決め手は先輩

「……さて先輩」

「……?」

「そろそろ覚悟を決めていただければ」


 酒も充分飲んだし、そろそろ腹もいっぱいになってきた。そろそろ何か甘いものが食べたい……そう思い、設楽と2人でメニューからスイーツの物色をしている時の、設楽のセリフ。


「覚悟か」

「はい。私をこんな身体に調教してしまった責任を取っていただきたく」


 それは、俺に決断を迫る一言だ。メニューを覗き込むために下に向けていた視線を、俺は設楽へとこっそりと向けた。


「……」


 いつの間にかジッとこっちを見ていた……一緒になってメニューを覗き込んでると思ったのに……いつの間にか、こっちの返事を待ってやがる……


「んー……」

「……」

「設楽よー」

「はい」

「それはさ。俺がお前の指導係だったからか?」

「そうです」

「それなのに、炊事洗濯その他もろもろ、何も教えなかったから、言ってるのか?」

「はい」

「そうか……」


 ふぅ……とため息が出る。責任の拡大解釈……そうとしか思えない。


 正直に言うと……設楽にプロポーズをされて、別に悪い気はしない。なんだかんだで付き合っていて気を使わなくていいし、これだけ付き合ってれば、こいつの呼吸と生活リズムも、なんとなく分かる。


 ……だけどなぁ……ずっと気になってるんだけど、イマイチこいつの本心が見えてこないんだよなぁ。


 いや、プロポーズを決断するぐらいだから、こいつも別に俺のことを悪く思ってないのは分かる。好きでもない男なんぞを部屋に上げないだろうし、(たとえそれが家事であれ)俺のことを頼りにしてくれているのもいい。


 でも、一連のこいつの話を聞いてると、なんだか『一緒になりたいから結婚してください』ではなくて、『本当はそんなに気乗りがしないんだけど、他に適当な人もいないし、先輩でいいんで』って気持ちが、見えなくもないんだよねぇ……。


 それが、俺がいまいち決断出来ない理由だ。まぁこいつなりに、なんとか自分の気持ちを伝えようと、パワポを作ってプレゼンしたり、責任の拡大解釈してきたりして、必死なんじゃないか……とは思うんだけど。


 決断力がないのは、自分でも自覚している。でもさー。一生のことだよ? 慎重に決断させてくれよ。明日の弁当のメニューを決めるのとは、わけが違うんだからさ。


 イマイチ踏ん切りがつかない俺の様子を見ていた設楽は、


「……はぁ〜……」


 とため息をついて首を左右に振っていた。そらなぁ。相手の態度がこれだけ煮えきらないとなぁ。お前としちゃ、ガクッと来るだろうなぁ。


「私の元に嫁ぐのに、何かご不満でもあるのですか先輩」


 ひとしきり首を左右に振った後、相変わらずの鋭い眼差しで、設楽が俺を睨みつける。蛇に睨まれたカエルって、きっとこんな気持ちなんだろうなぁ……俺の心が、どんどんどんどん萎縮していくのが分かった。


「不満っつーか……いまいち踏ん切りがつかんってのはあるな」

「なぜですか? 私のどこが不満なのですか?」

「そういうとこだよ」

「?」

「お前のプロポーズをずっと聞いていたが……お前の気持ちが見えてこない」

「私の気持ち……とは?」

「お前、本気で俺と結婚したいと思ってる?」


 そのジトッとした眼差しの仏頂面のプレッシャーにやられ、俺はついに口に出してしまった……出来るだけなんとかこの場は誤魔化そうとしていたのだが……まぁ仕方ない。ここは素直に言った方がいいだろう。なんせ、今後の人生に関わることだから。


「……本気とは?」


 うわー……俺を見る設楽の眼差しがさらに険しくなったよぅ……俺は設楽と視線を合わせないように店員呼び出しボタンを押した。店員の『はいただいま伺いまーす!』の声が店中にこだましたことを確認し、俺たちは店員を待つ傍ら、話を進める。


「気を悪くするなよ?」

「はい」

「お前のプロポーズを聞いてるとな。どうも『本当は好きでもないけど、相性いいしこの人ぐらいしか相手いないし、先輩でいいかー』的な打算が見え隠れするんだよ」

「……」

「正直に言うとな。俺だってお前にプロポーズされて、悪い気はしない。お前は、そのー……多少エキセントリックだが、気兼ねなく付き合えるし、お前の生活のリズムのとり方や過ごし方も、俺は知ってる」


 ……お、仏頂面の鼻がぷくって膨らんだぞ。


「でもな。お前の口から出てくる言葉は、『ベストマッチ』とか『責任』とか、そんなのしかない。お前の気持ちってのがさ。よく分からんのよ。『こいつ打算で俺を選んでるのか? それとも、本当に俺を選んでくれたのか?』って、疑問しか浮かばん」

「……」


 俺は今まで触れてこなかった核心に、あえて触れた。このタイミングを逃したら、今日はもう、この話をするチャンスは二度とこないであろう。そしてこいつとの間に気まずい空気が流れ、明日からは話をしづらくなる。それは俺だって寂しい。


 設楽の様子を伺うと……


「……ずーん」


 仏頂面は仏頂面だが、目に見えて落ち込んでやがる。初めて弁当を食わせたときみたいに、目からハイライトが消え、そして顔色が青黒くなってきやがった。


「お待たせいたしまし……て、どうしました!?」


 その酷さは、タイミングよく顔を見せた店員も気付いて、慌てて設楽を心配するぐらいだ。


「ご、ご気分が優れないのですか?」

「だ、大丈夫です……た、ただ、この人に……」

「!? な、何かされたんですか!?」

「調教され、も、弄ばれて……」

「誤解を招く言い方はやめろと言ったはずだッ!!」


 その絶妙に物騒な言葉選びは何なんだよ……店員の誤解を解き、さつまいもアイスを2つ注文する。店員が首を傾げながら部屋から出ていった後は、話の続きだ。


「お前、さつまいもアイスでよかったよな」

「は、はい……」


 いい加減機嫌を直せよ……泣きたいのはこっちだよ……


「だ、だって先輩が……私の気持ちに、気付いてなかったなんて……」

「?」

「私は、もう、私の気持ちを伝えたつもりだったのに……そして先輩も、私を受け入れてくれたと思っていたのに……」


 何やら話がおかしくなってきた。俺にすでに気持ちを伝えた? しかも俺はそれに回答済み? どういうことだ? 全然そんな記憶ないぞ?


「おい設楽」

「な、なんですか……をを……」

「わざとらしく嗚咽するなよ」

「すみません」

「ほら平気じゃねーか……つーかそれはいつの話だ」

「えー……全然記憶にないとは……」


 そらぁないから、今こうやって設楽を問い詰めているわけだが……でもこいつがここまでショックを受けということは、かなりハッキリした意思表示をこいつはしたってことだよなぁ。にも関わらず忘れてる……俺は健忘症の気でもあるのだろうか……?


 記憶を懸命にたどる。だが、いくら必死に思い出そうとしても、設楽とそんなロマンチックで胸がドキドキするイベントなど、発生した覚えがない。記憶にないとは、まさにこのことか。


 俺が忘却の彼方へ必死にアクセスし、その中の情報を必死に漁っていると……仏頂面の設楽が、ハイライトの消えた目で伏し目がちのまま、ポソリと呟いた。


「……バレンタイン」


 俺の記憶が、鮮明に蘇る。先日のバレンタインの日、確かに俺は、設楽からチョコをもらった。


 だが。


「あれ義理じゃなかったのか!?」


 思い出した俺の第一声はまさにこれ。確かに設楽からチョコはもらったが、あんなの、義理の代名詞みたいなもんだぞ?


「義理なわけないじゃないですか」


 設楽の仏頂面が、静かに俺に抗議をしてくる。


「しかしな設楽? あのチョコをもらって、『わーい本命だー!』て思うやつの方が、世の中には少ないと思うぞ?」

「だから女子力なくてすみませんって言ったじゃないですか。それなのに……ひどい……」


 いや確かにこいつ、女子力なくてうんたらすんたらって言ってたけど! 言ってたけど、だからって、なんで本命の男に渡すチョコに、あんなチョコをチョイスするんだよ!? なんでわざわざ女子力から一番縁遠いタイプのチョコをチョイスするんだよ!?


「いや、だったら他にチョイスあるだろ? 高級店のチョコスイーツとか、一流ショコラティエ監修の、もっとかわいくて素敵なやつがさ!」

「あのチョコのパックは最高級のチョコですよ? それが一キロも入ってるんですよ? 私は見てくれではなく、先輩に美味しいチョコを一杯食べてもらいたいなって思って、あれをチョイスしたんですよ?」

「いや確かにその気持はうれしいけれど! 美味しいものをいっぱい食べてもらいたいという気持ちはうれしいけれど!」


 だからといってあんなものをチョイスするか!? 俺がおかしいのか!? 世の女性の大半は、本気で相手に気持ちを伝えたい時、あんな、どれもこれもバッキバキに割れた、ブロークンハートの代名詞みたいなチョコを渡すのか!?


「そしたら先輩が、素敵なお返しをくれたものだから、私は気持ちを受け止めてくれたと思っていたのに……」


 待て待て待て待て。確かに俺はお返しを設楽に渡したが、それがここまで強烈なインパクトを与えていたというのは初耳だぞ!? 確かにこいつはうろたえていたが、ただびっくりしてただけじゃないのか!? 


「いや待て設楽。あれは別に深い意味があったわけではなく……」

「先輩は、好きでも何でもない女性に、深い意味もなく、あんなに女子力に溢れた可愛らしいプレゼントを送るのですか?」

「いや待てって。どれだけ鈍感なヤツでも、バレンタインにチョコを貰えば誰だってお返しはするだろう?」

「それはホワイトデーの話です。先輩は翌日にお返しくれたじゃないですか。本番はまだ先ですよ?」

「まぁ、たしかに……」

「しかも、『ハッピーバースデイ』なんてメッセージまでつけて……」

「うん、まぁ、お前の誕生日だから……」


 なんということだ……俺が軽い気持ちで作って渡したアレが、たとえ自覚がなかったとはいえ、設楽に対してのアンサーケーキになっていたとは……!?


 ……しまった。こいつ、ひょっとして……あのケーキで、今日のことを決意したとかじゃなかろうな……?


「おい設楽」

「なんですか」

「ひょっとしてお前さ……あのケーキで……」

「もちろん、先輩が私の気持ちを受け入れてくれたと思いました。だからプロポーズする勇気が湧いたのに」

「しだ……ら……ッ!?」

「あんな手の込んだものをお返しに、しかも誕生日に合わせて、ホワイトデーよりも前にくれたら、そら誰だって勘違いしますよ」

「ま、待て! あれは言うほど難しくないんだぞ? ホットケーキミックスを使って……」

「そら先輩みたいに、女子力溢れてお料理が得意な人にとっては、そうかもしれませんけど……私は料理ができません」

「……!?」

「そんな私から見れば、あのケーキは、とても手の込んだすごく素敵なケーキにしか見えませんでした」


 なんということだ……完全に読み違えていた……ッ!?


「しかもわざわざ板チョコにメッセージまで描いてくれるだなんて……」

「ううう……」

「きっと先輩は、私の気持ちを受け入れてくたんだとばかり……」

「……」

「それなのに……」


 そういい、設楽がハイライトが若干戻った瞳で、じーっと俺を睨みつけてくる。怖い……設楽の仏頂面との付き合いももうだいぶ長くなった。だから最近はもう、仏頂面にじっと見つめられてもどうとも思わなくなってきたというのに……まだまだ修行が足りないのか、それとも、この視線が本当に痛いのか……。


『大変おまたせいたしました! さつまいもアイスお2つでーす!』


 タイミングがいいのか悪いのか……店員が注文のさつまいもアイスを2つ持ってきた。


「はいどうぞー」

「……」

「……はい、どうぞッ」

「す、すみません……」


 気のせいではないはずだ……俺を見る店員の目に、非難が篭っていたことは……。

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