第十三話:踏破

 マッドゴーレムは、ダンジョンでは比較的遭遇しやすいトラップであるので、対処方法も知られている。

 簡単なものは、高熱による乾燥だ。こちらにはファイアドラゴンがあるので高熱の発生については問題ないのだが、ジッツはそれだけでは難しいだろうと感じていた。


「ジッツ! マッドゴーレムなら、ファイアドラゴンで乾燥させてしまえばいいのではないですか?」


 レギオニウスたちと一緒にカーナたちと合流したところで、カーナがそんなことを言ってくる。

 それはジッツも考えた。しかし、それならばカーナの先祖がファイアドラゴンを使ってこのゴーレムを撃破できたはずだ。

 出来なかった理由はなにか。そもそもこのトラップを作ったであろうトラップクリエイターは、マッドゴーレムを違うものに見せていたのだ。だとすれば、弱点は克服させていると見ていい。

 相手が巨像をマッドゴーレムだと思わなかったとしても、偶然相手が高熱を攻撃手段として使ってくる可能性はあるのだ。

 事実、ファイアドラゴンは角に刺さっていたが、巨像は活動していた。


「待って。こんな意地の悪いトラップを作ったやつが、そんな分かりやすい弱点を残しておくはずないと思うんだ」

「ですな。もしも火に弱いならば、ファイアドラゴンが刺さっていてなぜ終わっていないのかという疑問がございますな」

「それは……そうですね」


 ファイアドラゴンの刀身は今も熱を放っている。その熱を感じていないのはきっと持っているカーナだけで、ジッツの額にはわずかに汗がにじんできた。


「鉄巨人! いけっ!」


 このパーティの最大戦力は、レギオニウスでもカーナでもなく、鉄巨人だ。

 ファイアドラゴンの炎も、レギオニウスの軍勢も、鉄巨人には敵わない。

 鉄巨人は棍棒を振り上げ、マッドゴーレムに叩きつけた。

 マッドゴーレムはその一撃を受けながら、その姿を似せた鉄巨人に泥の棍棒を叩きつける。

 結果は、当たり前のものだった。

 鉄巨人の棍棒はマッドゴーレムの体を両断したが、泥であるその体はすぐにくっつく。

 マッドゴーレムの泥の棍棒は鉄巨人の体に当たるや否や四散した。泥が周囲に飛び散るが、ジッツたちの周囲のものはレギオニウスたちの魔術によって背後へと吹き飛んでいく。

 マッドゴーレムの泥は魔力を帯びた泥だ。四散させても戻ってくる。ジッツ達が後ろに吹き飛んだ泥を目で追ったのも無理のないことだった。

 その泥が、背後で緑色に輝く帰還の魔法陣に触れた途端、一瞬で乾いて砂になるのを見て、誰もが目を見開いた。


「何だ、何が起きたんだ、あれは!?」

『GIOOOOOOOOOOOOOOO!!』


 そして、マッドゴーレムが身をよじりながら苦悶の声を上げる。

 ジッツたちが振り返る中、じっと魔法陣を見つめていたギーオが叫ぶ。


「あれは、あの魔法陣は……!」

「どうしたんだ、ギーオ?」

「あの魔法陣には、帰還の魔法陣のほかに、『マナ変換』の魔法陣が隠されていますな! 確かに共通の魔法言語を使いますが、こんな非道、許せないのですな!」

「非道とはどういうことですか、ギーオ!?」

「あの魔法陣に触れたものは、その身をマナに分解されてしまうのですな!」

「なっ!」

「一人とは限りませんな! 帰還の魔法陣が起動するほどのマナを分解して吸収するまで、あの魔法陣は触れた方をマナに分解しますな! 絶対に触れては駄目ですな! 気をつけて欲しいですな!」


 ギーオの注意を受けて、ジッツは正確に理解した。

 この部屋で魔法陣を起動して逃げるという選択でさえ、誰かの命を奪うのだ。

 ここから帰還した者たちの心は、確実にへし折られる。この場所まで行動を共にしてきた時点で、彼らは仲間だ。家族なのだ。踏破を諦めて帰るという選択は、仲間の命を救うという強い覚悟の現れであるのだ。

 それすらも。そう、それすらも。ここに至った者たちの心を折るために利用するのか。


「……なあ。あのマッドゴーレムを魔法陣に押し付けたらいいんじゃないか?」

「それは良い手ですな。ですが、あの魔法陣だけでは、たぶんマッドゴーレムのマナを奪いきるには足りないですな」


 モネネの問いに、ギーオは残念そうに首を振る。

 ジッツはしかし、ギーオの言葉を聞きとがめた。


「そうだ、マナ! マッドゴーレムのマナはどこから出ているんだ、ギーオ!?」

「何ですな、ジッツ様!?」

「さっき、一度だけマッドゴーレムが鉄巨人の攻撃を避けたんだ。……ファイアドラゴンの熱でも乾ききらなかったなら、あのゴーレムの中には」

「水を出すマジックアイテムが仕込まれている、ということですな?」

「ああ。分かるかい?」

「むー……ちょっと分からないですな」


 ギーオもさすがに万能ではない。

 と、そこに口を挟んできたのはモネネだった。


「なあ。それならあの泥を洗い流しちまえばいいんじゃねえか?」

「え?」

「ほら。これ」


 モネネは左腕のブレスレットを示した。


「霊水のブレスレット……そうか!」

「モネネ様のマナだけでは勢いと量が足りないと思うのですな。私たちも手伝うとしますな!」


 レギオニウスたちが動き出した。

 フェイスを筆頭にした戦士の役はそれぞれの武器を抱えてマッドゴーレムの足元を走り回る。

 その間に魔術の役のレギオニウスたちがモネネを取り囲む。


「お、おい。あっちを囲むんじゃないのかよ」

「それぞれ魔術を使うより、そのブレスレットにマナを注ぐほうが変換効率が良いのですな。モネネ様、頼みますな!」

「ああ、もう!」


 モネネが左手をマッドゴーレムに向けると、今度はモネネの左手に向けてレギオニウス達が杖をかざす。


「うわ、あ、あ」


 モネネは何やら慌てたような声を上げながらブレスレットから水を放つ。

 最初はそれほどでもなかったのだが、その勢いと量はあっという間に先ほどのカーナの放った炎ほどにもなる。

 水流は勢いよくマッドゴーレムに直撃する。マッドゴーレムの体は水を吸ってどんどんと大きくなっていく。


「お、大きくなってますよジッツ!?」

「いいんだ!」


 大きくなっていくマッドゴーレムだったが、大きくなるにつれ、その体色が徐々に薄くなっていく。

 急激な巨大化のせいか、泥が薄まってきたせいか、ゴーレムは満足に身動きも取れないようだ。

 その中に、泥ではない何か――人の頭ほどもある球体を見つけたジッツは。


「鉄巨人!」


 どうしろ、と伝える必要はなかった。鉄巨人が棍棒を振り上げる。

 巨人が棍棒を振り抜くと、ほぼ水の塊となった中から球体が弾き出される。


「斬魔剣」


 走り回っていたフェイスが、落下してきた球体を真っ二つに斬り裂いた。


『GOBOROOOOOOOOOOON!』


 生物の声とは思えない絶叫が響いた。

 レギオン・トラップの穴の奥でかすかに見えていた光が消え、背後の魔法陣も光を失う。

 最後に、ただの汚れた水の塊となっていたマッドゴーレムの結合が消えた。


「あ」

「あ」

「やっべ」


 遮るもののなくなった水が、一気に解き放たれた。







「……死ぬかと思った」


 鉄巨人の肩に掴まって、ジッツはずぶ濡れになった頭をぷるぷると振った。

 モネネとカーナも無事だ。

 洪水に押し流されそうになったところで、鉄巨人が倒れ込んで水を遮ってくれたのだ。とはいえ遮ったのは一瞬で、すぐさま両側から勢いの減った水によってずぶ濡れになってしまったのだが。

 レギオニウスたちは異空間に戻った。ジッツたちは横たわる鉄巨人の上によじ上って、水が引くのを待っている。


「ありがとう、鉄巨人。あのままだったら壁まで押し流されていたよ」


 表情と言葉がないぶん、雰囲気でこちらに感情を伝えてくれる鉄巨人だが、どうやら褒められて嬉しいようだ。


「壁の魔法陣は力を失っているようですが、危険だったことに変わりはありませんな。よくジッツ様たちを護ってくれたのですな」


 ギーオとフェイスは異空間に戻らず、ジッツの隣で水を絞っている。


「マッドゴーレムがトラップの仕掛けを護っていたのですね」

「うん。多分だけど、玉がトラップの仕掛けで、表面に水の魔法陣が描かれていたんだと思う」

「水の処理までは考えてなかったのですな。うっかりですな。申し訳ないのですなジッツ様」

「いいよ。みんな無事だった、それでいいさ」


 そう言ってギーオの頭を撫でれば、ギーオは嬉しそうに両手をぱたぱたと振る。

 水位は徐々にだが下がっている。石畳や壁の隙間から吸い上げられる分もあるだろうが、そもそもマナを含んだ水は、人体などに吸収されない限り程なく蒸散するのだ。

 残っているのがほぼ水たまり程度になったところで、ジッツは地面に降りた。ばしゃりと靴が水たまりの水を跳ねさせる。

 無造作に転がっている球体の片割れを見つけたジッツは、手を触れずにじっと見た。赤い光。やはりまだ何らかのトラップが仕込まれているようだ。このトラップを作った者の悪辣さを考えれば、不用意に触れるのも危険だ。


「こういうトラップは、残しておいたら危ない」


 と、鉄巨人がジッツの脇に手を差し伸べてきた。そちらにはすでに球体のもう片方が乗っかっている。ということは、触った程度なら大丈夫ということらしい。

 拾い上げる。ひどく重い。鉄巨人の大きな掌に球体を乗せると、鉄巨人は静かに拳を握り締めた。

 金属が軋る音。ぶるりと鉄巨人の手が震える。隙間から少量の水が流れ落ちた。

 それと同時に、左手の壁が動いて扉が出現する。


「ありがとう、鉄巨人」


 鉄巨人が手を開くと、そこには無数の破片となった残骸があった。鉄巨人の手は無傷。ただ握りしめただけでこうなるとは思えない。


「ここまで徹底するとはね。……自分で壊そうとしてたら危なかった。進もう」


 扉は見えている。

 鉄巨人は最後の役割とばかりに扉に右の拳を叩きつけた。何も起きない。

 だが、さすがに鉄巨人は入れないので、そこで鉄巨人は姿を消した。


「もうトラップはないかしら?」

「分からない。でも、見える範囲にはなさそうだね」


 扉の奥からは青白い、まばゆい光が差している。

 周囲を見回しても、さすがに通路にまでトラップは仕込まれていないようだ。


「あの光……。進もう、きっともうすぐだよ」








「これが……核晶」


 カーナが呆然と呟いた。それほど深くない泉の上に浮かび、きらきらと青白い光を放っている。

 このダンジョンが踏破されたことはないというから、それこそ数千年分のエネルギーが収束されていることになる。


「これを破壊すれば、ダンジョン踏破のトレジャーが手に入るということかしら」

「そうなるね」


 ジッツも言葉少なく、モネネに至っては言葉もない。それほどまでに幻想的な光景だった。


「間違いありませんな。これはこのダンジョンの核晶ですな。ジッツ様、これを破壊すれば、このダンジョンのあらゆる機能が一時的に停止しますな。再活性までにおよそ三十年の時間を必要とすると思われますな」

「分かるんだ?」

「レギオニウスですからな!」


 ギーオの言葉には根拠がないが、その言葉は何となく信じられた。


「では、ジッツ。私が壊していいかしら?」

「ちょっと待ってね、カーナ」


 ジッツは鞄の中から鉄球をひとつ取り出した。トラップクラッシャーのツールのひとつだ。当たり前のように、ジッツは泉の中に投げ込んだ。


「ジッツ?」

「……やっぱりなあ」


 どぼん、と音を立てて入った鉄球から、大量の泡が出る。

 同時に、水面が異様な形に蠢いた。

 

「これまで、トラップ?」

「火、お願い」

「え、ええ」


 部屋の広さを考えても、ファイアドラゴンではちょっと過剰だと考えたか。ファイアスターターの方を抜いたカーナが、刀身の先を泉にちょっとだけ差し込んだ。

 じゅわ、と。

 刺激臭が周囲に漂う。


「ファイアスターター!」


 火が泉の表面を走り、水面が先ほどよりも大きく蠢く。


「……魔剣が錆びるとか、どういうことなんでしょうね」


 燃え盛る水面がその不気味な動きを止めたところで、ファイアスターターを上げる。刺激臭をさせていた刀身は、どす黒く染まっていた。


「魔剣も錆びさせるとなると、アシッドスライムの変種だと思われますな。不用意に入っていたら、その瞬間にまるで泉の底に沈むように溶かされていたと思いますな」

「うわ」


 最後の最後まで、何とも恐ろしいトラップだ。

 取り敢えず、泉の中は完全に乾いていた。念には念を入れてもうひとつ鉄球を投げ入れて、反応がないのを確認する。ジッツの視界にも、剣呑な光はもうない。


「ん、もう大丈夫だよ」

「はい、それでは――」


 カーナはファイアスターターをそのまま構えた。ぶすぶすと黒ずんだ煙を上げ続けるこの魔剣には、最早剣としての役割は望めない。


「今までありがとう、ファイアスターター……!」


 カーナは全力で核晶にファイアスターターを叩きつけた。

 ファイアスターターが半ばで折れて、核晶にヒビが走る。


「核晶を破壊するには、魔剣ほどの武器の格が必要ですな。ちょうどよかったのかも、しれませんなぁ」


 ギーオが呟く。

 核晶から光が溢れた。






 核晶が砕け散り、中から光に包まれた小さな何かが現れる。

 カーナがそっと手を伸ばし、それを手に乗せた。


「……なにかしら、これ?」


 光が収まったところで、ジッツとモネネもカーナの掌を覗き込む。


「指輪かな」

「指輪だなあ。でも、ふたつあるぞ?」

「両手に嵌めるのかしら?」

「どれどれ、ちょっと失礼しますな」


 ギーオがフェイスに肩車されながらカーナの掌を覗き込み、鑑定を始める。


「この指輪は……非常に上等なマジックアイテムですな。『比翼の指輪』というらしいですな」

「比翼の指輪?」

「そうですな。五つの効果を持つ、最上級の指輪ですな。まず、マナの容量が増えますな。また、つけているだけで徐々に傷を癒やし、体力の低下を防ぎ、低級な攻撃魔術であれば弾いてしまいますな。そして、これらの効果は加算されますな」

「両方の手につければ効果は倍、ってことだね」

「そうですな。ですが、この指輪は二人がそれぞれつけることで、もうひとつの効果が発揮されますな。それは……」

「それは?」

「魔力を込めて願うことで、もうひとつの指輪の持ち主のところへ一瞬で移動することができるのですな」

「ほう、それは便利ですね」

「便利なんてものではないですな。この指輪は、距離など関係ないのですな。ダンジョンの最奥からでも、外にいる仲間の元に戻ることができるのですな」


 その言葉に、誰もが目を見開いた。

 さすがにダンジョン最奥のトレジャーだけあって、並のマジックアイテムではない。


「嵌めてごらんよ、カーナ」

「え……良いのですか?」

「うん。このダンジョンを踏破するのは、カーナの目的だったわけだからね。所有権はカーナにこそあると思うんだ」

「ですが、私はファイアドラゴンが戻ってきましたし。ジッツへの報酬に差し上げます」

「僕がこれをもらったとしても、トラップクラッシャーだからあまり役に立てられないよ。カーナは貴族なんだし、使い道はたくさんあると思うんだ」

「いえ、でも……」

「いや、僕は……」


 指輪の所有権を譲り合う二人。

 横からそれを呆れた顔で見ていたモネネが、ぼそりと言った。


「なら、ジッツと二人でつければいいんじゃないか」

「も、モネネ!?」

「あたしはカーナの護衛だからな。カーナを無事にここまで連れてきてくれたことが、何よりの報酬だ。そうしたらあとは山分けだろ?」

「う、ううん……」

「ジッツ。あんたはナル・コンクエスタとしてこれからもやっていくなら、指輪の効果はあって困るもんじゃないはずだ」

「うーん……それは、確かに」

「カーナ。……何だかんだ理屈をつけて、分け合うつもりだったんだろ? 上手くいってよかったじゃねえか」

「も、モネネ!」


 何やらカーナの耳元で囁くモネネ。

 顔を真っ赤にするカーナに、にやりと笑う。

 その二人の様子に、首を傾げるしかないジッツだった。


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