~第5章 大陸横断飛行編~
第98話 シルフの世界
「うん。南南西の風、追い風良好。湿度はまあまあ、マナはぼちぼち、気分は上々。ってとこだな!」
空飛ぶ箒の上で真っ直ぐ立つベイゼムは、帽子を押さえながら笑い掛ける。
「よーし、イダテンマルも慣れて来たみたいだし、そろそろ走るか!」
「え?」とあたしは箒を握りしめたまま、見上げる。
「うん。アンちゃん、そのまま顔上げといてくれ、フーガの前に、ガレア掛けとくからな!」
身をよじって振り返るベイゼムに聞き返す。
「え? フーガ? ガレア? それに走るって?」
――ん? フーガ?
「そう言えば、ミトも『フーガ』って魔法を使ってたっけ?」
――確か、お化け積乱雲から逃げる時に……
「おいおい、俺のフーガは、あいつのとは次元が違うっつーの! この箒の名は『隼のイダテンマル』……隼より速い生き物はこの世に存在しねえんだ。ミトのフーガは最速でも150ミロ/ノルン……俺のは、その倍は超えるぜ?」
「え? ミロノルン? 結局フーガって何なのよ?」
「あー……」と頭を掻きながら彼は、訳のわからない説明をする。
「ま、フーガってのは走るやつで、ガレアってのはアルマ系の一つでフーガでも大丈夫にするやつさ」
「はあ? そんな説明じゃ、わかんないわよ?」
「いやあ、フクロウ女と違ってさー、俺って、こういう説明は、超苦手マルなんだ……ま、やってみりゃわかるさ。とりあえず、俺の目を見てくれ! 自分に掛けるのと違って、人にガレアを掛けるのは、目を見ないと出来ねーからさ!」
「わ、わかったわ。目を見ればいいのね?」
「ああ、そのまま、そのまま!」
そう言うとベイゼムは、あたしの顔に突き出した人差し指で、五芒星を宙に描き、詠唱を始めた。
「さあ、風よ、こいつを守れ! その目も口も、しっかり、ちゃんとだぞ! 大気の兜、包め!『ガレア』!」
最後の呪文の所で、やはりパチンと指を鳴らした。
瞬間、あたしの顔の周りを、柔らかな風が、ふんわりと包み込む感じがした。
風の塊に包まれたとたんに、肌に吹き付けていた、冷たい冬の風の感覚が消えた。
――大気の兜? 確か、今そう言った?
「こいつが『
――顔を守る魔法……つまりミトのゴーグルや帽子とおんなじだ!
「これも風の魔法なのね?」
「ま、そう言う事」とベイゼム自身も顔の側で、またパチンと指を鳴らす。恐らく、自分にもガレアを掛けたのだろう……。
ガレアのお陰なのか、ベイゼムは押さえていた羽根付き帽子から手を離していた。
「息すんの、楽になったろ? これで飛ばしても目え開けてられる筈さ!」
そう言って、彼はまた腕組みのまま、真っ直ぐ前方を見つめる。
「よっしゃ、走るぜ、
呪文の所で、今度はカカン。と二回、踵を箒に踏み鳴らす。
「さあ、俺たちの時間だ。隼のイダテンマル! はっしれー!」
二本立ちだったベイゼムは、今度は横向きに立ち、箒の柄の上で前後に足を開いて、両手を広げる。
「イーヤッホーッ!!」
箒は走る、どこまでも。
自由に羽ばたく鳥の様に、悠然と。
ベイゼムの箒は、本当に楽しそうに空を駆ける。
下を見下ろすと、木々や川が物凄い勢いで過ぎ去っていく。
木を真上から見下ろす事なんかないあたしは、その風景に最初面白がっていたけど、すぐに気分が悪くなって、下を見るのはそれきりやめにした。
「はっはっは! 慣れない内は酔うぜ? やめとけ、やめとけ! それより、空さ! もっとこの空に溶け込むんだ! どうだ? 気分は雲か鳥だろ?」
その言葉に、箒の前方へと顔を上げる。
あたしの体も心も吸い込まれるように、目の前の青に溶けていくみたいだ。
――これが、箒乗り――これが風の申し子達の世界……
「ようこそ、
疾風のベイゼムが不敵に笑った。
「本当の風使いは空を恐れない。本物の箒乗りってのはなー、『空を飛ぶ』んじゃない! 『空になる』のさ!」
そこまで言って、ベイゼムはあたしの体を見て、何かに気付いたかの様に口を開く。
「おっと、いっけねえ! いつもの癖で自分には、掛けねえからなー、わりい、わりい。俺は風を感じてたいからな!」
そう言うとまた五芒星を描いて詠唱する。
「風よ、アンちゃんを守れ! 身を切る全てから! 大気の鎧、包み込め!『アルマ』!」
やっぱりパチンと指を鳴らす。今度はあたしの胸の前で――。
ガレアの時と同じ様に、あたしの体を風の鎧が包み込む。そのお陰で、さっきまでバタバタとはためいていた服は静かになる。
「ま、アンちゃんは初心者だし、一応、『
そして、箒の前方に向き直り、
「風よ、守れ! 全てを弾く力となれ! 大気の盾、防げ!『スクートゥム』!」と正面の空に指を鳴らす。
驚いた事に正面に作られた風の壁のお陰で、空気の抵抗は、もう完全に感じなくなっていた。
「凄いわね……貴方ってホントに風の魔法のプロフェッショナルみたいなのね……」
「だから言ってんだろ? 俺は『疾風のベイゼム』! 超天才マルだってな!」
にかっと歯を見せ天才風使いは鼻を擦る。
「もうちょい慣れれば、アルマなんて勿体ねー事しないで、風を感じた方が気持ちいいんだけどな……ま、最初は景色だけでも堪能してくれよ!」
体に余裕の出来たあたしは、辺りをぐるりと見渡す。
どこを見ても、青、青、青――。
果てしなく広がる空だけがそこにあった。
「どうだ? 空を独り占めしたみたいな気になるだろ?」
「ええ! 不思議だわ……なぜだか、とっても自由な感じ――これって、贅沢な気分よね?」
「はは! 贅沢かー! 違いねー! な? 飛ぶってさいっこうに楽しいだろ?」
――そうか! あたし、今楽しんでるんだわ! この空を!
「ええ! さいっこうよ!」
見上げた上空の、煌めく太陽に向けて、あたしは手を伸ばす。
――天国のママが居るなら、この上かもね……
なんだか、今にも太陽に手が届きそう――そんな気がして、眩しさに、つい片目を閉じる。
天気は快晴。
風向きは南南西。
気分は上々――いや、風の空中散歩は最高だ!
――天国のママ。あたしは今日、シルフの世界に来たみたい!
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