2-6 楽園の花壇

 さて、主人のもてなしの準備にてんやわんやの金谷邸で、責任者である刀自もまた多忙を極めた。


 彼女は彼女の管轄区をくまなく見て回り、準備の工程が遅れていないかを確認し、遅れているようなら人員を回し、準備のできに問題があったり単純な間違いがあれば指摘した。


 美姫、美しく着飾った器量のよい婢女の世話役である房老ぼうろうとはいえ、彼女は美姫に対してもむやみに萎縮することはない。美姫たちにしても刀自には一定の敬意や親しみを抱いている節があった。それでも上手くいかないときもあったが、そんなとき刀自は威圧的な態度と懐柔するような態度を使いわける敏腕ぶりだった。


 また刀自より下の長――伍長とか班長とかと呼んでいいのだろうか。彼女たち婢女の組織について詳しく聞く余裕はなかったので正確な呼称は不明だ――に指示や確認や判断を求められれば大抵はその場で即答し、必要ならば現場まで行って確認した。


 準備は迅速に進められたが、それでもやるべきことはいくらでもあるようで、果てしなかった。


 たとえば美姫たちの装いについて刀自は相談に乗ることもあった。房老の長である刀自に時間を取らせるのだから恐らくは高い地位にいるのであろう美姫たちは、衣裳、化粧、装飾具、肌の調子が悪くて化粧がうまくいかない、紅の色はどれがいいか、などなどなど、刀自に持ちかけるのだった。


――その眉の描き方は以前別の美姫がされてご主人様の不興を買った物ですから、直したほうがよろしいかと。ええ、ええ、確かに今のはやりではありますが、ご主人様はお気に召さないようですわ。それと、その衣の色にその首飾りをあわせるのはいただけないのでは。ああかんざしはそちらの金釵きんさのほうがよっぽどよろしいですわ。帯はこちらの太めのものを。……


 ほかの房老へも、刀自は微細な点検をおこたらない。


――ちょっと、あの廊下を掃除したのは誰だい。ひどかったよ、まったくなっちゃいない。怠けたのは誰だい、あああいつ? あいつの直接の上役はあの子だったね。あとでしぼってやらなくちゃね。まあ今はお前とあの子、掃除に向かっておくれ。ちょっとお前、梁の上は掃除しただろうね。そうかい、上出来だ。……


 建物の棟と廊下が複雑に入り組んで巨大な迷路のような金谷邸だが、刀自はここを縦横無尽に駆け巡り、このような仕事をこなしていった。同じように多くの婢女と宦官が行き交う中で彼女を追うのはとても大変で、実際私は何度か彼女を見失い、はぐれかけた。そのつど刀自は後ろにも目がついているかのように、迷子になっている私のりょうしゅうをつかみあげるなどして、人の流れの中から的確に私を救出した。彼女はたくましく力強い、有能な長だった。


 そんな有能な上司がいても、気の滅入る嫌な仕事はどこにでもある。せきさんをきめた美姫を捕獲して回ったことが、まさにそれだった。


 石季倫の帰宅は本当に急だったので、ちょうどそのとき五石散を服用して頭のたがを外していた美姫たちがいたのだ。夢うつつで散歩、というより徘徊している美姫をつかまえるのは大変だった。数が多かったからだ。薬で高熱を発しながらふらふらさまよい歩く彼女たちは準備の邪魔でもあるし、人通りの少ない廊下につれていきその散歩を見張っていなければならない。


 また適度に散歩し終わったら、今度は収容部屋へつれていく必要もあった。五石散や酒でつぶれた者をとりあえずしまっておくこの部屋で、私は刀自の指揮に従い房老や宦官にまじって美姫の介抱にあたった。高熱にうなされ、それでいて恍惚としている彼女たちに冷水を与え、あつかんを飲ませ、玉のような汗をふく。男の機能をそぎ落としているとはいえ、宦官が彼女たちの肌に触れることを許している石季倫が意外に思えた。しかし寛容なのではなく、単に彼女たちにそこまでの価値をつけていないだけなのだろう。自分の部屋をあたえられた部屋持ちの美姫は必ず自室に運びこまれ、専属の房老に介抱されているようだった。主人をのぞけばこの屋敷の最上流階級である美姫にも、当然階級があるのだ。


 介抱されている彼女たちの口元についた五石散のかすを布でぬぐってやると、布はきらきらときらめいた。五石散にふくまれる紫水晶のかけらで光る布を折り直しきれいな面を表にして彼女たちの肌をふくと、肌はぼろりとはがれた。五石散を連用する者はみなこうなるのだ。そしてこの肌ももう少しすれば厚い白粉でおおいかくされる。純度の高い鉛白でできた、あの白粉で。私は哀れみを覚えずにはいられなかった。


 こうしてここで働く美姫や房老や宦官たちを見、刀自について回るうちに、気付いたことがあった。私は機を見計らい、彼女に質問する余地を辛うじて得た。


――ここの婢女は、ぞくの出身者が多いようですね。


「なんだって?」


 彼女は手に持った水色と桃色の布を見比べていた目を上げ、うっとうしそうに私を見た。


 そして、


「ちょっとそこのお前、広間から厠にかけて張るまんまくはこっちにおし。そっちのほうは前々回使ったから、使い回しだ手抜きだとお怒りになるかもしれない。場所は? わかる? なら早くおいき、ほらっ!」


 と水色の布を指定し、両方の布を婢女に持って下がらせ、急がせた。そうしてからようやく、


「で、なんだって?」


 私は質問をくり返した。


「ご主人様の趣味だよ」


 刀自の答えは簡潔を極めた。


「あんた、庭はもう見たね? あれと同じさ」


 金谷邸の庭。東西の植物が移植され、一種奇怪な様相を呈すあの庭を、私は思い出した。


「ご主人様は辺境から都まで、あらゆるところからあれこれ集めてくるのが好きなんだよ。なんでもそうさ。女だってそうなのさ」


 ふんまんやるかたなし、といったふうに刀自は言った。


「あたしもそうやって西から連れてこられて、買われたんだ」


 風貌からしてそうだろうと感じていたが、彼女もまた胡族の出身らしい。何の、とはここで明記することはできないので、ただ西方のとある胡族の出身とだけ書いておく。


「ありとあらゆる出身の女がいるんだよ、ここには。きっと、天下の女がみんな集められてるんだ。あたしにゃがくがないからわからないけどね、あんた、どう思う?」


 ええそう思いますと、私は返した。ちょうど横目に見えた婢女が”こんろんじん”だったからだ。異様に肌の黒い、遙か彼方の土地が故郷だと伝え聞く彼女がいるくらいなのだから、石季倫はもはや天下の女人すべてを手に入れてしまったにちがいないだろうと思われた。


 もっとも、石季倫のそれはもはや蒐集癖の域に達しているが、胡族の人々、しかも多種多様な胡族の人々を雇ったり買ったりすることは、現代ではさほどめずらしくもなくなった。最近の時代の傾向として異民族である胡族の彼らと我々漢人の生活圏は近くなりがちであり、また重なることも多くなってきたからだ。


 理由として挙げられるのは、まず近年の異常気象だろう。何年も連続した冷夏とそれにともなう不作は、北の大平原や西の高山から彼ら胡族の人々が南下、または下山して、ここ中原ちゅうげんにやってくる主な理由になっている。


 また何よりわずか十数年前まで、この中華において三人の皇帝がていりつするという、史上に類を見ない異常事態が発生していたことも大きい。三国はたがいに六〇年間も争った。そしてこの戦争状態を維持するための兵力と労働力を求めて、各国は国内に広がる辺境へ盛んに乗り出していったのだ。


 この二つがほぼ同時期に起こった結果、彼ら胡族はときには戦争や、頻繁に起こる小競り合いの捕虜として、ときには人買いに買われ、ときには人狩りにあい、または彼ら自らよりましな生活を求めて、我々漢人と同じ場所へ続々とやってきている。婢女や馬番や兵士といった仕事が彼らにあてがわれ、我々とともに暮らす胡族はかつてないほど多くなった。


 こうしたなか胡族排斥論――胡族の強制移住政策、彼らを彼らの故地へ可及的速やかに帰すべし、などと訴えているらしい――も何度か朝廷の論壇にあがっていると聞くが、特にそういった論が勢力を得たとかその論者が要職に就いたとか、陛下がその論を採用されたとは、今のところ聞かない。


 ともかく、そういった世相と石季倫のような金持ち高官の頽廃と悪趣味が合わさった結果、婢女の多様化が進んだらしい。刀自はその経歴もあって、胡族出身の婢女が集められたこの区を任されたのだという。


「勝手なもんさ」


 と彼女は言う。


「胡族って一口に言ったって、いろいろいるんだ。あたしの故郷の近くから来た子ならまだいいよ。でもさ、なんえつから来た子なんて最初はほとんど言葉も通じやしない。江南出身の子のほうがまだ何とか話ができるときもあるんだけどね、その子らの暮らしてる区画はちょっと遠いし」


 はんっ、と彼女は苦々しげに言った。


「ご主人様にはどれも同じに見えるんだろうよ。しゅうしゅうしたって、それがどんなものなのか見る目がないんだ。そういうのは、いつだってお嬢様に頼りきりで……」


 刀自はそこでいきなり口をつぐんだ。


「おいあんた」


 と彼女は私を持ち上げた。あたりには忙しく行き交う人々しかいないことを確かめてから小声で、


「絶対にここから上手く逃げ出しなよ。そいで、あたしは元気にやってるって、お嬢様に伝えておくれ。魂だけは、いつもお側にお仕えしてますって。伝える前に捕まったりなんかしてごらん、許しゃしないからね」

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