第2話 ロイドの依頼

「なんと嬉しいお言葉でしょう」


 顔を上げたロイドの眼は、再び輝きを取り戻ししたようで銀色の口髭に似合わない少年のような眼差しに思えた。


 ふとあたしの手が彼によって握りしめらている事に今になって気付いた――またもや祈る様な格好で。


――やっぱり、あたしって祈られてるのかしら?


 とどこか他人事の様に心の中で悪ふざけする自分がいた。今やですと云わんばかりの瞳の白髭はやや遅れてレディーの手を握っている事実に気がつき、慌てて両手をテーブルの下に引っ込めた。


「失礼。取り乱してしまいました……」

「……気にしないでいいですよ」

 と言いつつも、ロイドの慌てようが可笑しかったので思わず吹き出した。


「しかし本当に有難い事です。考えてみればそうですよね。アンさんはこちらの跡取りさんということですから……そうでしたか、ルーンスミスさんでしたか……」

 先程の照れをコーヒーで流し込みながら、後半独り言のようにそう呟いた。


――ズズーッ。あたしもここらでさっきの照れを飲み込んでおこう……ロイドのリクエストで濃いコーヒーだった事に気づきながら両手でカップをテーブルに置いた。


「しかし良かったのですかな?」

 コーヒーの水面から再びあたしへ向けた視線は真剣な面持ちに変わっていた。少年の様な照れはどうやら喉元を過ぎ去り、少年ではなく再び紳士がそこにいた。


「ルーンスミスというのはあまり公言しないものと思っておりました。貴女がルーンスミスである以前に、ルーンスミスの技術をこちらの工房で行っているというのは……その、お聞きしてはならないものだと、思っておりした。それで人目をはばかって手紙にてお願いしたという訳なのです……」


――なるほどそれで手紙か……如何にも慎重丁寧な貴族らしい……

 

 あたしは、ず、この商売の事をロイドに話さなければならないと思った。


「ルーン加工クラフトの武具は強力だものね……戦争の頃は、そりゃあもう目をつけられたわよ。只でさえ、ドワーフの鍛冶技術は優れてると評判だったしね。特にどこそこのご領主様だとか貴方がた貴族の――ああ貴方のだったわね……とにかく、特にウチは伝統もあるからルーンスミスの中じゃ有名だったのよ。でもそれも、おじいちゃんのおじいちゃんの時代の頃の話よ。別に隠してる訳ではないのよ? 武具こそめっきり作らなくなったけどルーンの加護かごほどこすのは今でもやってるしね……ウチでのルーンクラフトで一番依頼の多い商品ってなんだと思う?」

 あたしは両手のカップごしにロイドに目線で問いかけてみせた。


「ふむ」

 そう言いながらコーヒーを一口やるが、ロイドの首は傾げたままだった。少しして気付いたように工房の作業台に目をやった。


「先程の作っていらしたような農具でしょうか?」

 答えてみてはいるが、作業台から戻って来たロイドの視線はまるでわからないと言っている風だった。


 あたしは生徒に教える先生のように優しく答えた。

「それも作るけどわざわざすきくわにお金を掛ける人は少ないわよ? ルーン加工って結構手間なんだから……それなりにお代も頂くし……自分達でいうのもなんだけどマリウスじるしのルーン加工となるとやっぱり依頼人は限られてくるわよね」


 疑問の色が残るロイドの顔にあたしは答えた。


よ」


「はい?」


「祝福のルーンの加護を彫った婚約指輪エンゲージリングがここでは一番のルーン加工依頼なのよ? 笑っちゃうでしょ? ご先祖様もびっくりしているに違いないわ」


 あたしの質問の答え合わせが拍子抜けだったのか銀色の口髭も一緒になって笑っていた。


「武具とは程遠いですな」

「そうなのよ。笑っちゃうわよね?」

 聞いてはいけないタブーのように思い込んでいたルーンスミスの現状にロイドはホッとした様子だった。


 気の抜けた笑いの後、コーヒーのおかわりを持ってきながらあたしは付け足した。

「それにね、悪用というかね……あまり軍事では使われなくなっていったのよ。元々このルーン加工の技術自体が、ドワーフ族の自由への為の発明だったわけだし……」


 そこまで言ってあたしはハッとして話題を変えた、初めてのドワーフへの客に種族の暗い歴史は不適切に思えたからだ。


「……まあ乱暴な使い方をする人にはドワーフ鍛冶達は非協力的になっていったし。ドワーフ相手に攻め込む貴族達も居なかったしね。鉱山に好んで住むドワーフ鍛冶達の棲みかは、彼らにとって馬も使えない天然の要塞だったみたいよ?」


 大人しくコーヒーを啜る白髪の生徒にあたしは講義を続けた。

「それにこの技術。やっぱり秘術なのよ」

「秘術?」


 まるで模範生のようなその白髪の生徒は、あたしの欲しいを入れてきたので、あたしはますます調子に乗って工房の隅の展示用の鉄籠手ガントレットをとってみせた。


「見てこれ。ここの部分にルーンが彫り込んであるのがわかる?」

「ええ……」

「それからあの剣」

 やはり展示用の、今度はレプリカの剣を指差してあたしは続ける。

「刀身にルーンがあるでしょ?」

「ええ、付け根部分から大きく描かれてありますね」

「違いわかる?」


 あたしはまたもや生徒に尋ねる先生のように答えを待った。


「この籠手こての手首の部分の回りですか? 確かにルーン文字が彫られています。それに比べてあの剣の模様は浮き上がっている様ですな――なにか、あとから書いたというか、吹き付けた? 違いませんか?」

 あたしの手元のガントレットや向こうの剣を指差しながら生徒が答えた。


「確かに技法的に違うわね。このガントレットは一般的な彫り込み。剣の方は浮き彫りエンボス加工ね。刀身が脆くなるから剣にはあんまり彫り込まないのよ。エンボスルーンは高くつくけどね」


「それが秘術?」


「いいえ、あたしが言ってるこのガントレットとあの剣のルーンのは技法の事じゃないのよ」


 きょとんとする生徒にまた講義を続ける。

ってのはルーンの中身なのよ? あのルーンとこれとは全く別のルーンなのよ。素人にはわからないでしょ?」


 ロイドは何度も交互に二つのルーンを見比べたが、首を捻りながら言う。

「なるほど、そう言われてみても私には似たような模様の羅列にしか見えませんな……確かにこれは素人では判断つきますまい」

 と得心したようにロイドは手を叩いた。


「剣の方には、つまり切れ味を。ガントレットの方には、つまり耐久の加護を、それぞれ施しているのよ。さっき言った指輪には祝福の加護だったりね」


「なるほどなるほど」


 大きく頷くロイドを横目で確認しながら手元のガントレットのルーンを指差した。


「このルーンの見分けに一、二年。完璧な模写に二、三年。そして彫りや吹き付けなんかの加工技術の体得に早くても三年。最低でもそれくらいいるでしょうね、その上で数年掛けて技術を磨いていく……あたし達はそういった職人なのよね」


 あんまりロイドが聞き惚れるもんだから、あたしはさらにお喋りを滑らせた。


「後ね、実はね、このルーンは飾りなの」

「飾り?」

「装飾なの。ホントはただの模様なの。フェイクルーンって言ってね……本命はコッチ」


 そう言いながら、あたしはガントレットの裏側を中が光で見える角度でロイドに見せた。


「これが真のルーン。隠しルーンよ」


「あっ」と声をあげるロイドが面白くてあたしは得意気に続けた。

「これは戦時中の技術ね。戦いの中でルーン加工がへこんだり削られたりして落ちちゃうと加護がなくなるのよね。その事に気付いた騎士達はルーンを隠してくれと頼みだした。でもルーン装備は当時の貴族騎士のステイタスだったのでルーン模様は見せたかったらしいから、装飾として残したって訳――それがフェイクルーン。まあ実用と見栄をお金で買ってたのよね。こんな面倒臭い加工、あたしはごめんだけどね。これはひいおじいちゃんの作よ。今じゃ展示用でたまに磨くくらいよね」

 と肩をすくめるあたしの脇でロイドが関心そうに唸る。

「……確かにこれは一朝一夕で真似れるものではありませんね。お見それ致しました。私にはそのルーンの解読は到底できないでしょうなぁ……」


 うんうんと得意気に腕組みしてるあたしは途中でロイドの『解読』と言うセリフが引っ掛かりガントレットを元に戻して、ゆっくりと座り直した。


「ロイドさんあのね、ドワーフ達はルーン文字を読める訳ではないのよ?」


「なんと?」


 驚くのも無理もない、これまでのあたしの話振りだとドワーフ達は、いやルーンスミス達はさもルーン文字が読めるように自在に扱っている印象を受けただろう。


「――確かに剣にの加護。鎧にの加護を自在に彫り込んで来たけど……でもそれは、最初からそうではないのよ……」

 そう言いながらあたしはご先祖様が代々作り続けてきたルーン文字の武具の陳列を眺めていた。


「――ルーン文字は元はエルフ達が魔法を扱うのに使って来た文字。それに対抗してルーン文字をドワーフも真似たのがルーン加工のはじまりなのよ」


「……『ヴェルントスミスのつるぎ』ですな?」


 ドワーフ以外からその言葉を初めて聞いたあたしは驚きを隠せなかった。

「よくそんなドワーフ族のおとぎ話を知ってるわね!」


「『エルフとの戦いの中、ドワーフ達はルーン文字を手に入れたがエルフのように上手く詠唱を発音出来ず魔法の素養もなかった結果、ルーン文字をつるぎに宿してエルフを追い払った……』確か、そんな話でしたな?」


「……ええ、その通りよ……」

 一瞬言葉につまったが、ロイドのおとぎ話に捕捉した。


「そのヴェルントスミスのモデルこそ、あたしのご先祖様、マリウス工房の始祖ヴィーラント1世よ。そのつるぎに施されたのが今で言う〈剣の加護〉のルーンね。あれとおんなじよ」

 あたしはさっきの展示の剣を指さした。


「確か、を与える。でしたね?」


「そうよ。それが〈剣の加護〉。もっともあれはレプリカだから正確には〈剣の加護〉よ。本当の配列で描いたら、触ったとたん指を落とすらしいわよ?」

 あたしが肩を竦めておどけて見せると、ロイドは下手な苦笑いだけを返した。


「剣の加護、盾の加護。あたし達はご先祖様が思考錯誤で見つけただけを知ってる――それも膨大なね。ご先祖達もあたし達もルーン文字を読める訳ではないの。あくまでも決まった加護のルーンを描いてきてはそれを後世に伝承してきたのよ。そしてその膨大な伝承そのものがあたしたちルーンスミスにとっての秘術なのよ」


 言葉の意味をあたし自身噛み締めながら、ゆっくりとコーヒーを口にした。

 ロイドも、感慨にふけっているあたしに感化されたようにルーンソードのレプリカを見つめては同じ様にコーヒーをすすった。




 しばらく耽っていたあたしはさっきのロイドの言葉を思い出した。


「それにしてもロイドさん。よく『ヴェルントスミスのつるぎ』なんて知ってたわね。それドワーフ族のおとぎ話で――」

 と、そう言いかけたとたん、カタンとカップを置いたロイドが神妙な面持ちで切り出した。


「我が主は……」


 ロイドの真剣な表情にあたしは言葉を飲み込んだ。


「我が主、ヘックス様はルーン文字の研究をなさっておいでです。先程のおとぎ話はヘックス様が気まぐれで語って下さった事があったので知っておりました」


 その言葉にあたしはロイドの来訪の目的を思い出した。

「そうだわ! そのヘックス様よ! そもそも田舎娘のあたしが言うのもなんだけど、あんまりお聞きする名前じゃない気がするわ。こう言っては失礼になるのかしら?」


 ロイドは椅子の上で姿勢よく話した。

「あまりお聞きおよびでない事と私も理解しております。公爵と申しましても、あくまでも身分上の話でヘックス様が治める領地は『霊峰れいほうアクス=アラ』。実質上は辺境伯なのです」


「アクス=アラなんて誰も住んでないんじゃないの!?」


――そうあんな寒いだけの山、誰が好き好んで行くもんですか、ましてやそこに住む人なんて……


 ロイドの言葉があたしの思慮に被さってくる。

「そうです。領民はほぼ居ません。ヘックス閣下だけがあの山にいらっしゃいます」


「あんな所にお一人で?」


「城の者は居ます。ですがヘックス様としては気が楽で大変いいそうなのです」


「でも王様の親戚でしょ?」


「ええ、それ故に公爵です。ですが親族の血統から言っても王位継承権とは遠い方ですし……いきさつは色々あるのですが、ヘックス様ご本人自ら望んでいらっしゃっての事なのです。そこで閣下はルーンの研究をなさっておいでなのです」


 コーヒーを啜りながら、あたしはロイドの口から次々と出る言葉に頭を整理しようとした。


――そう言えばって言ってたっけ――なるほどパパが道楽貴族と言うからには変な依頼だったんでしょう………


「そうだわだわ!」


 依頼の事をさっきまで忘れていた。


「その辺境伯の変わり者のヘックス様が一体パパにどんな依頼をしたって言うのよ?」


「手紙をご存じだと仰ってたかと……」


「あたしは届いた手紙をパパに渡しただけで、パパは読んですぐ破いてしまったもの――中身は知らないわ。『道楽貴族の変な依頼だから気にするな』って言われたし……」


 またコーヒーを味わいながら、あたしはその時の記憶を辿っていた。

「そう言えば、なんだか怒ってる風だったわ」


――パパが破り捨て、わざわざ辺境伯が使者を寄越す依頼っていうのは一体なんだったのかしら……


「ねえ。ヘックス様の注文は結局なんだったの?」


「銀の靴です――それもミスリル銀の」


「へ?」

 とたん指の力が抜け、あたしのカップはあと三口程度のコーヒーを残し手から滑り落ちた。テーブルのコーヒーの水溜まりに眼もくれずあたしはロイドを見つめていた。



「――ミスリル銀の靴です」



 思いがけないロイドの返事にあたしはただただ固まったままだった。

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