元気がなかったのは薫だけじゃなくて

 ザクザクと適当に切ったキャベツともやしとかぼちゃ、そして薄切りの豚バラ肉を耐熱皿に乗せ、ラップをかけて電子レンジの中に突っ込む。


「よっ……」


 適当に時間を5分にセットし、俺は電子レンジをスタートさせた。その途端にレンジの中で耐熱皿が回りだし、豚肉共はフィギュアスケーターよろしく中心点がぶれない華麗なターンを繰り返していた。


 豚肉その他を温めてる間にドレッシング作りだ。種をとってまな板の上で適当に叩いておいた梅干しとめんつゆ、そしてすし酢をよぉおおく混ぜ合わせ、そして菜種油を少しだけ垂らす。


「……適当に合わせた割にはうまいな」


 味見をして、自分の適当さもある程度のレベルの結果を残せるのかと感激した頃、電子レンジの小気味良い『チーン!』という音が鳴り響いた。扉を開いて中を覗くと、まだ豚肉の火の通り具合が甘い気がした。あと3分ほどチーンってしとくか。


 再度、豚肉共を電子レンジにかけ、その間に今度は卵焼きを準備する。今日はだし巻き。朝の薫は『味が薄い』と言っていたが、味付けそのものはいつもと同じでいいはずだ。


 再びキッチン内に『チーン!』という電子レンジの叫びが響く。まるで測っていたかのように炊飯器も『てーてれてれてーれーれー♪』と歌い出し、飯が炊けたと俺に知らせてきた。薫は食欲はあると言っていたし、別におかゆにはしなくていいだろう。食欲あるなら、キチンと食べたほうが体力つくだろうし。


 お盆の上に豚肉野菜etcが乗った耐熱皿をそのままと、お手製手抜き梅ドレッシング、そして卵焼きと温め直したお吸い物とご飯を乗せ、『おつかれ薫御膳』の完成だ。


「品数少ないか? ……まぁいいか」


 配膳の済んだ『おつかれ薫御膳』を、寝室で待つ薫の元へと、届けてやる。


「薫ー。お待たせ」


 寝室のドアを開ける。途端に薫がベッドから起き出し、ぼんやりとした眼差しで、鼻をひくひくと痙攣させ始めた。俺が夕食を作っている間に着替えたらしく、薫は寝間着になっていた。


「起きられるか?」

「大丈夫です」


 ベッドの中で上半身を起こし、そしてそのまま腰掛ける薫。やはり薫は風邪というよりも過労に近いようで、咳もせずくしゃみもせず、ただただ熱でぐったりしているようだ。


「……おっ。言ってた通りのメニューですね」

「名付けて『おつかれ薫御膳』だ」

「ひどっ……」


 そんなセリフとは裏腹に、さしてメンタルダメージを負ってない素振りの薫。『おつかれ薫御膳』のおぼんをワゴンに乗せ、俺は薫の前に差し出してやった。


「うー……」

「ん?」


 薫が朝みたいにまたうなりだした。朝のときよりも覇気がなく、愛想すら無くなった程度の、なんとも情けない唸りだ。


「なんだよ」

「……先輩は一緒に食べてくれないんですか」


 ……ちょっと読めてきた。薫が唸るときは、なにか不満がある時のようだ。もっと言うと、不満があって、わがままを言いたいときに、自然と唸り声が出るみたいだ。


 しかもこの癖は、結婚前には見せてなかったものだ。結婚して家族になり、薫も俺に気を許す場面が増えてきたのかもしれない。


「お前の世話があるだろう?」

「でも先輩……」

「んー?」

「『夫婦が一緒に晩ごはんを食べられないのはおかしい』って言ってたじゃないですか」


 ……そら確かに。至極ごもっともな指摘だ。やるなこいつ……グロッキー気味の仏頂面なくせに。


「んじゃ、俺の分も持ってくるから、ちょっと待ってろ」

「はいっ」


 本当は薫を寝かしつけた後、一人で食べるつもりだったんだけど……まぁいい。たまには寝室で、二人でご飯ってのも、悪くない。


 気の抜けた肉食獣のような眼差しの薫を残し、俺は一度キッチンへと戻る。そしてそのまま自分の分の『おつかれ薫御膳』をおぼんに乗せ、寝室へと舞い戻った。


「ただいまー」

「おかえりなさい先輩」


 薫の差し向かいに椅子を持ってきて座る。昼のように賑やかな場所ではない。静かな寝室で、ずいぶん久々の、二人だけの夕食が、やっと始まる。


「……では先輩」

「おう」

「「いただきます」」


 二人で同時に手を合わせた後は、俺はお吸い物に口をつけ、薫は豚肉に箸を伸ばした。


「……すっぱ」

「そか?」

「はい。でも美味しいです」

「……そっか」

「はい。……ホントに美味しいです」


 梅ドレッシングの酸っぱみに顔をすぼめながらも、薫が俺の晩飯を美味しいと褒めてくれる。そんな、なんでもないはずのことに、胸が暖かくなる。


「……そんな酸っぱそうな顔で言っても説得力無いぞ」

「どうせいつも信じてもらえてないのですが」

「そか?」

「はい。いつも『そんな顔で言っても説得力無い』って」

「……だな」


 豚肉で野菜を巻いて、それを口に運んだ薫は、再び顔のパーツのすべてを顔の真ん中にぎゅーっと集めていた。


 そんな薫を見ながら、俺は思う。


 ……俺も、心の何処かがくたびれていたみたいだ。家の中で薫の仏頂面を拝めない日々が続いて、俺も心の何処かで、『くたびれたー……奥さんとのんびりしたーい……』って愚痴をこぼしてたみたいだ。自分のことながら、そんなことに今更気付いた。


「……なー薫」

「はい」

「卵焼き、うまいかな」

「はい?」

「……今日の俺の卵焼き。うまいかな」


 改めて、卵焼きの味を聞いてみる。愛する自慢の奥様に、自分が作った卵焼きを、褒めてほしいから。


 眼の前の奥様は俺の言葉を聞いて、仏頂面を崩さないまま、口の中に残った豚肉をぐぎょっと飲み込み、そして卵焼きを頬張ってくれた。


 しばらくもぐもぐと味わった後、薫はいつものように、口の中に食べ物を入れたまま、ほっぺたをリスのように膨らませ、いまいち何を言っているのかよくわからない感じで、


「めひゃふひゃおいひいれふ」


 と、いつかのように言ってくれた。


 聞いた途端、俺の胸がホッと安心した。暗闇の中で、お誕生日ケーキのろうそくに小さな炎が点いたように、ぽっと明るく、そして暖かくなった。


「そっか」

「ぐぎょっ……はい。……でもどうしました?」

「んー?」

「今までそんなに真剣に『うまいか?』て聞いてこなかったじゃないですか」

「だな」


 ……恥ずかしいから言わないが、久々にお前の口から『おいしい』って言ってほしかったんだよ。そして、胸をポカポカさせたかったんだ。


「……知らんでいい」

「ひどっ」

「いいんだよ。早く食べないとお吸い物が冷めるぞ」

「はぁ」

「……」

「……?」


 俺の答えを聞いて、薫は困ったように眉間に皺を寄せる。こいつとの暮らしの中で、仏頂面にも色々と種類があることはもう分かってる。それだけ俺は、こいつの仏頂面をよく見てるってことだ。


 ……なあ薫? お前、前に『私なしでは生きられない先輩に調教する』って言ってたよな? お前自身には自覚はないようだが、俺はお前に、めでたく調教されてしまったみたいだ。


 だってお前に『おいしい』って言われただけで、こんなに胸が暖かくなるから。くたびれていた心がみるみる元気になっていくのが、自分でもわかるから。


「……先輩」

「んー?」

「美味しいです。……ホントに」

「んー」



 胸を暖かくさせたまま、俺達は久々の二人だけの夕食を終えた。洗い物も終わり食器を片付けたあと、薫が風呂の準備をしていることを思い出した。


 このままじゃ、せっかく準備してくれた湯がもったいない。薫は無理だろうけど、俺は入るか。


「おーい薫ー」

「はい」


 薫に声をかけるため、俺は寝室に入る。ベッドの上の俺の奥様の顔色が幾分ましになってきた。晩飯を食べたことで、少し体力が戻ったのかもしれない。いい傾向だ。


「せっかく準備してくれたし、俺は風呂に入ろうと思う」

「……う」

「なんだよ」

「……私も入りたいです」

「熱出てるだろ?」

「だって……『一緒に入りましょ』て言ったら、先輩『はいよー』って……」


 そう言って、薫は口を尖らせ、俺からぷいっと顔をそむけた。


 ……なんだか今日は、初めて見る顔が多いなぁこいつは。熱を出してる薫には申し訳ないが、そんな薫が新鮮でとても楽しい。


 薫の熱は風邪というよりも疲労の蓄積だし、少しぐらいなら、風呂もいいかもしれんな。それで薫の気が済むのなら、ちょこっとだけ風呂に入らせるのもいいかもしれん。


「……ちょっとだけだぞ」

「……いいんですか」

「ちょっとだけならな」


 おーおー……俺が『入っていい』と言った途端に、目にハイライトが入って力強くなって、元気になった瞳で俺を睨みつけておる。鼻もピクピクと痙攣しておるわ。


「言っとくけど、ささっと身体を洗って、少し体を温める程度だからな」

「はいっ」


 俺の釘刺しを聞いた後、薫はピコンと座高を伸ばし、そして熱を出している身とは思えないほど勢いよくベッドから立ち上がると、元気に風呂場へと消えていった。


 そんな風に、妙にシャキシャキと風呂場へと向かう薫の背中を眺めながら、俺は思う。


「……子供か?」


 仕事場でのシャキッとした薫だけしか知らないと、あいつがこんなにダメ人間で子供っぽいっての、想像つかないだろうなぁ……俺も、想像つかなかったしな……。



 ほんの少しの時間だけ二人で風呂に入った後は……


「ふぁ……ふぇんふぁい……」

「んー?」

「明日のためにも……今日は……寝ていいれふか」

「んー。おやすみ」

「ふぁい……」


 流石にくたびれたんだろう。眠そうな眼差しでブッサイクな表情を浮かべる薫は、お風呂上がりに水を飲んだ後、ふらふらと寝室へと消えていった。寝室の扉が閉じた後、パチリと電灯が消える音が聞こえたから、特に何事もなくベッドに入り、そのまま睡眠に入ることだろう。


 ……しかし、今日は中々にハードな一日だった。水が入ったコップを居間のテーブルに置き、ソファに腰掛けた途端に、今日の疲れがドッと押し寄せる。今日の薫は、俺ですら見たことがない顔をずっとしてたから、新鮮で楽しかったのだが……その分、俺も気が張ってたようだ。


 まぁ、結婚生活が始まる前から今日まで、薫が体調崩してぶっ倒れるなんて、なかったからなぁ。奥様の看病なんて初めてだし。


 ともあれ、風邪や体調不良ではなく、日々の激務の疲れが原因というのがわかっただけでも御の字だ。後はこの一週間をダラダラと過ごせば、薫の体調ももとに戻っているだろう。予想より早く回復しても、それならまたどこかに遊びに行けばいい。今回、薫は本当によくがんばったんだ。ちょっとぐらい歩みを止めて、一息ついてもいいはずだ。


 ひとしきりニュースを眺めながら、部屋を見回す。籍を入れたのと同時に引っ越したこのマンションだが、思ったよりも部屋の中が広い。一人で過ごすリビングって、こんなに広かったんだっけ? と疑問に思いつつ、テレビの電源を切った。明日も朝飯を作らなきゃいけないし、今日は俺も疲れた。ちょっと早いが、今日はもう寝るとしよう。


 居間の電灯を消して、寝室に入る。薫を起こさないように静かにドアを閉じ、ベッドへと入った。


「ん……」


 俺の奥様は、俺がベッドに入っても目覚めることなく、静かにスースー寝息を立てている。昨晩のように、仏頂面ではない、安らかな寝顔だ。若干腹立たしく感じるぐらい、邪気がない。


「んー……」


 俺がベッドに入り、薫のとなりに寝転がると……


「んが……」


 薫が俺にしがみついてきやがった。この季節、掛け布団は冬用よりも薄手のものに取り替えてあるのだが……それでも熱い。


「熱い……」


 寝てるとは思えない馬鹿力で俺の身体にしがみつく薫を振りほどこうとして、薫の寝顔が視界に入った。


「んー……」

「……」

「……ニヘラ」


 笑ってやがる……寝ているにもかかわらず、まるでこいつのプロポーズを俺が受け入れたときのように、ニヘラとキモい笑みを浮かべてやがる。


「……まぁいいか」

「……あっつ」

「!?」


 そして、俺が『そんなにうれしいんなら別に熱くてもいいか』と思った矢先に、こいつは勝手に俺から離れてそっぽを向いた。俺のこの悶々とした気持ちを一体どうしてくれるのだ……と純粋な怒りが湧いたが、流石に寝ているときの言動で奥様を責めるわけにもいかず……『まぁ仕方ない』と自分に言い聞かせ、そして俺も眠りについた。


 明日はどうやって過ごそうか。どう過ごせば、薫は喜んでくれるだろうか。朝飯の卵焼きは、どんな味付けにすれば『美味しいです』と言ってくれるだろうか……そんなことを考えながら、俺は眠りに落ちていった。


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