第十六話:ダンジョン・コンクエスタ

 ジッツがこれまでの話をすっかり終わらせると、国王クレムガルド七十二世は満足したように顎を撫でた。


「素晴らしい……素晴らしいな、ジッツよ」

「は」


 実家で過ごした日々は、あまり思い出したくもないものだった。

 しかし、国王に求められた以上はやむを得ない。家族との確執から始まる今日までのジッツの日々は、少なくとも国王を唸らせるだけのものはあったようだ。


「マーリィがそなたを特別扱いしたことや、それ以外……。それなりにルールを逸脱したことについては我が名において不問にしよう。ララテア・フリットの末裔として、そなたが成し遂げることに興味が湧いた」

「ありがとうございます」

「カーナ。良い婿を見つけたな」

「はい!」

「カーナは我の妹のようなものだ。良い婿が見つからねば我の后にとも考えていたが……そなたには王宮暮らしは退屈だろう」


 王は目を細めてカーナを見た。それはフォギアやフレアードがカーナを見る時の視線によく似ていて。

 と。


「失礼いたします、陛下!」

「ゼナーか」


 何やら慌ただしく入ってきたのは、三十代半ばほどの男性だった。上等なローブを身にまとい、杖を持っている様子からマジシャンであると知れる。

 だが、ジッツの目はそちらではなく一緒に入ってきた男の顔に縫い付けられるのだった。


「……ジェルン」

「ジェルン兄上だろうが……ジッツ!」


 場所も弁えずに唸り声を上げる次兄と、ジッツは睨み合う。

 その様子を楽しそうに眺めながら、王がこちらに声をかけてくる。


「何だジッツ、その男が例のそなたの兄貴とやらか。不思議なこともあることだ。なあ、ゼナー?」


 ゼナーと呼ばれた男はちらりとこちらを見ると、王の前に跪いた。


「畏れながら陛下。臣が弁えずにこの場に参りましたは、陛下にお伝えしておきたいことがあったからでございます」

「ほう、申してみよ」

「はい。先日、ダーゲン殿から偉大なるトラップクリエイター、ララテア・フリット様の創られた偉大なる『魔人の軍勢レギオニウス』を率いるジッツ・フリットなる男が現れたことを知りました。事実であれば一大事。素性を調べましたところ、ランジの実を栽培しておりますメルギオの村より、二年前に出奔した男がその人物であると確認いたしました」

「ほう、それで?」

「こちらの者は、ジッツ・フリットの兄でジェルン・フリット。聞き及んだところによりますと、そのジッツなる者、フリット家に代々伝わるガナンの遺産を持ち出し、更に王都への献上品であるランジの実を奪って逃げたと」

「なるほど。それが事実であれば由々しき事態だ。最早死罪すら生温いと言えような」


 必死に笑いを噛み殺している王。ジッツがジェルンから視線を切って王の方に目を向ければ、王もまたこちらを見て目配せしてくる。

 どうやら任せておけということらしい。


「それで、ゼナー。我が今、このジッツ達から聞いた話によると、このジッツもガナンの遺産がそうであったとは知らなかったというぞ?」

「何を仰いますか。どこの世に、ガナンの遺産をそうと知らずに持ち出すというのです。その者は自らの罪を隠し、カルナック家に取り入ったにすぎません」

「ふうむ、それは恐ろしい。だが、このジッツはトラップギルドのマーリィ殿の愛弟子だと言うではないか。その辺り、そなたはどう考えておるのだ?」

「ええ、私も本当に驚いております。しかしこのジッツなる者、どうやら師であるマーリィ殿にランジの実のことは話しておりますが、ガナンの遺産のことは伝えることはしなかったようです。マーリィ殿はランジの実の代金についてはフリット家に支払い、決着を見ております」


 ゼナーの言葉はすらすらと流れるようだ。どうやら自分たちで相当入念にシナリオを作ってきていたらしい。

 ジッツは呆れるやら次兄に対して腹立たしいやらで二人を強い視線で睨みつけていたが、王は何とも不思議そうにジェルンに問う。


「ふむ。不思議なことよな? もしもガナンの遺産が大事であるならば、マーリィ殿からランジの実の代金を受け取るにあたり、その話をしていないのはおかしいのではないか」

「は、私めもそれを不思議に思っておりました。しかし、このように考えれば辻褄が合うのです。自分の弟子がガナンの遺産の持ち主であるならば、トラップギルドにとっては良いことです。一方、フリット家が家宝であるガナンの遺産を盗まれたと知られれば、あるいは罪に問われるかもしれませぬ。その辺りを巧みに誘導し、その件については蓋をさせたのやも」

「マーリィ殿がそのような奸計を巡らす方だと仰せられるか、フリット大臣!」


 ゼナーの言葉に激高したのはフォギアだった。カーナに相談を持ち込む程度には親しいのだから、この反応もおかしくはない。だが、ジッツはフォギアが先に怒ったことで自分の怒りを発する機会を逃してしまった。


「フォギア殿。私は前々から申し上げていたではありませんか。トラップギルドなど、我々の上前をかすめ取ろうとするだけの底意地の汚い連中の巣窟。確かにマーリィ殿は数少ないダンジョン・コンクエスタであり偉大な御方かもしれません。しかし、やはり心を許してはならないのではありませんか?」


 この男は敵だ。腐れマジシャンの頭目はやはり心の底まで腐っていやがる。

 ジッツは内心で目の前の男を敵だと断定した。しかし口を挟まなかったのは、王に任せると決めたからである。


「まあ、ゼナーの持論はこの場では良い。話にも筋は通っているようだ。つまり、そなたは今回の件を、ガナンの遺産をトラップギルドが地方の農家から掠め取ったというのだな?」

「結果だけを見ましたら、そのようになるかと」


 ゼナーの口元にわずかに笑みが浮かぶ。

 どうやらこちらを追い込んだと思っているようだが。


「では、そこなジェルンとやら。我の問いに答えよ。偽証は許さぬ」

「は? は、ははあっ!」


 突然王から話しかけられたジェルンは、肝をつぶしたように跪いた。何がなんだか直前まで分かっていなかったようだが、玉座に座る人物が誰であるかくらいは察したようだ。相変わらず、権威には弱い。


「ガナンの遺産をそこなジッツが持ち出したと言っていたな? ではその方たちは、ガナンの遺産をどこに安置しておった?」

「ど、どこ……でございますか!?」

「うむ。さぞ厳重に護っておったのだろうな? 何しろガナンの遺産だ。この国ではガナンの遺産やその発見者、あるいは持ち主には厚遇をもって報いている。そなたたちがその触れを知らずとも無理はないが、それほど大切なものであれば、な?」

「そ、そそそれはもちろんでございます! あ、兄の部屋! 当主の部屋に大切に保管しておりました!」


 ジェルンはこの時点で嘘をついた。

 ジーズの部屋にはそのようなものを保管できるような場所はない。何しろフリット姓とはいえ農家なのだ。その辺りの細かい生活様式の違いなどは、ゼナーとは打ち合わせていなかったのだろうか。

 いや、あるいはゼナー自身もガナンの遺産がぞんざいに蔵の中に放り投げられて錆びついていたなど考えも及んでいないのかもしれない。


「そうかそうか。我がジッツに聞いたところによると、ガナンの遺産はそなたらの家の蔵に放置されていて、ジッツ自身もそれがガナンの遺産であるなどとは知らなかったと聞いているが……」

「それこそ妄言でございます陛下。偉大なる大ガナンの遺産、いかに正フリット家が農家に没落していたとしても」

「うむ。ところでジェルンよ」

「は、はひ」

「そなたの家にあったガナンの遺産とは、果たして何であったのだ?」

「……は?」


 今度こそ、ジェルンは凍りついた。

 長兄のジーズもジェルンも、そもそも父母や祖父母も気付いていたはずがない。それほど雑な形で放置されていたのだ。

 それをジェルンが知るはずがない。蒼白な顔でゼナーを見る。ゼナーもその表情を見て初めて何かを察したらしく、慌てて取り繕うように口を開く。


「た、短剣だと聞いております、陛下! 大ガナンの遺産の中に、短剣の形状であるものは二種あると伝わっていまして。ひとつは棘、ひとつは羽でございます!」

「それを我が知らぬと思うか。それに、そなたはダーゲンから話を聞いているから知っていても不思議ではない。しばし黙っておれ。してジェルンよ、そのガナンの遺産は棘か羽か」

「あ、あの」

「いかがした? 我の王たる気配が恐ろしいか? なに、一言述べるだけで良いのだ。そなたの家にあったガナンの遺産とはどちらなのか?」


 ジェルンは今にも死にそうな顔で王を見た。

 元々、体の割に肝が小さい男なのだ。自分より立場が上の者が味方についているうちはいいが、その権威が通じなくなると途端にこうなる。

 相手は国王だ。答えないわけにはいかない。しかし、王は既に答えを知っているのだ。間違った方を答えれば、自分は罰せられる。

 身内と呼ぶのも吐き気をもよおすほどに嫌いな兄ではある。しかし、それでも。こんな姿を見たくはなかった。


「おや、どうしたのだ?」

「……でございます」

「ん?」

「棘でございます! ガナンの棘、棘でございます!」


 大量の脂汗を流しながら、ジェルンはその言葉を吐き出した。開き直り。しかし開き直るまでに彼が振り絞ったものの大きさは察するに余りあるだろう。


「おお、ジッツ。こやつ正解したぞ」


 にやにやと人の悪い笑みを浮かべながら、王はジッツに語りかけた。

 と、そこで王は表情を改めた。冷徹に乾いた表情で、ゼナーを見下ろす。


「さて、ゼナーよ。そなたが連れてきたジェルン・フリットは確かにガナンの遺産を受け継ぐ、正フリット家の者であろう。しかし、ここなジッツはガナンの遺産の所有者として認められ、すでにガナンの棘はジッツにこそ所有権があると我は承認したばかりだ」

「な、何とも浅慮であらせられる! かの『魔人の軍勢』を呼び出す力を持った遺産を、そのような小僧に持たせるなど……」

「ああ、やはりその程度の認識か。ジッツ、見せてやれ」

「……どのようにすればよろしいでしょう?」

「そうだな……。我は気にしないのだが、護衛どもが目を回すのは避けてやらねば君主として面目が立たん。ちょっと加減して出すがよかろう」

「聞いていたかい? ギーオ」


 ジッツが腰に差したガナンの棘を揺らすと、ギーオが待っていましたとばかりに飛び出してきた。


「聞いておりましたな! ですがフェイス! その役はお前に譲りますな!」

「感謝する、ギーオ」


 と、続けて飛び出してきたフェイスが、剣を抜き放ってゼナーに向かって歩き出す。


「お、おいジッツ。あれは何者だ?」

「レギオニウスの中で最も腕が立つファイターです」

「は、ははっ! ダンジョンゴブリン? ダンジョンゴブリンが『魔人の軍勢レギオニウス』だと? ふ、ふざけるなっ!」


 怒りを目に灯したゼナーが杖を振りかぶる。確かに初心者ダンジョンにいるダンジョンゴブリン相手ならばその一撃で終わりだろうが、相手が悪かった。

 フェイスは避けることもなく、ゼナーの一撃を頭で受けた。


「陛下! この痴れ者は、ガナンの遺産などとたばかって、ダンジョンゴブリン如きを『魔人の軍勢レギオニウス』などと! 今すぐひっ捕らえて、縛り首に――」

「俺の名はフェイス。フェイス・ソード・レギオニウス。偉大なるララテア様に創られ、ジッツ様にこの仮面を捧げたジッツ様の剣だ」

「何!? 馬鹿な、レギオニウスの分際で」

「ひとつ、教えておいてやろう」


 フェイスの剣閃には一切の迷いがなかった。

 ゼナーの杖を一閃で弾き飛ばし、その切っ先をゼナーの喉笛に突き付ける。


「ガナンの棘は、我らレギオニウスは、ジッツ様をララテア様の後継と認めた。貴様らの奸計など最早意味すらないのだ」

「貴様……!」

「以上だ。……ジッツ様、お目汚しを致しました」


 最後にジッツにのみ一礼して、フェイスは異空間へと姿を消した。


「やれやれ、フェイスは融通が利きませんな」


 この場では、本来は王にも一礼するのが礼儀なのだが。


「良いさ。カーナの婿なら我の義弟に等しい。そういう者が強力な家臣を従えているのは我にとってもカルナック家にとっても良いことよ」


 寛容な国王は、しかしゼナーには冷たい視線を落とした。


「ゼナーよ。そなたの事績はこの国に多くの利をもたらした。しかし、一方でガナンの遺産を不当に自分の管理下におこうとする動き、我が知らぬと思ったか」

「で、ですが陛下! それはひとえに、この国のため……ッ」

「違うな。そなたは正フリット家の頂点に在りたいだけだ。我や国の為ではない、自分のためよ」

「陛下っ、それは……!」


 ゼナーの怯えたような視線も、意に介さない。


「先ほど、我はジッツから面白いことを聞いた。主を定めたガナンの遺産は、余人には持てなくなるのだという。サルナーク、杖を取ってまいれ」

「はっ」


 フェイスに弾き飛ばされたガナンの枝は、サルナークと呼ばれた護衛によって拾い上げられ、王の手に渡される。


「ではサルナーク、次はジッツからガナンの棘を借りて参れ」

「はっ」


 鉄面皮の男がずんずんと歩いてくるのも少々恐ろしい。

 ジッツは鞘ごとガナンの棘を腰から抜くと、サルナークに差し出す。


「申し訳ありませんが、陛下からのご下命ですので……」

「構いませんよ、どうぞ」

「かたじけない。お、おお……?」


 サルナークはガナンの棘を掴もうとするが、するすると通り抜けてうまくいかない。ジッツは手を動かしていないのに、だ。


「すみませぬ、ジッツ殿からこの手に乗せていただけますか」

「ええ」


 ジッツはサルナークの掌に、ガナンの棘を置いた。

 するとサルナークの掌を通り抜けて、ガナンの棘は床にカランと落ちた。


「……というわけだ。どうやらゼナー、そなたはガナンの枝から主と認められておらぬようだな?」

「そんな、そのようなことは……!」


 ジッツがガナンの棘を拾おうと屈むと、ガナンの棘は自ら空中に浮かんでジッツの腰に戻ってきた。どうやらジッツの腰を定位置と認めたらしい。


「あれがガナンの遺産の正当な所有者だ。……ゼナーよ、これまでの忠勤を認め、ガナンの枝の没収と隠居だけで済ませてやる。異存はあるか?」

「ご……ございません……ううっ」


 とうとうゼナーは床に突っ伏した。嗚咽を漏らしている。

 何だか悪いことをした気分だ。

 次に王が目を向けたのはジェルンだ。目の前で起きたことに完全に肝を潰してしまった様子の次兄の顔は、青を通り越して白い。


「ジェルン。そなたは分不相応な夢など持つ器ではない。ジッツの血縁であることは忘れ、メルギオの村にて今まで通りの暮らしをせよ」

「は、はいッ……」

「今日この時を持って、ララテア・フリット様の正フリット家はジッツ・フリットを初代として再興されたものとする。異存のある者はあるか」


 周囲を見回す王に意見する者は最早いない。


「良い。そして、ジッツ・フリット、カーナ・カルナック、モネネ・ウリナーチの三名を王家の遺構を踏破した『コンクエスタ』と正式に認定する」


 王は朗らかな笑みを浮かべてジッツを見た。


「カーナへの褒美は要らんな? そなたは今回のダンジョンアタックで多くの物を得た。これ以上を求めては罰が当たろう」

「御意」

「モネネとやらは我は知らぬが、どのような者か? 後程改めて恩賞を授けねばならん」

「陛下、私からひとつ願いがございます」

「どうした、カーナ? やはり何か欲しいものがあるのか?」


 王の問いに、カーナは首を横に振った。


「私のことではございませんわ。仰っていたモネネのことです。彼女はナル・コンクエスタ引退後、カルナック領で医院を開いていたヒーラーの娘なのです。二人は父に見出され、カルナック家専属のヒーラーをしております」

「ほう?」

「そしてモネネは、我が兄フレアードと恋仲なのです。陛下」

「ほほう! 何だフレッド、そなたいつまでも嫁を取らんと思っておれば」

「いえその、陛下……参ったな」

「良い良い、任せておけ! ではモネネを貴族として遇しよう。さすれば問題は解決だな?」


 からからと笑う王に、フレアードが顔を赤くする。頭を掻くその姿は、とても王に見せて良いはずの姿ではないのだが。

 そして王は顎を撫でながらジッツに問う。


「で、だ。ジッツよ。そなたはどうする? 正フリット家はもとより名誉貴族の扱いだから、カーナとの婚儀には問題がないぞ」

「そうなのですか」

「ああ。だがそなたの望みであれば正式な貴族に取り立てても良い。ちょうど迷宮大臣がひとり左遷されたところだ。その前後で立場が繰り上がるからな、その下に据えるくらいならば造作もないぞ?」


 ジッツは目を閉じて、自分の心に問いかけた。

 胸に灯っている小さな熱。

 その行く先を心に問うて、ジッツは目を開いた。


「陛下、僕は――」

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