第三話:初心者ダンジョンアタック

 初心者ダンジョンへのアタックは、二日後と決まった。

 モネネの視線は最後まで痛かった。こちらが出した報酬の条件を、馬鹿にしていると感じたのかもしれない。そう思うのも無理はない。

 トラップギルドを出て、路上をすたすたと歩きながら思い出し笑いをひとつ。


「あんなナイフを研いでくれ、って言われたら、それは怒るよなあ」


 初心者ダンジョンへの同行に、普通は報酬など発生しない。しかし、カーナは実力を試すという無礼を働くのだから、報酬さえ出さないのは良くないと譲らなかった。

 ジッツはジッツで、プライドがある。試されるのは構わないが、実力に見合わないダンジョンに同行したことで報酬をもらうのは受け入れにくい。

 話が平行線になろうとしたところで、二人に助け船を出してくれたのはマーリィだった。

 カーナはジッツに金以外で、しかしちゃんとした礼をすること。ジッツは良識の範囲内でカーナが叶えられる願いを言うこと。


――なら、ちょうどいいや。チャーチに言われたんですよね。捨てるつもりがないなら、研いで使ってみたらいいじゃないか、って。これ、研いでいただけます?

――ご実家に伝わるナイフ、ですね。分かりました。ではカルナック家の威信に賭けて、明日までに見事に研ぎあげてご覧に入れましょう。


 ジッツのナイフを大事そうに受け取ったカーナは、それでも挑発的な笑みを浮かべて請け負った。


――カーナのカルナック家は、クレムガルドの北端を護る騎士団を持っているからねえ。いい魔術鍛冶師を抱えているだろう?

――ええ。特に今は、我が領内の筆頭鍛冶師が王都に詰めておりますので。このナイフもかつての輝きを取り戻すことでしょう。

――あ、無理はしないでくださいね。折れたら折れたで仕方ありませんから。

――ふふ、ありがとうジッツ殿。


 笑みを深くするカーナと、敵意もあらわにこちらをじいっと睨むモネネが、実に対照的だった。


「さて、初心者ダンジョンだからって手を抜くことは許されないよな」


 ジッツは何となく腰に寂しさを感じながらも、市場へと買い物に向かうことにした。

 緊急時の食料と、消耗品。特にトラップ解除に使うアイテムの中には、日持ちしないものもあるのだ。しっかりと仕入れておかなくては。

 準備が九割、実行が一割。師であるマーリィに叩き込まれた現実は、今もジッツの行動の大きな指針になっている。


「初心者ダンジョンかぁ。行ったことないから、ちょっと楽しみかも」


 ジッツは明るく輝く天盤を見上げながら、二年前のトラップギルドとの馴れ初めを思い出していた。

 あの日も天盤は、いやに明るかったのを覚えている。







「と、登録料が百タランですって⁉」

「ええ、百タラン。一ラートもまかりませんので、悪しからず」

「そんな、魔力検査だけで五十タランも取ったのに」

「検査機材は非常に高価なものですので……」


 笑みを浮かべて答える受付の男の表情は笑顔のまま一切動かない。まるでそういう表情を貼り付けただけのように。

 ジッツは王都に着くとすぐに、普段村にランジの実を買い付けにくる業者の元を訪ねた。

 王都での買い出しも兼ねて、今年の実の確認をと言えば顔見知りの業者は笑顔でジッツの背負った実を吟味し、それなりの金額を用立ててくれた。

 その額、六十タラン。一タランあれば、農村ならば四人暮らしの一家が半年は余裕で食いつなげるだけの額だ。本来ならばこれだけあれば、生涯そこそこ裕福な暮らしができるのだが、ジッツの目的はそうではなかった。

 一タランは百ラート。これだけあれば王都で暮らすのにもしばらくは困らないはずだ。

 ジッツはその足で人づてに聞きながらマジシャンギルドへと向かった。

 入ってみると、迎えたのは何とも居心地の悪い視線と薄ら笑い。ぴくりとも動かない笑顔の表情で、受付の男はまず魔力検査をと言い出した。

 言われたとおりに五十タランを支払って、用意された水晶玉に手をかざす。

 ほのかに輝く水晶玉を見た受付の男は、おめでとうございます、魔力が確認されましたと何とも通り一遍の祝福の言葉を投げたあと、ギルドへの登録料は百タランですと告げたのだ。


「そ、そんなにたくさん持っていません」

「では、残念ですが」

「お、お金を貯めてきます。だから」

「ええ。その時はまた魔力検査からになりますが」


 男の様子はにべもない。こちらをあざ笑う周囲のマジシャンたちの様子に、頭がかっと熱くなるが、それも受付の男が掌の上に火の玉を作り出したことで消え失せてしまう。

 とぼとぼと出口に向かう途中で、見るからに高価な服を着た青年とすれ違う。

 青年は意気揚々と受付の男に告げたのだ。


「登録をしたい。私は――」

「承っております。ようこそいらっしゃいました」


 金を払う様子すらなく、先ほどの男に連れられて奥へと消えていく青年。

 もはや言葉もなく、ジッツはマジシャンギルドを後にした。

 手持ちのお金も大半が一瞬で消えてしまった。どうしよう、と近くの建物で壁を背にして上を見上げる。

 今日の天盤は、朝から皮肉なほどに青く輝いていた。






 この世界を回廊世界と最初に呼んだのは、果たして誰なのか。

 地面を掘り進めると、いつか上に広がる天盤を突き破ると言われる世界。遠く西にある『翼の国』には、天盤をも貫く柱が生えているという。

 地平の向こうには果てがなく、そしてその世界で脆弱なヒトが生きることができる世界は驚くほど狭い。

 世界樹。ヒトを祝福するモノ。この回廊世界に、確認されるだけで七本ある、超巨大な種別不明の樹木。

 ヒトは、世界樹の下に国をつくり、栄えた。世界樹の下でしか安定を得られなかったとも言える。

 この世界とつながるとされる無数の世界から現れる生物は、強弱大小問わず非常に多い。ゆえにこの世界は他の世界と世界をつなぐ『回廊』と例えられた。

 世界樹が放つ粒子『マナ』は、その中でも特に脆弱なヒト型の生物が、強靭かつ巨大な他の生物と対等に戦うための手段となった。

 魔法である。マナを動力とし、マナの恩恵さえあれば無尽蔵に使える奇跡の力。

 マナを生み出す世界樹なくば、ヒトはこの回廊世界で文化をはぐくむことはできない。奇しくも、世界樹から放たれる波動は、巨大生物を寄せ付けない効果もあった。

 だが、世界樹も生物である。二千年に一度実をつけ、枯死する。

 世界樹の枯死は文明の崩壊と同義であり、新しい世界樹が育ち、人々を守れるだけのマナを吐き出すようになるまでの百年を、人々は『枯渇の百年』と呼ぶ。

 世界樹に守られた国々は、世界樹のない百年をどうやり過ごすかを常に考え、希求してきた。

 おとぎ話の類だが、大ガナン・フリットは二千年の寿命に近いクレムガルドの世界樹をもその類まれな魔術の力で救ってみせたという。

 クレムガルド王都のすぐ近くにある、天盤にてっぺんが届こうかというほどに巨大な世界樹。

 ガナンの業績の真偽はともかく、世界樹は今日もクレムガルドの人々を見守っている。







「か、カーナお嬢さん。その鎧、すごく似合っています」

「そうですか? ありがとう、ジッツ殿」


 桃色を主体とした、美しくも派手さを抑えた意匠。華やかさと機能性をぎりぎりまで追求したと思わせる鎧に身を包んだカーナは、伝説に登場する戦乙女のような美しさだ。


「あ、モネネさんも」

「世辞はいらねえよ、ガキ」


 ヒーラーの白衣を着崩したモネネは、トラップギルドで顔を合わせた時以上に辛辣で容赦がない。

 主であるカーナをお嬢様とは呼ぶが、その口調は何ともラフで無礼だ。

 カーナが笑顔でそれを許しているのだから、ジッツとしては内心驚くほかない。

 それにしても、モネネの不機嫌さは先日に輪をかけてひどい。何やら納得しがたいものを我慢しているように見える。そして、逆に輪をかけて上機嫌なカーナもまた不思議だ。

 と、カーナは上等な布をモネネから受け取った。そのままジッツに差し出してくる。


「こちらが約束の品です」

「あ、もう研ぎあがったんですね。ありがとうござ……いま……す」


 ジッツは目を見張った。

 布を開いて出てきたものは、あまりにも特徴的な紫色の刀身を持ったナイフだったからだ。


「あの、これって」

「魔術で表面の錆を落とし、その上で刀身を磨き上げたところ、このようになったそうです。使ってくださいね」

「それじゃあ、これは僕の家にあったナイフなんですか」


 確かに刃の形は同じで、柄も前と同じように手に馴染む。紫色というのはずいぶん不思議だが、錆びが頑固すぎてそういう色がついたのかもしれない。

 ジッツはナイフを腰に差すと、カーナにぺこりと頭を下げた。


「カーナお嬢さん、ありがとうございます。大事に使わせてもらいますね」

「ええ。でも、トラップクラッシャーのジッツ殿にそのナイフを使わせることはありません。マジックファイターとして、ジッツ殿の身は最下層まできっちりとお守りしますからね」

「分かりました。よろしくお願いします」

「はい、こちらこそ。ジッツ殿は礼儀正しいのですね」

「……チッ」


 にこやかにカーナと話していると、何が気に入らないのか舌打ちで反応してくるモネネ。どうにもやりにくい。

 ともあれ、ここからはダンジョンだ。にやけている場合じゃないと気合を入れ直す。


「初心者向けと言われているとはいえ、ダンジョンはダンジョンですからね。気を抜かないようにしましょう」

「いちいち言われなくても分かってるんだよ、ガキ」

「モネネ」

「はいはい、ったく……。役に立たなかったら許さねえぞ」

「がんばります」







 初心者ダンジョンは、王都の外れにあり、常に一定のにぎわいを見せている。

 正式名称も『初心者ダンジョン』などではないはずなのだが、出てくるモンスターやトラップの質が低いこと、ダンジョンのエネルギー源にして、ダンジョン最大のトレジャーを生み出すというダンジョンの中心『核晶』を破壊してもすぐに元に戻ることなどから、いつしか初心者ダンジョンと呼ばれるようになった。

 このダンジョンは、古代の人々がダンジョンでのノウハウを学ぶための訓練場所として作られたというのが定説だ。

 国からは各ギルドに向けて、卒業試験として初心者ダンジョンを最下層まで踏破させることが義務付けられている。

 ナル・コンクエスタとしてジッツが初心者ダンジョンを踏破していないのは、本来なら違法なのだ。師であるマーリィの無茶な意向により、信頼できるパーティに預けられて実地での修行をさせられたジッツは、初心者ダンジョンを歩く機会はなかった。

 後追いとは言え、初心者ダンジョンを踏破できることはジッツのキャリアにとっては悪いことではない。


「止まってください」


 ジッツの目に映る、赤い光。

 罠の兆候だが、今までに見たダンジョンのトラップとは色が違う。

 そういえばマーリィの作った罠もダンジョンのものとは色が違ったが、これは何かを意味しているのだろうか。

 ともあれ、考えるよりもトラップの解除の方が先決だ。


「……よし」


 このダンジョンのトラップは、すべてサーチトラップで調べることが出来て、同時にトラップダウンで解除することが出来るらしい。また、一定時間が経過すると同じ場所に同じトラップが出現するという親切設計だ。ほかのダンジョンでは断じてそういうことは起きない。

 こういったダンジョンの存在がトラップクラッシャーを軽視するナル・コンクエスタを量産するのだと思うのだが、それについては気にしても仕方のないことだ。


「凄いですね、ジッツ殿」


 がこん、と間の抜けた音を立てて、柔らかい槍状のトラップがポンポンと飛び出す。

 もちろんジッツたちはその場所よりだいぶ手前にいる。

 槍が飛び出し終わったところで、もう一度音が響く。槍の補充が始まっているのだろう。


「殺傷能力のない槍、かよ。それにしてもすげえな。サーチトラップがなければ、ここのトラップは駆け出しのトラップサーチャーでは見つけられないって聞いたけど」

「僕はサーチャーじゃありませんからね。……それに」

「それに?」

「……あれ」


 モネネとの会話の途中で、ジッツの目が奇妙なものを捉えた。

 会話を途中で打ち切り、奇妙な反応を示している壁に歩み寄る。


「……モネネさん。地図を持ってましたよね」

「ああ、それがどうした?」

「ここに隠し通路があるとかって反応は、ありますか?」

「は? そんなものがあるなんて話、聞いたことねえぞ。だいたいここはまだ一層だし――」

「そうですか」


 壁を覆う青白い光。マーリィの事例を考えるならば、これは敵意ではなく「悪戯心」だろうか。


「隠し通路だけど、スイッチらしいものはない……。これって……」


 ぺたぺたと手で触るが、特に反応らしいものはない。

 このダンジョンを作った者の悪戯心に反応しているのであれば、何かあるはずなのだが。

 壁を触ったり、道具袋から取り出した釘と金槌で壁を叩いてみたりと色々と試してみるが、一向に反応する様子がない。


「おい、ガキ。何を見つけたのかは知らねえけど、ただの壁だぞそこ。カーナにいい所を見せたいのかもしれないけど……っておい!」


 モネネが、けなしているのか落ち着かせようとしているのか微妙に分かりにくい声をかけてくるが、集中しているジッツはその言葉を聞き流した。壁に体当たりしてみるが、やはり反応はなし。

 光り方を見るかぎり、殺気や悪意の類ではないのだ。ジッツもそれなりに無茶な方法を取る余裕がある。


「おい――」

「モネネ、静かに。あの様子を見てください」

「っ……分かったよ」


 モネネを止めたのはカーナだった。ジッツの真剣さを感じ取ったのだろうか、モネネも声を抑える。


「土や埃で埋まってるのかな……」


 ぶつぶつとつぶやきながら、レンガ調の壁の境目あたりを手袋で払うが、その程度では詰まりは取れない。

 ジッツは腰から取り出したナイフで詰まりを削ろうと、壁にその刃先を突き立てた。


――権限アクラ・デア確認・コトス


 壁の向こうから、不思議な声が響いた。


「えっ」

「うそ」

「……やっぱり」


 壁が音を立てて横に滑る。

 その奥には、下に向かう階段が見えている。


『おかえりなさいませ』


 声はジッツ達三人に、そう声をかけてきたのだった。


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