私と先輩が結婚すべき理由
おかぴ
本編
それは突然だった
運命の交差点ってのは、いつも唐突に訪れるもの……のはずなのだが、今回ばかりは面食らった。
「おーう来たぞー」
「お待ちしてました先輩」
俺は、後輩にして教え子……そして今では俺以上に出世したうちの会社の稼ぎ頭、設楽薫に突然呼び出しを受け、居酒屋『チンジュフショクドウ』へと入店していた。
「なんだ。俺たちだけか」
「他に人がいた方が良かったですか?」
「いや、そういうわけじゃないけどな」
俺より先に予約していた個室に入り、すでに待機していた設楽は、いつもの仏頂面に長くてキレイなストレートの黒髪を携え、俺の到着を待っていたようだ。しかしこの女、いつものごとく愛想がないな……。俺は着ていたコートを脱ぎハンガーにかけたあと、設楽薫の向かいの席へと腰掛けた。
掘りごたつ形式のこの個室は、くつろごうと思えばもっとだら~んとくつろげるのだが……呼び出された理由を聞かないことには、心からくつろぐことなんて出来ないしな……。
少し落ち着いたところで、こっそり設楽を見る。いつもの仏頂面でメニューを眺めるその佇まいは、すでに係長の威厳たっぷりだ。もっともこいつは、入社時からその仏頂面のおかげで、威厳だけは無駄に兼ね備えてやがったが。おかげでツヤッツヤの黒髪ストレートで顔立ちも猫顔の美人のくせに、未だに男の影がない。スキがないからなぁこいつは……黒のスーツなんぞを着込むから、余計に男が寄ってくるスキがない。
「先輩は何を飲みますか?」
「俺か? 俺はー……」
「カシスオレンジですかいつものごとく」
「そうだな。設楽は?」
「私は黒霧島を」
「お前も相変わらずの焼酎党か」
「出身が鹿児島ですから」
「初耳なんだが。前に関西の方とか言ってなかったっけか?」
「嘘ですから」
「意味のない嘘をつくな」
「まっこて渡部先輩は厳しかもんじゃー」
「エセ鹿児島弁はやめろ」
「すいません」
いつものごとく意味のないやり取りをしながら、俺はテーブル隅っこの店員呼び出しボタンを押した。周囲の喧騒に紛れて『ぴんぽーん』という呼び鈴が鳴り、ほどなくして女性店員が来訪。俺はカシスオレンジと黒霧島のロックを注文した。
「ご注文は以上ですか?」
「あと厚焼き玉子とシーザーサラダと刺し身の盛り合わせを一つずつ」
「かしこまりましたー!」
俺のオーダーを聞いた店員は、目の前の仏頂面女、設楽に比べると何億倍も清々しい接客スマイルを俺たちに振りまいた後、個室からそそくさと出ていった。
「先輩」
「んー?」
「なんでロックってわかったんですか」
「お前いっつもロックだろ」
何も知らんやつが聞いたら、さぞやキツイ言い方に聞こえるであろう、設楽の冷静なツッコミは流す。
しばらく待ったところで、カシスオレンジと黒霧島が、先程の女性店員の手によって届けられた。
「……先輩」
「なんだ」
女性店員は俺の方に黒霧島を置き、そしてカシオレを設楽の方に置きやがった。男だって酒の味が苦手なやつだっているし、女だって焼酎をロックで飲むやつだっているっつーの。
「なんで言わなかったんですか」
「何をだよ」
「『あ! あのぉおお! ぼく甘党なんでー、カシオレはこっちに下さぁあい!!』とか言えばよかったじゃないですか」
「お前、先輩の俺にちょいちょい失礼だよなぁ」
「失礼とはまた失礼な……しかしとりあえず謝っておきます」
この設楽という女は、眉一つ動かさずにこういう軽口を叩く。目がぱっちりした猫顔にしてキレイな黒髪のストレート……化粧はかなりすっきりめで、『美人』といっても差し支えないこの女は、こうやっていつもいつも俺を仏頂面でからかってはけむにまく……。
心が全くこもってない設楽からの謝罪を聞き流しながら、俺達は互いに酒を交換しあったあと、申し訳程度の乾杯を行って、ついでに持ってこられたお通しのもずく酢に箸をつけた。
「……んで、なんだよ」
カシオレに口をつけたあと、俺はここに俺を呼び出した理由を、相変わらずの仏頂面で黒霧島をぐびっと飲んでいる設楽に問いかけた。
「なんだよ……とは?」
「俺を呼び出した理由だよ。呼び出したからには何か理由があるだろ」
「……」
押し黙る。……ここで言い辛そうにもじもじしたり顔を赤らめたりすれば、まだ可愛げもあるものなんだが……
「……」
「……」
なんつーか……ともすれば『睨んでる』と思われてもおかしくないような仏頂面でこっちをじーっと見てくるもんだから、怖いったらありゃしない……いや、言い辛いことを何か抱えてるってのはなんとなく分かるんだが……眉一つ動かさず、目をそらさずに、こっちをじーっと見つめるもんだからなぁ……。なんつーか、責められてるような気がしないでもない……。
「……渡部先輩」
「おう」
「私達、知り合って何年か分かりますか」
「んー……」
こいつが中途採用で入社してからだから……あれか。そろそろ三年ぐらいになるか?
「三年ぐらいかなぁ」
「正解です」
ホッ……よかった。
「そうです。もう知り合って三年なんですよ」
「だなぁ。そして知らんうちにお前が先輩を追い抜いて出世街道まっしぐらの道に入って、もう二年か」
「ですね……長かった……」
そう相槌を打って、目を細めて俺の頭の上あたりを眺める設楽の目には、一体何が映っていることやら……
でもそれと、俺をここに呼び出した理由に、一体何の関係があるというのか。しかも差し向かいだぞ。これは何か重大な事件でも起こったのか?
思い当たるフシが、実はないわけではない。
こいつは、ここ数日ずっと妙だった。本人は『別に忙しくない』と言っていたが、一日中自分の席でパソコンのキーボードを叩きまくり、時々頭を捻っては画面を捻っては睨みつけて、またガシガシとキーを叩く……
こいつは一度、やたらめったらに難しく責任重大な仕事を抱えたことがあった。その時のこいつの忙しさは、満足に昼飯を食べる時間もないほどだった。あの時は見事に失敗してしまったのだが……ここ最近の設楽は、その時に匹敵する真剣な仏頂面で、パソコンをにらみ続ける毎日だ。
「なぁ設楽」
「はい」
「そろそろ理由を話してくれ。意味もなくここに呼び出したわけではないだろう」
「はい」
「なら話してみろ。悩み事なら、相談に乗るから」
「……」
「ここ最近のお前が忙しいのは知ってるが……そのことか?」
すでに上長と化していた設楽に、余計な先輩風を吹かせてみる。こいつはすでに俺よりも上位な仕事を任されているわけだから、今更俺が力になれることなんてないというのに……まぁなんつーか、先輩の意地ってやつかな?
俺の無意味な先輩風を全身に受けた設楽は、眉一つ動かさず、自分の黒霧島に口をつけ、そしてグラスを静かに置いた。
「先輩」
「おう。なんだ」
「単刀直入に言います」
「おう」
「私の面倒を見て下さい」
面倒を見て下さい? 面倒? どういうことだ? 俺は最初、この仏頂面女の言っていることが、まったく理解出来なかった。
「面倒?」
「はい。先輩に私の面倒を見ていただきたく」
面倒を見る……仕事仲間からそんなこと言われたら、普通は『私の仕事の面倒を見て下さい』って言われてると思うよなぁ? 特に後輩の設楽なら、何か自分の手に負えない仕事を任されてしまったから、先輩にして指導社員だった俺に、面倒を見てほしいと思ってる……そう思うのは、至極自然な考え方だよなぁ。社内での役職云々は置いといてさ。
「えーと……設楽」
「はい」
「面倒を見ろ、と」
「はい」
「誰が?」
「ゆー」
「誰の?」
「みー」
「俺が? お前の? 面倒を?」
「あーはん。おーいえー」
これは冗談だよな。仏頂面で顔色一つ変えず、いちいちエセ帰国子女的英語で俺に返事をするあたり、冗談だと受け取っていいよな。すでに係長の設楽を、ヒラの俺が面倒見られるわけないよな。
「おい設楽」
「はい」
「冗談はその仏頂面だけにしろ」
「それハラスメントですよ先輩」
「うるせー。俺がお前の面倒を見るって一体なんだよ。すでにお前は俺より出世し始めてるじゃねーか設楽係長さん?」
「お褒めいただき光栄です」
「そんなお前を、俺がどうやって面倒見るってんだよ。むしろお前が俺の面倒を見ろよ」
「バカな。先輩は要介護系先輩だったのですか。ただ仕事に対してルーズなだけではなかったのですか」
「うっせ。お前うっせ」
「ちなみに私は要介護系係長ですよ先輩」
「さりげなく“実は私は弱い”アピールをぶっこんでくるんじゃない」
仏頂面の設楽との軽口の応酬は、いつものことだからまぁいいとして……
頭をボリボリとかき、俺は設楽を問い詰める。
「……そんなに難しいのか?」
「何がですか?」
「お前がここ最近、必死に何かを頑張っているのは知ってる。そのことで頭を悩ませてるんだろう?」
そうだ。ここ最近のこいつは、ずっと険しい仏頂面だ。俺の知らない、何か難しい仕事に苦しめられているに違いない。
「違いますが。というか、別に忙しくなどありませんが」
違うのか!? つーか忙しくないのか!? んじゃここ最近の設楽は、一体何をやっているんだ!?
「先輩。仕事のことではないのです」
「マジか」
「ええ。えらくマジです」
気を取り直し、改めて設楽の話を聞いてみると……仕事上の面倒ではないというのは、どうやら嘘ではないようだ。では、俺に一体何をさせようというのか……
「先輩に面倒を見ていただきたいのは、プライベートのことです」
「まっっっっっっったく話が見えてこないぞ」
次のセリフを吐いた時の設楽の表情は、いつもと変わらない仏頂面のはずなのだが……
「では先輩」
「あん?」
「平べったく言い直します」
「おう」
その時の設楽の仏頂面を、俺は生涯、忘れることはないだろう。
「私の夫になって下さい」
「? おっと?」
「つまり、私と結婚して下さい。プロポーズというやつです」
「プロポーズ……」
その時、俺は『プロポーズって……あのプロポーズで、合ってるんだよな?』と、ひどくとぼけたことしか、考えられなくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます