第十五話:国王クレムガルド七十二世
トラップギルドに踏破の連絡を入れたのは、翌日になってからのこととなった。しかも、わざわざギルド員をカルナック家に呼びつけるかたちで。
ジッツとしてはそんな手間をかけるのが心苦しかったのだが、どうやらフォギアとマーリィが事前に打ち合わせを済ませていたようで、そう言われてしまうとジッツも強くは出られなかった。
現れたギルド員はチャーチで、ダーゲンとの契約は終わったらしい。ダーゲンは王城で、チャーチがジッツの連れたダンジョンゴブリンに怪我を治療されたことを随分と触れ回ったという。その辺りを自慢げに話してきたのを聞いて、契約の終了と同時にギルドに戻ったのだとか。
「いやあ、
「実感はあまりないんだ。
「問い合わせが多くて、忙しそうにしてるっす。……はい、これで書類は揃ったっすね。お疲れ様っした」
「こちらこそね。……ところでチャーチ、ダーゲン殿のところはどうなったんだい?」
「罠匠ジッツのパーティが踏破されたことで、特例として王位継承権の保持が認められたらしいっす。今、王家の遺構前には兵士たちが詰めているっすよ」
「何で?」
「戻ってきたところを捕まえようとしてるんじゃないかって、
祖母をも称号つきで呼ぶのは、チャーチのトラップギルド員としてのプライドであるらしい。トラップクラッシャーになるまでは身内の情を捨てると決めた彼女の決意は、ジッツもその場で聞いている。チャーチを尊敬していることのひとつだ。
ともあれ、捕まえられる理由が分からない。ジッツが同席しているカーナの方を見るが、彼女も首を傾げている。
「簡単なことさ。ジッツ君に適当な罪を着せて捕えようというつもりなんだよ。例えば……ガナンの棘を実家から盗み出した罪、とかでね」
横からそんなことを言い出したのは、フレアードだ。
カーナがその言葉に首を横に振った。
「そんなはずはありません。ジッツが持ってきたガナンの棘は、これ以上ないほどに錆びついていたのですよ? ジッツの家族だって、それがガナンの棘だったことを知っていたはずがありません」
「その事実自体に大した意味などないさ。例えばジッツ君の実家を調べて、家族に意を含ませる。ジッツ君が貴族に返り咲けば、彼らもまた貴族だ。ジッツ君、君から見て、故郷のご家族はそうだとしたらどうすると思う?」
「……喜んで自分たちの物だ、と言い出すでしょうね。家長にこそ所有権があるから返還しろと言ってくるでしょう」
どう言うだろうか、と考えるまでもない。
長兄や次兄は、ジッツや他の兄弟たちが何か財産になりそうなものを所有することを認めなかった。今回も同様のことになるだろう。
と、腰に差してあったガナンの棘が震えた。
ギーオだろう。何か話したいことがあるのかと、呼び出す。
テーブルの上にちょこんと座る形で現れた――書類の束やインク壺とは離れた位置に出てくる辺り、しっかりと心得ている――ギーオは、大丈夫ですなと請け合った。
「ジッツ様のご家族の方々がどのように考えておられるかは分かりませんが、ガナンの棘はジッツ様を主人として認めておりますな。そうである以上、ガナンの棘はジッツ様かその信頼するお仲間以外に触れることはできませんな」
「触れることが出来ない?」
「これは、ガナンの遺産に共通するのですな。ガナンの遺産は、素晴らしい力を持ちますが、所詮は道具なのですな。主人に悪意を持つものが手にすれば、それは主人の死を意味しますな。ですので元々、ガナンの遺産は主人と決めた者以外では原則として触れられないのですな」
「それはつまり……? 触ったら呪われるとか、そういう種類の」
「違いますな。本当に単純に、すり抜けてしまうのですな。持てなければ奪うことも出来ないのですな」
「ほほう……なるほど。それは便利だね。でも、この国にはガナンの遺産を正統に受け継ぐ貴族が何人もいるが、そういった話を耳に挟んだことはないよ?」
フレアードの問いに、ギーオは特に感慨のない様子で答えた。
「それは簡単ですな。決して人に触らせないか、ガナンの遺産を使いこなせる程のマナを持っていない、あるいは単純に魔力の質が合わないのですな」
「マナ?」
「世界樹が吐き出している粒子ですな。あらゆる生物の体内に宿り、魔法を使えるようになるのですな。マナは意思によって魔力に変質し、魔法を導きますな。マナ受容体の大きさや魔力の質は人によってさまざまで、たとえ双子でも全く同じということはないのですな」
「私もカーナもマジシャンギルドで指導を受けたけど、私はそんなことを習った覚えはないなあ」
「私もです」
「理解できない知識は、ないことと一緒ですな。この情報が伝えられていないということは、今の時代の魔術学問は当時と比べてずいぶん後退しているようですな」
その言葉に、フレアードが天井を仰ぐ。
「そこまではっきりと言われるのは寂しいなあ」
「ですがお兄様。ギーオの知識は確かです。私たちは王家の遺構で、随分とギーオには助けていただきました」
「疑っているわけではないよ。私たちは一歩ずつでも先に進んでいると思っていたけれど、そうではなかった。それが寂しいだけさ……っと、話がずれてしまった。兵士たちを動かしているということは、手荒なことも考慮に入れているということだ。ガナンの棘を自分たちの自由に出来ないと知れば、君の命さえも危険だと言えるね」
「私どもがそんなことはさせませんな」
「私もそうさ。だから、我々は彼らの裏をかこうと思う」
「裏?」
「そう」
にい、とフレアードが笑みを浮かべる。
ジッツにはその笑みが、父であるフォギアとよく似ているように見えた。
クレムガルド王城は、クレムガルド古王国で最も巨大で古い建築物だ。
国王が住むこの城の地下には、大ガナンが創り出した最大のダンジョンが眠っていると噂されている。
しかし、もちろんだが王城に入ることの許される人間は少ない。
ジッツはカーナとフォギア、フレアードと共に謁見の間に現れた。
カルナック家の者たちは、事前の許可を得ることなく国王に謁見することが許されている。
それは彼らが王位継承権を持つからということだけではなく、フォギアが当代の国王クレムガルド七十二世の叔父であることが大きい。
クレムガルド七十二世は王位に就いたことで名を捨てたが、フォギアの姉を母に持つ彼はフレアードやカーナとは従兄弟であり旧知の間柄だ。
彼らは自分たちの立場を利用することはこれまでなかったが、今回初めてその特権を使ったことになる。
「陛下」
「やあ、フォギア叔父上。カーナ、フレアード。久しぶりだね。……特にカーナ、君は王家の遺構を踏破したと聞いていたけれど……随分早いようだ」
この場に居るのは最低限の護衛とジッツ達だけだ。その為か、玉座に座るクレムガルド七十二世は気さくな笑みを浮かべて親しげな挨拶を三人に向ける。
純白の髪と、悪戯を好む少年のような瞳が印象的だ。五年前に即位したばかりだからか、まだまだ若い。
ともあれ、王はジッツに関しては無視する構えのようだ。
フォギア達もその件については後回しにするつもりのようで、まずはカーナが跪いて頭を下げる。
「ええ、昨日戻りました。とても良い結果を得ましたので、急いで戻ってきましたの」
「へえ! カーナが言うんだから、それは本当に良い結果なのだろうね。で、その結果というのは?」
「ひとつはこちらですわ」
と、カーナは兄であるフレアードに目配せする。
フレアードは背に差していたファイアドラゴンを鞘ごと抜くと、王の前に示す。
「カーナがファイアドラゴンを持ち帰ってきてくれたのです、陛下」
「フレッド、君に陛下と呼ばれるのはいつ聞いてもむず痒いな。……って、何だって? ファイアドラゴン!?」
驚いたように身を乗り出す王。
護衛を促し、護衛がフレアードから魔剣を受け取る。そして護衛が持ってきたファイアドラゴンを鞘から抜き放った。
「おお、この意匠、放たれる光。確かに国に伝わるファイアドラゴンだね。よく持ち帰ってくれたね、カーナ」
「ありがとうございます」
「これをフレッドに。では次回の朝議でこの件について触れておこう。カルナック家の偉大な事績がまた増えたと」
王はファイアドラゴンを鞘にしまうと、すぐに護衛に渡した。
恭しく受け取った護衛が、フレアードに剣を戻す。
「ファイアドラゴンがカルナックの家に戻ったか。……フォギア、ファイアドラゴンは当主に引き継がせていくつもりかな?」
「ええ、陛下。ファイアドラゴンはフレアードに当主の証として預けております。カーナに持たせては、嫁ぐ際に我が家より持ち出されてしまうことになりましょうし」
「……ふむ。その口ぶりだとすでに嫁ぎ先は決めてあるような口ぶりだね?」
「ええ、此度はその件で登城致しました」
何やら突如、王の眉が不機嫌そうに跳ね上がった。
刺すような視線がこちらに飛んでくる。
「すでにお聞き及びのことと存じますが。……本日の用向きはこちらのジッツ・フリット殿を陛下の御前にお連れすることでございまして」
「フリット? ふん、正フリット家を騙る者などは、際限なく現れるものだよ。フォギア、君らしくもない」
「左様。しかし、こちらのジッツ殿はトラップギルドのマーリィ様の愛弟子でございましてな。カーナが王家の遺構に潜るにあたり、マーリィ様から紹介をいただいたのです」
「何、マーリィ殿から?」
ここでようやく、王の視線が少しばかり柔らかくなった。
ここまで一言も発していないジッツだったが、何となく居心地の悪さを感じているのだ。
「そして、こちらのジッツ殿はガナンの遺産のひとつを所有しておるのです。ジッツ殿、お見せを」
「はぁ」
何となく気乗りはしないのだが、ジッツは腰に差したガナンの棘を抜いた。
王の前でナイフを抜くなど、咎められるのではないかと思ったがそうなる様子は今のところない。
「ほう? それがガナンの遺産か。どの遺産であるか?」
「ガナンの棘です、陛下」
「ガナンの棘……なるほど、確かに所在の明らかでなかった遺産だな。しかし、ガナンの遺産で国の管轄にないものがどれかなど、貴族が関われば調べれば分かること。それが真実ガナンの遺産であることを明かす術はあるか?」
「はい。……ギーオ、頼む」
「分かりましたな、ジッツ様」
ガナンの棘から幾筋もの光が放たれ、床を走り回る。このような演出は普段はないので、ギーオが気を使ってくれているようだ。
「お、おお? これは何事か」
「ララテア・フリット様の創られた『
「レギオニウス! ……なんだ、ダンジョンゴブリンではないか」
一瞬だけ目を輝かせた王だったが、出現したギーオにあからさまに落胆したような声を上げた。
ジッツとしてもギーオとしても、その反応は織り込み済みだ。
「確かにダンジョンゴブリンは愛らしい。ナル・コンクエスタたちが使役したいと願う話もよく聞く。その手段を見つけただけでもひと財産にはなるだろうが、それをフリットの血族の証明とされても――」
「
ギーオが杖を掲げれば、中空に空いた黒い渦から、レギオニウスたちが大量に飛び出してきた。小柄なレギオニウスたちが、広間を埋め尽くすように出現する様子は圧巻だ。
王はもちろん、護衛達も手を武器にかけて警戒している様子だ。
「な、なんだこの数は!?」
「魔人の軍勢でございますのでな、陛下。この者たちは治癒の役、傷や病を癒やす魔法を極めた者たちですな。危害を加えるような魔法は使いませんので、ご安心いただきたいですな」
「あ、安心しろなどと言われてもだな」
「すぐに戻せと仰るのであれば、いつでもお戻し致しますな」
「む。……いや、構わない」
ギーオの言葉をどう受け取ったのか、王はその意志を退けた。
危害を加えないと明言されたために落ち着いたのか、じっくりとレギオニウスたちを見やる。
「……成程、仮面の模様がそれぞれ違うのか」
「そうですな。我々はララテア様によって創られ、ジッツ様に忠義を誓うまでかの初心者ダンジョンこと『ララテアの研究室』におりましたな」
「何っ!? い、いや……そうか。ダンジョンゴブリンもあのダンジョンにしかいないと言われていたな。あのダンジョンがララテアの研究室であるというならばそなた達が魔人の軍勢というのも納得がいく。しかし、何故今なのだ?」
「それは簡単なことですな。ジッツ様……ララテア様の後継であるジッツ・フリット様が私どもを迎えにきてくださったからですな」
「……何と。そなたがララテア様の」
王のこちらを見る視線から、ようやく険が取れる。
ようやく対話をする準備ができたということだ。ジッツはレギオニウス達を戻すと床に跪いて頭を下げた。こういった場所での礼儀はマーリィから仕込まれているのだ。
「トラップギルドでトラップクラッシャーをしております。『
「トラップギルドか。そなたはトラップクリエイションの奥義を受け継いでいるのか?」
「いいえ。私がララテア様の末裔であることを知ったのはつい最近のことで」
「ふむ? 何やら事情がありそうだな。話すといい」
何やら楽しくなってきたようで、王は寛いだ様子で玉座に座りなおした。
「どのあたりから、申し上げましょうか」
「最初からよ。そなたがこの都に来た理由から聞いておこう。どうやら下手な寓話よりも面白そうだ」
すでに彼の視界からは、フォギアやフレアードの存在は外れてしまっているようだった。唯一カーナのことだけは入っているようだが、それもジッツのパーティメンバーということが理由だろう。
「ええ、それでは――」
カルナック家の面々が登城し、特権を行使して王への面会を取り付けたことを聞いた『迷宮大臣』ゼナー・フリットは仰天した。
彼はカーナが王家の遺構に挑み、踏破したことをいち早く知った人物であり、ガナンの遺産のひとつである『ガナンの枝』を受け継ぐ由緒正しい正フリット家の当主のひとりだ。
「ど、どうされたのですかガナー様?」
「先を越された。お前も来い」
同行した人物がジッツ・フリットという名で、ガナンの遺産らしきマジックアイテムを使ったということをダーゲンから聞き及んだゼナーは、ジッツを自らの制御下に置くべく行動を開始した。
ジッツの素性はすぐに知れた。トラップギルドに所属している正式なトラップクラッシャーなのだから、その辺りはたやすい。
問題は彼が王都に来る前の足取りだったが、これも思いのほか早く分かった。
高級果実である『ランゼの実』を盗んだということで、ジッツ・フリットに対して訴えが起こされているのが見つかったからだ。
「さ、先を越されたと言われますと?」
「黙ってついてこい。いいか、打ち合わせ通りに言うのだぞ」
その訴状自体は既に金銭の支払いによる解決が行われていた。その先頭に立ったのはトラップギルドの『
後見人は大物だ。国王にすら意見を許されている、それぞれのギルド最高幹部のひとりだ。マジシャンギルドの一員であるガナーとの相性が最悪だった。
ともあれ、ゼナーはちょうど王都に来ていたジッツの身内――次兄だという――と渡りをつけた。
適度に俗物で、ジッツが貴族の一員になることを告げると目の色を変えていた。
個人的に恨みがあるという次兄を利用して、ジッツを派閥に引き入れることが彼の目的だった。
だが、ジッツはカルナック家の庇護下にいる。このままカルナック家の勢力が増すとなればゼナーの派閥にとっても大きな痛手だ。
とはいえ、カルナック家は名門であり現王とも近い。上手く動かなければ派閥はともかく彼の立場を危うくするのは分かりきっていた。
「くっ……兵士どもは何をしていたのだ!」
その為、実家との確執を理由に王家の遺構の前で捕縛するような計画を立てていたのだが、その目論見はあまりにも早く崩れ去った。
しかし、このままにしておくわけにもいかない。彼は兵士を動かしてしまったのだ。理由もなく兵士を動かしたと王に知られてしまえば、結果は同じだ。派閥の仲間たちの助力は得られない。むしろ彼を人身御供にするだろう。
ガナンの遺産を持っている以上、命までは奪われないまでも。
「そうはいかん……! 私は!」
ゼナーの率いるフリット家こそが、クレムガルド古王国におけるフリット家の棟梁であり、本家である。
その誇りを捨て去るわけにはいかなかった。
ゼナーは杖を――ガナンの枝を握る手に力を込めた。
その足は、謁見の間に向けて急いでいる。
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