番外編 〜挨拶〜
朝
まぶたの向こう側からの優しく輝く光で、俺は朝が来たことを実感した。
「……起きました?」
俺の耳に、そんな優しい囁きが届いた。見知った声色だけど、それは普段に比べ格段に優しく、そして柔らかい。まるで眠っている俺を起こさないように気遣っているような優しさで……だけど、俺が起きたのが嬉しくて、少しだけ胸を弾ませているような……そんな、優しく、そして弾んだ声だ。
「……ああ。おはよう」
「おはようございます。先輩」
まぶたを開いた俺の視界に飛び込んできたのは、優しく微笑む設楽。いつもの仏頂面ではなく、優しく、柔らかく微笑む設楽は、誰よりも美しい。
「早いな設楽……」
「カーテンの隙間からのお日様が眩しくて……でもよかった」
「?」
「朝起きたら、昨日のことが全部夢で……隣に先輩がいなかったら……そう思ったら、心配で眠れなくて……」
「……夢なんかじゃないだろ?」
「でも、幸せすぎて……」
そう言いながら、柔らかい笑顔にほんの少しだけ陰を落とす設楽は、カーテンの隙間から差し込む朝日に照らされ、本当に美しい。
設楽が俺の髪を、そのしなやかな人差し指でくりくりといじる。俺は、設楽のことを何も知らなかったようだ。こんなに優しく微笑む、美しい女性だったなんて……設楽の柔らかい微笑みと見つめ合い、設楽に選ばれた喜びと幸せに、俺の胸が満ちたりしていくことを感じる。こんなに幸せな朝を迎えたのは、いつぶりだろうか……
「腹減っただろ? 朝飯作るよ」
そう言って上体を起こそうとする俺の胸に、設楽は頬を寄せた。そして俺の身体に手を回し、優しく、だけどしっかりと抱きしめてきた。『もう離したくない』という、控えめだけど強い、設楽の気持ちが込められている気がした。
「まだいいです。もう少し、こうしていませんか?」
「……そか? 腹は減ってないのか?」
「先輩」
「まだ、こうしていたいなって思って……」
「そっか……そうだな」
「先ぱーい」
優しく温かい設楽に抱きしめられ、ベッドの中でまどろむ幸せ。設楽がそう言ってくれるなら……設楽が俺を受け入れてくれているのなら、もう少し、こうしていてもいいのだろう……
「SEN-PAI」
俺は起きるのをやめ、再び設楽と共にベッドに身を委ねた。俺の胸の中で優しく微笑む設楽は、本当に綺麗だ。
「おなかすきましたー」
「先輩……愛してます」
「俺もだ……設楽、愛してる」
「起きて下さーいおなかすきましたー」
「ありがとう……私は、とても幸せです」
「卵焼き食べたいですー」
「俺も……幸せだ」
愛する人が、隣で自分の目覚めを見守ってくれる……そしてその人が、俺の隣で一緒にまどろんでくれる……その暖かな幸せの中で、俺は再び、設楽の体を抱きしめながら瞳を閉じた。
……
…………
………………
「いい加減起きてくださいよ先輩」
頭にズキンズキンと響く酷い頭痛で、俺の心地いい眠りは強制的に解除された。
「……お、おお……おはよう」
「おはようございます先輩」
力ずくでまぶたが開かれた、俺の視界に飛び込んできたのは……いつもの、あの仏頂面の設楽だ。ベッドで眠る俺の寝顔を、いつもの……いや、眉間にシワを寄せた、いつも以上に迫力のある仏頂面で、ジッと見下ろしている。
「お前……俺の寝顔をずっと見下ろしてたのか」
「はい」
「なんで……いつつ」
「そろそろお腹が空いたんで、『起きろー起きろー』と先輩に怨念を送っていました」
「……」
起き抜けでズキズキと響く頭痛を我慢しながら、自分の寝姿を確認する。なんか新手のダンスユニットみたいなポーズで寝ていたようだ。しかも首を右90度に曲げて、そこからさらに頭上を見るように曲げているから、これは寝違えてるなきっと……こんなポーズで寝ていたら、誰だって起き抜けに頭痛になるわ。
「先輩の寝相は毎度変ですね」
「うっせ……いづづ……」
「おかげで私は毎晩ベッドから落ちそうです」
「マジか。それはすまんかった」
「その仕返しに、先に起きたときは、こうやって先輩にポーズつけて遊んでるんですが」
「人の身体を弄ぶのはやめろ」
「首の角度はいつも苦労しますが、おかげで今日もいいポーズが出来たと自負しております」
「俺の起き抜けの頭痛はお前が原因か」
知らなかった……設楽と同棲をはじめてからこっち、妙に寝相が悪くなった気がすると思っていたら、犯人は設楽だったのか。同居人の寝姿にポーズつけて遊ぶって、何やってるんだ。
「それはそうと先輩、お腹が空きました」
言われて思い出した。さっきの幸せな夢の端々で『先輩』とか『SEN-PAI』とか『お腹が空きましたー』とか、妙に生活感溢れる余計なセリフが挟まっていたのは、こいつが犯人か。
頭痛が少しひいてきた。徐々に覚醒していく頭を無理矢理に回転させ、食材は何が残っていたのか、懸命に考える……
「今朝は……」
「卵焼き早く作って下さい」
「卵は……あと4つだったか……」
「ですね。帰りに買って帰らないと」
「そだな……」
「卵だけは切らすことは許されません」
そう言って、いつもの鋭い仏頂面のまま、鼻をピクピクさせる設楽。そんな設楽を眺めながら、俺は思う。
……考えてみりゃ、設楽があんなに柔らかく接してくるなんて今までなかったし、想像も出来ないよなぁ……設楽が仏頂面を崩すはずないもんなぁ……
「……なにか?」
「いや、設楽は設楽なんだよなぁと思ってな」
「?」
夢の中の設楽も悪くはないが……というか、ぶっちゃけめちゃくちゃキレイだったが……やっぱ設楽は、仏頂面だからこその設楽なんだよなぁ。残念なような、ホッとしたような……。
「今朝のメニューは何ですか?」
「今は何時だ?」
「7時です」
「……あまりじっくり作ってられんな……なら、シンプルに卵焼きサンドイッチだ」
今日は東京に行くからな。朝はそんなにゆっくりしてられん。こんな時はシンプルに卵焼きサンドイッチがいいだろう。
俺がそう言った途端、仏頂面の設楽は、鼻の穴をピクピクと痙攣させ始めた。
……今日は、東京にお住まいの設楽のご両親に、結婚の挨拶に行く日だ。粗相のないようにしないとな。そのためにも、自分自身と将来の結婚相手に、発破をかけなければなるまい。
「マヨネーズ多めでお願いします」
「おう」
「ハムも挟んで下さい」
「景気づけに、一人頭4枚挟むぞ」
「今日の先輩は豪快さんですね」
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