どうやって生きてきたんだお前は

 休日。朝早くに目覚めた俺は、天気のいい外の空気を吸いたくなり、パジャマ姿のままベランダへと出た。


「おお……今日はまたいい天気だなー」


 外は突き抜ける快晴。空を見上げればお日様が気持ちのいい光を俺に絶え間なく浴びせ続け、目を閉じれば、冷たく澄んだ心地よい風がそよそよと俺の身体を撫でていく。


 ……素晴らしい。なんと心地よい天気か。俺は休日にこのような素晴らしい天気をあてがってくれた神様に感謝をしつつ、今日一日のスケジュールを頭の中で組み立てながら、歯磨きをし、朝食の準備に勤しんだ。


 今日はとても気分がいい。なので今朝は久しぶりにラピュタパンでも食べようか。目玉焼きをサニーサイドアップに焼いて、トーストには盛大にバターを塗りたくる。熱いコーヒーもいいが、こんな気持ちいい天気の日はアイスコーヒーがいい……冷蔵庫の中の、昨日のうちに作っておいたアイスコーヒーをカップへと注ぎ、俺は天気予報とニュースを眺めながらラピュタパンを頬張った。


『今日一日、東海地方は気持ちのいい快晴が続くでしょう』


 お天気お姉さんが、最高の笑顔で今日の天気を教えてくれる。こんな素晴らしい天気が一日中続くのか……洗濯をして部屋の片付けをしたあとは、久々に近所の海へとサイクリングに出かけようか……胸が躍る。弁当は何にしようか……


 こうして一日の予定を組み終わった俺は、まずは洗濯でもしようかと、コーヒーを飲み終わったカップをキッチンへと置き、そして居間に戻ってきたその時だ。


――ててててててててててててん♪ ててててててててててててん♪


 俺のスマホが光り輝き、ぶーぶーと震えながら歌を歌い始めた。これは着信だ。誰だせっかくのこの素晴らしい休日に水を差すのは……心の奥底にほんの少しの憤りを抱えながら画面を見ると……


「う……」


 休日の朝からこの名前は見たくなかった……画面に光り輝いていたのは、『設楽薫』の三文字だった……。


 一瞬、出るか出るまいか迷ったのだが……見てしまったのなら仕方ない。ここで出ないで、『あの着信は何だったんだ……』とあとで悶々とするよりはいいだろう。俺は画面をタップして、設楽からの着信に出た。


『……もしもし』


 本人は目の前にはいないはずなのに、俺の網膜に鮮明に映し出される、設楽の仏頂面。これ、テレビ電話になってないよなと、一瞬スマホの画面を確認した。


「おう。設楽か」

『はい私です』

「折角の休日に一体何のようだ。俺はこれから洗濯と掃除をして、お昼のサイクリングのための弁当を作らねばならんのだ。手短に頼むぞ」


 手早く今日の予定を説明し、要件を手短に済ませるよう、暗に伝える。俺は休みの日にまで、会社の人間と付き合いたくはないのだ。


『あの、先輩……ちょっと、お伺いしたいことがありまして』

「なんだ」

『私、さきほど洗濯をしたのですが……』

「いい天気だからな」

『それで質問なのですが、洗剤と柔軟剤というのは、まったく違うものなのですか?』


 ……? 質問の意図が分からん。どういうことだ?


「おい設楽。意味がわからない。かいつまんで話せ」

『かいつまむも何も、そのままの意味なのですが……』


 その後、字面だけ見れば困惑していると思われる設楽曰く、どうやらこういうことらしい……


 先日の会社の帰り道、洗濯用の洗剤が切れていたことを思い出した設楽は、近所のドラッグストアへと足を運び、いつも使っている洗剤を買おうとしたそうだ。


 ところが、いきつけのドラッグストアに入った所、いつも使っている洗剤は在庫ゼロの状態だったそうだ。それで、他の洗剤を買おうとしたものの、何を買えばいいか分からず……途方にくれていた所、ある謳い文句が目に入ったそうな。


――3つの効果が衣類を守る! アメリカも認めた柔軟剤!!


 その謳い文句に心を奪われた設楽は、その洗剤(実際には柔軟剤)を購入。今朝、さっそくそれで洗濯をしてみたものの……洗濯したあとの衣類を見てみたら、柔軟剤のふわったとした香りは漂うが、どうも汚れが落ちてない気がしたそうだ。


 それで設楽は『ひょっとして、洗剤と柔軟剤は、実はまったくの別物なのでは……?』という疑問を抱き、俺に確認の電話をしてきたそうだ。


「……」

『というわけで、真相はどっちなんでしょうか』

「……」

『教えてください先輩。柔軟剤で洗濯は出来ないのでしょうか?』

「……」

『もしもし? 通じてますか?』


 さっきまでの、良い天気ゆえの上機嫌は、設楽のこのあまりにもマヌケな質問を前に、ナリを潜めた。


「お前、今まで柔軟剤を使ったことないのか?」

『ありませんが』

「今までよく間違えなかったな」

『毎回、決まった洗剤を買っていましたから。今回だけはいつものヤツが切れていたので、噂の柔軟剤とやらを買ったのです』

「なんだその洗剤へのこだわりは」

『こだわりはありませんでしたが、同じものを買っておけば間違いはないのだと、母に教わりました』

「……」


 ……まぁ、確かにいつもと同じものを買っておけば、少なくとも間違いはないよなぁ……でもさ……柔軟剤と洗剤が全然違うものだって、この歳になるまで気が付かなかったのかな設楽さん……。残念な気持ちが、俺の心を少しずつ、しかし確実に侵食していく……。


「……おい設楽。結論だけ言うぞ」

『お願いします』

「柔軟剤と洗剤は違うものだ。柔軟剤で洗濯は出来ない。以上だ」


 結論だけすっぱりと言い放った後、俺は電話を切って自分の洗濯をしようと思ったのだが……


『では洗剤は何を買えばいいのですか?』


 と設楽はさらにしがみついてきやがった。


「お前がいつも買っているものを買えばいいだろう」

『それの在庫がないから買えなかったという話をお忘れですか?』

「今日にはもう入荷してるだろうよ」

『店主のおばあちゃんの話によると、しばらく入荷しないそうです』


 なんでその店員におすすめの洗剤を聞かなかった!? と思わず叫びそうになったが、すんでのところでなんとかこらえた。心を落ち着け、静かに口を開いた俺を、誰かもっと称賛してもいいはずだ。


「……他の店に行けばいいだろう。洗剤なんてそうそう売り切れるものではないし」

『いやです。あのドラッグストアのおばあちゃん、行ったらいつも飴玉くれるんです』

「お前は小学校低学年女子か。いやよしんばお前が幼女だとしても、飴玉に釣られるってどうなんだ」

『私は小学生ではなく社会人ですが。それに黄金糖ですよ? 先輩にはその魅力を振り払うことが出来ますか?』

「どうでもいいとこに噛みつかなくていいんだよ。……だったらそのおばあちゃんに聞け。飴玉くれるくらい仲がいいなら、洗剤の在り処ぐらい教えてくれるし、なんならおばあちゃんが使ってる洗剤を教えてもらえばいい」

『……あ、そっか』


 仕事中のテキパキとしたお前は、一体どこへ行ったんだ設楽……仕事中のお前なら、それぐらいすぐ思いつくだろうに……


『あ、でもダメです』

「なんでだ」

『確かおばあちゃん、洗濯用石鹸(塊)でいつも洗濯してるって行ってました』

「なん……だと……?」

『うちには洗濯板ありませんし、せっけんを買っても洗濯はできません』


 そのおばあちゃんとやらはかなりの強者のようだ……確かにせっけんを使って洗濯も出来るが、少なくとも柔軟剤と洗剤の区別が全くついてない設楽には、それは不可能であろう。


『というわけで先輩』

「なんだ」

『先輩おすすめの洗剤を教えてください』


 ……いや、別に教えるのはやぶさかではないのだが……なんか、悪い予感がする。教えたら、何かめんどくさいことが起こる気がしてならない。


 たとえば、こんなことが起こりそうな……


『先輩、おすすめの洗剤ですが、水に対する分量はどれぐらいですか?』

『何分ほど洗濯すればOKなのですか?』

『すすぎは一回でいいのでしょうか』

『何か干す時に、この洗剤特有の裏技みたいなのはあるのでしょうか』

『いい加減にアップリケをつけていただきたいのですが』


 ……そんな、どうでもいい質問の嵐が、約15秒毎に俺の電話に飛んできそうだ……念のため、改めて確認してみることにしよう。


「設楽、お前、洗濯は好きか?」

『……』

「どうなんだ? イエスかノーかで答えろ」

『……のー、です』

「いつも適当に洗剤を入れるから、本来必要な洗剤の分量も分からず、『本当にこれでいいのか』と終始首をかしげながら洗濯をしているか?」

『いえす』

「洗濯機を動かし始めたら、洗濯がいつ終わってもすぐに干せるように、ずっと洗濯機の前で待機してたりするか?」

『なぜ知ってるんですか? 洗濯機の回転って見ていて結構楽しいんですよね』


 オーマイガー……俺の経験則から言って、こいつは家事ができないタイプの人間だ……目に浮かぶ……きっと設楽の家は散らかり放題だ……冷蔵庫の中もきっと缶ビールと申し訳程度の漬物、そして近所の米屋で米を買った時におまけでもらって、きっとそれ以来放置してるからカピカピに乾いている数年前の田舎味噌……


 あいつは……設楽は、今までどうやって生きてきたんだ……? 俺の頭の中に浮かんだ疑問が、俺の意識を侵食していく……


「おい設楽。お前、今日の予定は」

『洗濯をもう一度キチンとやったら、部屋に掃除機かけるつもりです』

「午前中はそんなもんだな……午後は?」

『それで一日潰れますが』

「なん……だと……?」


 このアホは、掃除と洗濯……しかも掃除は掃除機かけるだけ……たったそれだけで、一日を費やすというのか……!?


 確か以前に、設楽は『料理はしない』と言っていた……料理はせず、洗濯もよく分からず……掃除にもやたらと時間がかかり……生活力ゼロだ。休日の日のあいつは一体どうやって生きているんだ? 


 ひょっとして……


『うう……あと一日……あと一日がんばれば……先輩のお弁当……食べられる……』


 そんな感じで、金はあるのに生活力がなく、なぜかコンビニに弁当を買いに行くという発想もなく、決して不自由のない暮らしぶりなのに餓死一歩手前という、よく分からない状況にいつも追い込まれているのではあるまいな。……なんということだ。休みの日のあいつが、休みを満喫している姿が想像出来ない。


 俺の頭の中の疑問は、次第に焦りへと変貌していった。あいつ、大丈夫か? 一人でほっといて、大丈夫なのか? 俺の心の中に、ふつふつと使命感のようなものが沸き起こってきた。


「おい。今からそっちに行くから、住所教えろ」

『え……』


 気がついた時、俺はこう口走っていた。失言だった……だが、失言というものは、気付いたときにはもう遅い。


『先輩、こっちに来てくれるんですか?』

「う……」


 設楽の仏頂面ボイスを聞いて、『しまった』と思ったのだが……恥ずかしさを勢いと怒声でごまかすことにした。


「うるさい! 俺が洗剤もってそっちに行ってやるっちゅーとるんじゃ! 早く住所を教えろ!!」


 俺の怒声が部屋中に鳴り響いた。その途端、設楽との通話が切れる。『流石にまずかったか……』と若干焦ったのだが……すぐに設楽から住所のデータが送られてきた。スマホで自宅の住所のデータを共有したみたいだ。


 ホッとしたのもつかの間、すぐに設楽からのメッセージも届いた。


――お待ちしてます<すぽんっ


 設楽のこのメッセージを見て、俺は女の子の家に突然押しかけるという迷惑この上ない宣言をしてしまったのだと、ちょっとだけ血の気が引いた。


 だが言い出してしまった以上、ここで退く訳にはいかない。俺は自分が使っている洗剤の予備をコンビニ袋に入れ、動かすつもりだった洗濯機の電源を切り、そして着替えて家を後にした。



 設楽の家は、うちから自転車で20分ほど疾走した住宅地の中にそびえ立つ、五階建てマンションだった。反射的にスーパーとの距離を計算して『割と近いな』と思ってしまうのは、生活力に満ち溢れる俺のクセだと思いたい。


「ここの501号室……か」


 エントランスを通り抜け、エレベーターに乗って5階まで上がると、俺は設楽の部屋を探す。501という部屋番号から察するに、きっと角部屋だよな……角っこまで足を運び、角部屋のドアの表札を確認……ビンゴだ。墨汁がカスレ気味のえらく気合が入った文字で、大きな板に『設楽』と書かれている表札がある。


「……ここだよな?」


 途端に不安になる。どう見ても女の家の表札ではない……控えめに言って、どこかの実戦武道の道場のようにしか感じない。この、必要以上に気迫が篭った表札のせいで。


 勇気を振り絞り、ベルを鳴らす。


「ぴんぽーん」

『先輩ですか?』

「おう。来たぞ」

『空いているので、どうぞ』

「では失礼する」


 声の主は、やはり設楽で間違いない。意を決し、ドアノブを握って、俺は設楽の部屋へと足を踏み入れた。


「う……」


 設楽の部屋は、玄関から居間まで、まっすぐにストレートの廊下が伸びている。その廊下から、寝室やキッチン、トイレや風呂場に行き来するようだ。


 意外と片付いてはいたのだが……俺の目はごまかせん。廊下の隅には、少々ホコリが溜まっている。俺が思った通り、普段からあまり掃除はしてないようだ。


「来たぞ設楽ー」

「勝手に上がって下さい」


 廊下のずっと奥の方……恐らくは居間……から、設楽の声が聞こえてきた。静かなのによく通る声で、お前は一体どういう腹式呼吸をしてるんだと、無駄な疑問が思い浮かぶ。


「スリッパ借りるぞー」

「どうぞ」


 一応、来客用のスリッパはある。それを拝借し、俺は居間へと向かった。しかし家主の設楽が出迎えないとはどういうことだ。普通、家に客人が来たらまず家人は玄関に立って出迎えるものだろう……と若干不満を抱えて居間に入ったら。


「……」

「ようこそ」

「……」

「何か」

「……いや」


 いつもスーツを着ていたからなんだか見慣れない、私服姿の設楽がいた。ベージュの短パンと純白のTシャツという、家でのくつろぎスタイルを前面に押し出した、なんとも奇抜なファッションだ。年季の入った座椅子に、あぐらをかいて座ってやがる。


 しかも着ているTシャツが、俺の頭を更に混乱させる。


「そのTシャツ……」

「ああ、これですか」


 設楽が自分の胸元に視線を下げた。設楽のTシャツには、表札と同じく墨が切れ掛かった筆で力まかせに書きなぐったようなフォントで、『ふつう』と書いてあった。


「……なんだそのTシャツは」

「『ふつう』とあったので、これが普通のTシャツなのだろうと思い、購入しました」

「……」

「流石にこれほどのファッショナブルなものを突然町中に着ていく勇気がなく、こうして自分の中でこなれるまで、室内着として活用しています」


 そう言って、鼻の穴をぷくっと広げる設楽に対し、俺はなんだかいたたまれない気持ちになった。


 ……気を持ち直し、周囲を見回す。


 設楽の部屋は思った以上に殺伐としていて、必要以上な家具があまり置かれていない。ベッドはないが、廊下を歩く時に他の部屋へのドアを見つけたから、そっちに寝床があるのだろう。あとは部屋の中心にこたつ併用のテーブルと角っこにテレビ……そして設楽が今座っている、年季の入った座椅子だ。


 その座椅子は、背が少々倒されているようだ。もたれかかりこそしていないが、俺が到着するその寸前まで、設楽は脱力してくつろいでいたということになる。


「……客が来たというのに、もてなさないのか」

「客という間柄でもないと思いまして」


 正直言うと、少しイラッとした。俺は設楽にとって、客ではない……だとしたら一体俺は設楽にとってどういう存在なのだ……。


「……ほら。うちのストックの洗剤だ、持ってきてやったぞ」

「ぁあ、ありが……て、私がいつも買っている洗剤じゃないですか」

「マジか」

「本当です」


 設楽は俺が渡した洗剤をまじまじと見つめ、そしてテーブルの上に置いた。テーブルの上は、色々と物が置かれている。テレビのリモコンやジュースの空き缶……そして空のコンビニの袋が一杯だ……。洗剤の箱に押され、コンビニの袋が一枚、パサリと床に落ちた。


 部屋の隅っこにある、大きなゴミ箱に視線を移すと、そこはコンビニ弁当の空き箱でいっぱいだ。料理をしないというのは、どうやら本当らしい……


 しかし『コンビニで飯を買う』という生活の知恵があったことは一安心だ。今でこそ俺がこいつの弁当を作っているが、以前はこいつはコンビニで買った惣菜パンを会社で食っていたわけだから、そんなの当たり前ではあるのだが。


「……で、お前は今何をやっていたんだ」


 確か最初に聞いた予定では、今日は洗濯と掃除もやる予定だったはずだが……しかしその様子から見て、くつろぎモードでアルファ波出力全開のような設楽が忙しく動き回った形跡は、ハッキリ言って見当たらない。


 俺の問い詰めに対し、設楽は顔色一つ変えずに背筋を伸ばして……しかし座椅子からは全く動かずあぐらをかいたまま……まっすぐジッと俺を見つめ、こう答えた。


「だって、先輩が来るじゃないですか」

「……」

「だから先輩が来たら、せっかくだから色々とやり方を教えてもらおうかと思いまして」

「やり方って……何のやり方だ……?」

「お掃除、おせんたく……それからお料理も……」


 俺に教わる……? 家事をか?


「教わらなければならんほど、お前はそれらができんのか……」

「ええ」


 仏頂面でそう答える設楽の鼻が、ぷくっと広がった気がした。


 一方で、俺はなんだか段々気持ちがやさぐれてきた。職場では何事もそつなくこなし、『我が社始まって以来の天才』ともてはやされる設楽が、一転……自宅に帰れば、炊事洗濯その他もろもろの家事ができず、変なTシャツを着て、座椅子にもたれかかり……


「……どうかしましたか」


 こいつの様子を観察する。こいつは美人と言っても差し支えないほど、顔の作りが良い。猫顔のぱっちりした目はとてもキレイだし、ストレートの長い黒髪もツヤッツヤでとてもキレイだ。今は化粧してるかどうかは分からないが、それでも普段のこいつと比べて違和感がまったくないほど、キレイな顔立ちをしている。


「いや、今日はすっぴんですが」

「……」

「?」


 俺の心の声を読んだことは、この際どうでもいい。だが、会社で有能な出世頭にしてとんでもない美人の設楽が、私生活ではここまで情けない女であることに、俺は極めて残念な気持ちを抱いた。


「……ちなみにあれか。お前の部下は、お前のこの惨状を知っているのか」

「知りません。先輩だけです。この部屋に上げたのも、先輩が初めてです」

「……」

「……なにか?」

「……いや、じゃあ洗濯からやるか」

「では私が洗濯機をかけるので、先輩は横から指導をして下さい」

「おう。早く立て。俺を案内しろ」

「いや……廊下の奥のお風呂場に洗濯機があるので、先に行って下さい」

「いいから早く立てよ。洗濯したら掃除するんだろ?」

「はい……ですから先に……」


 なんだ? なぜこいつは立ち上がろうとしない?


「早く立てって。時間なくなるぞ」

「先輩こそ早く行って下さい」

「だからお前が案内してくれないと」

「だから廊下の奥の風呂場にあると」


 ええいっ……埒が明かない。


「いい加減に……ッ!」

「あ……!?」


 俺は設楽の細っこい左手の手首を掴み、そのまま強引に引っ張り上げ、設楽を無理やりに立たせた。設楽の手が思ったより華奢で細っこいとか、意外と温かいとか、感じたことは色々とあるが、それよりも……。


「あ……」

「……先輩がチャイム鳴らした瞬間、部屋の隅っこで、見つけまして……」

「……」


 設楽が中々立ち上がらない理由が、今わかった。


 こいつは座椅子に座る自分のケツの下に、洗濯機に入れ忘れたと思われる、薄水色の下着を隠していた。


「……つまり、普段はその辺にぽいぽい洗濯物を脱ぎ捨ててるわけだな」

「ち、ちなみにこれは、俗にいう“ブラ”というやつで……」

「そんなこといちいち言われんでも分かる」


 流石にちょっと恥ずかしかったのか……設楽の仏頂面は、ほんの少しだけ目が泳いでいた。



※続きます

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