少しだけ、早いお返し
設楽との付き合いも、もうけっこう長くなった。にも関わらず、俺は初めて、設楽からチョコレートをもらった。
「ほら設楽。今日の弁当だ」
「先輩。ハッピー……ばれんたいーん」
「お、おう」
それはちょうど昼飯時のことだった。いつものごとく設楽に俺作の弁当を渡したら……いつもの仏頂面でこんなことを言われ、サンタが背負っていそうな、クリーム色の袋を渡された。俺の顔ほどの大きさのあるそれは布製の袋で、受け取ってみたら、意外とずっしりと重い。
「……なんだこれは」
「先輩には、日頃からお世話になっていますから。そのお返しということで」
そういえば今日はバレンタインデー。事務所の中に義理チョコスペースが設置されていて、女子社員たちからのささやかなチョコの差し入れが置かれている。
でも、今回はそれだけでなく、設楽が俺に個人的にチョコをくれるとは。
しかもこの袋を見るに、けっこうたくさんのチョコのようだ。
「ありがとなー設楽」
「どういたしまして」
設楽にお礼を言う。設楽は俺のお礼に満足したのか何なのかよく分からない仏頂面でこちらをジッと見る。……早く開けてほしいのかな?
「とりあえず、開けていいか?」
「どうぞ」
設楽の許可をもらい、袋を開けて中身を出してみた所……
「……なんだこれは」
「チョコですが」
袋の中に入っていた、設楽からのチョコレートは……色気の欠片もなく女の子的可愛さもない、お徳用割れチョコ、一キログラムという代物だった。
「割れチョコか」
「女子力がなくてすみません。ですがおいしいチョコなので。一キロのものを探すのは苦労しましたが」
そう言いながら満足げに鼻の穴をぷくっと広げる設楽の前で、俺はなんだか残念な気持ちを抱えた。
いや、ありがたいよ? チョコをこんなにくれたんだ。しかも包装を見るに、このチョコは高級チョコで、さぞや美味しいんだろうさ。ビターチョコみたいに、大人向けの苦いチョコというわけでもないようだしさ。俺は甘党だから、こういうチョコはうれしいよ?
でもね? 包装にデカデカと『お徳!!』と書いてある物を選ぶ、その微妙なチョイスは何なんだ? いやうれしいよ? うれしいけれど……
「……ま、まぁ、ありがたくいただいておく」
「どうぞご堪能下さい」
俺の困惑は設楽には伝わってないみたいで一安心だが……それにしても、女の子っぽさの欠片もないこのチョイス……設楽らしいといえば設楽らしいのだが……
沈んでいく気持ちをなんとか上向きに修正し、俺は弁当を食べ進める。
設楽が自分の分があるにもかかわらず、俺の最後の卵焼きを横から強奪してしまい、それを受けて俺の弁当からすべての料理が無くなってしまった時……
「もぐもぐ……ふぇんふぁい」
「なんだ」
「ごぎゅっ……私のチョコ」
「それがどうした」
「……食べないんですか?」
先程俺にくれた、割れチョコお徳用一キログラムが入った、白い布の袋に視線を向けていた。確かにいつも通りの仏頂面だが、その目はいつも以上に鋭く、真剣だ。
……ははーん。さてはこいつ。
「食べたいのか」
「いえ、そんなわけではありませんが」
うそつけ。鼻の穴がぷくってふくらんで、座高だって一瞬ぴこんって上に伸びたくせに。
「……食べるか」
「はい」
まぁいい。これをくれたのは他ならぬ設楽だし、こいつにも、コレを食べる権利はある。俺は割れチョコ一キロの包装を破って袋を開き、
「ほら設楽」
「よろしいんですか」
「食べたかったくせに」
設楽と2人で、袋の中に手を突っ込む。適当に手に当たったチョコの塊を手にとって、袋から出した。
袋から出したチョコの塊は思ったより大きく、板チョコの四分の一ぐらいの大きさがあった。設楽が手に取っていたのも、それぐらいの大きさだ。
「ではいただきます」
「めしあがれ」
二人して同時に、チョコを口に運ぶ。
「……」
「……」
……うん。うまい。チョコの味と香りが濃厚だし、何より苦すぎないのがいい。きちんと甘みも強くて、俺が好きなタイプのチョコだ。
「……うまいな」
「……おいしいです」
設楽も同じ結論だったようで、その、人を殺す勢いの鋭い眼差しが、キラキラと輝きを帯びているように見えた。仏頂面で、バキバキとチョコを割り食べていく設楽の姿には、不思議な迫力があった。
その後はいつものように午後の業務の中で暇つぶしがてらパワポを一つ作成。そして帰宅した。
「……」
そして今、俺は自宅の台所で、設楽から貰ったチョコの楽しみ方を思案しているところだ。
「うーん……」
これだけたくさんのチョコ。そのまま板チョコとして楽しみ続けるのはもったいない。お菓子か何かに活用できればいいのだが……味見と称し、小さな欠片を口に放り込むと、たちまち口の中に上質なチョコの香りと甘みが、口いっぱいに広がる。
さて……何を作ろうか。これだけのチョコであれば、どんなものでも作れるだろう。チョコケーキや生チョコ、チョコパイにしてもいいだろう。チョコプリンなんかもよさそうだ。当面の間は食後のデザートに困ることがなさそうで、胸が躍る。
もらった時は正直面食らったのだが……設楽のこのチョイスは、俺にとってはかなり有意義なチョイスだ。板チョコとしてはもちろん、あらゆるお菓子へとクラスチェンジ出来る、無限の可能性を秘めていると言ってもいい。本人は『美味しいチョコをいっぱい食べてもらいたいから』と言っていたが、それ以上のメリットがあるぞこのチョイスは。
……そういえば、設楽で思い出した。明日……つまり2月15日は、あの仏頂面女、設楽薫がこの世に生まれ落ちた日だ。
『先輩。誕生日のプレゼント、楽しみにしております』
『お前は俺の誕生日にプレゼントをくれたのか』
『後輩にたかる気ですか。人でなしですね先輩は』
『うるさいわ』
去年のそんな会話が思い出される。確か去年は飲み屋で黒霧島のボトルをプレゼントしたのだが……あいつ、いつもと変わらない仏頂面だったな……もっともその頃は、あいつは嬉しい時に鼻がぷくって膨れるってことに俺は気付いてなかったから、本当は喜んでいたのかもしれないが……でも仏頂面だったもんな。
そういや今年は何も言ってこなかったな……俺への催促はやめたのか? 何事も期待のしすぎってのはよくないことだしな。
そんな風に設楽の誕生日に思いを馳せていたら、フと思いついたことがあった。
「……そうだ」
台所と冷蔵庫を見回し、使えるものがあるか確認する。今使えそうなのは……ホットケーキミックス……無塩バター……バナナも問題ない。
次に、設楽の割れチョコの山を見る。見事にすべてが割れていて、俺が考えていることに使えそうなものはない。
腕時計を見た。今の時刻は午後9時。少し離れたスーパーなら、まだギリギリ開いている。今ならまだ間に合うな。俺は必要な材料を買い揃えるために、普段は行かない高級スーパーへと、自転車を走らせた。
「おはよう設楽」
「おはようございます。珍しいですね。私の席に先輩が足を伸ばすなど」
そして翌日の朝。俺は出勤し次第、自分の机にバッグを置き、仏頂面ではあるが、目がどこか眠たげでトロンとしている設楽のもとへと、足を運んだ。理由は一つ。昨晩作ったものを、設楽へと渡すためだ。
眠そうな目ではあるがいつもの仏頂面のまま、こちらをじーっと見つめてくる設楽に対し、俺は手に持っていた15センチ四方ほどの平べったい四角の箱を手渡した。真っ白でツヤのある、とてもキレイな化粧箱だ。
「ほい」
「……これは?」
「昨日のバレンタインチョコの礼だ」
「ホワイトデーはまだ先ですが……」
設楽は椅子に座りこちらをじーっと見つめたまま、俺が渡した四角い化粧箱を受け取った。しらばっくれやがって……鼻の穴をちょっと膨らましてるくせに……だがお前がそうやってしらばっくれるというのなら、俺もあえてしらばっくれてやる。
「心配せんでも、その時はその時でちゃんとお返しするわ」
「はぁ」
「これはそれとは別に、お前にやるプレゼントだ。たくさんチョコをもらったからな。そのおすそ分けだ」
「ということは、チョコですか。あのままちびちびくれればいいのに。わざわざ化粧箱に入れてくるなぞ」
……初めて見たぞ。こっちをジッと見上げる設楽の鼻がさっきからピクピクしてやがる……。鼻の穴の痙攣なんて生まれて始めて見たな……。こいつ、今よっぽどうれしいのか。
「ああそうだ。昨日のチョコだ。昼にでも食べろ」
「……ありがとうございます。でももしかしたら、仕事中に食べてしまうかもしれません」
「構わん。好きなタイミングで食べるといい」
俺は言いたいことだけ言って……しかし核心には触れないまま、設楽の席を後にした。俺は設楽に背中を向けたから、今あいつがどんな顔で何を見つめているのかは分からない。でも、これだけは分かる。アイツの鼻は、今もきっと、痙攣していることだろう。ぷくっぷくっと、膨らんだりしぼんだりしているはずだ。
そうして午前中の業務が始まったのだが……設楽を見ていると、明らかに設楽の様子がおかしい。なんだかそわそわして、仕事に集中しきれてないようだ。
「係長、岸田建築のメールの件はどうなりましたか?」
「……あ、す、すみません。午前中のうちに終わらせます」
「設楽くん。ノムラ事業所との業務委託契約書は出来たか?」
「すみません課長、今日中に準備いたします」
珍しい光景もあるもんだ。あの設楽が機能不全を起こしておる。部下上司から煽られる設楽ってのも新鮮だな。だけどあいつはまだ、俺が渡した箱を開けてないよな。なのになんであんなにうろたえているんだろう?
ひとしきり周囲からの煽りが落ち着いたところで、設楽は『ふぅ』とため息をつき、周囲をキョロキョロと見回した。……あれは、周囲の目が自分に向けられてないことを確認している目だ。
さてはあいつ、俺が渡した箱をこれから開けるな? 今のうろたえてるあいつがどんな反応をするのか楽しみだ。クックックッ……胸が踊るぜ。
そうして俺が、罠にハマっていく哀れな設楽をほくそ笑みながら眺めること数分。ついにヤツは仏頂面のまま、俺が渡した化粧箱を机の上に出した。
「……」
周囲を警戒しながら、設楽は化粧箱を開いた。そしてその途端……
「ひあッ!?」
と妙な悲鳴が事務所内に響いた。
「「「「……?」」」」
無論、事務所内の全員が、その声の発生源である、設楽の方を凝視する。
設楽が周囲の異変に気づいた。キョロキョロと周囲を見回し、
「す、すみません。何でもない……です」
と、目を泳がせながら謝罪していた。周囲は周囲で、設楽になんら異変がないことを確認すると、静かに自分たちの仕事に戻っていく。
一方で、俺は笑いがこらえきれず、口を押えて必死に笑いを押し殺していた。
「っく……ぶぶっ……」
まさか、あの冷静沈着で仏頂面の設楽が、あんな素っ頓狂な声を上げて驚くとは……!! これは予想以上の反応だ! ひょっとしてあいつ、リアクション芸人の才能もあるんじゃないのか!?
「くくっ……ぶふぅ……っ」
「……!?」
ダメだこらえきれん……いかん……設楽が俺に気付いてこっちを睨みつけている……我慢だ……我慢して仕事に専念……できんッ!
「うっく……ぶ、ぶふぅうッ」
「……ッ!!!」
身体をプルプル震わせて笑いをこらえる俺のことを、設楽がじーっと仏頂面で睨みつけているが……ダメだその姿がもはや面白い。笑いがこらえられん。
しかもさらに面白いのは、設楽はいつも以上のものすごくするどい眼差しで俺のことを睨みつけているにもかかわらず、それでも設楽の鼻はぷくっと膨らみ続けていることだ。なんだかんだで、設楽はアレが嬉しくて仕方がないらしい。
見ていて愉快過ぎる。あの、常に冷静かつ意味不明な物言いで俺を振り回す設楽が、今は俺のプレゼントに翻弄されている。面白すぎる。これが面白くなくて、一体何が面白いというのか。
こうして、笑いをこらえながら午前の仕事は終了し、晴れて昼休みの時間となった。
「……先輩」
「おう。飯を食べるか」
昼休みが始まるやいなや……設楽が、件の白い化粧箱を持って、俺のもとに昼飯を食べにやってきた。その顔は仏頂面だが、目は俺を刺し殺す勢いで鋭い。
「……これは一体、何ですか」
「ぁあ、昨日のチョコのおすそ分けだ」
「いえ、そうではなく……」
「じゃあ何だ」
しらばっくれる。あくまで平常心ぽく見せねば……笑いを堪えねば……ぶふぅっ。
「こらえきれてないじゃないですか」
「す、すまん……ついな……ぶふっ」
朝の設楽の痴態を思い出すと笑いが止まらん。そんな俺を睨みつけながら、設楽が化粧箱を開けた。
「……これを、昨日のチョコで作ったのですか?」
化粧箱の中には、俺が朝セッティングしたままの、ホイップクリーム乗せバナナチョコブラウニーが入っていた。
「そうだが? 何か問題でもあるのか?」
「確かに、料理ができる先輩のことだから、ただのチョコのおすそ分けではなさそうな気がしてたのですが……」
「それで中が気になって、午前中はあんなにそわそわしてたのか? ぶふっ……」
「それよりも、これは一体何ですか?」
設楽が、箱の中のチョコブラウニーを指し示す。何について言っているのか俺は見ずとも理解出来たが、あえてわざとらしく、俺も箱の中を覗き見た。
設楽が指差したもの。それは、チョコブラウニーのホイップクリームの上にちょこんとのっかった。ホワイトチョコでメッセージが書かれたチョコプレートだ。そこには俺の筆跡で、『はっぴーばーすでい しだら』と書かれている。
「だってお前、誕生日だろ」
「そうですが……」
おーおー。今日は本当に珍しいものが見られる日だ。設楽がまたうろたえ始めたわ。今日はこいつの新鮮な姿が見られて楽しいのう。
実は昨日、俺は設楽の割れチョコを使って、チョコバナナブラウニーを作ったのだ。ブラウニー自体は、ホットケーキミックスを使えば、実に簡単に作ることが出来る。詳しい話は割愛するが、基本は全部ぶっこんでオーブンで焼けば終わりだ。こんなに簡単に出来るのに、味は格別。たまらん。
さらに今回はそれだけでは寂しく感じたので、わざわざホイップクリームを作って出来上がったチョコブラウニーに乗せ、さらにちょこんとメッセージを書いたチョコプレートを乗せた。わざわざ夜遅くに普段行かない高級スーパーに行って、プレートとホワイトチョコのペンを買ってきて、俺が直々に書いてやったのだ。設楽のこの顔を拝むためにな。
効果はバッチリだ。こいつは午前中、俺の予想を軽く上回る反応を見せてくれた。普段から俺を意味不明な言動で振り回してきやがる仕返しだ。ざまーみろ。
とはいえ、純粋にこいつの誕生日を祝おうという気持ちも、まったくないわけではない。
「誕生日おめでと。設楽」
「う……ありがとう……ございます」
去年は黒霧島のボトルだなんて、あまりに色気のないプレゼントだったからな。今年はキチンと喜ばせてやろうと思ったんだよ。恥ずかしいから、本人には言わないけどな。
「……ところで先輩」
「おう」
「ご飯食べ終わったら……これ、一緒に食べましょう」
「いいのか」
「はい。一緒に食べて下さい」
そう言って、設楽は仏頂面で俺を睨みつけたまま、チョコブラウニーのおすそ分けを約束してくれた。そんな設楽の鼻は、ぷくっと膨らみっぱなし。喜んでくれているようでなによりだ。俺はそれだけで満足だ。
「んじゃあとで食べるか」
「はい。でも今日は私もおすそ分けしますから、卵焼きはいつもより多めに下さい」
「……いや、それはなんかおかしくないか?」
「おかしくありません」
「……」
そう言って、鼻が膨らみっぱなしの設楽は、午後からはいつもの落ち着きを取り戻し、いつものようにバリバリと仕事に取り組んでいた。チョコブラウニーは2人で半分ほど食べ、残りは家で食べるそうだ。せいぜいチョコを満喫してくれよ。
それから数日間の間、設楽の様子が妙におかしかった。……いや、俺に対する態度は、いつもの通りといえばいつもの通りなのだが……
「なぁ設楽」
「はい」
「お前、最近仕事が忙しいのか?」
「いや特には」
「んじゃ何か難しい仕事でも抱えているのか」
「そういうわけでもないですが」
こうやって俺と一緒に、普通に昼飯を食べてはいるし、本人曰く、別段忙しいわけでもないらしい。本人が言うには、普段と何ら変わりのない、いつもどおりの日々なのだそうだ。
だが俺には、とてもそうは見えない。設楽は、一日中机にかじりついてパソコンを忙しそうに叩き、頭を捻っては何かの資料を眺め……ときに思い出したようにピコンと座高を伸ばして、またせわしなくキーボードを叩く。
……そして、そんなケッタイな様子の設楽を、俺が頭を捻りながら見守っていた、ある金曜日の昼飯時のこと。
「ふぇんふぁい」
「……口の中の卵焼きを飲み込んでから話せ」
「ぐぎょっ……ふぃー」
「今日のカニクリームコロッケはうまいか」
「おかげさまで。それよりも先輩」
「おう」
「今晩は空いてますか?」
「空いている」
「では、居酒屋『チンジュフショクドウ』に行きませんか」
「なんだ飲み会か?」
「そんなもんです。7時から始めるのでよかったらぜひ」
「分かった。一度家に戻っていいか?」
「構いません」
とこんな具合で、突然に飲み会に誘われてしまった。特に断る理由もなく、予定も何もなかったため、二つ返事でOKした。
その時は、『何か相談事でもあるのか? やっぱり何か問題を抱えていたのか?』と思っていたのだが……いやはや……
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