あなたが……

「うう……」

「……」


 『気持ちはまったく通じてなかった』『受け入れてくれたと思っていたら、実はそうでもなかった』そんなショックなことに気付かされてしまった設楽は、うつむきがちで、さつまいもアイスをスプーンですくっていた。


 確かになぁ……たとえこいつ自身の勘違いだったと気付かされるってのは、ショックだろうなぁ……設楽には少し、悪いことをしてしまったのかもしれない。


「……」

「……」


 うつむいたまま、設楽が遠慮がちにアイスを口に運ぶ。こんな設楽を見たのは初めてだ。まるで普通の女の子のように、今にも声を上げて泣き出しそうに……


「先輩。このアイスすんごいおいしいですよ」

「だからいきなり機嫌を直すなって言ってるだろうがッ!」


 なってなかった……こいつはアイスを口に運んだ途端に、顔を上げて目をキラキラと輝かせいつもの仏頂面に戻りつつ、鼻をぷくっと膨らませてやがった。こいつはうまいものを食べれば、どんなに気持ちが沈んでいても回復するのか?


 一体何なんだこいつは……未だに俺のことを振り回してくる……。チョコブラウニーで一泡吹かせてやったと思ったのに……これじゃいつも通りの俺たちじゃないか……。


 2人でひとしきりさつまいもアイスを堪能し、未だに俺に対して冷たい視線を向ける女の子の店員が運んでくれた、熱いお茶をすする。


「「ずず……」」


 二人して同じタイミングでお茶をすすった後、同じタイミングで湯呑みをテーブルの上に置いた。


「……」

「ふぅー……」

「……なんだよ」

「なんなんですか先輩は」

「なにがだ」

「私がこれだけ迫っているのに、どうして私の元に嫁ぐ気にならないのですか」


 と設楽は俺に対してその仏頂面を突きつけてくるのだが……そうではない。そうではないんだ設楽。


 ぶっちゃけ、お前が俺のことをそう思ってくれているのはうれしい。うれしいんだが……


「逆に聞くけどな。なんで俺なんだよ」

「ベストマッチだからです」

「そうじゃない。それは聞いたが、そうじゃない」

「じゃあ何ですか」

「……なんで、俺なんだよ」


 そうだ。なんで、こんな俺がいいんだ。


 俺は、向上心がない男だ。こいつとは、まったく釣り合わない。


 それなのに、こいつは俺のことを選ぶと言う。


 それが分からない。


 だから、設楽の言葉に確信が持てない。設楽の言葉に、自信を持って『OK』と、言うことが出来ない。


「……先輩?」

「他にもっと……ふさわしい男がいるだろう……?」


 分かるよな設楽。俺には、お前と結婚して、子供を作って家庭を持てるほどの甲斐性なんて、ないんだよ。お前が結婚しようとしている男は、そんな、ダメ男なんだ。


 お前だって言っていただろう? 俺は仕事においては優柔不断で、決断力がない。効率もいいとはいえず、勤務成績もケツに近いブービーだ。あのアホみたいなプレゼンで、お前自身が突きつけた事実だろう?


「……」

「俺は、お前と結婚して家庭を持てるほどの甲斐性はないぞ」

「……」

「もっとよく考えたらどうだ設楽……確かに俺は、お前とベストマッチかもしれん」

「……」

「……それに、俺もお前と一緒にいるのは楽しい。気を使わなくていいし、お前の呼吸ももうわかってる。正直な所、俺だってお前に選ばれるのは、悪い気はしないどころか、素直に嬉しい。仏頂面は置いておいて」

「……」

「でもな。……お前には、もっといい相手がいるだろう」

「……」

「……だからさ」


 今日ほど、自分のことを情けないと思ったことはない。


 本当は、『OKだ。結婚しよう』と、すぐにでも言いたい。でも、こいつ自身が俺に突きつけた事実……俺は、こいつと釣り合わない。その事実は、変わらない。


 目の前に置かれた、自分の湯呑みを眺めた。澄んだ深緑のキレイな色の緑茶が、なみなみと注がれている。……だが、俺のお茶は普通のお茶だ。


 設楽の湯呑みを眺めた。設楽のお茶には、茶柱が立っている。幸運の証で、吉兆の印。


 これが、設楽と俺の違いだ。俺は輝くことが出来ず、輝こうともせず、毎日、ただ今日という一日が過ぎ去るのを待つだけの男だ。


 対して、設楽には輝かしい人生が約束されている。仕事に対する向上心もあり、結果も残している。こいつなら、人生を謳歌することが出来るだろう。間違いなく、輝かしい人生を送ることが出来るはずだ。こいつなら。


 俺では、そんな設楽の仏頂面を、仏頂面以上の幸せな顔にすることは、出来ないだろう。


 すまん設楽。俺はお前の気持ちには、応えられん。


 俺が心の中で葛藤するその姿を、設楽は何も言わず、いつもの仏頂面で、いつものようにじーっと見ていた。そして茶柱が立った自身のお茶を、ずずっとすすった。


「……あのな設楽」

「……」

「俺は、お前の気持ちには……」


 突如、タン! と大きな音が鳴り響いた。あまりに突然のことで俺はびっくりしてしまい、それが設楽が湯呑みを勢い良くテーブルに置いた音だと気付くのに、少々時間がかかった。


「……分かりました」


 唐突のことで俺が呆気にとられていたら……テーブルに湯呑みを置いた設楽が、いつもの仏頂面で、湯呑みから右手を離さずに、じーっと俺を見ている。


「分かったって……何がだ」

「なぜ先輩が私を受け入れてくれないのかが」

「……そうか」


 そうか。分かってくれたか……なら、もう言わなくても分かるよな。俺が、心の中にぽっかりと開いてしまった穴みたいなものを感じ、そろそろ帰るかと腰を上げようとしたら。


「だから言い方を変えます」


 と、設楽は顔色と仏頂面を変えず、まっすぐ俺を見つめたまま、そんなことをいいやがった。こいつ、俺のことを分かったと言っておきながら、さっぱり理解してねーじゃんかッ。


「おい設楽」

「はい」

「俺の話、聞いてたか?」

「はい」

「俺よりいい男がいるって言ったよな?」

「いいましたね」

「だったら」

「下らない寝言でしたが。先輩は睡眠を取ってないのに寝言が言える特異体質なんですね」

「おい。ふざけるなよ」

「ふざけてなどいませんが」

「だったら真面目にだな……」

「私ははじめから真面目ですが」


 設楽との押し問答がはじまる。いつもならこいつとの軽口の叩き合いは楽しいが、今だけは胸に痛い。こいつの軽口が……胸に痛い。


「あーそうかい。なら勝手にしろ」

「ええ勝手にします」

「俺は帰る」

「駄目です。最後まで私の話を聞いて下さい」

「なんでだよ。どれだけ聞いても俺の気持ちは変わらんぞ」


 これ以上何を聞いても、俺の気持ちは変わらん。お互いに傷つくだけだ。


「変わります」

「大きく出たな」

「変えてみせます。先輩の心を掴んでみせます。だから、最後まで聞いて下さい」


 まぁいつもの仏頂面の設楽なのだが……ここまで言い切る設楽の言葉が、逆に気になってきた。そこまで言うのなら、最後まで付き合うのも悪くないかもしれない。


「……わかった。そこまで言うなら、聞くだけなら最後まで聞いてやる」

「ありがとうございます」


 浮かせた腰を再び下ろし、俺は湯呑みのお茶に再び口をつけた。


 これは、俺なりの設楽への責任の取り方だ。こいつの言葉を最後まで聞いたら、俺は今日、こいつと縁を切る。昼飯も一人で食べるし、電話にも出ない。弁当はもちろん、卵焼きももうやらない。純粋な、上長と平社員の関係へと戻す。


「では……」

「おう……」

「先輩」

「……」


 お茶をすするのをやめ、俺は湯呑みをテーブルの上へと置いた。そして置いた瞬間、


「あなたを愛しています」

「んぶッ!?」


 俺の鼻から、お茶が垂れた。ツンとした痛みが鼻の奥を襲い、そして同時に心臓の鼓動がどんどんと大きくなっていく。


「し、設楽ッ!」

「私は、あなたを愛しています」

「ちょっと待て……ッ!」

「あなたの資料が好きです。あなたの卵焼きが大好きです。お弁当もこのボタンも、あのカレーもチョコブラウニーも……何もかも、愛おしいです」

「何言ってんだよ!」

「いつも私と一緒にお昼ごはんを食べてくれるあなたが好きです。美味しい卵焼きをくれるあなたが好きです」

「やめろって!」

「お裁縫をしているあなたの横顔が好きです。私が落ち込んだとき、何も言わずに隣にいてくれたあなたが好きです。仕事以外の楽しさを私に教えてくれたあなたが……文句をいい、困った顔をしながら、それでも私の隣にいてくれる、優しいあなたが、大好きです」


 不意打ちだ……予想外だった……ッ!? 相変わらずの仏頂面のくせに、目だけはキラキラと輝いて……ちくしょう。今の設楽、めちゃくちゃキレイだ……ッ!


「もうやめろ!」

「いやです。私はあなたを愛しています」

「俺にお前を受け入れる甲斐性なんかないって!」

「私には、あなたと一緒になる甲斐性がある。あなたにはなくても、私にはある」

「普通逆だろ!?」

「普通とは?」

「だって……俺、男だぞ? 結婚したら、給料少なくて、お前に楽なんてさせられんだろうがッ!」

「なぜ私が苦労することが前提なのですか。なぜ先輩が働くことが前提なのですか」

「だって……常識だろ」

「先輩と常識の二者択一なら、常識なんかいらない。そんなものより、私は、あなたが欲しい」

「……ッ」

「先輩が欲しい。私は、あなただけが欲しい」


 ちくしょう。言い返せない。言い負かせられない。仏頂面のくせにめちゃくちゃキレイで、俺のことをかき乱すこいつを、止めることが出来ない。


 なぜなら……俺の言い負かそうという気持ちが無くなってしまったから。こいつの言葉に、俺の胸が少しずつだが確実に、ときめき始めてしまったから。


 俺の必死の抵抗をすべて言い負かし、仏頂面のまま、設楽はそのキレイな瞳で、俺から目をそらさず、言葉を続けた。


「……先輩」

「……」

「もう一度言います。私は、あなたを愛しています。あなたのすべてを愛しています」

「……」

「仕事は私に任せて下さい。愛するあなたに、苦労など絶対にさせません」

「……」

「その代わり……常に私を支えて下さい。あなたがいなければ……愛するあなたが毎日隣にいなければ、私はもう、生きていけません」

「……」

「先輩。私と結婚して下さい。私の……面倒を、見てください」

「……」

「私の、生涯の伴侶に……夫に、なって……下さい」


 設楽はうつむいて、一言一言、吟味するようにそう言った。表情は俺からは見えないが、きっとその眼差しは、とても澄んでいるはずだ。


 そんな設楽の口から紡ぎ出されるこれらの言葉は、俺の心に、確かに染み込んでいった。


 確かにこいつのこの言葉は、絶大な破壊力があった。『あなたのすべてを愛しています』の言葉は、確かに俺の気持ちを変えた。


 俺は、こいつを前にして、自分に対する自信がなかった。俺と結婚したら、こいつは必ず今よりも苦しい生活を強いられる……幸せになんかならない……きっとこいつに、今以上の幸せな仏頂面をさせることはできない……それが、見えていたから。


 でもこいつは、そんな俺に対し、いつもの仏頂面で言った。


――常識なんかいらない。そんなものより、私は、あなたが欲しい


――あなたのすべてを愛しています


 こいつは、そんな俺を愛していると言ってくれた。そんな俺でいいのだと……そんな俺が欲しいと言ってくれた。


「負けた……」

「……」

「……設楽」

「はい」


 そこまで言うのなら……『仕事は任せて下さい』とまで言うのなら……悔しいが、設楽は確かに、俺の心を変えてしまった。俺の心を、掴んでみせた。


「俺の方こそ、よろしく頼む」

「……」

「すぐ結婚とはいかないが……結婚を前提に、付き合ってくれ」


 精一杯の本音で、改めての意思表示。俺だってキチンと意思表示をしなきゃ、俺に対してしっかりと意思表示をしてくれたこいつに、申し訳ない。


 俺の言葉を聞いた設楽は、顔を上げ、テーブルの上の自分の湯呑みを手に取り、ずずっとひとすすりした後……


「はい。……お任せください。必ず、先輩を幸せにしてみせます」


 と、胸に手を当てて、いつもの仏頂面で答えてくれた。


「……そっか」

「はい。やっと私の元に嫁ぐ気になってくれましたね」

「うるさいわ」

「そうやってじわじわと、私なしでは生きられない先輩に、調教していきます」

「いかがわしい言い方をするなと言ったろう」


 よかった……改めての俺の意思表示を、こいつも受け入れてくれた。


 ありがとう設楽。こんな、ダメ社員で何の取り柄もない俺を、受け入れてくれて。


 設楽への感謝を抱きつつ、お茶をすする。俺のお茶は茶柱こそ立ってないが、設楽のお茶と同じ急須で淹れられたものだ。いわば、茶柱以外は、設楽のお茶と同じもの。


 それがなんだか、俺と設楽の関係を表しているようで……確かに得意分野は違うが、互いに相手を必要とする同じ人間なのだと、言われているような気がした。それが妙に嬉しかった。


 なんて、俺が設楽と結ばれた喜びをじんわりと噛み締めつつ、湯呑みを置いて顔を上げたら……


「……」

「……!?」


 生まれて始めて見る……世にも奇妙な光景を、目の当たりにした。


「ニヘラぁ……」

「しだ……ら……」


 笑ってやがる……会社でも自宅でも、今まで仏頂面しか見せなかった設楽が、笑顔を見せてやがる……鼻をぷくっと膨らますだけでなく、口角を上げ、ニヘラァアアと笑ってやがる。


「お前……」

「なんでしょうか。ニヘラぁ……」

「……そんな顔で、笑う……のか」

「そうですが。何か問題でも? ……ニヘラぁ」


 問題……問題というか何というか……


「そんなキモい顔で笑うとは思わなかった」


 そう。猫顔で美人と言っても差し支えない設楽だから、さぞその笑顔は魅力的なのだろうと思っていたのだが……こいつは、笑わない方が正解だ。口角を上げ、ニヘラァアアと笑うその笑顔は、見慣れないせいもあってか、中々にキモい。


「失礼なっ」

「すまんな」


 俺の失礼な指摘を受けた設楽は、必死に顔を仏頂面に戻し、再度俺をキラキラと輝く眼差しでジッと見つめ始めたのだが……。


「……」

「……」

「……ニヘラぁ」

「……」


 その顔は、一度緩んでしまったら、元には戻せない仕様のようだ。設楽の顔は、再び緩んでキモい微笑みを見せていた。


「キモいぞ」

「ちくしょう」

「……」

「……ニヘラぁ」

「……」

「ニヘ……ニヘ……」


 そんな状態でも、設楽の鼻はずっと、ぷくっと膨らんだままだった。


 そしてよく見たら、設楽のほっぺたがほんの少し、赤くなっていた。


「……」

「ニヘ……ニヘヘ……」


 まさかそんなキモい笑顔を、魅力的に思ってしまう日が来ることになろうとは……そして、結婚することになろうとは……いやはや……。


 ……猫顔って、カワイイんだな。ニヘニヘとキモい笑みをこぼし続ける設楽が、俺には世界一可愛い女の子に見えた。


 終わり。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る