まだ見ぬ我が子の将来
あの、驚愕と戦慄に彩られた逆プロポーズから半年ほど経った頃、俺たちは設楽の部屋で同棲を始めた。いくら婚約したとしても、まだお互いのことを完全に把握しているとは言い難い。本格的に結婚する前に、まず同棲してみて互いの生活リズムをキチンと把握しようと考えた、俺からの提案だった。
かくして、俺は設楽の部屋へと転がり込んだ。仏頂面を24時間視界の片隅に入れるという、事情を知らないヤツからすれば気の毒この上ない、俺たちの同棲生活が始まった。
ちなみに俺の部屋はまだ引き払ってはいない。しっかりと籍を入れた時に引き払うつもりだ。それまでは、物置き兼もしもの時のセーフハウスとして活用させてもらう。いわゆる『実家に帰らせていただきますっ!』てときのためだ。俺が実家に帰る立場なのかと思うと若干悲しい気持ちになるが……この部屋の名義は設楽だ。仕方ない。
俺が設楽の部屋に転がり込んだ日、設楽はいつもの仏頂面で……
――おまかせ下さい。知らず知らずのうちに先輩を調教してご覧に入れます
と物騒この上ない宣言をしてきたのだが……今のところ、俺は設楽からの調教や改造手術を受けた記憶はない。いざとなれば、俺はいつでもセーフハウスに逃げ込むつもりなのだが……そうとは知らない仏頂面の設楽は、今も俺の隣で、眉間にシワを寄せつつ鼻をピクピクさせながら、俺作のハムタマゴサンドを頬張っている。
「ふぇんふぁい」
「んー?」
「きょふもおうぃふぃいれふ」
「んー。食べたらさっさと準備しろよー」
「ふぁい」
そして今日は、設楽のご両親に挨拶に行く日だ。設楽のご両親は東京に住んでいる。ここから新幹線で東京まで行き、そこから電車で吉祥寺へと向かう。吉祥寺っていえば、東京で住みたい街ランキング上位の、俺から見ればブルジョワジー溢れる街だ。そんなところに一軒家を構えてるのか……
「なぁ設楽」
「ふぁい」
「お父さん、会社の重役かなにかか」
「ふぃふぁいまふ。ふぁふぁふぁふぅうふぁふでふ」
「流石に分からん。まず口の中のサンドイッチをどうにかしろ」
「ぐぎょっ……重役は母ですね。父は結局主任までの昇進で満足してるみたいです」
「なるほど……」
血は争えん……こいつの母親も、俺のような家事のスペシャリストを夫にしたということか……?
朝食を食べ終わった後、俺達は出発の準備を整え、新幹線の駅へと向かう。ご両親への挨拶に向かうわけだから、それなりの正装で向かわないと……この日のためにクリーニングしておいたスーツを着込み、準備万端整った俺は、寝室で準備に勤しむ設楽の様子を伺うべく、寝室のドアを開いた。
「おーいしだ……ら……」
「先輩、準備整いました」
目の錯覚じゃないよな……ピシッとしたポニーテールの愛すべき俺の婚約者は、いつぞや室内で着ていた、『ふつう』の文字が書かれたクソTを着て、ロールアップしたデニムのスキニーパンツを履いていた。こいつは足が細いから、こういうパンツが似合うといえば似合うんだが……
「お前……その格好で行く気か……?」
「そろそろ自分の中でこなれてきたので。まだこの格好では寒いでしょうか」
そういい、設楽は俺に仏頂面を向けてくる。今はもう春だ。それに今日は天気が快晴。ここだけでなく東京も暑いらしい。だから半袖Tシャツだからといって、寒いということはないだろう。ダメではない。ダメではないのだが……
「……その格好で新幹線に乗り、不特定多数の人間から向けられる好奇の眼差しを受け入れるつもりか」
「バカな。この格好が普通ではないと言うのですか先輩は」
「いい機会だから教えてやる。そのクソTは、お前が思っているほど普通ではない」
「『ふつう』って書いてあるのに?」
「人の言葉をそのまますべて素直に受け入れるのはやめろ。疑惑の目を向けることが大切なこともある」
俺の抗議を受け、設楽は首を捻りながら、普通の白い長袖のスリムなTシャツに着替えていた。そういう普通のものを着れば、設楽はモデル体型なんだから、すごく見栄えがいいというのに……なぜこう、スキを見せるとクソTを着たがるのか……
「だって……『ふつう』って書いてあれば、誰だって普通だと思うじゃないですか……」
「思わん。……もう一度、あえて断言しよう。思わん」
そんなこんなで、やいのやいのと揉めながらも互いに準備は完了。俺たち2人は、東京行きの新幹線に乗るべく、部屋をあとにする。
最寄りの駅から新幹線に乗り、俺達は自由席を2つ確保して、一路東京へと向かった。設楽が窓際で、俺は通路側だ。
「ところで設楽よ」
「はい?」
俺は、今俺の隣の席で、新幹線名物の超硬質アイスクリームに必死に木のスプーンを突き立てようと仏頂面で奮闘する設楽に、ご両親の情報を伺ってみることにした。俺は相手のことを何も知らない。話のネタを準備しておくという意味でも、相手の情報は仕入れておきたい。
「お前のご両親、どんな人だ?」
「どんな……とは?」
「いや色々とあるだろう。好きな食べ物とか、趣味とか性格とか……」
「ぁあ」
俺の言葉を聞いた設楽は、自分のバッグからiPadを引っ張り出してお絵かきアプリを起動し、そのキレイな指先で、サラサラと何かを描き始めた。
「……なにやってんだ?」
「私の両親の情報を知りたいんですよね?」
「そうだが……?」
不毛なやりとりを俺と繰り広げながらも、設楽の指先は2人の人物を描き出す。
「……よしっ」
「……これはなんだ」
「母と父です」
そう言って、少しだけ広がった鼻の穴から水蒸気を吹き出す設楽が、俺に見せてくれたもの……それは、まるで絵心のない小学生がクレヨンで描いたような、設楽のご両親の肖像画だ。
……なあ設楽? 絵心がないのは仕方ない。あれは一種の才能だし、ないやつをけなすつもりはないのだが……そのアプリには、他にも鉛筆やサインペン、マーカーといったペン先が選択できるはずだよな?
「……」
「……?」
それなのに、なんでお前はその数あるペン先の中から、わざわざクレヨンを選択したんだ? それじゃ、どう見ても幼稚園の参観日か何かに教室の後ろの掲示板に貼ってある、『ぼくのおとうさんとおかあさん』の絵にしか見えないんだが……俺はまだ、お前と結婚はおろか子を授かった覚えはないぞ。いずれはするし、授かる予定だが。
「……すまん設楽。一ついいか」
「なんでしょうか」
「この未就学の幼児が描いたかのような似顔絵から、俺は一体、何を読み取らなければならんのだ」
「色々とあるでしょう……まずこちらの母ですが……」
俺の当然の批評が気に障ったのか眉間に若干のシワを寄せ、設楽は2人の人物画の、左側の人物を指差した。それが設楽の母だということにまず困惑したし、それ以前にその人物が女性であるということにも、俺の無意識は驚愕していた。
「……なるほど。そっちがお母さんか」
「他に何に見えていたのですか?」
「……まぁいい。で、そのお母さんがどうした?」
「ご覧の通り、顔つきが私にそっくりで……」
……申し訳ない設楽。お前のその人物画からは、そんな情報は読み取れない。唯一わかるのは、お前の絵心が壊滅的だということだけだ。お前には、自分のイラストが自分そっくりに見えるのだろうか……将来の夫として、ここは視力矯正の必要性を強く訴えた方が良いのだろうか。
「……先輩?」
「……ん?」
「どうかしましたか?」
「いや……よく分かった」
「そうですか」
「それよりほら。アイス溶けてるぞ」
「ぁあ。そろそろちょうどいいかもしれません」
これ以上聞いていても、何も有益な情報は入手できないだろう。俺は、設楽の意識を超硬質アイスクリームへと無理矢理に方向転換させ、その手のiPadを強奪した。
「んー……」
「アイスクリームはうまいか」
「おいしいです」
「何味を買ったんだ?」
「コーンポタージュ味です」
「そうか……」
設楽の恍惚のため息(ただし顔は仏頂面)を聞きながら、俺は設楽作のご両親の似顔絵を眺める。
……俺達の子供に、絵心は期待しない方がよさそうだ。まだ見ぬ我が子の未来が、一つ潰えた気がした。
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