物は言いよう
※少々長いです
「そんなわけで、その頃から私には、先輩にお世話をしてもらうという責任が発生しているわけです」
昔のことを思い出していた俺に対し、設楽はいつもの仏頂面で、悪びれることなく、すっぱりとこう言いきった。
……ところで、俺は今、友人知人や親、親戚一同にいたる、あらゆる顔見知りの連中に対し、こう聞きたい。
これって、責任なの?
なんというかこう……勝手に運命を感じるのは別に構わん。それが恋というものだ。相手にとってはなんてことない、日々の他愛ない出来事の中で、本人だけがそれに意味を求め、勝手に盛り上がり、それが愛だと錯覚する……思春期なら、それが当たり前だ。いや設楽は少なくとも思春期など過ぎている年齢だと思うが……
だが、それと『責任を取る』というのは、また、別の話なんじゃないのか?
それにだ。意味不明なプロポーズが設楽の仏頂面から発せられて、もうけっこうな時間が経過するが……なんというか、どうにも設楽の本気度が伝わってこない。
やっぱりプロポーズってさ。こう、突き抜けた感情に突き動かされるというか……情熱的に相手に迫るものなんじゃないの?
――私、先輩が好きです! ぶわっ
こんな感じで。これならまだ分かる。俺だって男だし、設楽のことはよく知ってる。付き合いも割と長くなってきたし、気取らず付き合えるこいつにそんなことを言われれば、悪い気はしない。
だが、現実はどうかというと……。
―― 私の面倒を見て下さい
―― 先輩は仕事においては優柔不断で、決断力がありません
―― つまり、私が先輩を相手に選んだのは、いわゆる責任でもあるのです
……申し訳ないが、まったく愛情と言うものが感じられない。
なんというか……設楽の話を聞いていると、本人の意志というよりは、義務感やシチュエーションに流されて、俺と結婚せざるを得ないと思い込んでいるようにも見えるが……
……でもあれか。弁当を作ってくれたのがうれしくて、設楽は俺との結婚を決意するあたり、俺に対して愛情みたいなのは感じているのだろうか……。
今、黒霧島が入ったグラスを片手に持ちながら、設楽はじーっと俺を見つめている。仏頂面で。
おれは設楽と付き合いだしてから随分経つ。その中で、こいつの感情の機微を多少なりとも読めるようになったつもりでいたのだが……
だが、現状ではまだまだ甘いと言わざるをえない。今、こいつが一体何を考えているのか、俺にはさっぱり理解出来ない。
「……」
「……」
「……何か?」
「いや……」
こいつは、新しく届いた揚げ出し豆腐を口に運びながら、一体何を考えているのだろうか……こいつ、常に本当に俺のことを……そのー……好きなのだろうか……?
「先輩」
「ん?」
俺がシーザーサラダの残りをすべて平らげて、その皿を自分の脇へと追いやった時、おぼろ豆腐を食べ終わった設楽が口を開いた。唇についた豆腐を俺が指摘すると、設楽は仏頂面のまま、ぺろっと舌なめずりしていた。
「お気づきですか?」
「何がだ」
「はぁー……」
俺の返答を聞いた設楽は落胆したのか何なのか、首を左右に振り、大きなため息をついた。その仏頂面から繰り出されるため息は、見ている俺が、思わず殺意の波動に目覚めても可笑しくない腹立たしさだ。
「なんだよ」
「先輩にも責任はあるんですよ」
「何の責任だよ」
「私の面倒を見る責任です」
ほわっつ? 俺に? 設楽の面倒を見る責任とな?
「どういうことだ。ちょっと聞かせろ」
俺は設楽に手を出した覚えはない。それなのに、一体俺にどんな責任があるというのか。
設楽はグラスに残った黒霧島をすべて飲み干し、そしてグラスをカラカラと動かし、氷の音を響かせた。少し飲むペースが上がってきたような……だが、顔は一向に赤くもなく青白くもなく……いつもの設楽のままだ。
「……先輩は、私の指導社員でした」
「だなぁ」
「なのに、何も教えてくれませんでした」
……? それは本気で言っているのか? 俺の頭の中が、はてなマークの形をした疑問という概念で埋め尽くされていく……
「どういうことだよ? 俺はお前に、教えられることはすべて教えたぞ?」
「ハハッ……ご冗談を……何一つ教えていただいておりませんよ先輩」
ちょっと待て。俺は設楽に教えられるものは全て教えた。俺の奥の手……虎の子の技術である、パワポの使い方やプレゼン資料の作り方まで、丁寧に教えたぞ? そのおかげで、ただでさえゼロだった俺の社内での居場所が設楽に侵食されて、一時期は本当に会社内に居場所がなくなったぐらい、持っているものはすべて設楽に教えたはずだぞ?
「確かにそうですね。資料作成のノウハウは、今も大変役立っています」
「それを教えたのは誰だよ?」
「先輩です」
「だろ? 社内での決まり事や日々の雑務のことを教えたのは?」
「もちろん先輩です」
「ビジネスマナーを教えたのは?」
「先輩」
「電話の取り次ぎ方を教えたのは?」
「SEN‐PAI」
「名刺の渡し方を教えたのは?」
「先輩のおかげで所作が美しいとお褒めいただいております」
「だろ? 俺は俺が知りうるすべてのことをお前に教えたぞ?」
一つ一つ、確認を兼ねて設楽を問い詰める。俺が知っていることは全て教えたはずだ。その証拠に、設楽はすべて『先輩に教えてもらった』と言っているじゃないか。ちゃんと覚えているじゃないか。俺が設楽に教えたと。
……だが、設楽が言いたいのは、どうやらそれではないらしい。
「……先輩、まだあるでしょう?」
「なんだと?」
「確かに仕事のことを教えていただきはしましたが、それだけです」
「それだけ……とは?」
ダメださっぱり意味がわからない。俺が身に着けていることで? 設楽にまだ教えてないこと? 俺は頭をフル回転させ、何か教えてないことがあるか必死に思い出そうとするのだが……ダメだ全く思い出せない。
そんな様子を眺めていた設楽は……
「はぁー……」
と再び落胆のため息を漏らして首を左右に振り、俺の記憶力に心底幻滅しているみたいだった。
「ダメですね先輩。後輩への愛が足りませんよ」
「そこまで言うからには、俺が何を教えてなかったのか、ちゃんと説明出来るんだろうな」
「もちろんです。先輩は自分の後輩を信じられないというのですか」
「当たり前だ。俺は知っているすべてをお前に教えた。他に一体何があるという?」
俺の口調が激しくなり、設楽の口調も心持ち棘が生えてきた。しかし俺も憤りを隠すつもりはない。これ以上、身に覚えのないことで、非難されるのはゴメンだ。
設楽がこちらをジッと見据える。氷だけになった黒霧島のグラスがテーブルの上にトンと置かれ、そして……。
「……おせんたく」
「……ほわっつ?」
設楽が発した一言は、またもや俺の予想外だった。
「おせんたく? おせんたくって、洗濯か?」
「他に何があるというのですか」
「ちょっと待て。なんでそこで洗濯が……」
「他にも、お掃除にお料理……そしてお裁縫……」
「……」
「ほら見て下さい。私に何も教えてない」
……今、俺の頭が、心臓の鼓動に合わせてズキンズキンと痛むのは、酒で悪酔いしているからではないだろう。設楽の斜め上の返答に、俺の頭が拒絶反応を示しているからだ。
「……おい設楽」
「おっ。やっと自分の非道な行いを私に謝罪する気が……」
「何が謝罪だ。どれも家事じゃねーか」
「そうですよ?」
「仕事のことじゃないのか?」
「誰が仕事のことだといいました?」
「俺はお前に仕事のことだけじゃなくて、家事も教えなきゃいけないのか!? 仕事の指導係の俺は、お前の花嫁修業にまで付き合わなきゃいけなかったのか!?」
まくしたてる。確かにこいつは家事が絶望的なまでに出来ない。部屋だって散らかり放題だし、洗濯だって未だに洗剤と柔軟剤の区別がつかない。料理をすれば雪平鍋をアニメのように爆発させるのが目に見えてるし、裁縫をすれば、針を一回通す度に、自分の指も突き刺すであろう。仕事の時のテキパキとした姿はなりをひそめてしまう。
……いわばあれだ。自宅にいる時のこいつは、悪く言えば『休日のお父さん』だ。しかも仏頂面で愛想がゼロ。愛嬌のない『休日のお父さん』……それがこいつだ。
だが、だからといってなぜ仕事の指導係でしかない俺が、後輩とはいえこいつに家事まで教えなければならんのか。あんなものは、普通に生きていれば知らないうちに身についていくものではないのか。何も『うまくなれ』『極めろ』と言っているのではない。自分一人が生きていける程度の家事は、誰だって出来るはずではないのか。
「……先輩」
「なんだよ……頭痛くなってきた……」
「頭痛いのですか? 大丈夫ですか?」
「誰のせいだよっ!?」
設楽の他人事極まりない心配に、俺はつい声を荒げてしまう。『しまった』と思ったが、設楽は別段気にしてないようで、澄ました顔で新しく届いた焼き鳥を串から食べていた。ホッと一安心はしたのだが、堪えてないのは、それはそれで腹立たしい。
「大体、なんで俺が家事まで全部教えなきゃいけないんだよっ!! 俺はお前のかーちゃんかッ!!」
俺の半狂乱の声を涼しい顔で受け流し、設楽は焼き鳥の串を涼しい顔串入れにひょいっと投げ入れ、冷たい眼差しで俺を見つめた。
「……先輩、覚えてらっしゃらないようなので、言わせていただきますが」
俺の背中に、ゾクッと一瞬、嫌な冷たさが走る……まさか、ちょっと怒っているのか……?
「……以前、私の家に来てくれたことがありましたよね」
……確かにある。休みの日に突然設楽から電話がかかってきて……『洗剤と柔軟剤は違うのか?』といきなり変な質問をされて……
「あの時、私は先輩に『教えてください』といいましたよね」
「確かに……言ってたな」
「でも先輩、あの時、なんて言いました?」
記憶を懸命にたどる……あの時はなんかもう怒りに突き動かされていたから、設楽に何を聞かれ、俺が何て答えたかなんて、殆ど覚えてないのだが……
「……すまん覚えてない」
「なら私が教えて差し上げます。あの時、先輩は『俺がやったほうが早い』って言ったんですよ?」
言われてみればー……言ったような、言ってないような……。
「私は教えてほしかったのに。先輩は自分がやったほうが早いからって、全部自分でやってしまったじゃないですか」
「……」
「洗濯も自分の家から持ってきた洗剤を使って、掃除だって瞬く間にゴミを全部まとめてしまって掃除機かけて拭き掃除までして……」
「……」
「挙句の果てに『食材はない』って私が言ったら、私を置いてけぼりにしてスーパーに買い物に行って……私は料理が出来ないって言ったのに生鮮食品ばかり買ってきて……」
「ちょっと待て! 俺はお前がちゃんと食べられるように常備菜とかハンバーグとか色々作ってやっただろ! その日は2人でカレー食ったあと、『明日はこれでカレーうどん作れ』って俺ちゃんと言ったよな?」
「たとえカレーがあっても、私にカレーうどんなんて高等な料理、作れるわけがないでしょう。常識で考えて下さい。料理ができない私にカレーうどんが作れると思いますか?」
「カレーうどんなんて、最悪うどんゆでてそこに出汁を溶かしたカレーかけりゃ出来るじゃねーか! お前どれだけ料理出来ないんだよ!!」
「先輩はそう簡単に言いますが、それが素人にとってどれだけ高等な技術なのか想像つかないのでしょう。大空を羽ばたく先輩には、地べたを這いずる私達の気持ちはわからないのです」
「例えが意味不明で大げさすぎるッ!! カレーうどんごときでなんで大河ドラマの一般兵みたいなセリフ吐いてるんだよっ!!」
二人の間で、言い合いがはじまる。はたから見れば痴話喧嘩に見えるかもしれないが、やってる俺たちは真剣だ。なんせこれが、俺が結婚する理由になってしまうかもしれないのだから。
ひとしきり言い合いを繰り広げたところで……
「「……ぴたっ」」
二人同時に、言葉が止まる。そして互いのグラスの中に残った氷を口の中に流し込み、バリバリと噛み砕いた。二人揃って、ほぼ同じタイミングだ。
「……まだ飲むか?」
「……いえ。ウーロン茶をいただきたいです」
「はいよ」
呼び出しボタンを押し、店員を呼ぶ。店内に『ピンポーン』と軽快な音がなり、『はいただいまー!!』という、威勢のいい女の子の声が聞こえた。きっと設楽の口からは、永遠に聞くことがないであろう、元気に満ち溢れた声だ。
「……まぁそんなわけで、先輩には私の元に嫁ぐ責任があるのです」
「どこがだよ……」
「だって先輩、私は家事が出来ないんですよ。家事ができなければ、生きていけない」
「大げさに考えすぎだろ。そもそもお前、家事できなきゃ生きていけないってんなら、今までどうやって生存してきたんだ……」
「そしてその原因は、先輩だ」
「先輩の話を聞きなさい設楽くん……」
「言うなれば、私は先輩がいないと生きていけない身体に調教されてしまった……」
「人聞きの悪いこと言うな。いかがわしい言い方はやめろ」
「だから先輩……責任取って、私の面倒を見るしかないっ」
「責任をどんどん拡大解釈していくなッ!」
「バカなっ! 私の身体をここまで好きに弄んでおきながら!?」
「誤解を招きかねない言葉を大声でまくし立てるのはやめるンだッ!!」
「私のブラだって見たのに!?」
「あれはお前が悪いだろうが! 既成事実を積み上げていくのはやめろッ!!」
設楽の予想外の方程式の組み立て方に、俺の頭がついていかない……こいつの計算の仕方は、俺の想像の範疇を軽く飛び越えている……俺のような凡人では理解できない領域にいるというのかこいつは……
……ただ一つ。俺に分かるのは、今こいつは、とても楽しんでいるということだ。ぷくっと膨らんだ設楽の鼻が、それを物語っていた。
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