第100話 箒のワルツ

 風食いの谷を越えたあたし達は、更に東へと箒を走らせる。


「もうすぐ、ミルキーサンズだ! アンちゃん、ちょっと靴脱いでろよ!」


「靴ー?」


「ああ! もひとつ楽しい事を教えてやるからよお!」


 そう言ってベイゼム自身も早々に靴を脱ぎ、靴を紐で箒の柄にくくり付けるとそのままぶら下げる。


 あたしも真似してぶら下げる。


「この先は、エファトナつってな。別名『魅惑の町』さ。その南、少し遠回りになるけど、俺のお気に入りの場所に、ちょっとだけ寄っていくからさ!」


「遠回り?」


「ほんの少しさ! でも、俺にとっちゃ重要マル。空の旅は楽しまなきゃ! だからな!」


 器用に後ろ向きで立つベイゼムは、子供みたいに笑って親指を立てる。


「ちょっと! ベイゼム! 前、前!」


 低空飛行の箒は、そのまま木の枝めがけて突っ込む。


「痛ってー!」とベイゼムは後頭部を押さえて前屈みになる。


「もう! ちゃんと前見ないと!」


「ちぇー。いつの間にか、風の盾スクートゥムが剥がれてらあ……」と頭をさすり、そのまま後ろ向きで箒に跨がる。


 ぶつかった拍子で、箒の速度は緩やかになっていた。


「ぷっ。あははは! ドジな天才箒乗りね?」


「へへ。な? 楽しいだろ?」


「ええ」とあたし達は、また空飛ぶ箒の上で笑い合う。


「お? いいもん見っけ!」とベイゼムは後頭部についた二枚の葉っぱを手に取る。


「葉っぱ?」


「ただの葉っぱじゃない。風の贈り物さ!」

 とベイゼムは木の葉を一枚口にあてがった。


――ビーッ。と葉っぱが彼の口元で音を立てる。


「草笛さ。森がくれる天然の楽器。俺、これ得意マルなんだ!」

 そう言って、もう一枚をあたしに寄越す。


 フー。と吹くが、そんな音は出ない。


「いいか? こうさ」


――ピーッ。と今度は高い音が響き渡る。


「上手いのね……」


「昔、親方に教えて貰ったんだ。草笛が上手いとシルフに愛される。ま、迷信なんだけどな。昔は信じて練習したもんさ!」


「こう?」


 今度は強く吹き付ける。が、やっぱり音は鳴らない。


「ほっぺたは膨らませちゃ駄目なんだな。そうだな……チェリーとか果物の種を遠くへ飛ばす遊び。子供の頃、よくやらなかったか?」


「あ! やったやった!」


「あの要領さ。葉っぱはな、下唇にこうやって二本指で押さえつけんだ。で、上唇と葉っぱの間で音を鳴らすんだ。見てな」


――ピューッ。


 あたしも真似する。


――ビビー。


「あ!」


「その調子! アンちゃん才能あるじゃん! これミトやフクロウ女に教えても、全然出来ないんだぜ?」


「ふふ。あたしもシルフに愛されるかしら?」


「いやー。土属性は門前払いだろうな……」


「もう!」


――ピーッ。


「あ! ちょっとコツがわかったわ!」


「いい感じじゃん! 慣れるとこういう事も出来るんだぜ?」


 そう言うとベイゼムは、ピッピッピー。と間抜けなメロディを奏で始めた。


「もう、何よ、そのへんてこな音楽は!」と笑う。


「へへ。俺のオリジナルさ。題して『箒のマーチ』。なんつってな」


 そしてベイゼムは、体をよじって箒の前方に目をやる。


「さあ、見えたぞ。あれが『ミルキーサンズ』。世にも不思議な“白い砂漠”さ!」


 低空飛行の箒の目の前に広がるのは、真っ白な――


――砂の砂漠。


 白い砂が、風のお陰で、模様をかたどり、まるで、ミルクを上から掛けた様なクリーミーな白い砂漠がそこにあった。


「白い砂漠! なんて素敵!」


「だろ? 俺のお気に入りの場所なんだ!」


「こんなの初めて!」


「ありゃ、雪花石膏アラバスターつってな。石膏せっこうで出来た砂丘さ。長い年月を掛けて、風で風化した石膏が白い砂となり、広い砂漠になっちまった。俺達エルフはいたずらシルフがこぼしたミルクに例えて『ミルキーサンズ』って呼ぶようになったんだ。ま、風が起こした偶然のいたずらって意味では、あながち間違っちゃいねーんだけどな!」


 そしてベイゼムはぐっと顔を寄せる。


「で、とっておきの楽しみってのがな! 実はこの砂漠、真夏でも裸足で歩いても熱くねーんだ!」


「え?」


「石膏ってのは、熱を通しにくいみたいでな。この砂の上は裸足でも熱くねーのが、また魅力の一つでよ――」


 そう言って、ベイゼムは背を向け、前向きに跨がり直した。


「こうやってな、足つけんのが、また、楽しいんだぜ」


 ぴーんと伸ばした素足のまま、箒はまた一段と高度を下げ、白い砂漠にベイゼムは足を突っ込みながら滑り走る。


「ひゅー! さいっこう! さあ、アンちゃんも!」


 あたしも、恐る恐る足を砂につける。


 サラサラの白い砂があたしの足を滑り抜けていく。


「気持ちいいー!」


「な?」


 やさしく滑空する箒の上で、不思議なミルク色の砂の丘を、あたし達は裸足でかき分けていく。


「何、これ。面白ーい!」


「楽しいだろー?」


「ええ! とっても! ベイゼム、貴方って楽しむ天才ね!」


「いや、超天才マルだぜ?」


「ふふ。そうね、超天才だわ!」


 そしてベイゼムは、ピッピッピーッ。とまたも草笛で『箒のマーチ』を奏でる。


 あたしも負けじと、ビビビッ。と合わせる。


「お! 上手いじゃん。さっきより断然、音が出てるぜ?」


「ふふ。なんだか気分が乗って来たわ!」


「そうそう、その感じ! イダテンマルも喜んでるよ!」


 ベイゼム程ではないが、気付けばあたしもすっかり草笛でメロディーを吹ける様になっていた。


「いいね、いいね! じゃ、こういうのはどうだ?」


 箒を掴んだまま、ベイゼムはミルク砂漠の上に飛び降りる。


 タンタンタン。と器用にステップを踏みながら、箒と並走するベイゼム。


 リズミカルなステップで、少し箒を浮かすと、あたしの真下で左右の手を交互に箒を掴み直しながら、くるりくるりと彼は舞う。


 そうして、空飛ぶベイゼムは砂のミルクをかき混ぜる。


 器用に、リズミカルに、そして楽しげに。


「じゃあ、こういうのは?」とあたしはメロディーを変えてみせる。


 昔どこかで聞いたメロディー。氷上の舞い、熟練スケーター達が優雅に踊る時のメロディー。


「お! そりゃ何だ?」


「ワルツよ? はい、1、2、3。1、2、3!」


「なるほど、こんな感じか?」


 1、2、3。1、2、3。とベイゼムはあたしの草笛に合わせてワルツを舞う。


 今度は、またぐっと箒の高度を下げると、まるで箒をエスコートするようにベイゼムはワルツに合わせたステップを舞う。


「貴方、ダンスも上手いのね!」


「音楽も要は風さ! こういうのは楽しんだモン勝ちさ!」


 あたしの頼りない草笛のワルツをベイゼムは華麗に踊ってみせる。


 ベイゼムはまるで舞踏会の様に、箒の前方を伸ばした右手でエスコートしながら、残りの左手で、あたしごと箒をぐっと腰まで引き寄せ、くるくると箒と一緒に踊る。


 あたしはそのまま草笛を吹きながら、裸足の爪先でミルク砂漠をかき混ぜる。


 1、2、3。1、2、3。とあたし達は踊る。


 風のメロディーに合わせて『箒のワルツ』を――。

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