設楽母。きゃつは曲者。
「さて……」
俺とお父さんの宣戦布告なぞどこ吹く風で、自分の娘と、血で血を洗う仏頂面の応酬を繰り広げていた設楽のお母さんが、お茶をずずずとすすり、口を開いた。
「薫。今日はお話があるということでしたが……」
「はいお母さん」
……室内の空気が、2度ほど下がった気がした。
緊張感がリビングの中に充満した。俺たちとお母さんの間に、見えない壁のようなものが出来たかのようなプレッシャーだ。これほどのプレッシャー……うちの会社の重役どもでも出せないプレッシャーだ……さすが企業の幹部にまで上り詰めた人だ。
一方……
「……ん? どうかしたかな?」
「あ、いえ……」
お父さんの方は、戦士の眼差しを元の優しい目へと戻し、のほほんとした笑顔でのんきに自作のきんつばを頬張っている。
やはり、お父さんは俺の味方のようだ。なんとなくだが、本来なら……
――バッカモォオオオン!! お前みたいな男に、うちの娘はやらぁぁあああん!!
と娘が連れてきた男を叱責するのは、父親の役目のはずなのだが……まぁいい。この状況で一人でも味方がいるのは、俺としては、とてもありがたい。
「では、一体どのような話ですか?」
「はい。私と先輩の将来のことで報告したいことがあります」
「……ほう」
設楽の返答を聞いたお母さんの仏頂面が、更に険しくなった。その眼差しは俺ではなく設楽に向けられているが……めちゃくちゃ鋭い目で設楽のこと睨みつけてるぞ……すんげーこええ……なんて俺がお母さんの仏頂面に恐れおののいていたら、である。
「では先輩。その発表、はりきってどうぞっ」
と、この最悪のタイミングで設楽が俺に話を振ってきやがった!! なんだよっ!? なんでそんなタイミングで俺に話を振るんだよッ!?
「……ほう」
そしてその途端、設楽母の視線が、ギンと一気に鋭くなった。その視線は、先入観のせいかもしれんが、見つめる俺をそれだけで殺しそうなほど、極めて鋭い。
「渡部さんの口から一体どんな報告が聞けることやら……」
「あわわわわわわ……」
「楽しみで胸が踊ります。興奮して今夜は眠れそうにありません」
……怖すぎる。今のセリフにしても、どこぞの悪徳都市の、時折御法に触れることもする運び屋のボスが、不始末をしでかした部下の報告を聞く時に言いそうなセリフだぞ!?
ひょっとして……俺が『結婚します』とでも言おうものなら、その『ファッショナブル』と書かれたクソTの懐から、リボルバーの拳銃でも出してくるのではあるまいな!? この設楽母は!? そのクソT、左脇が妙に膨らんだりしてないだろうな!?
「あ、あのー……」
「はい」
「え、えっとですね……」
「はい」
「そ、そのぅ……け、けっこ……」
「けっこ……?」
「い、いや! 結構、緊張しますねぇこういう場だと! あはははは!!」
「はぁ」
ごまかしてしまった……お母さんから発せられるプレッシャーに、勝てなかった……助け舟を出してほしくて、設楽の方に視線をやると……
「……」
「……」
「……先輩、早く言って下さい」
「!?」
いや、確かに言うのは俺だけど、そこは何か援護射撃をしてくれよ! 例えば『お母さん。私達、付き合ってそろそろ一年なんです』とかさ!
一方のお父さんは、相変わらずニコニコ笑顔で、お茶をズズッとすすっている。
「渡部くん」
「は、はいッ!?」
「気持ちはわかるけど、そんなに怖がることはないよ。勇気を出して言ってみなさい」
と、本来なら隣の設楽が出すはずの助け舟を、お父さんが出してくれた。……やはりこの空間では、お父さんが俺の唯一の仲間か。お父さん、ありがとうございます。
俺は一度目を閉じ、ゆっくりと深呼吸した後、目をカッと見開いた。
そして発する。隣で素知らぬ仏頂面で佇む設楽との将来のため……この俺の、揺るぎない決意を!!!
「……本日は、薫さんとの結婚のお許しを頂きたく、参上仕りました」
……しまった!? 覚悟を決めたとはいえ、緊張していることに変わりはないせいか、なんか時代劇みたいな物言いになってしまったぞ!? 大丈夫か? お母さんとお父さんに、軽薄なやつだと思われてはないか!?
「……ほう」
「……」
「わが娘、薫との……結婚の許しとな……?」
よかった。お母さんの返答もなんかおかしい。この人も緊張してるのか、それとも俺の緊張をほぐすためなのかは知らないが、セリフが時代劇の様相を呈している。どちらにせよ、俺のことを不快な存在として認識してないようで、一安心だ。
「左様でござる母上殿」
お前は黙ってろ設楽。お前まで俺たちに釣られなくていいんだよ。
「キミ達は一体何時代の人間なんだ……大河ドラマに出演中の役者かなにかか?」
お父さん、この場で冷静なのはあなただけです。感謝しますお父さん。
「……渡部殿」
お母さん、そろそろ大河ドラマみたいな口調もやめにしませんか。おかげさまで俺の緊張も幾分ほぐれてきたみたいですし。
お母さんはお茶をズズッとすすったあと、相変わらずの仏頂面で俺を睨みつけた。顔つきは確かに設楽そっくりなのだが、やはり年の功というか……その仏頂面は年季が違う。この仏頂面に比べたら、設楽のそれなど、満面の笑みに等しい。眉間にしわを寄せ、不愉快指数160%の目で俺を睨みつけてくるお母さん。
「実は以前より、薫からそのように伺っております」
「……は? マジか設楽」
「あれ。言いませんでしたっけ?」
「聞いてない。まったく聞いてないぞ」
「ええ本当です。ただ私達は、薫からだけではなく、あなたからもその決心を聞きたかったのです」
「なるほど」
「御無礼をお許し下さい渡部さん」
「い、いえ……」
そうだったのか……だからお父さんは、『勇気を出して言ってみなさい』と……しかし設楽よ、そんな大事なことを、なぜ俺に言い忘れていた……?
とまぁそんなわけで、一番勇気が必要だった結婚の報告は、意外とすんなりと終了したのだが……
「というわけで、渡部さん」
「はい」
「私たちから、いくつか質問をさせていただいても……よろしいかな?」
「……御意」
……お母さん、あなたいつまでその時代劇を引きずるつもりなのですか。設楽の仏頂面は見慣れているのですが、あなたの仏頂面はまだ見慣れないんです。その仏頂面でそんなセリフを吐かれると、なんだか悪代官に呼び出しを食らった、しがない町人みたいな気分になってしまうんです。だから俺のセリフまでおかしくなってくるんですよ。
「お母さんっ」
「薫? どうしましたか?」
「先輩は、私の先輩なのですが」
俺の隣の見慣れた仏頂面が、そう言ってお母さんに噛みつき始める。今のどこに噛み付く要素があるのかさっぱりわからん……家族になるんだし、自分の娘を預ける男なわけだから、知りたいことも色々とあるだろうに。
「構わん。俺のことをお母さんとお父さんは何も知らない。俺もぜひ知ってほしいし、質問ツッコミその他もろもろ大歓迎だ」
設楽に俺の覚悟を伝える。そう……いわばこれは儀式。お前と俺が家族になるための儀式なのだ。
「先輩、気をつけて下さい」
俺の横の婚約者が、唐突に変な忠告を発してきた。『がんばってください』ならまだ分かるが、『気をつけて下さい』とはどういうことだ?
「母は、顔色を変えずに軽口を叩き、会話する相手をけむにまく癖があります」
仕事中ですら見たことのない険しい口調で、設楽がそう注意を促すのだが……それ、どこからどう見てもお前じゃねーか……
設楽が仏頂面で母をにらみ、つられて俺も設楽母を見つめる。
「……」
「……」
「……ぽっ」
お母さん、なんで今、ほっぺた赤く染めたんですか。今のこのやりとりに、照れる要素などどこにもなかったと思いますが。
まずい。お母さんの思考が読めない……助け舟を求めて、お父さんの方を見た。
「……」
「……はっはっはっ」
お父さんは朗らかに笑うのみ。助け舟なんか出してはくれない。それどころか……
「渡部くん」
「はい」
「彼女はね。私の妻だよ」
「はぁ……」
と、いちいち笑顔で意味不明な釘を刺してきた。一体何が言いたいのやら……
「さて、渡部さん」
「はい」
「娘の薫から、あなたのことはよく伺っております」
「そうですか」
「それこそ、あなた達が付き合いだした頃から」
「なるほど」
気を待ち直した設楽母から、こんなことを言われる。意外なことに、設楽は俺達が結婚前提で付き合いだした頃から、折りに触れ、俺のことを実家に報告していたようだ。
「なんでも……私達の娘を、あなたなしでは生きていけない肉体に調教してしまった、情け容赦のない、どえすな方だと伺っておりますが」
「お言葉を返すようで恐縮ですが、あなたもそっち側の人間ですか」
「ほら、うちの母は軽口ですぐ相手を困らせます」
「九割がた、お前が原因だと思うぞ設楽」
……さすが設楽の母親だ……設楽同様、意味不明な物言いで相手を振り回す……普段から設楽の軽口で鍛えられてる俺だったからよかったものの、何も知らないヤツがいきなりこんなことを言われたら、恐ろしさで震え上がるぞ。
しかし、これはどう説明するべきか……『本来なら私が彼女に家事を教えるべきだったのですが、それをしなかったがために、責任を取って結婚することに』などという言葉を期待しているのか? そう話すべきなのだろうか? 思考を整理すべく、お父さんが淹れてくれたお茶を一口すする。
「渡部くん、心配はいらない」
「?」
「私も、妻の方からプロポーズされたのだが……その言葉が『あなたのごはん無しでは生きられない女にされてしまったから、責任取って死ぬまで面倒見て下さい』だからね」
「……」
うーん……なんだかどこかで聞いたことがあるようなプロポーズ……さすが、蛙の親は蛙ということか……
「主任っ! その話は……!!」
設楽母が慌てて口を挟んできた。『主任』てお父さんのことのようだ。設楽が付き合ってからも、相変わらず俺のことを『先輩』と呼び続けるのと一緒かな?
「ん? どうかしたかい?」
「プロポーズの話は……主任と私だけの……ッ!」
「いやいや。どうにも他人事には思えなくてさ。実際、頭を抱えたからね。『ぇえ~……それって俺が悪いの?』て」
「……ぽっ」
「ハッハッハッ」
なんというか……お父さん。その気持ち、痛いほど分かります。俺もほぼ同じ言葉で逆プロポーズをされた身として。
俺の隣の設楽を見る。自分が母と同じプロポーズをしでかしたということには何の感慨も沸かないようで……なんだか呆れきったようにジト目で設楽母を見つめながら、静かにお茶をすすっていた。
「ずずっ……」
「お前は何の感慨も沸かんのか」
「感慨……とは?」
「お前の母が、お前と似たようなプロポーズをしていたんだぞ?『やっぱり私のお母さんだなぁ』とか、色々と感じるところもあるだろう」
「……いえ、普段の2人を見ていれば、プロポーズの言葉は想像がつきます」
「……マジか」
「はい。だから逆に『ああ、やっぱり……』としか思いませんね。ずずっ……」
「……」
と、口ではこういう設楽なのだが……
「……」
「……? 何か?」
「……いや」
湯呑みを置いたこいつの鼻が、ぷくっとふくらんでいることを、俺は見逃さなかった。
そしてそんな設楽の視界の先には、設楽母を朗らかな笑顔でからかうお父さんと、そんなお父さんにからかわれて、真っ赤な顔で耳をぴくっと動かす、恥ずかしそうな設楽母だった。
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