第2章 侵攻作戦③
第2章⑨「第35歩兵師団」
エリザベス王国北西部:A方面軍第35歩兵師団
第31歩兵師団の担当が穀倉地帯の占領であるのに対して、第35歩兵師団(機械化)の担当は、首都に増派された敵部隊の捕捉撃滅及び首都から郊外への逃走路を遮断し、首都に上陸した第2海兵遠征旅団と共に首都防衛部隊を挟撃する役割が与えられていた。
首都郊外の東部に進出した師団は、進撃方向を変更し、大きく右方向へと舵を取った。進撃路の途上にある村落や都市の存在は無視した。
これらの拠点を占拠する時間が無駄であるし、市街戦というものは予想以上に軍隊への負担が大きいからでもある。
特にこの師団は機械化歩兵であるから、市街地という戦場でその機動性と火力を十全に発揮できるとは言い難い。寧ろ、自動車化歩兵や単なる歩兵の方が、市街地での戦闘に効果を発揮するだろう。
それに、王国の国民には日本国の奴隷として働いてもらう必要もある。
主要都市に対する空爆も検討されたのだが、戦後の占領統治計画に於ける労働力を中長期的に確保する為には、敗戦処理として強制労働させる方が良いという政府首脳部の判断が働き、空爆という軍事オプションは採らないことになった。
尤も、戦況が芳しくなければ、空爆や核兵器の使用も検討されている。
師団が大きく右旋回して、首都郊外へと暫く進むと、師団の偵察部隊及び航空部隊(偵察・攻撃ヘリコプター)が敵軍の増派部隊を捕捉した。
敵軍は、およそ3個師団を擁し、平原と首都に挟まれる様な形で、防御陣地を築城していた。師団偵察部隊は、敵軍第21軍団を発見したのである。
その距離は、師団の本隊から約30km離れ、穀倉地帯を横断する様な形で延ばされた河川の近くで発見された。
※※
第35歩兵師団司令部
師団長は、師団司令部の情報参謀からの報告に耳を傾けていた。
「偵察部隊及び航空部隊が、敵軍を捕捉しました。その距離は、本師団の司令部から約30km離れた距離にあります。
敵軍は、穀倉地帯に流れる河川の側に陣地を構築しており、穀倉地帯から得られる食料を河川輸送によって補給しているものと推測されます」
続けて作戦参謀が作戦案を提示する。
「師団情報部からの作戦情報分析に基づいて、我が師団は、これを攻撃します。具体的には、自走砲大隊・野戦砲兵大隊・ロケット砲大隊の火力によって、敵軍の防御陣地に砲撃します。
砲撃後の残存部隊は、装甲車輛とヘリコプターによる機銃掃射によって処理します。その後は、機械化大隊を展開して、敵軍の生存者を順次、発見次第、射殺します。以上です」
「随分とまぁ、自軍の火力にものを言わせた戦法だな。分かりやすくて、シンプルなのは良いことだが。では、その作戦案が駄目になったらどうする?」
「予備案としては、こちらも工兵大隊によって機械化旅団程度の防御陣地を築城し、それを敵軍に対する牽制と戦力の誘引に用います。
敵軍がこちらの圧力に負けて、陣地から出たのならば、速やかに他の機械化旅団で包囲下に置けば良いかと。
あるいは、敵軍を平原に誘い出して、装甲車輛で引き潰すというのも手かもしれません。第31歩兵師団が、実際に進撃路の途上にある隊商や敵軍の斥候部隊を無限軌道と装輪で踏み潰したと報告していますので」
「…そうか。では、敵軍の陣地への砲撃を準備する様に」
急造された簡易的な砲台陣地には、砲兵旅団が誇る野戦砲・自走砲・ロケット砲が並べられていた。弾着観測には、砲兵旅団隷下の観測誘導中隊(砲兵情報中隊)と航空旅団隷下の偵察ヘリコプター中隊が担当する。
射撃は、まず試射を行い、その射撃諸元に基づき修正射を行い、それに基づいて効力射を撃つが、敵軍が近世ヨーロッパ程度の軍隊であり、なおかつこちら側には小型のGPS衛星が上空にある為に、初撃で効力射を放つことも不可能ではない。
今回の砲撃は、敵の宿営地に対する攻撃であるから、いわゆる擾乱射撃であり、同時弾着射撃も兼ねる。射向束は、一つの面目標に対する集中射向束となる。
従って、最右翼の砲列と最左翼の砲列は、数kmも離れた距離を取る。射撃指揮所(FDC)からの砲撃開始命令を受けて、砲兵旅団による全力射撃が開始された。
ロケット砲大隊が装備するロケット砲には、MLRS(多連装ロケット砲システム)とHIMARS(高機動ロケット砲システム)の二つがあるが、王国に上陸するに当たり、海上輸送に適したHIMARSを集中運用することになった。
HIMARSは、戦争の初期から中期に掛けて投入される、機動性と火力の双方を兼ね備えたロケット砲である。MLRSが大型のロケット砲であるのに対して、こちらはその小型版に当たる。
勿論、小型化・軽量化に伴い、火力は半減したのだが、その分、戦略機動性という点では大きく向上した。
本作戦に於いては、長期戦よりも短期戦を志向し、海上輸送に於いても、多少の火力を犠牲にして機動性を採った。
後続の上陸部隊にはMLRS大隊が多数あるが、先遣部隊である第2海兵遠征旅団・第31歩兵師団・第35歩兵師団には配備していない。師団の倉庫には眠っているだろうが、兵器の優先順位としては高くなかった。
HIMRS射撃中隊所属の測量小隊が、測量統制点(SCP)を設定し、HIMRSの位置データを上空の小型GPS衛星から取得・初期化する。
コンピューター空間上の視界を得たロケット砲に、射撃目標が入力されると、他の砲兵大隊とのデータリンクが構築された。
同時弾着射撃によって、奇襲の効果を最大化する為に、射撃指揮所による統制射撃が開始された。ロケット砲システムの戦闘教義は、「全縦深同時制圧」であるから、瞬間的に王国軍第21軍団の防御陣地に満遍なくロケット弾が弾着した。
※※
エリザベス王国北西部:第21軍団斥候部隊
第35歩兵師団の砲撃によって、第21軍団の防御陣地は、徹底的に破壊された。しかし、第21軍団の一部の部隊は生存していた。
軍団司令部の命令によって周辺地域に放たれた斥候部隊は依然として健全である。師団の航空旅団は、この敵斥候部隊を発見したものの、砲台陣地への影響は少ないと見ていた。
何よりも、斥候部隊を撃破することで砲撃準備が露見しない様にする為に、監視下に置きながらも、攻撃を仕掛けなかった。
戦闘ヘリコプター中隊が、斥候部隊に対する攻撃を開始したのは、十分に砲撃を行った後である。広大な平原が広がる地上を疾駆する斥候部隊を上空から発見・追跡することは容易い。
惑星が広大であるという点は、偵察部隊からすれば偵察範囲が広大で、それが負担になるという側面と、一方で、広大であるが故に、ある一点から周囲に対する偵察可能な範囲も拡大するのである。
従って、望遠鏡を用いなければ、偵察部隊の視力がものを言う。この世界に生きる住人達は、その環境に適応する為に、地球世界よりも広い視界と視力を持つ。視力が6以上の人間が大勢いても不思議ではない。
第21軍団の斥候部隊は、数km離れた位置に巨大な飛行物体を視認した。彼らはその物体の正体を確認する為に軍馬を差し向けた。
戦闘ヘリコプター中隊のパイロットは、ヘリに搭載されたカメラを通して驚いた。敵の斥候がこちらを視認しているのだ!
彼は射撃用のコントローラーを押し込むと空対地ミサイルを発射した。こちら側へと向かってくる斥候部隊は、そのミサイルによって壊滅した。
四方八方に展開していた第21軍団の偵察騎兵であるが、航空旅団の攻撃によって、全滅し、第21軍団は、その防御陣地と斥候部隊を失い、戦闘能力を喪失した。
※※
エリザベス王国首都:第35歩兵師団
首都郊外に陣取っていた第21軍団を撃破した第35歩兵師団は、再びその進撃路を変更すると、郊外に広がる市街地の正門から3km以上離れた平原に簡易陣地を構築した。
この距離であれば、都市の監視塔からも確認できるだろう。わざわざ、都市から見える位置に陣地を構えることで、首都の郊外にも圧力を加える為である。
これによって、首都港湾部を占領する第2海兵遠征旅団と首都郊外の第35歩兵師団が首都を挟み込む様に展開した。
首都から郊外へと続く河川は、第35歩兵師団による牽制によって、使用が難しくなった。つまり、首都から脱出する通路は、侵攻軍によって遮断されたのである。
これに驚いたのが、首都内陸部及び郊外の市街の住民達である。今まで、平和的な雰囲気さえ漂っていた市内に突如として侵略の危機が訪れた。
勿論、港湾部が侵攻軍に占領されたことは知ってはいるものの、その脅威が自らの生活居住圏にまで進出するとは思わなかった。
せいぜい、増派される陸軍の軍団によって撃退されるだろうという楽観が広がっていた。首都が攻撃されてもなお、自国の優位性を信じていたのである。
というより、郊外に住む市民達は、そもそも他に逃げるところなどない。彼らは基本的に低所得者層であり、外国人や異民族である。
国内で諸手を挙げて受け入れてくれる都市や村落が他にあるかというと怪しいところであった。首都郊外の生活も楽などでは決してないが、それでも、他の都市に比べれば、遥かにましである。
外国人差別や異民族に対する差別感情が根強い地方都市に、彼らの居場所はなかった。
しかし、その居心地の良い居場所も、侵攻軍によって奪われることになってしまった。郊外に広がる市街地では、住民達の混乱が伝播していた。
彼らは、決断しなければならない。現在の居場所を捨てて、己の生命を取るか、それとも、侵略に耐えて、今まで築いてきた家屋と財産を守るのか。戦争に於いて犠牲となるのは、いつもこの様な低所得者層である。
※※
エリザベス王国首都:首都防衛軍司令部
首都防衛軍は、衛戍軍・近衛連隊・第21軍団と第25~28師団の予備部隊によって構成されるが、その第21軍団が実際に司令官の指揮下に加わる前に新しく出現した敵部隊によって撃滅された。
軍団からの定時連絡がなく、更に敵部隊が首都郊外に陣取っていることから、第21軍団が敵軍によって攻撃され、壊滅状態に陥ったことは容易に想像ができる。
首都防衛軍司令官(陸軍大将)は、陸軍大臣に直訴し、他の地域に配備されている師団も軍団単位で動かすことを了承させた。
首都の住民に対して徴兵を開始すると、10個以上の義勇歩兵連隊を錬成した。この急造された義勇兵部隊は、練度は高くないものの、初めから質を期待された部隊でなく、敵軍の攻撃から正規軍の損耗を抑制する、人間の盾として期待されていた。
彼ら義勇兵達は、内陸部・郊外の市街に住む市民から重点的に徴兵され、都市の重要な構成員である帯剣貴族・富裕市民・都市貴族らは当然の様に温存された。
そこには、明確に生命の不平等が罷り通った。徴兵に反発する市民らは、首都の治安維持を担う、第1近衛竜騎兵連隊の武力によって鎮圧された。
徴兵反対の集会を開催した主催者を拘束すると、都市の広場に設置された断頭台へと送って、見世物としたのである。
富裕市民や都市貴族が多い議会の平民勢力は、これらの行為を黙認した。彼らにしても、自分達の命が優先であって、選挙権すら持たない下層住民などいくらでも死んでも良い存在でしかないからだった。
首都防衛軍参謀長(陸軍中将)が司令官に現状の報告をしていた。
「壊滅が予想される第21軍団の兵力を期待せず、国内から師団を集成した軍団を派遣する様に連絡をします。5個軍団15個師団の増派部隊を以て、首都防衛に充てます。
我が防衛軍の総兵力は、最終的に21個師団及び6個近衛連隊、並びに10個義勇連隊を以て構成します。これらの編成を実現する為に、順次、連絡騎兵を中央軍管区などに派遣しています」
「連絡騎兵が安全に通行できる保障があるのか?残念ながら、敵軍の火力と偵察の前に、我が軍の連絡さえ覚束ない」
「恐らく、他の軍管区への援軍要請は、敵軍の妨害によってなし得ないでしょう。しかし、防衛軍が一応、首都防衛の為に全力を尽くしたという実績にはなります」
「そうだろうな。あの侵攻軍が易々と見逃すとも思えない。しかし、敗戦を制御する上で、こちらの支配階級の損害もある程度は必要だろう。
そうでなければ、これから死んでいく将兵と義勇兵に対して申し訳ない。だから、貴族と騎士にも死んで貰わなければならない。それでこそ、死という平等を与えることができる」
陸軍大将は、既に自国を存続させる為に悪魔になることを決心した。腹心の参謀長も同意して、出来るだけ、この国の癌を摘出しながらうまく停戦や降伏交渉に持ち込もうと画策した。
この国の支配者達が腐っているのは事実だが、それでも国家に対する忠誠心は人一倍あった。
彼らが忠誠を誓うのは、支配者に対してではない、国民に対してでもない、国家という政治共同体そのものに対してである。
それを存続させる為ならば、いくらでも王侯貴族と一般市民を差し出す算段である。尤も、それは追い詰められた者達の狂気なのかもしれないが。
第2章⑩「現存艦隊」
エリザベス王国西部:ショアサイド海軍基地
王国西部の港湾都市に設けられた海軍基地を母港とするのは、海軍第3艦隊である。第3艦隊は、大陸との海上交通路を防衛すると共に、大陸海軍への牽制を担う。
大陸に存在する列強諸国にとっては、王国を攻撃する上で最初の障害となる部隊であり、それ故に、同国軍隊の中でも、最も認知度が高い艦隊である。
大陸の列強諸国は、この第3艦隊を仮想敵艦隊として海軍力の増強に努めているが、未だに王国海軍の水準には至っていない。
大陸国家が、陸軍国家である以上、どうしても海軍への投資と維持という部分が疎かになってしまうのも無理はない。
大陸諸国にとって、貿易相手であり天敵でもある王国よりも、隣国の大陸国家への対処の方が優先されるからである。
第3艦隊は、戦争政策によって同国の海上優勢を維持するのでなく、軍事的プレゼンスを以て周辺海域を睥睨していた。
いわゆる現存艦隊と呼ばれる海軍戦略である。艦隊の存在感によって、敵国の侵攻を抑止するのである。
いくら第3艦隊と言えども、大陸諸国の海軍全てを相手にできる訳ではないから、消極・防勢戦略による敵艦隊への妨害で十分に成果を得られる。
それに、それらの妨害によって、敵国海軍の戦力消耗も狙うことができる。第3艦隊が保全されているが為に、大陸諸国は少ない海上戦力をエリザベス王国方面へと張り付ける必要が生じる。
それが王国海軍の戦略による誘導だと分っていながらも、軍事的合理性によってある程度の艦隊を配備していた。その艦隊維持費が大陸諸国にとっては、国庫の負担を強いるものである。
王国海軍と戦争しようものならば、戦争を開始する動員前後に財政破綻をしてもおかしくはない。そうであるならば、王国への備えをしつつ、貿易関係を結び、国富を蓄財する方が良い。
第3艦隊司令部に、海軍省から援軍の命令が下ったのは、侵攻艦隊の出現から数日後のことであった。艦隊は、第2艦隊と併せて侵攻艦隊を首都湾内に閉塞、又は、捕捉撃滅せよとの海軍大臣(公爵元帥)と海軍司令官の連名による要請を早馬で受け取ったのである。
郵便公社の郵便馬は疲弊しながらも、艦隊司令部へ命令書を無事に届けた。命令書を受け取った司令官と司令部の面々は頭を抱えた。
第3艦隊の存在意義は、前述の通り、現存艦隊として大陸諸国への軍事的プレゼンスを発揮することである。
その艦隊を首都への援軍に出すということは、艦隊の保全という海軍戦略の前提が崩れかねない。仮に艦隊の戦力が大きく削減されようものならば、大陸と王国の軍事的均衡が崩れ、王国に対する侵略を誘引しかねないからだ。
第3艦隊司令部の幕僚達が議論したのは、派兵するのは軍令である以上、仕方ないものの、そうであるならば、艦隊の保全と首都の救援を両立できる軍艦の数は如何程なのか。
正確に言えば、海軍省に対して「首都救援の艦隊を派遣した」という事実を作るに当たって、どれ程の艦艇であれば、納得させられるかということだ。
艦隊に属する全ての軍艦を派遣する訳にはいかない。第3艦隊は、4個フリゲート戦隊及び2個コルベット戦隊で構成される。
フリゲート戦隊が外洋・地域を担務し、コルベット戦隊が近海・沿岸の防衛警備を担当する。正直な所、一隻の軍艦も派遣したくはないが、だからと言って海軍省の要請を無視する訳にもいかない。
そもそも、第3艦隊が現存艦隊を以て大陸諸国を牽制していることは、海軍省の長である海軍大臣と海軍司令官も知っているはずである。
現在の海軍大臣は、元は第3艦隊の提督であったのだから尚更であるが、知りながらも派遣を命令したということは、それほど、首都の情勢が厳しいということなのだろうか。
情報が瞬時に伝達できる近現代とは異なり、近世では未だに情報伝達手段が発展していない。首都の緊迫した情勢をリアルタイムで彼らが受け取ったのならば、対応もまた違ったものになったかもしれないが、情報の速報性が担保されていないこの国家の限界である。
最終的に幕僚達が提督に提示したのは、4個フリゲート戦隊を温存し、2個コルベット戦隊を派遣するという案と、1個フリゲート戦隊・1個コルベット戦隊を派遣するという案の二つに落ち着いた。
提督は非常に悩んだ。海軍戦略を採るか、それとも中央政府へ媚びるのか。妥協としては、2個コルベット戦隊を供出することだが、それでも近海防衛の戦力を失うことは避けたい。
だからと言って、外洋作戦のフリゲート戦隊を差し出せば、それだけ外洋作戦能力が低下し、現存艦隊政策が崩れかねない。
現存艦隊を放棄するというのならば、更なる軍艦の増強が必要だが、今の議会と海軍省が軍事費の増加を認めるかどうかは非常に微妙である。
植民地の防衛に海軍の半分が費やされており、本国防衛に割ける艦艇は不足気味であるのが現状だった。
そもそも、中央政府と議会には、大陸諸国や他の島国が自国を攻撃するなどとは毛頭も考えていないのかもしれない。
一応、防衛の準備はするものの、海洋という天然の要害に守られた王国の攻撃意思と防衛意思は、国内の異民族討伐と海外領土の防衛に割かれていた。
王国に侵攻した大陸諸国は、必ずと言って良い程、この海洋を渡洋する途上で王国艦隊に妨害されて、海中に沈んだ敵兵は数知れない。王国政府と国民は、どこか外国からの侵略というものを楽観していた。
提督は、艦隊と自らに課せられた海軍戦略を墨守することを選択した。即ち、近海防衛用の2個コルベット戦隊を首都への援軍に充てて、4個フリゲート戦隊を温存する案を採った。
中央政府と海軍省からは、煙たがられるかもしれないなと思った。これで、海軍司令官や海軍大臣への出世も閉ざされたかもしれない。
しかし、自国の海軍戦略を変更し、結果として自国に負担を掛けることを提督は良しとしなかった。2個コルベット戦隊を第3コルベット任務群として編成し、首都への救援部隊として派遣した。
一方、王国東部を根拠地とする第2艦隊は、海軍省の援軍命令を受けて、2個フリゲート戦隊を第2フリゲート任務群として派遣することを決定した。
これらの海軍部隊は第1小艦隊として、軍歴の長い第3艦隊参謀長(海軍中将)⇒(海軍大将)が執り、副司令官として第2艦隊参謀長(海軍中将)が任命される運びとなった。司令官に着任した中将を戦時任官によって一時的に大将へと昇進させた。
第1小艦隊は、首都港湾部に停泊する敵艦隊を西部と東部から挟撃することを基本の作戦とした。海軍省は、何れこの小艦隊を艦隊に昇格させて首都の海軍基地に配備する計画も始動させている。壊滅した第1艦隊の代替とする為である。
※※
エリザベス王国北部海域:A方面軍第89任務部隊
第89任務部隊は、日本海軍第8艦隊の水上打撃部隊である。通常は2個駆逐隊(合計16隻)からなるが、今次戦争にあっては、3個駆逐隊(合計24隻)に増強されていた。
現代ヨーロッパ諸国の海軍であれば十分に一国の海軍艦艇数に匹敵するが、緊張状態が続く太平洋地域に於ける標準的な海軍の軍艦数としてはまだ足らない。
凡そ、太平洋地域の軍事大国は50隻程度のミサイル駆逐艦を保有しているのが最低限であった。600隻以上の軍艦を保有する米国海軍に比べれば、12分の一程度の艦艇数でしかない。
それでも、近世ヨーロッパ初期から中期程度の国力を持つ王国に対する海上戦力としては、十分過ぎる程である。
更に言えば、水上打撃部隊は、王国南西部に派遣された第81任務部隊と強化型遠征打撃群である第86任務部隊に随行する1個駆逐隊を合計すれば、56隻の水上戦闘艦を派遣している。現代日本の海上戦力を上回る規模の軍艦が投入されたのである。
王国海軍の第2・3艦隊の一部の艦艇が出港したことは、哨戒機部隊によって既に捕捉していた。王国の主要な海軍基地は、予め偵察衛星によって発見していた為、これらの基地を哨戒機部隊が発見することは難しくなかった。
勿論、哨戒機や戦闘機による対艦ミサイルの発射も可能であるが、先述の通り、この作戦は、軍事力の示威活動という政治目的も含まれる為、見送られた。
第89任務部隊は、一部の水上戦闘艦を首都湾内に碇泊させると、その他の艦艇は湾外に碇泊させた。残念ながら、首都の港湾施設は、日本海軍が運用する軍艦に耐久できない為、停泊はできない。
しかし、後続の海軍工兵隊と建設・土木企業が拡張工事を実施するだろう。湾内に碇泊し、首都への示威を兼ねる第2駆逐隊を除いた、第7駆逐隊・第15駆逐隊は港湾から大きく離れて航行していた。艦砲射撃によって、敵増派艦隊を撃破する為である。
哨戒機部隊と同じく、こちらもスタンドオフ攻撃を自制していた。やはり、首相の要請によってできる限り、敵軍の視界内で敵軍を攻撃することが要求された。
海軍としても、高価なミサイルよりも単価の安い艦砲弾の方が経済的である。相手国が近代海軍であれば、ミサイル攻撃も視野に入れるが、そうでないならば、できるだけ艦載砲に頼るという基本方針が貫かれた。
第89任務部隊が有視界によって、水平線上の端に浮かぶ戦列艦の群れを視認した。しかし、敵艦も又、こちらを捕捉したことだろう。
水平線が地球よりも遠大なこの惑星ならではと言える。大体の場合、敵艦隊を視認してから海戦へと移るのがこの地域の軍事史である。
ミサイルが開発されていない以上、広い水平線に頼った有視界による海戦が暫く続くことだろう。もしかしたら、第二次世界大戦の時代で活躍した戦艦であっても、水平線の呪縛は解けないかもしれない。それだけ、この惑星が広大であるという傍証だ。
この距離であれば、艦対艦ミサイルを使うまでもなく、GPS誘導の艦砲弾によって敵艦を撃沈できる。Mk.45 5インチ砲 mod.4(62口径・127mm砲)が上空の小型GPS衛星・無人偵察機とのデータリンクを確立すると、射撃目標と彼我の位置データが入力された。
この砲弾はいわゆる長距離対地攻撃弾(LRLAP)ではなく、射程を二分の一にまで削った低費用型のGPS誘導ロケット砲弾である。LRLAPが一発・一億円なのに対して、こちらの砲弾は一発・2000万円程度に抑えている。
それでも、通常の艦砲弾よりは高いが、ミサイル攻撃と艦砲射撃の中間の距離を埋める武器として重宝されている。
通常の艦砲弾では届かない距離の相手を攻撃する為に、わざわざ高価なミサイルを使用するのが憚られる場合に用いられる。この水平線が長大な惑星には、ぴったりな武器と言える。
北部海域の西側に位置する第7駆逐隊が、敵の第3コルベット任務群に艦載砲を向け、東側に位置する第15駆逐隊が敵の第2フリゲート任務群に標的を定めた。
5インチ砲から発射された砲弾は、正確に敵の戦列艦を撃ち抜き、敵の増援部隊は海底に沈んだ。
第2章⑪「エルフ村自治領連邦」
エリザベス王国南東部:ベータ区域(山間部・森林地域)
ベータ区域に駐留するA方面軍の敵は、目下のところ巨大熊を始めとする異世界の巨大生物群であった。
これらの自然動物は、王国軍よりも手強く、貴重な弾火薬の費消が激しい。小銃弾などの小口径弾では歯が立たず、中口径弾・大口径弾が大量に駐屯地へと運ばれているが、弾薬庫に死蔵されることなく、即座に前線部隊に供給されていた。
特に12.7mmNATO弾の需要は極めて高い。12.7mm弾を使用する重機関銃が持つ携行性と火力が、巨大生物を討伐するのに丁度良いからだ。
陸軍や郷土防衛軍の倉庫に死蔵されていたブローニングM2重機関銃を予備役から現役に復帰させて現場の需要に応じているが、肝心の弾火薬が不足気味である。
必要な弾薬量が、駐留部隊の予想を大きく上回り、日本国内中からかき集めると共に、工場を増設して増産体制の構築に努めている。
A方面軍がベータ区域を占領下に置くことができたのは、該当区域及びその周辺が王国人と異民族・外国人が居住しない地域だからである。
この地域は、巨大生物の宝庫として同国では知られていて、王国内にありながら、その平穏を保っていた。ベータ区域で生活することは、自殺志願者に他ならない。
翻って、日本軍が占領に成功したのは、物量と火力に物を言わせて、短時間で大量の建築資材を投入し、重機関銃によって守られた防御陣地が敵の侵入を拒んだからだった。
害獣さえ駆逐すれば、絶好の土地である。未だに手付かずの自然が残り、風光明媚である共に、耕作に適した豊穣な土地でもある。
もしも王国が近代国家だったら、その軍事力によってベータ区域も開拓されていたかもしれない。それを踏まえれば、この時代に転移した日本国は運が良かった。
地球世界では最早、叶わないであろう植民地支配が、思う存分できるのである。これこそ、国家の本懐である。
第3海兵遠征旅団が、第12歩兵師団(空中強襲)・第5工兵師団に続いてベータ区域へと上陸していた。旅団は、第15歩兵師団(軽歩兵)と共に、沖縄地方に駐屯地を持つ。
沖縄本島は、中国大陸及び台湾への侵攻拠点の一つであり、日本の対中戦略の基礎を形成する。中国海軍を第1列島線に抑え込み、九州・佐世保海軍基地にローテーション展開する遠征打撃群と共に国防軍の「南西シフト」の象徴とも言える部隊である。
現在は、転移に伴い中国や台湾、ロシアや朝鮮といった日本の仮想敵国がおらず、今のところ、それら諸国に匹敵する国家もない為に、仮想敵国用に用意していた外征部隊を動かすことができる。
第3海兵遠征旅団は、軽武装の特殊作戦部隊・第12歩兵師団に代わって、第1海上事前集積船隊の軍需支援による重武装を以て、当該区域の防衛警備を担当する。
B分遣隊(第1海兵遠征旅団・第1武装偵察中隊)が巨大な生物に襲撃されたことを教訓として、後続の特殊作戦部隊・第12歩兵師団は、その性格に似合わず、高火力の兵器を持ち込んでいたが、やはり本来は、軽歩兵であるこれらの部隊を重武装化することは無理がある為、強力な火力に慣熟している海兵遠征旅団を派兵して、防衛警備の主力を任せるに至った。
海兵隊は、歴史的には植民地支配の尖兵であったから、その原点回帰とも言えるかもしれない。
ベータ区域には、本格的には港湾施設も建設される予定である。いまや、この区域は日本軍の対エリザベス王国政策の根幹を成す軍事基地と化している。
食料政策の側面では、未だに地質学的な調査が行われており、併せて実験的な小規模農園・中規模農園を基地内の安全区域で稼働させている。
何れは、大規模農園に拡大されるだろうが、要塞化した農園の警備負担は相当なものである。この人的負担を軽減する為に、大量の無人兵器が闊歩していた。
駐留する軍隊は90,000人程度だが、軍属という名目の民間人は60,000人程度であるから、合計150,000人程度の要員を軍事基地内に抱えていた。
言うなれば、軍事都市そのものであり、関係者からはベータ軍事都市とも呼ばれる。現実世界に於けるサウジアラビア王国の「ハリド国王軍事都市」を更に大規模化した印象を受ける。
尤も、建設期間が少ない為、「エメラルド・シティ」と呼ばれた同軍事都市に比べれば、その施設の簡素化ぶりは否めないが。
それでも、一定の防御機能を備えるのは、現代の工兵技術の賜物なのか、それとも直ぐに設置できるヘスコ防壁の偉大さによるものなのか。将兵は、ヘスコ防壁の偉大さに感謝した。
この惑星に転移してからというもの原始的な要素が強く働く様になっていた。原始的な要素とは、本来、地球世界が乗り越えたはずの「地理」であり「歴史」であり、そして何よりも「自然」であった。日本人は、この世界の自然を超克できるのだろうか、それとも、共存できるのだろうか。
※※
エリザベス王国南西部:エルフ村自治領連邦:A分遣隊
A分遣隊が、王国南西部に広がる森林に点在するエルフ村自治領連邦の環濠都市を訪ねたのは、エルフ達との日常会話が通じる様になった5週間後のことだった。日常会話と言っても、中学英語に近く、ごくごく基本的な文法と単語を研究・解析したに過ぎない。
それでも、数週間で全く未知の外国語を言語解析し得る情報分析官(少尉)の技能は、やはり卓越している。
言語解析は、ひたすらに地道な作業であるが、少尉を中心とする外国語研究班(A分遣隊で少尉の研究に巻き込まれた人たち)と村民らは高度且つ単純な研究を楽しんでいた。
少しずつではあるが、自分達の研究を通じて会話ができる様になったのである。勿論、文章を書くとか、交渉ができる様になるとかまでは、未だに至っていないが。
村長や長老の話を総合するに、どうやら周辺の村落と軍事同盟を結び、異民族討伐を掲げる中央政府や、反政府を掲げる武装勢力の両者から、自国(自治領)と友邦を防衛しているらしい。
エルフの人数が多いから、その連邦は、「エルフ村自治領連邦」と呼ばれているとも聞いた。都市国家という独立形態があるが、これは言わば「村落国家」であり、その村落による同盟であるから「村落同盟」とも言える。
まるで、独立した都市国家が、商業圏と大国からの侵略を防衛する為に築いた都市同盟を彷彿とさせる。
しかし、都市同盟と違う点を挙げれば、それは高度なネットワーク化である。共通したインフラストラクチャーを持ち、環濠都市化した村落を中核として衛星都市化した村落が囲む様に配置されている。それも複数、重層的に展開されている。
もしも、衛星写真を加工した上で見たならば、そのネットワークそのものが防御陣地の機能を持つことに気付くだろう。
これらのインフラ・ネットワークは、単に防衛のみならず、輸送や物流という点でも効果を発揮する。これまで、物資が滞りがちであった寒村にまでも最低限必要な商品を運ぶことができる。
この連邦で活動する行商人にとっては、自身の商圏が拡大する機会である。中心都市の周辺に位置する寒村であっても、相当の財産は持っており、行商人の懐を温かくするのには十分な人数であった。
この連邦には首都が存在しないが、それぞれの中心都市がその機能の一部を代替している。同じ都市圏でなく、複数の都市圏が重なり合っているのが、この自治領連邦であった。
王国内に於ける自治領とは、君主及び中央政府からの特許状によって建設されるのではない。国内の異民族が勝手に築き上げた(先祖代々の)土地である。
彼ら異民族は、元々の先住民であったり、流浪の外国人の子孫であったりと様々であるが、共通して言えることは、中央政府に対して反感を抱き、反抗的であった。
中央政府との良好な外交関係を構築している自治領・異民族にしても、その忠誠心など微塵も無く、あるのは形ばかりの服従と綺麗に包まれた反抗心である。
ゲリラ戦を得意とする武装勢力と対反乱作戦(COIN)と得意とする陸軍の攻防は一進一退で、両者、いくつもの英雄と戦死者を出し続けている。
陸軍の戦闘教義は、国家間戦争などの大規模な正規軍同士の戦闘よりも、諸侯の私戦や異民族の討伐など、内戦の鎮圧と対ゲリラ戦に特化していた。
植民地支配に伴い、大規模な陸軍力を持つ大陸諸国との競争を強いられた王国は、海上の戦いのみならず、地上の戦いという戦場を余儀なくされた。
大陸諸国という脅威に対して、陸軍も又、大陸国家の様な戦闘教義を得る必要があった。それによって、国内に於ける内戦と海外領土に於ける地上戦という二つの戦場を想定しなければならなくなった。
植民地帝国となる以前の王国陸軍は、平時の編制単位を連隊として、師団や軍団といった作戦単位・戦略単位は戦時にのみ編成される単位であった。
しかしながら、海外領土を拡大するに当たり、大陸に存在する列強諸国との地上戦が現実味を帯びてくると、連隊の兵力だけではとても対処できなくなってくる。
そこで、陸軍省はこれまでの平時の最高階級である大佐(連隊長)から一段上の少将(師団長)を常設化する共に、地方に駐留する複数の連隊を束ねた師団も常設化するに至った。
最高階級が大佐であったから、君主も含めて陸軍大臣や陸軍司令官といった諸外国に於ける将軍に匹敵する軍高官も等しく大佐であった。
しかし、少将が常設化されたことで、それらの軍高官は初めて、恒久的な将軍を名乗る様になる。今でも、君主・王族・軍高官に大佐や名誉連隊長が多いのは、その名残りかもしれない。
だが実際に列強諸国との植民地戦争に突入すると、師団と少将の常設化でもまだ足りなかった。植民地を維持する列強は、軍団や野戦軍を常備していることが当然で、その兵力の前に陸軍は屈辱を味わった。
元帥や大将が率いる敵軍に対して少将が率いる師団が敗北するのも無理はない。それでも、今まで国内の地上戦を中心に戦ってきた陸軍にとっては、衝撃だったのである。陸軍省は一気に元帥と軍管区を常設化して、時代に応変した。
国内に於いては、未だに軍団や野戦軍といった戦略単位は、戦時の編成であるが、海外領土に駐留する陸軍の部隊は、軍団又は野戦軍を平時から組織している。
海外領土ならともかく、国内では依然として異民族の平定が最重要の任務であり続けたから、個々の連隊の重要性は欠片も低下してはいなかった。
翻って、エルフ村自治領連邦にとっての最善の状況とは、中央政府と反政府の異民族・武装勢力とが対立し、その両者の関係に対して第三者として関与ないし中立を維持し得ることである。
どちらの勢力が主導権を握ったところで、自治領からすればそれは悪夢でしかない。自治領はその為の謀略活動として、両者の陣営に少なくない協力者を運用していた。
中央政府と反政府軍の対立を扇動することこそ、彼ら自治領の唯一の生存手段である。自領の生存が懸かっている自治領連邦の諜報攻勢は凄まじく、国家間で行われている高度な諜報戦が国内で展開されていた。
中央政府としては、自治領が第三者の立場を維持することで、他の異民族を討伐する余裕が生まれ、自治領としては、他の異民族を犠牲にすることで自領の安寧を保つことができる。
明確な協定がある訳ではないが、それでも暗黙の了解や公然の秘密という体で南西部の勢力均衡は維持されていた。
第2章⑫「男爵砲兵大将」
エリザベス王国南東部:キングスフォード辺境伯領
王国の南部と東部は未だに異民族が蔓延り、中央政府にまつろわぬ勢力があちこちに軍旗を掲げている。その南東部にあってキングスフォード辺境伯領は、異民族及び自治領に対する防波堤と侵攻拠点を兼ねていた。
キングスフォード辺境伯位は、君主が持つ儀礼称号の一つであり、当然ながら君主が領主を兼ねる。君主の信頼が厚い将軍が、「国王の代官」として辺境伯領の統治を委任されている。
異民族との戦争の最前線である辺境伯領の首長には、駐留する陸軍の師団・連隊を統率することが要求される為、軍役を重ねた老練な将軍が任命される傾向にある。
南部軍管区に於いて、長らく同地域の平定を行っていた男爵大将が現在の代官である。
男爵大将は、先代君主の庶子として、王族に連なり、陸軍士官学校を経て、砲兵将校としての軍歴を歩んだ。
王子は庶子であるが、その軍事能力が先代君主に評価されて、男爵位と荘園を賜り、王族から離籍し、自らの貴族家を創設した。
男爵大将の能力は、単なる軍事能力に留まらず、政治能力という面でも手腕を発揮した。降伏した異民族を受け入れ、自国に同化させると共に、国力の増大に貢献したのである。
彼にとって、異民族の討伐は手段でしかなく、飽くまでも自国の統一と安寧を目的としていたから、異民族の平定によって軍功を稼ごうとする軍人の中にあって、戦略や政治の次元で事物を見渡せる数少ない人物であった。平定した異民族の娘を娶ると、同化政策の象徴とした。
男爵が砲兵中将であった頃、南部軍管区に於いて参謀長を勤め上げ、その功績を以て、当代の君主から辺境伯領の代官に勅任された。
勅任式に当たっては、改めて君主に対する臣従礼を結び、王族としての地位を捨てて、臣下となったことを宮廷と軍部に見せた。
国益よりも家益を重視する王侯貴族にあって、国益の為に自身を捧げるその姿勢は、愛国心の強い将兵と国民に尊崇されている。
彼が自国の利益を第一に押し出すのは、その出自によるところが大きい。君主の庶子として生を受けた彼が、この国で生き残る為にはそれしか方法がなかったのである。君主の庶子には、士官の職や良家の令嬢が宛がわれるが、必ずしも生活が安定している訳ではない。
特に、王妃とその家門からは、煙たがられる存在である。嫡出子である王太子の王位継承権を脅かすと目されるからである。
彼は、その様な王位の簒奪など考えもしなかったが、先代の君主は、自身の息子の中でも特にこの王子に目を掛けていた。
議会で制定された王位継承法に従えば、王太子の玉座は揺るぎないものだったが、それが、見せかけに過ぎないことは、誰でも理解していることだ。
内戦が常態化していた一昔前であれば、いくらでも王位の昇順は激動する。それを前王朝の王位継承権を保持していたバッテンベルク家門はよく理解していた。
何よりも、彼らがその内戦に乗じて王家から王位を譲渡されたのである(勿論、「譲渡」という名目の「簒奪」である)。王朝の維持と王位継承権の限定と言う、相反する課題を彼らは抱えていた。
バッテンベルク王朝は、この問題に対して庶子の王子・王女を貴族や軍人にすることで問題を先送りにしていた。
軍事的な才能に恵まれた王族士官は、王朝にとって使い易い手駒であると同時に、潜在的な敵でもあったのだ。
だからこそ、彼は国家と君主に忠誠を誓い、ただひたすらに軍務を勤め上げた。その姿勢は、国家が彼に強制したものだろうか。間違いなくそうだろう。
そうでなければ、彼は趣味の絵画や彫刻の道に進んだかもしれない。
しかし、周囲の政治情勢が芸術へ進むことを認めなかった。軍人として、一生を国家に捧げ、縛り付ける必要があったのである。
そこに彼個人の権利や意見といったものは一切、斟酌されていない。
彼は、一個人の人生を簡単に決定できる国家権力というものを非常に恐れていた。彼が怖いのは、異民族でも敵対する貴族でもない。
国家権力こそが敵であり、それに寄り添うからこそ味方でもある。「政治の本質は友敵関係である」と、政治哲学者は言うが、それは実社会にも言えることである。その恐怖を克服する為には、恐怖そのもの掌握しなければならない。
※※
キングスフォード辺境伯領:代官公邸
辺境伯領の首都であるキングスフォード市の中心に位置する広場から大通りを抜けた先に、代官の官邸と公邸が威厳を保っていた。
代官の官邸は、大通りを突き抜けた先に聳え立ち、代官公邸はその官邸から空中回廊に繋がれた建物を使用していた。
長年、異民族に対する城塞都市であったキングスフォード市は、高度に要塞化すると共に、その強靭な防御性と安全性から地域の中心都市として、芸術の都としても栄えている。
城塞都市としての機能性と文化都市としての芸術性を兼ね備えた、国内外でも珍しい都市である。
そもそも、キングスフォード市で芸術が発展したのは、貴族や富裕市民による芸術家への支援があったからではなく(メディチ家やルネッサンス期とはまた違った歴史で)、駐留する軍人・軍属への娯楽として提供されたことが始まりである。
芸術はどちらかと言うと、高尚で貴族文化に属すると王国では捉えられていたが、この都市に於いては、娯楽産業の一部であった。
一部の貴族・富裕市民が独占するものではなく、広く、一般市民や軍人に開かれた娯楽性と商業主義を持つ文化なのだ。
そこには、地球世界の独り善がりな芸術は発見できない。言わば、「考察する対象としての芸術」「教養としての芸術」ではなく、「人々を楽しませる芸術」なのだ。
深夜、寝室から妻を起こさない様に静かに起き上がった男は、書斎へと向かった。彼が書斎に辿り着くと、本棚をずらして隠し部屋へと入っていった。
その部屋は、未完成の絵画や彫刻などで溢れていた。その作品群をひとしきり鑑賞した後、無造作に道具を手に取ると、おもむろに挿絵を描き始めた。
傍らには、小説が置かれており、その作品世界の背景や登場人物などを描いている。それは彼のささやかな趣味である。
背後の人の気配を感じて、ふと振り向くとそこには褐色の肌を持つ長身の女性が立っていた。彼は、柔和な笑みを浮かべると妻に尋ねた。
「起こしてしまったかな?」
「えぇ。いつも、深夜にこっそり抜け出しているんだもの。気付いていないはずがないでしょう?」
「確かにそれもそうか…君も一緒にやるかね?絵を描いていると心が安らぐんだ。世俗の下らない問題を忘れさせてくれる」
「世俗の問題って南部の平定のこと?それとも首都を攻撃している敵軍のこと?」
「いや、そんなことは些末な事だ。宮廷と軍部内の権力闘争に派閥争い、足の引っ張り合いかな。それが人の業なのだとしても、うんざりさせられる」
「世の中なんてそんなものでしょう?宮廷貴族が腐っていることなんて、今時、子供でも分かることじゃないかしら?」
「その通りだ。どんなに軽蔑しても、人間が持つ負の側面を直視しなければならない。他人に期待してはいけないし、正義や公共善なるものはどこにもない。
そんなことは分かっている。それでも、私は、…他人に期待してしまうのだ。いけないと分っていてもね」
「でも、貴方が男爵位と大将の地位を手に入れたのは、決して綺麗事だけではなかったでしょう?同僚を蹴落とす為に汚い手段だった使ったはずでしょう?何をそんなに悩む必要があるのかしら?人間というものは、常に他人を犠牲にしながら生きているのだから」
「全くもって君の言う通りだ。私も君の様に割り切れればいいんだが、…なかなか世の中は思う様にいかない」
「当然でしょう。この世には、貴方だけでなく私と、そして他人がいるのだから、社会が自分の思う通りにいく方がどうかしている。
社会をコントロールすることは、神でさえ不可能でしょう?それが人間社会というものよ」
「君は達観しているなぁ。私は予想外の行動をする社会や大衆とやらが良く分からない…」
「貴方がさっき言っていたことではないかしら?他人に期待してはいけないと」
「大陸の革命を知っているだろう?市民が武器を取って王族を処刑したという…それを聞いて私は又、他人に期待してしまうのだ。人間が持つ可能性とやらを」
「期待してどうするのかしら?この国を共和制に戻すとでも?それとも古代にまで遡って都市国家でも作るのかしら?自治領の連中みたいに?」
革命で古代の政体にまで戻るとは思わなかった彼は、思わずふっふと笑った。
「それもいいかも知れないな。人類はもう一回、古代からやり直すのもいいかも知れない」
「本気で言っているの?」
「いや?冗談だとも。冗談さ。それでも、私よりも、私達よりも自治領の連中の方が楽しく生きている様に見えるのは何故なんだろうね。
文明とは、どこまで進めるのが正解なのだろうか。いつもそんなことを考えるんだ」
「誰かが、文明と時代を遅らせようとしても、どの道、人類は進んで行くでしょう?それで人類が滅びるのならば、それはそれでいいじゃない」
「…なんで私達は人類の未来について話し合っているのだろうか。最初に何を話していたのか…」
「あら?なんだったかしら。忘れたわ」
夫婦の会話として相応しいかと言われれば、相応しくないだろう。だが、これが彼女達の日常だった。お互いに意味のない議論が好きなのだ。答えを導く為ではない。夫と妻の戯れである。
彼女が男爵大将の妻となったのは、彼が異民族の一つを降したからである。少数民族のお姫様である彼女を娶って、同化政策を更に進める為だ。
それは、徹頭徹尾、政治的な思惑による婚姻であったが、お互いを深く知る様になると名実ともに良き配偶者となった。男爵が、法律上許された側室を持たないのも、夫婦の中が良いからだ。
王国では、教会勢力の影響力が随分と低下している為、彼らの宗教が禁じているところの重婚や愛妾・側室を持つことも許されている。
実のところ、教会勢力が強い大陸諸国であっても、実際には王侯貴族と富裕市民達は愛妾を抱えているから、形骸化しているのだが、それでも教会に遠慮して妻は一人だけとなっている。
一方、この国では正妻以外の妻として法律上の側室を持つことが許されている。教会勢力が強大であった時代でも、有力者達は、教会の戒律や教えなど遵守するつもりはなく堂々と、側室を連れて大聖堂へ赴き大司教と面会していた。
聖職者達にしてみても、信者に対して淫乱を禁止しておきながら、自分達は高級娼婦を教会や修道院に連れ込んでいたのである。
あまり強く重婚と淫乱の禁止を要求すれば、それが自分達に跳ね返ってくることは明らかである。だから、聖職者達も王侯貴族や富裕市民の豪遊や乱交を黙認していた。
寧ろ、積極的にそれらの催しに参加する聖界諸侯も多数いたし、自ら乱交などを開催する生臭坊主も大勢いた。その様な貴族と聖職者の行いが、広く民衆の失望と不信へと繋がっていったのは当然の成り行きだろう。
男爵大将が下らないと評した南部の平定問題とは、中央政府・反政府勢力・自治領連邦の三者による阿吽の呼吸で成り立つ。
最初から、どの部族が捕まり、村を焼かれるかなど決まっているのだ。決まって、大した武力を持たない、そもそも反政府勢力なのかさえ怪しい少数民族の集落が政府軍によって焦土化されるのである。
これは、取引だ。お互いが南部で生き残る為のスケープゴートなのだ。誰も、本気で南部を平定しようなどとは思ってもいない。
中央政府にとっては、異民族の討伐は、諸侯の勢力を牽制する上での大義名分でしかない。異民族討伐の名目で、政府に反抗的な諸侯の領地に軍隊を差し向けるのである。
討伐に協力しない諸侯は、王族公爵であれ、大司教侯爵であれ、断頭台に送られた。陸軍大臣を務める将軍の、貴族と聖職者に対する残虐性を良く知る有力諸侯らは、表向きは従順な振りをする。
しかし、裏では陸軍大臣の失脚を狙う為に宮廷で暗躍していた。大臣は、そんな連中を泳がせて、尻尾でなく頭を切断することを、今か今かと待っていた。
蜥蜴の尻尾切りではいけない。蜥蜴共の頭部を切らねばならない。さぁ、動き出せ。売国奴共をギロチンに掛けてやる。大臣は心底、この情勢を楽しんでいた。
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