第一話:ナル・コンクエスタ
床板に鈍く輝きながら蠢く紫色の淀み。
先頭があと十歩も歩いたらそれを踏んでしまうといったところで、ジッツは口を開いた。
「止まって。罠がある」
ぴたりと足を止める先頭のファイター。
その脇をすり抜けて淀みのある場所に屈み込み、触れることなくその様子を探る。
「落とし穴だね。少し下がって」
仕掛けられた罠が何であるかを判断し、適切な処置を行う。
この場合は、罠そのものの無力化だ。
「……もういいよ」
かちりと、周囲に響く音。
まだ疑問がある様子のパーティメンバーに証明するように、ジッツはすたすたと先まで歩いて見せる。
「ほら、目的地までもうすぐなんだから、止まってないで進もうよ」
「そ、そうだな」
おっかなびっくり歩いてくるメンバーたちに溜息をつきつつ、ジッツは再びパーティの最後尾につくのだった。
ジッツ・フリット十四歳。二年の時を経て少年は、それなりに名の知れたトラップクラッシャーになっていた。
クレムガルト古王国のダンジョンは、そのほとんどを大ガナン・フリットが手掛けたとされている。
残りのいくつかは、ガナンの死後にぽつぽつと、何人かの子孫が集まって作ったもので、格は落ちるが初心者や中級者がダンジョンに慣れるには良いとされる。
大ガナン・フリットはダンジョン・クリエイションの他に、『トレジャー・クリエイション』『トラップ・クリエイション』『モンスター・クリエイション』の三つの魔術を創始したという。
そしてその魔術を、生まれてきた子供たちのうち、才能を持っていた者たちに授けた。残念ながら四つすべてを習得できた者はおらず、今ではその魔術さえも二千年の歴史の中に散逸してしまった。
王国はダンジョンの踏破された後を見据え、是非にもダンジョン・クリエイションの魔術復古を目標としているようだが、その見通しはまったく立っていないのが現状だとか。
その為か、王国の支援を受けた研究者たちもダンジョンに何らかのヒントが眠っていないかとダンジョンアタックを繰り返している。
ダンジョンは、当たり前だが命の危険が付きまとう。少しばかり腕に自信のある乱暴者は、不思議とダンジョンという場所を自分を生かせる場所と信じて集まり、一定の割合で目減りしていく。
クレムガルド古王国は今も昔も、ダンジョンという産業を中心にして国が回っているのだ。
「……随分と分け前が少ないようだけど」
「そうか? 適正だと思うがな」
パーティリーダーを務めるファイターの青年が、悪びれもせずにそう言うのを聞いて、ジッツは溜息をついた。
こういった扱いをされたのは初めてではないからだ。
王国に確認されているダンジョンは二十七個あるが、その管理については王都が厳密に行っている。
ダンジョンアタックを志す者たちは、まずギルドと呼ばれる組織に入り、各々の専門的な技術を磨くことが義務付けられる。
ダンジョンアタックを行う者たちは『ナル・コンクエスタ』と呼ばれる。『踏破せざる者』という意味らしいが、今ではダンジョンアタックをする者たちの通称として認知されていた。
それぞれのダンジョン近くには王都管轄の詰所があり、ダンジョンの戦利品の買い取りや確認などを行っている。
「戦闘には一切参加していないんだ、分け前をもらえるだけありがたいと思えよ」
パーティリーダーの後ろからそんな声が聞こえてきた。誰からのものかわかっていたが、ジッツはその言葉を完全に無視した。
さて、ナル・コンクエスタの花形は何を置いてもマジシャンだ。
前衛での戦闘は確かな近接戦闘技能を持つファイターに、怪我などの治療は専門的に治療技能を学ぶヒーラーに一歩譲るが、およそダンジョンにおける役割のほぼすべてを一手に引き受けることが出来るからだ。
一方であだ花とされたのが、弓やスリングで遠距離からの攻撃を行うアーチャーや、ダンジョンで最も危険なトラップの発見と回避に特化したトラップサーチャーとクラッシャーである。
アーチャーはマジシャンやヒーラーに必要な魔力を持たず、ファイターほど近接戦闘の適性を持たない者がなる職業と位置付けられ、実際にそういう者がすべてなので非常に肩身が狭い。
トラップクラッシャーは、トラップ専門の技能を学ぶ一方で、大した戦闘技能は身に着ける余裕がない為にあだ花のような扱いをされている。救いがあるのは、腕が認知されれば高レベルのパーティから誘われる可能性があることか。
「了解。それじゃありがたく」
ジッツはそれ以上特に文句を言うでもなく、提示された額を受け取って鞄に入れる。
「悪いけど、次からは誘われても一緒しないよ」
「そうか」
顔色ひとつ変えないパーティメンバーに背を向けて、ジッツは特に感慨もなく詰所を後にした。
向かう先はトラップギルドだ。
今までにもこういう扱いを受けたことは少なからずあるし、トラップクラッシャーやトラップサーチャー達は伝統的に初心者や中級者からは軽く見られがちだ。
特にジッツのように十代前半のトラップクラッシャーとなれば舐められて当たり前。それなりの場数を踏んだ結果、そういう相手には噛みつくだけバカバカしいことをジッツは身をもって理解していた。
とは言え、彼らに対してなんの報復もしないというわけではない。
むしろ既にひとつ目の報復は終わっていると言えた。
今ごろ彼らは、詰所にいたすべてのナル・コンクエスタ達から笑い者にされているはずだ。
もちろん、それだけではない。ジッツはトラップギルドの建物が見えてきたところで、少しばかり陰鬱な気持ちで足を速めたのだった。
「おう、若ぇの。お前ら、あのジッツを相手に足元見るとは自信たっぷりだな」
にやにやと笑いながらパーティーリーダーの若いファイターに声をかけたのは、詰所で事態を眺めていた壮年のファイターだ。隣には細面の、同じく年かさのマジシャンもいる。二人は冷たいエールを呑みながら、若いパーティのやり口をつまみにしていたのだ。
詰所は酒場と食堂も兼ねているので、ナル・コンクエスタの大半は普段からアタックしているダンジョンの詰所で食事をするのが恒例になっていた。
「ンだよ、おっさん?」
「ああ、いやいや。俺はお前らに文句があるわけじゃねえよ。お前らのおかげでここの飲み代くらいは稼げたからな。問題はほれ、俺の隣のこいつとか、あっちこっちで睨んでる連中さ」
言われて、パーティメンバーが視線を巡らせると、不機嫌そうにしている顔が半分、にやにやと笑っている顔が半分。
不機嫌な顔をしている中に知り合いでもいたのか、若いファイターは顔色を変えてそちらに声をかけた。
「じ……ジョーさん!? どうしたんですか、なんでそんな」
「うるせえな。お前らのせいで少なくない金をスッちまったんだよ。……それにしても、ジッツを相手にあんなふざけた真似するとは思わなかったぜ」
「何を言うんですか、あんなガキ相手に」
抗弁してくる若いファイターに、ジョーと呼ばれたマジシャンは溜息交じりに首を振った。説明をするのもバカバカしいとばかりに、言うべきことだけを告げる。
「悪いが俺たちのパーティは今後一切、お前ら『アーガランの暁』とは組まねえ。巻き込まれるのは御免だからな。……ああ、他に頼ろうとしても無駄だぜ、ジッツは今ごろギルドに戻ってるはずだ。お前たちはもう二度と中堅どころ以上のパーティからは相手にされないから覚悟しとけよ」
「あの、なんでそんな。俺たちが何かしましたか」
「ったく……いいか、ケイル。下層になればなるほど、ダンジョンアタックで重要な役割はトラップクラッシャーになる。トラップクラッシャーの腕ひとつで、パーティは命を救われる可能性があるんだ。トラップサーチャーやトラップクラッシャーを大事にしねえ連中に、下層で生き延びられる見込みはねえよ」
困惑した顔で、アーガランの暁のリーダーであるケイルは、隣に立つ幼馴染のマジシャン、カイを見た。
今度はカイがジョーに声をかける。
「お言葉ですが、ジョーさん。俺はサーチトラップの魔術もトラップダウンの魔術も適正以上のレベルで覚えています。正直、あんなガキいなくたって」
「ああ、ギルドでそう習ったんだろうな。……お前みたいのがいるからマジシャンギルドとトラップギルドは仲が悪いんだよ。ギルドのお偉いさんに限って現場出身なんていねえし」
吐き捨てながらジョーは、ジョッキに注がれたエールを一息に飲み干した。
「現場で一年も生き延びたマジシャンはな、サーチトラップやトラップダウンなんて小手先の魔術なんぞで、トラップサーチャーの仕事を奪おうなんて思わねえんだよ! お前らが今日入ったダンジョンもな、半分を過ぎたらサーチトラップを透過する魔術や、サーチトラップを使った瞬間に起動するようなトラップが山ほどあるんだ!」
「そ、そんな話、誰も……」
「トラップギルドに好意的なマジシャンは、ギルドから嫌がられるからな。そしてお前らみたいな連中は、半年もしたらいなくなる。まあ、ギルドの上の方は絶対に認めないだろうが」
それにな、とジョーは続ける。
「あのジッツはトラップギルドに入って二年。たった二年でトラップクラッシャーになった逸材だ。上の方のパーティがどうにか専属にしようって躍起になってる程のな! あのサルマーンやクーヴォードのパーティが時期をずらしてダンジョンアタックをしているのは、あいつに同行を依頼するためなんだぞ!」
「まあまあ、ジョー。そんなに怒鳴りなさんな。こいつらが二度とナル・コンクエスタとしてやっていけなくても、別にそんなに怒るようなことじゃねえだろ?」
「……今回バカどもにジッツを紹介したのは俺だ」
「……そういうことなら話は別だ。お前ら、俺たちに二度と話しかけるんじゃねえぞ」
とりなしに入ったジョーのパーティメンバーも、その言葉を聞いた瞬間に態度を一変させる。
「まずいな、後でジッツに詫びを入れにいくか」
「サルマーンに口利きを頼むしかないよなあ。まあ、あいつにはふたつみっつ貸しがあるから文句は言わないだろうけどよ」
「その前にトラップギルドの方に挨拶しに行かないと。おいジョー、酒抜きの魔術を頼む」
「ギルドの方には手土産がいるわね……。ジョー、あんたは顔を出さないほうがいいんじゃない?」
「すまない、頼むわ」
ジョーのパーティの仲間たちが事情を察して手早く準備を始める。
彼らの怒りと焦りについてはケイル達も理解できたが、それでも同郷の兄貴分への気安さもあって、ケイルは素直に頭を下げた。
「あの、ジョーさん。すみませ――」
「うっせえ! 声かけんじゃねえ! 知り合いだと思われるだろうがっ!」
一喝されて、ケイルたちがびくりと身を竦ませた時にはジョーたちは支度を整えていた。
「おう、親父! 代金はここに置いていくぜ」
「災難だったな、ジョー。まあ、ジッツは気のいいやつだ。ちゃんと詫びを入れれば許してくれるだろうよ」
「ああ、そう願うぜ」
そのままケイルたちには一瞥もせずに詰所を飛び出していくジョーたち。
呆然とするケイルたちを置き去りにして、詰所の中には喧騒が復活した。彼らに興味を払うものは最早誰もおらず、パーティ『アーガランの暁』は十日ほどのち、ダンジョンに入ったまま二度と地上には戻ってこなかった。
トラップギルドに入る者のほとんどは、マジシャンを志せるだけの魔力を持ちつつ、マジシャンギルドの登録料が支払えなかった者たちだ。
ギルドの登録料や授業料は、本来は無料で行うようにとの王都の通達があるが、あまりに登録希望者が多いからと働きかけたマジシャンギルドだけは登録料を例外的にとることが認められていた。
その額が法外なこともあって、マジシャンのナル・コンクエスタは大きな商家の次男三男か、貴族の子弟と大体相場が決まっている。
トラップギルドとマジシャンギルドの不仲は、大体その辺りに端を発している。
ジッツも二年前に法外な登録料の前に涙を呑んだうちの一人であり、それ以来マジシャンやマジシャンギルドを心の底から嫌っていた。
「あら、
「ただいま戻りました、ミッテさん。ええと……パーティ『アーガイルの暁』からの受取がこちらです」
「……少ないですね」
「ええ、まあ。腐れマジシャンがパーティのサブリーダーでしたから、仕方ないかなと」
「まだ罠匠ジッツのことを知らない腐れマジシャンがいたんですか。王都は広いですねえ」
マジシャンギルドから出たところで途方に暮れていたジッツをトラップギルドに連れてきたのが、受付嬢のミッテだ。
彼女も五年前に同じようにマジシャンギルドの登録ができなかった口で、ジッツを拾ったころには現役のトラップサーチャーとして働いていた。半年ほど前に無茶なパーティに雇われたためにひどい怪我を負って、ナル・コンクエスタを引退したのだ。
「罠匠ジッツは変なパーティにひっかかりやすいですね。……あ、サルマーンさんとクーヴォードさん、イラルルさんのパーティから専属所属のお誘いが来てます」
「熱心だなあ」
「というか、王都で上位に入るパーティから何度も誘われてるのに、首を縦に振らない理由が私にも分からないんですけど……」
「僕はまだ十四歳ですからね。
「
「ううん……それは分かっているんですけど」
ミッテが挙げた三つのパーティは、支払いも十分以上にしてくれる優良なパーティで、ジッツの人柄も含めて専属になるように誘ってくれている。
ジッツにしてみればとても良い話で、本当ならば一も二もなく飛びつきたいところなのだが、大恩ある師匠の言葉は絶対なのだ。
「でもねえ、ミッテさん。大師匠は自分でパーティを組む分には構わないって仰るんだよ。これって経験が足りないからパーティには入るなってことなんじゃないかな」
「大罠匠の仰ることも分かりますがぁ……」
しょんぼりと肩を落とす姉替わりの人物の困り果てた様子に、ジッツはこりこりと頭を掻くしかないのだった。
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