第6章 植民地帝国の残滓

旧エリザベス王国領:王室属領ケイトマン諸島



 日本政府は、旧エリザベス王国の海外領土を処理する必要に迫られていた。エリザベス王国は、植民地帝国として、西大戦洋地域に広大な海外領土を獲得し、植民地から吸い上げた商品を元手に、貿易や金融で国富を築き上げた。



 しかし、栄華を誇った王国の海軍力は半減した。本国艦隊は、日本軍によって撃滅された。残存している部隊は、植民地艦隊・王立海兵隊などの海外領土に駐留する部隊くらいである。



 王国が日本国に敗戦した後も、これらの残存部隊は植民地の治安と防衛任務をよく果たしてはいたものの、いつ列強諸国の軍隊が戦争の残飯に喰らい付くとも知れない。



 日本政府は、もしも他国の軍隊が旧王国領の植民地の新たな主人となれば、海上交通路の脅威になる事は明らかで、死活問題になる事を恐れた。



 政府・軍部は、太平洋戦争に於いて連合軍に補給路を締め上げられた記憶を未だに引き摺っている。戦後の日本海軍が病的なまでに対潜水艦戦(ASW)を重視している様は、何十年も経った今でも変わらない。



 要するに、政府はSLOCs(海上交通路)の要衝に位置する旧王国領の海外領土及び植民地を列強諸国の脅威から防衛する為にも、先取りして占領下に置かなければならない。



 仮に、列強諸国の軍隊が旧王国領の回収を企図し、実際にそれが成功したとしても、日本の軍事力であれば奪還できるだろうが、どちらが優位で、どちらがより費用が掛かるかなど言うまでもない。



 周辺諸国が、軍事行動を選択しないという場合も有り得るが、どちらにしろ、日本海軍が意図して外国商船の脱出を威嚇射撃で以て幇助したのだから、王国海軍第1艦隊が壊滅し、首都が混乱に陥っている程度の情報は伝達されているだろう。



 そして、その情報を基に各国政府が対外政策を変更し、地域情勢を更に不安定化させる可能性もある。いや、不安定化しない方がどうかしている。



 既に、この地域の現状は実力を以て変更されている。日本国は、植民地戦争の荒波に自ら巻き込まれに行っているのだ。



 ケイトマン諸島は、旧エリザベス王国の植民地の一つで、本国から南東に3,000km以上離れた位置にあり、南大戦洋地域の気候に近く、西大戦洋地域と南大戦洋地域の貿易を繋ぐ要衝である。



 王国は、この諸島に対して植民地艦隊に属する第4艦隊の1個フリゲート戦隊及び王立海兵隊の1個海兵連隊を配備していた。



 王国軍が諸島の緊要性に比して、戦術単位程度の小兵力しか配備していないのは、同島の険しい地形が原因である。



 島の面積は広大であるものの、過酷な自然環境が手付かずのまま残っており、好戦的な戦争文化を誇る先住民の部族も多い。



 中継貿易の拠点でありながら、王国政府の支配領域は接岸が可能な一部の沿岸地域やいくつかの山林・山間部に留まっていた。



 日本政府は、捕虜にした高官や軍人から同国の海外領土の概要について聞き及んでいた。



 数多くの海外領土の中で、日本国の脅威となりそうな要衝は、大規模な陸上戦力が駐屯している大陸領土や植民地艦隊・王立海兵隊が配備されている島嶼部である。王国の海上交通路や貿易の拠点は、日本国の海上交通路とは異なる部分もあるが、重なる点も多い(予測)。



 厄介なのは、単純にスタンドオフ攻撃で破壊すれば良いという問題でなく、日本国にとっても要衝・軍事基地として使用できる、あるいは使用したい海外領土がいくつかある事だろう。当初の目標であった戦争遂行能力の破壊からは、大分後退しているが、既に占領政策の面が重視され始めている。



※※



ケイトマン諸島:第4艦隊第1フリゲート戦隊司令部



 司令部に周辺海域の外国海軍の動きが活発化しているという一報が届けられた。首都の第1艦隊が壊滅したらしいという噂が流れる中での出来事であった。



 同様の動きは、この戦隊が担当する海域に限った事でなく、第4艦隊の管轄区域でも見られる。王国の植民地利権を伺うのは列強諸国の海軍と武装商船の一群であった。



 海軍艦船だけでなく、民間の武装商船まで出張っているのは、貿易会社が権益の独占化を企図して、独自の軍事力である会社軍を展開させているからだろう。



 庁舎の執務室から一望できる海岸では、軍艦と商船が忙しなく行き交っている。特に、軍用・商用を問わず、連絡用の高速船が目立っていた。



 諸島を根拠地とする戦隊や支店を置く貿易会社の多くが、周辺情勢の変化に対して、情報収集を密にしているのは当然だった。



 戦隊は、広大な管轄区域を処理する為に、連絡船隊を独自に維持している。司令部には毎日の様に大量の情報が報告されていた。幕僚達は、戦隊司令官(海軍少将)に定時報告をすると共に、本国と周辺海域の情勢についても意見を述べた。



「様々な情報を精査するに、あの噂の確度は相当に高いと思われます。本国に派遣した艦船は、未だに帰港していません」



 報告を受けている司令官の表情は芳しくない。噂が肯定されるという事は、王国を凌駕する国家ないし勢力があるという事に他ならず、諸島の防衛に一義的な責任を負う戦隊の危機でもある。ただでさえ、少ない軍艦を遣り繰りしているというのに、これ以上の稼働率は上げられない。



「噂の真偽はともかくとして、海域がきな臭いのは事実だろう。問題は、我が方の少ない兵力で、周辺に展開する外国海軍の連中を撃退できるかどうかだ」



「海戦となれば厳しいでしょう。しかし、撃退するならばともかくとして、諸島を防衛するだけならば、この島は非常に守りやすいかと思います。兵力を本島に集中して運用すれば良いのでは?」



 司令官は小さく溜息を吐いた。



「そうしたいのは山々だが、我々に課せられた使命は、我が国の商船と交易路を防衛する事が、第一の任務だ。島に引き籠っていては、貿易の既得権を列強諸国にみすみす手渡す事にもなりかねん」



「では、打って出ると?」



「そうは言っていない。先制攻撃をすれば、敵海軍に一撃を加える事も可能だろうが、それは敵の増援を呼び込み、更なる劣勢を強いられるだけだろう。


 いつも通り、海上護衛は実施する。それよりも、本国との連絡が停滞しているのが気懸かりだな。これでは、本国政府に救援を要請できないし、状況も分からずじまいだ」



 彼は無理に話題を変えた。首都を直撃された王国政府が、果たして海外部隊を増派する余裕があるかどうかは怪しい所だった。



「連絡船隊による本国政府への情報網の構築は、現在は停止しています。艦船の消耗は、これ以上は致命的でしょうから。


 但し、本国政府との連絡の再開が最重要なのは言うまでもありませんから、民間船舶の一部を徴用して、情報収集や連絡に当たらせる予定です」



「船舶の徴用を拡大できないか?いざという時の為に、各社の武装商船を戦隊に組み込みたい。外国船籍も強制できないか?」



「我が軍の権限では、自国船籍しか徴用できません。従って、外国船籍を徴用する権限はありません。強制すれば、間違いなく我が国の外交関係に支障を来たすでしょう。それでも、実行する事はできますが、…やりますか?」



 海軍士官にとっては、分かり切った答えだった。当然、問い掛けた司令官もそれは理解している。



 徴用の権限について、文書化された条約がある訳ではないが、慣習法という形式でならば戦時国際法は確かに存在する。例え、度々法律が破られようとも、戦争や戦場の在り方を規定しているのは間違いない。



「合法とは言い難いが、状況が逼迫すれば、やらざるを得ないだろうな。一応、徴用拡大の計画も策定しておけ」



「本当によろしいので?現場レベルで判断できる範囲を超えているかと思いますが」



「良くはないが…構わん。『緊急は法を持たない』と言うだろう?それに、飽くまでも計画に過ぎん。実行するかどうかは、状況如何に由る」



「総督に話を通すべきでは?」



「あの事なかれ主義を極めた官僚にその様な大それた決断ができるとでも?あぁ、それから海兵隊と先住民の連中にも話をつけておく様にしろ。


 どうせ、総督は何も言わない。引退した官僚連中は、ここを観光地か何かとしか思っていないからな。せいぜい、家族と余生を楽しめば良い。我々軍人は、義務を果たすだけだ」



「いいご身分ですよねぇ。全く、羨ましい限りです。ところで、民間船舶に榴弾砲やカノン砲を乗せて、即席の砲艦にする計画もありますが、これには海兵隊の協力が不可欠です。こちらは如何しましょうか?」



「海兵隊の協力というのは、彼らの在庫を我々が拝借するという事か?」



「えぇ、その通りです。第5海兵連隊は、沿岸防衛と島内の平定の為に、2個砲兵大隊を擁しています。当然、整備や予備役の為に、余剰の火砲を保管しているでしょう。閣下には、是非とも海兵隊に掛け合って、それらの火砲と砲兵を借りて頂けないかと」



「つまり、海兵連隊の指揮官に『あるものを寄越せ』とお願いすれば良い訳だな?」



「はい。我々の様な幕僚よりも、直接、指揮官レベルで話を決着させた方が通しやすいかと」



「それに、私の階級の方が上だからだろう?」



「上官の『お願い』は、部下にとっては『命令』ですから」



 司令官は、部下の言い草にその通りだと笑みを浮かべた。



※※



ケイトマン諸島:王立第5海兵連隊本部



 周辺海域の情勢変化に頭を悩ませているのは、フリゲート戦隊だけではなかった。諸島に駐屯する海兵連隊も、それは同様であった。



 海兵連隊の意義は、列強諸国の上陸作戦を阻止する為の防波堤であるが、実際には、好戦的な先住民の部族から海軍基地などの根拠地を防衛する事が任務の大部分を占めている。要するに、連隊は先住民への対応に手一杯で、とても他の任務に割けるだけの人的な余裕はない。



 王国が植民地帝国としての体裁を一通り整えると、王国海軍に海戦を挑む様な輩は激減した。その様な時代の変化に於いて、海兵連隊の役割が変質するのは当然だった。



 本来、海岸防衛を担務すべき沿岸砲兵の仕事が礼砲ばかりとなったのも、海域が平穏に保たれる様になったからだろう。



 大陸からあまりにも距離が遠すぎるが為に、列強諸国の激しい植民地戦争の惨禍から難を逃れているのが、今回ばかりは逆効果となった。



 軍事力の劣る先住民との戦いによって、海兵連隊は士気が著しく低下している。軍事法規に雁字搦めになっている王国軍に対して、独自の規範を持つ先住民はその様な事情など一切斟酌せず、あらゆる手段を用いて、こちらの兵力と士気を挫く為に、数々の残虐行為を嬉々として行っている。



 「大国は小国に勝てない」と戦略家は言うが、それは巨大な官僚機構と化した大国の軍隊と、一方で小回りの利く小国の軍隊の機動力を比較すれば理解できるだろう。



 先住民との戦いは、いわゆる低強度紛争の一つであるが、異民族との戦争経験が豊富なはずの王国軍が苦戦しているのは、彼らの戦術や戦闘教義が通用しないというのもあるが、それ以上に、マスケットを装備する戦列歩兵が全く役立たないからでもある。



 王国軍は、異民族の討伐に際して、森林地帯などから平原へと誘導して、大兵力を以て会戦で殲滅する事が常であった。



 しかし、諸島には大規模な兵力を展開できるだけの広さを持った平地は一つもない。森林を切り開いて、会戦が行えるだけの平地を開発すべきだとの意見が軍部にはあったが、実際に建設工兵を派兵してみると、先住民の激しい軍事的抵抗に遭い、あっけなく中止されたままとなっている。



 連隊本部にフリゲート戦隊司令官の一行が訪れたのは、午前の終わり頃であった。応対した連隊長は、司令官一行をあまり歓迎していない様で、仕事の邪魔だと言わんばかりの態度であったが、司令官は特にその態度を咎めようとはしなかった。



 元来、海軍の本流である水兵と、陸軍の文化を継承する海兵隊は反りが合わない。海兵隊がどんなに武勲を積んだとしても、決して海軍司令官を出す事はない。海兵隊の士官の中には、海軍から組織を独立させる事を主張する者達が無視できない勢力を築いている。



 そして、連隊長はどちらかと言うと、海兵隊の独立を支持する一派に属していたから、海軍将兵とは一定の距離を置いていた。連隊長は、司令官に対して飽くまでも慇懃無礼な態度を崩さなかった。



「これはこれは、少将閣下。本日はどの様なご用件で?これから仕事がありますので、できれば手短にして頂きたい」



「火砲と砲兵を借り受けたい。戦隊は、防衛力を増強する為に、民間船舶を徴用して、軍艦として運用する計画を策定している。予備役で良いから、こちらに何とか回せないか?」



「それは無理な相談ですな。必要のない砲兵など我が連隊にはおりません」



「いや、予備の榴弾砲ぐらいはあるのだろう?」



「勿論、予備役や整備補給の為に、一定の火砲は常に備蓄してありますが、それは、船舶を武装化する為に用意した訳ではありませんよ。仮に、連隊の砲兵を軍艦や商船に乗艦させた所で使い物になるかどうかは非常に怪しい。


 地上と海上とでは、大きく地形の前提条件が異なる訳ですから、砲兵に要求される技術や経験も又違うものになるのは言うまでもないでしょう?試しに、閣下の砲手と自分の砲兵を交換してみますか?そうすれば違いが明確に理解できるしょうね」



「両者の違いは良く分かっている。それでも、借りられないか?」



「先程も申し上げた通り、無理です。この島の平定に於いて、砲兵は欠かす事のできない兵科です。マスケットが使い物にならない樹海では、砲兵による火力支援こそが最大の攻撃なのです。本国や海外領土に駐留する砲兵部隊よりも、我が連隊の砲兵の方が、遥かに優秀でしょう。


 見えない敵兵に対して、砲兵は日頃から間接照準射撃を行っております。指揮官が練度の高い将兵を手放すはずがない。閣下は、自分に軍艦を貸せと言われて、貸しますか?どうせ、貸さないでしょう?」



 それはその通りだ。思わず同意しそうになった司令官は、その言葉を呑み込んだ。



「…命令としてもか?」



 連隊長は、司令官の言に鼻を鳴らした。



「命令の根拠はどこにあるのでしょうかね」



「私の階級の方が上だろう?」



「確かにそうですが、階級が上だからと言って、自分の上官であるとは限らないでしょう?そもそも、連隊に対する上級の指揮権は総督にあります。


 閣下には、我が連隊に対する指揮権はありません。火砲と砲兵を借りたいのならば、自分にでなく、総督閣下に話を通すのが良いでしょうね」



「…文官の総督は、軍事など理解できないだろう。総督府に持ち込んだ所で、放置されるのがオチだ。それならば、指揮官同士で決着させた方が早い」



「まぁ、総督とその取り巻き連中が使えない事には同意しますけれども。総督府の官僚共は一体何をしているのやら」



「いつも通りだ。公務をさぼって、海辺で涼んだりしているぞ。家族同伴で、昼間から堂々と遊んでいやがる」



「火砲と砲兵を貸与する件ですが、総督府を砲撃するというのならば、喜んで貸し出しますよ」



 司令官と連隊長は、一様に下卑た笑みを浮かべた。



「おぉ、それならば、臼砲艦の射撃練習にもちょうど良いかもしれん」



「総督府は、やたらと大きくて、豪奢に装飾がされていますから、少しぐらい射撃の的にしても良いでしょう」



「なるほど、それで予備の火砲は貸してくれるのか?」



「それとこれとは別ですよ。何度、催促されましても、無理なものは無理です」



「だが、外国海軍に制海権を奪われれば、この辺鄙な島には補給すらままならないだろう。海を守る事は、島を守る事だと思わないか」



「いや、海を守ったところで、陸上を奪われれば、元も子もないでしょう。自分は、先住民から支配領域を死守する事こそが、最優先であると信じています。陸を守ってこそ、海を守れるというものです」



 結局、二人の指揮官の交渉は平行線を辿り、交わる事はなかった。



※※



ルペン共和国:略史



 王国が海洋国家であるのに対して、共和国は大陸国家であり、当然にその利権と領土的関心は大陸領土を中心とするが、一方で、強力な海軍力を擁するエリザベス王国と海洋を隔てた隣国でもある共和国は、陸続きの敵対国家のみならず、海洋国家との直接対決も覚悟しなければならない地理条件にある。



 だからこそ、共和国軍は、敵対する大陸国家と海洋国家の双方を仮想敵国とする為に、陸海軍の両軍を常に高い練度で維持しなければならず、その不断の努力を怠れば、神聖な領土を外人の軍靴で穢される事になるだろう。



 従って、共和国の対外政策は、市民革命が起こる以前の王政時代と変わらず、大陸国家と海洋国家の軍事同盟の成立を妨害する事で、陸と海から挟撃される事態を阻止し、更に、最強の陸軍国家と海軍国家からの侵略に対抗できる軍隊を保持する事がなによりも優先される。



 共和国と王国は、幾度となく海戦や植民地戦争を戦い合ってきたが、殆どの戦争や戦闘では王国軍が優勢で、共和国軍が優勢を維持できた数少ない戦いは、王国の大陸進出に対する防衛戦争であった。



 侵略戦争と自衛戦争の境界は曖昧だが、それでも敢えて分類するとすれば、共和国の侵略戦争は敗戦を重ねた歴史そのものだ。



 しかし、市民革命を実現した共和派の国民戦線は、同国の中央集権体制を残しつつも、封建的な社会制度の近代化に成功した。これまで市場を独占してきたギルドを排除・解体し、所有権の保護を強化する事で、公正な自由市場を作り上げ、国家の経済力を飛躍的に向上させた。



 経済力の拡大は、産業革命によって既に為し得ていた側面もあるが、一方で、その急激な技術の発展についていけない近世社会の限界も露呈する様になっていた。



 技術革新が起こったからと言って、国家や地域がいきなりその技術に適応できる訳ではない。寧ろ、急激な変化に適応できず、社会が保守化し、老齢の大国が新興国に滅ぼされる歴史を繰り返してきた。



 結果論ではあるが、例え市民革命が勃発しなくとも、産業革命と身分制は、近世という一つの時代をその先へと進ませる歴史のプレートだったのだろう。ルペン共和国は、その答えを個人の自由権に求めて、革命という形で矛盾を解消した。



 勿論、革命の全てが成功した訳ではないし、その理念が揺らぐ事もある。無産階級は依然として無産のままであるし、王族は処刑されたものの、貴族や富裕市民などのエリートは温存された。君主制から共和制に転換しても、少数支配の鉄則は有効だ。



 それでも、有産であろうと無産であろうと、共和国の国民であり、国家は国民の生命財産を防衛する為に存在するという共通の意識が芽生えた事で、国民軍であるルペン軍の士気は旺盛であった。



 周辺諸国よりも人口が劣勢であった共和国は、その愛国心と国家主義によって国防政策をなんとか成立させている。



 君主の命令によって戦地に送られるのと、国民が直接選挙した元首によって統率されるのは、どちらが軍人として国民として幸福なのだろうか。皮肉屋は、どちらの運命も戦争の勝敗に左右されており、大した違いなどないと批判するかもしれない。



 それはその通りだろう。結局の所、自由と不自由は表裏一体なのだから。近代国家というものは、即ち、国民主権という神話によって我々の幻想の中にある。



※※



ルペン共和国:国防省海軍局



 国防次官に対して、海軍局長と同局の担当課長がエリザベス王国の情勢について報告していた。共和国政府は、海軍の艦船や商船隊がもたらしたという情報について注目し、且つ憂慮してもいる。国防次官は、担当課長に対して情報の真偽や確度について尋ねた。



「我が国のみならず、外国の商船隊からもヴィクトリア市が攻撃を受けたとの証言を得ています。相当数の商船が現場に居合わせていた様です。


 仮装商船(外国籍に偽造した偵察艦)の報告も、王国海軍第1艦隊の壊滅を裏付けるものです」



「…第1艦隊は王国海軍の最精鋭だろう。それが壊滅だと?」



「えぇ、壊滅したそうです。何でも、侵攻艦隊は王国以外の艦船に対しても威嚇射撃を行う余裕があったとか。


 報告を寄越してきた船長の中には、艦隊の壊滅よりも自船に向けられた砲口の方が印象深いとも言っていましたね」



「王国の具体的な被害状況は?他の艦隊や部隊はどうなっている?」



「正確な状況は分かりません。どうやら、侵攻軍が情報を規制している様で、こちらが派遣した軍艦や仮装商船は全て消息を絶っています。


 しかし、ヴィクトリア市の現状は明らかでしょう。首都は既に陥落しているものと見做すのが相当かと思います。


 その他の王国軍の状況も分かりませんが、王国の植民地軍は活発化している様です。恐らく、本国政府との連絡を試みているのでしょうね」



「我が国にとっては、如何ともし難い事態だな。王国と相討ちしてくれるのならばともかく、王国軍を圧倒する軍事力となると、最早、我が国では手に負えないだろう。その侵攻軍が強力な陸軍を保持していない事を願うしかない」



「完全な情報封鎖は難しいでしょうから、時間が経てば、詳細な情報が入手できるかもしれません。 それに、侵攻した外国にしても、周辺諸国の情報は喉から手が出る程欲しいでしょうから、国交を樹立できる可能性もあります。


 我々の友人となるか、それとも敵となるかは現段階の情報では判断がつきません」



「敵の敵は味方だとでも言うつもりか?国際政治はそう単純ではないだろう。敵の敵も敵になるのが、国際場裏というものだろう」



「ですが、仮に我が国と敵対するにせよ、王国を併呑するのには相当の年月を要するのではないでしょうか?


 我が国はその間に、列強諸国を味方につけて包囲網を敷いても良いし、あるいはその新興国と同盟を結んで周辺諸国に対抗しても良い訳です」



「それでは、他国の反応はどうなっている?まぁ、半信半疑だろうがな」



「王国に利権を奪われた海軍国家は虎視眈々と失地回復の機会を伺っているでしょう。しかし、大陸諸国の殆どは様子見の姿勢です。


 例えば、マルクヴァルト邦国を含む旧メルケル帝国の分邦国は静観の構えですが、海洋国家のラホイ王国やルッテラント連邦は自国の海軍部隊を派兵する準備を進めています。


 しかし、マルクヴァルト邦国は我が国との係争地帯を抱えていますから、大陸国家の介入も否定できません。


 侵攻軍の素性が知れない以上、我が国は東部正面に更なる兵力の展開を強制される事になり、それでは邦国との国境地帯が手薄になりかねません。


 もしも、我が国が西部正面の兵力を東部に移動すれば、邦国がそれを見逃すはずが無く、国境警備の空白地帯に勢力を伸張しようと試みるに違いありません」



「兵力の劣勢を補う為には、更なる動員が必要だが、それによって邦国に不用意な緊張を強いるかもしれない。全く、困ったものだ」



「国境警備は陸軍の管轄ですから、これ以上の情勢判断は、陸軍局と交えてやるべきです」



「勿論だ。その為に、陸軍省と海軍省を統合したのだからな」



「省庁を統合しても、仲の悪さは相変わらずですが」



「それは、どこの国の軍隊でも同じだろう。良くも悪くも、我が国は最強の陸軍国家と海軍国家に挟まれているから、陸海軍の均衡が保たれている節がある。


 それに比べれば、マルクヴァルト邦国は周辺を全て陸軍国家に囲まれているから、陸軍の権勢が圧倒的で、海軍の勢力は弱小だ。陸軍からの独立と編入を繰り返している歴史で、陸軍に恨みつらみがあるのは想像に難くない。


 実際、邦国の陸軍と海軍はいつも国王から不仲を注意されているらしい。それでも、一向に関係が改善されていない。寧ろ、関係改善の為に海軍司令官になった王子が陸軍に喧嘩を吹っ掛けている有り様だ」



「…そんな状態で戦争ができるのでしょうか。我が軍でも撃破できそうな状況ですが」



「陸海軍が不仲でも戦争はできるだろう。何せ、陸軍と海軍という区別があった時代から既に戦争は記録されている訳だしな。


 それに、邦国は何だか言っても軍事大国だ。いざ、戦争となったら国王の指導力の下で、結束するだろう。我が軍にとっては、望ましくないがな」



「政権はどう対応するのでしょうか。既に、総統や大臣にも一報されているはずですよね?」



「本音では他の大陸諸国と同じ様に静観したいだろうな。しかし、海を隔てたとは言え隣国の事変に影響を受けずにはいられないだろう。そうなると、軍事的であれ、外交的であれ、何らかの形で介入せざるを得ない。


 閣僚の一部は、王国の植民地、特に大陸領土の奪還を声高に叫ぶだろうが、果たして、王国に侵攻した外国勢力がその火事場泥棒を許すかどうか。


 王国の海外領土に対する統治権も当然ながら、主張するだろうし、主張を裏付ける為に実効支配を進めるだろう。少なくとも、私が侵攻軍の司令官ならば必ずそうする」



 国防次官は、王国情勢を悲観的に予測してみせた。西大戦洋地域の海洋秩序を支配してきた植民地帝国の崩壊は、新しい帝国主義国家の出現と植民地戦争の更なる激化へと繋がる。海軍局長と担当課長も同意した。



「王国の敗北は、新たなグレートゲームの開幕となるでしょう。各国は、王国の海外領土に触手を伸ばそうと策動するはずです。


 我が国にとっても、植民地を拡大する絶好の機会ではあります。とは言え、その他の列強諸国を相手取る体力が果たしてあるかどうか…」



「王国の海軍力は、第1艦隊が壊滅したとは言え、まだ植民地艦隊が残っているかもしれん。正直な所、王国の艦隊一つだけでも我が国の海軍にとっては十分に脅威なのだがな」



「海洋国家と同盟を結び、王国の海外領土を『回収』する方策もあるのでは?」



「それは、政治問題だろう?省庁レベルで決められる事ではない。それに、我が国の政治体制とイデオロギーは周辺諸国とは決定的に相容れない。


 外務省の連中は使い物にならない。連中は、やれ共和制だの、『自由の十字軍』だのと現実よりも理想を優先している嫌いがある。


 そもそも、他国の外交官の殆どが貴族出身だろう?庶民出身が多い我が国の外交官達とは感情的にも反りが合わない」



「政権は、貴族出身の外交官を冷遇していますからね。新しい外交官連中は、外交官というよりも活動家ですよ」



「その外務省の尻拭いをさせられるのは、我々なのだがな。全く、素人に外交を委任するなど正気の沙汰ではない」



 国防次官は、その後も外務省に対して不満を洩らした。共和制の輸出という理想に燃える外交官連中の相手など誰もしたくはない。リアリストの軍人とリベラリストの外交官は、最悪の組み合わせだ。結局、理想の代価を払うのは外交官でなく軍人なのだから。




※※



ルペン共和国:陸海軍合同会議



 合同会議は、議長である国防大臣の臨席の下で開催された。出席者は、陸海軍の軍令及び軍政機関の最高幹部達だ。



 会議は、陸軍と海軍が向かい合う様に対峙するのでなく、巨大なラウンドテーブルを中心としてオブザーバー・秘書官用の椅子が囲む様に配置されていた。



 どこの国でも、陸海軍は不仲と相場が決まっているらしいが、こと共和国軍ではその不仲を解消させる努力が見られる。



 それは、国境の東西を軍事大国に挟まれているからでもあるし、「国民軍」を目指す共和国政府の理想の体現でもあった。



 言わば、二つの軍事大国に対抗する為に陸海軍の連携が欠かせないという「現実」と、全ての国民の連帯を目指すという「理想」の二つの政治的要求が合致したに過ぎない。 



 それでも、人口の上で兵力の劣勢を強いられている共和国軍は、この厳しい国際情勢の中で国家を存続させてきた事は確かだ。陸海軍の連携が覚束ない外国軍よりも、機動力の点で優れているのは当然の結果だろう。



 共和国軍は、市民革命の阻止を目標として武力占領を企図した外国軍に対して、階級と軍種の垣根を越えて領土の死守に成功したのだ。マルクヴァルト邦国との係争地帯であるオランド州・マクロン州を奪回できたのは、国民軍の高い士気と連携があればこそだ。



 会議が開催された目的は、陸海軍の情勢判断を調整し、国防省としての統一見解を導き出す事にあった。国防政策の最終権限者である共和国総統に、適切な情報を供給し、合目的な政策決定を促さなければならない。



 勿論、ここで言う合目的とは「共和国と国民の生存権を確保する」事に他ならない。こういった類の会議は、しばしば不定期に開かれた。



「ではまず、陸軍側の情勢判断から報告をお願いします」



「陸軍では、今般の国際情勢について非常に危機感を抱いている。植民地戦争に於いて、我が国は劣勢を挽回できずにいる。原因は明らかだ。


 政府は、国内問題に掛かりっきりで植民地の拡大に否定的だからだ。我々が兵力の更なる投入を訴えても、政府は取り合ってくれない。


 しかし、陸軍として列強諸国の熾烈な競争に打ち勝つ為にも、より積極的な攻勢を仕掛けるべきではないかと意見具申したい。


 現状の防衛的な編制と教義では、戦争に勝利できないだろう。各国が植民地戦争で鎬を削る中にあって、我が軍はどうしても出遅れている感がある。


 その様な情勢の中で、不幸中の幸いと言うべきか、宿敵であるエリザベス王国の首都が陥落したらしいじゃないか。


 何でも、最精鋭の第1艦隊が海中に沈んだとか。我が軍が目指すべきは、王国の植民地ではないか。連中の防衛態勢が揺らぐのは間違いないのだから、是非とも、我々が新しい植民地の統治者となるべきだ。


 陸軍は、動員令を発動し、更なる兵力の拡大を政府に要請したい。そして、我々に植民地戦争の先鋒を務めさせて欲しい。これは、共和国の思想を各国に輸出する上でも必要な事だと確信している」



「陸軍は一体何を言っているのか!我が国にその様な余力などない!とにかく今は内政に注力すべき時期だろう!!」



「余力なら十分にあるだろう。周辺諸国と比較すれば、我が国の政治体制は安定化しているし、国民所得も格段に向上している。


 最早、内政を重視する時期は脱したと見るべきだ。国内で余剰となった経済力を海外に移せば、更なる経済発展も見込めるだろう。


 しかし、その為にはまず、列強諸国との植民地戦争に勝利しなければならない。そうでなければ、海外への投資は安全に行えない。我が国の安全は、植民地帝国として君臨する事でしか得られない」



「陸軍が言う様に、もしも我が国が積極的な攻勢作戦を行えば、一時的な安全保障は確立されるかもしれない。


 しかし、それは飽くまでも一時的な平和だ。所詮、恒久的な平和ではない。我が国が植民地戦争に積極的になればなるほど、列強諸国は一致団結して我が国の海外権益を締め出そうと画策する事だろう。


 それのみならず、対ルペン同盟を結成し、侵攻するかもしれない。実際に、周辺諸国が徒党を組んで、武力占領、つまり反革命戦争を始めたではないか。それを忘れたのか?陸軍は最前線で防衛に努めてきただろう」



「無論、列強による軍事介入を忘れた訳でない。当時、自分は現場の指揮官として防衛したが、だからこそ、逆侵攻すべきだと強く認識できたのだ。


 我が軍の機動力を生かせば、旧時代の軍隊など粉砕できる!!今こそ、勢力を拡大する好機ではないか!!」



「それは…政府の方針とは全く相容れないのでは?経済力が回復しているのは事実ですが、流石に、全ての周辺諸国を敵に回すだけの兵力は養えないでしょう。それとも、内政に注力するという現行の政策が間違っているとでも?」



「…政府の方針を批判したい訳でも、間違っていると言いたい訳でもない。ただ、…いい加減、外敵の脅威を取り除くべきだと言いたいのだ。我が軍の能力であれば、十分に外敵を排除できる。そして、その機会は今を措いて他にない。


 一部の外国軍は、我が国への侵攻を通して軍制改革の必要性を痛感しているらしい。このまま手を拱いていれば、遠からず、我が軍と同等以上の組織を構築しかねない。


 他国が軍制改革に着手するかどうかという時期だからこそ、先制攻撃によって我が国の安全保障を確立すべきなのだ」



「陸軍局長の意見も分からないではない。しかし、その意見は明らかに一部局の情勢判断を超えているのではないかね?


 ここで議論すべきは、飽くまでも国際情勢への認識であって、軍事作戦の正否などではないだろう」



 国防次官が、陸軍局長をそう窘めるが、彼は止まらなかった。いや、止まらなかったというよりは、寧ろ、更なる発言の機会が与えられた。それも、彼らの上司である国防大臣が促したのだ。



 大臣は、陸軍局長に対して彼の主張を一通り吐き出させるつもりらしい。次官は困惑しながらも、大臣の許可という権力におとなしく引き下がった。大臣の援護射撃を受けてなのか、陸軍局長は、更に語勢を強めた。



「我が国の思想を各国に輸出する為にも、外征を行うべきだ!!市民革命の理想を大陸の隅々まで行き渡らせるべきだ!!我々が『自由の十字軍』となるのだ!!我が軍が各国を開放しようではないか!!!!」



「陸軍は大陸諸国を制覇しようとでも言うのか!!無理だ!!とても我が国の国力で為し得る事業ではない!!」



「では、他に手段があるのか?他国は、殆どが君主制を維持している。王族を処刑した共和国に対する視線は依然として厳しいままだ。


 通商分野では今の所、現状が維持されているが、それが砂上の楼閣に過ぎない事はここにいる諸官が理解しているはずだ。内政を重視するのにも限界がある。何れは、国外に打って出なければならない。内需の開発は安定している。


 だからこそ、次は外需を開拓すべきだろう。しかし、我が国の政治体制と政治的イデオロギーは、残念ながら、他国に白眼視されている。このままの状況では、とても貿易や対外投資を拡大できないのではないか?


 そもそも、貿易に於いては、マルクヴァルト邦国やエリザベス王国の経済力が我が国よりも優位に立っている。この現状を打開する為に必要な手段は、一つしかない。それは、戦争だ。戦争によって、共和制を輸出し、我が国の勢力圏を構築するべきだ」



「…陸軍局長は戦争経済に頼るべきだと?」



「いや、断じて違う。戦争そのもので得られる経済効果など限定的だろう。戦時需要は、国家経済の全体としては赤字ではないか。


 自分が言いたいのは、『共和制の輸出』を通じて、我が国独自の帝国をこの大陸に打ち立てるべきだと言いたいのだ」



「なるほど、勢力圏を拡大しようとする意見も理解できる。しかし、何も戦争に頼る必要はないだろう。このまま、我が国の経済力が向上すれば、遠からず、商品の生産能力が列強諸国を圧倒するはずだ。


 その時機を伺って、戦略的に忍耐すべきではないかね?我が国は、軍事的でなく、経済的に他国を侵略すべきなのだ。即ち、他国の『領土』でなく、『市場』を攻略すべきだろう」



「それは正論だが…、列強が悠長に事を構えているとも思えない。先程も言ったが、他国の一部には我が国の軍制を参考に、改革を進めようとする兆しが見られる。特に、最大の仮想敵国と言えるマルクヴァルト邦国の軍部にその傾向が顕著なのだ。


 このまま、我が国が周辺諸国の軍制改革を座視すれば、その牙は共和国へと向けられるに違いない。経済的な侵略では遅すぎるのだ。軍事的な一撃を加える事でしか、我が国の安全は維持できない」



 陸軍側がこうも強硬なのは、危機感があるからだ。陸軍の最大の仮想敵であるマルクヴァルト陸軍は、共和国軍の軍制や戦術を学習しつつある。



 もしも、兵力で劣る共和国軍が、優勢な点である軍制・戦術・士気の側面で劣勢を強いられる事があるのならば、それは即ち敗北と同義だ。



 列強諸国との経済戦争で優位に立つという政府の方針は、陸軍にとってはあまりにも遅すぎる。国境警備の最前線で、国防を担う陸軍だからこその危機感が、彼らを主戦論へと駆り立てる。



 一方、海軍の危機感は陸軍よりも大きくはなかった。



 彼らが主に相手をするのは、エリザベス王国海軍の第3艦隊で、現存艦隊を維持する王国海軍に対してルペン海軍は常に艦隊の排水量で大きく差を付けられていたが、圧倒的な海軍力を擁するエリザベス王国によって、西大戦洋の海洋秩序が保たれていたから、海戦を意識する様な機会というのは実際にはかなり少ない。



 正体不明の侵攻軍によって、王国海軍の勢力は大きく減少したと推測されるものの、それでも、依然として海洋秩序の支配者である事に変わりはない。王国海軍の具体的な戦力見積もりが評価できない以上、安易に海戦を決意できるはずもなかった。



 言うなれば、王国政府は積極的に現存艦隊の海軍戦略を選択したが、共和国政府(それ以前の王政時代でも)は王国政府の海軍戦略に追随する消極的な形で事実上の現存艦隊的な運用をせざるを得なかった。



 それは、現在でも変わらない。兵力の劣勢は、陸軍よりも海軍の方がより深刻だと言える。それ故に、海軍が戦争に消極的なのも無理はない。



「こちらから侵攻すれば、他国からの支持や理解は得られない。却って、亡国への道に進むだけだろう。陸軍の危機感も分からないではないが…、例え大陸諸国が軍制改革を実行できたとしても、我が国の軍事力であれば、十分に防衛できるはずだ」



「それでは遅いと言っているのだ!共和国に残された時間は僅かだ!だからこそ、我が軍は機動力を生かした先制攻撃で相手の機先を制するべきなのだ!


 いいか!!大戦洋地域の勢力均衡が崩れかけている今だからこそ!!致命的な一撃を敵国に加えるだ!!それ以外に、我が国が生存する未来はない!!」



 陸軍側の強硬な姿勢に、国防次官と海軍側は困惑を隠せなかった。海軍局長は、陸軍局長を説得するも、彼らの強硬論は鎮まらない。合同会議の開催によって、陸海軍の情勢判断を統一するどころか、寧ろ、両軍の亀裂が深まるばかりだった。



 しかも、国防大臣はどうやら陸軍の主張に共感しているらしい。そうでなければ、陸軍局長の演説とも取れる過激な意見を続けさせようとはしないだろう。



 合同会議の目的は、情勢判断の統一にあると説明されていたが、それは国防大臣と陸軍の主張を陸海軍の統一見解として政権に提示する事が本当の目的ではないのか。国防次官と海軍局は、そう疑わざるを得なかった。



 しかし、海軍の政治力は陸軍よりも低く、大勢の陸軍将校が革命の主要な勢力として、閣僚や高官などの要職を輩出している。そうした背景があるから、陸軍が政府内で発言力を持つのは当然だ。



 国防大臣が戦争に乗り気という事は、元首たる総統や他の閣僚も同調しているという事でもあるのか。それは判断が付かないが、何れにしろ、この国が戦争へと近づいている事は確かだろう。



「陸軍として、海軍にお願いしたいのは、陸軍の情勢判断を共有して欲しいという事だ。このまま、列強諸国の軍備増強を座視すれば我が国に生存の道はなく、それ故に、我が国は周辺諸国に対する先制攻撃によって、勢力圏の拡大を図り、革命の理想を輸出する事で、イデオロギーの統一を成し遂げ、他国からの侵略の可能性を低減せしめるのだ。どうか、陸軍の危機感を海軍にも理解してもらいたい」



「…大臣のお考えは如何なのか?閣下も先制攻撃に賛同されると?」



「陸軍が主張する様に、開戦すべきだと思っている。しかし、政権内でも戦争政策を採るか、経済政策を採るかは意見が割れている状態だ。だからこそ、国防省は一致団結し、政府内の主戦派として、政治的な影響力を握るべきだろう。


 どの道、戦争は避けられないのでないかな?既に、地域の勢力均衡は変更されつつあるというのが私の情勢判断だ。


 つまり、どの国にとっても、開戦に踏み切る絶好の機会だと捉えるはずだ。我が国がその動きに乗り遅れてはならない。人口で劣るからこそ、常に敵国の行動よりも先んじるべきだろう。我々が、やられる前にやり返すのだ。


 それに…、植民地防衛の問題もある。我が国の植民地はそれ程多くはないが、それでも、少なくない国民が今も暮らしているのだ。植民地戦争が激化する中で、現在の消極的な国防政策が有効だとはとても思えない。


 いいかな?我が国は、共和国だ。市民革命を実現した共和国なのだ。共和国の理念は、国家と国民を防衛する事だ。


 現地の自国民を保護する上でも、我が国はより積極的に、列強諸国の植民地戦争に参戦すべきだ。共和国軍は、国家と国民を死守すべきだ。


 そうでないならば、共和国も、政府も、軍隊も必要ない。今こそ、『自由の御旗』を掲げるべきだ。それでこそ、共和国は、自由を愛する国家として歴史に名声を残すだろう」



 つまり、国防大臣も主戦派という事だ。海軍にしても、軍人として陸軍が抱く列強諸国への恐怖感は理解できる。



 国境地帯で仮想敵国の陸軍と対峙する形の陸軍は、いつ何時、敵軍が侵攻してくるかどうか気が気でないだろう。周辺諸国の軍制改革や軍備増強は、陸軍の恐怖感と危機感に拍車を加えている。彼らの言い分にも一理ある。



 しかし、海軍は譲歩しなかった。陸軍だけが戦争を行い、海軍には何の影響もないなどと楽観するつもりはない。その様な楽観は妄想と誹られるべきだ。陸軍が開戦するというのならば、海軍も戦争に突入するのは、国際情勢の変化を踏まえれば明らかだった。



 植民地戦争では、陸軍のマスケットと海軍の戦列艦が主役なのだ。共和国が植民地戦争へと本格的に参戦すれば、間違いなく海軍にも動員令が命じられるだろう。しかし、果たして現在の海軍が列強諸国の海軍を相手取って勝利できるだろうか。



 共和国海軍は、大陸国家の海軍よりも強力な勢力を誇るが、海洋国家の海軍よりも劣勢である事を強く認識している。従って、列強諸国との全面戦争に突入すれば、海軍が海洋国家による軍事介入を危惧し、主戦論に反対の論陣の張るのも不思議ではない。



 共和国の本格的な参戦は、繊細且つ微妙な国際政治の遡上で成り立っている軍事的均衡を崩壊させる。陸海軍のどちらも、一定の合理性や実際の安全保障環境を背景とした主張であるから、意見の正否は付け難いものだった。



 それでも、政治家はどちらかの意見を選択しなければならない。そして、その責任を負う国防大臣は海軍の説得にも関わらず、主戦論へと傾いていた。



「大臣、陸軍は初戦では優勢かもしれませんが、海軍はそうならないでしょう。王国の第1艦隊壊滅は、海洋国家の方が注目しているはずです。


 王国に抑えつけられていた海洋国家は、必ずや、その間隙を縫う様に、海軍部隊を展開させる事でしょう。


 つまり、我が海軍が、海洋国家が誇る精鋭の海軍と交戦状態に陥る可能性も否定できません。陸軍ならばともかく、現在の海軍に複数の海軍と交戦できる状態ではないでしょう。どうか、ご再考下さい」



「…我が国が開戦に踏み切れば、海戦では不利だという事か?」



「仰る通りです。それも、圧倒的に不利な立場に追い遣られるでしょう。海軍との交戦が想定される敵軍の総排水量は、我が軍の8倍から9倍以上です。戦争で、軍艦を悪戯に消耗すべきではありません。


 王国の第3艦隊の如く、我が国も現存艦隊を維持して、周辺の海軍への牽制とすべきです。それが、正しい海軍戦略であります」



 国防大臣は、暫し沈黙した。海軍の反論に、思わず納得してしまったのだ。



「…戦場を陸上だけに限定できないのか?陸軍だけならば、勝機もあるだろう」



「それは、難しいでしょう。我が国による先制攻撃は、必ずや、列強諸国の対ルペン同盟の結成を招き、全面戦争へと舵を取るはずです。我が国が、限定的な攻撃と見做しても、他国にはその意図は分かりません。


 現地の外交官が必死にその意図を伝達しようにも、外務省にその能力があるとはとても思えません。外交官連中は、活動家然としていますから、君主制国家の宮廷にはとても受け入れられないでしょう。


 限定的な戦争には、相手方にこちらが全面戦争に踏み切る意図がない事を明確に伝達できる外交チャンネルが必要ですが、それは期待できません。そうなると、周辺諸国は、共和国が再び革命戦争を決意したと受け取るでしょう。


 そうであるならば、我が国は内政基盤を強化する事に全力を注ぐべきです。今が戦争の好機なのでなく、寧ろ、その逆でしょう。


 つまり『戦は他人にさせておけ』という諺の通りです。列強諸国が戦争をしている間、我が国は必要な軍備を整えつつも、経済成長で国力をつけて、経済力で列強諸国を圧倒すべきなのです。戦争を始めるのは、十分に国力を回復してからにすべきです」



「それではまるで、海軍は列強諸国の軍制改革を座視すると言っているのと同じではないか。各国が我が国の軍制に追い付いていない今だからこそ、戦争すべきだと陸軍は主張しているのだ」



「えぇ、そう受け取ってもらっても構いません。海軍としては、周辺諸国の軍制改革など放置しても構わないと考えています。


 仮に、我が国と列強諸国との間で再び革命戦争が勃発すれば、各国軍は軍制改革を断行するでしょう。戦争をしようがしまいが、各国は我が国の軍制に追い付き、あるいは追い越すでしょう。


 しかし、それは我が国も同じ事です。彼らが我々から学び取る様に、我々もまた学び取るでしょう。彼らが我が国よりも優れた戦術や軍事技術を運用すれば、それは我が国もそれを学習し、吸収するのです。


 それが、戦争の原理というものでしょう?お互いに戦えば、戦うほど、お互いは似てくるものです。その原理を当て嵌めれば、共和国が参戦するかどうかなど、大した違いはありませんよ」



 今度は、国防大臣と陸軍局長が困惑する番だった。士官学校で必ず教わる戦争の原理を、海軍局長が持ち出してきたからだ。一瞬、何と言葉を返せば良いのか分からなかった。



※※



日本政府:首相官邸



 首相官邸の執務室に、極少数の国防関係者が集合した。彼らは、軍人であるが制服を着用せず、背広を纏っている。傍目には、一般職の官僚と区別がつかないだろう。それでも、その背広の内側に隠した筋肉はやはり軍人のそれであった。



 統合特殊作戦コマンドの幹部である彼らにしてみれば、一般人を装う事など造作もない。勿論、この秘密会合は、日刊紙の首相動静には掲載されない。



 幹部の一人である法務大佐が、首相に一枚の公文書を手渡した。そこには、特殊作戦軍の意匠と署名欄のみがあるだけだった。首相は少しだけ眉をひそめた。



「これにサインするだけで良いと?」



「はい。後は、我々が全て終わらせます」



「これでは、白紙委任と変わらないのではないかね?合法性は保障できるのか?」



「法律家として、完全な合法性を保障致します。如何なる軍事法規にも抵触しません。勿論、野党の皆さんが粗探しできない程度には問題ないでしょう」



「公文書管理法や情報公開法にも抵触しないと?」



「仰る通りです。首相の統帥権は、戦争権限法で制限が掛けられていますが、一方で、抜け道は用意されています。


 そもそも、首相の行政権と統帥権は、書面主義ではございません。命令権の行使要件は、首相ご本人の意思表示のみであります。寧ろ、こうして書面に残す方が遵法精神に富んでいると言えるでしょう」



 首相は、大袈裟に目をぱちくりとして見せた。



「白紙委任状が遵法精神に富むと聞いたのは、人生で初めてだな。法学部の講義では聞いたこともない」



 法務大佐は、人相悪く応じた。



「自分は、悪い法律家ですから」



「『良き法律家は、悪しき隣人』と言うが、悪しき法律家は、果たして良き隣人となるものだろうか?」



「それは勿論です。自分も含めて我々は、首相の良き隣人として政権を支え続けて参りますとも」



※※



ケイトマン諸島沖:統合特殊作戦コマンド・EO分遣隊



 原子力潜水艦のドライデッキ・シェルター(甲板格納庫)から排出されたのは、統合特殊作戦コマンド隷下の特殊部隊だった。首相直属の特殊部隊である彼らは、EO(Executive Order)の部隊符号を付与されて、編制表からその姿を秘匿している。



 彼らの視線の先にあったものは、ケイトマン諸島に配備された第1フリゲート戦隊の艦船と豪華な装飾がなされた総督府の庁舎であった。深夜、黒色が支配する風景に抗うかの様に、沿岸の街並みは明るく照らされていた。



 その光景は、明治時代に中世都市を移植したかの様な、ちぐはぐな印象を与えた。この地域にはガス灯の類はないはずだから、大量の資源と人員を動かして夜の街を彩らせているのだろう。



 暫くすると、武装商船や漁船が続々と帰港し始めた。深夜であっても、この賑わいなのは、彼らの様な船員を相手に商売しているからなのかしれない。これではまるで、軍港というよりは、海賊の根城と言われた方がしっくりくる。分遣隊員の一人は、そう感想を抱いた。



 彼らが為すべき事は、ただ一つ。外国勢力が諸島を占領する前に、日本の実効支配を確立する事だ。



 EO分遣隊は、光から逃れる様に、人影のない浜辺へと上陸した。浜辺は軍港からそれほど遠く離れている訳ではないが、鬱蒼と生い茂る山林と小高い山が彼らの姿を衆目から隠している。



 彼らは上陸すると、素早く装備を点検して、小銃に溜まった海水を排水した。小銃には耐水・耐塩性が処理されているから、あまり意味のない行為だった。それでも、訓練で何度も繰り返した動作は、興奮した頭脳を鎮めるには十分だ。



 彼らの風貌は、日本人離れしているのが大半で、外国人と説明されても疑問を抱かないだろう。できるだけ、エリザベス王国の国民に近い容姿や体格の者達ばかりを集めたからだった。



 最精鋭の特殊部隊だからと言って、何の事前情報もなく作戦を遂行できる様な超人の集団ではない。



 彼らは予め事前情報として画像情報や気象情報などを受け取っていたが、特殊作戦を実行する為には、実際に現地の雰囲気や土地柄というものを調べる必要がある。そういった情報は、なかなか言語化し難いものだが、それさえ体得すれば現地人の社会に溶け込みやすい。



 現地での情報収集と特殊偵察を担当する隊員は、服装をアサルトスーツから船員や水兵風の衣裳へと着替えた。諸島は艦船の往来が激しい事から、その一団に紛れ込もうという算段である。勿論、彼らは事前にエリザベス語の基礎を習得済みだった。



 片言のエリザベス語しか話せないが、寄港する船員には外国人が多いから、不審がられる可能性は少ない…かもしれない。



 様々な人種や民族が行き交う、この港町だからこそ、溶け込める可能性はぐっと高まる。彼らは、覚えたばかりの外国語が通用するのか、不審がられる事はないかと一抹の不安を抱きながらも港町へと向かった。



※※



ケイトマン諸島:ヴィクトリア・ポート市



 ケイトマン諸島の本島に建設されたヴィクトリア・ポート市(VP市)は、諸島の最大都市として、人口10万人を擁し、王室属領である諸島を統治する為に、総督府が置かれている。



 VP市は、全域が保税地域に指定されている自由港であり、エリザベス王国を含む西大戦洋地域の諸国と、コンブール連邦などの南大戦洋地域の諸国を結ぶ海上交通路の要衝として、繁栄を謳歌している。



 同市は自由港であるから、外国人や外国の貿易会社などの往来が激しく、住民の半数以上が外国人で、王国の市民権を持たない。



 住民の一部には、王国軍に降った先住民の部族も含まれる。この町では、支配者であるエリザベス人の方が少数派である。総督府は、市内と住民の全てを統制できておらず、一部の地区では住民が勝手に自治をする有り様だ。



 それでも、総督府は住民に対する統制を強化せずに、自治を黙認している。VP市では、何よりも「自由」が優先されるからだ。自由港たるVP市が、住民の統制を名目に自由を奪えば、同市の魅力は半減する。



 VP市の魅力は、列強諸国をも牽制できる王国の海軍力と、外国人と外国企業にも開放された自由港だから、外国人の住民に対する統治は寛大にならざるを得ない。



 そうでなければ、彼らはより良い条件を求めて、他国の自由港に移住するだけだろう。勿論、寛大な統治だからといって、犯罪や不法行為を働けば、処罰されるのは言うまでもない。



 「都市の空気は自由にする」と言うけれど、自由の気風だけで生活できるはずもない。男は、多文化の香りが残る地区に構える宿屋の主人だ。



 地区には、他にも多くの宿屋や飲食店が立ち並ぶが、その街並みは酷く不規則で、訪れる者に雑多な印象を与える。彼は、某国からの移民で、この地を移住先に選んだ。抑圧された母国から離れて、自由を手に入れる為だった。



 何とかして、商船の船員見習いとして潜り込み、初めて訪れたこの町に骨を埋める事を決意した。外国人の住民にとって、この町で宿屋を営むというのは定番の商売だ。船員や水兵、貿易商らがひっきりなしに訪れるから、旅客には困らない。



 外国人や貧困層向けに、無担保で融資をするグリューネシルト銀行の支店から事業資金を借りれば、明日からでも開業する事ができる。



 銀行は、地元の不動産屋と提携していて、事業用の不動産も併せて紹介される。宿屋の中身は、不動産屋が紹介してくれる雑貨店や食料品店から必要な物資を搬入すれば良い。そうすれば、形だけでも宿屋の主人を名乗れる。



 彼は、多くの外国人がする様にそうやって宿屋を開業した。同業者との競争は激しいが、それを上回る需要が常に見込める。



 同業者組合の規制もさほど厳しくはない。あまりにも宿屋が多過ぎるから、規制しようにも、それを執行する能力に乏しいのだ。業界の規制は、主に暗黙の了解とか、慣習法による所が大きかった。



 そういった参入障壁の低さが、更に港町の拡大を促すのだろう。学のない彼だが、経営者としてそういった背景がある事は何となく理解できた。



 彼が同業者と少し違う所があるとしたら、それは他業種への投資や参入を積極的に行っているという事だろう。彼は、宿屋の経営で得た利益を元手にして、VP市に支店を持つML貿易会社の株主となると、株式の運用益を不動産投資へと回した。



 暫くすると、彼は宿屋や雑貨店に店舗を貸している不動産屋を買収した。買収と言っても、株式を発行している企業ではないから、物件の所有権を獲得したと言った方が正確かもしれない。



 彼は、自分に宿屋を貸してくれた不動産屋の娘を娶って、不動産事業にも本格的に乗り出した。不動産屋の経営者になった事で、彼と銀行の関係は単なる債務者と債権者という関係を飛び越えて、事業の提携先へと昇華された。今では、同業者の良き相談役となっており、地区の名士である。



 彼に来客があったのは、商売の初心を忘れない為(暇潰しも兼ねる)に店番を自ら引き受けていた時だった。船員風の服装を纏った一団で、鍛えられた肢体と日焼けが彼らの仕事振りを如実に語っている。



 少し注目する点があるとすれば、彼らの背嚢は、長年に渡ってこの町で商売をしている店主にとって見慣れない素材だった事だろう。



 しかし、店主にはその点を指摘するつもりはない。この町を訪れる連中は、自分の様に事情がある奴らばかりだからだ。



「お客さん、泊まりかい?それとも、何か困りごとかな?」



「泊まりで、人数は5人だ。料金はいくらになる?」



 その声は、標準的なエリザベス語のイントネーションからは外れていた。どちらかと言うと、エルフ族の発音に近いだろう。



 この宿屋には、エルフ族の一行が宿泊する事もあったから、彼らが誰から言語を習得したのか、店主には手に取る様に理解できた。店主は、料金表を提示すると、世間話を始めた。



「この町は、とても良い場所だよ。才能さえあれば、自由も、金も、女も思う存分手に入る。もしも、移住するならば手配しよう」



「…手配とは?店主は、この町で顔が利くのか?」



「それは勿論。私は、趣味で不動産屋も経営していてね。自分で言うのは難だが、この地区の顔役でもあるよ。お客さんは、この町に初めて訪れたのでしょう?


 それなら、生活に必要な物はこちらで一通り準備できるし、綺麗なお姉さんがいるお店も紹介できますよ?残念ながら、信頼できないお店を使うと、ぼったくられる事もあるからねぇ。


 特に、お客さんの様な初めてこの町を訪れる方だと、ぼったくられやすいのでね。どうです?夜の蝶には興味がない?」



「そうだな…、その時が来たら店主に頼むとしようか」



「それはそれは、ありがとうございます。では、ごゆっくりと寛いで下さいませ」



 船員風の一団は、料金を決めると、宿屋の下男に先導されて客室へと吸い込まれていった。



※※



ヴィクトリア・ポート市:宿屋



 宿屋の店主が暇潰しに店番をしていると、すっかり見慣れた一団が姿を見せた。どうやら、店主自身に用事がある様だった。



「おや?お客さん、何か私に御用で?」



「あぁ。店主、住宅を用意できるか?」



「勿論ですとも。私の副業は不動産屋ですからね。広い別荘から、狭い部屋まで案内できますよ。それで、ご希望の条件は?」



「街中に一軒、湾岸に一軒欲しい。具体的には、街中の物件は五人が暮らせる程度の広さが欲しい。それで、湾岸の物件は商船や総督府が一望できる様な絶景が楽しめる別荘があると嬉しい。決済は、手形を振って良いか?」



「えぇ、手形取引でも構いませんよ」



 店主は、ふむふむと唸りながら手元の資料を捲っていた。彼は、条件に合う物件をまとめると、一団に顔を向けた。



「この物件はどうでしょうかね?街中の住宅では、この物件が良いでしょう。ここは、周囲に雑貨店や食料品店が多く、交通の便も悪くありませんよ。


 そして、湾岸の別荘ですが…、この物件なら総督府や海軍のフリゲート戦隊も一望できる絶好の位置にありますね」



 店主はそう言って、不動産の資料を見せてきた。



「店主、この物件は湾内の様子が良く分かるだろうか?」



「えぇ、その通りですよ。実は以前、私はこの物件を別荘にしていましてね。よく、家族を連れて行ったものです。


 高台から、行き交う商船や軍艦を眺めながらする食事は、とても美味しいですよ?…ですが、お客さんにこの額が払えるので?」



「自分達の船主が、拠点を欲しているだけだ。自分は飽くまでも、船主の代理人に過ぎない」



「おぉ、なるほど。確かに、ここは中継貿易の一大拠点ですからね。貴方達の船主にも、よろしくと伝えて下さいね?」



「あぁ、分かった。船主には、店主にお世話になった旨を伝えておく」



「では早速、物件の下見にでも行きましょうか。案内は、うちの従業員がやってくれますので」



 店主は以後の対応を部下に任せると、店番へと戻った。



※※



ヴィクトリア・ポート市湾岸:別荘地区



 市内の拠点を確保したEO分遣隊は、別荘の一画に観測地点を設けた。宿屋の主人が言う様に、別荘からは湾内の様子が良く見える。



 分遣隊員が湾内を監視している間、ひっきりなしに武装商船や漁船が行き来していた。昼夜を問わず、艦船の往来が激しい事から、この町が港湾都市として栄えている様子が伺える。



 しかし、軍艦の出入港は民間の船舶に比して極端に少ない。分遣隊が、軍艦と武装商船を取り違えている可能性もあるが、事前にエリザベス王国の艦船と造艦能力について調べ上げた資料を読み込んだはずだ。戦列艦は、砲甲板が複層化されているから区別しやすい。



 だが、フリゲートは砲甲板が一層のみで、武装商船の多くもフリゲートの規格を流用したものだから、両者の区別は海軍旗かそうでないかで判断する他ない。しかし、海軍旗を掲揚していない武装商船の一部が、海軍基地の施設と思われる桟橋に係留しており、それが両者の区別を難しくさせていた。



 蓋を開けてみると答えは簡単で、海軍基地に係留されている武装商船の一群は、勅許会社の会社軍で、桟橋を間借りしているに過ぎない。



 それでも、軍隊とは国家が独占するものだという近代軍事学史観を受け継ぐ分遣隊員には理解し難い状況であった。



 分遣隊員が観測機器のスコープを覗くと、総督府の庁舎が鮮明に映された。総督府の職員が忙しく、あるいは暇そうにしている様子が見て取れる。



 ここから狙撃銃で狙える様な距離ではないが、巡航ミサイルや艦砲射撃をレーザー誘導する分には十分な距離だろう。この別荘は、彼らの目的を達成する上で、最高の立地にあった。



 分遣隊員は、別荘を提供してくれた宿屋の主人に感謝した。尤も、この町を愛する宿屋の主人が、町を占領しようと企む外国勢力に協力してしまった事を知れば、深く後悔するだろうが。



※※



ヴィクトリア・ポート市港湾部:EO分遣隊B班



 EO分遣隊は、活動拠点を確保すると、市内外の情報収集と特殊偵察に乗り出した。総督府・海軍基地などの警備状況を調査すると共に、王国政府に降伏しない好戦的な先住民の部族を接触する為である。



 分遣隊は、部隊をいくつもの班に分けて、その内の4個班に情報収集任務を与えた。別荘地区に拠点を構えた部隊は、情報収集の為に3個班を擁し、その内のB班は、海軍基地と湾内の艦船を調査する。B班は、市の港湾部にある繁華街や桟橋へと繰り出して、艦船の状況を詳細に監視していた。



 班員の一人が繁華街の飲食店に入ると、馴染みの店員と客が声を掛けてきた。班員は、初来店からそれほど経っていないが、足繫く店に通う彼の事を、店員と客は、はっきりと記憶していた。



 エルフ族の訛りが混じる彼のエリザベス語は、それだけで人々に新鮮な印象を与える。この町の住民達は、外国人や異民族の類に慣れているが、人類とは違う異種族のエルフ族との交流は、そう頻繁にあるものではない。



 彼が操るエリザベス語に、希少なエルフ族との邂逅や思い出を重ねた者も少なくなかった。常連客の上級水兵が、彼の首に手を回した。



「おう、兄ちゃん。今日も酒かい?」



「暫く暇を貰ったので、こうして飲み歩いているんですよ」



「おぉ、そうかい。羨ましいなぁ、俺も休暇を貰いてぇ」



「…旦那は本当に働いているのですかね?いつも、店にいますけども」



「おう、働いているぞ。一応、書類上はこの時間も働いている事になっているがな」



 常連客の水兵はそう言うと、無断欠勤している事を堂々と告白した。水兵は何も悪びれず、おちゃらけた態度を崩さなかった。



「それって、旦那が書類を偽造していると?」



「いやいや、違う違う。賭けに負けた若い連中を俺の代わりに働かせているだけだぜ。俺への借金を払わせる為に、働いて貰っているんだ。それで、俺は飲んだくれて、その上、金まで懐に入るって算法だ!!」



 水兵は、班員の疑問に手を振りながら、手口を説明した。



「俺はこれでも、船では古参兵でね。だが、陸に上がったらやる事は雑用しかないし、俺は雑用なんぞしたくない。だから、若い衆に慎ましい労働をプレゼントしてやってる訳さ」



「旦那は小悪党と言う訳ですか?」



「俺は悪党じゃないぞ。俺みたいな奴は、要領が良いって言うもんだぜ。折角、陸に上がれたんだがら、女と酒を楽しまないとな!!」



 水兵は、自分の言葉に大笑いすると、じろじろと班員の肉体を凝視した。



「そう言えば、兄ちゃん。いい身体しているじゃねぇか?どうだ?水兵にならないか?俺の子分にしてやってもいいぞ!」



「自分は航海士の見習いなので、暫くは商船ですね。それに、船長には雇ってくれた恩義もありますから」



「そうか、まぁ、気が向いたら俺に声を掛けてくれよな。…ところで、商船は給料がいいのか?」



「どうでしょうかね?他の船の事情を良く知らないもので。でも、自分の所はとても金払いが良いですよ」



 二人はお互いの俸給を打ち明けると、水兵はかなり動揺した様だった。



「商船勤務はそんなに給料が高いのか?いや、航海士の卵だからか?つくづく、羨ましいなぁ」



「商船だからというよりも、航海士の見習いだからでしょうね。ただの下っ端は、自分よりもうんと低い給料のはずですよ」



「やっぱり、船に乗るなら幹部か航海士を目指すべきだったなぁ。今更、後悔しても遅いが。兄ちゃんも、もう何年か経ったら、俺よりずっと偉くなるんだろうなぁ」



「それなら、うちの船長を紹介しましょうか?古参兵なら、即戦力として雇えるでしょうし」



「おぉ、そいつは名案だな!!転職する時は、是非とも頼むぜ!」



 それから、二人と回りの客はどうでもいい下世話な噂話で盛り上がっていた。彼は、客達に程よく酒が回ってきた事を確認すると、水兵に少し踏み込んだ事を尋ねた。



「旦那は、船に戻らないのですか?最近は、他の店でも旦那ぐらいの年嵩の水兵達が飲んだくれている様子を良く見掛けるのですが」



「あぁ…それはなぁ、司令部の命令の所為だな。何でも、本国に派遣した軍艦が戻って来ないらしくてな。軍艦の消耗を避ける為に、こうやって港に閉じこもっている訳だ。


 第1艦隊が全滅したらしいという噂は知っているか?士官連中は口を閉ざしているが、兄ちゃんみたいな商船乗りが、噂を流しているぜ。


 俺もそれを聞きつけた口でね、それでこうやって商船乗りに話を聞いている訳だ。ただ、見境もなく、飲んだくれている訳じゃねえぜ。海で生き延びるには、情報が何よりも大事だからな」



 一見、だらしのない様に見えても、熟練の上級水兵という事か。



「まぁ、ただ飲みたいだけだけどな!!改めて、乾杯!!」



 水兵は、先程の少し真面目な態度を引っ込めて、周りの客と杯を交わした。



※※



ケイトマン諸島北東部:先住民支配地域



 EO分遣隊の情報部隊であるD班は、諸島に生息するという先住民の部族と接触を図るべく、市内の拠点から市郊外の山林へと足を向けた。



 交渉が決裂したり、友好関係を構築したりできなければ、交戦も想定される事から、D班は分遣隊の中でも比較的重装備であった。彼らは、重い重火器を担ぎながら、本島の北東部を目指した。



 先住民は、敵である王国軍を監視する為、支配地域の境界に木造の櫓を建てていた。櫓の高台には、洋弓銃で武装した先住民が二人で周囲を監視している。



 櫓の傍には小屋が二つあって、一方の建物には生活感があり、もう一方の建物は大きな扉を備えているから、恐らくは彼らの宿舎と倉庫なのだろう。王国軍を常続的に監視する為には、哨戒兵を交代制にする必要があるから、宿舎には他にも兵士がいるのかもしれない。



 D班は、櫓がある場所まで一直線に走り抜けた。櫓の高台に陣取る哨戒兵は慌てた様子で、洋弓銃を構えたが、その照準は定まらない。二人の哨戒兵は櫓に備え付けられた鐘を叩いて、周囲へ異変を伝えた。そうすると、宿舎と思しき建物から、4人の兵士が飛び出してきた。



 兵士達は、D班の姿を見咎めると、一様に困惑した表情を浮かべた。あるいは、ただ単に混乱しているだけかもしれなかった。D班の姿形は、先住民の戦士達が見慣れている敵兵の身なりとは全く異なる軍服を着用し、武器を携帯している。



 哨戒兵らは、D班へ訝し気な視線を向けながらも、一か所に固まって話し合っていた。彼らはやがて、年長の兵士を代表として、侵入者であるD班へと送った。年長の兵士は、D班へと近付くと、先住民の言語で詰問した。



 彼らは、彼らの言語でD班に侵入の目的を質したが、その答えが返ってくる事は無かった。D班がかろうじて習得したエリザベス語とは異なる、新しい外国語だったからである。



 エルフ族が用いたクレオール言語とも違う。彼らは、フォースリーコンのA分遣隊が初めてエルフ族に接触した時の様な困難を味わうはめになった。



 とにかく、D班は彼らの目的を哨戒兵に知ってもらおうと身振り手振りで示したが、先住民には全く伝わらず、それどころか、D班のジェスチャーは、哨戒兵達を笑わせるだけだった。



 哨戒兵は、突然、目前で奇怪な行動を取り始めた侵入者に腹を抱えた。D班は、哨戒兵の笑いこけた様子を見て、恥ずかしい気持ちになったが、言葉が通じない以上、身振り手振りでどうにかコミュニケーションを取るしか無かった。



※※



ヴィクトリア・ポート市:港湾局



 港湾局の役人は、訝し気に湾外を睨んでいた。時刻は深夜であるが、入港を求める船舶は昼夜を問わない。航海が天候に左右される以上、入港の時間帯がばらばらで不規則なのは止むを得なかった。



 いつの時代も、お役所仕事を揶揄する風説には事欠かないが、港湾局はその例外である。自由港と言えども、出入港の手続や商品の検査は行わなければならないから、港湾局の役人は、一日中に渡って港湾に張り付く必要がある。



 そうだと言うのに、入港許可を求める船舶の数はめっきりと減っていた。灯台が暗闇の海に一筋の光を照らしているが、目を凝らして光の先を追いかけても、そこに船影は発見できない。これはおかしい…、役人は同僚を持ち場に残して、上司に報告しようと庁舎へ向かった。



 残された同僚は、すぐさま異変に気が付いた。灯台が消灯され、暗闇を照らすはずの光が一向に現れない。役人は、非常に慌てた様子で灯台へと急行した。灯台は、入港や航海位置の特定に欠かせない施設である。



 ましてや、現在の時間は深夜だ。繁華街の街灯や港湾部の灯火が煌々と辺りを照らしているとは言え、光源はそれだけで十分だとは言えない。船上からは、賑わいを見せる港湾都市の様子が薄っすらと視認できるかもしれないが、街灯の明度などたかが知れている。



 役人が息を切らしながらも、灯台に辿り着くと、灯火設備が破壊された上に、灯台の管理人が殺害されていた。困った事に、設備は徹底的に破壊されており、当分は復旧できそうになかった。管理人は、家族と共に住み込みで働いていて、就寝中だったらしき家族の遺体も発見できた。



 VP市は、中継貿易の一大拠点となっている事から、予備の灯台が一つと、海軍が管理する灯台も一つあったはずだ。役人は、灯火を絶やさない為に予備の灯台へと急いだ。



 役人が予備灯台へと到着すると、こちらの灯火設備も復旧が困難なぐらいに破壊されていた。船舶の入港が減った事といい、灯台の設備が破壊されていた事といい、明らかな異常事態である。



 もしかしたら、エリザベス王国と敵対する海洋国家の仕業かもしれないが、この町は、周辺諸国にとっても莫大な利益を生み出す自由港だ。海賊や会社軍による破壊工作の一環である可能性もあるが、王国海軍に喧嘩を売る様な度胸のある連中は極めて限られてくる。



 そうなると、現状、王国軍と交戦している諸島の先住民による攻撃の可能性も捨てきれない。あるいは、ヴィクトリア市に現れたという侵攻艦隊の友軍だろうか。何れにしても、その対処は海軍と海兵連隊が責任を持つだろう。



 港湾局の役人にとっては、とにかく一日でも早く灯台を復旧させる事が最優先だ。港湾には、港湾局が管理する二つの灯台の他に、海軍の灯台もあるから、上司から海軍に話をつけてもらい、一時的に民間船舶の航路標識としても兼用する他はないだろう。



 灯台が三つもあるのは、縦割り行政というやつだが、今となってはそれがとてもありがたい。彼は、同僚と同じく、上司に報告しようとして、本局へと向かった。



※※



ヴィクトリア・ポート市:海軍基地



 深夜、海軍基地に係留されていた軍艦と武装商船が燃え上がっていた。軍艦からは、当直の水兵が船外へと避難しようとするが、火だるまになって、海に沈んでいった。



 海軍基地の当直士官は、爆発音に叩かれて桟橋の近くまで走ったが、砲弾に誘爆したのか、火災は勢いを失わず、寧ろ、その勢力を拡大させている。消火しようにも、海上火災を鎮火できる設備は海軍基地に備わっていない。



 船舶の消防は、友軍による砲撃処分に依存していた。近世ヨーロッパ程度の科学技術では、消防に必要な化学生産能力は期待できない。そうなると、係留された軍艦が燃え上がるのをただ見ている事しかできなかった。



 第1フリゲート戦隊司令官(海軍少将)は、海軍基地内にある自身の公邸から外に出ていた。基地内は混乱の最中にあり、就寝中だったらしい所を、爆発音によって叩き起こされて、右往左往していた。



 少将は、混乱している水兵に何が起きたのかと問い質したが、大分混乱しているらしく、明瞭な答えは返ってこない。



 彼は、とにかく目に付いた水兵達を掴まえて状況の説明を求めると、係留していた軍艦と武装商船が火災に見舞われているらしい事が段々と分かってきた。暫くそうしていると、副官と幕僚が少将の元に駆け付けた。副官達は、灼熱に当てられたかの様に、だらだらと汗をかいていた。



「閣下、遅くなりました」



「構わん。火災の被害状況を報告しろ」



「はい。戦隊所属の軍艦は、20隻以上が炎上中です。戦隊が借り上げていた武装商船16隻にも延焼しています。


 それから、民間の漁船や商船にも徐々に被害が拡大しております。何とか、消火活動を試みているのですが、有効な手段はありません」



「無傷の軍艦は何隻ある?運航可能な軍艦数は?」



「無傷の軍艦はありません。運航できる軍艦は、2隻だけかと。しかし、その2隻も延焼の被害を受けている様で、航行するにしても、沿岸地域での運用に留まります」



「本当に鎮火できる手段はないと?」



「残念ながら、ありません。2隻の軍艦は、延焼してきた時点で何とか桟橋から離れたらしいですが、それ以外の手段となると難しいかと」



「海水を汲んで、消火できないか?」



「それはもう試していますが、大量の海水を一度に汲んで投射できない以上、焼け石に水ですね」



「町への被害は?」



「恐らく、このまま鎮火できないとなると、町へも被害が拡大する恐れは十分にあります。特に、岸壁に近い倉庫街や加工工場にも延焼する可能性があります」



 少将は、暫し黙り込んだ。



「…火災の原因は分かるか?」



「全く、分かりません。出火の原因は不明です。船内では火気厳禁のはずですが…」



「つまり、外部による攻撃の可能性もあると?」



「はい。尤も、王国海軍に喧嘩を売るなど考え難い事ですが」



「いや、確か首都を攻撃した外国艦隊があったはずだよな?連中なら、我々を攻撃してもおかしくはないはずだ」



「その可能性も考慮しましたが、ここから本国まではかなり距離があります。敵軍の展開能力はそこまで高いものでしょうか?」



「精鋭の第1艦隊が撃滅された以上、我が軍よりも高性能な軍艦を運用している可能性は十分にあるだろう。まぁ、飽くまでも可能性に一つに過ぎないがな」



「閣下、如何致しましょうか?」



「町への延焼だけは避けなければならん。10万人以上を路頭に迷わせる事になる。生き残った2隻に対して、炎上中の船舶への砲撃を命ずる。砲撃処分によって、火災を鎮火せよ」



「御意。砲撃処分を命じます」



 幕僚は、少将の決断に対して敬礼を以て応じた。



※※



ヴィクトリア・ポート市郊外:王立第5海兵連隊本部



 海兵連隊は、海上火災が町にまで延焼した場合に備えて、住民の避難誘導を開始した。それに加えて連隊長は、礼砲が主な仕事になっていた沿岸砲兵へ、海軍による砲撃処分を助攻する様に命じた。 



 更に、予備役の火砲と砲兵を招集して、砲撃処分能力を一気に拡大する為の準備を進めていた。連隊長は、駐屯地の警備に1個中隊のみを残すと、本部に詰めていた1個海兵大隊及び1個砲兵大隊を住民の統制と砲撃処分に充てた。



 街中は、逃げ惑う住民で混沌としている。しかし、街灯に照らされているとはいっても、深夜である事に変わりはない。街灯は繁華街を中心に据えられていたから、住宅街は薄暗い。住民達が勝手に設けた街灯や住宅の灯りはあるが、避難するのに十分な光量ではない。



 足元が暗い所為か、住民が郊外へと避難しようとしても、他人とぶつかって揉め事になったり、あるいは群衆に揉みくちゃになったりして、なかなか進まない。そこに、繁華街から逃げ出した酔客共が大挙して来るものだから、余計に騒ぎが大きくなった。



 第1海兵大隊は、逃げ惑う群衆を抑えるべく、郊外への道に検問所を置いた。



 大隊は当初、住民の避難誘導を目的として市内に展開したが、混乱する群衆が拡大すると、それに巻き込まれる住民が怪我をしたりして二次被害が増加している事から、避難誘導よりも群衆の抑制へと傾いている。



 このまま、群衆の混乱を座視すると、本来避難できるはずの住民まで逃げ遅れるかもしれない。



 大隊長(海軍少佐)は、麾下の将兵が求める発砲許可を出すべきか苦慮していた。警告射撃によって、混乱を一時的に終息できるかもしれないし、あるいは混乱が拡大するだけに終わるかもしれない。



 群衆に発砲した結果を正確に予測する事は出来ない。再三に渡って発砲許可を求める部下に対して、大隊長は、発砲を認めなかった。発砲した結果がどうなるか分からない以上、事態の悪化を防ぐ為にも抑制する必要があると判断したのだ。



「少佐、群衆に警告射撃を行う許可を下さい!!」



「駄目だ、駄目だ。絶対に発砲してはならない。我が方が発砲した所で、混乱が余計に拡大するだけかもしれない。


 そもそも、我々は住民の保護と避難誘導が目的であって、彼らを攻撃する為に駐屯している訳ではないぞ?」



「ですが、これ以上は部下が勝手に暴発しますよ!!こちらが命じなくても、どこかの馬鹿が何れ発砲するのは目に見えています。そうなる前に、こちら側で射撃を統制すべきです!!」



「例え部下が暴走したとしても、発砲は禁ずる。暴走した将兵はその場で拘束しろ、いいな?」



 幕僚は渋々ながらも承諾して、麾下の部隊に伝達した。



※※



ヴィクトリア・ポート市:別荘地区



 EO分遣隊は、借り上げた別荘に陣取っていた。分遣隊員は、LLDR(目標指示装置)のレーザー光を沿岸砲兵の陣地に照射した。彼は、近海に展開している第179任務部隊のミサイル駆逐艦に連絡を繋ぐと、火器管制士官(海軍大尉)に指示した。



「DD116『てるづき』へ、火器支援を要請する。こちらから送った位置情報は確認できるか?」



「位置情報を確認した。北緯○○.○○○○○○、東経○○.○○○○○○で良いか?」



「北緯○○.○○○○○○、東経○○.○○○○○○、確認した」



 分遣隊員が復唱すると、大尉はもう一度復唱を要求した。前線レーザー管制は、味方への誤射が発生しやすい危険な任務の為に、最低でも二回は位置情報を確認しなければならない。



 大尉は、攻撃目標が正しいと判断すると、攻撃指揮官(海軍少佐)に許可を求めた。少佐が許可を出すと、大尉はSSM(艦対地ミサイル)を発射すべく鍵を挿し込んだ。



※※



ケイトマン諸島:第2海兵遠征大隊



 第179任務部隊を構成する揚陸艦から、第2海兵遠征大隊が海上へと吐き出された。海兵遠征大隊は、LCACで本島中部の砂浜に着上陸すると、歩兵戦闘車や装甲兵員輸送車を随伴させながらVP市へ進路を取った。



 同市の港湾から上陸しないのは、海上火災に巻き込まれない為という理由もあったが、秘密裡に1個大隊を投入する為には、礼儀正しく正面から入港する訳にはいかないからだ。



 大隊は、EO分遣隊が発見した先住民の生活道路を通り、急いで進撃していた。とにかく、この占領作戦は時間が勝負だ。少ない兵力で実効支配を確立する為には、混乱状態を作り上げて、兵力を分散させるか、あるいは行動を麻痺させなければならない。



 やがて、大隊がVP市の郊外まで進出すると、そこには火災から逃げた群衆が小高い丘から町を見守っている様子が見て取れた。大隊長は、予め決められた通りの手順で、視界に入る住民の排除を部隊に命じた。



 住民達は、明らに非戦闘員だ。しかし、大隊は非戦闘員に対して、一切の容赦をしなかった。この町を日本軍の占領下に置く上で、建物や設備は使用するかもしれないが、住民は必要のない存在だ。



 日本政府は、諸島を占領下に置いた後、民間人を排除して閉鎖都市化する方針を固めていた。諸島を外国勢力に占領されると、日本列島への攻撃拠点として使用されかねない地理条件にあるからである。



 日本軍の占領が完了すれば、この町は貿易都市としての役割を終えるだろう。政府は、第179任務部隊を常駐の警備隊として、諸島に配備する予定だ。



 第2海兵遠征大隊が、郊外に避難した住民を掃討していると、海兵連隊の駐屯地から、留守部隊の1個海兵中隊が出撃した。留守部隊の指揮官が住民を防衛すべく、独断専行で出撃を決意したのだ。



 大隊長は、敵軍の指揮官に敬意を抱いたが、それが理由で進撃と掃討が終わる訳がない。敵軍の判断は、軍人としては間違っていないかもしれないが、圧倒的な火力の前には無力でしかない。大隊に随伴する装甲車輛の火力によって、駐屯地に砲撃を連続で加えると、建物は瓦礫と化した。



 しかし、海兵中隊の指揮官は諦めてはいなかった。彼は、残存部隊を戦列ではなく、散兵化させると共に、瓦礫と化した建物を障害物として利用し始めた。諸島に駐屯する海兵連隊は、先住民とのゲリラ戦やジャングル戦に長けていて、本国の陸軍歩兵の様な戦列歩兵というよりは、猟兵的な性格を帯びていた。



 大隊長は、敵軍に対する認識を改めた。火力こそ、こちらに劣るものの、状況を理解して、即座に部隊を散兵化させたのは合理的な判断だ。近代兵器の火力から逃れる為には、戦列を維持するよりも、散兵戦術を採って、将兵の生存率を上げる方が良い。



 しかし、海兵中隊は散兵化で生存率を上げたかもしれないが、彼らの主要な武器がマスケットである以上、どうした所で火力は不足していた。海兵遠征大隊が手当たり次第に、機銃掃射を行うと、海兵中隊はその数を減らしていった。



 大隊は、熱源を走査すると、障害物に隠れた敵兵を排除していった。暫くすると、敵兵の銃声は途絶えた。辺りは、そこかしこに死体が散乱していた。大隊は、郊外から市内へと進撃した。



※※



ヴィクトリア・ポート市内:第2海兵遠征大隊



 市の郊外へと逃げ出そうとした住民は、今度は反対方向に逃げなければならなかった。大隊に射殺されるよりは、海に飛び込んだ方がまだ生存の道はあるかもしれない。大隊が舗装された主要道路に進出すると、進撃と住民の排除はよりやりやすくなった。



 大隊は機械化部隊を先頭に、逃げ惑う住民や敵兵を踏み潰していった。敵兵の騎兵銃から発射された弾丸が装甲車輛を掠めるが、大した損害にはならない。



 住宅街は、見るに堪えない程、その形を留めていない。歩兵戦闘車の砲撃は、いくつもの建物を貫通して、なぎ倒していた。大隊は止まらず、なおも進撃を続けている。町は、瓦礫と死体の山で一杯になった。



 大隊は、別荘地区まで進出すると、EO分遣隊が詰めている別荘に大隊の前線司令部を置いた。大隊長は、海軍基地と総督府を制圧すべく、部隊を三つに分けた。海軍基地と総督府の制圧は、それぞれ1個海兵中隊を差し向けた。彼は、中隊長らに建物の破壊を禁じた。



「いいか、海軍基地と総督府は我々が接収する手筈となっているから、くれぐれも施設を壊すなよ?」



「敵兵が建物に逃げ込んだ場合もですか?」



「そうだ。建物に逃げ込んだ敵兵は、室内で制圧しろ、いいな?」



 中隊長らが頷くと、大隊長は彼らを送り出して、別荘の露台から湾内の様子を観察した。湾内には、船舶の姿が殆ど見当たらない。精々、小さな漁船程度が残っているだけだ。



 砲撃処分によって消防を行おうとした2隻の軍艦は、駆逐艦のスタンドオフ攻撃によって撃沈されていた。勿論、誘導はEO分遣隊によるものだ。



※※



ヴィクトリア・ポート市:海軍基地



 海軍少将が己の執務室から、燃え盛る軍艦を眺めていると、副官(海軍中尉)が執務室に飛び込んで来た。



「閣下、逃げて下さい!!消火には失敗しましたし、この町は所属不明の部隊によって攻撃を受けています!!もう、島外に脱出する他ありません!!」



「君は逃げろというが、どこに逃げるというのかね?どこにも逃げ道などない。艦長というものは、最後まで船と運命を共にするだろう?司令官たる私が逃げてどうするというのだ。


 私は最後まで逃げない。私にとっては、この基地が、この町が私の船なのだ。逃げる事は許されない」



「脱出用の短艇を地下水路に用意してあります。閣下は、それに乗って脱出して下さい!!」



「私だけ助かっても、本国から卑怯者の誹りを受けるだけだろう。私はその様な侮辱には耐えられないし、紳士として名誉は死守せねばならない。私はここに残る。君はまだ若いのだから、君が脱出すれば良い」



 副官は少将の腕を引っ張って無理矢理でも連れて行こうとするが、少将はびくともしなかった。



「閣下、お願いです!!もう、時間がありません!!」



「中尉、君は若手の士官を集めて逃げろ。老兵は置いていけ。君達には未来がある」



 中尉は暫く啞然とした様子で少将と対峙していたが、その意思が固い事を悟ると、あらん限りの敬意を込めて最後の敬礼をした。



 何分経っただろうか。基地内は、相変わらず騒々しかった。やがて、複数の足音が執務室の前に止まった。足音から推測するに、恐らく敵兵は四人だろう。少将は、扉の横に張り付いて、敵兵を待ち構えた。扉が開かれた直後、彼は部屋に侵入した敵兵を引きずり込んで首を締め上げた。



 二人目が急いで彼に銃口を向けようとするが、少将は銃身を掴むと、敵兵の首にナイフを刺した。残りの敵兵が扉前から室内に向けて掃射したのを這ってやり過ごすと、二人の敵兵が同時に侵入してきた。彼らは銃身が長い小銃でなく、補助武装の拳銃を取り出していた。



 少将は、彼らの正面に立ち上がると、銃剣を腹に突き刺した。その反動で、敵兵も後ろに倒れた。少将は、三人目の心臓を確実に刺すと、四人目に突進して体勢を崩し、顔面を思いっ切り殴りつけた。



 敵兵が一瞬怯んだ隙に、ナイフを体内に滑らせた。彼はもう一度、四人の死体をナイフで刺して死亡した事を確かめた。



 少将は、敵兵の練度に落胆した。てっきり、兵士一人一人が強いとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。彼らが強いのは、その装備によるものなのだろうか。



 近世の軍隊が現代の軍隊に勝利できる可能性があるとしたら、それは狭い室内での接近戦ぐらいなものだろう。少将はそれを意識した訳ではなかったが、図らずも実現した。彼は、執務室に戻ると、煙草を吹かして一服した。



※※



ヴィクトリア・ポート市:第179任務部隊(ケイトマン諸島警備隊)



 第2海兵遠征大隊は、市内の制圧を完了した。海軍基地を制圧した中隊は、司令官の海軍少将を捕虜にした。中隊が少将に投降を呼び掛けると、煙草を吸う権利を条件に捕虜になる事を呑んだ。第179任務部隊は、予定通りケイトマン諸島に駐留する事になり、新たにケイトマン諸島警備隊を兼ねた。



 日本政府は、この軍事作戦の可否について、国会の事前承認を得ていない。国会に、事後報告するつもりもなかった。



 野党の連中が騒ぎ出すのは目に見えているし、国民の間には厭戦気分が拡がっている。あまりにも、戦闘ストレス障害に罹患した将兵が多かった事から、国内輿論は戦争政策に対して及び腰になっている。



 後続の海軍工兵隊が、港湾設備を拡張していると共に、警備隊の基地も建設している最中だ。警備隊は、1個水上戦闘群・1個両用即応群・1個海兵遠征大隊からなるが、閉鎖都市・軍事基地としての運用が本格化すれば、更に兵力を増派する事も検討されている。



 海軍工兵の重機は、建物の残骸を潰したり、どかしたしたりして道路を造成しようとしていた。瓦礫は、郊外に作られたゴミの集積場に運ばれている。



 瓦礫に混じって死体も大量に散乱しているが、瓦礫も死体も一緒に処理されていた。二つをいちいち分けるのが面倒だというのもあるし、ここでは人道主義なる価値観を考慮する必要はないからでもある。



 VP市が日本軍に占領された事を知らない外国船舶が入港しようと訪れるが、新しく配備された地対艦ミサイル部隊や艦艇に撃沈されて、入港に成功した船舶は1隻もいなかった。

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