1-4 慕容の長

 その公孫淵との戦いで名を挙げたのが、慕容部の酋長・慕容廆ぼようかいの曾祖父だった。


「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました」


 慕容廆は漢人式の作法に則りながら礼をした。まだ三十にもならない若い長、それが慕容廆だった。


 彼は慕容の戦士たちが着ていた刺繍のほどこされた毛織物ではなく、絹でできた、完璧に中華的な礼服を着こなしている。この土地柄で桑はまったく、あるいはほとんど栽培できないだろうから、絹は相当貴重だろう。後漢末の黄巾の乱からかれこれ一二〇年弱、政治的混乱によって貨幣が価値を失いかわりに絹が流通して長いが、ここでの相場はかなり割高だった。


 にも関わらず、彼は丈の長い、ふんだんに絹地を必要とする中華の礼服をあつらえている。慕容という名字しかり、彼らが漢人向けにその風習を整備している節はあるとはいえ、正直なところ、ここまで完全な漢人流の応対を受けて少し驚いてしまった。


 私は同じく中華式の礼をしてから、彼とさまざまなことを語り合った。彼は中華の動向について多くのことを知りたがった。晋王朝の枢機に関わることを慕容の長たる彼に言ってしまうのは、漢人である私にとっては背信行為なのだろうか。だが宮勤めを辞めて久しい私に語れることは多くない。私は中央から冷や飯を食わされているがためにそういった葛藤を味あわずにすむことをうれしく思った。


 私がたいしたことを知らず、また彼らの政治になんら興味を示さないことがわかったからだろう。次第に慕容廆は堅苦しい姿勢を解いて、ふとこう尋ねた。


張司空ちょうしくうはご健在ですか?」


 私は驚いた。なぜ彼が張司空を知っているのだろう? 張司空といえば、今は……皇后陛下、そう、皇后陛下の信任厚く、朝廷を実際に動かしている大人物だ。その張司空を、彼は昔なじみの近況を尋ねるように聞いた。


 動揺が私の顔に出たのだろう。慕容廆はすぐにこう語った。


「まだ私が子どもの時分、安北将軍として赴任された張司空に、お目にかかったことがあります。すばらしい方だった。かんざしさくとを頂戴して、」


 そう言って彼は今自分がかぶっている冠、それをとめる簪を指した。


「これです」


 誇らしげな彼には悪いが、私は彼が冠を指したことで、彼らが持つというある重要な風習をまだ見ていないことに気がついた。


 私がそのことを口にすると、彼は一瞬、不機嫌そうに目を細めた。


「あれを? しかし、あれは我らの内輪のもので、あなたにご覧に入れるようなものでは……」


 そこを何とか、と私は頼みこんだ。


「わかりました」


 と遂に彼は言った。


「お見せしましょう。少し時間をいただきますが。……ои,дзюнбисиро」


「хаи」


 慕容廆はそばに控えていた女官に慕容の言葉で話しかけた。漢人と思われた彼女は、しかし慕容の言葉で答えると、しずしずと奥へ戻り、慕容廆も続いた。そうして私は待たされた。

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