第9章② 同盟の代価
マルクヴァルト邦国は、対抗同盟の妨害によって、シルヴァニア侵攻が思う様に進まず、次第に兵力を消耗し始めた。事態の打開を図る為には、更なる兵力を投入するのか、それとも、侵攻を諦めるのか、この二つの選択肢に掛かっている。
邦国軍は、戦闘そのものには何度も勝利している。しかし、依然として戦略目標の達成には至っていない。戦闘の勝利を、戦略上の優位に繋げられていないのだ。
クラウゼヴィッツの言葉を引用するまでもなく、戦闘は戦争の最大要素ではあるが、戦闘の目的が勝利であるのに対して、戦争の目的というものは、勝利にあるのでなく、寧ろ、平和にある。
シルヴァニア公国は、過去に何度も覇権国家の侵略を撃退してきた事から、『帝国の墓場』と言われて久しいが、邦国も又、過去の帝国と同じ様に、戦争の泥沼に嵌り掛けていた。
※※
マルクヴァルト邦国:陸海軍最高会議
邦国政府は、シルヴァニア侵攻の泥沼化を重く受け止めていた。軍部では、侵攻の中止を主張する声が、日に日に増しているという。
一体全体、どうしてこうなったのか。政府と軍部の高官は、悪化する一方の状況に眠れぬ夜を過ごしている。
政府は、統帥権と戦争指導に関する最高会議を開催して、事態の打開を図った。出席者は、錚々たる顔ぶれで、大書記官長、陸海軍の大臣、外務大臣、元帥・大将クラスの将官、陸海軍の長老である軍事顧問官や各兵科の総監、つまり軍政及び軍令の最高幹部が集結している。
しかし、そこに君主の姿はない。立憲君主制(制限君主制)に移行する以前であれば、陸海軍最高会議は、国軍最高司令官たる君主の御前の許に開催される事が慣例であった。
だが、政治への関与を控える新君主は、軍高官の要請にも関わらず、最高会議への臨席を拒否した。会議室に置かれた御席は、その主人を欠いているが、得も言われぬ存在感を出席者に与えた。例え君主の臨席がなくとも、御席がその役割を代替しているのかもしれない。
今や、邦国政府の行政権と統帥権を握る大書記官長(侯爵)が、最高会議の議長を兼ねている。陸海軍の大臣は、侯爵の両隣に座って、副議長を務めている。侯爵が、外務大臣にシルヴァニア侵攻を巡る周辺諸国の反応と情勢について報告を求めた。
「我が国のシルヴァニア侵攻に反対する対抗同盟の勢力は、当初の5ヵ国・地域から10ヵ国・地域に拡大しています。
対抗同盟への加入の意思や関心を表明している諸国も、10ヵ国以上です。対抗同盟は、我が国の海上輸送体制を破壊すべく、海上封鎖に出ていますが、我が海軍が海上封鎖を実施したルッテラント連邦海軍を撃破しています。
しかし、こちらの海上戦力も大きく消耗しています。我が国は、この対抗同盟に対して、ルペン共和国との軍事同盟を活用していますが、より一層の同盟強化が必要かと思います」
「仮に、マルクヴァルト=ルペン同盟と対抗同盟が対立するとして、どちらが優位なのだろうか?」
「それは、軍事的にも経済的にもという事でしょうか?」
「そうだ。対抗同盟の海上封鎖を踏まえれば、戦争だけでなく、経済面での対抗も必要だろう」
「陸軍力では、マルクヴァルト=ルペン同盟が対抗同盟を上回っています。ですが、海軍力では、対抗同盟が圧倒的に有利です。
何せ、対抗同盟には、海洋国家のラホイ王国とルッテラント連邦、それからエリザベス王国ピカルド海外州も加わっています。
特に、このピカルド海外州が脅威です。この海外州には、エリザベス王国が誇る第5艦隊が配備されています。
もしも、海上封鎖に第5艦隊が加われば、我が国の海上輸送隊は崩壊します。我が国の海岸線は南部だけですから、南部方面を抑えられれば終わりです」
「新航路を開拓できないのか?最北部を遣えないのか?」
「我が国の最北部には、針葉樹林帯が拡がり、更にその先には、豪雪地帯があります。そこには、旧帝国領の諸国が、乱立している状態です。
最北部の開拓には、これらの地域を踏破する必要がありますが、進軍は極めて困難で、旧帝国領や先住民地域は、何れも好戦的です」
「だが、南部の航路が使えないとなると、北部以外にはないだろう?」
「勿論、北部の航路開拓は選択肢ではありますが、そうすると、今度は海洋国家のラホイ王国の哨戒線と接近します。
我が国が北部・南部の何れの航路を採ったとしても、海洋国家を抱える対抗同盟は、これを海上封鎖できる能力を備えています」
「海上封鎖を突破できる手段はないのか?」
「ルッテラント連邦に対しては、上陸作戦を強行するのが最適でしょう。我が国の工業能力を活用して、連邦海軍の海上戦力では対処しきれない程の軍艦を建造して、飽和によって、連邦海軍の防衛を突破して、大規模な陸上戦力を上陸させてしまえば良いのです。
一方のラホイ王国とピカルド海外州に対しては、同じ大陸に存在する地続きの国家と地域ですから、我が国が誇る陸軍を投入する事で、海上封鎖を牽制ないし中止させる事ができます。
それから、同盟国の共和国にも協力を打診すべきです。共和国は、陸海軍ともにバランス良く配分されていますから、海洋国家の海軍と海戦でも十分に持ちこたえられます」
「…なるほど。ところで、エリザベス王国の情勢はどうなっている?海外州が独自に外交を展開するものだろうか。首都が陥落したらしいというが、それ以降、一切の情報が入ってきていないではないか。
ピカルド海外州は、本国政府の意向を受けているのか、それとも意向を受けていないのかにもよって、大分、情勢は変わってくるだろう?」
「…エリザベス王国の情勢は、依然として不明です。何も詳しい事は分かっていません。首都を陥落させたと思しき外国勢力にしても、何も情報がないのです。
ただ…、我が国と通商関係にあった王国の海外領土や植民地のいくつかと連絡が取れないでいる様です。
恐らくは、王国に侵攻した外国勢力か、あるいは他の列強諸国・周辺諸国によって、占領下に置かれているものと推測されます」
「何も分からないという事か。では、その王国に侵攻した外国勢力とは、連絡がつかないのか?こちらから接触できないのか?」
「外務省では、外交官を軍艦に乗艦させた上で、訪問する事も計画していましたが、中止しています。他の諸国も、その外国勢力との連絡を構築しようと試みた模様ですが、何れも失敗に終わっています。
王国に近付いた艦船は、どこの国籍であれ、撃沈されているらしく、とても外交官を派遣できる状況にありません」
「つまり、その外国勢力とやらは、我が国のみならず、周辺諸国との外交を拒絶しているという事か?」
「正確に言えば、外交を拒絶しているというよりは、占領した王国の領土を我々外国から防衛しているのでしょう」
「それは、何というか、かなり好戦的な国家だな。要するに、外国を一切信用していないという事なのだろう?」
「恐らくは、そうでしょう。我が国は軍国主義国家などと周辺諸国から呼ばれていますが、それよりも軍国主義的なのかもしれません」
「王国の侵攻国は、我が国のシルヴァニア侵攻には障害になるだろうか?」
「それは全く分かりませんね。王国に侵攻した外国勢力の意図や能力は、全く以て判明していない訳ですから」
「だが、王国の侵攻国がこの大陸に上陸する可能性も考慮しなければいけないのではないか?確か連中は、王国海軍が誇る最精鋭の第1艦隊を海の藻屑に変えてしまったのだろう?
西大戦洋地域最大の海洋国家を打ち倒すだけの軍事力があるのならば、何れはこちら側にも侵攻するかもしれんぞ?」
「それは勿論考慮すべきですが、王国に侵攻した外国勢力は、領土を拡大する動きを見せていませんし、大陸に上陸したり、接近したりする様な姿勢も見せていません。
つまり、当分は王国の占領に専念するという事ではないかと。それに、王国軍が全滅しているとは思えませんから、残存の王国軍と外国勢力が未だに戦争している可能性も当然あります」
「それは、王国の侵攻国が占領を完了させたのならば、どうするか分からないではないのか?もしも王国の占領が完成されれば、次にその強大な軍事力を他国に使用するはずだろう」
「侯爵閣下の仰る通りですが、先程も申し上げた通り、相手国の情報は何一つとしてありません。その状況では、政策も立案できないでしょう。
それに、我が国は大陸国家です。陸軍国家なのです。仮に王国の侵攻国が我が国にも侵攻したとして、これを防衛できる可能性は十分にあるでしょう。
確かに相手の海軍力は優れているのかもしれませんが、占領に手間取っているのならば、それは陸軍力が弱いという傍証なのではないでしょうか」
「…そう単純なものかね?例えば、陸海軍のバランスに優れた共和国軍の例もあるだろう。だから、海軍力が強い国家の陸軍力が脆弱であるなどという事にはならない。
それに、王国は異民族討伐の為に、大規模な陸軍を維持していたはずだ。もしも、王国の侵攻国が占領を完成させたというのならば、それは陸軍力にも優れているという証明に他ならないのではないかね?」
「それはその通りなのですが…、いや、現状の情報では、如何ともし難いです」
「そうだなぁ、シルヴァニア侵攻だけではなくて、いい加減、王国に侵攻した外国勢力についても、調べる必要があるよなぁ」
「はい。ですが、その外国勢力を調べ上げる手段は、現時点ではありません。艦船を沈められてしまえば、こちらはどうしようもありません」
「分かった。ひとまず、王国の侵攻国の件については保留とする。では次に、本会議の議題であるシルヴァニア侵攻の是非について話し合いたいと思う」
侯爵は、陸軍省軍政局長(陸軍少将)に話を振った。
「シルヴァニア侵攻は、皆さんも知っての通り、膠着化しています。公国西部の主要都市を占領する事には成功しましたが、それ以上の進展はありません。
原因は明らかです。シルパチア山脈に住む山岳民族が、我が軍の補給線と展開を妨害しています。この妨害によって、我が軍の兵站能力は非常に負担が掛けられています。
我が軍はこの事態を打開する為に、公国軍が破壊した山道の復旧を進めていますが、これも同じく山岳民族の攻撃によって、山道の再開も上手くいっていません。
山岳民族の攻撃に対応する為に、多くの歩兵部隊が警備部隊として割かれていますが、これも当初予定していた侵攻作戦が大幅に遅延する原因になっています。本来、侵攻作戦に回す予定だった歩兵部隊も、補給線の警備に回している始末です。
陸軍は、我が国全土に向けて、動員令の発令を提案致します。我が軍の優位は、人口と兵力、即ち最大動員能力にあります。今こそ、その優位を活用すべきです」
「我が国の最大動員能力はどれ程なのだ?」
「はい。400万人前後までならば、難なく動員できます。財政能力を考慮しなければ、800万人の動員も可能ですが、その場合は、間違いなく財政破綻してしまいます」
「シルヴァニア侵攻に400万人も必要か?」
「いえ、シルヴァニア侵攻だけでなく、対抗同盟を牽制する為にも、数百万人の兵力は必要不可欠です。共和国との同盟があるとは言え、その戦力に期待するべきではないでしょう。所詮、元々は敵同士なのですから」
「…君は『旧帝国領の回収』に前向きなのかもしれないが、私は違う。私だけではない。そもそも、陸軍大臣や兵站総監などの軍高官らも、これ以上の領土拡張政策には反対なのだ。共和国との同盟も、我が国が内政基盤の強化に注力する為に締結したはずだった。
それが今では、その同盟と条約によって、本来の目的とは逆に陥っているではないか。シルヴァニア侵攻はすべきではなかった。我が国は、早々に公国から撤退すべきなのだ」
「…それは、侯爵閣下と陸軍大臣閣下の意思でありましょうか?政権全体の意思でしょうか?」
「本音を言えば、さっさと公国なんぞ捨てて、撤退したいのだ。それよりも、我が国はやらなければならない事が沢山積もっているのだ。『旧帝国領の回収』と『民族の統一』という国家事業は、中止すべきなのだ」
陸軍少将は、深く息を吸って、頭を冷やした。そして、少し躊躇いながらも、侯爵に反論した。
「侯爵閣下、政権の意向は撤退かもしれませんが、議会はそうではありません。そして、国内輿論もそうです」
「議会と国内輿論が撤退に反対すると?」
「はい。議会では、侵攻作戦への支持が多数を占めていますが、その中には、動員令を発令してでも、侵攻すべきとする有力議員の意見も無視できない勢力を築いています」
「いや、議会や輿論の情勢は私も把握しているが、例え議会が撤退に反対だとしても、政権の権力でいくらでも押し切れるだろう?」
「侯爵閣下、議会の意見も無視できません。それに何よりも、国内輿論と国民も無視できません。確かに、撤退が最善の選択肢なのかもしれませんが、議会と国民にはそれが伝わらないでしょう。それに議会を無視すれば、閣下の不信任や弾劾手続にも繋がりかねません」
「何だと?貴様はどこまで情報を掴んでいるというのだ」
「実は、その有力議員というのが、私の親族でして。政府が撤退を決定した場合、議会の決議で、強制的に動員令を発令すると…」
「その有力議員とやらをここに連れて来い!!頭をかち割ってくれるわ!!!!」
侯爵は、議会と国民に対して、堪忍袋の緒が切れた。公選議会の設置は、国民を戦争政策と領土拡張政策から遠ざける意図もあった。それがどうだろうか。寧ろ、議会と国民は強く戦争を望んでいる有り様ではないか。
侯爵は、隣国の共和国の政治制度と戦争の関係性についてよく研究するべきだったかもしれない。民主政が平和をもたらすなど幻想でしかない。好戦的な大衆の熱狂は、民主政下でもっともよく現れるのだ。
そもそも、軍国主義国家であった邦国の国民性が、直ぐに治るはずもない。寧ろ、公選議会の設置と選挙の実施は、国民の好戦的感情を呼び起こしてしまったのだ。
※※
マルクヴァルト邦国:全州議会
全州議会は、選挙によって選ばれた各州の代表から構成される。君主が任命した議員で構成される勅選議会から転換し、参政権を持つ国民の投票によって、議員が送り込まれた。
議員の社会的な立場や背景・出身は様々で、勅選議員が事実上の再当選を成し遂げた州があれば、自由主義政党の党員が念願の政治家への道を手にした場合もある。地主貴族もいれば、工場労働者もいるし、退役軍人も議員になれた。
とにかく、上流から下流の階級まで、貴族から平民まで、あらゆる階層・階級から人材が集結した。議会制というものは、学者が指摘した様に、社会階層を統治機構に取り込む事で、内乱や内戦の芽を摘むという機能を発揮する。
戦争と言えば、対外戦争よりも、内戦を意味していた旧メルケル帝国にあって、邦国は初めて国内の平和を統一したのだ。
ボイテル州を選挙区とする有力議員は、議場の演説台に立って、シルヴァニア侵攻に対する議会の支援と協力を訴えていた。
「議会及び市民諸君、我々は、我が国によるシルヴァニア侵攻を強力に支援せねばならん!!諸君も聞き及んでいる通り、残念ながら我が軍は、公国領土の占領に手間取っている。
しかし、それは我が軍の兵力が不足しているからに他ならない!!議員諸君!!このまま、現状の不足した兵力のままで、愛する将兵に負担を強いるべきだろうか?現場の将兵を支援する為に、我ら議員ができる事とは何だろうか?
更なる兵力だ!!更なる物資だ!!更なる予算を組むのだ!!さすれば、我らは議員としての義務を果たせるであろう!!
議員諸君!!我々は、祖国を守り抜かねばならん!!動員だ!!更なる動員だ!!動員令を発令せよ!!私は、議会を代表して、政府及び軍部に動員令の発令を要請する。
議会は、『旧帝国領の回収』に全力を傾けなければならない!!勿論、政府と軍部も民族統一に注力しなければならない!!
議員諸君!!これは、帝国の復活である!!これは、メルケル帝国の復活なのだ!!それは、メルケル第2帝国の建国なのだ!!私は、私が生きている内に、統一された祖国をこの目で見たいのだ!!
悲しい事に、我らの土地と民族は、未だに分断されたままだ!!分断されたまま、次世代に生まれた子供達は、それが自然になってしまう事だろう!!
その様な未来は、断じて拒絶せねばならんのだ!!議員諸君!!我々には、祖国と子供達と、そして何よりも国民の為に、統一された祖国を取り戻さねばならん!!
政府は、対抗同盟とやらに及び腰になっている!!しかも、共和国との同盟という譲歩までしてみせた!!
しかし、我々は思い出さなければならない!!そもそも、旧帝国民として、この地域の覇者であった事を!!偉大なる父祖の業績は、我々に、民族の栄光と勝利を誇り高く教えてくれるではないか!!
旧帝国民である我々に、統一が成し遂げられないはずがないであろう!!議員諸君!!我々は、今この時、統一という祖国の夢を果たそうではないか!!」
自由主義政党の議員達は、その演説に対して、一斉に惜しみない拍手と賛辞を送った。しかし、議会に出席した閣僚達は、それとは対照的に苦い顔をしていた。
この政府の方針を批判するかの様な演説を打った有力議員は、政権に流れる撤退論を掣肘するべく、動員令の発令を要求したのだ。
動員令の発令に賛成する議員と国民は、何も分かっていない。この国が持つ国力の限界や地政学的プレゼンスの限界、経済成長の低迷、何かも理解していない。邦国の現状を正確に理解しているというのならば、間違っても動員令に賛成したりはしないだろう。
政府側は、動員令の発令を要求する議員団に向けて、反対演説を行うはめになった。
全く、民主政とはかくも面倒なものである。最善策や次善策が明快だと言うのに、議会と民衆はそれを選ばせてはくれない。
お互いに最善を尽くしているというのに、お互いに最善を目的としているというのに、どうしてもこうも導く結論が違ってしまうのか。
動員令の発令を強硬に要求する有力議員に対して、大書記官長(侯爵)が政府を代表して、反対演説を行った。
「政府は、シルヴァニア侵攻作戦の中止と撤退を議会に提案したい。聡明なる議員諸君、我が国が今なすべき事とは何か?
それは、ルペン共和国との同盟と友好関係を固持し、植民地戦争で疲弊した国力と国民を癒し、内政と経済政策・通商政策に注力する事で、我が国の国富を増大させる事に他ならない。
議員諸君、正直に言って、シルヴァニア侵攻は、苦戦している。当初予定していた占領地域と実際の占領地域は、大きく範囲を縮小させている。
忌まわしき対抗同盟の全面的な支援を受けた公国軍は、我が軍の後方連絡線を遮断しようと試みて、数々の奇襲、妨害、遅滞を行っている。
更に、シルパチア山脈に定住している山岳民族も、我が軍に対して山岳戦や坑道戦を仕掛けているというではないか。
我が軍は、それによって、占領地域の拡大に失敗しているし、公国西部の各地に進軍した部隊は、兵站能力が減少し、作戦能力も大いに削がれ始めている。このままでは、我が軍は敵中に孤立したまま、侵攻作戦の継続を迫られるだろう。
しかし、そもそも何故、我が国が公国に侵攻したのかを議員諸君は良く思い出したもらいたい。シルヴァニア侵攻は、単なる『旧帝国領の回収』というだけでなく、共和国との国境画定条約による取り決めの結果でもあるのだ。
我が国は、国是を達成する為に、10年間という歳月を掛けてまで、シルパチア山脈に坑道網を掘削した。
しかし、現在の我が国に、他国を併合する様な余裕などないではないか。国是も条約も重要ではあるが、それ以上に、我が国の安定こそが重要だ。
動員令の発令によって、兵力を増強すれば、侵攻作戦そのものは成功するかもしれない。だが、その先にある未来とは何か?我が国に残ったのは、荒廃した公国の領土だけではないか。
確かに、公国の港湾はとても魅力的だ。我が国は、海洋国家のエリザベス王国、ラホイ王国、ルッテラント連邦の海軍によって、海上交通が制限されてきたし、それを変えたいという思いは至極当然の感情だろう。
公国東部の港湾都市を獲得すれば、我が国は、南部方面のみならず、東部方面の海上交通路にも参加する事ができる。しかし、仮に公国の港湾を使用したとしても、依然として海洋国家の勢力は健在だ。
悔しい事だが、周辺諸国の海軍力に対して、我が国の海軍力はあまりにも脆弱である。議員諸君の中には、我が国とルッテラント連邦海軍との海戦の勝利に歓喜した者もいるだろう。それで、我が国の海軍力に自信を持った議員や市民も大勢いる事だろう。
しかし、保有艦船数とトン数という数値は、我々に冷厳な事実を教えてくれる。即ち、我が国の海軍力は弱小で、それと対峙する海軍力は強大だという事実だ。何を今更言うのかと思うだろう。議員諸君は、不足する艦艇を建造すれば良いと思っているのかもしれない。
だが、海軍力の構築は、一日にして為らず。我が国が造艦競争に参加したとしても、勝利できるとはとても思えない。
勿論、数十年間という時間を掛けて準備すれば、海洋国家に引けを取らない海軍力を持つ事も可能かもしれない。
しかし、優先順位を良く思い出して欲しい。我が国が現在為すべき事は、内政と経済である。軍隊の維持は重要であるが、優先順位を履き違えて、貴重な国家資源を浪費するべきではない!!」
侯爵は、熱弁を振るった有力議員と比して、冷静な議論を展開した。メルケル人は、理性や合理性というものを非常に重んじるから、その国民性に訴えようとしていた。だが、その一方で熱狂的な輿論に流されやすいという、どこの国でも見られる特徴がこの国でも見られた。
そもそも、シルヴァニア侵攻を推進したのは、現政府・現政権である。それが今になって、侵攻作戦の具合がよろしくないから、撤退しましょうというのは筋が通らない。侯爵の反対演説は、何とも端切れが悪いというか、苦し紛れだった。
※※
マルクヴァルト邦国:全州議会の主要議決
①全州議会は、国民から負託された権力を以て、政府及び軍隊に対して、動員令の発令を命じる。
②シルヴァニア侵攻は、我が国の国是である『旧帝国領の回収』と『民族統一』を成し遂げる国家事業である。
③我が国は、対抗同盟によるシルヴァニア侵攻への妨害行為に対して、断固とした決意を示し、行動しなければならない。
④政府及び軍隊は、上記の議決を遵守し、その為に、国家資源を総動員しなければならない。
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