第十四話:カルナック家の幸い
核晶を破壊できたので、このダンジョンでするべきことは完全に終わったと見ていいだろう。
ジッツはふと、ギーオの方に顔を向けた。
「なあ、ギーオ」
「何ですな?」
「お前、帰還の魔法陣って書けるかい?」
「書けますな」
当然だろう、と言わんばかりにギーオが頷く。
魔法陣を見て帰還の魔法陣とすぐに見切ったので、その辺りの知識も持っているのではないかと思ったが、当たりだったようだ。
「とは言いましても、一度使ってしまえば消えてしまいますがな」
「いいんじゃないかな。どうせ僕たちはもうここに来ることもないし」
「ですな!」
いそいそとギーオがフェイスの肩から降りて、枯れた泉の中にひょいと飛び込んだ。
「ちょうどいい広さですな! フェイス、お前ハクボク持ってますかな?」
「ん」
フェイスが軽く投げた『ハクボク』は、思った以上の勢いで飛んでギーオの仮面を痛打した。
頭を揺らされて体勢を崩しかけたギーオが、慌ただしくハクボクを掴む。
「なんだ、チョークか」
「別名マジックチョーク、ですな。モンスターの骨などを焼いて砕いて、霊水にさらしてこねて作るのですな」
「さらっと言うけど、お前それ……」
モネネが頬を引きつらせる。聞いただけで非常に高級な品だということが分かったのだ。
それを無造作に放り投げるあたり、ギーオやフェイスには日用品と同程度の価値しかないということも。
「かっきかっきー、でっすなー♪」
そんなモネネの様子には注意を払わず、奇妙な歌を歌いながらギーオは地面に魔法陣を書き上げる。
「ではマナを通しますな。マナを通した後なら乗っても大丈夫ですが、それまでに乗ってしまうと模様が削れてしまって誤作動を起こしますな。気を付けて欲しいですな」
奇妙な歌を歌いながら書いたとは思えないほどの精緻な魔法陣である。
ギーオがマナを通すと、ふわりと白い光が放たれる。
「乗っていただいて大丈夫ですな」
ギーオを肩車し、まずはジッツが乗る。
次にフェイスが、ジッツの背中に飛びついてきた。
「おっと」
「失礼しますね、ジッツ」
「か、カーナ!?」
ジッツにひっつかないといけないと思ったか、カーナがジッツの右腕を取って掻き抱いてくる。鎧があるから冷たいのだが、胸に抱きしめられているようでジッツとしては落ち着かない。
最後にモネネが逆側の肩に手を置いた。
「では、行きますな!」
足元の白い光が顔の辺りまで上がってくる。
そう思った次の瞬間、強い光に思わず目を閉じて――
「皆様、お疲れ様なのですな」
目を開いたジッツたちの前には、ダンジョンの出口が口を開けているのだった。
ギーオとフェイスが異空間に戻り、ダンジョンマップを焼き捨てて。
ダンジョンから出た三人は、清々しい空気を思い切り吸い込んだ。
「ああ、帰ってきましたねえ」
「そうだね、お疲れ様」
「天盤が懐かしいな」
天盤を仰げば、青い光が優しく照らしている。時間はまだ昼前のようだ。
視線を巡らせれば、美しい世界樹のかたち。城よりも街並みよりも、世界樹こそが何よりも戻ってきた実感と安心を与えてくれる。
「ジッツ。まずはわたくしの屋敷にいらして。私の家族にあなたを紹介したいの」
「え?」
「私たちは最良の結果を手にしたわ。ファイアドラゴンは手元に戻り、因縁の深い王家の遺構を踏破しました。その功労者であるあなたを、私の父と兄に紹介したいのです。……よろしくて?」
「僕が行っても構わないのかな?」
「もちろんだ。むしろ、今日あんたを連れていかなければ当主様たちにあたしたちが叱られるよ」
貴族の家に招かれる、ということの意味をジッツは知らないわけではない。
だが同時に、伝え聞く
そしてジッツは、もしも貴族と関わりを持つのであれば、それはカーナの家であるカルナック家こそが最良であるはずだと思っていた。
ジッツは躊躇うことなく頷いた。
「ぜひ、ご一緒させてもらうよ」
カーナとモネネが安心したような笑みを浮かべてくれたのが、ジッツもまた嬉しかった。
カーナが案内してくれたカルナック家の屋敷は、先日ジッツ達が集合した屋敷とは違った。それほど遠いわけではなかったが、どうやらあちらはカーナ個人が所有するカルナック家の別宅であるらしい。
本宅は建物の規模だけで別宅の三倍以上はあるだろうか。
正門を開けて、屋敷に続く庭園を歩く。ジッツが呆けた顔で屋敷を見上げていると、先に屋敷の扉が開いた。争うように三人の男性が駆けてくる。
「お嬢様!」
「カーナ!」
「モネネ!」
最初に声を上げたのは、顔に深いしわの刻まれた鎧姿の男性だった。髪のところどころが白くなっているが、大半はまだ色の抜けていない金髪だ。
「爺や!」
「ご無事のお戻り、安心いたしました! 王族としての責務をご無事に終えられたこと、嬉しく思っております……ううっ」
「相変わらず爺やは泣き虫ですね」
「ダムン。お前が私より先にカーナを迎えてどうするか」
滂沱の涙を流す男を押しのけて、今度はカーナとよく似た赤い髪の男性がカーナの前に立った。
「カーナ」
「お父様」
厳しい顔でカーナを見下ろしていたが、おもむろにカーナを抱き寄せる。
「よく無事で戻ってきた」
「はい。ありがとうございます」
カーナもまたおずおずと、父の背中に手を回した。
一方で、最初から情熱的だったのは最後の一人だ。
モネネに声をかけるや、返答を待つこともせずに抱き寄せたのである。
「良かった……モネネッ」
「フレアード様……! 苦しいよっ」
「ああ、済まない。済まないモネネ。君はカーナのためなら自分を顧みないところのある人だから」
フレアードと呼ばれた男性は少しだけ力を緩めたようで、モネネの表情が和らいだ。フレアードの顔立ちはカーナによく似ているから、おそらく兄なのだろう。
と、カーナが父から体を離した。ジッツの方に顔を向け、その手を取る。
「お父様。こちらが私たちを手伝ってくれた、トラップクラッシャーのジッツ・フリット様。ジッツ、私の父のフォギアです」
「初めまして。ジッツ・フリットです」
「……君がカーナとモネネを無事に戻してくれたのだな。フォギア・カルナック・クレムガルドだ。君の助力に心から感謝する」
「いえ。トラップクラッシャーとして当然のことです」
モンスターによる怪我や死であれば、それはファイターやマジシャンの腕が足りていない結果だ。逆に、トラップによる怪我や死はトラップクラッシャーの腕が不足しているからだ。
無事に帰して当然、それは誇るようなことではないのだと、ジッツはマーリィから厳しく躾けられてきた。
「……やはり、マーリィ様のお弟子というだけあるな」
感じ入ったようにフォギアが頷く。
どうやら、最初の対応は間違えずに済んだようだ。
そして今度は、モネネを抱き寄せたままのフレアードが嫌になるほど爽やかに挨拶してきた。
「フレアード・カルナック・クレムガルドだ。よろしくジッツ殿。ララテア様の末裔だそうだね? 伝説のレギオニウスを従えたという話、じっくりと聞かせてもらいたいね」
「……お父様」
フレアードの言葉にカーナがぴくりと反応する。父を呼ぶその声は硬く、とてもダンジョン踏破を喜ぶような声音ではない。
「ふむ? なあに、小難しい話は後にしよう! なあフレアード、まずは三人が無事に帰ってきたことを祝わなくてはなるまいよ」
「ええ、父上。爺、宴の準備を」
「承りました。では準備が整うまでの間、皆様には屋敷の中でお待ちいただきたく存じます」
「ああ。ジッツ殿、カーナからすでに招かれていることと思うが、改めて我がカルナック家にお招きをしたい。受けていただけるかな?」
「はい、喜んで」
ジッツが頭を下げると、フォギアとフレアードは笑顔で頷くのだった。
「実務はすでにフレアードに大半を任せているのだがね。何しろ口が軽く、ことの軽重をまだまだ弁えておらぬのでな。家督を継がせてはおらんのだよ」
書斎に通されたジッツに、苦笑しながらフォギアが言う。
隣に立つフレアードは少しだけ不服そうな顔をしたが、フォギアはその顔を許さなかった。ちらりと見てから、厳しく言い放つ。
「馬鹿者が。誰が聞いているとも分からぬところで、迂闊にレギオニウスの話題を出しおって。だから任せておけぬというのだ」
「あっ」
頭を掻くフレアードの様子に溜息をついて、フォギアはジッツに向き直った。
「君がララテア様の後裔であるということは、マーリィ様から直接伺った。しかしだね、君が王家の遺構の側でレギオニウスを呼び出した件については、すでに王城に伝わっているのだ。遠からず君は城に招かれて、ララテア様の後裔として陛下の御前に立つことになるだろう」
「何故です、お父様!?」
「そのようなことを迂闊に漏らすような者、一人しかおらんだろう」
鋭く放たれたカーナからの問いに、疲れたようにフォギアが答える。
ジッツの隣に座るモネネが頭を抱えた。彼女はその人物が誰なのか、何となく察しがついているようだ。
「そして、王家の遺構が有史以来初めて踏破されたこともすでに確認されている。無茶をしたな、カーナ」
「それは、その」
「ファイアドラゴンは惜しいが、だからと言って我が子を危険な目に遭わせたくはないのだよ。フレアードの成人の時も、十階層より下には向かわぬよう、ダムンにきつく申し付けてあったのだ」
「そうなのですか、父上!?」
「そこも推察できないようだからお前は……」
どうにもフォギアはフレアードに小言を言うのが日々の習いになってしまっているようだ。
このままでは話が先に進まない。カーナに目配せすると、カーナも同じ意見だったようで横から二人に口を挟んだ。
「お父様とお兄様に、お土産があるのです」
「土産?」
「こちらを」
カーナはファイアスターターの鞘に差し込んであるファイアドラゴンを鞘ごと抜き放つと、フォギアの机の上に置いた。
「何だねカーナ? これはそなたが持ち出したファイアスターターではないか。もしやもう一振り見つかったのか?」
「いえ、違います父上! この柄の意匠……ファイアスターターに似ていますが、違います!」
「なに……まさか!?」
慌てた様子でフォギアが鞘からファイアドラゴンを抜き放つ。部屋の温度が一気に上がったように感じたのは、決して気のせいではないだろう。
赤くほのかに輝く刀身。
抜き放たれることで刀身から熱が放たれており、その熱を浴びたフレアードが一筋の涙を流した。
「ファイアドラゴン……」
「我らの誇りが、よもや……」
どうやら持ち主にはその熱は感じられないようにできているようで、二人の横で少しだけ距離を開けて立っていたカーナが、驚いた顔をしている。
「カーナ。これを、どこで?」
「五十階層……そこの門番の角に刺さっておりました」
「五十階層! では……」
「はい、お父様。レイヴォ様は確かに最下層に至り、勇敢に戦われたのです」
「そうか……そうか!」
その言葉を受けて、今度はフォギアの両目から涙がしたたり落ちた。
「その話は後でゆっくりと聞かせてくれ。……さて、ジッツ殿」
と、フォギアが涙をぬぐって視線をこちらに向けてきた。
正面からしっかりと見据えられ、思わず息を呑む。
「レギオニウスの件は、君が救ったチャーチ・フリットの雇い主……ダーゲン殿によって王城に報告された。この時点で、君が私たちと同じく貴族に列せられることになるのはもう確定事項だ。このクレムガルドでは、三桁もある王位継承権よりも正フリット家の末裔である方が明らかに価値があるのだよ。君は新米の貴族としてどの貴族を頼っても構わない。……むろん、私たちはカルナック家こそが君を支えるに相応しいと思ってはいるが……」
「ありがとうございます。僕もカーナやモネネさんとパーティを組んだ以上、信頼できる方たちに託したいと思います」
ジッツ以外の顔に安堵の笑みが浮かぶ。
ジッツは思いのほか、自分の立場がこの国にとって重いものになっていることを何となく実感したのだった。
ガナンの棘がぶるりと震えた。
屋敷の窓には全部カーテンがかけられ、室内の明かりはとても柔らかい。
ジッツの目の前には、テーブルにずらりと並べられた豪華な料理の数々。このどれを食べても良く、どれを残しても良いと。
だがまずは、開式の挨拶を。
「カルナック家の幸いに、乾杯!」
「乾杯!」
チン、と甲高い音を立てて。ジッツとカーナのグラスが打ち鳴らされた。
拍手と歓声。カルナック家に関わる全ての人たちが、大広間に集っている。
「偉大なるファイアドラゴンが戻り、正フリットの後裔が私の息子になる。これほど幸福なことがあるだろうか!」
フォギアの言葉に、ジッツは目を円くした。
フォギアは悪戯な笑みを浮かべてひとつウインクすると、ジッツの方に歩み寄ってきて顔を寄せてきた。
「カーナは嫌いかね?」
「いえ、そんな。最初に見た時、天使かと」
「そうか! そう言ってもらえて嬉しいよ。実はねジッツ殿、君のその姿はカーナの好みにぴったりなのだよ。あるいはモネネ辺りからもう聞いているかもしれないがね?」
「お、お父様!?」
カーナが真っ赤になる。今までに何度か見たが、何度見てもまた愛らしい。
ジッツの隣にカーナを座らせたのもその為、なのだろうか。
「カーナもジッツ殿を深く信頼しているようだ。どこの馬の骨とも知れぬ家に嫁にやるよりは、君と共に歩ませてやるのが親心だと思うのだ、私は」
「光栄です」
ちらりと見ると、フレアードはモネネと二人の世界を作っている。こちらの様子も目に入っていないようだ。
「あれも、もう少ししっかりしてくれればと思うのだ。……武の方ばかりが育って肝心の頭が追いつかぬ」
ジッツはそこでようやく、その小言がフォギアの愛情であるのだと理解した。
その口元とフレアードを見る視線が、とても穏やかに緩んだものだったから。
「……僕は」
「ん?」
「地方農家の、一番下の生まれです。正フリット家なんて名乗っていたけど、村のみんなも、家族だって。誰も信じていなかった」
兄と弟、父と子というのはそういう関係の名前でしかなかった。
その実態は、主人と奴隷。そう言うしかないものだった。
「僕は両親や兄弟から自由になりたくて、ここにやってきました」
贅沢をしたかった。立身出世を目指していた。
しかし、目の前にそれが実際に手に入った時。その喜びも心の中には確かにあるが、それ以上に。
「今、分かりました。僕が欲しかったのは、きっと――」
心を許しあえる家族と、自由こそが。
何よりも自分の欲しかったもの。
カーナ。
カルナック家の人々。
そして。
ギーオやフェイス。鉄巨人と、レギオニウスたち。
ジッツの幸せもまた、今日ここに確かにあるのだった。
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