第10章④「マルクヴァルト侵攻」

アルメイダ市:シルヴァニア公国公使館


 対抗同盟諸国に駐箚するシルヴァニア公国公使館は、自国企業や現地人の協力者と共に、各国の同盟政策・対外政策に関する諜報活動を活発に行っている。


 対抗同盟の支援に依存する公国にとって、同盟諸国の動向は常に監視しておかなければならない。


 ラホイ王国に於ける諜報活動を統括する陸軍中佐は、部下からラホイ軍に特異な兆候が見られるという報告を受けていた。


「ここ最近、軍事評議会が頻繁に開催されている様子です。更に、陸海軍省の各部門も昼夜を問わず稼働しています。軍馬や糧食の調達も増加している模様です」


「なるほど。……これは、戦争が近いと見るべきか?」


「まだ断定は出来ませんが、予備役用の軍用倉庫に緊急点検が入っているらしく、動員の準備に取り掛かっているのかもしれません」


「最も活発な兆候は?」


「軍馬の調達ですね。こちらが確認しているだけでも、3万頭以上です」


「3万頭だと?最低でも、騎兵連隊が20個は新編できるな」


「対抗同盟の加盟国であるラホイ王国の軍備増強は、我が国にとっては利益になるでしょう。精々、その剣先が我が国に向かわない事を祈るばかりですね」


「邦国軍がラホイ王国との国境地帯に兵力を割かれるのは間違いないだろう。問題は、邦国政府が動員令を決断するかどうかだな。邦国政府が、己の面子に掛けて、例え赤字になったとして戦線を拡大する恐れもある」


 中佐は、戦争の予感に肩を震わせた。


※※


ラホイ王国政府:動員令の布告


①余は、最高司令官として、予備役の動員及び国民の徴兵を布告する。


②各州は、それぞれ人口に応じて編制し、平時50個師団を戦時90個師団に拡大する。


③軍事評議会は、対抗同盟への支援に必要と思われるあらゆる物資の徴発を行う。


※※


マルクヴァルト邦国北東部・ゴモルカ州:北部方面軍・第13軍司令部


 ラホイ陸軍が、マルクヴァルト邦国との国境線に集結しつつあるという速報に、第13軍司令部は緊張が走ったが、ラホイ王国を仮想敵国として常日頃から訓練を重ねている第13軍は、直ぐに冷静さを取り戻した。


 ラホイ陸軍の展開は、シルヴァニア侵攻と対抗同盟に連動しているのは明らかだった。


 つまり、シルヴァニア侵攻に兵力と資源を浪費している邦国軍の防衛態勢に付け入る隙を見つけ、あわいが良ければ、侵攻してやろうという動きだろう。


 方面軍の兵力を誘引して、シルヴァニア侵攻へと抽出するかもしれない兵力を減少させようという事でもある。


 第13軍は、ラホイ王国との国境線北部沿いに6個師団を配備しているが、敵軍はそれを少し上回る8個騎兵師団を国境線に配備しようとしていた。


 国境線に配備された(あるいはされようとしている)兵力だけを比較すれば、邦国軍が不利だが、予備部隊と人口は邦国が圧倒的に優勢だ。


 ラホイ王国の人口は、邦国の半分程度しかない。


 邦国軍が一時的に不利な戦況になったとしても、後方から何個も師団を引っこ抜いて、援軍に回せば良い。


 しかし、ラホイ王国に有利な点があるとすれば、邦国の如く、四方八方を強力な大陸国家に囲まれている訳でないという利点だろう。


 但し、国内の反抗的な州や、旧エリザベス王国のコスタ海外州を考慮する必要もあるが。


※※


マルクヴァルト邦国北東部:国境線の戦い:マルクヴァルト第13軍×ラホイ遠征軍・第17軍(先遣部隊)


 ラホイ遠征軍は、第17軍(8個騎兵師団)を以て、国境線の最北部から侵攻を開始した。


 遠征軍は、敵最左翼の前線に対して、全兵力を片翼集中し、邦国軍の防衛線を突破する勢いを見せた。


 これに対して、敵左翼は僅か2個師団しか配備されていない。


 邦国軍は、自軍の4倍以上の兵力を擁する敵軍に為す術が無かった。


 しかも、遠征軍は全軍を騎兵で運用するという型破りで、機動力を確保している。


 歩兵も砲兵もその他の将兵も全て騎馬によって、騎兵連隊の突撃に追従した。騎馬で運搬できる歩兵の兵力などたかが知れているし、火砲にしてもそれは言える。


 つまり、遠征軍の先遣部隊は、機動力を最大化して、マスケットや大砲などの火力を犠牲にしているのだ。


 機動戦に最適化された軍隊は、占領や独立した軍事行動には適さない。


 それでも、総兵力で劣るラホイ王国にとって、一正面の局所に兵力上の優勢を確保する為には、この様な無理を重ねるしかなかった。


 遠征軍が、邦国軍の防衛線の突破に失敗すれば、邦国に援軍と動員の時間的余裕を与えて、敗戦に近付くかもしれない。


 邦国軍は、遠征軍の常軌を逸した行軍を前にして、大きく後退せざるを得なかった。


 しかし、彼らは何もしなかった訳でない。


 邦国軍は、北東部の国境線に展開されている他の4個師団に連絡騎兵を飛ばし、敵8個騎兵師団を追躡戦と包囲によって、孤立させる算段であった。


 邦国軍は、部隊を大隊・中隊単位に分割すると、敵軍の突撃隊形に対応して、騎兵突撃の圧力を緩和する為に、散兵化させた。


 騎兵突撃の衝撃効果が最も発揮される状況は、突撃される側の兵力が集中されている場合であり、特に戦列を維持している場合だからだ。


 しかし、これは危険な賭けでもあった。


 戦列歩兵の横列隊形は、マスケット兵の火力投射を最大化するという合理的な理由によるもので、これを崩す事は、ただでさえ少ない兵力を弄ぶだけに終わってしまう恐れもある。


 だが、後退に後退を重ねている中で、これ以上の後退は敵軍に国土の腹を晒す様なものだ。


 このまま何もしなければ、ゴモルカ州政府と北部方面軍司令部に直接の攻撃を仕掛けられてしまう。


 戦場の広範囲に散兵化した2個師団に対して、敵軍は8個騎兵師団も擁しているとはいえ、邦国軍を狩りだす為には、戦列が薄くなってしまう。


 しかし、そもそも遠征軍の目的は邦国領土を荒らし回る事で、二つの同盟間の紛争を全面戦争化する事だ。


 遠征軍は、戦場に散らばった邦国軍を無視して、そのまま突っ切ろうとしていた。


 邦国軍は、散兵化した将兵を集結させて、横列隊形を組み、敵軍の側面を攻撃しようとするが、なおも遠征軍は邦国軍を無視した。


 遠征軍は戦場となった平原と湖沼地帯を遮る丘の前で、急停止すると、今度は南を目指して再び強行軍を取った。


 攻撃目標である北東部のファスビンダー市に向かう為だ。


 しかし、同市へと向かう行軍の中で、邦国軍の新たな2個師団が迫ろうとしていた。


 邦国軍は、後退した2個師団の内、1個師団を北東部のヴィーグラー市の防衛に回すと、3個師団でラホイ軍を挟撃させる構えだ。


 遠征軍は自軍が挟撃される形となっても、無視して行軍を続けていた。


 昼過ぎ、北部方面軍司令部から、邦国軍の1個騎兵師団が援軍として展開した。


 邦国軍騎兵師団は、敵軍の騎兵が出している砂塵を認めると、すぐさまその側面に突撃を仕掛けた。


 どうにかして、敵8個騎兵師団の側面と後背を攻撃しようとする邦国軍4個師団は、遠征軍の高速機動に翻弄されていた。


 遠征軍の縦列隊形は、7km以上にも及び、側面を攻撃しようと思えば、攻撃側に有利だが、縦列があまりにも長大過ぎるものだから、どこか一部の隊形が乱れても、後列の騎兵部隊が押し返して、そのまま遠征軍の勢いに呑まれるだけに終わってしまう。


 これを崩すには、遠征軍の半数以上の騎兵部隊を以て側面に機動する必要があるだろう。


 だが、まとまった騎兵部隊は、7個騎兵連隊のみで、この程度の兵力では、遠征軍の縦列を崩す事など出来なかった。


 遠征軍は、邦国軍による妨害と攻撃によって、1個師団に相当する兵力を喪失したが、なおも前進を止めない。


※※


マルクヴァルト邦国北東部:ファスビンダー市の戦い:マルクヴァルト第13軍×ラホイ遠征軍・第17軍


 国境線の戦いで1個師団を喪失した遠征軍の勢いが衰える事は無かった。


 遠征軍はその速度を生かして、国境線に近いファスビンダー市を目指した。騎兵を主力としているからこそ、軍馬を休めさせる拠点が必要だからだ。


 同市を占領下に置いた遠征軍は、少ない歩兵を補う為に、騎馬から騎兵を降ろして、即席の歩兵部隊を編成させた。


 まるで、古代のチャリオット兵の如き方法である。


 それでも、ないよりはましで、火力が不足している以上、仕方の無い措置だ。


 邦国軍は、同市を奪還する為に、遠征軍を追撃した4個師団に加えて、国境線の防衛に張り付けている1個師団を増派した。


 更に、2個騎兵師団を臨時編成して増派する予定だ。


 ラホイ第17軍の目的は、邦国の防衛線を突破できる事を地域社会に喧伝し、後続部隊を助攻する為に、敵戦力を十分に誘引する事だ。


 だから、仮にこの町を守り切れなくても構わなかった。


 作戦目的は飽くまでも、後続の主力部隊の道を切り開く事にあるのだから、ある程度は達成している。


 とにかく、騎兵師団の機動力を生かして、邦国の領土を蹂躙してしまえば良い。


 しかし、騎兵師団を主力とする遠征軍・先遣部隊が、都市を占領した事は、自らの機動力を減じる結果になるだろう。


 邦国軍5個師団は、第53軍団長(陸軍中将)を司令官とするファスビンダー市攻略軍を編成すると、市を孤立させようと包囲を試みるが、ラホイ軍の騎兵連隊がこの動きを妨害してきて、思う様に包囲戦が進まなかった。


 だが、攻略軍はそこで諦めなかった。師団の各工兵大隊を集結させると、6個歩兵連隊(※2個師団の歩兵部隊に相当)の兵力を以て、包囲工事を再開したのだ。


 ラホイ軍が何度も騎兵突撃を行うが、攻略軍の歩兵連隊はこれを跳ね返して見せた。これに焦ったのが、ラホイ軍だ。


 このまま包囲工事が完成して、市が完全に包囲されれば、騎兵を主力とするラホイ軍にはかなり分が悪い。


 騎兵を下馬させた間に合わせの歩兵(下馬歩兵)では、野戦能力に優れた邦国軍の歩兵連隊との正面戦闘には耐えられないだろう。


 そうなると、この下馬歩兵は、市外に出させて邦国軍と直接に対峙させるよりも、市内に籠って、警備や予備部隊に回した方がましだ。


 勿論、戦況の悪化によって、下馬歩兵も駆り出されるかもしれないが。


 とにかく、ラホイ軍にとって急務なのは、攻略軍に包囲させない事だ。


 もしも包囲されて市内に閉じ込められれば、騎兵の機動力は発揮できない。


 攻略軍の工兵部隊とそれを警備する歩兵連隊に対する騎兵突撃は、次第に激しさを増して、ついには騎兵部隊の半数に当たる16個騎兵連隊を出撃させるまでに至った。


 しかし、ラホイ軍による騎兵突撃が激しくなればなるほどに、攻略軍は、警備の歩兵連隊を更に増強した上で、馬防柵や空堀などの騎兵対策を施して、地形を物理的に変えていった。


 こうなると、最早、騎兵突撃による打開だけでは困難で、歩兵戦闘によって、攻略軍が築城している塹壕網・包囲線を攻略する以外に、包囲を突破するのは厳しい。


※※


リーゼスシュプア地方:ラホイ第15軍


 ラホイ王国は、マルクヴァルト邦国との国境線に軍隊を集結させて、邦国軍の兵力を誘引すると共に、リーゼスシュプア地方(旧メルケル帝国の最北部の一部で、マルクヴァルト邦国最北部に接する)を踏み潰して、豪雪地帯と針葉樹林地帯を踏破し、邦国軍の警戒が薄い最北部から侵攻する予定で、これが実現すれば、シルヴァニア地方とメルテ海峡に限定されていた角逐は、列強諸国同士による直接対決のレベルへと移行するだろう。


 ラホイ海軍は、同国北部の港湾から、リーゼスシュプア地方へと、陸軍の第15軍(8個師団)を輸送した。


 1個軍12万人の兵力を海上輸送するのに海軍の軍艦だけでは足りないから、民間の船舶を徴用して、300隻以上の艦船がピストン輸送で、次々に邦国最北部に強襲上陸させた。


 旧メルケル帝国の小国が乱立した状態が固定化されている同地方に於いて、各国は精々、数千人から一万人程度の兵力しか備えていない。


 そうであるのに、大国の掣肘を受け付けてこなかった理由は、豪雪地帯と針葉樹林地帯が、大国の干渉を跳ね返していたからだ。


 それに、政治的にも、経済的にも、同地方はあまり重要でないから、どうしても、国際政治の片隅に追い遣られていた。


 第15軍は、12万人の大兵力を以て、小国群に侵攻し、占領下に置いていった。

 

 リーゼスシュプア地方の小国は、少ない兵力であるのに、互いに戦争を繰り返している。


 地域の団結力に乏しい現状を突かれたのだ。


 大軍に対して、小国は為す術も無かった。


 たかだか一万人の兵力で何が出来るというのか。


 それも、お互いに反目と衝突を繰り返している最北部に何が出来るのか。


 一部の小国が真剣に相争う隣国との同盟を模索した時には既に遅かった。


 何ヵ国もの小国を蹂躙した第15軍は、沿岸にいくつもの橋頭保を確保して、本国との海上輸送体制を確立した。


※※


ルペン共和国・ペティオン市:駐箚ラホイ王国公使館


 総統府平和局長を兼任する上級顧問官は、マルクヴァルト邦国に侵攻したラホイ王国を問い質すべく、ラホイ王国公使館へ赴いた。


 共和国政府が望むのは、二つの同盟関係を維持し、マルクヴァルト市場を攻略する事であって、両陣営による全面戦争は望んでいない。


 現状の変更は緩やかに為されるべきで、当然、共和国政府の影響と干渉の下に、西大戦洋地域の国際秩序を主導しなければならない。


 現在の共和国は、現状維持派、又は穏健な現状打破派と言った所で、急進的・過激な現状打破派でない。


 しかし、対抗同盟に加盟する他国が共和国政府と同じ意図を持っている訳でない。


 それぞれの国益と利益衡量の政治判断から、対抗同盟に加盟したに過ぎない。


 だから、全面戦争を望む加盟国があってもおかしくはない。


 そもそも、対抗同盟の目的は、邦国が国是に掲げる『旧帝国領の回収』と『民族の統一』を阻止する事にあるのだから、シルヴァニア公国に援助を与えるという消極的手段だけでなく、軍事オプションを選択するという積極的手段を通じて、自国の国益と戦略目標を達成しようとする加盟国があるのは当然だろう。


 ルッテラント連邦による海上封鎖とその結果としての「メルテ海峡の海戦」は、軍事力の行使という点では積極的だが、所詮は強制外交と限定戦争の域を出ない様に抑制された軍事行動だった。


 だが、ラホイ王国によるマルクヴァルト侵攻は、限定戦争でなく、全面戦争を企図した軍事行動である。


 これまでの対抗同盟による対邦国政策とは訳が違うのだ。


 対抗同盟に秘密加盟している共和国政府に通告なく、ラホイ王国がマルクヴァルト邦国に侵攻した事に対して、上級顧問官はラホイ公使に強く抗議したが、公使は素っ気無い態度を取るだけだった。


 それでも、彼は強い口調で抗議と詰問を繰り返した。


「貴国は、一体何を考えているのか!!我が国に通告なく、邦国に侵攻するなど、同盟国に対する侮辱以外の何物でもない!!」


「何を考えているかだって?勿論、邦国のシルヴァニア侵攻を妨害する為だろう?我が国の軍事行動は、全て対抗同盟の目的に沿う様に調整されているが?寧ろ、何が問題なのか分からないな」


「我が国に軍事行動を通告しなかった事が問題だと言っているのだ!!対抗同盟が採択した協定でも、協調した軍事行動を取ると決められているだろう!!貴国はその協定を破るつもりか!!」


 公使は、呆れた様に大きく溜息を吐いて見せた。


「いいか?共和国に我が国を非難する資格など一切無い。君は、不倫している妻を信じるのか?我々からすれば、貴国は邦国と抱き着く二重スパイだという事を自覚した方が良い。それとも、我が国がシルヴァニア公国を支援して、貴国は何か困るのかな?如何にも、不倫が文化のルペン人らしいじゃないか?」



 公使はルペン人の風俗にも言及して、目前の上級顧問官を侮辱した。ラホイ政府は、共和国政府を信用していない。


 それも、邦国に対抗同盟の機密情報を流しているのではないかと疑っている。


 邦国と対抗同盟の対立で、最も利益を得ているのは、マルクヴァルト市場に参入しながら、両陣営に武器と物資を売り払う共和国だろう。


 共和国政府の遣り口は明らかに利益相反行為なのだが、どうやら政府が主導すると、犯罪や不法行為は合法になるらしい。


 両陣営から利益を貪る共和国を、邦国と対抗同盟諸国は良く思っている訳でない。


 王室を処刑し、君主制を否定した共和国に対して、未だに隔意を抱く周辺諸国は多い。


 それでも、最新の軍事技術と兵器を持ち、高い工業生産力を有する共和国の協力は魅力的で欠かせない。


 尤も、共和国が保持していた軍事技術と工業生産力の優勢は、日本国という新興国の登場によって薄れていくだろうが。


 公使は、より踏み込んで、共和国の意図を問い返した。


「貴国は、邦国の伸長を正すのではなかったのか?邦国のシルヴァニア侵攻を是認すると?そう言えば、貴国の軍隊が公国南部を保護占領下に置いているらしいが、邦国との条約通りに、公国を分割するつもりなのだろう?

 不倫をするルペン人なら、やりかねないな。いい加減、邦国に付くか、我々に付くか決めたらどうだ?そうすれば、話はぐっと単純になる。つまり、貴国が我が国の味方となるか、敵となるかのどちらかだ」



 公使は、上級顧問官を通して、共和国政府に二つの選択肢だけを突き付けた。中立も同盟の二股も認めないという事を示したのだ。



「同盟の二股を掛けられるぐらいならば、いっその事、敵国となってくれた方が余程分かりやすいな。対抗同盟から貴国が抜ければ、機密情報の流出も防止できるだろう」


「……我が国が邦国に機密情報を漏洩しているとでも?」


「さぁ?漏洩していようがいまいが、どちらにしろ、現状ではその可能性が高いだろう。私だったら、二股外交で得られた情報を使って、都合の良い様に両陣営の対外政策に影響を与えようとするはずだ。

 現に、貴国は邦国と対抗同盟の対立関係から、最も利益を引き出しているのだろう?情報を漏洩する動機ならば、十分にあるじゃないか」


 防勢に回った上級顧問官に対して、公使は口舌を止めなかった。


「どちらの陣営に付くのか、はっきりと決めろ。それで、対抗同盟を選ぶと言うのならば、事前に軍事行動を通告しようじゃないか」


 共和国政府は、踏み絵を迫られた。


 二股外交は、両陣営から利益を得られるという点で魅力的だが、他方、外交政策の信用を喪う恐れもある諸刃の剣だ。


 旗幟を鮮明にしろと迫る公使の態度は間違っていない。


 彼は、外交官としての義務を果たしているだけだ。


 上級顧問官は、どちらの選択肢も採らないと躱すが、公使は言い訳を許すつもりなど無かった。


 まるで、某国の国務副長官ばりの強硬姿勢である。


 上級顧問官は、公使の詰問を躱しながらも、内心は焦り始めていた。


 ラホイ政府は対抗同盟を純化するつもりなのだ。


 同盟に不純物が混入する事を許さないのだ。


 だから、こうして強硬姿勢を見せ始めた。


「言い訳は聞きたくもない。どちらの陣営を選択する事がそんなに怖いのか?」


 なおも追求と挑発を止めない公使に、上級顧問官は二股外交を続けると弁明するしか無かった。


「もしも、我が国が邦国側のみに付けば、困るのは対抗同盟なのでは?我が国と邦国の陸軍力に対して、対抗できる国家は無いでしょう。我が国の二股外交が不愉快なのは分からなくありませんが、対抗同盟にも利益がある事は理解して下さい」


「いいや、エリザベス王国を占領した新興国(日本国)があるだろう?貴国の代わりに、その新興国を対抗同盟に加盟させれば良い。軍事力の不足はそれで解決できるだろう?」


「失礼ですが、我が国が日本国と国交を有する友好国である事を忘れているのですか?日本国が対抗同盟に加盟するとは、とても思えませんがね」


 公使は、ラホイ政府も日本国との国交開設を準備していると反駁した。彼の国から、武器輸入も検討しているとも付け加えた。


「……日本政府は、貴国にも武器輸出を提案したのですか?」


公使は、その通りだと頷いた。


「我が国は、日本国との国交開設だけでなく、貿易や軍事演習も予定している。日本製の最新兵器が輸入されれば、ルペン製の武器も資金も自ずと不要になるだろう」


 上級顧問官は、公使の告白に思わず動揺が表に出てきそうになった。


 日本政府が他国にも武器を輸出するであろう事は、十分に予測できた事とは言え、共和国政府に日本製武器輸入の決断を更に迫るはずだ。


 もしも、共和国政府が武器輸入を断念すれば、他国がそれに先んじて、共和国軍よりも精強な軍隊を築くだけだ。


 共和国軍の軍事的優位性は、ますます凋落するだろう。


※※


クシニスカ大公国:対抗同盟・定期会合


 対抗同盟の定期会合は、ラホイ王国によるマルクヴァルト侵攻によって、議論は紛糾し、同盟の結束力は揺らぎ始めていた。


 その前兆は既にあった。


 同盟の結成に先立ち行われた初会合の時点から、ルッテラント連邦の代表とルペン共和国の特使は激論を交わしたし、共和国の上級顧問官とラホイ公使が遣り合った事は記憶に新しい。


 いや、もっと過去の歴史にまで遡れば、市民革命に対する周辺諸国による干渉戦争が遠因なのかもしれない。


 君主制国家と共和制国家が共存するのは無理なのだろうか。


 対抗同盟に加盟する大国の三ヵ国(ルペン共和国・ラホイ王国・ルッテラント連邦)の主張によって、会議は、ぎすぎすとした雰囲気に包まれた。


 一方の中小国は、大国同士の口論に委縮したり、受け流したりして、会議の行方を見守っていた。


 しかし、対抗同盟の提案国であり、名目上の議長を務めるクシニスカ大公国政府としては、会議に参加しない訳にもいかない。


 議長国として、加盟国の利害を調整しなければならない。


 殆どの加盟国は、ラホイ王国によるマルクヴァルト侵攻を支持し、反対する加盟国は少数派だった。


 共和国特使は、加盟国による軍事行動に通告義務を課すべきだと提案した。


「マルクヴァルト邦国に対抗する為には、我々が一丸となって行動しなければなりません。

 従って、邦国に対する軍事行動には、同盟による事前の同意や通告をするべきです。

 今回のラホイ王国によるマルクヴァルト侵攻によって、対抗同盟は事前にその行動を知らされず、結果として加盟諸国は対応が後手に遅れました。

 二度とこの様な事態を起こすべきではないでしょう。その為にも、軍事行動に対しては、通告義務を課すべきなのです」


 共和国特使は、対抗同盟による行動の一致を訴えたが、他の代表・特使らは、それを白けた様子で見守るだけだった。


 しかし、槍玉に挙げられたラホイ代表は黙らずに、寧ろ、共和国特使を厳しく追及した。


「同盟として一致した行動を取るべきだと?邦国とも軍事同盟を締結している貴国に言い募る資格などないではないか!!

 同盟を裏切っているのは、貴様ら共和国だ!!それを我が国に責めを負わすなど、図々しい!!

 貴国は、我らに付くのか、それとも邦国に付くのか、旗幟を鮮明にしろ!!」


 加盟諸国の代表達は、ラホイ代表の反論に喝采を送ったり、身振り手振りで賛同を示したりした。


 加盟諸国の大半は、共和国の二股外交を快く思っていないし、二つの同盟から利益を貪っている共和国への不満は募るばかりだ。


 共和国特使は、なおも自説を曲げなかったが、議論の大勢がマルクヴァルト侵攻に傾いているのは、明らかだった。


※※


マルクヴァルト邦国:陸海軍最高会議


 大書記官長(侯爵)は、ラホイ王国による侵攻を受けて、自らの帷幄機関である陸海軍最高会議を開催した。


 ここ最近は、シルヴァニア侵攻の泥沼化に伴って、こうした会議が頻繁に開かれている。侯爵は、外務大臣に対抗同盟の動向と地域情勢について訊ねた。


「対抗同盟は勢力を拡大し、加盟国・加盟地域は15ヵ国を超えます。対抗同盟の兵力を単純計算で合算すれば、総兵力は300万人を超えるでしょう。

 特に、我が国の西部正面に拡がる旧メルケル帝国領の諸国が続々と対抗同盟に加盟している様です。我が国は、東西南北の周辺諸国から、外交的・軍事的な脅威と圧力に晒されている訳です」


「東西南北の圧力とは?」


 陸軍大臣が外務大臣に代わって、侯爵の質問に応じた。


「北部は、ラホイ軍の侵攻であり、東部は、ラホイ軍の侵攻と山岳民族・シルヴァニア公国、南部は、ルッテラント連邦とピカルド海外州による軍事的圧力で、西部は、旧メルケル帝国諸国だ。何れも、単独では我が軍の兵力よりも劣るが、連合されれば、我が軍の兵力を上回る兵力を動員できるかもしれない」


 侯爵は、なるほどと頷いた後に、本題に入った。


「では、我が軍の兵力でラホイ軍を撃破できるのだろうか?もしも、対抗同盟の兵力が集結した場合、我が軍は勝利できるのか?」


「……残念ながら、ラホイ軍単体でも、我が軍の兵力で撃破する事は容易ではない。確かに、総兵力では遥かに上回っているが、それは二ヵ国しか考慮していない非現実的な計算に過ぎないだろう。

 現実には、我が軍は四方八方の敵国を抱えている訳だから、当然、そちらも十分な大兵力を維持する必要がある。そうなると、国防上の要請から、我が軍が一戦略正面に割ける事の出来る兵力は、書類上の数字よりもずっと少なくなってしまう。

 しかも、ラホイ軍と対峙している北部方面軍は、最北部と北東部の二正面から攻撃を受けている戦況だ。いくら内線作戦の利があると言え、兵力が更に分散される危険性がある」


「現有兵力のみで対処できるか?」


 陸軍大臣は、眉間に皺を寄せながら、苦々しく答えた。


「現有兵力だけで防衛が出来ない事もない。一正面で兵力が劣勢であっとしても、我が国は地の利がある上に、兵站の側面でも有利だからな。しかし、現有兵力では防衛には成功しても、逆侵攻には不足するだろうな」


「では、動員令を発令した場合は?」


「その場合には、ラホイ王国に対する逆侵攻は十分に達成できるはずだ。ラホイ軍による攻勢は、我が軍の一正面に於ける兵力の劣勢を一時的に利用しているに過ぎない。

 動員によって、大兵力を以て戦線を再構築すれば、まず敵軍は突破する事も出来ないだろうし、アルメイダ市(ラホイ王国の首都)まで進軍するだけの後方基地(国境防衛線の軍事基地)としても活用できる。動員兵力にもよるが、コスタ海外州やプチダモン州にも侵攻する事が可能となる」


「最北部からの攻撃に対しては?」


「それは敵主力の野戦軍をこちらの防衛部隊で拘束するだけで良い。ラホイ軍にしても、あの豪雪地帯と針葉樹林地帯を我が物に出来たとは思えん。

 わざわざ、こちらから最北部に逆侵攻するべきでない。それは自殺行為に等しい軍事行動だ。最北部に対する逆侵攻は、我が軍の兵力を悪戯に消耗するだけで終わるだろう。

 寧ろ、我が軍はラホイ軍の消耗と負担を強制するべきで、ラホイ軍を最北部に閉じ込めてしまえば良いのだ」


「リーゼスシュプア地方のラホイ軍は、脅威にはならないと?」


「そこまでは言っていないが、最北部に於ける兵站能力を考慮すれば、ラホイ軍が現地徴発に頼るのは厳しいだろう。

 恐らくは、海上補給に依存しているはずだ。仮に、我が軍が東部正面からラホイ王国に逆侵攻を果たすとして、海上補給の拠点となっているであろうラホイ海軍の北部艦隊を攻撃目標として選定するのも良い」


 海軍司令官(王子・海軍元帥)が陸軍大臣の説明に捕捉を加えた。


「もしも、北部艦隊の海軍基地を地上から攻撃するとしたら、カルデロン海軍基地やエチェバリア海軍基地を攻撃目標にして欲しい。最北部のラホイ軍へ海上補給路を構築するとしたら、その二つの海軍基地が拠点になるはずだ」


 侯爵は、興味深そうに王子へ視線を移した。


「殿下は、ラホイ海軍に詳しいのですか?」


「我が海軍が海洋国家の海軍と伍する規模になれば、何れ敵対する相手だろう?海軍と海軍省では、海洋国家の海軍や海軍基地について継続的に調査し、知識と資料を蓄積しているのだ」


「なるほど……、ところで、我が海軍の戦力でラホイ海軍を撃破できるのでしょうか?」


「それはとても厳しいだろう。我が国の海軍基地は南部にしかないから、そこから艦船を出航させる必要があるが、そうすると、ラホイ海軍の哨戒線に移動するまでに、エリザベス海軍第5艦隊、ルッテラント海軍の影響を受けずにはいられない。

 我が海軍が北部に海軍基地を保有していない以上、ラホイ海軍を攻撃する為には、南部から大きく東部に進出して、そこから北上するという回り道が必要となる。

 当然、長距離航海中の艦隊と、自国の哨戒線を遊弋しているラホイ海軍とでは海兵の疲弊度も異なるだろう。どちらが海戦で有利かは言うまでもない。

 我が海軍がルッテラント海軍の海上封鎖部隊を撃破できた理由は、両国にとって、メルテ海峡が近距離で、その上に、我が海軍が日頃からルッテラント海軍を仮想敵艦隊として訓練しているからでもある。

 しかし、ラホイ海軍を想定した訓練は後回しになっているのが現状で、周辺の海図にしても、十分とは言えない」


「海軍では、ラホイ海軍も調査しているではないのですか?」


「勿論、先程も言った様に調査はしているが、情報の蓄積は第5艦隊やルッテラント海軍がどうしても中心になってしまうな。それはそうと、我が国は共和国と軍事同盟を結んでいるだろう?共和国政府に同盟の義務を履行しろと要求するべきではないのか?ルペン海軍であれば、十分にラホイ海軍を牽制できるだろうに」


 彼は、軍事同盟を利用するべきだと訴えた。


 条約の規定に従えば、両国は相互に防衛義務があるはずだ。


 それなのに、共和国軍はシルヴァニア公国南部を占領するだけで、他には目立った軍事行動を取っていない。


 これでは、同盟国としての義務を果たしていないのではないか。


 同盟国の負担を要求する彼の意見は尤もだ。


 侯爵もそれを考えなかった訳ではないが、こちらから何かを要求するという外交行為は、相手方に何かを譲歩する、あるいは何かを供与するというギブ・アンド・テイクの関係にある。


 だから、共和国政府に同盟の義務履行を要求すれば、では邦国政府は共和国政府に何を差し出すのかという話になる。


 国際法の強制力というものが、地球世界よりも弱いこの地域で、条約の規定通りに行動すれば良いという訳でもない。


 それに、一応の所は、共和国政府が邦国のシルヴァニア侵攻に協力しているのだから、これ以上の要求が憚られたという理由もある。


「これ以上、我が国は共和国に頼るべきではないでしょう。それとも、シルヴァニア公国に加えて、ラホイ王国も分割すれば良いと?」


「そうは言っていないが、共和国政府はどこかおかしくないか?」


「おかしいとは?」


「公国の南部を占領した件だ。公国軍が、みすみすダーヌ川を渡河する共和国軍を見逃すはずがない。あの大河を越えるだけでも、相当の戦闘が繰り返されてもおかしくはない地域だ」


「それは、公国軍による焦土戦術と退却の結果なのでは?」


「勿論、その可能性もあるが、違う可能性もあるだろう」


「違う可能性とは?」


「例えば、公国政府と共和国政府が内通している可能性。更には、対抗同盟にも内通している可能性とかだろう」


「それは……、仮に共和国が裏切っていたとしても、我が国は同盟を続けていく他にはないでしょう。同盟を破棄すれば、地域で孤立して、追い込まれる危険性もありますから」


 王子は更に自説を補強する為に、具体的な根拠を挙げた。


「疑問に思って、海軍省に調べさせたのだが、どうやら共和国が保有している渡船だけでは、1個軍も渡河できないらしい。公国が保有している渡船を合計してようやく、大軍を渡河できるとも報告を受けた」


「……………………」


 侯爵は押し黙った。


※※


コスタ海外州:総督府


 総督(コンセロス公爵)は、プチダモン州からの特使を自身の執務室で歓迎した。


 コスタ海外州とプチダモン州は、コスタ半島がラホイ王国との戦争に明け暮れていた前から通商関係にあり、両州の関係は極めて良好だ。


 両州は共に、独立を志向している勢力が強いという点もお互いに対する共感を呼んでいるのかもしれない。


 違う点を挙げれば、コスタ海外州と本国の関係は安定していて、プチダモン州と中央政府との関係は悪化しているという点だ。


 経済力ではプチダモン州が優位だが、軍事力では第6艦隊を擁するコスタ海外州が優位に立っている。


 両州の協力は、経済と軍事の補完関係にあるとも言える。


 仮に、ラホイ政府がプチダモン州を鎮定しようとすれば、一国の海軍力に匹敵する第6艦隊の圧力を免れ得ない。


 ラホイ海軍も精強ではあるが、エリザベス海軍に比べると、どうしても見劣りしてしまう。


 何よりも、西大戦洋地域の諸国は、大なり小なりエリザベス王国による海上交通路の保護にただ乗りしていた。


 現在でも、活動中の一部のエリザベス艦隊(植民地艦隊の第5・6艦隊)は、周辺諸国に海上交通路の安全という国際公共財を提供している。


 例えエリザベス王国が憎くとも、地域に君臨した植民地帝国からの恩恵も享受していたのだ。


 ラホイ王国とエリザベス王国の関係は良好とは言い難かったが、それでも、エリザベス海軍が提供する安全がラホイ王国の通商活動を支えていた側面もあるから、コスタ海外州・第6艦隊との敵対は、自国通商の安全が低下する事態を招く。


 だからこそ、ラホイ政府はプチダモン州の独立運動を武力で弾圧できなかった。


 国内で圧倒的な権力を維持する軍部であっても、それは同じだった。


 ラホイ政府の高官は、さぞかし悔しかった事だろう。


 独立運動を阻止したいが、一方で、自国の通商は保護されたい。出来るだけ、第6艦隊が提供する海上安全にただ乗りしたい。


 そうした矛盾した欲望がラホイ政府には見られた。突出した海軍力を誇るコスタ海外州と友好関係にある限り、プチダモン州の独立性は保障される。


 他方、コスタ海外州は軍事力には優れるものの、農業生産能力が低く、金融業も弱い。


 軍事のコスタ海外州と経済のプチダモン州は、お互いを切実に欲しているのだ。


 そして、コスタ海外州は本国という枷が外れた以上、非公式な同盟関係を公式の同盟関係に転換させる事に躊躇は無かった。


 プチダモン州総督から全権委任状を託された特使は、公爵と正式な外交文書に署名した。


 この同盟が正式発表される時、西大戦洋地域の情勢は更に混沌と化すだろう。


※※


ルペン共和国・ペティオン市郊外:陸軍・実験部隊


 教育総監(陸軍中将)は、腕を組みながら、不機嫌そうに目前の実験部隊を査閲していた。


 総統は、中将の反対を押し切って、日本政府から武器輸入と借款(実態はひも付き援助)を受け入れた。


 作戦能力を開発・獲得する為に、旅団や歩兵連隊に属する精鋭のライフル中隊(※マスケットでなく、ライフルを装備する選抜歩兵部隊)を基にして、2個実験歩兵大隊を編成し、日本軍から訓練教官と軍事顧問を招聘して、日本製武器の操典と訓練を開始した。


 日本製の小銃は、1挺で1個大隊を編成できる程に高価な武器だが、それを2個大隊分も用意すると、1個大隊800挺(※共和国軍の1個歩兵大隊は2個中隊300人から5個中隊850人前後)として、2個大隊1,600挺も購入しなければならない。


 つまり、共和国の基準では、1,600個歩兵大隊(75個師団の歩兵部隊に相当)を新設できる程の予算が必要になる。


 日本政府は、借款によって、販売総額の99%を資金援助し、共和国政府の負担は僅か2個歩兵連隊程度の軍事費に抑えられた。


 しかし、中将はこの取引が良かったとは決して思わない。


 購入資金の殆どが、日本政府の借款によって賄われているのだ。


 借款である以上は、弁済しなければならないから、利息を考えただけでぞっとする思いだった。


 2列横隊で伏射姿勢を取る1個実験歩兵大隊は、戦列歩兵がそうする様に、士官と軍曹の号令によって、一斉射撃を前方標的に見舞った。


 マスケット兵やライフル兵と異なり、大隊は一発ずつ銃弾を込める作業をする事もなく、連射を繰り返した。


 日本政府が供与したM14ライフルは、大隊の制圧火力を極端に押し上げた。


 ルペン制式銃であるマズルローディング式のマスケットと違って、いちいち弾込めをしなくても良い上に、精密な射撃が出来る。


 演習を見学している士官は、その圧倒的な制圧射撃に歓声を浴びせたが、中将はそうする気になれなかった。


 この火力があれば、周辺諸国との戦争では有利に戦えるに違いない。


 しかし、これでは戦争というよりも虐殺ではないのか。


 彼は、戦争の在り方が一変しようとしている現状に、不安を募らせるばかりだった。


 だが、老兵が過去の戦争に思いを馳せようとも、日本国の介入によって、西大戦洋地域は、強制的に軍事革命を経験する事になる。


 近世レベルの軍隊は、近現代の戦争に引きずり込まれ始めていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

灰色の旭日旗 ばーちゃる少尉 @9thCSCG

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ