第7章② 大国政治の犠牲
マルクヴァルト邦国とルペン共和国の両国は、歴史的な敵対関係に終止符を打ち、軍事同盟・貿易協定・国境画定条約を締結した。
軍事同盟の内容は、相互不可侵の約束と攻守同盟(第三国に対する集団的自衛権)を含み、B大陸極東部の覇権を二ヵ国で分かち合う事を改めて確認した。
この同盟によって、両国は、互いの国境線に張り付かせていた兵力を削減し、他の戦略正面に再配備する余力を生み出した。
即ち、両国以外の列強諸国に対する軍事的圧力が増大されるという事だ。海洋国家ならばともかくとして、両国と対立する大陸国家にとっては悪夢だろう。
両国は、他の列強諸国に比べても強力な陸軍力を維持している。西大戦洋地域に於ける陸軍力は、第一位と第二位を邦国と共和国が占めている。
両国の兵力を合計すれば、邦国軍160万人と共和国軍120万人で、総兵力は280万人の態勢となる。
両国の軍事力は、第三位以下の陸軍力を結集しても、それに抵抗できるだけの現役兵力とそれを支える強固な人口基盤を備えていた。
従って、両国の同盟に対して、周辺の列強諸国が共同で対抗しようにも、果たしてその対抗同盟に実効性があるかどうかは怪しい。精々が、両国の侵攻に対する防御の役割程度しかない。
対抗同盟が、両国に対して侵攻するというのは不可能に近い。寧ろ、対抗同盟による侵攻作戦は、結果として両国の勢力圏を拡大する好機を与えるだけだ。
※※
シルヴァニア公国:公国議会
邦国と共和国の同盟締結は、西大戦洋地域に群雄する諸国に大きな衝撃を与えた。その衝撃は、大国よりも小国の方が大きかった。
邦国は、以前から周辺諸国に対する進駐を進めていたが、それがついに条約という形で公式化された。それも、両国の攻守同盟を伴った国際約束だ。
もしも、邦国の侵略に対して、小国が防衛戦争を決意すれば、自動的に共和国軍が参戦するかもしれない。
そうなれば、邦国の小国に対する態度は、益々、増長するだろう。
両国の同盟に対して危機感を抱く小国の中でも、特にシルヴァニア公国の危機感と焦燥は、留まる所を知らない。
公国の安全保障と生存は、邦国と共和国という二大列強の繊細な軍事的均衡によって保たれていた。
公国の併合を企む邦国は、敵対する共和国によって勢力の伸長を抑制されていたが、その枷は最早無くなってしまった。
公国政府の一部には、邦国よりも先に共和国と同盟を結ぶべきだったと後悔している高官もいるが、どうした所で後の祭りでしかない。
公国は、自国の分割を勝手に合意した二大列強に対して、抗議したが、両国に受け入れられるはずもなく、無視されただけに終わった。
公国に残された選択肢は、二つしかない。
両国の合意に賛成して、自国領土を明け渡すか、それとも、合意を拒否して、領土を死守するか。
シルヴァニア公は、自国領土の分割を拒否し、徹底抗戦を選択した。君主は、公国議会を召集すると、全議員の出席を要請した。
予め、邦国と共和国の合意に対する君主の方針を説明する旨を伝達していたからなのか、空席は見られなかった。
君主は、埋め尽くされた議席をじっくり見渡すと、議員達に語り掛けた。
「議員及び市民諸君、我が国は国難に瀕している。先祖から受け継いだ領土が、賤しくも外国の列強諸国によって分割されようとしているのだ。
言うまでもなく、我が国の同意などない。自国の分割など、我が国が同意などするはずもない。
父祖の遺風と伝統を継受する議員の諸君は、祖国が外国によって併合される事を望むであろうか?」
君主が議員に問い掛けて暫く沈黙すると、議員は各々に答えを返した。
「抗戦だ!!祖国を死守せよ!!神よ!!侵略者に災いあれ!!!!」
「領土を渡すな!!シルヴァニア人の誇りを守れ!!」
議員がヤジを飛ばすと、君主はその通りだと肯定した。
「議員諸君、余も同じである。同じ気持ちなのだ。余は、決してこの神聖な領土を外人の銃火で汚したくはない。
しかし、我が国は邦国と共和国に対して、あまりにも軍事力が劣る。我が国が劣勢な状態であるのは明らかなのだ。
では、戦わずして負けるのか?戦わずして先祖の大地を捨てるのか?」
「戦死を覚悟してでも、祖国を守り抜くべきだ!!」
「シルヴァニアの独立を守れ!!」
「そうだ。その通りだ。議員の言う通り、戦わずして負けるなどという選択肢はない。偉大なる祖先は、我々をその様な敗北主義者に育てた覚えはないであろう。
我々は、戦わなければならない。我々は、武器を取らなければならない。
そうしなければ、独立と自由と歴史と領土が永遠に喪われるからだ!!議員及び市民諸君!!これは聖戦なのだ!!民族の存続を賭けた最後の戦いなのだ!!」
議員は一同に、君主に対して拍手を送った。
「余は、議員諸君に対して、一致団結し、抵抗する事を求める。余は、ここに開戦と動員令を提案したい。議会の議決を以て、開戦を諮るものとする。シルヴァニアに、永遠の安全と繁栄がもたらされる事を願う」
君主は開会の挨拶をそう締めくくって、両国に対する軍備の増強と開戦を諮問した。
※※
シルヴァニア公国:国民に対する布告
余は、シルヴァニア人の守護者として、以下の事を国民に要求する。
国民よ、武装せよ。
国民よ、抵抗せよ。
そして、大国の侵略から、祖国を解放せよ。
さすれば、侵略者共の野心を打ち砕かん。
※※
シルヴァニア公国:君主官邸
軍事顧問官(陸軍少将)は、君主に対して、防衛態勢を報告した。
「我が国の平時に於ける兵力は15万人ですが、戦時体制への移行に伴い、60万人まで拡大する事を目標に、動員を開始しています。現時点では、20万人規模の兵力が即応態勢にあります」
「最大60万人か…、それでは人口の5%以上を動員するという訳だな?」
「御意であります。戦況次第では、更に動員を拡大する事になるでしょう」
「…経済に影響はないのか?」
「確実に、悪影響でしょう。特に、動員を拡大するとなれば、それだけ労働人口が減少する訳ですから。戦争特需を期待するには、我が国の生産能力は不足していますから、あまり期待できそうにありません」
「では、動員の限界はあるのか?仮に限界まで動員するとしたら、どれぐらいの兵力を掻き集められる?」
「最大動員能力は、人口の1割程度かと。つまり、100万人以上の兵力ですね」
「100万人だと?経済が破綻するのではないか?」
「動員が長期に渡れば、経済は破綻するかもしれません。しかし、経済破綻が何だと言うのですか。財政が破綻しようが、国民が飢餓に苦しもうが、国家を存続できれば良いのです。陛下は、敗戦と経済破綻のどちらを優先されるのですか?」
「…それは極論ではないのか?」
「いいえ。我が国は、その極論を考慮しなければならない状態にあるのです。領土を死守する為には、他の一切を捨てるべきです」
「外国の援助や参戦は期待できるだろうか?」
「大陸国家は難しいでしょう。ですが、大陸に利権を持つ海洋国家ならば、有り得るかもしれません。特に、ラホイ王国とルッテラント連邦はその最有力です。
しかし、我が国が協力を要請すれば、必ずや困難な条件を突き付けてくるはずです」
「銀行家連中に戦時国債を売りつけられないだろうか?」
「それは…、恐らく、どの銀行も我が国が勝利するなどとは考えないでしょう。彼らの頭の中には、小国が蹂躙される未来図があるだけです。
外国の銀行から借り入れるにせよ、我が国が少しでも勝利できる可能性と道筋を説得する必要があります。
しかし、彼らに我が国の勝利を信じてもらう為には、ある程度の軍事機密を開示する必要も生じるでしょう。それを我が国が許容できるかどうか…」
「なるほど、少なくとも他国を巻き込めば、活路はあるかもしれないな。我が国が犠牲を覚悟すれば、国家を存続させられるかもしれない。だが、その代償はあまりにも大き過ぎるな」
「はい。犠牲は国民の生命だけでは済まないでしょう。我が国が持ついくつかの経済権益も手放すかもしれません」
「…大国に併合されるのと、抵抗するのはどちらが幸せなのだろうな。抵抗した結果、併合されれば、国民の犠牲は何だったというのか。結局、小国というものは、大国が支配する運命にあるのだろうか」
「陛下、そのような悲観では解決しません。我々は戦うしかないのです。軍人として、祖国に勝利を約束致します」
「…頼むぞ。占領された祖国など見たくもない」
「勿論です。我が剣は、陛下と祖国の為に、外敵を排除してご覧に入れましょう」
軍事顧問官はそう言って、目前の君主に誓った。
※※
シルヴァニア公国:共和国公使館
君主は、共和国公使の下を訪れていた。邦国と同盟関係になった共和国の意思を確かめる為だ。
君主は、この公使を毛嫌いしていた。
公使は、外交官という身分を利用して、ずかずかと自分の宮廷に入り込み、頻りに共和制と自国の政体の優越性を説いて回る厄介な活動家であった。
市民革命の功労者であったという公使は、君主制国家を時代遅れの産物と見下しており、公使の態度にもそれが良く表れていた。
外交官として採用するには、かなり人格に問題のある人物だが、革命の論功行賞として、公使のポストを宛がわれたらしい。
それでも、列強の一員である共和国の公使を無視する訳にもいかないから、余計に性質が悪い。
公使は、君主自ら公使館を訪ねて来た事に、少しばかり驚いた様子だった。自分が嫌われているという自覚があるからだろう。
「陛下、御身自らの御来訪を心から欣喜申し上げます。陛下がこの公使館にお越しになるのは、初めてですかな?」
公使は、慇懃無礼な態度と皮肉げな口調を崩さなかった。彼は、他国の公使の様に背広を着ず、中佐の階級章と革命勲章に彩られた軍服を着用していた。
他国の外交官が、何故軍服を着用しているのかと公使に尋ねた所によると、革命勲章を見せびらかす為らしい。つくづく、原理主義者らしい答えだ。
他国の外交官が、彼を共和国の駐在武官と間違えたりした事もしばしば有った事だが、彼は満更でも無さそうな態度であった。
彼は、革命を達成した軍人である事を誇りにしている事が、節々から伺える。
「まさか、私が共和国の公使館を訪ねる事になろうとは思いもしなかった。しかし、私情はさておき、国際情勢はマルクヴァルト邦国と貴国が結んだという同盟によって、混沌としている。君も、私が訪ねた理由くらいは分かるだろう?」
「そうですね。自分を嫌っている陛下が、公使館を訪れるなど、理由は一つしかありません。ですが、陛下のご発言を一つ訂正して頂きたい。我が国と邦国の軍事同盟は、地域の国際情勢を混沌から救い出し、安定と繁栄を諸国民にもたらします」
「…大国に併合される事が幸せだとでも?繁栄を享受するのは、貴国と邦国であって、併合される小国と民衆は不幸でしかないだろう」
「いいえ、陛下。小国で生まれるよりも、大国で生まれ、生活する方が、民衆にとっても幸せです。所詮、小国は大国の政治ゲームに巻き込まれる運命にあるのです。
確かに、同盟によって一時的な混乱は生じるかもしれません。しかし、それはより大きな秩序と安定を確立する上で必要な犠牲であり、過程です。
寧ろ、併合を受け入れるだけで、小国の市民は、二大列強の国籍と市民権が手に入るのです。
残念ながら、この世界は未だに戦争で溢れています。そこかしこに、貧困と飢餓という悲劇が当たり前の様に存在しています。
だからこそ、大国に併合される方が、遥かに安全です。小国という奪われる立場から、大国という奪う側へと回る事が出来る絶好の機会ではないでしょうかね?」
「君の考え方は、まさに大国の外交官らしいな。共和国の公使である君は、他国の国民をも『解放』するという訳か?」
公使は君主の質問に、我が意を得たと肯定した。
「勿論、我が国の理念でもあります。君主制国家の圧政から、諸国民を開放し、民衆の自由を獲得します」
「それならば、地域最大の君主制国家である邦国との同盟は、矛盾しているのはないか?」
「共和制の導入とまではいかなくても、立憲君主制に移行すれば、諸国民は、自由の果実を知るでしょう。
そして、それが民衆を覚醒するのです。ただ…、同盟に大きな矛盾がある事は自分も十分に理解しています。
革命の輸出と『自由の十字軍』という偉大な国家事業は停止せざるを得ないでしょうね」
公使は君主の疑問に対して、少し悲し気な、あるいは落ち込んだ様子を見せた。
生粋の革命家である公使にとっても、邦国との同盟は、容易に受け入れ難いものだった。
しかし、本国政府の命令には逆らえない。命令に背けば、新たな人物が公使に任命されるだけだ。
「我が国の分割は、規定路線という訳か?もうどうにも出来ないのか?」
「本国政府と邦国政府の交渉結果は、決定事項です。一介の外交官である自分に覆せるはずもないでしょう。しかし、……」
公使はそこで言葉を切った。何か思案があるのか、目線を天井に向けた。
「何かあるのか?」
「えぇ、まぁ。ただ、解決策という名案が浮かんだ訳ではありませんが。
同盟には、当然、利益と不利益があります。
我が国にとってそれは、最大脅威を同盟関係に変える事で、軍事費を削減できるという事と、互いの勢力圏を公式に設定する事で、無駄な競争と植民地戦争を抑制できます。
しかし、我が国にとって不利益なのは、確実に邦国の勢力圏を拡張してしまうという一点にあります。国際関係には、永遠の同盟も、永遠の敵国もありません。
ですから、両国政府が望んでいる様な永久同盟は、実現できるとは到底思えません。
公国を両国で分割すれば、邦国に利するだけなく、緩衝地帯を喪失するだけです」
「それはつまり、我が国には大国の緩衝地帯としての価値があると?」
「はい。領土の分割よりも、公国の独立が維持され得る方が、我が国の安全保障に資するはずです。
ですが、本国政府もそれが理解できない程、無能ではありませんから、恐らくは、邦国との外交交渉で、取引の土産物にされたのでしょうねぇ」
公使はしみじみと、公国の領土が大国同士の取引の犠牲になったのだと指摘した。
「これは飽くまでも自分個人の意見ですが、公国は分割されるよりも、現在の緩衝地帯のままである方が貴国にとっても、我が国にとっても好ましいでしょう。ですが、もう正式な外交文書として発効していますから、それを防ぐ手立てはありません」
「何とも勝手な話だな。当事国を差し措いて、大国が我が国の運命を決定するとは。こちらは、自ら併合を頼んだ覚えは無いし、我が国の領土は懸賞品でもないというのに…」
君主は、怒りと呆れが混じった感情を吐露した。
嫌いな相手である公使に感情を吐き出すなど、余程追い詰められているのだろう。
公使は、常ならここで皮肉を返す所だったが、君主の様子に同情を抱いたのか、彼にしては本当に珍しく助け舟を出した。
「もしも、陛下が剣を取ると仰るのならば、我が国から秘密裡に支援を提供できるかもしれません。我が国としても、本音は邦国の拡大を阻止したいはずですから。
しかし、公式の同盟関係にある以上、飽くまでも非公式の支援になるでしょうが」
「…支援とは?」
「例えば、資金援助、武器援助などですかね。後は、我が国に住まうシルヴァニア人の義勇兵を貴国に送り込むという手段もあります。それから、他の列強諸国による援助も求めるべきでしょう」
「それを貴国の政府が認めると?」
「表向きは認めないでしょうが、裏では認めるはずです。何せ、潜在的な敵国の伸長を妨害できる訳ですからね。
例えば、我が軍が貴国に侵攻したとして、邦国軍を包囲するように占領下に置く事もできますし、あるいは邦国軍の補給線を絶つ事で、間接的に貴国の抵抗を支援できます。
貴国の要衝を我が軍が先に占領する事で、邦国軍に打撃を与える事も出来るでしょう。まぁ、その場合は自国が戦場になる覚悟が必要ですが。やりようはいくらでもありますよ」
君主は公使の提案に、ほんの少しだけだが光明を見出した。
もしかしたら、この絶望的な兵力差でも何とかなるかもしれないという期待が胸の奥からせり上がってきた。
「もしかして、君はいい奴なのか?」
「さぁ、どうでしょうか。人格に問題がある事は自覚していますからね。ただ…、民衆の自由の為に闘争したはずなのに、結局は、王政時代とさして変わらないのではないかという疑問はずっと抱き続けています」
公使は熱心な革命家だけれども、それ故に理想と現実の違いに苦悩していた。
どんなに政体が変わったとしても、汚職が無くなる訳ではないし、生活がより良くなる保障などどこにもないからだ。
「意外と、君とは友人になれるかもしれないな」
君主の言い様に、公使は力なく笑った。
※※
ルペン共和国:総統府
シルヴァニア公国に派遣された共和国公使の提案は、厳重に保護された外交郵便として、総統府に届けられた。
文書は、総統付きの秘書官が丁寧に取り出した上で、緊急案件として総統に直接手渡した。
外国に駐在する公使からの郵便物をこの様にして、総統に届けるのは異例だった。通常は、在外公館を管理する外務省を介するが、高度な政治的判断が必要される文書は直接に総統へと回される場合もある。
特に、邦国との同盟関係に際しては、外務省は信用できない。外務省は活動家の巣窟と化しているから、同盟に反対する勢力の最右翼だ。
従って、総統はこの案件に関して、総統直轄として総統府に外交の主導権を与えている。
両国は共に、外交政策を所管する外務省を蚊帳の外にした上で、同盟交渉を実現したのだ。
両国の政治に於いて、外務省は著しくその存在感を低下させている。総統は、文書を一読すると、信頼する側近達を執務室に呼び寄せた。
総統は、執務室に集合した側近らに、公使からの文書を回覧させた。彼はその上で、側近達に公国への援助の是非を問い掛けた。
外交政策を担当する上級顧問官は、苦い顔でその諮問に応じた。
「公国に対して、非公式に援助を与えるのだとしても、それがマルクヴァルト邦国側に情報が漏洩する可能性が常にあります。
もしも、我が国が公国へ援助を与えていた事が明るみになれば、邦国との同盟関係に亀裂が入る事でしょう。その他の外交交渉でも、主導権を明け渡す事にもなりかねません」
上級顧問官は、反対の論陣を張った。折角、自分達が漕ぎ着けた同盟を白紙にしたくないからだ。
それでも総統は、潜在的な敵国でもある邦国の勢力を牽制できる、公国への援助という外交オプションに魅力を感じていた。
邦国は、同盟国であると同時に、戦略的な競争相手でもある。非公式な援助を通じて、公国に影響力を及ぼすというのは、将来の戦争に於いて有利に働く事だろう。
「我が国が非公式に公国への援助を与えたとして、邦国との同盟関係はどうなると予測する?国際情勢はどう動くだろうか?」
「それは、邦国が我が国との同盟を破棄するかもしれないという意図でのご質問でしょうか?」
「そうだ。援助を与えていたという情報が漏洩したとして、同盟にどれだけの損害を与えるのかを知りたい」
「…恐らく、邦国政府は、同盟の破棄までには至らないかと思います。ですが、我が国に対する不信感を増大させ、同盟のプレゼンスが低下する恐れは十分にあります」
「邦国が同盟の破棄を行わないとする根拠は?」
「それは、同盟の最大の受益者が邦国だからです。勿論、我が国も同盟と貿易協定から多大な利益を引き出す事ができますが、それ以上に邦国の方が同盟を切実に必要としているでしょう。
理由は二つあります。第一に、邦国の赤字財政です。軍事費と治安維持費が右肩上がりで、これを国債で補填しているのが現状ですが、何れ国債償還費が歳出の大半を占めるであろう事は、歳入と歳出の推移を見れば明らかです。
つまり、これ以上の軍拡路線は、将来に於ける経済の不安定化、そして財政破綻へと繋がるでしょう。
第二に、邦国の領土拡大政策が限界点に達している事です。これは軍事学に於ける攻勢限界点みたいなもので、言わば『統治の限界点』とでも呼ぶべき現象です。国家には、確実に統治できる範囲というものが限定されています。
例えば、砂漠や山岳地帯を統治するのと、平原を統治するのでは、どちらがより困難でしょうか?答えは、言うまでもありませんよね。
現在の邦国領土は、そのあまりにも広大な面積を持つが為に、行政能力が麻痺しかけているのです。強力な中央政府を持つからこそ、その支配力から外れた辺境地域が誕生するのです。
皮肉な事に、旧メルケル帝国は、邦国よりもずっと大きな領土を統治していました。しかし、それが可能だったのは、帝国政府の官僚が優秀だったからでは決してありません。
寧ろ、答えはその逆で、帝国の中央政府が機能せず、帝国諸侯と領邦が好き勝手に自領を統治していたからこそ、結果として広大な領土を支配できたという逆説が働いていたのです」
「つまり、同盟がどんなに不愉快でも、邦国にはそれを上回る利益があるという事なのか?」
「はい。そもそも、同盟というものは、自制が必要という点で、本質的には不愉快なものです。その不愉快さを我慢して結ぶのが、同盟です。同盟締結は、我慢を強いるのです」
「それならば、公国への援助は是認され得るのではないかね?」
「確かに、同盟破棄の可能性は低いと申し上げましたが、破棄に至らずとも、両国の協力関係にひびが入れば、先程も指摘した様に軍事同盟としての実効性は低下せざるを得ません。
だからこそ、同盟の価値を棄損するかの様な対外工作活動は、厳に慎むべきです。寧ろ、邦国の対外政策を同盟関係に依存させる事で、我が国の影響力は更に増大するでしょう。
同盟で邦国の軍事政策に関与し、貿易で邦国の市場を侵略してやれば良いのです。その結果として、共和国を中心とする連邦が成立するかもしれません。
連邦には、我が国に経済侵略された邦国を加入させるのも一興ですね」
総統は、上級顧問官の連邦構想に疑問を呈した。
「連邦構想が実現するとは、とても思えないな。君が指摘する所の『統治の限界点』にまさしく挑戦するのではないか?」
「私が構想しているのは、既存の帝国統治制度でもなければ、現在の様な中央集権制度でもありません。
連邦の各加盟国がそれぞれ独立した国家主権を維持しつつも、外交・防衛・通貨発行という共通機能の統合化を図る事で、広汎な領土の統治の費用を最小化すると共に、治安維持や公共事業などの内政に各国が注力できる様な、新しい国家制度を作り上げる事です。
旧メルケル帝国の失敗は何よりも、主権国家として必要な機能と権限に欠けていた事にあります。それぞれの帝国諸侯が軍隊を持ち、貨幣鋳造権を持ち、裁判高権を持つ様な領邦がひしめいていた事が原因でしょう。
勿論、先程も指摘した様に、そういった封建制的な統治によって、広大な領土の隅々にまで支配力を維持できた側面もあります。
しかし、それによって帝国全体の統治は無きに等しいという無法状態を招いたとも言えます。旧帝国の崩壊からも明らかなように、国家の独立には、統一した軍隊や通貨は絶対に必要な機能です。
対外的に主権国家として主張できる最低限の機能を連邦政府に移し、それ以外の機能と権限は加盟国に留保する様な制度があれば、古代の帝国が誇った版図を復活させられるかもしれません」
彼の熱意に対して、総統は呆れた表情を見せた。古代に興隆した帝国への憧れが、彼を連邦構想へと駆り立てるのだろう。
「そこまでして、領土を拡大したいものか?民族主義が首をもたげる昨今の情勢を鑑みれば、メルケル人やルペン人などの多民族を包摂する国家の建設など実現不可能だろう。それこそ、古代の帝国でも復活しない限りはな。まぁ、君の連邦構想は、頭の片隅には入れておこう」
「私の世代では実現しない構想かもしれません。ですが、時代がそれを必要とするはずです。このまま、内需や民間消費を上回る生産能力が増大すれば、否が応でも、より大きな市場が必要となります。
膨張した生産能力は、それを費消する巨大市場を求めるでしょう。もしそうでなければ、余剰となった生産能力や資本力が行き場を失って、経済危機を誘引するかもしれません。膨大な商品を吸収できる巨大市場は、それだけで国際社会で圧倒的な存在感を放ちます」
総統は、彼の熱弁に対して肩を竦めて、本題へと促した。
「ともあれ、援助の件だ。これを何とかしないといけない。私は、公国に資金と武器を援助すべきだと考えている。
同盟国であっても、潜在的な敵国である事に変わりはない。邦国を同盟と公式の勢力圏に封じ込めつつ、その勢力伸長を妨害する事は、我が国の国益に適うはずだ。
我が国が邦国に対して、人口の劣勢という度し難い弱点を抱えている以上、邦国の諸改革は遅延される事が望ましい。
勿論、共和国の理念に照らして、隣国の政治改革は歓迎されてしかるべきだが、一方で、我々は強烈な国家主義に裏打ちされた国民軍の威力を知り尽くしている。
何れは、邦国軍の軍制改革によって、徴収兵から市民兵へとその性格を変質させるに違いない。これは我が国にとって、頼もしい同盟軍の出現であると共に、将来の脅威である事を強く認識する必要がある。
我が国は、これを公式・非公式の手段で制御しなければならない。そうでなければ、我が国には制御できない覇権国家が誕生するのを手助けしただけに終わる。私は、表向きは邦国のシルヴァニア侵攻を支援し、裏向きは侵攻を妨害するべきだと思う」
「それは、総統としての決定でしょうか?」
「そうだ。具体的な計画を立案して欲しい」
「外務省に話はつけないのですか?」
「言うまでもない。外務省の連中は除外しろ。計画の立案は、総統府と軍部に限定して政策を研究させろ。
シルヴァニア侵攻には我が国も形だけも援軍を出す必要があるから、将官クラスにも周知するように。特に援軍指揮官の人選は、政治や謀略に通じた人物が良いだろう。援助の予算は、総統府と軍部の機密費を充てる」
「工作活動は誰が統括するのですか?」
「上級顧問官に一任する。総統府に、対公国援助工作部門を新設し、そこの責任者を務めて貰う」
総統は、外交政策を担当する上級顧問官に、対公国援助工作の指揮を委任した。上級顧問官は、総統の決定に少しばかり驚いた様子だった。
援助の反対を強く主張していたのが彼だから、援助工作から外されるものだとばかり考えていた。何故、自分を選任したのか問わずにはいられなかった。
「何故、私が選ばれたのでしょうか?私は、援助に反対していた身上ですが…」
「私の意見に対する賛否は、さして重要ではないな。それよりも、君の職業外交官としての実務能力を買っているだけだ。それに、側近には必ず悪魔の代弁者が必要だと思っている。反対したからと言って、左遷などしない」
総統は、再び肩を竦めると側近達に解散を促した。
※※
ルペン共和国:総統府シルヴァニア政策課
総統は、邦国のシルヴァニア侵攻を妨害する為に、シルヴァニア政策課を新設した。
政策課は、非公式な対公国援助工作を任務として、外交政策担当上級顧問官が課長を兼帯する。
総統府の片隅に、新たな組織がひっそりと産声を上げた。
政策課は、専任職員が10人程度の小振りな組織だ。
人数が少ないのは、一つの問題に特化しているからというのもあるし、情報保全措置でもあった。
課員は、総統府と軍部から人材を補填し、それぞれが諜報工作や地域情勢などの専門分野に精通している。
課長を務める上級顧問官は、部下が提出した援助計画の素案に目を通していた。
素案は、公国駐箚の共和国公使が提案していた内容が反映されている。援助計画の概要は以下の通り。
シルヴァニア公国に対する援助計画
①グリューネシルト銀行などの民間企業を通じて、資金を援助する。
②ML貿易会社などの民間企業を通じて、武器を援助する。
③在外シルヴァニア人による義勇兵を組織する。
④シルヴァニア侵攻に際して、共和国軍は、最速で担当地域に展開し、保護下に置く。担当地域にて、義勇兵の拠点を構築する。
⑤列強諸国と協力して、邦国のシルヴァニア侵攻を妨害する。特に、ラホイ王国及びルッテラント連邦の艦船を活用し、公国への海上輸送体制を強化する。
⑥新聞社を通じて、邦国に対する非難の国際輿論の形成に努める。
※※
FN新聞:広告の抜粋
祖国の危機!!
求む、愛国者!!
集え、解放者!!
永遠のシルヴァニア
我が祖国のシルヴァニア
おぉ、美しきシルヴァニア
義勇兵募集中
シルヴァニア募兵事務所
いざ、祖国の解放に行かん!!
※※
シルヴァニア公国:マザレー市
公国はいくつもの良港を抱える海洋国家であるが、その中でもマザレー市は、同国最大の港湾都市として繁栄を享受している。
同市は、人口48万人以上を抱える最大都市でもあり、小規模ながら均整の取れた海軍の根拠地でもある。
但し、中央政府が置かれた政治上の首都は、別の都市に譲り、マザレー市の役割と機能は、経済・貿易に集中している。
国家機能が分散している理由は、安全保障政策による。
小国である公国は、山脈や河川といった天然の要害によって、国家の独立を維持してきたが、列強諸国に囲まれた地政学上の弱点がある事は変わらない。
海洋国家のエリザベス王国・ラホイ王国、大陸国家のマルクヴァルト邦国・ルペン共和国は、それぞれが公国の国力を凌駕しており、何れの一ヵ国とでも敵対すれば、破滅は免れない。
それでも、隣国という仮想敵国が存在する以上は、その危険を最小限に抑える必要があった。
小国にとっては、大国以上に「国家資源を集中するか、それとも分散させるか」という問題は常に付きまとうが、公国は分散を選択する事で、将来起こり得るかもしれない大国による侵略と占領の被害を最小化しようと努力している。
しかし、皮肉な事に、国家資源を各地の大都市に分散させた事で、却って集中化が進んでしまった。
マザレー市は、その最たる事例だろう。国家機能の分散化によって、経済力が更に集中したのだから。
同市は、人口こそ5%足らずだが、GDPの25%以上を稼ぎ出している。
ML貿易会社の商船隊が、積み荷を一杯にして入港した。商船隊は、民用の港湾施設でなく、海軍基地の岸壁と桟橋に係留された。
商船隊を待ち受けていた海軍士官は、積み荷の中身を確かめると、声には出さず静かに歓喜した。
彼は、水兵連中をこき使って、商船隊の陸揚げを手伝わせた。一刻でも早く手に入れたいという態度が、ありありと見て取れる。
商品を海軍の倉庫に搬入すると、それを聞きつけたのか、基地司令官(代将・海軍大佐)が様子を訪ねて来た。
代将は、兵站監(海軍少佐)を見つけると少佐に近付いて、商品を見せろと急かした。
代将は、木箱に詰められた武器をじっくりと目に焼き付けた。彼は、期待を込めて少佐に訊ねた。
「届けられた武器は、どのくらいだ?」
「2個師団を新編できる物量ですね。勿論、食料品などは除いた数字ですが」
「海軍の武器は?」
「それはないですね。邦国と海戦が発生するとは考え難いですし、後回しですよ」
「つまり、新式の艦砲が援助される事はないと?」
「はい。どうしても、優先順位が下がります。特に、今回の戦争は、陸軍国家であるマルクヴァルト邦国が相手ですから、こちらも主体は陸軍です。援助をする列強諸国にしても、海洋国家の海軍を強化するよりは、陸軍を強化させる方が、軍拡競争を管理できますからね」
代将は、少佐の素っ気ない答えに、がっくりと肩を落とした。
「いい加減、海軍の装備を更新できると期待したのになぁ…」
「それは、政府や議会に要望するしかないですね。でも、戦争中はまず無理でしょうけれど」
「なら、陸軍にはなおのこと、勝利してもらわないとな」
「…えぇ、そうですね。ですが、我々にもやれる事はありますよ。海上輸送体制の維持は、我が海軍にしかできない仕事です」
少佐は、今次戦争に悲観的な予測を下していた。
いくら山脈が両国を隔てているとは言え、邦国と公国では兵力に絶望的な開きがある。
例え、列強諸国が公国に援助を行おうとも、彼はそれが杯水車薪でしかない事を良く理解していた。
90個師団以上を常備する邦国軍に対して、僅か2個師団の新編でどうにかなるとはとても思えなかった。
勿論、武器援助はこれからも行われるだろう。
しかし、新兵を徴集し、訓練し、武器を配備するまでに敵軍が待つはずもない。
※※
シルヴァニア公国首都:グリューネシルト銀行支店
大蔵大臣は、首都に支店を置くグリューネシルト銀行を訪れた。
同行は、西大戦洋地域の大手銀行の一つで、各地に支店を構え、その優れた金融ネットワークは、国家権力と緊張しながらも、共存してきた。
社主は、グリューネシルト男爵で、王政時代のルペン貴族である。ルペン共和国は、貴族制を廃したが、一部の貴族は称号を自称していた。
大臣は、大手銀行を率いる男爵と会談に臨んだ。男爵は、小柄でありながら、恰幅が良く、豊かな髭を蓄えている。
彼の見た目は人間に近いが、それでもいくつかの特徴は、彼が人間と異なる種族である事を表していた。
彼は、典型的なドワーフ族の銀行家だ。ドワーフと銀行に何の関係があるのかと疑問を抱くかもしれない。
ファンタジー作品では、ドワーフは鍛治や職人として登場するのだから、既成のイメージとは大きく異なるだろう。
しかし、銀行の起源の一つに、ゴールドスミス(金細工職人)がある事を思い出せば、理解できるだろう。
ドワーフ族は、金槌を捨て、帳簿を握ったのだ。
もしかしたら、産業革命が起こした工場の生産方式が、彼らを金融業に追い詰めたのかもしれない。
大臣は、財政を預かるという仕事柄、ドワーフ族と懇意にしていた。
小国が国債を発行する為には、国際的な銀行の協力は不可欠だからだ。
大国の君主達と対等に渡り合う銀行家を味方につけておく事は、小国が生き残る上で取り得る政策の一つだった。
「グリューネシルト卿、貴行の資金援助に感謝する」
「大臣さんよ、これは援助じゃないぜ。こういうのは、取引って言うもんだ。それに、うちの会社は資金を移動させただけだろ。毎日の様にやっている業務の一環に過ぎないぜ」
「それでも、感謝は尽きない。戦時体制に移行している我が国から、資金を退避させた銀行も多い。外国の大手銀行で残っているのは貴行を含めて数行程度しかないからな」
「逃げた連中は、投資というものを分かっていないのさ」
「戦争は金になると?」
「それは物事の一側面に過ぎないぜ。勘違いしている奴が多過ぎるが、戦争特需は景気の一局面に過ぎないだろ?
だが、銀行家というものは、好景気だろうが、不景気だろうが稼ぐ力がなくちゃいけない。景気循環に適応できるのが、本物の経営者なんだぜ。
だからこうして、取引を仲介したんだ。戦争そのもので出せる利益なんてたかが知れている。問題は、戦後にどうやって稼ぐかかなんだよ。戦時国債を引き受けたのも、列強諸国の資金を提供したのも、戦後の利権を獲得する為なのさ」
大臣は、「戦後の利権」という言葉に顔をしかめた。
戦時国債の引き受けはありがたいが、あまり外国の銀行に国内市場を荒らされたくもないという本音が覗いている。
外国企業による対外投資を誘致する一方で、自国産業を保護・育成したいという相反する欲望が透けて見えた。
小国や後進国にとっては、経済成長の為に、外国企業への開放性と自国企業の保護を如何にして両立するかというのは、いくら苦悩しても解決しない問題だ。
しかし、男爵は大臣の心情を意図的に無視した。男爵は、大臣に戦争の勝敗について尋ねた。
「それで、どうだい?大臣さんは、この戦争に勝てると思うのかい?」
「勝敗はさして重要ではないな」
「ほう、その心は?」
「今次の戦争は、勝敗を目的とするものではないからだ。戦争の目的は、国土の防衛だ。我が国がどんなに戦闘で敗北しようとも、最後に国土を死守すれば、それで戦争目的は達成される。
過去、幾度に渡って帝国が父祖の地を侵略したが、我が国は何れの侵略も撃退してきた。それは、勝利でなく、国土防衛を追求したからに他ならない。
天然の要害だけで国家を防衛できる訳ではない。最後には、人が戦って決着を付けねばならん。だから、よくよく敵軍を泥濘に引きずり込む必要がある」
大臣が語った国防戦略は、公国の歴史と伝統による必然だった。
「つまり、貴国は縦深に敵兵を誘い込むのかい?」
「その通り。山脈を越えた敵兵は、驚愕する事だろう。略奪できる村落はなく、都市も抜け殻となっているのだからな」
男爵は、大臣の覚悟を羨ましく思った。
古代に滅亡したドワーフ族の王国も、死守すれば違った結果になったかもしれない。
公国は、焦土戦術と縦深防御によって、共同体を維持する算段なのだろう。
男爵は、強引に話題を転換した。
「それはそうと、大臣さん。うちの過激派や独立派には十分に気を付けてな」
「過激派というのは、ドワーフ族の独立国家建設を主張する連中の事か?」
「全く、ドワーフ族の恥だが、過激派は各地の紛争に介入しているらしくてな。領土を掠め取ろうと画策しているらしいぜ。
たまに、過激派の馬鹿共が、支店に押し寄せて、資金を寄越せと要求するものだから、頭痛の種なのさ。銀行の私兵だけでは限界があるのよ」
「なるほど…。分かった、内務大臣に、銀行の警備を強化する様に言いつけておこう。それにしても、ドワーフ族の中にも対立があるのだな」
「そりゃ、そうだろ。人間同士が戦う様に、エルフ族やドワーフ族も同族同士で、しょっちゅう戦争しているぜ」
大臣と男爵が、人間と異種族の戦争について話していると、行員が応接室に飛び込んで来た。
男爵は、会談を邪魔されたにも関わらず、陽気な態度を崩さなかった。
「おう、どうした?金貨でも落ちていたか?」
「それが、過激派がまた押し寄せてきまして…」
行員は男爵の冗談に取り合わず、支店の危機について報告した。
「大臣さん。申し訳ないが、席を外しても?」
「勿論だ。ところで、私もその過激派とやらを見てみたいのだが」
「身体の安全は保障できないぜ?」
「構わないとも。自分の身は自分で守る。これでも、退役軍人だからな」
「そうかい、それなら付いて来てもいいさ」
男爵は、無理に大臣を引き留めようとはしなかった。
※※
某国:シルヴァニア募兵事務所
公国政府は、外国政府に許可を得て、あるいは黙認されて、各国に募兵事務所を設けた。
在外シルヴァニア人の青年は、新聞広告を片手に持って、この事務所を訪れていた。
募兵担当官の女性は、笑顔で青年を歓迎した。
「新聞広告を見て、来たのですが…」
「そうですか!君みたいな若い子が来てくれるなんて、とても嬉しいです!!」
彼女は、愛想良く振る舞って、青年の気を引こうとした。青年は、女性に慣れていないのか、居心地が悪そうにはにかんだ。
「でも、自分みたいな人間に兵士が務まるのか心配で…」
「大丈夫ですよ!君は健康そうですし、それに、軍服が良く似合うと思いますよ?」
「そうですか?」
「はい!!何なら、軍服の試着もできます!!私と一緒に、奥の部屋で着替えましょうね?」
「まぁ、着替えるだけなら…」
彼女は、青年の手を掴むと、試着室へと連れ込んだ。彼女が青年の服を脱がすと、彼の肉体を褒め称えた。彼女は、盛り上がった筋肉に手を置いた。
「とっても、逞しい身体ですね。鍛えているのですか?」
「えぇ、剣術を少しやっています」
青年は、自身の肉体に置かれた彼女の手にどぎまぎとしながら、しどろもどろに答えた。彼女は、手を這わせながら、しなだれかかった。
「もう少しだけ、こうしていたいな…」
青年の五感は、女性の温もりに集中していて、答えに窮した。彼女は、二人きりで休憩する事を提案した。
「実はね、ここには私の仮眠室があるの。二人で休憩しない?」
青年は、唾を飲み込むと、彼女に促されるままに仮眠室で休憩した。仮眠室からは、女性の喘ぎ声と痴態が薄っすらと漏れていた。仮眠室から出た二人が手をしっかりと握ると、彼女は青年に願った。
「ねぇ、戦地に行っても私の事を忘れないで欲しいな」
「勿論、手紙を送るよ」
「わぁ、嬉しい。私も手紙を送るね?」
青年は嬉しそうに彼女の手を握り返した。大人の階段を上った青年の表情は、戦士の顔付きをしていた。彼はありもしない恋人に想いを馳せて、戦場で死ぬのだろう。
悲しい事だが、戦争では男に特権が与えられる一方で、命を使い捨てられるのだ。女性達は、家族を守る為に、家族の男子を戦場に送り込むのだ。戦場と銃後の風景は、何千年が経とうとも、変わる事はない。
※※
シルヴァニア公国西部:予備第9師団・第72在外シルヴァニア人連隊
公国は、予備役の動員によって、兵力を著しく増大させている。
7個師団を28個師団に増強するのだ。
予備第9師団には、在外シルヴァニア人からなる第72在外シルヴァニア人連隊が新たに編制された。
第72連隊は、予備役の1個大隊を発展させた上で、義勇兵を大量に吸収して、連隊を完成させた。
連隊は、北部から西部にかけて跨る山岳地帯に駐屯地を移していた。
公国軍は、邦国から自国に繋がる道路を全て破壊して、進撃路を封じた。
それでも、邦国軍は工兵や山岳民族を使って、山脈を越えて来るだろう。
焦土戦術によって、西部の山岳地帯は補給し難い土地になった。
連隊は、山脈を越えて侵攻する邦国軍を妨害し、縦深へと誘い込む為に、東部への撤退作戦を前提とした軍事行動を命じられた。
その為、陸軍の中でも高い死傷率が予想される。
撤退するに当たっては、敵軍に補給物資を与えてはいけないから、初めから大した装備も無かった。
それでも、愛国心に燃える義勇兵は待遇に不満を洩らさず、淡々と訓練に耐えている。
招集された義勇兵の一人は、募兵事務所で出会った女性から送られた手紙を軍服の内ポケットに忍ばせて、厳しい軍事訓練にも挫けなかった。
義勇兵の青年は、軍事訓練を大いに楽しんでいた。
軍隊の行進訓練など馬鹿馬鹿しいと思っていたが、やってみると存外に一体感があって心地良い。
制服が人格を形作るというが、全くその通りだ。
横列隊形に並べられた1個大隊が、中央の中隊を中心として、縦列隊形に変形する。
今度は、端の中隊を中心として、横列隊形に戻る。隊形の変形は、幾何学的な美しさを備えていた。
青年は、自分がその一員である事に感動した。訓練を検閲する大隊長の惜しみない称賛は、勲章よりも誇らしい。
彼らは、まだ戦場を知らない。
しかし、戦場で踏ん張る自分達の勇姿が脳内で再生され続けた。
そこには、戦友の死体が欠けていて、敵兵の死体が映る。
今の彼らならば、例え隊形が崩壊しようとも、最後の一兵まで直立していそうな雰囲気だった。
※※
シルパチア山脈:ドワーフ傭兵隊
シルパチア山脈は、マルクヴァルト邦国・シルヴァニア公国・ルペン共和国・ラホイ王国を隔てる天然の国境線を為している(※但し、公国と共和国の国境線は、山脈ではなく、大河によって区切られている)。
3ヵ国の列強諸国に、三面(北部・西部・南部)を囲まれている公国は、その山脈・大河と不屈の精神によって、侵略を拒否している。
騎馬遊牧民族の末裔であるシルヴァニア人は、白兵戦や決戦を志向せず、一撃離脱や長距離攻撃を戦闘教義として、大軍を翻弄してきた。
偽装退却によって、敵軍を誘い出し、補給線を切断して、弓騎兵による射撃で戦力を漸減させる戦術は、弓騎兵が軽騎兵・竜騎兵に取って代わられた後も、彼らの戦争文化として深く根付いている。
もしかしたら、彼らが自由を何よりも愛する民族であるのは、祖先が騎馬遊牧民族であった時代の気風なのかもしれなかった。
山脈の中腹から麓にかけて、山岳民族の集落が点在している。
集落の規模は様々で、城塞を築く堅固な集落があれば、質素な小屋が連なるだけの集落も多い。ドワーフ族の戦士からなる傭兵隊は、山岳民族の城塞に滞在していた。
その城塞の規模と威圧感は、質素な身なりの住民には、釣り合わない文明の遺産であった。
山岳民族の精神的支柱にもなっている城塞は、邦国と公国の両国から使節がやって来て、通行権の保障と引き換えに、山岳地帯では入手が困難な商品を交換していた。
交換と言っても、実質は両国の援助だ。
通行権には、軍隊の移動も含まれており、両国が開戦した場合に、双方の友好的な山岳民族の城砦・村落を拠点として使用する事が主な目的である。
山岳民族は、渋々ながら、両国を天秤に掛けて、両手取引よろしく二重の手数料を掠め取っている。
傭兵隊は、山岳民族の首長らに自身の命を買わないかと持ち掛けた。
もうすぐ、邦国と公国の間で戦争が勃発する事は、周知の事実だった。
両国の戦争に巻き込まれたくない山岳民族は、本音では拠点の提供を拒否したいが、拒否できる程の軍事力は無い。
傭兵隊を雇用しようにも、国家の軍隊と貿易会社の武装商船隊が暴力をほぼ独占していて、傭兵が活躍する機会は少なかった。
傭兵を主力とした時代は、とうに過ぎ去った。
しかし、傭兵隊がいない訳ではなかった。
正規軍にはとても任せられない汚れ仕事を、彼らは進んで引き受けた。
仕事に焙れたドワーフ族が、傭兵になって金槌とライフルを担いで、戦場に現われた。
ライフルで狙撃をこなし、金槌で接近戦をこなすドワーフ傭兵は、騎兵を粉砕し、指揮官を射殺した。
騎兵突撃を正面から受け止める頑健な肉体は、人間ではありえない。
仮に、ドワーフ族が交通事故に遭うとすれば、自動車の方がひしゃげるに違いない。
山岳民族の間では、傭兵隊を雇用すべきかどうか喧々諤々の議論が繰り広げられた。
強硬に反対したのが、ドワーフ族の首長であった。
彼の町は、いくつかの村落を支配下に治め、発言力が強い。
多様な種族を率いるドワーフ族の首長は、それぞれの種族の特性や性格というものを良く熟知していた。
特に、同胞であるドワーフ族の事は知り尽くしている。
連中は、極めて狡猾で、目的を達成する為ならば、如何なる手段をも用いる冷徹な一面を持っている。
ドワーフ族が、軍需産業や金融業に進出している事は、誰でも知っている事実であるが、自身の種族を守る為ならば、その他の種族を犠牲にする事を厭わない性格と行動によって、多くの国家や民族が地図から消え去った。
裕福なドワーフ族の中には、現地の貴族位を授かった者も少なくないが、このドワーフ貴族は一番の曲者で、謀略家として、世界を股に掛けている。
その彼らでも、唯一、成し遂げられない事がある。
ドワーフ族の独立国家建設だ。
ドワーフ族の独立派・過激派は、幾度となく国家の樹立に努めているが、一度として再興した事はなかった。
ドワーフ族とも言えども、建国を認めない国家権力には勝てないし、建国に否定的な同胞も多い。
一時的に建国が成功しても、長くは続かず、歴史書にさえ忘れられる始末だった。
それでも、建国を諦めない、最早、宗教じみた信条を抱くドワーフ族の集団もあって、それが彼ら傭兵隊である。
建国は、彼らにとって唯一の拠り所なのだ。
財産を喪い、家族を喪った彼らにとって、裕福なドワーフ族の忠告と反対など認められるはずもなく、所詮は、血の繋がった敵でしかなかった。
彼らは、成就する事のない壮大な集合的無意識に命を燃やしている。
もしも、ドワーフ族を精神分析に掛けたら、そこには種族の深い悲しみと、国家を奪われた復讐心を発見できるかもしれない。
陰謀論者に言わせれば、ドワーフ族は刻まれた復讐心を糧に、戦争を誘発させているらしい。
結局、山岳民族は傭兵隊と雇用契約を締結した。傭兵は信用ならないが、国家も信用ならない。
山岳地帯に引き籠って、戦争の趨勢を見物しているのも良いが、邦国軍が山道を行軍すれば、必ずや山岳民族に接触して、糧秣や寝床の提供を要求してくるだろう。要求を無視する事もできるが、待ち受ける運命は略奪である。
山岳地帯に於ける大軍の進軍と展開は、最も困難な軍事作戦の一つではあるが、そもそも、山岳民族には邦国軍に対抗できる最低限の兵力を養う人口も経済力もない。
傭兵という選択肢は、彼らにとって、抵抗できる唯一の方策に思えた。
残念ながら、山岳民族が独立を維持できるだけの兵力を持つ事を、周辺諸国は決して容認しないだろう。
普段は敵対している邦国と公国が手を組んで、山岳地帯の掃討に動く恐れがある。
主権国家というものは、敵対する国家を認める事はあっても、国家未満の勢力を対等の地位に置く事はありえない。
それは主権国家体制に対する反逆だからだ。
その点、エリザベス王国は国家未満の勢力を手懐ける事に長けていた。
一部の部族に自治権を承認して、先住民の分断に成功している。
植民地帝国を維持する要諦は、「分割して、統治せよ」である。
ドワーフ族の首長は、同胞の傭兵隊長と二人きりで杯を交わしていた。
首長は、まるで口の端に錘がついているかの様に、なかなか話を切り出せなかった。
彼は、傭兵隊長と目を合わせようともしなかった。
傭兵隊長は、何度もこうした場面に遭遇していたが、気まずい雰囲気は、何度体験しても慣れないものだ。
やがて、痺れを切らした傭兵隊長が先に口を開いた。
「俺達の事を馬鹿だと思うか?」
首長は、相変わらず目を合わさなかったが、質問には答えた。
「当たり前だ。貴様らは、同胞の恥、ドワーフ族の恥そのものだ。
貴様らの様な連中が巷でのさばるものだから、我らに対する評判も下がるばかりだ。いい加減、諦めたらどうだ?我らに国家の統治などできないのだ」
「諦めてどうする?諦めて、国家権力の軍門に降れと?武器を捨てた連中だけには言われたくないな」
「…もう、戦争はこりごりなのだ。我らは、歴史の表舞台から姿を消すべきなのだ」
「俺は諦めない。俺達は、間違っちゃいない。間違っているのは、世界の方だろう。どいつもこいつも、戦争はなくなっていないというのに、もう平和を手に入れたかの様に、自分を偽っていやがる」
「安住する事は悪い事だと言いたいのか?」
「国家を作る為に、戦争が必要だと言いたいんだ。闘争なき人生に価値はない」
「それではまるで、戦う為に、建国したいと言っている様なものじゃないか」
「そうだ。主客が転倒しているんだ。俺も訳が分からない」
建国の為、各地の戦争に介入していく内に、いつしか戦争それ自体が目的となってしまっているのだろう。
首長は心底、傭兵隊を哀れんだ。
「そうまでして、武器を取るのか?」
「それしかないだろ。俺達は、それしか道がないんだ。俺は…、ただ故郷が欲しいだけなんだ。帰る家が欲しい。同胞が安心して暮らせる大きな家が欲しいんだ。
この世で一番大きな家は、国家だろ?だから、国家を作るんだ。建国には、戦争が必要だ。戦って得られた国家でなければ、子孫は歴史を誇る事もできないだろ?」
首長は、嘲笑してやろうとしたが、それを引っ込めた。
子供の幼稚な言い訳にしか聞こえなかったけれど、帰れる家を欲する気持ちは理解できなくもない。
彼は、某国の迫害から逃れて、この地に辿り着いたのだ。
いろいろと喪ったからこそ、国家の価値に気付く事ができた。
しかし、もう武器を取る気力はない。
故郷を得る為に、故郷を喪う苦しみをもう味わいたくはない。
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