1-6(完) 西の彼方に消えた人々

「旦那も大概もの好きですよね。長生きできませんよ」


 史栄は私の話を聞いて心底あきれたようだった。「もともと気が荒い連中なんですから」


 確かにそれはそうだ。


 優雅に振る舞って見せたあの慕容廆も、十数年前には遺恨のある宇文うぶんという部族に報復戦をしかけようとした。が、当時の皇帝陛下、つまり今の先帝陛下に許されず、怒って遼西に侵入、殺略をほしいままにした。また東の扶余ふよ国に侵入し、扶余の国王を自害に追い込んだ。彼と彼の部族が他国への侵略を止め我が晋王朝に忠誠を誓うようになったのは、先帝陛下の派遣した晋軍と死闘の末、敗れたからに過ぎない。


 また、慕容廆についてはこういう話も聞く。なんでも彼は父の死後、叔父に殺されかけたという。慕容廆は逃げ延び、酋長の位を簒奪した叔父は人望がなかったためにやがて殺された。それを待って慕容廆は部族に戻り、酋長になったそうだ。


 彼らの間では、復讐はいつも一族と一族の間で行われる。だから同じ一族の父を殺しても兄を殺しても罪ではなく、まして子や弟や甥を殺しても罪ではない。だから酋長の継承には、血腥い事件が起こりやすい。彼らはそういう人々だ。


「それを知ってて行くんですから、旦那は大物ですよ」


 史栄は明らかに皮肉をこめて言った。


 しかし、私には心残りがある。彼らの秋の祭祀を見学できずに、こうして帰路につかなければならなかったことだ。彼らは正月、五月、そして九月、各地の長が集まり彼らの祖霊や神を祭るという。だからこそ私は九月に彼らを訪れたのだ。実際、棘城には長らしき人々が馬を駆り穹廬を建て続々と集まってきていた。


「いい迷惑ですね」


 遠慮のなくなった史栄が言う。「この時期はあいつらが冬営地に移動する時期なんですよ。ただでさえ忙しい時期なのに……」


 史栄は肩をすくめて、


「まちがっても樹左車たちに聞こうとしないでくださいね。そんなことしたら、あいつらはきっと怒って旦那を殺しますよ」


 わかっている、と私は返した。歩揺冠を見せた慕容廆の反応しかり、彼らは彼ら独自の、胡族的な風習を私に見せることを嫌がっていた。よそ者の漢人は、漢人から教わった漢人的社交辞令であしらっておくに限る、というのが彼らの考えらしかった。それなのに彼らのもっとも胡族的な部分、祭祀を見せてもらえるほど打ち解けるには恐らく数年、あるいは十年以上の参与観察が必要だろう。しかしそれでは、広汎な見聞録を書くという私の目的は達せられなくなってしまう。


 それでも残念に思いながら、私はふと辺りを見渡した。前には樹左車たちがいる。後ろにも慕容の戦士たちが警戒にあたり、斜め後ろでは史栄が大きくあくびをし、馬首にしがみついて一眠りする素振りを見せた。


 その他には何もない。ただただ広い大地がある。


 この地が交通の要所だと言われても、私は最後まで信じ切れなかった。ここは北東の扶余や高句麗といった異国、慕容だけでなく宇文などの鮮卑族の諸部族、そして万里の長城より南の華北をつなぐ、十字路だ。そう言われても、私にはただただ広すぎる大地としか思えなかった。


 そう、広すぎる。広すぎて怖い。私には、城壁に囲まれた城市まちで育った私には、この際限なく広がる大地を移動することに対して、本能的な恐怖が消えなかった。


 なぜ彼らは移動しつづけられるのだろう? あるいは、移動しつづけることに恐怖や疑問を抱かないのだろうか?


「生まれたときからそうですから」


 というのが史栄の答えだ。「それに移動しなきゃ死ぬってなったら、するでしょう?」


 夜営のたき火に照らされた彼の顔は、何を馬鹿なことを、と言わんばかりの顔つきをしていた。「定住して生きていけるならそうしますし、できないなら移動して暮らす。どちらにせよ、なんとかして生きる。それだけじゃないですか」


 私はもうひとつ、気になることを聞いてみた。北方の騎馬民族といえば、漢人にとっては今でも匈奴きょうどがその代表格だ。彼らとは四〇〇年の長きにわたり戦い、戦いの末に弱体化した匈奴は、二〇〇年前に南北に分裂した。南の匈奴は漢王朝に降伏したが、北の匈奴はその五〇年後、この大地のはるか彼方に”消えていった”という。私は彼らのことが気になっていたが、遂に自分で調査する時間を持てずにいた。


「匈奴? この辺りでは全く見なくなってずいぶん経ちますが」


 史栄も詳しくは知らないようだったが、「ああ、そういえば」と興味深いことを語ってくれた。


「俺たちの同族で西の……旦那がたの言う康国サマルカンドに住むお大尽からの手紙に、東から来て西に進んだ集団がいたが、どうも匈奴と似ていたとかなんとか。それで実際に匈奴を見たことのある東の俺たちにその手紙が伝送されてきたんですよ。手紙に書かれたそいつらの特徴は、確かに匈奴に似ていなくもないような、というのがساتراپの……えー、旦那がたの言葉ふうに言えば薩保さっぽう、俺たちの長の判断で、」


 康国? と思わず私は聞き返してしまった。あまりに遠い場所だ。いくらなんでも匈奴たちはそこまで遠くに行ってしまったのだろうか?


「行けますよ。陸はつながっているんですから」


 史栄は再びその言葉を口にした。「それに、何とかして生きますよ。匈奴たちも意外と元気にやってるんじゃないでしょうか?」


 しかしそこまで遠くだと、さすがに商売相手にはできそうにありませんが。史栄は冗談めかして言った。


 確かに陸は続いている。今は夜の闇に沈んでいるが、大地は変わらず、どこまでもどこまでも続いている。それは間違いようもない。だが康国よりも西といったら、確かそこは……大秦国ローマだ。


 しかし、人はどこでも生きようとする。


 史栄の言った通り、また私自身が見聞した通り。私は見聞録執筆のためにほうぼうへ赴いたが、どんな場所にも人はいて、生きていた。今回の取材先、慕容たちの昌黎でもそれは変わらなかったし、きっと康国でも大秦国でも何も変わりはしないだろう。

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