第二話:トラップギルド
トラップギルドがジッツへの指名依頼があったと伝えてきたのは、ジッツが
「
「あっ、危ない!」
部屋に入ってきた少女の眼前を、何やら丸いものが通り過ぎていった。
壁に当たったそれは柔らかいボールで、ぽすんと床に落ちる。
「ああ、また失敗だあ。チャーチ、怪我はない?」
「当たってないから怪我のしようがないっす。トラップの自作っしたっけ。やっぱり一年やそこらでクラッシャーになるには、それくらいの情熱がないと駄目なんっしょうか」
「どうだろ。
「
「トラップギルドには感謝してるよ。もしマジシャンギルドに入っていたとしても、今ほど充実してたかどうか」
趣味用の工具を片付けたジッツは、仕掛けが暴発したボールを拾って、ぐにぐにとこね回す。
「やっぱり柔らかすぎるのかな」
「罠匠ジッツ、そろそろ……」
「あ、そうだったね。ごめん」
声をかけられて、慌ててボールを部屋の隅に投げる。
仕事用にきっちりと手入れされた工具が入っている鞄を肩にかけ、テーブルに置いてある錆びついたナイフを腰に差す。
その様子を見たチャーチが、首を傾げてくる。
「まだ持ってたんすか、それ」
「ん? うん。実家から持ってきたもので残ってるのはこれだけだから。売るにしてもこんな錆びたナイフを買い取ってくれるところなんてないし、捨てるわけにもね」
「研いで使えばいいじゃないすか」
「……ああ、そういえばそうだねえ」
何しろ、いつの間にかお守りの類として扱っていたので、本来の用途で使うことなど考えてもいなかったジッツだ。
とはいえ、これだけ錆びが深いと研ごうとしただけで折れてしまう恐れもあるのだが。
「取り敢えずギルドに顔を出せばいいんだろ?」
「そうして欲しいっす」
どうやらこの口ぶりだと、チャーチは同行しないらしい。
「チャーチはこれからどこかのパーティに参加するのかい?」
「いや、そうじゃないっす。……あれ、罠匠ジッツは知らないっすか」
「え?」
首を傾げると、チャーチはふふんと鼻のあたりを擦った。
「フリージア家のご次男様と、カルナック家のお嬢様が成人の儀を迎えるんす。そのお手伝いに腕のいいナル・コンクエスタを募集してるっすよ」
「成人の儀を迎える? ってことは王族の方々じゃないか」
「そっす。腕のいいところを見せつけて、フリージア家のお坊ちゃまに見初めてもらえれば、うへへっ」
「あー……チャーチは可愛らしいものね」
「ふぇっ!? きゅ、急にそんなこと言うのは反則っすよ、ずるいっすよ!」
「そんなこと、言われてもなぁ」
こりこりと頭を掻きながら、四つ年上の少女は顔を赤くした。
ジッツも同じように頭を掻くと、気を取り直したらしいチャーチが胸を張った。
「罠匠ジッツほどじゃないっすけど、あたしもトラップサーチャーとしては腕利きのつもりっす。腐れマジシャンどもの鼻を明かしてやるっすよ!」
「うん。頑張ってね」
宿から出たところで、チャーチは別方向へと駆けて行った。
彼女の野望が成就するといいな、と今日も明るい天盤に祈りつつ。ジッツはトラップギルドへと足を運ぶのだった。
トラップギルドに所属するナル・コンクエスタは『トラップサーチャー』か『トラップクラッシャー』のどちらかの役割を負っている。
トラップサーチャーはトラップを発見するのが役割。トラップクラッシャーはトラップを発見して、そのうえでトラップを無力化あるいは破壊するのが役割だ。
自然、トラップサーチャーよりもトラップクラッシャーの方が役割の重要度は高く、なるのも難しい。
上位のパーティが欲しがるのは常に腕利きのトラップクラッシャーだが、実際にはトラップサーチャーもトラップの無力化や破壊が出来ないわけではない。
トラップギルドの厳しい試験や課題をクリアした者のみが、初めてトラップクラッシャーを名乗ることを許される。
ダンジョンで最も恐ろしいのはモンスターではなく、人の心の隙を衝く数々の罠である。
一度でも罠で痛い目を見たナル・コンクエスタは、決してトラップギルドを侮らなくなる。ベテランと新人の境目はそこにある、などという判断基準が横行するほどに。
トラップギルドの建物には、立ち入り禁止の区画が何か所かある。
そのうち、『入っても良いが痛い目に遭うのを覚悟しなくてはならない』とされる部屋が、トラップギルドの最古参トラップクラッシャーにして、周りから『
ジッツは躊躇なくその部屋に入ると、青白く光る場所だけを避けて奥に向かう。
「
「ああ、ジッツ。やっぱりあんたには通じないかい。今回は自信があったんだけどねえ」
「残念だけど全部見えてるよ」
「そうかい。で、ダンジョンのトラップとはやはり色が違うかね」
「そうだね。ダンジョンのは紫で、大師匠のは青白い。ダンジョンのは淀んでいるけど、大師匠のは輝いてる」
「ふうむ……」
齢七十を超えてなお、探求心を失わない師マーリィは永い思考に沈もうとして、だがその寸前でジッツが来た理由を思い出したようだった。
座っていた安楽椅子から降りて、すたすたと歩き出す。
「ついといで。あんたに会わせたい客がいる」
「大師匠のお客さん?」
「ああ」
マーリィはジッツが入ってきたドアとは別のドアから部屋を出る。
慌てて追いかけると、そこには長い通路があった。ギルド内部にこのような通路があるということ自体、初めて知ったジッツである。
「本当は、あんたを紹介するのは早いと思っていたんだけどねぇ」
「はあ」
「技術があって、何よりその目がある。今回の客に紹介するには、あんたしかいないんだ」
ジッツの目。何となく相手の敵意や害意が形として見える体質。
地元では喧嘩で負けなしだった理由がこれで、ダンジョンではモンスターや罠という敵意にまで反応する。
ジッツはダンジョンで罠を見ることが出来たからこそ、十四という若さでトラップクラッシャーたる『罠匠』の称号を得ることが出来たのだ。
「見えることと解体できることは違うから慢心するな、って言ってたのは大師匠じゃない」
「当たり前だろ。腐れマジシャンが対抗意識でサーチトラップを使いやがった結果、目の前で罠が発動して死んだトラップクラッシャーが今までどれだけいると思ってるんだい」
「それは耳が腐るほど聞いたけど」
「生きてる限り修行だよ。特に――」
長い廊下の途中、ぽつんとあるドアにマーリィが手をかけた。
開けるよ、と一言断って、開かれたドアの向こう。
赤い髪の天使が居た。
「待たせたねえ、カーナ。宿まで呼びに行かせたから、時間がかかった」
「いいえ、大叔母様。このお部屋の仕掛けが楽しくて、時間なんて今まで忘れていました」
「紹介しよう、こいつが私の直弟子で――」
「……まだ子供じゃないですか」
じろりとジッツを睨みつけてきたのは、赤い髪の天使――マーリィからカーナと呼ばれていた――の隣に立っている、目つきの悪い金髪の女性だった。
こちらも相当な美女なのだが、隣の天使のような美貌と比べてしまうと少しばかり分が悪い。
「子供だねえ。ついこないだ十四になったばかりさ」
「大罠匠ともあろう方が、耄碌されましたか! こんな子供が、いったい何の役に立つと」
「おう、小娘」
と、マーリィがドスの利いた声を上げた。
前のめりになってじろりと女性を睨みつける視線は、大罠匠と呼ばれるだけの力に満ちている。
「このあたしが、あんたたちに役立たずを紹介すると思っているのかい?」
「そ、そうではありませんか! も、もしやダーゲン殿に……」
「モネネ、そこまでです」
凛とした声で、カーナが金髪の女性を止める。
モネネと呼ばれた女性はそこでぐっと言葉を納めたが、それでも納得はしていない様子で。
「しかしお嬢様」
「大叔母様が紹介してくださる方に、間違いはありません。あまり無礼な物言いはわたくしが許しません」
「は、はい……」
「では、そちらの小さなトラップ・クラッシャーさん。お名前を教えていただけますか?」
じっと見つめられ、ジッツは顔にかあっと血が上るのを自覚した。
声が裏返らないように気を付けつつ、名乗る。
「ジッツ。ジッツ・フリットです」
「フリット? では……」
「あたしの孫というわけじゃない。だが、正フリット家の血筋であることは間違いないだろうね」
「えっ」
驚いたのは当のジッツだ。確かに実家は没落貴族を名乗っていたが、ジッツだけでなく当の家族ですら信じてなかった話だ。少し羽振りの良い農家として、村で良い顔をする為の口実に過ぎないと思っていた。
「確かに実家は正フリット家だ、なんて名乗っていましたけど。家族を含めて、村の誰も信じていませんでしたし」
「まあ、本家ではないのだろうさ。どうせ、家に代々伝わっているものなどないのだろう? 正フリット家であればガナンの遺産を引き継いでいるはずだ」
「どうなんだい、ジッツ?」
「いやあ、そんなものがあるとは聞いたこともありません。古めかしいものといえば、実家を出てくる時に蔵にあったこれくらいで」
腰に差してあったナイフを抜いて見せると、モネネがとっさに身構えた。
だが、ナイフの様子を見てすぐに構えを解く。マーリィが呆れたように言った。
「……錆びてるねえ」
「錆びてるな」
「これ以上ないくらい、錆びていますね」
「まあ、実家にあったのはこれくらいですよ。何となく捨てがたくて今も持っていますけど」
「お嬢様。こう言っては何ですが、やはり大罠匠様の見立て違いだと思います。この少年が我々の助けになるとは思えません」
「そう思うのは勝手さ。だが、悪いがあたしゃジッツ以上のトラップクラッシャーを紹介は出来ないよ」
気分を害した様子の師をフォローするように、ジッツはふるふると首を振った。
「仕方ありませんよ、大師匠。こういう扱いを受けるのは慣れてます」
「……仕方ないね。じゃあ、あんた達の見立てでトラップクラッシャーを勝手に選んで連れてお行き。あたしが話を通しておくから、誰でも受けてくれるよ」
その言葉に驚いたのは、強硬に反対していたモネネだった。
「馬鹿な! そのような扱いをされて、このギルドのトラップクラッシャーたちが納得するとは思えません」
「あんたが心配しなくても、誰も文句は言わないよ」
「……大叔母様は、このジッツ殿をお勧めされるのですよね?」
「ああ」
「ではジッツ殿に同行をお願いしましょう」
「反対です!」
「モネネ」
カーナの決断に、それでも頑なに反論するのがモネネだ。
「カルナック家の姫様が、成人の儀を迎えるのです! 私はこの少年の実力を把握もせずにダンジョンに入ることは護衛としても納得できません!」
「ふむ」
一応、筋は通っている。
と、マーリィは少しだけ雰囲気を軟化させて、右手の人差し指を立ててみせた。
「その言い分も分かる。ではこうしよう。……ジッツ、あんた初心者ダンジョンは経験してないね?」
「初心者ダンジョン? ああ、そういえば」
「え」
その言葉にカーナとモネネが顔を引きつらせた。
「お、大叔母様? それは違法では」
「まあまあ。こいつの研修はケリイベレス遺構でしたから心配いらないよ。まあ、どうしても順法の義務というなら、こいつの腕前を見るついでに初心者ダンジョンに付き合ってあげておくれよ」
「ええと……」
ジッツとしては値踏みをされている立場なので、三人の顔を交互に見るくらいしかできない。
「初心者ダンジョンであれば、特に問題もないでしょう。モネネ、それで良いかしら?」
「そうですね。私も姫様も既に最下層への到達を済ませておりますし、危険なモンスターもおりませんから」
「ではジッツ殿。初心者ダンジョンで、あなたの実力を見せてくださいな。同行のお礼は、ちゃんとお支払いしますので」
「わ、分かりました」
正面からその美貌を見ると、それだけでどぎまぎしてしまうジッツだ。
カーナは微笑んで立ち上がると、優雅な礼を見せてくれた。
「では、改めてご挨拶を。カーナ・カルナック・クレムガルド。このクレムガルドの、ええと……今日の時点では百三十七位の王位継承権を持っておりますわ。ナル・コンクエスタとしてはファイターとマジシャンの研修を受け終わっておりますの」
「モネネ・ウリナーチ。カーナ姫様の護衛兼、ヒーラーだ。よろしく頼む」
不機嫌そうなモネネも挨拶してくるのを受けて、ジッツも背筋を伸ばして頭を下げた。
「よろしくお願いします。ジッツ・フリット、トラップギルドでは
「ええ、よろしくお願いします。ジッツ殿」
「まったく、ジッツもオトコノコだねえ」
顔が赤い自覚はあるのだが、マーリィのからかい交じりの言葉に、すごく居心地が悪くなる。
せめてこの場では触れないでほしかった。
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