罠食え!~トラップ・コンクエスタ!~

榮織タスク

プロローグ:こんな家出てってやる!

「もう嫌だ! 冗談じゃない!」


 具のないスープが入った木の器を投げつけて、ジッツは叫んだ。


「このガキ! 何しやがる!」

「うるさい! 自分たちだけ肉入りのスープを飲みやがって! 末っ子だからってこんな扱いをいつまでも我慢してると思うなよ!」

「生意気なんだよ、お前は!」


 父が亡くなってから、家督を継いだ長兄による弟たちへの虐めはひどくなる一方だ。

 六人の兄と、三人の姉。十人目の息子であるジッツは、怒声を上げる次兄に鋭い目を向けた。

 家長気取りの長兄も嫌いだが、その補佐などと気取って弟たちをいたぶる次兄がジッツは最も嫌いだった。


「このっ……!」

「やるのかよ、兄貴!」

「っ……」


 睨みつければ、次兄はその怒気をすぐに萎えさせた。

 十五歳離れている大柄なこの兄を、ほかの兄弟たちは恐れているが、ジッツだけはその威圧にも怯むことはなく、逆に叩きのめしたこともある。


「お、お前ら! こいつを押さえろ!」

「けっ、数を頼みにしなくちゃあ子供一人いたぶれないか! の名が泣くぞ!」


 散々に殴りつけられた記憶からか、ヒステリックに騒ぐ次兄。

 すいすいと、をかわしながら、次兄の目の前まで進む。

 その頬桁を、思い切り殴り飛ばす。


「がっ!?」

「兄貴! 俺は後に生まれたってだけで、あんた達の奴隷にされるいわれはない!」

「……なら、どうするというんだ」


 ようやく重々しく口を開いたのは、長兄のジーズだった。

 家長らしく威厳を保とうとしているのだろうが、口元の震えは隠せていない。


「この家に住む限り、お前の扱いは変えない。そうしないと、他の兄弟に示しがつかない。だから今日は、どんなに暴れてもお前に肉はやらない」

「ああ、そうかい! だがな、そんなことはもうどうだっていいんだ!」


 ぎり、と歯を軋らせながら、振り返りざまに次兄の頬をもう一度叩く。後ろから羽交い絞めにしようとにじり寄ってきていたのだ。文句は言わせない。

 だが、次兄を殴って気持ちが少しだけ落ち着く。ふう、と息を吐いて出した言葉は、不思議なほど落ち着いていた。


「決めたのさ。ここを出ていく。あんた達とはこれまでだ」

「そうか」


 あからさまにほっとした気配。

 ジーズはそんな態度を見せてしまったことに気付いたらしく、ことさら重々しい口調で言ってきた。


「ならば、もうこの世界にお前を守るものは何もない。勝手にどこかで野垂れ死ねばいい」

「言われるまでもねえや」


 鼻を鳴らし、ジッツは鍋に残っていた大き目の肉をフォークで突き刺すと、豪快に口に運んだ。次兄がああ、と間抜けな声を上げる。


「ならばさっさと荷物をまとめて、明日の朝には出ていけよ」

「馬鹿じゃねえのか」


 ジーズの間抜けな言葉に、ジッツは今度こそ呆れ果てた声を上げた。


「荷物なんてあるか。お前らが俺に何かを所有させてくれることなんて、一度でもあったかよ」

「この……」

「このまま出てく。じゃあな」


 怯えた目でこちらを見る母が視界に入る。舌打ちをしながら、ジッツは家を出たのだった。






 クレムガルド古王国は、人類の版図の中では最古と言える古い国だ。

 二十七の遺跡と、その恩恵によって繁栄を続ける国。

 王国史の黎明期において、そのダンジョンを作った一人の魔導士、大ガナン・フリット。

 ダンジョン・クリエイションなる魔術を創始し、彼が作り上げた二十七の遺跡。

 ダンジョンから産出される富は今もなお、クレムガルドの豊かさの象徴なのだ。

 ガナンの死後、多くの者がその子孫を自称した。

 多い時は古王国の人口のおよそ半分がフリット姓を名乗ったという程だ。 

 現在、ガナン・フリットの本当の子孫であると確認された者は少ない。

 ガナンが生前、十二人の子供たちに遺した『ガナンの遺産』と呼ばれる十二個のマジックアイテム。

 そのうち五つは歴史の闇に散逸している。

 ジッツ・フリットもまた、そんな数多い『フリット』姓のひとりである。







「うわ、錆び錆びだなこのナイフ。……まあ、ロープを切るくらいはできるか」


 深夜。村の中が寝静まったころに、ジッツは実家の蔵を物色していた。

 ジッツの村もほとんどがフリット姓であるが、親戚ばかりというわけでもない。

 ジッツの家は正しくは正フリット家と呼ばれている。ガナン・フリットの直系の子孫だと周囲には触れ回っているが、貴族からはとうに没落し、クレムガルドの農村で百年以上も農家を営んでいる。今を生きるジッツにしてみれば、その話が本当であるかどうかさえ疑わしいものだ。

 三代前の当主が目端の利く人物で、高級果実『ランジの実』の栽培に成功したため、比較的村の中でも羽振りが良い。そこで正フリット家を名乗っていれば確かに箔はつくだろう。

 ジッツは収穫直後のランジの実を干してあるロープを錆びたナイフで何度も往復させ、ようやくそのひとつを切った。


「こいつがあのガナンの遺産……なんてことはあるわけないよな」


 浮かんできた馬鹿げた妄想を、苦笑いで追い出して。

 ぱたぱたと落ちてきた生乾きのランジの実をいくつか袋に入れると、そのまま背負って蔵を出た。

 地面にナイフを放り捨てようとしたところで、何となくもやもやとした気分になる。


「……どうせ街についたら実は売っちゃうしな。ひとつくらい餞別に貰っていってもいいか」


 こんな錆びついたナイフ、どうせ買ってくれる店なんてないしな等とぼやきながら、ジッツは夜道を歩きだした。

 夜の天盤は暗く、夜光精がほのかな明かりを提供してくれている以外には明かりらしい明かりもない。

 しかし、遠目に見える威容だけは、その周囲に住まう精霊たちの昼夜を問わないダンスによって明るく映る。


「世界樹は今夜もよく見える」


 世界樹のすぐそばに、クレムガルドの王都はある。

 つまり、あとは世界樹に向かって歩けばいい。


「ご先祖様のダンジョンをひとつでも踏破して、踏破者コンクエスタになれば一生食うに困らないって言うしな」


 ダンジョンによって生み出される富は、少年を襲う野盗などが生まれないほどに王国を豊かにしていた。

 ジッツもまた、そのダンジョンという誘蛾灯に誘われたひとりの若者なのだ。

 まがりなりにも庇護のある立場から、ダンジョン踏破を目指す一人の冒険者アウトローになろうというのだから。

 しかし今の少年の顔には、鬱屈した生活からの解放感ばかりがあるのだった。


 ジッツ・フリット。この時十二歳。

 この時はまだ、冒険者ですらないひとりの少年だった。

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