能で応急処置はできるものの、異世界の病原菌を退治できるのか不安な所であった。


 現在のところ、これといった病気にはなっていないから、当分は大丈夫だと自分に言い聞かせているが、適度を少し上回る緊張を彼に強いていた。隊員達はそんな彼の緊張状態を見抜き、冗談を言い合って慰めてくれるのが唯一の救いである。


 少尉が村民に対して、精密集音器を向けると彼らが一定の規則を以て発話していることが聞き取れる。つまり、ある程度の言語体系を持った文化であると推測される。


 どちらかというと、古英語に近い。古英語と言っても現在の英語とは、文法・単語・発音が大きく違う。


 恐らく、イギリス人などの英語を母国語とする人々は、古英語の文献を読むことすら難しいだろう。それは、日本人が古典を読むことにも通ずることである。


 近世ヨーロッパの文明を持つと推測されたエリザベス王国であるが、その文明レベルは、観察するところ中世ヨーロッパ後期ないし近世ヨーロッパ前期といった辺りだ。防衛情報局から提供された情報は、あまり当てにならないなと彼は思った。


 これは、自分達で直接、確かめる他ないだろう。外国人と接触することには慣れている彼であるが、この時ばかりは気が重かった。


 彼らの発話を収集して気付いたことの一つは、日本語と英語が融合した様な、異なる二つの言語体系が用いられているのでないかとの仮説を検証している最中だった。時々、彼らのコミュニケーションに異なる言語が出現する違和感を覚えたのだ。


 まだ、推測の域を出ないが、恐らく、エルフ達が本来持っていた言語体系とエリザベス王国の言語体系とが接触し、融合されたのではないか。


 少尉が自分の記憶を探ると、これはクレオール言語、それも小笠原クレオールやアウストロネシア・クレオールに近い類の言語体系かもしれないと当たりを付けた。


 クレオール言語であるならば、その言語解析はより困難になる。何せ、二つの異なる言語が融合しているのだ。それぞれの言語体系を詳しく紐解く必要がある。


 言語マニアの少尉としても、いくら何でも勘弁してくれという気持ちで一杯だった。


※※


 一等軍曹が全員の招集を掛けると、寝ていた隊員も起こして今後の方針を話し合った。


 A分遣隊が収集した情報資料(生の情報)を各自持ち寄り、情報分析官がそれをインテリジェンス(分析済みの情報)という形に加工していく作業を繰り返す。


 情報分析官を含め、彼ら分遣隊員の一致した意見は、これ以上、監視していても大した情報は得られないと結論付けたことだ。


 指揮官が、現地住民との接触を準備する様に命じると、分遣隊に緊張が走った。場合によっては、現地人の反応次第で、日本国の対外政策が方向付けられてもおかしくはないからだ。


 仮に、現地住民を始めとする王国民の、日本人・日本国に対する反応が芳しくなければ、軍事オプションも考えざるを得ない。


 戦争政策によってエネルギー安全保障・食料安全保障を確立させようとするタカ派が政府首脳部の多数を占める以上、躊躇なく王国に対する侵略戦争の準備を軍隊に命じるだろう。


 これまでの日本政府も常に国益を至上のものと崇め奉り、軍隊を投入してでも、権力闘争の激しい国際社会で国家を存続させ続けたのだ。


 国務大臣達は、党内の派閥抗争に明け暮れてはいるものの、いざとなれば挙国一致して戦争に諸手を挙げて賛成するだろう。


 今までの日本政府がそうであったのだから、今回はそうでないなどと否定はできない。

 

 あるいは、現地人の人心掌握に成功して、友好関係の樹立に成功したのならば、日本国は、この世界で初めての友好国を手に入れることができる。


 空路によって王国に潜入したB分遣隊と共に、彼ら海兵武装偵察部隊の活躍とその双肩に我が国の未来が懸かっているのだ。その為にも、接触は慎重の上にも慎重を重ねて、懇切丁寧に対応しなければならない。


 分遣隊員達はそれぞれ、政治的なイデオロギーや思想が異なるが、それが一神教であれ、多神教であれ、あるいはアニミズムや無神論であろうとも、とにかく、国家の行く末を按じたのである。


 これから彼らが行う一切の行動が、その後の国家戦略に影響し、ひいては、国際関係に激震をもたらすことだろう。


※※


日本政府:正副官房長官会議


 正副官房長官会議は、第二次○○政権以後に発足した非公式の合議体である。毎日一回は必ず開催され、事実上、日本国の最高意思決定機関と化していた。言わば、英国のインナー・キャビネットに近い性質の会合である。


 日常の政務・事務を処理する為に設けられた会議であるが、毎日の様に政府首脳・高官が集合することからその使い勝手の良さが重用され、閣議や事務次官等会議よりも重視される会議へと変貌したのである。


 霞が関・市ヶ谷の官僚達は、この会議の内容と決定を知ろうと専従の情報班を運用している程である。


 尤も、厳重にシールドされた会議の詳細を窺い知ることは、例え、首相の番記者であっても厳しいもので、首相に近いことが公然の秘密となっている時事通信社の特別解説委員を務める老人が著書で明らかにしなければ、その存在さえ国民は知らなかっただろう。


 正副官房長官会議に属する、首相、内閣官房長官、内閣官房副長官、首席補佐官の計6人がこの国の未来を握っていた。


 国家安全保障会議も重要ではあるものの、意思決定の迅速性を重んじる首相は、この会合を活用して国家安全保障政策も決定していた。


 NSC・閣議はその追認機関でしかないのだ。一応のところ、閣僚と派閥に配慮して、閣議や関係閣僚会議を重視する素振りは見せてはいるが、ガス抜き程度にしか考えていなかった。


 国家の意思決定に関わる者は、少ない方が良いのだ。日本の様に何十人もの国務大臣がいる方が組織を健全から遠ざけ、腐らせるのである。


 首相にとって、国務大臣とは、企業の取締役でなく、せいぜい執行役員止まりである。この国の取締役は、彼ら6人なのだ。


 本日の議題は、第302任務部隊(海兵武装偵察部隊)が収集・分析した情報に政治レベルの検討を加えることである。


 彼らが命懸けで収集した情報は、データ中継衛星・軍事通信衛星を通じて、首相官邸の地下にある危機管理センターに届けられ、官邸の主人に回ってきた次第である。


 内閣情報調査室が廃止された為、情報集約センターはない。国家の中央情報機関は、法務省の外局である公安調査庁の職員を大幅に増員させ、情報庁として再編されたのだ。


 中央省庁再編のどさくさに紛れて、首相直属の諜報機関を創設したのである。


 元々、情報庁構想は以前から存在し、実現しようとした政権もあるのだが、実現する前に退陣してしまい、うやむやになっていたのだ。


 国家の情報戦略・情報機能を重視する当時の首相は、この過去の情報庁構想を掘り出し、自身の情報収集能力を高める為にも、創設を決意したのだった。

 

 何よりも、日本の情報機関は首相に忠誠を誓っている訳ではない。飽くまでも、彼らが所属する省庁の利益を優先しているに過ぎない。国益よりも省益が優先されるのが、日本のインテリジェンスの現状だった。


 創設から数十年が経過し、情報庁はその能力と技術を完成させた。一から、大量の人材を育成する苦労は並大抵のものではなかった。


 試行錯誤を繰り返しながら、名実ともに国家情報機関としての名声を得た(勿論、インテリジェンスの世界での名声だが)。


 彼ら彼女らが誇りとすることは、日本唯一の省益でなく国益を優先する情報機関の一員であり、自分達が収集分析した情報を直接、首相に説明する機会さえあるのだ。省益ばかりを優先する他省庁の情報機関など、格下に過ぎず恐れるに足らない。


 彼らは、内閣の番人として、政権に盾突く政治家・官僚・記者を徹底的に監視し、ディープステート(国家の内部に於ける国家)達を震え上がらせた。


 今まで好き勝手していた官僚達は、情報庁第9局の影に怯えつつも仕事をせざるを得ないところまで追い込まれた。


 他方、政権に従順な高級官僚は、内閣人事局によって引き上げられ、次官・次官補・次官補代理などの高官ポストを次々と手に入れることができた。


 情報庁(NIA)の組織は、公安調査庁(PSIA)の組織を発展解消させたものであるから、その文化・手法・機構はPSIAを継承している。


 主要な情報収集部門の設立は、調査第1部と調査第2部を増強して対応した為、国内情報を担当する第1局と海外情報を担当する第2局に大きく分かれている。


 この他に、情報分析・技術・管理と部局が続く。前述の情報庁第9局は、第1局・第2局に続く新しい情報収集部門である。PSIAの後継組織である情報庁の特徴として挙げられることが多い。


 何故なら、第9局に課されているのは、内部保全任務だからである。


 内部保全として、政府与党・中央省庁・マスコミ(マスゴミ)を監視下に置き、借金・異性・飲酒などの不祥事を掃除機の如く吸い上げて、首相が政治家と官僚を飼いならす、いわば暴力装置としての側面を備えていた。


 何かと批判されることが多い情報庁だが、彼らの活躍が日本政治の安定化に寄与しているのも事実である。


 政治には、綺麗事と汚れ仕事の二つが必要なのだ。そうでなければ、魑魅魍魎が渦巻く国際政治で生存することなど叶わない。


第1章④


 A分遣隊がエルフ村と接触するに当たって、その身分(外国の軍人)を隠し、アンダーカバー(本来の身分を隠す為の、偽の身分・職業のこと)を用意しなければならない。


 日本人を王国人であるとするのは、どう考えても無理がある為、外国人が地方の寒村を訪問するに相応しいアンダーカバー(言い訳)を考えなければいけないのだが、この世界の常識を知らない日本人が果たして、寒村に溶け込めるだけの理由を作り出せるかが難点である。


 この関門を突破する為に、A分遣隊は交代制で監視していたのだ。寒村だからといって、人々の出入りが無い訳ではない。


 寧ろ、生活必需品の売買・交換の為には、近くの都市から買い上げるとか、行商人へ買い求めるなどの行動をとるだろうと推測し、そこから任務の端緒となる様な情報を探せば良い。


 言語や文化に関しては、未知な部分が多いものの、同じ文明人ならば商行為ぐらいはするはずである。いくら貧しそうに見えても、原始人ではないのだから、物々交換でなく貨幣経済が浸透していると期待した。


 その期待通り、度々、村を訪れる行商人が現れては農産物と商品の価格交渉を行っていた。行商人の衣服を剥ぎ取り、彼らに変装した上で、交渉してみることにした。


 因みに村を訪れる前にA分遣隊に襲われて、衣服と商売道具を強奪された行商人もいる。


 彼らは、特に罪悪感に苛まれることもなく、淡々と作業をこなしていた。外国人の命を奪うのには、何ら躊躇などする必要はないからである。


 行商人に扮したA分遣隊は、エルフ村を訪問した。大量の物資を持ち運んだ行商人一行は非常に歓迎された。しかし、互いの言語が分からない為に、身振り手振りのボディランゲージでその場を凌いだ。


 販売価格と買取価格が適正なのか分からなかったが、村民達は慣れたもので、すぐさま金銭の支払いを済ませると、商品を村の倉庫に運んで行った。何だか良く分からない内に、交渉が終わり、良く分からない内に商品が倉庫へと運ばれた。


 村民達の手際は鮮やかである。外国人であることをどう説明したものかと考え倦ねていた分遣隊員達は拍子抜けしてしまった。


 今まで、散々悩んできたことは何だったのだろうかと。これならば、村を発見した時に訪れても良かったなと今更ながらに後悔したのである。


 勿論、未だに言語と文化の壁が高くそびえているから、これからの作戦行動も容易ではない。限られた時間の中で、村民達との友好関係を築き上げ、民事作戦・心理作戦の拠点とする為である。


 民事作戦とは、軍事行動を行う上で、現地人との友好関係を築いて、自らの軍事作戦の正当性を訴え、医療支援等の民事支援によって人心を掌握せしめ、更に当該国の動向を教えてもらう為の活動である。


 民事作戦の重要性は、中東地域に於ける連合軍の失敗を踏まえれば理解できるだろう。


 特殊作戦軍は、隷下に民事・心理作戦コマンドを置き、軍民関係を非常に重要視していた。


 防衛省では、文官の民事担当防衛次官が置かれていることからも、連合軍と同じ轍を踏むまいとする努力が垣間見られる。


 村民達が何を言っているか、さっぱり分からないが、彼らの行動を鑑みるにとりあえずは、外国人の行商人一行を受け入れて、泊めてくれる様だ。


 少尉はボディランゲージの神様に感謝した。ボディランゲージだからと馬鹿にしてはいけない。


 発展途上国に行けば分かるが、意外と身振り手振りで何とかなるものである。勿論、その為にはいくつもの失敗を経るのだが。


 品物・物体を指して、お互いがどの様な単語を発するのかをつぶさに比較研究して、エルフ達が用いる言語の単語帳を作成していた。


 ひたすらに地道な作業ではあるものの、村民達はそんな外国人達が物珍しい様で、快く付き合ってくれたのである。


 そうなると少尉もただ研究に没頭し、博士論文のテーマを変更しようと決心したのだった。


 現在、通信制の大学院大学に在籍しており、言語学の研究も続けていたのだ。特殊作戦と研究の両立は簡単なことではないが、彼からすると相互補完的な関係にある。


 何よりも、自身が研究する分野が社会と仲間の役に立つのである。自分が社会にとって必要であると実感できるのだ。


 村落の長老会は、行商人一行(A分遣隊)を歓迎すると共に、村長宅にて、盛大に歓迎の宴が開かれた。エルフ村(仮)は、中央集権的な政治体制を採らず、長老会による合議制によって村政を治めていた。


 米国のインディアン諸部族の政治制度に近い。


 彼らは、周辺の村落と同盟を結び、王国内に連邦を形成していた。こちらは、米国のイロコイ連邦に近い。彼らの保留地は、王国内にあって、事実上の自治領のステータス(地位)を獲得していた。


 もし、彼らが王国に対して不平不満や敵意を抱いているのならば、反政府軍を組織させて内戦を誘導するのだが、言語が通じない現在では、そもそもコミュニケーションの方法から開発しなければならない。


 アラビア語さえ通じない中近東の辺境地域で活動していた米軍特殊部隊の努力が、今となっては痛い程、理解できた。どの様なことにも言えることだが、失ってから気付くものである。


 饗宴に供されたのは、水の代わりであるワインやビール、猪と熊の燻製肉であった。地球と変わらない様に見える動物が存在して、行商人一行は安堵したが、その大きさを確認して驚愕した。


 地球産の猪・熊よりも非常に大きい。6mを超える熊の燻製を見せびらかされた時は、肝を冷やした。


 森林に身を隠していた時には遭遇しなかったが、もし会敵すれば交戦は避けられず、彼らの監視拠点が発見されてしまう可能性があったのだ。


 そして、その巨大熊を狩猟できるエルフにも畏敬の念を抱いた。どうやら、地球人よりも随分とタフであるようだった。筋骨隆々なエルフというのもまたシュールで分遣隊員達の笑いを誘う。


 この村に来てからというもの、エルフのイメージが随分と崩れたものである。そもそも、村民達をエルフと断定することが間違いなのかもしれないが。


 村長宅の客室に通された行商人一行ことA分遣隊は、その寝台の質素さに文明の低さを感じると共に、安心感も覚えた。


 彼らは訓練でどこでも寝ているので、硬い床で寝るのも苦ではなく、寧ろ、硬い床に慣れ、敷布団を敷かないで就寝することが慣習になってしまった隊員もいる程である。


 彼らは、本日の出来事と今後の方針を話し合った後、泥の様に眠った。常に小銃と拳銃を抱えながらの就寝ではあるが、久しぶりの屋内での睡眠を存分に貪っていた。眠れる時に眠り、食べられる時に食べるのが大事である。


 村落に寝泊りする彼らが日々行っていることは、少尉を中心とした班が村民とのコミュニケーションを試し続け、もう一方の班はエルフの戦士や猟師と交流を深めていることだ。


 どうやら、少尉はこれを機会に博士論文を完成させることを企んでおり、それに巻き込まれた隊員が少なくない。


 上手く難を逃れた隊員は、戦士と猟師の技術の教えを受けていた。彼らの技術を会得して、巨大熊が倒せるくらいにはなりたいのである。 


 いつの間にか、分遣隊は村落に馴染んでいた。容姿さえ同じならば、村民との見分けがつかなかっただろう。


 彼らが村民でないと分ける要素は、その容姿と拙い外国語であった。それ以外は何ら村民と変わることのない生活を送っていたのである。


※※


日本政府:首相官邸


 日本国が異世界に転移して、一か月が過ぎた。その間、政府は転移後の混乱を治めるべく奔走していた。


 日本国民は、食料不足に喘いではいたものの、家庭菜園や自家栽培などで糊口を凌いでいた。


 今や、集合住宅のベランダは、小規模な農園と化していた。少しでもスペースがあれば、大小無数の食料工場に変身したのである。


 それは、この国の最高権力者である首相官邸と言え例外ではなかった。寧ろ、首相官邸こそ国民一般に範を示さなければならない。


 米国大統領に匹敵する権限を把持する首相であっても、その選挙は国会の推薦を受けて摂政が任命するという民主的プロセスに基づいて行われる以上、間接的ではあるが、輿論に配慮した政治的パフォーマンスも必要である。


 首相官邸に農園を作ったところで、食料生産に寄与するのは微々たるものだが、プロパガンダとしては有効である。政治術が数理でなく芸術である証左と言える。


第1章⑤


 A分遣隊が海路によってエリザベス王国に潜入したとすれば、B分遣隊は空路を選択して潜入する運びとなった。


 航続距離を考慮し、戦略爆撃機を改造した戦略輸送機に搭乗して、目標空域に到達後、空挺降下によって、王国山間部に着地、臨時の拠点を構築して活動する予定である。


 機能別統合軍・輸送軍隷下の空軍空輸軍団に属する第12空輸航空団が輸送を担当する。


 第12空輸航空団は、大型の輸送機を運用する長距離・大陸間の輸送を専門とし、特殊作戦軍の要請を受けて特殊部隊や空挺部隊の空挺降下を行っている。


 言わば、国防軍の戦略機動性を担保する航空部隊である。第12空輸航空団が運んだ第16空挺師団が、ロシア極東部のウラジオストク市・太平洋艦隊司令部を占領する予定だったのである。


 軍事戦略上、極めて重要な役割を任された部隊の一つと言える。空挺徽章を持つ軍人であれば、一度はこの空輸航空団にお世話になっているのだ。


 第12空輸航空団は、B分遣隊を搭乗させて新田原基地(九州・宮崎県)から離陸した。新田原空軍基地は、九州・南西方面の一大拠点であり、第5戦闘航空団などの戦闘機部隊も擁する。


 今回の作戦に当たり、空輸部隊とそれを護衛する戦闘機部隊・給油機部隊で構成される任務部隊が編成された。


 第21任務部隊(航空)は、第12空輸航空団所属の第10空輸飛行隊を中核とし、第5戦闘航空団第305戦闘飛行隊が護衛部隊として参加、護衛戦闘機の航続距離を延長する為に、第2給油航空団所属の空中給油機を随伴させた。


 特殊部隊一つを空輸するのにここまで仰々しくなってしまうのは、経空脅威に対抗する為であった。


 経空脅威とは敵の戦闘機などの空からの脅威一般を指すが、この世界での戦闘機やあるいはそれに類する航空機がないとは言えなかった。


 偵察衛星の画像によると、どうやら滑走路が存在するらしいので、脅威がないとは言えない。


 エリザベス王国には、滑走路の様な航空基地は発見されていないが、万が一、航空手段があるとすれば、速度の鈍い輸送機にとって脅威である。


 情報参謀の中には、ファンタジー世界である以上、竜騎士や魔導船みたいな経空脅威も存在するのではないかと助言する者もいた。


 RPGのし過ぎだと一蹴できれば良いが、残念ながらこの世界に日本の常識が通用するとも思えない。


 最悪の事態に備えるという名目の下、大規模な航空部隊が編成されたのだった。


※※


エリザベス王国領空:第21任務部隊(航空)


 領空に難なく侵入した第21任務部隊は、目標降下地点に迫っていた。高速で航行する輸送機に相対速度を合わせるべく降下地点に到達してから空挺降下しても着地点がずれてしまう為、そのずれを考慮して空挺降下のタイミングを決める必要がある。 

尤も、予定されている目標は広大な山間部である為、多少、着地点がずれたところで大事ではない。


 王国から警戒を受けることを避ける為に、昼間でなく夜間での作戦行動となった。夜間の航空作戦は、IT化された計器類があるといえ危険を伴うものである。


 操縦桿を握るパイロットの腕前が試される作戦であり、数々の夜間作戦に従事した輸送機のパイロットにとっても緊張を強いるものであった。


 輸送機から排出されたB分遣隊は、高高度降下低高度開傘(HALO)によって、山林深くまで着地した。


 輸送機から次々と降下される物資の着地点とB分遣隊の着地点が1.5km程ずれた為、分遣隊は降下物資から発信されているGPS信号に従って物資の探索から始めなければならなかった。


 深い闇に覆われた山間部・森林地域は、夜間でなくとも日中、太陽光(仮)を拒絶していることが容易に想像できる。


 隠密行動中の為、携行する軍事用ライトの発光は最低限でなければならない。GPSによる誘導があるとはいえ、夜間の行軍が危険であるのは変わらず、慎重を期す必要がある。


 B分遣隊に与えられた任務は、王国に対する航空優勢を確保する為、建設が予定されている臨時飛行場の候補地を直接、その目と足で確かめることであり、前線航空管制や派遣される工兵隊の誘導も含まれている。


 諜報工作活動の性格が強いA分遣隊とは異なり、こちらは航空作戦の準備を目的とする。


 ベータ区域(王国の山間・森林地域。)の開拓は、単なる軍事作戦の達成のみならず、日本国の食料生産計画を補完する上でも重要な役割を持つ。


 日本はその地理的性質上、山林が多数を占め、耕作・居住可能地域が極端に少ないことで知られているが、王国の地誌的な環境は、平野部や河川などの耕作可能地域に必要な条件が揃っており、王国を占領するにせよ、借地として利用するにせよ、何れにしても現地の地質的調査は不可欠であった。


 A分遣隊の任務は外交政策の観点から重要であるが、B分遣隊の任務は食料政策の観点から重要である。


 B分遣隊だけでなく、様々な特殊部隊・空挺部隊がこの任務に駆り出されていた。何にもまして、食料の確保が日本国の最優先事項だからである。


 深夜の森林地帯を進む分遣隊は、レンジャー訓練で慣れているのかすいすいと前進していた。


 1.5kmといっても平野部や市街地とは違い、動植物を避けながら行軍する為、遅くなりがちなのだが、分遣隊はどうやらものともしていない様だ。


 5人の内、3人がレンジャー教官としても指導していたから当然なのかもしれないが。


 今回の任務に当たっては、意図的に高度なレンジャー技能を持つ隊員を選抜した為、間違っても遭難する心配は無かった。


 仮に遭難したとしても、小型GPS衛星が常に捕捉してくれているだろう。それに加え、空軍特殊部隊による戦闘捜索救難活動(CSAR)も開始されるに違い無かった。彼らは安心して森林を進むことができた。


 暫く森を進むと開けた部分が露わになった。森林地域といっても全てが覆われている訳でなく、こうしてところどころに、平野部も混在するのだった。


 月光(仮)に薄く照らされたその光景は、神秘的で写真に収めたい衝動に駆られる。


 しかし、彼らは別のものも発見した。正確には、動物である。


 6m以上の巨大な熊に遭遇したのだ。巨大熊はこちらをじっと観察し、様子を伺っている。


 人間がこんな辺境地域にまで足を運ぶのは、熊の目からしても珍しいのかもしれない。


 分遣隊員達も猛獣の様子を伺いながら、戦闘行動の準備態勢を整えた。HK416Cの銃口を熊に向けると、それを戦闘開始の合図と受け取ったのか、熊はその巨体をゆっくりと持ち上げてこちらに向かう姿勢を取った。


 一触即発の事態に、隊員達は冷静に対処しつつも、この世界の動物の生態に驚愕していた。


 地球産の熊であれば時速60kmで走ることが可能だが、この巨大な熊であれば、距離を詰めることなど一瞬であろう。


 図らずも、熊は彼らの生殺与奪の権を握った。隊員達は、己の死を覚悟した。ここで死ぬ訳にはいかないが、かといって乗り越えられるかは、正直なところ微妙である。


 まさか、ここまで巨大な熊が存在するなどとは誰も思わなかったのである。もし、比較的装備が充実しているA分遣隊が巨大熊に遭遇しても、その重火器によって撃退できたであろう。


 しかし、悲しいかな、B分遣隊は空挺降下によって潜入した為、装備できる数と重さはA分遣隊以上に制限が掛かり、その代償措置として輸送機から補給物資を投下してもらったのだ。


 その物資にありつく前に襲われたのではたまったものではない。日本が異世界に転移して、最初に戦う相手は、異世界人でなく異世界の動物だった。しかし、動物であるから対話が通じず、より手強い相手と言える。


 何分経っただろうか。彼らは対峙しつつも、お互いに行動を取りかねていた。熊としては人間を食べてもおいしくないし、何だか良く分からない格好をしている為、恐怖すら感じていた。


 一方、分遣隊員達はHK416Cの火力に不安を覚え、擲弾の使用も視野に入れていた。囮を利用して、物資にまで辿り着き、その重火器の火力を以て戦闘することもあり得る。


 部隊の指揮官が手信号で合図を送ると、2人が囮となり、残りの3人が物資を確保する様に素早く役割分担を決めると、囮班が熊に対して射撃を開始した。


 カービン銃から発射された5.56mmNATO弾が巨大熊を襲うが、絶命させるには至らない。


 熊の注意が囮に逸れたところで、物資確保班がその場から急いで離れた。補給物資に猟銃があれば良いのだが、指揮官が記憶する限り重機関銃や迫撃砲を積んでいたはずだ。囮班が射撃を続けるものの、少ない弾数が早くも切れかけていた。


 弾倉が残り一つを切ったところで、彼らは武装を擲弾に切り替え、熊に叩き込んだ。小銃弾と比べれば、猛獣の行動を制止することができたが、その巨体にいくつもの穴を抱えながらも、なお、生命を保っていた。


 最後の弾倉さえも使い切って弾頭を撃ち込むと、HK416Cに銃剣を取り付け(特殊作戦用に銃剣が取り付けられる様、改造された)、短槍の要領で構える。もはや、彼らの身体を守るのは、銃剣と体術のみである。


 カービン銃に銃剣を取り付け戦うなど正気の沙汰ではない。短い銃身にナイフを装備したところで、付け焼き刃に過ぎないことは、彼らも良く分かっていたが、物資確保班を防衛する為にも彼らは犠牲にならなければならない。


 それだけ、この任務は重要なのだ。旧日本軍の如く、銃剣突撃する訳ではないが、今となっては大して変わらないだろう。囮を務める2人は左右から攻撃して熊を攪乱し、時間を稼いだ。


 しかし、6mの巨体から放たれる攻撃が一人を掠めると、その人体の肉が大きく抉れ、その攻撃の隙を突いて、もう一人が銃剣を熊に深く突き刺した。


 重症を負った隊員も最後の気力を振り絞り、銃剣を突き立てた。その一撃が致命傷となり、巨大熊は地に伏せた。彼らは生き残った。しかし、その内の一人は重傷を負い、直ぐにでも手当が必要だった。


 重火器を携え、物資確保班が再び開けた広場に着くと、そこには倒れた熊と、同じく倒れた隊員の姿があった。


 もう一人の隊員が必至に救命措置を取っているが、生存は絶望的だ。祖国から遠く離れたこの国で、直ちに救助するのは、精鋭の特殊救難旅団であっても厳しい。


 己の死を悟った二等軍曹は、最後に妻と子供に遺言を残すと息を引き取った。彼の遺体をこのままにしておくことはできない為、異国の地に土葬することになった。墓標と囲いを建て、彼の眠る所を守護した。


 いつか来るであろう、彼の遺族と回収部隊の為に。


※※


日本政府:首相公邸


 通信衛星を介して、一人の殉職者を出したことを受け取った首相官邸の危機管理センター職員は、官邸に隣接する首相公邸を訪れた。


 予め、訪問することは電話によって伝えていた為、深夜であるにも関わらず、首相は起床していた。


 同行する防衛官僚と共に首相を訪ね、電話の内容通りに報告した。首相は、国防軍最高司令官として殉職隊員の冥福を祈ると共に、即座に遺族の生活保障や国葬を指示した。


 二等軍曹の遺体は、派遣される予定の強化型遠征打撃群の航空機によって、空輸される手筈となった。彼は、国立軍事墓地に埋葬されることだろう。


 しかし、犠牲を出した所で、作戦は終了しない。首相としても、国家を存続させる為ならば、核兵器を含むあらゆる手段を用いることを既に決心していたからだった。


 寧ろ、一人の軍人の死は日本人に対して、改めて現実を突きつける絶好の機会だろう。飽くまでも政治家らしく、彼は打算的に今後の影響を計算し、笑みを浮かべた。


 国家の為に戦死した軍人!!これほど愛国的で自己犠牲を強制できるプロパガンダもそうそうない。


 今国会に提出されている戦争権限法の改正案が可決され、公布・施行されれば、更に首相の統帥権は強化される。


 現行法の規定では、首相に宣戦布告権を付与しておらず、90日間の戦闘行為を超えた場合、30日間以内に撤退するか、国会の同意が無ければならない。


 しかし、改正案では、緊急事態を名目に、国会の同意を必要としない戦闘期間が120日間に延期され、撤退の猶予期間も60日間に拡大していた。


 更に、改正案は国会で可決後、直ちに公布、即日施行される特例措置を踏むことになる。


 与党である自由民主党は、下院に於いて全ての委員長職を独占できる絶対安定多数を維持している。野党である民主党などの反対派は、所詮、弱小政党に過ぎない。


 この緊急事態に際して必要なのは、独裁者である。言い換えれば、単独の主権者である。


 日本国憲法を始めとする先進民主政国家の憲法は、英国を除いて国民に主権を求めている(英国は議会主権の制度を採る)。


 しかし、政治哲学者の言葉通り、「主権者とは例外状態に於いて決断を下す者である」。


 従って、事実上の主権者とは、その国家の独裁官である。危機に際して任じられる独裁官こそが最も国家の主権者足り得るのである。


 翻って我が国はどうだろうか。憲法では国民主権が明記されているが、主権者の定義を適用すれば、国家緊急権を行使する内閣とその首長である首相と言える。


 例外状態に於いて決断を下すのは、行政権を把持する首相である。首相こそが、この国の独裁官なのである。


 憲法に規定されている国民主権は、飽くまでも国民の参政権・憲法制定権力の表出に過ぎない。


第1章⑥


 B分遣隊は仲間を一人失ったが、それでも任務を中断する訳にはいかない。


 統合参謀総長(海軍大将)の助言があるとは言え、首相が直接に命令した、国家の命運を懸けた特殊作戦である。


 それに、彼らフォースリーコンは例え一人になっても任務を遂行するだろう。国家の為に命を捧げるとは、そういう覚悟があるということである。


 少なくとも、戦場に赴く覚悟のない右派・左派よりは、国民としての義務と忠誠心を履行している。


 彼らは真の意味で愛国者であり、その意味を厳密に適用すれば、日本国には殆ど愛国者が存在しないことになるだろう。


 愛国者とは、それを声高に叫ぶ者を指すのではない。それを静かに遂行する者のことを指すのである。


 残念ながら、真剣に共同体としての国家を守ろうとする人々は少ない。それでも、彼ら特殊部隊が国家主義を体現していた。


 今となっては、国家主義は、右翼や軍国主義と結びついた政治概念に成り下がったが、本来は、左右を問わない概念である。


 名誉戦傷勲章(パープルハート)を授与されることが内定した二等軍曹は、そんな愛国者の一人だった。


 B分遣隊は計4人の部隊となったが、だからといってその機能が停止した訳ではない。


 特殊部隊員は、基本的にほぼ全ての専門分野に通じるゼネラリストであり、且つ、自己の専門分野を極めてスペシャリストでもある。


 例えば、通信兵に狙撃銃を持たせてスナイピング(狙撃すること)を命じたとしても、正確にこなすことができる様に訓練を積んでいるし、衛生兵であっても、通信機器を取り扱い、整備することができる。


 彼らは一人空いた穴を、そのゼネラリストの技能を以て、補完していた。前述の二等軍曹は衛生兵であるが、その業務を生き残った4人が分担したのである。


※※


 ベータ区域(王国の調査・開拓予定地の一つ)に投入されたのは、B分遣隊だけでなく、陸軍第1特殊部隊グループや第76レンジャー連隊、更には第12歩兵師団(空中強襲)なども展開している。


 B分遣隊がそれらの特殊部隊を誘導し、日本の1/10に相当する特殊部隊が集結した。


 これほどの量の特殊部隊が特定の地域に集合することは、日本の特殊作戦史を紐解いても史上初と言える。


 少数精鋭の部隊がその量を以て作戦を遂行することは、本来は邪道であるが、国家の緊急事態であるという状況がそれを許さざるを得なかった。


 後続の特殊作戦部隊(SOF)は、B分遣隊が遭遇したという巨大生物に対抗する為に、必要以上の火力を用意していた。


 特殊部隊でなく通常部隊である第12歩兵師団が投入されたのは、貴重な兵力である特殊部隊の盾として使う為である。


 第12歩兵師団は、ヘリボーンによって戦術的な機動性を有しているが、非公式にエアボーン能力も有している、特殊部隊に近い性格を持つ一般部隊の一つである。


 本来であれば、第16空挺師団を投入すべき場面なのだが、彼らは特殊部隊よりも政治的に大事にされ、その量と質を兼ね備えた部隊を動かすことを首相は認めなかった。


 首相にとって、第16空挺師団とは今次戦争の戦略予備部隊である。それをすぐに動かすなど認められるはずもなかった。


 純軍事的に正しい選択ではないが、クラウゼヴィッツの言う通り、戦争が政治の延長である以上、必ず発生する問題でもある。


 統合参謀本部と特殊作戦軍は、計画を修正し、第12歩兵師団の展開を首相に打診し、許可を得た。


 エリザベス王国派兵部隊を統合運用する地域別統合軍・A方面軍が新設され、派兵部隊は特殊作戦部隊を含め全ての部隊をA方面軍の隷下に置かれた。


 国防軍法上、地域別統合軍は規定が置かれているものの、一度も発動したことはなかった。それは、国家戦略規模の戦争がなかったからでもある。


 第二次世界大戦後、日本国が経験した戦争は、どれも国家総力戦でなく限定戦争だったからである。既存の統合任務部隊で十分に対処可能だったのだ。


 しかし、今次の戦争ではエリザベス王国との総力戦も否定できなかった。寧ろ、互いの軍事力を正確に把握していない以上、戦火が拡大する恐れさえあった。


 首相としては、仮に戦争になるのだとしても、必ず短期決戦で勝利しなければならない。戦争ともなれば、増々、軍隊が石油を湯水の如く費消するだろう。


 そうなれば、例え、戦争に勝利しても、戦略的には敗北と同義である。国家とは、例え戦術的に敗戦してでも、戦略で勝利しなければならない。


 しかし、戦略とは目に見えない言わばフィクションでもある為、中々、そうした側面が理解されないのだ。人々は、目に見えるものを重視したがるが、本当に大事なのは、見えない部分である。


※※


市ヶ谷:防衛省体育館


 エリザベス王国に派兵された多数の各軍部隊を統括する為に、初の地域別統合軍が設立される運びとなった。


 部隊の司令官には、最高司令官の職位と元帥杖が授与され、それに合わせて軍人の最高位である統合参謀総長も元帥杖を授与されることになった。


 つまり、第二次世界大戦後、初の元帥が二人も誕生するのである。転移後の日本政府は、特例措置を重ねた結果、いわば原則と例外が逆転する形となった。


 法史学的には、原則と例外の逆転は珍しいことではないが、それは新しい時代の到来を予感させるものである。


 ここ数年間は、こうした戦時体制が続くであろう。それも、国家総動員法を発動した大戦中に近い状態に突入するのかもしれなかった。


 A方面軍の創設式典と統合参謀総長の元帥昇格式典は滞りなく行われた。直接、首相から元帥杖を受け取った二人は、五つ星の階級章を纏い、国軍最高司令官たる首相に侍立した。


 正直なところ、これから起こるかもしれない混乱の責任を取ることになった新米の元帥達は、責任と給料が釣り合っていないなと心の中で愚痴ったのだが。


 A方面軍最高司令官が指揮する総兵力は350,000人以上に上る。これは地球世界の列強諸国に匹敵する規模の軍隊である。


 やたら人口の多いこの世界では、それ程多い兵力と言う訳でもなかったが、それでも現代の軍隊としてはやはり破格の兵員数であった。


 首相は、数の暴力を以て、早期決着を図る決断をしたのだ。思い切って、予備役兵を大量に動員した結果である。


 予備役兵には、食料不足に苦しむ国民が多かったから、丁度良い口減らしも兼ねていた。


 現在の食糧生産総量を鑑みれば、とても1億2,000万人の人口を養うなど不可能である。仮に、餓死させるならば、政権支持率を大幅に低下させるのは明らかである。


 従って、国家として死んでも構わない国民を招集・訓練し、戦場で使い潰すか、そのまま、王国を占領させて、植民兵として開拓という名目の強制労働に従事させるというオプションが用意された。


 首相は特に良心の呵責を感じることもなく、即座に命令した。


※※


 戦略備蓄石油(SPR)の底が突きない様に行われたことの一つは、企業・国民が所有する自動車のガソリンを強制徴用することだった。


 憲法に基づいて、非常事態宣言を発令した内閣は、国家緊急権を行使し、戦時体制構築に必要なありとあらゆる物資の徴用を始めた。


 それは、トイレットペーパーから通信機器に至るまで、およそ全ての品目に及んだ。供出を拒否する国民は、容赦なく令状なしに拘禁され、郷土防衛軍に志願させられた。


 独裁権を確立した内閣は、その全権を以て事態に対処したのである。三か月間の期限付きではあるものの、民主政国家が己の生存を防衛する為に、民主政を自壊し兼ねない措置に踏み切ったのだ。


 野党の猛烈な反対を受けたが、首相は自身を古代ローマの英雄キンキナトゥス独裁官に自らを例えて、緊急事態を治めた後は、一国民に戻ることを宣言したのである。


 政界を引退し、実家の農場を耕すと言うのだ。これには、野党も攻勢をやや弱め、その隙に次々と戦時立法を成立させた。


※※


 日本政府がエリザベス王国との戦争を決意したのは、友好関係の樹立を円滑に行う為である。


 矛盾している様だが、異世界の諸国に日本国の軍事的プレゼンスを誇示する必要があるからである。


 この大戦洋地域の諸外国・諸勢力に思い知らせるのだ。日本国が大戦洋の覇者であると。政府が見越すのは対エリザベス王国戦争後の国際関係であった。


 「汝、平和を欲さんば戦に備えよ」というが、平和状態を獲得したければ、まずは戦争に勝たねばならない。


 そして、敗戦国を自らの陣営に加え、同盟国として利用するのである。戦略は戦争に勝るが、そもそも戦略を立案するには相手が必要で、この場合は王国との外交関係が樹立していないから、その関係構築からするべきである。


 しかし、日本国に残された寿命は突きかけている。悠長に大使の交換などしている場合ではなかった。A分遣隊を派遣して、政府は気付いたのである。


 コミュニケーションの壁が想像以上に高いことに。少しの会話程度なら通じる程度は言語を解析できたがそれでもやはり時間が足りなかった。


 故に政府は、即効性の高い軍事力に頼ったのだ。強制的にでもエリザベス王国を占領下に置き、食料基地・資源採掘場として搾取する他ないのである。その後は、ゆっくりと日本国の友好国・同盟国として育成すれば良い。


 悲しいことだが、日本は『補給戦』に登場する近世以前の軍隊の様に、戦略でなく補給に基づいて戦争計画を立案したのだった。行軍計画には、現地調達も視野に入れられていた。


 即ち、王国の財産までも徴用するのである。一応、軍票が発行されるが、収奪される現地人からすれば、何の慰めにもならないだろう。


 古今東西、自国の軍隊であれ敵国の軍隊であれ、その軍隊が発行する軍票は価値がないのが通常であり、それは地球と異なるこの世界に於いても例外ではない。軍隊に略奪される対象である住民は、そのことを心得ているのである。


※※


 もし、この世界に転移してきたのが、日本国でなく米国であったら、状況は一変していたことだろう。米国は、国内でエネルギーと食料を自給できるだけの地力がある。


 食料自給率に関しては、130%を上回るという、39%(カロリーベース)の日本からすると別次元の境地にある。


 米国は、安全保障の観点から、自国内の石炭・石油・天然ガスなどの天然資源の採掘を制限している。


 トランプ政権の誕生で話題となった国内のシェールガス・石炭の採掘の規制緩和について、日本の各種報道では、環境保護局(EPA)による規制政策と雇用政策の一環であると背後関係を説明したが、そこにはエネルギー安全保障の観点が抜けていると言わざるを得ない。

 

 米国が国内の資源開発を制限するのは、国家存続計画(COG)の為で、緊急事態に於いて外国から輸入できない事態を想定し、国内の天然資源を温存しているのである。


 尤も、その制限が行えるということは、非常に贅沢な政策である。


 中東・南米・ロシアなどの多くの石油・天然ガス産出国は、その自国経済を天然資源収入に依存するレンティア国家であるから、安全保障や環境保護の観点から規制することは、自国の経済成長を停止することと同義である。


 圧倒的な経済力を誇る米国ならではの政策である。


 一方、軍事力という側面ではどうだろうか。米国であっても、この世界を征服するには至らないだろう。それは、この惑星があまりにも広大であるからだった。


 現代の人々は科学技術の恩恵に与かり忘れがちであるが、国家にとって一番の敵とは地理であり、そして一番の友も又、地理である。


 いくら輸送手段・通信手段が発達しようとも、それこそテレポーテーション技術が普及しようとも、地理は常に人類と国家の側にあり続けるのである。


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