第96話 エメラルドキッス

 あたしを王都へ送ってくれると言うベイゼムよりも一足早く、ミトはグレイマンをノジェーロの森に連れて行く事となった。


 ミトの本来の目的、リトスからワイン代の小切手をちゃっかりと請求したのには、皆して驚いた。


――よく、あの話の後で覚えていたわね……


 そして、今度はグレイマンの当初の目的。


「そうにゃ、リトちん。前にくれた、あのラズベリーチョコのお店を教えてくれにゃ! アズアズにお土産を頼まれてるのにゃ」


「ラズベリーチョコ?……あー、そう言えば、前に買ってったわね。そっか、アズちゃんはラズベリーが大好きだったもんねェ……。でも、それなら、そこのミトの方が詳しいわよォ? あれはココのチョコだもの……。ねェ、ミト。アンタ、ココと友達でしょォ?」


「えー。それは彼女が勝手に言ってるだけだよー……ま、彼女の作るチョコはボクも好きだけどさ……。彼女は苦手だよー……」


「ねえ? グレイマン。そう言えば聞きそびれてたけど、結局、チョコって何なの?」


「チョコはチョコにゃ! チョコレートの事にゃん。甘くて美味しいお菓子だにゃん!」


「え? チョコレート? チョコレートって今で言うココアでしょ? そもそもあれは飲み物じゃない? 元は貴族達が飲む嗜好品の…… 」


「アッハッハ」と先生が吹き出す。


「そう言えばそうだよね。ここに居るとつい忘れがちだが、元々は貴族の飲み物だったわね」


「確かに……。セレナでチョコと言えば、もうチョコレートキャンディの事だわねェ……」


「チョコレートキャンディ?」


「ええ。固めたチョコレートよォ。ココ・イレダリーって魔女が作っちゃったのよォ。自身をチョコレート職人『ショコラティエ』と名乗ってるおかしな魔女よォ?」


「ショコラティエ?」


「ええ。チョコレートの魔女ココはオクシーに居るわ」


 リトスの言葉にあたしもグレイマンも声を上げる。


「オクシーだったの!?」「オクシーだったのかにゃ!」


「なんだ伯爵、ココのチョコが欲しければ、あの時ボクに言ってくれれば早かったのにー。ココのチョコレート工房はピアの波止場のすぐ近くだよ?」


――とんだ遠回りだったわけね……


「ニシシ☆ まあ、どっちにしてもノジェーロまでの通り道だよ。ワイン代金を届けにボクも一度、アルキューラに戻んなきゃだしね☆」


「にゃんこ伯爵、イレダリーチョコならミント味も人気よォ? ほら、アズちゃん、ミントも好きだったでしょォ?」


「にゃはは、リトちんありがとにゃん。アズアズきっと喜ぶにゃあ!」


「むー、伯爵。ファラーシャ様に会うの忘れてない?」


「だ、ダイジョブにゃ、わ、我輩ちゃんと覚えてるにゃ!」


――忘れてたわね、この気まぐれ猫……


「それよりグレイマン、貴方お金持ってるの? 今まで気にして来なかったけど……」


「にゃあ……オハディーの領主に失礼にゃん! 我輩、ちゃーんとアズアズからおつかい用のお金も貰ってるのにゃん」


 そう言って猫は首輪の隙間を前足で示した。


「そんな所に……」


――っていうか、おつかいって……オハディー領主におつかいさせるあの森の魔女も相当なものよね……



***



 灯台の窓辺で箒に跨がるミトと、その肩に乗る猫をあたし達は見送る。


「ねェ、ミト。帰ったらアイズに伝えておいてちょうだい。最高のワインだったとね!」


「ニシシ☆ 海越え、山越え、貴方にお届け☆ この度は、『オクシーの赤い宅急便』のご利用誠にありがとうございました☆ 『ノジェーラ・アルキューラ』は貴方のご注文をいつでもお待ちしておりますよ☆」


「はいはい、ありがとね、とんがり帽子のミト」とリトスは笑って返した。


「暴走女に振り落とされないようになあ、ケットシー!」


「にゃはは、自信にゃいにゃあ……」


「大丈夫。今回は嵐便じゃないから、平気だよ☆」


 そして、あたしも見送る。


「ミト。貴女には苦情を沢山言いたかったんだけど――」


「ええー!?」


「でも、それは許してあげるわ! あたし、ちょっとだけ嵐が平気になったかも……」


「ニシシ☆ また、いつでも乗せてあげるよ☆」


「それだけはゴメンだわ!」


 とあたし達は笑い合う。


「とにかく、ここまでありがとう。アイズさんやキューさんにもよろしくね」


 そして、赤い箒の魔女は、ウィッカのおまじないのタトゥーの左目でウインクする。


「迅速、丁寧、おまけに可愛い!『オクシーの赤い宅急便』、ミトラー・スクーパ。アンちゃんとの配達、楽しかったよ☆ ボクとこの『星屑のヴィヴァーチェ』! 忘れちゃヤだよ?」


「ぷっ。どうやって忘れろっていうのよ?」


「ニシシ☆」とまたとんがり帽子はいつもの様に笑う。


「じゃあ、グレイマン。気をつけてね! フィアンセさんに会ったらオハディーに戻るんでしょ? アズアズフィーフィによろしくね!」

 そう言ってあたしはグレイマンを抱きしめる。


「にゃあ……アンちゃん。我輩達、ずっと友達にゃあ」


「ええ、もちろんよ。あたし達最高のコンビだったじゃない!」


「アンちゃん……ミスリル探し頑張ってにゃあ……」


「うん」


「我輩が居にゃくても、しっかりにゃ」


「うん」


「寂しくても、独りで寝るんだにゃ」


「うん」


「あと、食べ過ぎにも注意にゃ」


「うん……」


――なんか、全部グレイマンの事の様だけど……


「きっとまた会おうにゃ」


「うん」


「シャルウェリン公に会っても、負けにゃいでにゃ」


「うん?」


――ん?


「ちょっと待って、グレイマン! 貴方、へックス様に会った事があるの?」


「にゃ?」


「負けないで。って何よ?」


「にゃあ……我輩も貴族だにゃ」


「ええ、伯爵だったわね……」


「シャルウェリン公は何度か王都で見た事があるにゃあ。毎年、諸侯が集まる新年の席で見かけるにゃ。話した事はにゃいけれど氷のように冷たい感じのするひとだったにゃ……母親と違ってにゃ……」


「母親?」


「先代のシャルウェリン公、『くれないのルヴィ』は、元々は、オハディー出身のエルフにゃあ。今のオハディーの街の『宝石の石造り』を作ったのは我輩の父上とルヴィにゃんだにゃ」


「あの五角形の石造りの事?」


「そうにゃ。炎魔法の得意なルヴィは情熱家で、とても気さくにゃ魔女だったにゃあ。娘の方は、全くの正反対。聞いた話では今のシャルウェリン公は氷魔法が得意にゃ冷血にゃ魔女だそうだにゃあ……我輩も怖くて近づけにゃい雰囲気の人だったにゃあ……」


「氷? 水じゃないの? 確か、アズアズフィーフィはヘックス様の事を水属性が得意って言ってたわよ?」


「その通りだにゃ。水属性と風属性を合成して氷の魔法が生まれるのにゃ。水も風も操れる――それが氷使いだにゃあ」


「そうなの?」とあたしは天才風使いの顔を見る。


「ああ。俺に水の素養はねーが、風も水も使えるとなると、氷を使えるなあ。生まれつき多属性を使えるエルフの事をハイエルフってんだけど、エルフの貴族の家系にゃ、そういうのが多いらしいな。ま、公爵様はハーフエルフらしいけど、俺も会った事はねーからなあ……」


「辺境伯は氷使いで有名だよ。ボクも同じく会った事はないけど、氷のような冷たいお方で、あの雪山から滅多に出ない変わり者だってノジェーロの長老達が噂してたよ? 氷使いではアルキューラのアイズ様も怒ると怖いけど、何せ、あの霊峰アクス=アラに好んでこもってるお人だからね。アイズ様以上の氷使いなのは間違いないよ、なんてったってエルフの長だからね……」


「あたし、てっきり、癒しの水属性が得意な、愛情に溢れた優しい女性だとばかり思っていたわ……」


「辺境伯は、別名『冷血公女』よォ? 見た目は、背筋が凍る程美しい女性らしいけど、まだ幼い内から両親を亡くし雪山の上のお城で孤独に育ったらしくって、愛情を忘れた氷の血の持ち主だとか……アタシも、お客の貴族からそんな話を聞いたわねェ……」


――冷血公女様。それがあたしの依頼人……


「怖い人なの、かな……」


「にゃあ、アンちゃん。負けにゃいでにゃん!」


「おいおい、依頼人に怯えてどうすんだよ? 職人てのはどーんと構えてればいいんだってーの!」


 ベイゼムに背中をバシッと叩かれて、あたしはハッとする。


――そうだ。ドワーフ鍛冶たるものしっかりとお客を見極めなきゃ!


「ごちゃごちゃ考えてねーで、会ってみりゃ解決マルだろ?」


――その通りだわ! 会えばわかる! むしろ、会わなければ、この依頼を見極められない!


「大丈夫よ、グレイマン! あたしは超一流のドワーフ鍛冶なんだから!」


「にゃあっ! アンちゃんはマリウスだったにゃん!」


「あっ! 忘れるところだったわ」とあたしは、またグレイマンに寄り添う。


「にゃ?」


「最後の補充よ」とあたしは目を閉じながら、エメラルドとエメラルドでキスをする。


 あたしの胸元のエメラルド――〈旅のブローチ〉と猫の首輪のエメラルド――オハディー領主の証〈ロイヤル・エバーグリーン〉。重なり合わせた二つのエメラルドが淡い緑で共鳴を始める。


「にゃはは。我輩の魔力、大事に使ってくれにゃあ……」


「ええ……」


 灰色の毛玉に顔を埋めながら、そっと呟く……。


――この温もりとも、お別れか……


「じゃあ、元気でね! 猫の――いいえ、ピクシーの伯爵様!」


「相変わらず、が高いにゃん」と猫は笑う。


「ニシシ☆ それじゃ、伯爵、行くよー? 風の精霊シルフに届け。奏でる風は愉快なメロディー! 歌え空に、響け雲に、鳴らせどこまでも! ふわりと浮かんで飛んで行けー! 巻き起これ! 『ウォラーレ』!」


 とんがり帽子を押さえながら、生意気そうなウインク一つ残して赤い箒の魔女は風になって消えた。



 あたしのお気に入りの友達、旅の相棒、気まぐれ猫の妖精伯爵を肩に乗せて――。


――ありがとう、グレイマン……


 共鳴によって、魔力の運ばれた――まだ、仄かに熱を帯びた、胸のエメラルドを握りしめ、いつもリュックの中で丸くなっていた、あの灰色の毛玉の温もりを思い出していた。



 頭の上に何も乗って居ないのが、今はちょっぴり寂しい気がした――。


――またね、気まぐれ猫の妖精王様!

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