灰色の旭日旗

ばーちゃる少尉

第1部『Colonial Empire』

序章 日本の戦略環境

 20xx年、日本国は異世界に転移した。但し、この日本は太平洋戦争に於いて現代日本と異なる歴史を歩んだ。


 米軍の戦略爆撃によって、日本政府・日本軍が崩壊した後、郷土防衛軍が統治権を握り、本土決戦に臨んだ。


 連合軍は日本上陸作戦「ダウンフォール作戦」を発動し、制海権・制空権を喪失した日本軍の妨害を受けることなく、数百万人の兵力を日本本土に上陸させた。


 しかし、数千万人からなる郷土防衛軍がこれを防御し、持久に成功した。そして、連合軍の損害が政治的許容範囲を超えたことで、両軍は停戦に合意する。日本国はその植民地・属国を失陥するも、日本列島の死守に成功した。


 講和条約発効後、核武装した日本は国連安全保障理事会の常任理事国となり、地域大国としての地位を復活。ソ連と米国の冷戦に於いては、米国の同盟国としてソ連に対する最前線となった。


 ソ連崩壊後の対テロ戦争に於いては、米国政府の援軍要請を拒否し、静観。中国の拡大に対して、日本国は最大の脅威として捉え、幾つもの地域紛争・限定戦争が勃発した。そして、日本と中国が一触即発の緊張状態に置かれる中、異世界に転移した。


※※


日本政府:首相官邸


 首相は、異世界転移後の報告を受けていた。情報官僚の報告によると、航空偵察によって日本列島から西方に1,950km離れた距離に近世ヨーロッパに近い島国が発見された。


 更に、航空機発射型の小型人工衛星によって、地域一帯の詳細な地理空間データを取得し、画像分析の結果、広大な海洋と大陸も発見されたのだった。


 文明の程度は様々で、古代から近代までの国家がこの広い世界にひしめいていた。首相が驚いたのは、その文明・文化の多様性である。


 もし、地球であれば、覇権国家や植民地帝国が周辺諸国を属国化し、その地域固有の文化文明が失われていたかもしれない。


 しかし、この広大過ぎる世界で、近代国家程度の国力では到底全てを支配することなどできないのだ。


 故に、地域大国の支配から逃れた、或いはそもそも発見されていない大陸・島嶼部・国家が多数を占めているのだろう。首相は報告の中で感じた疑問点について、官僚達に尋ねた。


「では、我が国に脅威となる国家・勢力は存在するのかね。君達の報告に拠れば、どうやら近代国家も存在する様だが」


「はい、恐らくは近代国家である以上、戦略爆撃機や核兵器又はそれに類する大量破壊兵器を保有していると見るのが妥当だと思われます。飽くまでも、航空偵察・画像分析の結果ですが、仮に大陸間を横断する航空機や偵察・情報収集手段があるとすれば、日本が発見されるのも時間の問題かもしれません」


「なるほど…そもそも、彼ら異世界の国家には対話が通じると思うかね?外務省は国交開設を準備しているそうだが、我々と価値観・慣習が違うということは十分にあり得るし、正直な所、慣習などの違いから外交摩擦が発生するかもしれん。もし、外交問題に発展すれば、最悪は戦争になりかねないのではないか。外務省が主張する国交開設の前に、異世界人の価値観や法律を知る必要があるだろう」


「仰る通り、外務省は国交開設や対話を通じての情報収集に積極的ですが、防衛省では悲観的です。最悪、防衛出動もあり得るかと」


「仮に、我が国と異世界の国家が戦うとして、勝利できるのかね。程度の低い国家であっても、我々の預かり知らぬ技術で攻撃される可能性もある」


「確かに、未知の技術は存在するかもしれません。残念ながら、我が国は食料自給率とエネルギー自給率が低く、工業技術にしても加工貿易を前提としている以上、希少金属などが輸入されなければ、戦争をする前に社会経済システムが崩壊してしまう可能性が強いでしょう」


「では、もし食糧・エネルギー・戦略物資を自給できる体制が整えば、戦争が可能になるということかね」


「はい。仮に、異世界の国家からそれらの物資を輸入できれば、我が国の戦争遂行能力は保持され得るでしょう」


「そうか…では、国家安全保障会議を開催するので、閣僚達を召集してくれ」


「承りました。大臣達に連絡差し上げます」


※※


日本政府:国家安全保障会議(NSC)


 首相は、異世界の諸国に対処する為に国家安全保障会議(NSC)を招集・開催した。一部の閣僚を除くほぼ全ての閣僚に出席が要求された。


 又、国家安全保障局(NSS)長官・国家安全保障担当首相補佐官・統合参謀総長(海軍大将)・統合参謀次長(陸軍中将)・防衛情報局長官(空軍中将)などの高級幹部も陪席する形となった。


 議長は、内閣総理大臣が務めるが、実際に会議の進行役を務めるのは、国家安全保障担当大臣である。司会役を務める国家安全保障担当大臣が発言する。


「では、これよりNSCを開催します。まずは、首相より開催の挨拶がございます。首相、お願い致します」


「私が君達を招集したのは、言うまでもなく、異世界転移への戦略的な方針の決定とこの異世界に存在する諸外国・諸勢力との対外関係を築く上での助言と知見を集約することである。諸君の忌憚のない議論を期待する」


「防衛省及び国防軍が収集した各種情報を分析した所、異世界の大国と見られる国々は、凡そ、近世から近代ヨーロッパレベルの文明を有しているものと推測されます。 配布された資料の通り、近代レベルの軍事技術を保有しているとすれば、当然、大量破壊兵器を保有していると見做すのが相当でしょう。

 各地域に覇権主義的な国家が存在することを鑑みれば、前世界での友好的な外交関係の樹立は厳しいかと思います。仮に、我が国がそれら列強諸国と国交の開設を要求すれば、植民地化や属国化などの要求をしてくるのは、目に見えているでしょう」


 空軍中将の発言は、一部に政策的な助言も含まれ、「政策と情報の分離原則」に抵触するが、会議の出席者達から咎める様な発言は無かった。


 情報機関の長官としては適格とは言えないが、省益よりも国益を重視し、常にインテリジェンスを政権に供給していることが首相に評価され、留任され続けているからである。空軍としても、海軍中将から折角回ってきた(奪った)幹部ポストを手放したく無かったのである。


「外務省としては、引き続き国交開設を強く求めます。確かに、異世界の諸国が我が国の脅威になる可能性は否定できませんが、その脅威度を判定する為にも、外交ルートの開拓を通じて情報収集に徹するべきではないでしょうか。

 防衛出動を含めた対外政策の方針を決めるのは、大使の交換後でも遅くはありません。寧ろ、現状の少ない情報に基づいて戦略を決定することの方が危険でしょう」


 外務省高官の発言は、外務省が以前から主張していた意見と大差ない。いわゆる国交開設派であり、タカ派(国益派)からは弱腰外交と揶揄される一派である。


 異世界転移後の基本方針は、概ね、タカ派・国交開設派に分かれる。軍部と経済界は、エネルギー安全保障の観点から、侵略戦争をしてでも他国から侵奪すべきとの論調であり、外務省と左派が主張する国交開設派は少数派であった。


 各種の輿論調査では、侵略と友好がそれぞれ拮抗しているが、政府内部の意見はタカ派に傾倒している。


 政府首脳部は、戦争遂行能力の維持と国民生活の維持を重視しているからである。戦争遂行能力を維持し得なければ、他国の攻撃に持久し得ない。国民生活の質が低下すれば、政権支持率を直撃するだろう。


 そうなれば、異世界転移後の混乱に加えて、国政の混乱と政治の不安定化を招きかねない。それだけは避けなければならないというのが、政府与党の一致した判断だった。


「戦略石油備蓄(SPR)を解放して、経済の安定化・エネルギー供給の安定化に努めているが、このままでは、半年後に石油タンクの底を突く。戦争によって輸入するにせよ、国交によって輸入するにせよ、この国の寿命が半年後である以上、いかなる手段を以てしてでも、石油を始めとした戦略物資の供給体制を構築すべきだ」


 経済産業大臣の発言は、いわゆるタカ派が主張するところの「どの様な手段を用いても良いから国家を存続させる」という意見に沿ったものだった。一応の所、国交派にも言及して配慮はしているものの、その主張は、タカ派そのものである。


 彼らタカ派は、自らを国益派と称しており、国交開設派を国益を重視しない連中だと言外に述べていた。経産省は、経済界からエネルギー供給の安定化を再三に渡り要求されていることもあり、強硬な姿勢を貫いていた。


 何よりも、エネルギー政策を所管するのは、経産省である。彼らが、その既得権益を死守するのは当然と言える。


 更に言えば、経産省は軍需産業の育成と利権にも関与しており、その関係から軍部・防衛省とも関係が強くなっている。最近の政治力学では、防衛省と経産省が共同戦線を張るのは珍しくない光景だった。


「勇ましいのは大変結構だが、仮に戦争をするのならば、SPRから石油を供出せざるを得なくなり、結果的に我が国の寿命を縮めるだけでしかないのではないか。しかも、敗戦すれば、我が国の運命は戦勝国に委ねられることになる。戦争政策によって資源を獲得するのならば、敗戦することも想定しなければならない」

 

 財務省は、本音としては、戦争を回避したいが、だからといって国民感情や防衛省・経産省と正面を切って敵対するつもりもなかった。戦時ともなれば、軍事費が国家予算を圧迫し、財務省の権力が低下するのは避けられないからである。


 しかし、これといった解決策がある訳でもなかった。国益派・国交派とも違い、消極派ないし中立派といった所だが、財務省内でも意見が食い違い、省内の意見が一致していのが現状である。


「石油だけでなく、食糧の確保も喫緊の課題でしょう。石油については少ないとはいえ備蓄があるが、食糧の備蓄に関しては既に解放してしまっている。現在、農水省では、不足分の食糧を確保する為に、休耕地の開拓や遠洋漁業の増大などで対処しているが、食料自給率を充足するだけの必要量が確保できていない。現在の食料増産計画では、6割から7割程度が限界で、更なる計画の拡大が必要でしょう」


 農林水産省は、異世界転移後の対応で最も良く働いている省庁の一つである。農水省は、農業・漁業・畜産などを所管する省庁であるが、第一次産業という国家の基幹産業を監督することから、その重要性は、転移前よりも増していた。


 人間が生きる上で必要な食と水を司る官衙であることから、防衛省・経産省よりも枢要の立場へと転じたのである。


 国民が、転移後で一番困ったのが、食料の確保である。各地域の小売店では食料品の買い占めが起こり、政府の物価統制令が発動される前に、店舗の商品棚から食料品が消えたのである。


 農水省と自治体は、数少ない備蓄を解放すると共に、食料生産の拡大に奔走している。現在行われているのは、農水大臣が述べたものの他に、屋内施設での生産、ジャガイモなどの炭水化物の増産なども行われているが、食料需要を満たすだけの量を確保するには至っていない。


 当然、国民生活にも打撃を与え、十分なカロリーを摂取していない国民が多い。その不満は政府与党にも向いており、政治家達は支持者からの陳情に応え倦んでいる。


 日本人は気付いたのだ。自らの生活が薄氷の上に成り立つものであることに。輸入がなければ、この国は干上がるということに。


 しかしながら、気付くのが遅すぎた。いや、気付いている人々はいたかもしれないが、実際に対策が採られることはなかった。中途半端で場当たり的な政策が招いた結果である。


 そして、その様な政治家に投票した国民の責任でもある。真剣に国家の生存戦略を描かなかった国民と政治家の双方に責任があるのだ。


※※


 日本国が異世界に転移したのは僥倖だったかもしれない。何故なら、彼ら日本人に紛う方なき現実を突き付けたからである。


 その現実を直視しなければ、自らの生存が脅かされる環境に否が応でも身を置いたのだ。彼らは選ばなければならない。常に最善の戦略を。

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