第99話 風の谷越え

「なあ、アンちゃん? ちょっと気になってたんだけどよお」


「え?」


「そのリュックさ。一体、何が入ってんだあ?」


「ああ、これ……」とあたしは背負っていたリュックを抱き抱える。


「これは、あたしの仕事道具を詰めてるのよ?」


「仕事道具う? ああ、鍛冶職人だっけな、確か……」


「そうよ。ええとね……」とあたしはリュックの中を覗き込む。


「木槌に金槌――ハンマーが全部で大小、五本でしょ。それから奴床ヤットコもサイズ別に四つ。彫金用のタガネが三つ――あ、一つはダイヤ製ね。それから木工用のノミが三本。あと、仕上げ用のヤスリもいくつか。一応、携帯用の足踏みフイゴと、あ、マリウス工房のオリジナルブレンドの鍛接材。あんまり使わないけど、炭切り用の斧もね。あ、大丈夫よ? ちゃんと革のカバーにしまってあるから! あー、これ! おじさんのとこで貰った刻印! そう言えば、おじさん元気にしてるかなあ……」


「おいおい、ちょっと待てよ。そんなに入れてんのか?」


「ん? えーとね……そうね、まあ、いつ何どきでも、作業が出来る様にと、一式詰めて来たからねえ……ああ、あとはこれ! 防寒用のこのローブに付けるモコモコのフード! ふふ、いつもグレイマンの布団にされてたっけ……」


「ちょ、ちょっと、それ貸してみろ」とベイゼムは手を伸ばす。


「それ?」


「そのリュックだよ!」


「え、これ結構、重いわよ?」


「いいから!」


 そう言われて、あたしはリュックを手渡す。


「うおっ! 重っ!」


 ガクン。と箒の前方が沈む。


「だから、重いって――」


「こんな超重量マル引っ提げて、アンちゃんよく涼しい顔してたなあ……」とベイゼムはリュックを突き返す。


「鍛冶職人は力仕事なのよ? このくらいで音を上げてちゃ、話にならないわよ」


「いやー、ドワーフってのは力持ちってよく言うけど、ありゃホントだったんだなあ……」


「やあね……これでも非力な方よ? 純血のドワーフはこんなの荷物の内にも入れないんだから!」


「冗談! 箒乗りからすりゃ十分な荷物だぜ?」と手ぶらのベイゼムは肩を竦める。


「しっかし、道理で重い筈だぜ。二人乗りの所為だとばかり思ってたけどよお……」


「道理で?」とあたしはまたリュックを背負う。


「久しぶりの二人乗りだから仕方ねーか、とは思ってたんだけどな……さっきから、マナの消耗が激しいんだよ……」


「え?」


「言ったろ? 俺のフーガはミトの倍以上だって? 本当はこんなもんじゃないんだぜ? あとな、多分、アンちゃん。風の才能ねーわ。まるっきしの駄目駄目マル!」


「ええー! あ、いやいや、そりゃあたしは魔法使いじゃないもの!」


「いや、それでもさ! えーっとな、今、アンちゃんは俺のマナを流し込んで、イダテンマルに馴染む様になってんだけどよお。風の素養があれば、もうちょい少ないマナでコントロール出来るんだと思うんだ……なんつーか、こう、重いんだよ……上手く、言えねーけど……なあ、ひょっとして、アンちゃん土属性じゃねえのか?」


「土属性?」


「ああ、反属性カウンターエレメントつってな、風の反対が土属性なんだな。魔力に目覚めてないにしても、潜在的に土属性の人間ってのは、風と相性悪いからなあ……」


――風と相性が悪い?


「ねえ、もしかして、王都まで時間掛かっちゃうの?」


「ん? そっちは心配ねえよ! 本気さえ出せばな!」

 とベイゼムは親指を立てる。


「ただ、流石に昼飯食ってねえからなあ……」


 その時、下から冷たい風が吹き上げる。


「きゃあっ!」


「わりい! ちょっと風の鎧アルマが弱って来たなあ……」

 腹ペコ魔法使いがおどけてお腹を押さえる。


「もう! ベイゼムさんたら!」


「はは! わりい、わりい! それとな、アンちゃん。『ベイゼム』で十分だぜ? 俺、気を遣われるの超苦手マルなんだ、土属性のアンちゃん!」


「わかったわよ! 意地悪ベイゼム!」

 とあたしもふざけて返す。


「いいぞ! その調子だ! 楽しい気持ち忘れんなよ? たとえ土属性でもエルフの血が流れてんだ、アンちゃんのマナもしっかり飛ぶ力になってくれる筈さ! 特にここいらは臆病風に飲まれると余計に駄目さ、風使いにとっちゃ鬼門とも言える場所だからな!」


 そう言ってベイゼムは、冷たい風の吹いて来た、下を指差す。


「別名、『風食いの谷』。この大陸の大地の裂け目とも呼ばれる不気味な場所、『キネオフ渓谷けいこく』さ!」


 指差す先に、目をやると――


 そこには、どこまでも真っ黒く底の見えない、不気味な、そして地平線まで長く伸びた谷が、大地を大きく割る様に、すっぽりと口を開いていた。


「本当に大地の裂け目だわ……」


 正にその名の通りとも言えるそれは、ヒュローンと、谷にぶつかる風が不気味な音を立て鳴いていた。


「飲まれるなよ? この谷は風を飲み込むって言われてんだ。風だけじゃなく、心まで飲んじまう、人を惑わせる超厄介マルな谷なんだ。正直、俺も超苦手マルなんだけどな……」


 苦笑いで強がって見せるが、ベイゼムの顔は少し強張って見えた。


「大丈夫? 顔色悪いわよ?」


「昔っから、ここ駄目なんだ……ああ、ちくしょう。谷底なんて覗くんじゃなかったぜ」


 ぶんぶんと首を大きく振って、ベイゼムは自分の頬をパンパンと叩く。


「俺は風、俺は風、自由な風、誰にも止められない俺は風。飲まれやしないぜ、俺は……俺は『疾風のベイゼム』だ! よし!」


 気合いを入れ直したベイゼムは腰に両手を当て、背筋を伸ばし、すうーっと息を飲む。


「食えるもんなら食ってみやがれ! 風食いの谷! 最大風速!『マキシマム・フーガ』!」


 カカカン、カン。と踵で箒を踏み鳴らす。


「しっかり掴まれ、アンちゃん!」


 と叫んだかと思うと、


――ブオオ。と箒の穂先から轟音が聞こえる。


 そう思った刹那には、


――ドオオオン。と猛スピードで箒が突き進む。


「イヤッホーウッ! やっぱイダテンマル、お前は最高だぜ!」


 風になれば、風になる程、ベイゼムは空を楽しむ様だ。


 さっきまでの不安そうな様子はもうない様だ。


「わりい、ちょっとアルマ弱ってるけどよお。この際だ、アンちゃんも風になれよ!」


「ええ! 望むところよ!」


「そうか、じゃあ、ちょっと俺のワガママに付き合ってくれよな!」


 そして、横向きに立っていたベイゼムは、足をぐっと屈む様に折り曲げ中腰になる。その拍子に箒は高度を下げる。


 まるで、谷底に挑戦するか様に、ベイゼムは谷の上すれすれを滑り走る。


――ヒュローン。と谷が鳴く。


「そーら! こっちさ!」と臆病風を跳ね返す風使い。


 下から吹き上げたかと思えば、今度は吸い込む様な風。


 谷の底では、見えない風が臆病者を吸い込もうと手招いてる様にも思えた。


「無駄無駄! 俺とイダテンマルを吸い込めやしねえってーの! 飛ぶのは楽しいんだからな!」


 もうベイゼムは下を見ない。


 彼が見るのは、ただただ前だけ。


 空と大地と、楽しい楽しい風の世界――。


――あたしも楽しまなきゃ!


「あはは、貴方ってホントに飛ぶのが好きなのね? 飛んでる時が一番貴方らしいわよ、ベイゼム!」


「サンキューなアンちゃん! アンちゃんの前向きな精神も、ちゃーんとイダテンマルに乗ってるぜ? さあ、楽しもう! 風の谷越えをよお!」


「ええ!『疾風のベイゼム』!」


 あたし達は、笑いながら、『風食いの谷』を飛び越えた。

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